東京交響楽団第652回定期演奏会を聴いて

[2017年7月15日/ミューザ川崎シンフォニーホール]
650_652作曲家細川俊夫がみずからの創作活動の軌跡を、その音楽思想とともに語った対談書『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(柿木伸之訳、アルテスパブリッシング、2016年)には、2011年3月11日の東日本大震災によって甚大な被害を受け、痛ましい姿を晒すミューザ川崎シンフォニーホールの写真が収められている。その後復旧を遂げたこのホールで、細川が震災の犠牲者、とりわけ地震と津波によって子を失った母親たちに捧げた《嘆き》(2013年)とグスタフ・マーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」(1894年)を、東京交響楽団の定期演奏会で聴くことができた。地震によって傷ついたその空間を、死者に思いを馳せ、その魂が地の底から、あるいは水底から甦る場を開く響きがを満たしたことには、特別な感慨を覚える。なお、細川の《嘆き》は、元はソプラノとオーケストラのために書かれているが、今回は独唱を務めたメゾ・ソプラノの藤村実穂子のために改稿された版で演奏された。

オーストリアの詩人ゲオルク・トラークルが死の直前に友人に宛てて書いた手紙の一節と、「嘆き」と題された一篇の詩をテクストに書かれた《嘆き》は、深沈とした打ち込みから始まる。それは細川の言う「書」としての音楽の起筆の打ち込みであるが、同時に海鳴りを思わせながら、出来事の余震を伝えているようにも聴こえる。深淵を開くかのようなその響きは、もしかすると、災厄の死者の沈黙を突きつけているのかもしれない。それに慄くかのように音楽が動き始めると、やがてメゾ・ソプラノが不穏な気配を感じさせる響きに乗ってトラークルの手紙を読み始める。その語りは、友人への語りかけと言うよりも、巨大な破局によって心が引き裂かれてもなお生きることを願う祈りなのかもしれない。オーケストラの激しい総奏が突きつける世界の崩壊を目の当たりにしながら、「狂気に陥るなと言ってくれ」と語りかける言葉には、破局を潜り抜けて未来へ向かうことへの切なる願いが込められていよう。

しかし、その願いとは裏腹に、破局はけっして過ぎ去らない。それを体験した後に生きる者は、その記憶から逃れられないのだ。破局の記憶の回帰の予感を奏でる打楽器のリズムは、途方もない出来事が再びひたひたと迫ってくることを、風景のざわめきとともに伝えるものと言えようが、その響きは一方では、《嘆き》に先立って書かれた《星のない夜》(2010年)やオペラ《海、静かな海》の打楽器による間奏が破局の予兆を告げるのと重なる。しかし、《嘆き》における打楽器の音は他方で、破局に遭った人々の内側に、その衝撃の余波が迫ってくることを伝えているようにも思われる。風の音を含んだその高まりが、《星のない夜》の「天使の歌」──そこに聴かれるのは、繰り返される人間の過ちに怒る天使の歌である──の楽章を思わせる猛々しい響きを導くと、トラークルが書いた「嘆き」の詩が歌われ始める。

そのような一節の激しい響きは、時間の水平的な流れに逆らう強さを示すと同時に、出来事の衝撃が寄せては還す、巨大なうねりのような動きも感じさせる。その動きはさらに、無数の渦によって形づくられているようでもある。こうした、破局の生き残りのうちにその記憶が否応なく湧き上がってくるのを暗示する激烈な音響が一瞬断ち切られると、「嘆き」が空間を切り裂くように歌い出される。藤村美穂子の声は、まさに時間を静止させる強度をもってまさに屹立していた。彼女の声の澄んだ強さは、一つひとつの語を際立たせながら、破局の回帰によって引き裂かれる魂の訴えを、オーケストラの響きを突き抜けるかたちで聞き手に届けるものと言えよう。冒頭の語りの部分を含めて貫かれた細やかな表現は、作品への温かい共感を示すものでもあった。「深紅の肉体は砕け散り」という詩句が、凄まじい強さを孕んだ響きで歌い切られるとともに開かれた深い沈黙は忘れがたい。

この沈黙のなかから弦楽器による柔らかな哀悼の歌が響き始めると、音楽も全体として静寂へ回帰していく。《嘆き》という作品において特徴的なのは、それとともに歌が再び語りの様相を帯びることである。《嘆き》の歌唱のパートの結構は、一見するとレチタティーヴォとアリアの組み合わせを思わせるが、それは例えば旧来のコンサート・アリアのように、語りを歌に昇華させるものではない。むしろ歌は訥々とした語りになって、静かな響きのなかへ消え入っていく。破局の衝撃と喪失の悲しみのただなかに再び身を置き、その記憶と一つになることによって心身が砕け散った後に初めて、救済がありうることを暗示するかのように。このような《嘆き》における歌の姿は、途方もない破局を人間が歴史的に経験した後に、歌うことがどのように可能かを問うものかもしれない。

このように、傷ついた魂にみずからを捧げるかたちで、巨大な震災を経た後の歌と詩(うた)双方の可能性を、それらの強度を追求するかたちで問う細川の《嘆き》を、藤村美穂子の独唱で聴けたのは幸運だった。ジョナサン・ノットの指揮も、作品の構成を完全に手中に収めていた。もっと密やかなピアニッシモの響きを求めたい箇所があったものの、東京交響楽団は、全力でノットの指揮に応えて見事な演奏を聴かせていた。このような共感に満ちた《嘆き》の演奏によって、後半に取り上げられたマーラーの「復活」交響曲における死者の魂の救済への祈りが深まったにちがいない。この壮大な交響曲の演奏も総体として、作品の全貌を明確に浮き彫りにする素晴らしいものだった。とりわけ解釈の点で、細部の彫琢と全体の構成を音楽的に結びつけた演奏は、実演では聴いたことがない。

ノットはこの交響曲を暗譜で指揮していたが、そのことは、彼が楽譜──今回は新全集版が用いられた──のみならず、それに込められた音楽そのものダイナミズムをもわがものにしていることを示していることが、演奏から伝わってきた。ノットの解釈は、全体に速めのテンポを基調としながら、きびきびと音楽を運ぶ箇所と、思いを込めて歌う箇所の対照を明確にし、さらに透明度の高い響きで作品の構成を浮かび上がらせるものだった。そのために例えば、細かい音の処理が工夫されていたのは特筆されるべきだろう。三連符や付点音符のリズムにおいて、後の音を軽くすることを徹底させることで、音響の透明性と音楽の運動性の双方を高めていたのは、実に印象的だった。第一楽章の第二主題の柔らかな歌が、たゆたうような響きのなかから聞こえてきた瞬間の美しさも忘れがたい。その主題が再現されたときのヴァイオリンのポルタメントも自然で、歌の美しさを引き立たせていた。木管楽器の一部に、もう少し闊達なフレージングを求めたい箇所もあったが、第二、第三楽章の歌謡的な部分も実に魅力的だった。

ノットの解釈でもう一つ印象に残ったのは、音楽の停滞することのない運びを重視する一方で、一瞬差し挟まれるパウゼを、音のエネルギーを瞬間的に溜めて、その強度を開放するのに見事に生かしていたことである。激烈な音響の奔流が一瞬塞き止められる第一楽章の展開部は、それを示す一例と言えよう。とくに弦楽器の総奏において、音響の塊としての強さがもう少しあれば、と思う箇所もあったが、東京交響楽団の演奏は、ノットの首尾一貫した解釈に見事に応えて、マーラーが壮大な音響の強度を、バランスのよい響きと自然な音楽の運びのなかで伝えていた。それによってフォルテないしフォルティッシモの続く箇所も、くどく聴こえなかった点は、とくに好ましく思われた。今回の「復活」交響曲の演奏は、ノットが音楽監督を務めるなかで、オーケストラがアンサンブルを高めてきた成果を示すものでもあったと言えよう。

