神無月の仕事──『ヴァルター・ベンヤミン』刊行から一か月を経て

十月も下旬というのに、ここ広島ではまだ日中の気温が高く、何を着て出かけるか迷う今日この頃です。先月から今月にかけて、二つの巨大な台風が相次いで列島を襲い、ご存知のとおり、痛ましい被害が各地に深い傷を残しています。被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

473158さて、先月20日に岩波新書の一冊として拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓してから一か月が経ちました。この間すでに、いくつもの温かいお言葉をいただいております。読者のなかには文字通り精読してくださっている方もおられて、著者冥利に尽きると感じております。

拙著『ヴァルター・ベンヤミン』をいち早くお手に取ってくだり、ご感想をお寄せくださった方々に心より感謝申し上げます。おかげさまで、この種の書籍としては比較的多くの読者の手許に届いているようです。拙著は、図書新聞の第3421(2019年11月2日)号の「ポケットブック」のコーナーをはじめ、各種媒体でも紹介され始めています。

今、思わぬかたちで、ベンヤミンが抱いていた問いがアクチュアリティを帯びていると感じています。その一つは、拙著の主に第四章で論じた、今芸術は何でありうるかという問いではないでしょうか。彼は、知覚経験が変容し、従来の意味で「美しい」芸術作品が成り立ちえなくなっている状況のなかで、芸術が、そして作品がどのようにありうるかを、同時代の芸術の動きを見据えながら問うています。

あいちトリエンナーレとその「表現の不自由・その後」展をめぐっては、芸術は民衆に役立つものであるべきだといった、民衆を上から統治の対象としてしか見ていない言説も聞かれました。しかし、ベンヤミンはむしろ、そのような対象とはならない民衆そのものが生じる媒体として、芸術作品が創造される可能性を、新たな、批評を内在させた芸術のうちに見届けようとしていました。

こうして、ベンヤミンの思考が取り組んだ問題がアクチュアリティを帯びて浮上することは、同時に彼が生きた時代よりもその闇が深まったことの徴候でもあるでしょう。とくに、行き交う情報のいっそうの断片化が進むなか、歴史修正主義が精神を蝕むかたちで浸透しつつあることは、排他的ないし排外主義的な暴力としても現われながら、現代の闇を深めていると感じています。

ベンヤミンの著作には、こうした現在の闇の要因を見通しながら、そのなかを歩むことへ向けた思考のきっかけや手がかりが含まれていると考えて、拙著を公にしました。彼の批評的な思考の足跡を、彼の生涯のなかに浮かび上がらせた拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を書店で見かけられたら、お手に取っていただけると幸いです。

71293874_2691610117558010_7584518907336065024_oところで、今月は芸術に関わる仕事をいくつか公にすることができました。機会を与えてくださった方々に感謝申し上げます。まず、10月4日に開催された広島交響楽団のディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethovenの第2回演奏会のプログラムに、曲目解説を寄稿させていただきました。

この演奏会では、何よりも細川さんの《月夜の蓮》を望みうる最高の演奏で聴けたのが嬉しかったです。児玉桃さんの明晰でありながら、豊かな歌に貫かれたピアノに、下野竜也さんが指揮するオーケストラが見事に応えて、生気に満ちた流れた生まれていました。

72554808_2726928977359457_3251842159254437888_oまた、10月12日から栃木県の小山市立車屋美術館で始まった呉夏枝さんの個展「手にたくす、糸へたくす」のカタログにも、「記憶の多島海へ──呉夏枝のほぐす芸術によせて」と題する小文を寄稿させていただきました。作家の芸術の歩みを、記憶の越境的な継承の可能性へ向けて論じるものです。

糸を扱う手仕事によって、言葉にならなかった記憶の気配を伝える空間を開き、その継承の回路を紡いできた呉夏枝さんの仕事の多彩さを伝える展示も楽しみなところです。この機会に、多くの方に彼女の芸術に触れていただきたいと思います。

それから、10月15日に発行された芸術批評誌『Mercure des Arts』の第49号には、今年30回目を迎えた武生国際音楽祭にゲスト講師として参加しての報告を寄稿させていただきました。9月の音楽祭で新たな音楽が生まれた様子を伝えると同時に、音楽家が出会い、世界的な音楽創造の芽が育まれる場として続いてきた武生国際音楽祭の意義にも触れました。ご一読いただけると幸いです。

10月22日には、8・6ヒロシマ大行動実行委員会が主催した、拡声器規制問題に関する第2回公開討論会にパネリストの一人として参加しました。その際、毎年8月6日に開催される平和祈念式典のあり方を、市民自身がどのように考えるか、という問いを広く共有することが必要であることや、式典会場周辺での拡声機使用を条例で規制することは、表現の自由に抵触する危険があることなどを論じました。

討論会では、平和祈念式典の成り立ちを歴史的に検証することへの問いを含め、さまざまな視点からの発言があって、多くを学ぶことができました。あいちトリエンナーレに対する文化庁の補助金不交付の問題とも通底するものを含んだ拡声器規制問題については、広島に注目する世界中の人々を失望させることにならないよう、市当局の動きなどを注視していきたいと考えています。

71184137_3005860276108036_4509768596271923200_o来たる11月2日には、勤務先の大学の広島平和研究所の直野章子さんが主催されるシンポジウム「記憶の存在論と歴史の地平」に、ディスカッサントとして参加させていただきます。直野さんはじめ、このテーマをめぐる研究をリードしている学者が顔を揃えるこのシンポジウムにご関心のある方は、広島市立大学のサテライトキャンパスへお越しください。参加は無料です。

11月中旬からは、拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』の合評会や刊行記念のトークなども続きます。12月22日に開催される福岡市の書店&カフェ「本のあるところajiro」でのトークについては、広報も始まっています。これらについては、FacebookTwitterでも情報を発信していきたいと考えております。拙著にご関心のある方とお会いできることを、心から楽しみにしております。

もうしばらくしたら、広島にも紅葉の季節が訪れます。それとともに朝晩は冷え込むことでしょう。台風やその後の大雨のために避難生活を余儀なくされている方々にとっては、寒さがとりわけ厳しくなると思います。どうかみなさまお身体大切にお過ごしください。

小著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓します

473158このたび岩波新書の一冊として、『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓します。19世紀末のベルリンに生を享け、20世紀の前半に文筆家として活動したユダヤ人思想家ヴァルター・ベンヤミン(1892〜1940年)の批評としての思考の歩みを、その生涯とともに描き出そうとする一書です。これを80年を超える伝統のある新書の一冊として世に送る機会をいただいたことを、身に余る光栄と感じております。ベンヤミンという名前が気になる人にとっても、あるいはその名を初めて聞く人にとっても、この思想家が二つの世界大戦とファシズムの時代にどのような現実と向き合っていたのか、またそのなかで何を問うていたのかが伝わるように書いたつもりです。この文字通りの小著をつうじて、ベンヤミンという人物と、言語、芸術、歴史の本質に迫る彼の思考に興味を持っていただけたら幸いです。

副題は「闇を歩く批評」としました。そこに含まれる言葉がどこから来ているかは、本書の前半をお読みいただければお判りになるかと思いますが、基本的にはベンヤミンの思考を、批評として浮き彫りにしようという意図を込めて、そのような副題を付けた次第です。ベンヤミンの思考は、彼が生きた時代の危機を見通しながら、その危機のうちに決定的な岐路を見て取っていました。それは「分かつ」ことを意味するギリシア語の語源(クリネイン)に照らしても、批評(クリティーク)だったと言えます。しかも、こうして言わば存亡の危機のただなかに活路を見いだそうとするなかで、彼の思考は、言語とは、芸術とは、そして歴史とは何かを、これらを生きる可能性へ向けて根底から問うています。本書では、そのような哲学的な思考が、具体的な文学作品などの批評をつうじて展開されていることにも迫ろうとしました。