最終楽章で、ミューザ川崎のホールの構造を生かすかたちで、バンダの音がさまざな場所から聴こえてきたのも、「少年の不思議な角笛」の詩を第四楽章「おおもとの光」──この楽章での藤村美穂子の歌唱も、一語一語のニュアンスを生かした見事なものだった──の歌詞に用い、自然と人間の照応をも意識する「復活」交響曲に相応しいと思われた。そして、暗譜で演奏に臨んだ東響コーラスの入魂の合唱は、死者の魂の再生への願いを力強く歌い上げるものだった。その歌は、六年前の大震災の後も打ち続く災厄の犠牲となった死者たちに思いを馳せながら、細川の作品に聴かれた「嘆き」を強い祈りの歌のうちに掬い取っていたのかもしれない。死者の魂の再生と、その先にある魂そのものの救済への切なる祈りが、音楽の強度のうちに込められた細川の《嘆き》とマーラーの「復活」交響曲を、一度は震災のために傷ついたミューザ川崎の空間に見事に響かせた今回の東京交響楽団の定期演奏会は、忘却の進行する現在に抗いながら、今ここに生きる者が立ち返るべき想起の場を指し示すものだったと思われる。

新緑の季節の仕事

[2017年4/5月]

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三滝の公園の新緑

木々の緑に映える陽射しが初夏の眩しさを感じさせるようになりました。よく晴れた日はまだ空気が乾いているので、体感のうえでは気持ちよく過ごすことができます。そうした日は、三滝橋を渡って、大田川放水路の堤の上を、山々の緑と足下の草花を眺めながら歩くようにしています。橋の上からは、海から上ってきた大きな魚が悠々と泳ぐのが見られることもあります。四月からの日々も非常に慌ただしく、かつ暗澹とせざるをえないことばかりが続くので、こうしてようやく勤め先に通えるだけの心身の平衡を保っているところです。とはいえ、折々に講演や寄稿などの機会をいただいて、そのたびに刺激を得ていることには救われています。そのような場をご用意くださった方々に、心から感謝しています。そこで、四月以降の活動を、この間に接した演奏会や映画などの印象を含めてご報告しておきたいと思います。

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晴れた日の大田川放水路

まず4月29日には、広島市現代美術館で特別展「殿敷侃──逆流の生まれるところ」に関連して、「逆流の芸術──ヒロシマ以後のアートとしての殿敷侃の芸術」と題する講演を行ないました。殿敷が晩年に自作について語った「逆流」という語の含意を、彼の制作を貫くモティーフを指し示すものとして掘り下げながら、彼の芸術をヒロシマ以後のアートとして、狭義の美術を越えた広い文脈のなかで捉え直す可能性を探るお話をさせていただきました。幸いにして会場が一杯になるほどの方々にお集まりいただきました。講演会の場をご準備くださった広島市現代美術館の関係者のみなさまとご来聴くださったみなさまに、あらためて感謝申し上げます。

b5884546-s5月21日まで開催されていた「殿敷侃──逆流の生まれるところ」は、原爆によって両親を失い、自身も被爆したことに向き合い続けながら、実にさまざまな作風を試み、平面も、さらにはアトリエをも飛び出していった殿敷侃の活動の全容を、各地から集められた膨大な作品と、それにまつわる貴重なドキュメントによって浮き彫りにしようとする意欲的な回顧展でした。それをつうじて、作品の形態を変えながらも、このちょうど四半世紀前に亡くなったアーティストが、絶えず打ち捨てられ、忘れられたものを拾い上げ、今に甦らせようとしていること、それによって彼の芸術が、現在に介入する一つの行為に結びついていることも、美術館の空間とのせめぎ合いから伝わってきます。この殿敷侃展が、彼の芸術の踏み込んだ研究と、彼の作品の美術館への収蔵の契機になることを願っています。

top_image5月4日には、横川シネマでおよそ一年ぶりに映画を見ました。見たのは空族の新作『バンコクナイツ』。前作の『サウダーヂ』同様、三時間という長さを感じさせないテンポのなかに、今作ではタイの東北部イサーン地方の歌が効果的に差し挟まれて、映画に奥行きを添えていました。タイとラオスでのロケによるスケールの大きなロードムーヴィーであるのも、『バンコクナイツ』の特色でしょう。同時に、植民地主義が形を変えながら人々の内面にまで浸透する現在に対峙するかたちで、イサーン地方の抵抗としての生活の伝統を、さらにはその森林に逃れた抵抗者たちの足跡を掘り下げることによって、時間的にも空間的にも深みのある作品に仕上がっていると感じました。金に目がくらんだ植民者の欲望がいくつもの角度からこれでもかと抉られるのは『サウダーヂ』にも通じますが、『バンコクナイツ』では、それと同時に歴史に翻弄された人々の悲しみが、映像によって深く掘り下げられているのが特徴的でしょう。映画で流れるイサーン地方の歌には、震災と原発事故に遭った東北地方の人々や、米軍基地によって生活が侵食され続けている沖縄の人々の悲しみも反響しているように感じました。

5月5日には、広島市と大邱広域市の姉妹都市提携20周年を記念してのオペラの共同制作公演をアステールプラザへ観に行きました。演目はプッチーニの《ラ・ボエーム》。合唱を含む歌手が大邱オペラハウスから来演し、広島交響楽団や広島ジュニアコーラスなどが広島側から演奏に加わるかたちで公演が開催されました。何よりも大邱を拠点に活躍する歌手たちの声の強さに驚かされました。なかでもイ・ユンギョンという歌手は、ミミの苦悩を振幅の大きな、かつ彫りの深い表現で歌い上げていました。声の美しさも特筆されます。第三幕以降の切々とした歌唱は、とくに印象的でした。また、マルチェッロ役を歌ったキム・スンチョルという歌手の自然な発声と懐の深い歌は、この歌手の並々ならぬ実力を示すものと思われました。プログラムに記されていたプロフィールを見ると、韓国の歌手たちが実に貪欲に、韓国の外に活躍の場を求めていることがうかがえます。演出にはいくつか注文を付けたいところがありましたが、今回の《ラ・ボエーム》の共同制作公演が、大邱のオペラが高水準で活況を呈していることを、素晴らしい歌とともに伝えるものだったのは確かでしょう。

18401940_1500969589955408_2240876196494931709_o5月15日には勤め先の広島市立大学で、クレズマーの1980年代後半におけるアメリカでのリヴァイヴァルと、その後のグローバルな展開を象徴するミュージシャンで、グラミー賞を受賞したバンドKlezmaticsの創立メンバーでもあるフランク・ロンドンさんを迎えての特別講義とささやかなライヴを開催しました。ロンドンさんは、クレズマーをはじめ移民音楽の研究に取り組んでおられる松山大学経済学部の黒田晴之さんのご尽力によりお招きすることができました。午後の特別講義にも、夕方のミニ・ライヴにも、学外から多くのお客さまにお越しいただきました。ご来聴に心から感謝申し上げます。

特別講義は、ワールド・ミュージックのブームに乗ったクレズマーのリヴァイヴァルを見つめてきた音楽批評家東琢磨さんが、ロンドンさんにインタヴューするかたちで行なわれました。東欧ユダヤ人の言語であるイディッシュとクレズマーの結びつきや、アメリカでの他の音楽との混淆による音楽の変化などが、ディアスポラ(世界各地への離散)を生きるユダヤ人の二重の生活とともに語られました。お話のなかでは、世界中のさまざまな音楽と接触しながらグローバルに生成するなかで、東欧ユダヤ人の文化に由来する特殊なものの普遍性を体現していく、ロンドンさんのクレズマーの特徴も示されました。ショアー(ホロコースト)の記憶に向き合い、この言い表わしがたいものを歌う可能性を追求する、みずからの音楽の使命にも触れておられました。

夕方のライヴは、日本でいち早くクレズマーの魅力を発見し、それとストリート・ミュージックとの融合を図ってきたバンド、ジンタらムータとの共演により行なわれました。結婚式の踊りに使われた音楽をはじめ伝統的なクレズマーのほか、実に多彩な曲が披露されましたが、なかでもかつて美空ひばりが唄った《お祭りマンボ》の演奏は、ロンドンさんとジンタらムータの出会いを象徴するものだったと言えるでしょう。心の奥底からの祈りを、驚くほどの振幅で聴かせる曲もあれば、会場を祝祭的な興奮の渦に巻き込む激しいリズムの音楽もありましたが、どの曲からも聴く者の魂を揺さぶる力が感じられました。原曲がイディッシュの平和を祈る歌“Sholem-lid”が日本語の訳詞でプログラムの最後に歌われたことは、非常に意味深いことだったと思われます。

banar_motohashi5月20日には、原爆の図丸木美術館で開催されている本橋成一写真展「ふたりの画家──丸木位里・丸木俊の世界」と関連して原爆文学研究会との共催で開催された、本橋さんの監督による映画『ナージャの村』(1997年)と、この作品の公開から20年後の再訪ドキュメントの上映後のトークの聞き手役を務めました。当時8歳だったナージャを、地に根を張った村人たちの生きざまのなかに浮かび上がらせた映画を、大人になって町で働くナージャが登場する報告映像と併せて見るなかで、チェルノブイリの原発事故によってばらまかれた放射能によって、彼女が帰るはずの場所が失われ、生き物との関わりを含めた風景のなかの生が根こそぎにされつつあることを、原発事故の福島で起きていることと結びつけながら思わざるをえませんでした。それに対する哀しみによって貫かれていることが、『ナージャの村』の映像を今に生かしている気がしてなりません。そして、再訪ドキュメントを見ると、『アレクセイと泉』(2002年)を含めた、チェルノブイリ原発事故後のベラルーシを撮った作品が、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)とも通底するかたちで、人と人の密な関係のなかに一つの出来事を浮き彫りにするものであることも伝わってきます。この人間関係の始まりを含めて興味深いお話を、本橋さんからうかがうことができました。丸木夫妻の写真も含め、本橋さんの映像は、立ち振る舞いや仕草の細部から、既成の人物像をはみ出す人物を浮かび上がらせています。写真展を含め、とても見応えがありました。

18671216_1516927588359608_6340337683729439282_n5月25日には東京オペラシティのコンサートホールで、コンポージアム2017「ハインツ・ホリガーを迎えて」の一環として《スカルダネッリ・ツィクルス》の日本初演が行なわれましたが、そのプログラムに「ヘルダーリンの詩と音楽」と題する小文を寄稿させていただきました。作品解説を補完するかたちでヘルダーリンの生涯と詩作を音楽との関わりにおいて紹介する内容のもので、アドルノのヘルダーリン論「パラタクシス」を参照して、とくに二十世紀以降の音楽とヘルダーリンの詩の親和性に着目しました。今回の記念碑的とも言うべき《スカルダネッリ・ツィクルス》の日本初演の印象は、すでに別稿に記したとおりですが、これに立ち会えたことをとても嬉しく思っています。実演を聴いて、最晩年のヘルダーリンの詩にもとづく無伴奏合唱曲《四季》、小管弦楽のための《スカルダネッリのための練習曲》、フルート独奏のための《(t)air(e)》によってまとめられたこの《ツィクルス》が、「スカルダネッリ」の署名を持つヘルダーリンの詩が生まれる世界を、その崩壊も含めて厳密に構成/作曲したものであることがよく分かりました。ラトヴィア放送合唱団、フェリックス・レングリのフルート、そしてアンサンブル・ノマドの演奏も素晴らしかったです。

18679097_1385938901514262_1156041139_n5月28日には、アステールプラザのオーケストラ等練習場で開催された「安保惠麻 現代への眼差し──20世紀のヴィオラ作品を中心に」を聴きました。現在広島交響楽団と神奈川フィルハーモニー管弦楽団の首席ヴィオラ奏者を兼任されている安保さんの独奏を、初めて間近で聴いたことになります。ショスタコーヴィチの最後の作品であるヴィオラ・ソナタを中心とした演奏会でしたが、とくにその終楽章は素晴らしかったです。中間のカデンツァ風の一節から徐々に静まっていく展開の緊張感には息を呑みました。安保さんのヴィオラの音は豊かでありながら透明性も兼ね備えているので、このソナタの第一楽章の微かなピツィカートもよく響きます。そのことを生かした振幅の大きな表現が魅力的な演奏でした。その前に取り上げられた武満徹の《星が道に降りてきた》も美しかったです。ピアノの響きが道を作るなかに、ヴィオラの闊達な動きが豊かな歌とともに響いていたと思います。リゲティのソナタが聴けたのも収穫でした。どの楽章からもひと筋の線が感じられました。広島を拠点に活躍されている作曲家徳永崇さんの《舟歌If》の初演もありました。音戸の舟歌が変奏されるなかに風景を感じさせる曲、という印象を受けました。

このようにして新緑の時季は慌ただしく過ぎ、早くも六月に入りました。忙しさにかまけ、肝心の研究に関わる仕事を進められていないのには忸怩たる思いです。今月からは研究とその成果の執筆に力を傾注しなければなりません。その際、今ここで哲学することの意義があらためて問われることになるでしょう。このことを思うとき、5月20日に訪れた原爆の図丸木美術館に展示されていた丸木夫妻の共作《大逆事件》(1989年)が目に浮かびます。1910年に明治天皇の暗殺を共謀したとの理由で官憲に摘発された人々のうち、死刑となった12名の姿が絞首のためのロープとともに浮かび上がるその画面は、内心の自由を根底から脅かす「共謀罪」が制定されようとしている現在を、静かに問いただしています。異論を封じ、自発的隷従──これが「忖度」の意味するところでしょう──を強いる法律の制定を、許しがたい不正と暴力を重ねながら急ぐ政権の欺瞞は食い止めたいと思いますし、同時にそれによって圧殺されることのない精神の在り処を、思考によって他者たちのあいだに切り開きたいとも考えているところです。

ハインツ・ホリガーの《スカルダネッリ・ツィクルス》の日本初演に接して

コンポージアム2017フライヤー作曲家ハインツ・ホリガーの音楽の集大成の一つ《スカルダネッリ・ツィクルス Scardanelli-Zyklus》の日本初演が、東京オペラシティのコンポージアム2017「ハインツ・ホリガーを迎えて」の一環として行なわれた(2017年5月25日/東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル)のを聴くことができた。1975年から1991年かけて書き継いで成ったこの《ツィクルス》は、最晩年のヘルダーリンが架空の日付と「敬白、スカルダネッリ」という署名を付して四季に寄せた詩にもとづく無伴奏混声合唱のための《四季》、小管弦楽のための《スカルダネッリのための練習曲集》、そしてフルート独奏のための《テイル (t)air(e)》にもとづいている。そのなかの《四季》と《練習曲集》において特徴的なのは、季節ごとの自然の風景をその本質において凝結させたかのようなヘルダーリンの詩の世界を、微分音や呼吸の特殊技法、さらには楽器の特殊奏法を含めた現代音楽のさまざまな語法を駆使して、恐ろしいほど透明度の高い、時にほとんど重さを感じさせない音響に昇華させるとともに、およそ700年にわたる音楽史を見据えながら、詩の世界をその陰翳に至るまで掘り下げるのに、古い音楽の語法をも用いていることであろう。幸運なことに、演奏会の翌日に東京藝術大学音楽学部で行なわれたホリガーのレクチャーを聴講できたが、それによると、彼はこの《ツィクルス》を構成するにあたり、同じ曲を声楽でも器楽でも演奏していた17世紀のハインリヒ・シュッツの時代の伝統を参照すると同時に、14世紀の最古のカノンも意識していた。