こうしてベンヤミンの徹底的な思考の足跡を辿るとは、言うまでもなく同時に、彼が生きた時代を、彼をめぐる人間関係とともに浮かび上がらせることでもあります。ベンヤミン自身が戦地へ赴くことはなかったとはいえ、第一次世界大戦は、彼のなかに深い傷を残すと同時に、経験される現実の崩壊を突きつける出来事でもありました。また、ファシズムの台頭は、ユダヤ人の彼に亡命を強いることになりますが、これはやがて第二次世界大戦として現実となる、人間が自分自身の技術によって、みずからの滅亡を可能にしてしまう状況を用意するものと、彼には映っていました。そのような苛酷な時代に生きることを支えたのが、ゲルショム・ショーレムやハンナ・アーレント、あるいはテーオドア・W・アドルノといった友人たちとの交流でした。本書にはこれらの友人に宛てたベンヤミンの書簡も、著作とともに引用されています。

友人からの音信を支えとしながら、ベンヤミンは、時代の闇のなかを歩み抜こうとしました。彼は絶望的にも見える状況の内部に、生存の道筋を見いだそうとしたのです。このことは亡命期の彼の生きざまにも色濃く表われていますが、何よりも彼の抵抗としての思考の姿にはっきりと示されています。ベンヤミンの思考は、絶えず歴史と対峙しながら、そのなかに息を通わせる余地を切り開こうとしたのです。そのことは具体的には、けっして何かの道具として使われることのないかたちで言葉を、芸術を、そして歴史を生きる道筋を探るところに表われていると考えられます。本書では、このような思考の足跡を、アーレントがベンヤミン論を含む人物論集の表題として語った「闇の時代」の生涯のなかに浮き彫りにすることを試みました。「闇を歩く批評」という副題には、そのことも込められています。

さて、このようにして闇を歩いた思考の足跡を辿るとは、いくつもの点でベンヤミンの時代よりも深まった現代の闇を内側から照らし、ますます息苦しい社会を生き抜くための問いを立てる手がかりを、彼が残した言葉のなかに探ることであるはずです。それは、ベンヤミンの批評の書を読むことにほかなりません。本書は、そのための入り口として書かれています。彼の著述の引用を交えた叙述と、巻末に付した読書案内を兼ねた参考文献一覧を手がかりに、ベンヤミンの著作や書簡に触れていただけるとするなら、著者にとってこれ以上の幸いはありません。以下に本書の目次を掲げますので、参考にしていただけたらありがたいです。「インテルメッツォ」としてアーレント、それからパウル・クレーの絵画芸術とベンヤミンの関係に触れたコラムも設けました。写真もできるだけ多く収録しました。

本書は、2014年に上梓した『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)に込められた研究、2018年7月に刊行された『思想』誌(岩波書店)のベンヤミン特集に寄稿した論文に至る、歴史哲学についての研究、さらには並行して続けてきた美学についての研究と各地での調査を基に、今問いを喚起しうるベンヤミン像を描き出そうと試みるものです。ベンヤミンを主題とした新書としては、1991年に刊行された高橋順一さんの『ヴァルター・ベンヤミン──近代の星座』(講談社現代新書)以来の一冊となります。これとは異なったアプローチでベンヤミンの思考の内実に迫ろうとする小著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を、お手に取っていただけたら嬉しいです。本書は、ベンヤミンの79回目の命日の一週間ほど前に当たる2019年9月20日に発売されます。

■『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』目次

プロローグ──批評とその分身

  • 第一節 せむしの小人とともに
  • 第二節 批評の書を生きる
  • 第三節 天使という分身

第一章 青春の形而上学──ベルリンの幼年時代と青年運動期の思想形成

  • 第一節 世紀転換期のベルリンでの幼年時代
  • 第二節 独自の思想の胎動
  • 第三節 「青春の形而上学」が開く思考の原風景
  • 第四節 友人の死を心に刻んで

インテルメッツォⅠ クレーとベンヤミン

第二章 翻訳としての言語──ベンヤミンの言語哲学

  • 第一節 言語は手段ではない
  • 第二節 言語とは名である──「言語一般および人間の言語について」
  • 第三節 翻訳としての言語
  • 第四節 方法としての翻訳──「翻訳者の課題」

第三章 批評の理論とその展開──ロマン主義論からバロック悲劇論へ

  • 第一節 芸術批評の理念へ──『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』
  • 第二節 神話的暴力の批判──「暴力批判論」
  • 第三節 文芸批評の原像──「ゲーテの『親和力』」
  • 第四節 バロック悲劇という根源──『ドイツ悲劇の根源』

第四章 芸術の転換──ベンヤミンの美学

  • 第一節 人間の解体と人類の生成──『一方通行』と「シュルレアリスム」
  • 第二節 アレゴリーの美学──バロック悲劇からボードレールへ
  • 第三節 知覚の変化と芸術の転換──「技術的複製可能性の時代の芸術作品」
  • 第四節 中断の美学──ブレヒトとの交友

インテルメッツォⅡ アーレントとベンヤミン

第五章 歴史の反転──ベンヤミンの歴史哲学

  • 第一節 近代の根源へ──『パサージュ論』の構想
  • 第二節 経験の破産から──「フランツ・カフカ」と「物語作家」
  • 第三節 想起と覚醒──『パサージュ論』の方法
  • 第四節 破壊と救出──「歴史の概念について」

エピローグ──瓦礫を縫う道へ

  • 第一節 ベンヤミンの死
  • 第二節 瓦礫を縫う道を切り開く批評
  • 第三節 哲学としての批評

ヴァルター・ベンヤミン略年譜

主要参考文献一覧

あとがき

※本書はお近くの書店のほか、Amamzon.co.jp楽天ブックスhonto紀伊國屋BookwebHMV&BOOKSセブンネットショッピングe-honなどでご購入いただけます。

クリスチャン・ボルタンスキーの「モニュメント」としての作品──東京での展示を見て

モニュメントという語は、語源に遡れば、思い出させるものを意味するという。しかし、今日モニュメントと言えば、どちらかと言うと、規模の大きな記念碑や記念像を指すことが多い。たしかにこれらも、過去に何が起きたか、またその出来事を誰が体験したかを思い出させるものとして造られていよう。しかし、大規模な記念物は、それ自身の威容によって出来事を強く意味づけてしまう。そして、これにしばしば付される銘文は、過去を説明してしまう。観る者は、モニュメントの大きさに圧倒されることによって、またその説明を読むことによって、しばしばかつて起きたことを思い起こした気になっている。

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《幽霊の廊下》から《ぼた山》を望む

だが、このことは、ある意図の下で現在そこに置かれているものの効果でしかない。ここに過去はない。何も思い起こされていないのだ。ここにあるのは、現に物語られている歴史のみである。それに感情移入することは、壮大なモニュメントを造る力に同一化することに終わる。そのことは何よりもまず、歴史による過去の抑圧に荷担することである。クリスチャン・ボルタンスキーの作品は、それによって進行する忘却に、モニュメント、すなわち思い出させるものの名において抗うものと思われる。国立新美術館で開催されている(2019年6月12日〜9月2日)この作家の回顧展「Lifetime」のなかで、彼が1980年代を中心に制作した「モニュメント」の数々を見ることができた。

ボルタンスキーの「モニュメント」は、いずれも基本的には方形の枠や箱を積み上げた上に死者の写真を配し、電燈で柔らかに照らすことによって、祭壇状の──今回の展覧会の制作を記録した映像において作家は、自作の展示空間と教会の相似性を強調していた──インスタレーションを構成するものと言えるが、そのなかでとくに印象的だったのは、「プーリムの祭り」と題された作品だった。そこでは、ブリキの箱が聖櫃のように積まれた上に、死者の写真が置かれている。一人ひとりの生には、その人が誰であるかを形づくるいくつかの段階があり、それは物に痕跡を残している。このことを思うとき、もはや誰のものか特定しがたい写真が暗示する誰かが「いた」ことが迫ってくる。

さらに、《聖櫃(プーリムの祭り)》においては、死者の顔写真もブリキの箱に収まっている。それが電燈によって照らされると、見る角度によって顔が微かに立体性を帯びる。それによって、この死者が今ここに回帰しているかのような感覚に襲われる。同じような感覚を、《その後──写真》と題された肖像写真のインスタレーションでも味わうことができよう。出口近くに設けられた暗い空間におぼろげに漂う顔が、光を受けた瞬間に色を帯び、生きた人の顔貌のように浮かび上がる。そのことを感じとるとき、唯一無二の誰かの存在がいっそう強く迫ってくる。自分がこれまで知ることのなかった死者に遭遇し、その魂に捕らえられるのだ。

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C・ボルタンスキー《アニミタス(白)》部分

ただし、そのような感覚を覚えたのは、今回個人的には、これまでに挙げた作品に加え、《しわくちゃのモニュメント》を前にしたときだけだった。他の「モニュメント」を見た際には、隣接する他のモニュメントが目に入ってしまうこともあって、未知の死者との交感のような感覚を味わうことはできなかった。ボルタンスキーの「モニュメント」はやはり、一つひとつが別々の空間に置かれてこそ、「思い出させるもの」としての力を発揮しうるのではないだろうか。ただし、裏側の壁面に《アニミタス(白)》の映像が投影されていたために、その風鈴の音が「モニュメント」の部屋にも流れてきたことが、魂の気配を漂わせていたのも確かである。

現在東京では、寒風吹きすさぶカナダで撮影された《アニミタス(白)》に加えて、エスパス・ルイ・ヴィトン東京で《アニミタスII》を観ることができる(2019年6月13日〜11月17日)。後者では、瀬戸内の豊島とイスラエルの死海で撮影された「アニミタス」の映像が向き合うように流されている。これらを前にすると、細い杭に吊るされ、風を受ける風鈴の音によって、中空に漂う魂がここに呼び寄せられているようにも感じられる。しかし、風鈴があまりにも多く、その響きを含んだ風の音が、やや人工的な塊のように聞こえたことも否めない。風鈴の数をぐっと減らすならば、映像空間にいっそうの奥行きが生まれて、風鈴の音とともに漂ってくる気配の実在感が増したのでは、と思えてならない。

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C・ボルタンスキー《保存室(カナダ)》部分

ボルタンスキーは展示制作のドキュメンタリーのなかで、半世紀に及ぶ作家生活を回顧する展示の全体を一つの作品として見てほしいと語っていたが、展示空間という一つの作品に対しても、その内部に配された作品の一部に対しても、過剰を感じた。先の「アニミタス」シリーズもそうだが、もっと要素を切り詰めてほしいと思う場面がいくたびかあったのは確かである。しかし、独特の過剰さが作品の強度に結びついた作品もある。その代表例が《保存室(カナダ)》と題されたインスタレーションであろう。その空間の壁面には、死者が身に着けていた衣服が、びっしりと掛かっている。そのさまは、一人ひとりの生が、ある時期にこれほどおびただしく奪われたことの重さを突きつけている。

「カナダ」とは、アウシュヴィッツで囚人から剝ぎ取られた品々が貯蔵されている場所を指す収容所の隠語である。そこには、豊かな「カナダ」のように何でもあるのだ。ただし、そこに積み上げられた衣服には、死者の身体的な生が染みついている。そのような衣服の集積を前にしてその一枚一枚を目で追うとき、これを身に着けていた人々がいたことだけでなく、この人々が無残な死に追いやられたことに思いを馳せずにはいられない。ボルタンスキーが先の映像で、近親者とショアー/ホロコーストとの関係に触れていることからもうかがえるように、作家が作品のうちにその魂を回帰させようとしている死者が、歴史のなかで生を断ち切られた者であることも銘記されるべきだろう。

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C・ボルタンスキー《幽霊の廊下》部分

ボルタンスキーの作品は、このような死者に、その魂に捕らえられるかたちで遭遇する場を開く。彼の作品がその意味で「モニュメント」であることは、過去を想起すること自体が、死者と出会うことであり、記憶すること自体に亡霊の回帰が内在していることを告げているのかもしれない。新国立美術館の展示会場に新たに設けられた《幽霊の廊下》に影絵となって漂う天使たち──あるいは鬼神たち──は、このことの寓意像のようにも見える。魂を呼び覚ましながら、記憶すること自体を問うボルタンスキーの「モニュメント」に、今度は静かで小さな空間で向き合ってみたい。

初夏の仕事

もう七月の下旬だというのに、梅雨の長雨は止みそうにありません。しばらくは豪雨と土砂災害にも警戒が必要な様子です。どうかお気をつけてお過ごしください。

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ハノーファーのリンデンにあるハンナ・アーレントの生家跡の銘板

さて、6月の初旬に、ハノーファー専科大学(Hochschule Hannover)と勤務先の広島市立大学の交流事業のために、ドイツのハノーファーに短期間滞在しました。ハノーファーと広島が姉妹都市であることを背景に、両大学のあいだには交換留学に関する協定があり、双方の学生が毎年数名ずつ派遣されています。今回は、教育交流の促進のための事業に、私を含め三名の教員が広島市立大学から派遣されました。

6月3日に、ハノーファー専科大学の第V学部という、社会福祉などを専門とする学部で、この地に生まれたハンナ・アーレントの思想の一端に触れながら、他者との共生をテーマとする講義を二回行ないました。学生たちは非常に拙い話をとても熱心に聴いてくれて、質問もしてくれました。紹介したアーレントの複数性の概念でリポートを書きたいと申し出た学生もいたそうです。

次の日には、講義に招いてくれた倫理学が専門の教員が、リンデンという地区にあるアーレントの生家の跡に連れて行ってくれました。彼女がこの生家で暮らしたのは三年ほどとごく短いのですが、今は薬局に使われている建物の片隅に、生家だったことを示すプレートが掲げられています。それを眺めながら、それぞれ違った人々のあいだにいることを振り返り、人間の複数性を実現する行為の現代における重要性を、あたためて思いました。他者とのあいだを開き、社会の風通しをよくすることは、日本では急務でしょう。

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アントン・ウルリヒ公爵美術館外観

6月5日は、用務が早く終わったこともあり、隣町のブラウンシュヴァイクまで足を伸ばし、フェルメールの《ワイングラスを持つ少女》があるアントン・ウルリヒ公爵美術館の展示(レンブラントのコレクションと、一枚だけあるジョルジョーネの作品がとくに素晴らしかったです)をひと通り見た後、当地の州立劇場ミェチスワフ・ヴァインベルクのオペラ《女船客(パサジェルカ)》の上演を観ました。今シーズンの最終回の公演でした。以前から関心があった作品の実演に接することができました。

この上演の印象と、6月8日にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で思いがけず聴くことができたマリア・ジョアン・ピレシュの演奏の印象を記した拙文が、批評誌『Mercure des Arts』の第46号に「初夏のドイツへの旅より──ベルリンとブラウンシュヴァイクで接した公演を心に刻む」と題して掲載されています。ご笑覧いただければ幸いです。ハノーファーでの仕事が終わった後、ベルリンに寄ったわけですが、その際にはハンブルク駅現代美術館のエーミール・ノルデ展とブリュッケ美術館の特別展「絵画への逃避か」を観ることができました。その印象は、すでに別稿に記してあります。