たしかに《スカルダネッリ・ツィクルス》の実演を聴くと、とくにカノンの技法がそれぞれの曲のなかに実に多彩に変形されながら、非常に効果的に用いられていることが伝わってくる。それによって、ホリガーが俳句に喩えるヘルダーリン最晩年の詩の静かに凝結した世界がひたひたと迫ってくると同時に、時にどこか雅楽を思わせるように響きが柔らかに折り重なっていく。それによって織りなされた重力から解放されたかのような響きがふと歪む瞬間は、詩人の精神の深淵を垣間見せる。また、無伴奏合唱のための《夏》においては、それぞれの歌手の脈拍にしたがって詩句を語る一種のカノンが、詩(うた)そのものが崩壊して消え去っていく過程を突きつけるものと言えよう。そこに突如として介入する男性の「パラクシュ」──精神を病んで塔の一室に籠もったヘルダーリンは、返事に窮するとこう叫んだという──の語は、詩人が魂の危機にあっても、詩に結晶する自由を求め続けていたことを表わしているようにも思える。これを含めた表現の凝縮された強さが、今回の実演に接してとくに印象的だった。その強さは、音響と沈黙の双方から感じ取られた。それが顕著に現われていたのが、第一部に置かれたフルートと小管弦楽のための《断片》と、第三部の頂点とも言うべきフルート独奏のための《テイル》であろう。ホリガーが語っていたところによると、彼はとくに器楽作品において、テュービンゲンの塔に籠もる前の、ホンブルク時代のヘルダーリンの抵抗を響かせようと試みた。これらの曲において、自己の世界が崩れていくのを押しとどめようとする息遣いが、恐ろしいまでの沈黙を交えた、聴く者の肺腑を抉るような音の連なりとして表現されていることは、この曲が捧げられたオーレル・ニコレに学んだフェリックス・レングリの演奏によって、非常に説得的に伝わってきた。とくに《テイル》の演奏は、今回の《ツィクルス》の日本初演における白眉だった。

ラトヴィア放送合唱団の歌唱の素晴らしさも特筆に値しよう。きわめて微細な音高のコントロールを保ちながら、ありとあらゆる呼吸法が要求されるなかで、響きの基本的な透明性を保ちつつ、言葉を響かせ、狂気を暗示する強い表現を成し遂げていたのには瞠目させられた。たゆたうような響きのなかで、「人間性 Menschheit」のような語が突如として混濁したりする瞬間には、自分自身の内にもある精神の闇を突きつけられる思いだった。バルコニー席の一角なども使って、オペラシティのホールの高い空間を存分に生かし、そこに響きの層を漂わせたのは、無伴奏合唱のための《四季》のテクスチュアを生かす最善の方法だったと思われる。正確でかつ表現の振幅の大きな演奏を聴かせたアンサンブル・ノマドの力演にも感銘を受けた。なかでも、モーツァルトの《フリーメイソンのための葬送音楽》の和音をさまざまに変調させた第三部冒頭の《葬送のオスティナート》の演奏は見事だった。この曲やJ. S. バッハのコラール「来たれ、おお死よ、眠りの兄弟よ」にもとづく《氷の花》が暗示しているのは、もはや人間の見る働きを感じさせることのない静謐な風景を現出させるヘルダーリンの詩魂が、死に限りなく接近していることであろう。そのことは、バッハのコラールの旋律のネガティヴが詩人の言葉を寸断する《冬》においてさらに突き詰められることになろう。ツィクルスのちょうど中間に位置する《氷の花》と《冬》で、音楽そのものが死の側へ、さらには「石」──シラーに宛てた手紙でヘルダーリンは、自分は「石で出来ている」と語っている──の無機性の側へ折り返されるのかもしれない。

51DU-b6fRAL._SX425_ホリガーの作品のなかで合唱によって読み上げられる、ヘルダーリンが詩に「スカルダネッリ」の署名とともに記したほとんどが架空の日付の年は、1648年から1940年にわたっている。三十年戦争の終結の年から、第二次世界大戦の戦火が東へ広がり、ナチスによるユダヤ人などの虐殺が本格的に始まる時期が、この三百年弱のあいだに含まれることになるとホリガーは語っていた。例えば「ヒュペーリオンの運命の歌」が示すように、フランス革命の推移ともに激動する同時代の状況を見据えながら、死すべき人間の運命の過酷さを究めたヘルダーリンは、精神の薄明のなかで、この期間に起きる破局を見通していたのかもしれない。そのような眼と化すとともに、見る主体性を消し去り、死の間近に身を置く魂が「スカルダネッリ」の署名とともに季節に寄せた詩を書くところにある世界を、その崩壊もろとも厳密に構成した《ツィクルス》が、作曲家自身の指揮によって見事な完成度で響いたのに立ち会えたのは本当に幸運だった。その二時間半の恐ろしいまでの緊張は忘れがたい。

広島交響楽団第369回定期演奏会を聴いて

369アダージョのテンポを規定する、前へ進むと言うよりは一歩踏みしめるごとに深まっていくようなリズムのなかから、ヴァイオリンの奏でる最初の主題が密やかに響き始めると、この優しくも確かな祈りの歌が、微かな熱を帯びて胸に染み込んできた。ブルックナーの第8交響曲の全体を貫く、畏れながら高みへ向かおうとする精神の姿を凝縮させた主題が、波が寄せては返すようにして徐々に高揚していく歩みを、今日の下野竜也が指揮する広島交響楽団の演奏以上に意味深く聴いたことはなかった。この歩みの頂点では、シンバルとトライアングルが打ち鳴らされるが、その音は、会場に満ちた響きを芯から輝かせるものだった。そこに至るまでに挟まれる、主にチェロが奏でるもう一つの主題も、深沈とした響きの奥から実に柔らかく響いていた。

ブルックナーの第8交響曲を取り上げた広島交響楽団の定期演奏会は、下野竜也の音楽総監督就任披露の演奏会だったわけだが、作品の精神がそこにあることを示すアダージョの演奏は、下野と広島交響楽団の将来を約束するものだったと言えよう。第一、第二ヴァイオリンを両翼に配し、舞台の一番奥にコントラバスを並べた楽器配置が功を奏したとも言えようが、このオーケストラがここまでの一体性をもって、奥行きの深い、そして聴く者の魂の奥底に染み込む響きを奏でたのは、今まで聴いたことがなかった。このように、オーケストラの潜在力を一つのアンサンブルとして引き出したのは、ブルックナーの交響曲を愛してやまない下野の指揮である。その解釈は、複雑なテクスチュアの全体を見通して間然するところがない。以前に第4交響曲の演奏でもそう感じたが、下野の指揮するブルックナーの演奏は、一つの形を伝える流れを持っている。

第一楽章と第二楽章がいずれもいくぶん速めのテンポで、ほぼアタッカで続けられたのには少し驚かされたが、悠揚迫らないながらもけっして弛緩することのないテンポによる後半の二つの楽章の演奏──それは、下野が選択したハース版の特性を生かしきったものと言えよう──を聴けば、そのような行き方にも納得させられる。第一楽章で、第8交響曲のもう一つの顔とも言うべき峻厳さが説得的に示されていたのも印象に残る。コーダの手前では黙示録的なファンファーレが仮借なく吹き鳴らされ、その後まったくリタルダンドすることなく楽章が閉じられた。スケルツォの第二楽章におけるリズムの躍動も素晴らしかったが、流れにもう少し余裕があったほうがよかったかもしれない。とくにトリオでは、主部とのコントラストを際立たせる意味でも、あと少し歌が広がるのを聴きたかった。