65911415_2530871616965195_5595289591419502592_oさて、7月19日には、広島市中区本川町にある「本とうつわの小さな店」READAN DEATを会場に、瀬尾夏美さんの著書『あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる』(晶文社、2019年)の出版記念トーク・イヴェントが開催され、その際対談のお相手を務めました。

瀬尾さんは、東日本大震災後の「復興」が進みつつある陸前高田市を活動の拠点に、そこに生きる人々、旅先で出会った人々、そしてこれらの人々のなかに死者が抱え込まれていることと対話しながら、人々が体験したことの「語りえなさ」にも寄り添う繊細な思考を重ねてこられました。

これを瀬尾さんは最近、魅力的な一冊『あわいゆくころ』にまとめられたところです。その内容をめぐって瀬尾さんと、西日本豪雨の災害から一年が経った、そして被爆から74年となる8月6日が巡って来ようとしている広島でお話することには、やはり特別な意味があると感じています。

瀬尾さんとご一緒するのは、昨年の1月16日に広島市現代美術館で開催された小森はるか+瀬尾夏美「波のした、土のうえ」巡回展のスピンオフ企画として開催されたトーク・セッション「仙台から/広島から」以来ということになります。そのときも、瀬尾さんと小森さんの変貌していく風景への眼差しと、そのなかから編み出された表現の姿に、強い感銘を受けました。

当日は雨模様のなか、26名を数える方々にお集まりいただき、心から感謝しております。瀬尾さんから、この魅力的な一冊がどのようにして綴られたかとともに、小森はるかさんとの映像作品にも表われている、物語を他者とともに紡ぎだす作業についても興味深いお話をうかがって、今物語るとはどういうことか、という問いをめぐって、集まってくださったみなさまとともに多くのことを考えることができました。

その過程で、本のなかで語られる、「物語ることは弔いに似ている」という洞察について、少しだけ理解が深まった気がします。霊媒的でもあり、天使のような媒介者でもあるような、媒体としての物語。哀悼と傷の労りを織り込みながら、これを他者とのあいだで紡いでいく仕事が響き合うなかで、出来事が照らし出されてくる可能性は、ここ広島でも、他の場所との関係を視野に収めつつ掘り下げられる必要があると、あらためて痛感したところです。

以前から気になっていた、記憶と物語の関係について、少し整理しながら考える機会になりましたし、そのために多くのことを教えられました。瀬尾さんとこのような場を持つことができたことを心から感謝しています。一端を最後にご紹介いただきましたが、『あわいゆくころ』以後のお仕事の展開も楽しみにしているところです。

国民社会主義下の絵画を問う二つの展覧会──ベルリンでのノルデ展を中心に

Exhibition_Brochures_Berlin2019色彩そのものの鮮烈さが際立つだけでなく、色と緊密に結びついた塊が、輪郭をはみ出しながらこちらに迫ってくる。しかも、その奥からは、絶えず何かが湧き出ている。このことが生命の脈動を感じさせる画面。そこにエーミール・ノルデの絵画の魅力があることは確かだろう。だが、まさにこの魅力には危うさも感じないではいられない。その危うさを、これまでは例えば、《失楽園》(1921年)のようなユダヤ゠キリスト教な主題を扱った作品が、異教的としか言いようのない土着的、ないしは土俗的な生の姿と結びつきうるところに見ていた。

こうしたノルデの危うさが、実は国民社会主義との協働の可能性でもあったことを、その画業を絵画とドキュメントの双方から綿密に跡づけて明らかにしたのが、2019年4月12日からベルリンのハンブルク駅現代美術館で開催されているノルデ展「エーミール・ノルデ──あるドイツの伝説」である。それは、一つの展覧会が画家像を一変しうるインパクトを持ちうることも示していた。それゆえにこの展覧会は話題を呼び、入場制限がかかるほどだった。ちなみに、首相の執務室に飾られていたノルデの《波濤》(1906年)は、展覧会が始まる直前に新国立美術館に返却されたという。

ただし、展覧会そのものは、けっしてノルデとナチスの関係を表立って告発するようなものではない。むしろ、補色も大胆に用いながら、飼い馴らされることのない自然の姿を画面に浮かび上がらせるノルデの傑作を、現在改装中の新国立美術館とゼービュルのエーミール・ノルデ財団のコレクションから集め、それを作品と同時期のノルデに関するドキュメントと、どちらかと言うと淡々と照らし合わせていた。展示室の奥には、戦争中、言わば蟄居していたノルデのアトリエの様子が、証言や記録を基に再現されるとともに、同時期の「描かれざる絵」も数多く展示されていた。

とはいえ、展示から浮かび上がるのは、自分こそがドイツの「民族的」絵画を牽引するのだとのノルデの自負である。これまで彼は一般には、一千点を超える作品が、ナチスによって「頽廃芸術」の烙印を押され、「頽廃芸術展」で大々的に見せしめにされたうえ、帝国造形芸術院からも除名され、画業を禁じられたナチズムの被害者との見方が強かった。ノルデをモデルにしたジークフリート・レンツの小説『ドイツ語の時間』も、被害者としてのノルデ像を定着させるのに一役買ったことは間違いない。しかし、彼はそれでもなお、ナチズムに積極的に貢献しようとしていた。

ノルデは1933年以降、ユダヤ゠キリスト教的な主題を封印し、「ゲルマン的」とも言うべき民族的な主題を主に手がけるようになる。この時期から、火のモティーフが際立つのが興味深い。農民の姿や民俗的な祭祀の様子も頻繁に描かれる。「職業禁止」のなかでも描き続けられた水彩画には、画風をナチスの上層部に認めさせる狙いも込められていたようだ。「頽廃芸術展」と同時に開催された「大ドイツ展」で称讃された絵画ではなく、自分の力強い絵画こそが、ドイツの芸術の将来を約束しうるという自負を、ノルデはナチ党の党員証とともに、戦時下でも保持し続けたのだ。

そうしたナチズムへの内的な関与の背景に、ノルデの反ユダヤ主義があることも、展示された書簡などのドキュメントから浮かび上がっていた。そのきっかけの一つは、画業の初期に彼の前に立ちはだかったユダヤ人の画家マックス・リーバーマンに対する敵視だったようだ。しかし、このような確信犯的ナチとしてのノルデの姿は、戦後彼自身によって封印される。彼は自伝から、反ユダヤ的と見られうる文言を削除し、ユダヤ゠キリスト教的なモティーフを扱った絵を再び描き始める。そして、そのように自己演出を進める一方で、自身の過去を悔いる様子は見られない。

このような、ベルリンのノルデ展の展示室に浮かび上がる新たなノルデ像を前にして、彼とマルティン・ハイデガーとの相似性を考えないではいられなかった。この同時代の哲学者もまた、一時期ナチズムに積極的に関与しようとし、その企ての挫折の後にも党員証を手放すことはなかった。そして、反ユダヤ主義的な信条を持ち続けたことも、いわゆる『黒ノート』などの公刊によって明らかになりつつある。さらにそこに、筋金入りの人種主義者だったと伝えられる夫人の影響があることも、ノルデと共通している。その最初の夫人も反ユダヤ主義者だったようだ。

ところで、ハンブルク駅現代美術館でのノルデ展と対をなすかたちで、ベルリンの南西の住宅街にあるブリュッケ美術館では、4月14日から「絵画への逃避か──国民社会主義下のブリュッケの芸術家」というテーマの特別展が開催されている。ヒトラーの体制の下で、とくに「頽廃芸術展」以後、芸術家集団ブリュッケを組織していたエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、オットー・ミュラー、エーリヒ・ヘッケル、マックス・ペヒシュタイン、カール・シュミット゠ロットルフらが、芸術家とした生き延びようとした苦闘の足跡が、関連する作品とともに展示されていた。

一部の画家は、批判と迫害の的になり始めてから、「ゲルマン的」なモティーフに傾斜したり、あるいはナチスの政策の下で新たに造られたアウトバーンを画題にしたりといった、痛々しい姿を示していた。キルヒナーは、ナチスが想定するのとは異なった意味でのドイツの画家との自覚を持って抵抗し続けたが、造形芸術院から除名されたうえに画壇から完全に黙殺されるようになり、自殺に至るまで苦悩を深めていく。その一方で、ブリュッケの芸術家を支えてきたユダヤ人のギャラリストは、亡命を余儀なくされたり、虐殺されたりしている。

こうした経緯を作品──キルヒナーの《女曲芸師》(1910年)のように、なかには「頽廃芸術」の烙印を押されて保管されている様子の写真とともに展示されているものもあった──とともに辿りながら、生存そのものが脅かされる状況のなかで芸術活動を続けるとはどういうことかを問わざるをえなかった。ブリュッケ美術館の展覧会「絵画への逃避か」にしても、先に触れたノルデ展にしても、今あらためて国民社会主義体制の下での芸術家の生きざま──それは作品のみならず、その成立と流通の過程にも表われる──を問うものと言えよう。そこには同時に、日本の超国家主義とその戦争の下での芸術の姿を振り返りながら、日に日に息苦しさを増す現在の状況のなかで作品を創ることの歴史的な位置と意義を問う契機も含まれていると思われる。

皐月に聴く広響

2019_A4_01(0311)_3去る5月17日(金)から、広島交響楽団の新しいディスカバリー・シリーズ「ベートーヴェン生誕250周年交響曲シリーズ:Hosokawa×Beethoven」が始まりました。今シーズンの四回の演奏会では、ベートーヴェンの交響曲とともに細川俊夫さんの四曲の協奏曲的な作品が取り上げられます。下野竜也さんが広島交響楽団とともにどのようなベートーヴェン像を提示するか、非常に興味深く思っています。

第1回の演奏会では、オペラ《フィデリオ》序曲と交響曲第1番が演奏されます。四回の演奏会で、ベートーヴェンがこのオペラのために書いた四曲の序曲をすべて聴けるというのも、このシリーズの魅力の一つでしょう。なお、このシリーズのプログラムに、曲目の解説を寄稿させていただいています。貴重な機会をくださった関係者のみなさまに心より感謝申し上げます。

初回の演奏会では、宮田まゆみさんの笙で細川さんの《雲と光》を聴けるのを、非常に楽しみにしていました。『細川俊夫 音楽を語る』(アルテスパブリッシング)で詳しく論じられているこの作品を、実演で聴いてみたいとずっと願っていたものですから。雲と光の繊細な関係が心の動きとも呼応しながら響く作品です。

実際、深い共感をもって奏でられた細川さんの《雲と光》がとくに素晴らしかったです。下野さんの指揮の下、明確な音楽の運びのなかに、雲間に光が明滅する空間が豊かに広がる演奏でした。嵐の過ぎた後に響いてくる宮田さんの笙の響きは、本当に美しかったです。もちろん、ベートーヴェンの二曲も聴き応えがありました。

《フィデリオ》の序曲の力感に満ちた演奏には高揚させられましたし、交響曲第1番では若い作曲家の並々ならぬ意欲を実感できました。今回の演奏では、第2楽章の演奏を、とくに美しく思いました。作曲家が想定していたであろう、着実な歩みを感じさせるテンポのなかで、弦楽器の旋律が折り重なり、管楽器の充実した響きがどこまでも広がっていく音楽も、ベートーヴェンにしか書きえなかったことでしょう。交響曲第2番が取り上げられる次回がますます楽しみです。

369_A4_表それから、5月25日(金)に開催された第390回定期演奏会では、素晴らしいブルックナーを聴くことができました。音楽の壮大さを実感させる説得的な構築性と、豊かな歌謡性とを兼ね備えた第5交響曲の演奏だったと思います。ブルックナーに特別な愛着を持つ下野竜也さんの緻密な解釈に応えて、オーケストラが豊かな響きを紡ぎ出していたのも印象的でした。

冒頭のバスのピツィカートの音型をしっかりと響かせた上に、下野さんは余裕のあるテンポで声部を重ね、大きな建築物を造り上げていましたが、その過程に自然な流れがあって、けっして物々しくなることがなかったことは、解釈の際立った美点と思われました。また、この点は、第5交響曲に凝縮されるブルックナーの音楽そのものについてあらためて考えさせます。

アダージョの楽章が終わりにさしかかり、テンポがほぼ半分に落ちてから、分散和音的な音型が連綿と歌い込まれるなか、音楽が徐々に高まっていくのを聴きながら、ふと思いました。ブルックナーという作曲家は、人為的な構築と有機的な生成の合致という不可能なことを、音楽によって成し遂げようとしたのではないか、その試みが彼の祈りだったのでは、と。

四つの楽章を貫くかたちでこの神的な対立物の一致を目指す作曲家の姿勢が、最も率直に表われているのが第5交響曲なのかもしれません。そして、その歩みが一つの緊密な音楽のなかに回帰するからこそ、フィナーレのコラールは感動的なのでしょう。昨日は最後にこのことを聴き取ることができました。その意味でも充実した演奏だったと思います。

たしかにブルックナーの音楽には、ゴシックの聖堂を思わせる高さがあります。しかし、その構造体が内からの歌で満たされなければ、何の意味も持たないと彼が考えていたことは、交響曲の随所に書き込まれた豊かな旋律から明らかでしょう。今回の演奏では、緩徐楽章の第二主題がとりわけ美しく響きました。第一楽章の途中で序奏のアダージョが回帰した際に、下野さんがヴァイオリンを艶やかに響かせたのも忘れられません。

演奏会のプログラムには、下野さんが大阪フィルハーモニー交響楽団で研修されていた頃の朝比奈隆さんとの思い出が綴られていました。冒頭からの低音の響かせ方や、フィナーレの第二主題の軽やかさに、彼から受け継いだものを感じました。その一方で、透明感すら感じさせる見通しのよい響きと、自然な流れは、下野さんならではのものと思われました。

広島交響楽団は今回、金管セクションをはじめとして非常に充実した響きを聴かせていました。下野さんの指揮との一体性がいっそう高まった印象です。その一方で、とくに対位法の複雑さが極まるところで、セクション内の、あるいはセクション間のアンサンブルにもう一歩緊密さを求めたい気もしました。また下野さんの指揮でブルックナーの交響曲が聴ける日を楽しみに待ちたいと思います。

シンポジウム「『戦争/暴力』と人間──美術と音楽が伝えるもの」第2回「総力戦体制下の芸術」のお知らせ

51666037_1275443149272437_7188597255643856896_o来たる4月14日(日)の午後、京都の本願寺に併設されている聞法会館にて、「『戦争/暴力』と人間──美術と音楽が伝えるもの」をテーマとするシンポジウムのシリーズの第2回が開催されます。このシリーズは、「ヒロシマと音楽」委員会の委員長で、音筆舎も主宰されている能登原由美さんのコーディネイトによるものです。すでに第1回のシンポジウムが、昨年の9月1日に原爆の図丸木美術館で行なわれています。第2回は「総力戦体制下の芸術」を問うシンポジウムとして、日本音楽学会西日本支部の特別例会としても開催されます。第1回に続いて、司会とコメンテイターの役を務めることになっています。

第1回のシンポジウムでは、戦争とその記憶を美術と音楽がどのように表現しえたか、あるいはしえなかったか、また社会に構造化されたものを含めた暴力の問題に芸術がどのように迫ってきたか、といった問いに、時代的にも広い視野の下で取り組みました。今回は、とくに日本の「総力戦体制」下の美術と音楽に焦点を絞り、1931年の満州事変から15年にわたった日本の戦争に芸術が、そして芸術家がどのように関わったかを、戦後とのつながりも視野に入れながら問うことになります。そのためにまずは、1930年代から40年代にかけての日本の美術と音楽の動向を捉える必要があるはずです。今回のシンポジウムには、これについて重要な歴史的研究を重ねてこられた方々を、パネリストにお迎えすることになっています。