フィナーレの演奏は、落ち着いたテンポと丁寧な仕上げで、音楽の荘厳さを最大限に引き出したもの。ともすれば皮相に響きがちなトランペットやティンパニの音も、壮大な響きの構成のなかにしっかりと位置づけられている。第一楽章の主題が厳しく再現されてからコーダに至る流れは、慄くような歌を交えながら作品の大きさをあらためて示すものだった。ただ、これほどまでにブルックナーの第8交響曲の内実を響かせえた下野竜也と広島交響楽団の解釈がもはや会場に収まりきれないことが、演奏の傷となって表われていたのも確かである。すでに大阪のザ・シンフォニーホールでの演奏を終えて広島での演奏に臨んだ奏者の様子からは、広島文化学園HBGホールの残響の乏しさに対する戸惑いが感じられた。ピアノで入る箇所のアインザッツが乱れたり、響かないなかで何とか音を鳴らそうとするあまり、ダイナミック・レンジが狭くなってしまったりしている箇所が散見されたのは惜しまれる。

会場にもう一秒の残響があれば、思いきったピアニッシモにも挑戦できたはずだし、とくに第一楽章の展開部では、横に広がる音型とリズミックな動きの対照が、いっそうの高揚感をもって響いたにちがいない。下野竜也と広島交響楽団のコンビの門出の演奏会は、両者がすでに世界から聴衆を集めうるほどの充実した音楽に達していることを示すものである。このコンビを大事に育てることを考えるのであれば、何よりもまず広島の地に欠けている音楽専用ホールの必要性をあらためて痛感しなければならない。下野の広島交響楽団音楽総監督就任披露の定期演奏会は、彼のブルックナー指揮者としての実力と、それによって引き出されたオーケストラのアンサンブルの可能性をいかんなく示すと同時に、広島の聴衆に、積年の重い課題を突きつけるものだった。

早春の仕事など

IMG_0080柔らかな陽射しを楽しむかのような鳥たちの声が聞こえる日が多くなり、ようやく春の訪れを実感できるようになってきました。近所の公園の桜の古木にも、花をのぞかせ始めたつぼみがちらほらと見られます。最近目にしたヘルダーリンのフランクフルト時代の断片は、このような一見穏やかな春の萌しのうちに、老いとそこにある硬直に立ち向かう若々しさそのものを、それを貫く生命の迸る動きを鋭敏に感じ取っていました。できればいかに忙しいなかでも、そのような生命の力を内に感じていたいものです。早いもので、広島に戻ってすでに一か月半が過ぎましたが、その間二週間の集中講義を含めて非常に慌ただしく過ごしておりました。その間の活動を、ここでご報告しておきたいと思います。

まず、3月4日には、駿河台のESPACE BIBLIOにて細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(柿木伸之訳、アルテスパブリッシング、2016年)の刊行を記念して開催されたトーク・ショー「細川俊夫の創作の背景にせまる──尹伊桑、武満徹、そしてオペラへの道」の聞き手役を務めました。このトーク・ショーでは、著者の細川俊夫さんをお迎えして、本書において初めて語り下ろされたこの世界的な作曲家の創作の軌跡の背景にあるものなどを、2012年にドイツで本書の原書が刊行されて以後の作曲活動を含めて詳しくお話しいただきました。また、特別ゲストとしてリコーダー奏者の鈴木俊哉さんをお迎えして、細川さんの創作活動の里程標をなす作品を演奏していただきました。51fwl3vou1l

幸い、トーク・ショーには会場が満員になるほどのお客様にお越しいただき、心から感謝しております。鈴木さんの素晴らしい演奏と貴重なオペラ上演の映像を交えての細川さんのお話には、尹伊桑や武満徹との関わりについて初めて聞く話がいくつもありましたし、細川さんの音楽そのものについて改めて深く考えさせられる言葉や、現代日本の状況に対する重要な問題提起もありました。このような充実した場をご用意くださったエスパス・ビブリオのみなさま、アルテスパブリッシングの木村さんに、心から感謝申し上げます。

また、3月11日には、成蹊大学アジア太平洋研究センターの主催で開催されるシンポジウム「カタストロフィと詩──吉増剛造の『仕事』から出発して」にお招きいただき、パネリストの一人として「言葉を枯らしてうたえ──吉増剛造の詩作から〈うた〉を問う」という発表をさせていただきました。ヴォイス・レコーダーを構え、じっとこちらを見つめる吉増剛造さんを前に、またかねがね尊敬している錚々たる方々のあいだで少し緊張しましたが、何とか役目を果たすことができました。最近のものを含めた吉増さんの詩作を読み解きながら、また奇しくもまったく同じテーマ(「カタストロフィと〈詩〉」)で行なわれた三年前の原爆文学研究会のワークショップで原民喜やパウル・ツェランの詩についてお話ししたことを少し振り返りながら、今〈うたう〉可能性を詩のうちに探る内容のお話をさせていただきました。

17218299_1434549826597385_7177254774096220764_oまさに東日本大震災が起きた日に開催されたこのシンポジウムは、これまで参加させていただいたシンポジウムのなかで、最も密度の濃いものの一つでした。吉増さんの詩作の初期から『怪物君』(みすず書房、2016年)にまで貫かれているものを文脈を広げながら掘り下げ、詩とは何か、詩を書くとはどういうことかを突き詰めていく思考が、4時間以上にわたって積み重ねられました。そのような議論が最後に『怪物君』とは何かという点に収斂したのは、この日のシンポジウムに相応しかったと思われます。吉祥寺という場所で胸騒ぎを覚えながら引用した原民喜の「鎮魂歌」の一節に「僕は結びつく」という言葉がありますが、自分のなかでいくつものモティーフが結びつき、たくさんの宿題を持ち帰ることができました。それに吉増さんを介して、素晴らしい方々とも出会うこともできました。このような場を作ってくださった、李静和さんと成蹊大学アジア太平洋研究センターのみなさんに、あらためて心から感謝申し上げます。

それから、図書新聞の第3297号(3月25日発売)に、竹峰義和さんの近著『〈救済〉のメーディウム──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会、2016年)の書評を書かせていただきました。「媒体の美学の可能性──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲの不実な遺産相続の系譜から浮かび上がるもの」と題する拙稿では、時に「剽窃」と非難されることもあるアドルノによるベンヤミンの思想の継承に内在する、破壊的ですらある読み替えが思想の内実を批評的に生かしていることや、師にあたるアドルノが映画や放送メディアのうちに見ようとした可能性を、師とは異なった方向性において開拓するクルーゲの仕事に光を当てる本書の議論が、「フランクフルト学派」のもう一つの系譜とともに、知覚経験を解放する「救済の媒体(メーディウム)」の美学の可能性を示している点に触れました。この原稿が、ベルリン滞在中に公刊を予定して書いた最後の原稿ということになります。

この間、いくつか印象深い演奏会や展覧会に接して、自分の仕事の出発点を顧みる機会を得られたのは幸いでした。まず、3月3日に六本木のギャラリーOta Fine Arts, Tokyoにて、「ニルヴァーナからカタストロフィーへ──松澤宥と虚空間のコミューン」を見ました。嶋田美子さんの素晴らしいキュレーションによって精選された貴重なドキュメントの数々は、松澤宥という、その緻密な思考にもとづくアートによって、アートを突き抜けたアーティストの行為の軌跡と、それを結節点として世界中のアーティストが結びついていくさまを実に生き生きと伝えるものでした。松澤が一つのマンダラの形で構想していた、物質の滅却、人類の滅亡、さらにはその先にある虚無へ向けた思考の布置を構成していくアートを今どのように捉えるか、という点は、膨大な資料の解読にもとづくこれからの研究によって掘り下げられなければならないと思います。