52141248_1275443282605757_7223594556137144320_o美術史家の平瀬礼太さんは、『彫刻と戦争の近代』(吉川弘文館)をはじめとする著書が示すように、日本の戦争の時代に彫刻と絵画の双方が、戦時体制に巻き込まれながらどのように展開してきたかを抉り出してこられました。また、音楽史家の戸ノ下達也さんは、『音楽を動員せよ──統制と娯楽の十五年戦争』(青弓社)などの著書が示すように、戦時下に音楽界が批評家をも巻き込みつつどのように組織化されていったか、それをつうじて音楽がどのように運動として展開したかを掘り起こす研究を繰り広げてこられました。お二人のご発表からは、1930年代からの総力戦体制の形成と浸透に、美術と音楽がどのように関わったか、そしてそこにどのような思考が作用していたのかを掘り下げる視点が示されることでしょう。

最近『亡命者たちの上海楽壇──租界の音楽とバレエ』(音楽之友社)を出された井口淳子さんは、長年民族音楽を含めた近代アジアの音楽を研究されていますが、この著書が示すように、最近は20世紀前半の上海やハルビンにおける音楽文化を発掘する研究に力を入れておられます。井口さんの発表からは、これら「外地」で、戦時下に亡命者らとの交流のなかから展開した芸術が、日本の戦後における芸術の展開にどのように結びついたかを見通す視点が提示されることでしょう。その視点と、「内地」における芸術の戦争との関わりをめぐる戦後も清算されていない問題を摘出する視点とを照らし合わせることによって初めて、「総力戦体制下の芸術」の姿を重層的に、かつ両義性を孕んだものとして捉えることができるはずです。

このように今回1930年代から40年代にかけての「総力戦体制下の芸術」を問うのは、とりもなおさず、新たな総力戦体制が作られつつあるとも見える現在を、歴史的な現在として可能なかぎり鮮明に照らし出すためです。今どこに生きているのか、その地点はどのような歴史の延長線上にあるのか、そこで何が身に起きようとしているのか、そしてその際に芸術ないし美的なものは、どのような役割を果たすのか、といった問いに向き合う契機を、登壇者を含めた参加者それぞれが、議論のなかから取り出すことができるならば、シンポジウムは有意義であったことになるでしょう。入場は無料で、どなたでもご参加いただけるとのことです。テーマにご関心のある方は、ぜひ奮ってご参加ください。心よりお待ち申し上げております。

公開シンポジウム「戦争/暴力」と人間 ──美術と音楽が伝えるもの
第2回「総力戦体制下の芸術」(日本音楽学会西日本支部特別例会)
日時:2019年4月14日(日)13:30~17:00
会場:本願寺聞法会館研修室1
(JR京都駅より徒歩18分、市バス9、28、75番で西本願寺前下車)
パネリスト/発表テーマ:
1. 平瀬礼太(愛知県美術館)「戦時体制と絵画・彫刻 1930~40年代」
2. 戸ノ下達也(洋楽文化史研究会)「1930〜40年代・音楽文化の諸相」
3. 井口淳子(大阪音楽大学)「外地、ハルビン、上海から戦後日本の楽壇とバレエ界への連続性」
司会/コメンテーター:柿木伸之(広島市立大学)
コーディネーター:能登原由美(大阪音楽大学)
*入場無料、非会員歓迎
お問い合わせ:onpitsusya@yahoo.co.jp
シンポジウム・ウェブサイト:https://onpitsusya.jimdofree.com/

早春のヴィーンへの旅より

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プラーターの大観覧車

三月の末、およそ五年ぶりにヴィーンを訪れた。到着してしばらくは、小雨交じりの天気で肌寒かったが、やがて春の陽射しに木々の葉が映えるようになった。今回は家族での旅行だったため、プラーターのような独りでは絶対に訪れないであろう場所へも行ったが、その日はちょうど晴れていて、キャロル・リードの映画『第三の男』で知られるようになった観覧車のゴンドラの窓から、ヴィーンの街を望むことができた。やや寂れた雰囲気の遊園地で遊んでいたのは、ほとんどが外国人観光客とその子どもだった。

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ハイリゲンシュタットの小道

思うところがあってハイリゲンシュタットにあるベートーヴェンの博物館を訪れた日も、よく晴れていた。リングの東側を通る路面電車のD線を、ベルヴェデーレのあるレンヴェーク方面とは反対方向の終点ヌスドルフまで乗って、ベートーヴェンの散歩道として知られる小道を歩くと、作曲家としてもピアニストとしても忙しくなって、健康を壊すことが多くなり、かつ難聴も進み始めた作曲家が、医師に勧められてしばしば訪れるようになったハイリゲンシュタットの自然を愛した気持ちが、今は少し分かる気がする。

交響曲第2番などの作品と「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた家を改装して最近造られた博物館の展示は、若いベートーヴェンがボンからヴィーンへやって来た頃からの生涯を、六つの章に分けて描く構成になっていた。どのような環境と人間関係のなかで作曲が行なわれていたかを、同時代のドキュメントを含む豊富な資料によって描き出す展示と言えよう。帰りがけに、自筆稿のファクシミリと日本語訳の付いた「遺書」を買い求めた。これから折々に他の文献とともに参照することになるだろう。

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ベートーヴェン博物館の外観

ともあれ、ヴィーンを訪れたのは、家族で演奏会やオペラの上演などに通うためだが、3月29日にヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴くことができたのは幸運だった。楽友協会のホールでの定期演奏会のソワレを指揮したのは、アンドリス・ネルソンス。ベートーヴェンの交響曲第4番変ロ長調と第5番ハ短調というプログラムだった。彼が指揮するもう少し先の演奏会も、交響曲を中心とするベートーヴェンの作品のプログラムと予告されていたので、もしかすると交響曲のツィクルスが計画されているのかもしれない。

ネルソンスのアプローチは、モダン楽器のオーケストラの機能を最大限に生かすなかに、楽譜に書かれた音楽のダイナミズムを響かせようとするものと言えよう。なかでも彼が引き出した響きの強度には圧倒される思いだった。とくに、12人の第一ヴァイオリン奏者をはじめとする全オーケストラが、第4交響曲の最初の楽章の序奏から主部への移行の際に、エネルギーに充ち満ちたフォルティッシモを響かせたのには、瞠目させられた。もちろんその強さは、そこに至る序奏のピアノを基調とした凝縮度の高い歩みがあってこそ生きている。

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ベートーヴェン博物館の内部

それにしても、ネルソンスが第4交響曲の両端楽章でヴィーン・フィルハーモニーから引き出したリズムの躍動は特筆に値しよう。彼はこれらの楽章で、例えばかつてカルロス・クライバーが採っていたような、相当に速いテンポを採用していたが、そのなかでこの曲を特徴づける細かい動機が、時に対話を繰り広げながら生き生きと脈動していた。しかし、そこに独特の劇性が加わるのが、ネルソンスの解釈の特徴かもしれない。第1楽章で二分音符の動機が積み重なるように高まった後、堰を切ったように音楽が溢れ出すところにある喜びは、まさにこの曲でベートーヴェンが伝えようとした喜びではないだろうか。

第4楽章でも、無窮動的な主題が何かを語りかけるように生きていた。その活気が音楽を前に運ぶのみならず、その奥底にある意志の叫びが、流れに抗うように響いたのも、音楽に劇的な減り張りをもたらしていた。ネルソンスは他方で、とくに緩徐楽章では、豊潤な歌を響かせていたが、そこにはヴィーン・フィルハーモニーの魅力がいかんなく発揮されていた。奥深い響きのなかに艶やかな歌が浮かび上がるのは、このオーケストラならではのことだろう。そして、息の長いメロディと、弾むような付点のリズムの相即と相剋は、第2楽章でも一つのドラマを形づくっていた。