とはいえ、松澤が拠点を置いた諏訪と広島、長崎を結びつけたこともある彼の仕事が、そこに生まれる呼応関係によって、危機的な現在を照らし出すものだということは、展示からひしひしと伝わってきました。そのことは同時に、とくに日本列島に生きる者たちが外的にも内的にも取り返しのつかないカタストロフィに足を踏み入れつつあることを問いただしているようにも感じられます。諏訪の松澤宥プサイの部屋を訪れて、彼を結節点とするアートの強度とアクチュアリティを、資料から計測する研究者が出て来ることを願ってやみません。松澤の空への呼びかけに応じて集まったアーティストたちによる、手書きによって構成された葉書や書簡、そして電報(テレグラムとしてさらに考えてみたいところです)の数々も、新たなポエジーの胎動を感じさせるものでした。

17350038_1444674655584902_3959852989274643360_o3月12日には、横浜のみなとみらいホールで横浜芸術アクション事業Just Composed 2017 in Yokohamaの「能・謡×弦楽四重奏」の演奏会を聴きました。馬場法子さんの《ハゴロモ・スイーツ》の世界初演を聴いて、出かけた甲斐があったと思いました。青木涼子さんの声と謡を見事に生かしながら、能の「羽衣」のエッセンスをなす要素を新鮮に、潮風と気配を感じさせる風景のなかに響かせていたのが印象に残ります。楽器の生かし方も、モノ・オペラとしての空間の演出も、実に巧みだったと思います。終演後に馬場さんからお話をうかがって、これらが謡の綿密な研究の成果であることも分かりました。ステファノ・ジェルヴァッゾーニの《夜の響き、山の中より》も、西行法師の歌の配列のなかに声を多彩に生かしながら一つのモノ・ドラマを現出させる作品として興味深く聴きました。能の謡とミニマムな器楽アンサンブルのコラボレーションに可能性を感じさせる演奏会でした。

3月16日には、京都のVoice Gallery pfs/wにて呉夏枝さんの個展「仮想の島── grandmother island 第1章」を見ました。亜麻を素材にグァテマラやインドネシアの織物の技法を参照しながら丹念に織られた地図、ないしは海図としての織物は、けっして平面で完結することなく、中空で螺旋をなしながら、あるいは地下茎を伸ばしながら、別の時空へ連なっていきます。その様子は、人が記憶の越境的な連なりを生きていることと同時に、いくつもの記憶が海を越えて遭遇する可能性をも暗示しているように見えます。海の上に火山島を思わせる島が浮かび上がる風景は、いくつもの記憶が折り重なり、さらには生の記憶が歴史と痛みとともに交錯することによって織りなされているのではないでしょうか。

目を変えながら織られた織物の上に黒のなかのさまざまな色が滲み出る──それが、島の像の存在感と遠さを一つながらに醸し出していました──ところには、テクスト、あるいはテクスチュアからこぼれ落ちるものが染み出ているようにも見えました。作品のテーマとなっている地図ないし海図とは、このような過程に人を引き込む一つの閾としての空間に身を置く一人ひとりの記憶のなかに織られていくものと思われます。そのことは、吉増剛造さんとパウル・ツェランが詩作を、織ったり、編んだりすることに喩えていたことにも呼応することでしょう。風を感じさせる空間が形づくられていたことも印象的でした。もしかするとそのことは、作家の創作の新たな段階を暗示するものかもしれません。

それにしても、この一月半のあいだ、ベルリン滞在の準備に追われていた一年前に比べてさらに社会が息苦しくなっていることを、さらにその息苦しさが、思想とその表現の自由が最後まで守り抜かれるべき場さえも覆おうとしていることを、実感せざるをえませんでした。もし、幾重もの不正と汚職をめぐる狂騒に紛れて共謀罪──「テロ等準備罪」なるものは、共謀罪以外の何ものでもありません──が法的に作られるなら、思想信条の自由が、それを表現する権利が実質的に奪われるのではと危惧しています。それによって、精神は萎縮し、上目遣いの自粛が蔓延し、いかがわしい「公益」なるものが幅を利かせる社会が出来上がるでしょう。そのような状況のなかで、人が息苦しさと無力さに押し潰されてしまう前に何ができるかを、新たな年度が始まる4月へ向けて、自分の置かれた場所で考えてみたいと思います。

 

広島へ/Nach Hiroshima

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役所からの帰り道に見た現役のトラバント

ここ数日ベルリンでは、この冬では比較的寒い日々が続いています。日中でも気温が氷点下二、三度で、空はどんよりと曇っています。あらためてドイツで冬を過ごしていることを実感させる気候ですが、そのようななかで、ベルリンの住居を引き払い、広島へ帰るための準備を進めていました。寒さのなかを半時間ほど歩いて、地区の役所の支所へ住民登録解除の手続きに行ったり、荷物をまとめたりしていたところです。何と言っても、研究のために買いためた本を箱詰めして送り出す作業が難儀でした。昨年四月からの勤務先の大学の学外長期研修制度によるベルリンでの研究滞在を終えて、広島へ帰ります。あっという間に過ぎた十か月でした。

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桜の時季に滞在が始まりました。

滞在期間は、ベルリン自由大学の哲学科のジュビレ・クレーマー教授にお世話になりながら研究を進めました。おかげで、人文学に関する文献が豊富に揃ったこの大学の文献学図書館をほぼ毎日利用できましたし、またクレーマー教授のコロキウムで研究の中間的な成果を発表してフィードバックを得ることもできました。初めの頃には、ベルリン芸術アカデミーのヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフにも、文献のことをはじめ何かとお世話になりました。ベルリンでの研究環境は、ほぼ申し分なかったと言えるでしょう。ただ、それを生かしきれたかと自問すると、やはり忸怩たるものが残ります。もう少し文献を読めたはずだという思いを拭えません。

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初夏から夏にかけては多くの果物を味わいました。写真は市場で見た巨大な西瓜。

ベルリンでは〈残余からの歴史〉の概念を、ヴァルター・ベンヤミンの歴史への問いを引き継ぎながら、哲学的かつ美学的に探究する研究に取り組んでいました。そのためには、当然ながらベンヤミン自身の問題意識をいっそう掘り下げなければなりません。滞在期間の前半は、彼の遺稿「歴史の概念について」の批判版のテクストと、それに関連した二次文献を読み、あらためて彼の歴史哲学とは何か、という問題に取り組んでいました。また、歴史と芸術の接点を探りつつ美学的な問題意識を深めるためには、ベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』が重要であると感じましたので、滞在期間の後半には、そのテクストとこれに関連した文献を繙読しておりました。

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秋のリリエンタール公園

本来ならば、ある程度雑事から解放されている研究滞在の期間にこそ、基礎的な文献をもっと多く読んでおかなければならないのでしょうが、さまざまなことに追われて、思うようには読めなかったというのが正直なところです。とはいえ、ベンヤミンの著作にある程度時間をかけて取り組むなかで、彼の思考への見通しを、微かながら得ることができました。帰国後に少し落ち着いたら、これを何らかのかたちで提示することへ向けた仕事にも取り組まなければと思います。それから、すでに昨年のクロニクルに記しましたように、中國新聞のコラム「緑地帯」などへの寄稿をつうじて、研究に取り組みながら、あるいはベルリンに滞在しながら考えたことを広くお伝えする機会に恵まれたのは幸いでした。