このように、音楽そのもののダイナミズムから、ベートーヴェンの音楽に相応しいドラマを説得的に引き出し、力強く響かせた第4交響曲の解釈の大きさに圧倒されたために、後半に演奏された第5交響曲の印象がやや薄くなってしまったが、こちらの解釈も、推進力に充ち満ちた流れを基調にしながら、作品の壮大さを伝える魅力的なものだった。ここでも、「運命の動機」として知られる動機をめぐるドラマが、曲全体にわたって繰り広げられていた。とくに第1楽章におけるそれは、畳みかけるような迫力に満ちていた。

ただし、演奏会の初日だったこともあって、第1楽章ではオーケストラがタイミングを探っているようにも見受けられた。翌日以降は、さらに緊密な動機の受け渡しが聴かれただろう。フィナーレでは、「運命の動機」が生への意志を伝えるものとして要所で力強く響き、音楽の求心力を高めていた。第2楽章では、輝かしい響きが幾度もホールを満たしたが、それがプレスティッシモの全曲のコーダの頂点で、聴き手の心を拉し去るエネルギーとなって回帰したのは忘れがたい。このように、第5交響曲の解釈も説得力に満ちていたが、ネルソンスのアプローチとベートーヴェンの音楽の照応は、やはり第4交響曲で一つの化学反応に結びついていたと思われる。

ヴィーンで聴いたオーケストラの演奏会でもう一つ印象的だったのは、3月27日に同じく楽友協会で聴いた、アラン・アルティノグリュが指揮したフランス国立管弦楽団の演奏会。パスカル・デュサパンのオーケストラのための「ソロ」第7番《アンカット》、ブルッフの二台のピアノのための協奏曲、ビゼーの《アルルの女》第2組曲、そしてルーセルのバレエ音楽《バッカスとアリアーヌ》第2組曲という多彩なプログラムで、ブルッフの協奏曲には、ラベック姉妹が登場した。ヴィーンで学んだアルティノグリュは、当地では人気があるようだ。

デュサパンの《アンカット》は、金管から弦楽器へと受け渡される凝縮度の高い響きの連鎖が印象的な作品。オーケストラをよく鳴らしながら、途切れることのない流れを構成していることが、共感に満ちた演奏から伝わってくる。ブルッフの協奏曲に接するのは初めてだったが、対位法的な序奏を両端楽章に置きながら、対照的な抒情性を示す旋律が熱を帯びて発展していく魅力的な作品と聴いた。ラベック姉妹が、こうした作品の特徴を生かしながら、息の合ったアンサンブルを繰り広げていた。

後半では、まずビゼーの演奏が素晴らしかった。「パストラール」でオーケストラが一つの息遣いで歌うのも、また「ファランドール」が破綻しそうなところまで高揚するのも、このオーケストラならではのことだろう。とはいえ、今夜とくに魅力的だったのはルーセルの《バッカスとアリアーヌ》。この作品に来て、リズムの躍動感と音色の豊かさがぐっと増し、どの動機にも生命が脈打っている。その集合体が築くクライマックスには瞠目させられた。アンコールで、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《火の鳥》より「カスチェイ一党の凶暴な踊り」が演奏されたが、その冒頭で響きの色合いがさっと変わったのにも驚かされた。

3月28日にコンツェルトハウスで行なわれたヴィーン交響楽団の演奏会で、アレクサンドル・ガヴリリュクの独奏で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第1番嬰ヘ短調を聴けたのも嬉しかった。ガヴリリュクは、若い作曲家がこの作品に詰め込み過ぎるまでに込めたものを、余すところなく音楽的に響かせてくれた。このほか、プロコフィエフの《三つのオレンジへの恋》組曲も演奏されたが、これを含め、指揮のユライ・ヴァルチュハは、躍動感に満ちた音楽を作り上げていた。プロコフィエフでは、各楽器の独奏も魅力的だった。

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„Im Klang“の「客席」の様子

今回のヴィーン交響楽団の演奏会は、„Im Klang“(響きのなかで)と題されていて、普段は客席の平土間にオーケストラを置いて、奏者の間近でも聴けるという趣向だった。とくに若い人に音響を体感してもらう試みと言えるだろう。そのために、特殊なボール紙の箱の椅子も用意されていたし、チケットも安価に抑えられていた。新たな聴衆層の開拓が、ここヴィーンでも喫緊の課題になっていることを暗示する試みと言えるかもしれない。

3月30日には、ヴィーン国立歌劇場でリヒャルト・シュトラウスの《薔薇の騎士》の公演を観た。多くの人々の《薔薇の騎士》像を規定しているオットー・シェンクの演出による舞台。シェンクの手によるこのオペラの上演は、たしかちょうど二十年前に一度ミュンヒェンで観ているはずだ。人がこのオペラに求めるものを具現させる演出よりも、フェリシティ・ロットが元帥夫人の役を歌ったことのほうが印象に残っている。今回ヴィーンで観た公演では、何よりもアダム・フィッシャーの指揮が素晴らしかった。

フィッシャーは、余裕のあるテンポのなか、個々の動機とその関連を意味深く聴かせながら、オーケストラから繊細で流麗な響きを引き出していた。それによって、とくに歌の美しさが際立った。今にも崩れ落ちかねない繊細なバランスのピアニッシモの響きから、旋律が柔らかに、しかし説得力をもって聞こえてくる。例えばオックス男爵のワルツを彩るポルタメントも、儚く過ぎ去りゆくものとして意義深く響いた。そのようななか、一つひとつの言葉がしっかりと聞こえたのが、上演を感銘深いものにしていたのではないだろうか。

今回の上演で最も印象に残ったのは、アドリアンヌ・ピエチョンカが歌った元帥夫人の第一幕のモノローグだった。この独白で語られるのは、自分が巻き込まれざるをえない、そして老いとして体験される時の移ろいだが、それに耳を傾けながら、時間を生きる者が避けることのできない変化と美の儚さが、結婚によって社会的な身分の変更を含めた変化を経験せざるをえない女性の視点から語られていることを思った。今回の旅で、消え去りゆくものへの哀惜と今を生きようとする情熱の緊張関係が音楽の推移を規定する《薔薇の騎士》の、音楽性豊かな上演に触れることができたのは嬉しかった。

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ノイバウガッセで見つけた躓きの石

ところで、今回のヴィーンへの旅のあいだ興味深く読んでいたのは、ヨーゼフ・ロートの長編小説『ラデツキー行進曲』だった。そこに描かれるのは、シュトラウスのオペラからも感じられる、一つの帝国の文化的な秩序の崩壊と、帝国そのものの滅亡であるが、これをロートは、主人公たちの死に凝縮させている。そして、最も若い主人公は、滅びの過程を自身の経験にできないまま、第一次世界大戦の戦場での無惨な戦死へ追い込まれていく。羽田空港に降り立つなり見せつけられた「改元」をめぐる狂躁を前に、その姿にどこか身につまされるものを感じないわけにはいかなかった。

「くちづけ──現代音楽と能」を聴いて

53570254_2329870843731941_7859440378133348352_n去る3月9日に東京文化会館の小ホールで、日本とハンガリーが外交関係を結んで150年になるのを記念して開催された演奏会「現代音楽と能──くちづけ」を聴くことができました。何よりも、細川俊夫さんの《線VI》を挟んで、エトヴェシュ・ペーテルの《HARAKIRI》と《くちづけ》の実演に接することができたのが嬉しかったです。45年の時を隔てて書かれたこれらの作品の対照的な性格を、とくに興味深く聴かせていただきました。これらの演奏に先立ち、中堀海都とバログ・マーテーという、日本とハンガリーの若い作曲家の作品の世界初演がありました。