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冬景色

なかでも、昨夏に雑誌『現代思想』の「〈広島〉の思想──いくつもの戦後史」特集に、「そこに歴史はない──ベルリンからグラウンド・ゼロとしての広島を思う」と題する拙論を寄稿させていただいたことは、現在の問題意識を明確にする契機となりました。そこに一端を描いた、ベルリンと広島を大西洋と太平洋を越えて結び、今も続いている「核の普遍史」とも言うべき歴史には、広島から、あるいは広島を思うなかから立ち向かわなければならないでしょう。そして、生存そのものを脅かすこの「普遍史」に抗いつつ、今ここに死者の魂とともに生きる余地を探る営為のうちに、〈残余からの歴史〉を位置づけたいと考えているところです。

過酷な歴史的過程の残滓であるとともに、「歴史」によって抑圧されながらも残り続けている残余としての記憶から、ないしはその消えつつある痕跡から、一つひとつの出来事を想起し、一人ひとりの死者に思いを馳せると同時に、「歴史」とされてきた物語を総体として問いただすところにあるもう一つの歴史、この〈残余からの歴史〉。ベンヤミンの言葉を借りるならば「瓦礫を縫う道」としてのその方法を、さらに彼の思想の研究を深めながら、また広島で原民喜などの作品を読みながら、あるいは歴史学との対話をつうじて探究しなければと考えています。記憶殺しと歴史の骨抜きがとくに日本で進行するなかで、歴史とは何かという問いにはもう少しこだわってみたいと思います。

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フィルハーモニーとともに、コンツェルトハウスへも何度も足を運びました。

ところで、今回の研究滞在中には、細川俊夫さんの『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』の日本語版が、関係者のご尽力により、アルテスパブリッシングより拙訳にて刊行されました。世界的な作曲家の「対話による自伝」とも言うべき本書を、細川さんが最初に留学したベルリンに滞在しているあいだに世に送ることができたのには、巡り合わせのようなものを感じます。そこで細川さんが、ご自身の作曲活動の軌跡とともに語っておられる、音楽の核心にあるものは、これからさらに深めていかなければと考えています。ベルリンでは、かなりの数の演奏会やオペラなどの公演に足を運びました。熱気に包まれた会場で音楽に耳を傾け、舞台に目を凝らしながら、音楽とは何か、オペラの上演は今どのようにありうるか、という問いがいつも脳裡に浮かんでいました。そうして考えたことも、広島で音楽に関わる仕事に生かしていきたいと思います。

それから、滞在期間にベルリンからヨーロッパ各地へ何度か出かけられたのも、忘れられないことの一つです。なかでも大規模なパウル・クレー展が行なわれていたパリへの旅、ベンヤミンが自死を遂げたポルボウへの旅、そして最近のベルンとチューリヒへの旅からは、今後の研究にとってきわめて重要な経験を得ることができました。それによって、ベンヤミンの思考の軌跡をいっそう広い歴史的文脈に位置づける視野が開けたと感じています。また、ハノーファーとハンブルクでは、広島とドイツを結ぶ非常に興味深い試みにも接することができました。これらの旅をつうじて得られた刺激や人間関係も、今後の研究と教育に生かしていかなければなりません。

今回は家族とともにベルリンに滞在しました。娘が公立の小学校に通ったので、それに関わる細々としたことに時間を取られることも多かったのですが、娘の担任の教師やクラスメイトの親など、おそらく単身での滞在では出会うことのない人々とめぐり逢うことができたのもよい経験でした。娘は友達に恵まれ、何人か親友もできました。近いうちに親友との再会の機会を設けなければと思います。また、住まいの家主がとても親切だったのにも助けられました。こうした人々がいたおかげで、温かい日常を過ごすことができたと思います。ベルリンで出会った、あるいは再会した友人たちにも、さまざまな場面で助けられました。心から感謝しています。

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ちょうどベルリン映画祭の準備が本格化しています。

滞在期間には、昨年の12月に起きたトラックによる無差別殺傷事件のように衝撃的な出来事も起きましたが、この事件の後のベルリンの人々の落ち着いた生活ぶりには、多くを学ばされました。現在、世界を不安が覆うなか、憎悪が人々のあいだを引き裂いているのは確かでしょう。それに、それに乗じたとも言える由々しい政治的な動きは、すでに始まっています。しかし、後戻りできないかたちで雑種化し、さまざまな背景を持つ人々の交差路となっているベルリンの日常を生きる人々は、このことがいかに誤っているかを深く理解していると思います。それに、ダニエル・バレンボイムのように、人の注意力を細やかにしながら人と人を結びつける音楽の力を確信しているベルリンの優れた音楽家は、音楽に取り組む者にとって、人を他者に開く人文的な知が重要であることも深く理解しています。おそらくは、憎悪をその歴史的な根から照らし出し、他者とともに生きるうえで困難でありながら大切な問題を考えることへ人を導くことによって、こうした芸術家の営みを支えるところには、この困難な時代における哲学の課題の一つがあることでしょう。このような問題意識を抱きながら、また広島での仕事に戻りたいと思います。今日広島へ発ちます。

細川俊夫『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』刊行記念トーク・ショー[2017年3月4日/ESPACE BIBLIO]のお知らせ

51fwl3vou1l昨年12月に拙訳にてアルテスパブリッシングより刊行された、細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(聞き手:ヴァルター゠ヴォルフガング・シュパーラー)の刊行を記念して開催されるトーク・ショー「細川俊夫の創作の背景にせまる──尹伊桑、武満徹、そしてオペラへの道」をご案内いたします。来たる3月4日(土)15:00より駿河台のESPACE BIBLIOにて開催されるトーク・ショーでは、著者の細川俊夫さんをお迎えして、本書において初めて語り下ろされた、この世界的な作曲家の創作の軌跡の背景にあるものや、本書では語られなかったエピソードなどを、2012年にドイツで本書の原書が刊行されて以後の作曲活動を含めて詳しくお話しいただきます。また、今回は特別ゲストとして、世界を代表するリコーダー奏者の鈴木俊哉さんをお迎えいたします。細川さんのお話と鈴木さんの演奏によって、本書の内容を具体的に感じ取っていただきながら、細川さんの「空間と時間の書(カリグラフィー)」としての音楽を身近に感じていただけるものと考えております。会場などの情報は、末尾に記しておきます。開催に向けてご尽力くださっているESPACE BIBLIOの関係者のみなさまに、この場を借りて心より感謝申し上げます。

本書『細川俊夫 音楽を語る』の概要はすでに別稿に記しましたし、版元のアルテスパブリッシングのウェブサイト(こちらから直接本をご購入いただくこともできます)にも記されておりますので、ここでは繰り返しません。今回の「細川俊夫×柿木伸之トーク・ショー」では、この「対話による自伝」に語られた半生と作曲の足跡のうち、とくにベルリン留学時代の尹伊桑との師弟関係や、細川さんの広島での少年時代にまで遡る武満徹との関係に焦点を絞りながら、これらの作曲家の音楽との対照において、細川さんの音楽世界を浮き彫りにしたいと考えております。鈴木さんの演奏を交えながら、これらの作曲家と細川さんのあいだにある東洋の伝統楽器へのアプローチの相違などにも光を当てることができるのでは、とも思います。2012年以後の作曲の展開を語っていただく際には、オペラ《班女》、そして《松風》の一部の貴重な映像を見ながら、ちょうど一年前にハンブルクで平田オリザさんの演出により初演された《海、静かな海》を含めたオペラの作曲についても詳しくうかがえるものと考えております。それをつうじて、オペラを含む音楽作品を世界中から委嘱され続けている細川さんの作曲の現在が、本書に語られた創作の源泉から浮かび上がることでしょう。細川さんの音楽世界の展開の軌跡とその今にじかに接することのできる3月4日のトーク・ショーへ、ぜひお誘い合わせのうえお越しください。多くの方のご来場を心よりお待ち申し上げております。