三島由紀夫の割腹自殺の報に触発されて書かれたバーリント・イシュトヴァーンの寓意的な詩を用いた《HARAKIRI》は、一見「腹切り」とは無関係に見える営みが語られるなかに、自死への歩みとは何かが、声と器楽が呼応するなかにひたひたと迫ってくる作品と言えるでしょう。青木涼子さんの謡は、とくに「七枚の布団」を親しい人に分けようと思うなかで、死へ向かう者の狂気が徐々に高まっていく過程を、胸に迫るかたちで伝えていました。

声の変化もさることながら、さりげない前後の動きも、情景が禍々しさを増していくのを説得的に伝えていたと思います。青木さんの顔を面を被っているかのように浮かび上がらせる照明も効果的でした。謡を支えるバス・クラリネットの二重奏が、たゆたうような後奏に至るまで一つの流れを形づくるなか、木を叩く音が死への時を刻んでいくのも印象深かったです。これらの響きに耳を傾けながら、ある軍人の夫妻の自殺の過程を描いた三島の小説を思い出していました。

1973年に書かれた《HARAKIRI》という作品からは、バルトークの《中国の不思議な役人》のような作品とも通底するような象徴性が感じられますが、アレッサンドロ・バリッコの小説『絹』に想を得て2018年に書かれた《くちづけ》は、声と器楽を巧みに生かして、絹を求めてフランスから日本に来た商人の心に深く刻み込まれることになる情景を明瞭に描き出しながら、そのなかに「くちづけ」をめぐる心の動きを細やかに響かせる作品と思われます。

ここでも青木さんの声が、茶器を介した「くちづけ」の場面に繰り広げられるドラマを伝える決定的な役割を果たしていました。とりわけ、語りから謡への移行の瞬間が非常に魅力的で、唇の付けられた茶碗へと手を伸ばすところにある胸の高まりに聴き手を引き込んでいました。商人と一度限りの「くちづけ」を交わす少女のどこか神秘的な魅力と、まっさらな絹を一つながらに象徴するかのような衣裳も、今回の舞台に相応しく思われました。

器楽がこのモノ・ドラマを形づくるうえで重要な役割を果たしていることも、表現力豊かな演奏から伝わってきました。なかでも、斎藤和志さんのフルートの音色と、神田佳子さんのパーカッションのパフォーマンス(バス・ドラムにテープを貼って剝がすことも含めて)は、持続のなかの変化を魅力的に伝えていたと思います。神田さんは、細川さんの打楽器独奏のための《線VI》で、空間に線が描き出されていく動きを、文字通り全身で表現していました。

演奏会の前半に初演された二人の作曲家の作品も、それぞれに魅力的でした。マーテーさんの作品におけるクロマティック・タムタムと器楽の対話の求心性と、中堀さんの作品における、霧のような響きのなかから風景が展開していく音楽の豊かな広がりは、一見対照的ですが、いずれも一つの世界に沈潜していく冥想的な性格を示している点、興味深かったです。このことが独特の美しい響きに結実していることは、二人の作曲家がすでに洗練された語法を確立しつつあることを感じさせます。他方で、今見つめている世界を突き抜けるような何かを、時間的にも凝縮された作品に結びつけられるなら、二人は新たな時代を切り開く音楽を届けられるのでは、とも感じました。

今回の「現代音楽と能〜くちづけ」のプログラムに、「閾(しきい)を開く声──青木涼子の謡の展開によせて」と題する小文を寄稿させていただきました。この演奏会が示したように、現代音楽と協働しながら、彼岸と此岸の閾を開き、うたう可能性を開拓し続けている彼女の活動を、パリでの細川さんの《二人静》の初演のことを含めてお伝えする内容のものです。これを振り返る機会をくださった関係者のみなさまに心から感謝しております。

如月の仕事など

写真展「30年後に見えなくなるもの」表二月は仕事に追われるなか、慌ただしく過ぎていきましたが、2月23日、神戸での研究会からの帰りに、大阪市福島区のフォトギャラリー・サイで開催されている小原一真写真展「Exposure / Everlasting──30年後に見えなくなるもの」を見ることができたのは幸いでした。1986年4月26日に起きたチェルノブイリの原子力発電所の事故を、その前史──それは言うまでもなく、戦後の日本も積極的に関与した核開発の歴史です──から捉え返したうえで、この取り返しのつかない出来事の後に生きるとはどういうことかを、ウクライナに生きる三人の暮らしを追った写真と、それについてのテクストによって問いかける展示でした。

なかでも事故で被曝したフィルムを用いて、母親の胎内で被曝し、甲状腺の障害に苦しむことになったマリアという女性と、その朽ちていく生活風景を撮影した写真は印象的でした。技術的なことは分かりませんが、どうしても余白が多くなってしまう媒体を駆使して、放射能の不可視性と、その見えない力に曝されて生き続けること、さらにはその孤独や虚しさにも迫っているように見えます。壊れた室内などの写真からは、チェルノブイリ周辺の人々が忘却に曝されていることも感じます。

放射能の見えない力に曝されて生き続けることが、忘却に曝されているということは、当然ながら福島の原発事故に巻き込まれた地域の人々の問題でもあります。町家の暗い空間でライトボックスを使った展示は、それを静かに問いかけているように見えます。今もチェルノブイリの原発で働く人々の日常を、その風景とともに映した写真は、生活の構成要素の貴重さを伝えるとともに、それを次の世代のために受け継ぎ、世界を廃墟から造り直していく責任を、見る者に問いかけています。

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広島の公園に咲いていた梅

さて、ここ最近公になった、あるいは近々公になる仕事をご紹介しておきたいと思います。まず、昨秋神戸・ユダヤ文化研究会の文化講座で講演した内容を基にした拙論「天使の変貌──ベンヤミンにおける言語と歴史をめぐる思考の像」を、同研究会の雑誌『ナマール』第23号に掲載していただきました。黒田晴之さんはじめ講演に招いてくださった、また編集にご尽力くださった研究会のみなさまに心より感謝申し上げます。

拙論は、1921年にパウル・クレーの《新しい天使》を手に入れて以来、ベンヤミンが生涯の節目ごとに著作に描き出した天使の像を、言語と歴史を徹底的に問う彼の思考を読み解く鍵として検討する内容のものです。第23号にはこのほか、ベンヤミンとショーレムの関係を掘り下げた小林哲也さんの論考なども掲載されています。

それから、ユーロスペースでの上映が始まる佐藤零郎監督の映画『月夜釜合戦』の制作チームが発行している批評新聞『CALDRONS』の第2号に「手つきと身ぶり──広島で『月夜釜合戦』を『山谷(やま)やられたらやりかえせ』とともに観て」と題する小文を寄稿させていただきました。インタヴューや座談を含めて非常に充実した内容の紙面に加えていただき、とても光栄に思っています。

拙稿は、2018年1月13日に『山谷』の監督の一人山岡強一の命日にこの映画と『月夜釜合戦』を観たのを踏まえて、この映画の『山谷』への応答を見るとともに、両者の対照に触れることで『月夜釜合戦』の特徴に迫ろうとするものです。とくにこの劇映画の時折中断する時間と、そこに浮かび上がる権力の視線から逃れていく身ぶりに注目しました。

もしこの批評新聞が劇場でお目に留まったら、ご笑覧いただけると嬉しいです。 何よりも、釜ヶ崎を舞台に、根深い問題を抉り出すとともに、ユートピア的とも言える連帯を浮かび上がらせる映画は、16ミリフィルムで撮影された映像とともに非常に魅力的ですので、まだご覧でない方は、ぜひ劇場へお運びいただければと思います。東京での上映が盛況であることを願っています。