  • 日時:2017年3月4日(土)15:00〜17:00(14:30開場)
  • 会場:ESPACE BIBLIO(エスパス・ビブリオ)※リンク先に地図があります。〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1-7-10YK駿河台ビルB1F
  • 参加費:1,500円(当日精算)
  • 予約制:Eメール(info@espacebiblio.superstudio.co.jp)または電話(Tel.: 03-6821-5703)にて受付(定員60名)。Eメールでご予約の際には、上記のアドレス宛に件名「3/4細川氏トーク希望」にて、お名前、電話番号、参加人数をお知らせください。追って返信で予約完了が伝えられるそうです。電話による予約は、火曜日から土曜日の11:30〜20:00のあいだ受け付けているとのことです。20170304%e7%b4%b0%e5%b7%9dx%e6%9f%bf%e6%9c%a8%e3%83%88%e3%83%bc%e3%82%af_a6%e7%89%883rd

ベルリン通信X/Nachricht aus Berlin X

バージョン 2

ベルリン郊外の冬の夕暮れ

ベルリンに長く住んでいる人々から聞くかぎり、今年の冬は例年に比べて穏やかなようです。年によっては、気温が氷点下20度ほどまで下がる日が続くようですが、たしかにそのような日を体験することはありません。それでも、冷え込む日には氷点下10度ほどまで気温が下がることがあります。そのような夜に外を歩くと、風が頬を刺すようです。そして、次の朝には水たまりがすっかり凍っています。それから、時々娘を遊びに連れて行く近所のリリエンタール公園では、オットー・リリエンタールが飛行実験を行なった丘の前の浅い人工池も、その傍らにある大きくて深い池も、本格的な冬の訪れ以来、凍ったままになっています。

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リリエンタール公園の凍った人工池

凍った池では、子どもたちがよくスケート遊びを楽しんでいます。スティックとパックを持って来てアイスホッケー──こちらで最も人気のあるウィンター・スポーツの一つです──に興じている子どももいます。どうやらベルリンでは多くの子どもが、靴をはじめスケート道具を一式持っているようです。娘も一度、友達に道具を貸してもらってスケートを楽しみました。スケート靴をぶら下げた子どもに夕方のバスで出くわすこともしばしばです。夏は湖で泳ぎ、冬は凍った湖面を滑って遊ぶというのが、ベルリン子たちの水との親しみ方なのかもしれません。そう言えば、雪の残る街路を木製の橇に乗って──両親に橇を引いてもらって──行く小さな子どもも見かけます。

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凍ったリリエンタール公園の池

2月を迎えて、ベルリンでの滞在期間がいよいよ残り少なくなってきました。現在、今回の研究滞在の大きなテーマである〈残余からの歴史〉の概念について、ここまでの研究にもとづいて考えられるところを短めの論文にまとめながら、引き続き文献研究にも取り組んでいるところです。1月には、あらためてベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』とそれに関連した文献に取り組んでいました。その過程で、彼の生前に公刊された最も大規模な著作であるこの書が、彼の言語哲学、美学、歴史哲学を凝縮させているのみならず、彼の「迂路」としての方法論を、彼の思考を貫くものとして暗示していることなどを、あらためて考えさせられました。また、今後展開されるべき問題系への糸口がそこにあるという感触も得たところです。

本当はベンヤミンのバロック悲劇論のみならず、アドルノのいくつかの著作にも腰を据えて取り組みたかったのですが、1月は依頼された原稿の執筆や来学期の講義の概要の準備などに追われ、そのために時間を確保することができませんでした。アドルノの音楽論には、遠からず向き合わなければと考えています。そのようななか、1月にはごく短い原稿を一つ発表させていただきました。原爆の図丸木美術館ニュースに、「ミュンヒェンの芸術の家に掲げられた《原爆の図》──Haus der KunstのPostwar展における第二部《火》と第六部《原子野》の展示について」という短いエッセイを載せていただきました。昨年10月に見たミュンヒェンのHaus der KunstにおけるPostwar展に丸木夫妻の《原爆の図》より副題にある二部が展示されたことを報告し、展覧会の概要を含めて論評しながら、戦争の衝撃が美術そのものを変えたことを世界的な規模で展覧するPostwar展における《原爆の図》の重要性に触れるとともに、その実際の展示の様子、そして展示の意義を論じる内容のものです。

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ハンブルク大学での「少年口伝隊一九四五」上演のフライヤー

1月21日には、ハンブルク大学のアジア・アフリカ学科で行なわれた井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の日本語での舞台上演を観ました。学生たちが一学期をかけてこの戯曲のテクストに取り組んだ成果を示す今回の日本語上演は、熱のこもった素晴らしいものでした。広島弁の台詞を含め、俳優たちが言葉をしっかりと自分のものにして語っているのがひしひしと伝わってきました。また、原サチコさんの演出もとても工夫されていて、この作品の舞台上演の可能性を示していたと思います。これらが相俟って、井上ひさしがこの戯曲で、被爆後のきわめて困難な状況のなかで一人ひとりが生きること、そして死に追いやられることを、歴史のなかにしっかりと浮き彫りにしていることが伝わってきました。権力者が馬鹿馬鹿しい号令を発するなかで、自分の頭で考えることを止めずに死者たちの希望も担いながら生きることを説く「哲学じいさん」の言葉は、まさに今に語りかけるものでしょう。その役の熱演はとくに印象に残りました。

広島で1945年に起きたことを問いかける言葉を体を張って届けてくれたハンブルクの学生たちと原さんはじめ関係者のみなさんに、心から感謝しています。舞台に掲げられ、要所にプロジェクターで投影された四國五郎の絵も、場面を印象づける役割を果たしていました。なお、この上演には、ハノーファーに留学している広島市立大学の学生も、何人か観に来てくれました。そこで得られた刺激を広島へ持ち帰り、この経験を、ともに平和を考える関係を海を越えて築いていくきっかけにしていただきたいとも願っているところです。私も井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」は、何らかのかたちで広島での教育に導入したいと考えています。

ところで、1月にはいくつかの感銘深い演奏会を聴くことができました。なかでも、13日に聴いたイヴァン・フィッシャー指揮のコンツェルトハウス管弦楽団によるマーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」の演奏は、忘れられません。その五つの楽章が、挙げて死の沈黙からの生命の蘇りへ向かっていることを、微視的にも巨視的にも深く感得させる演奏だったと思います。19日に聴いた、ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会では、音楽自体の構成にもとづく深い充実感を味わわせてくれるブラームスの交響曲第1番ハ短調の演奏を聴けました。9日に聴いたシュターツカペレ・ベルリンの演奏会では、ダニエル・バレンボイムがモーツァルトの「戴冠式」協奏曲で、彼のピアノの健在ぶりを示していました。23日に聴いたジョルディ・サヴァールが率いるエスペリオンXXIとアンサンブル・テンベンベ・コンティヌオの演奏会は、歴史に翻弄された人々の故郷と異郷での生活のなかにこそ、音楽が息づいていることを、音楽そのものの喜びとともに振り返らせてくれる素晴らしい演奏会でした。29日にフィルハーモニア弦楽四重奏団の演奏会で、ベートーヴェンとショスタコーヴィチの第15番の弦楽四重奏曲を間然するところのない演奏で聴けたのも、非常に幸運だったと思います。

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劇団らせん舘の公園が行なわれたBrotfabrik

1月には、先に触れた井上ひさしの戯曲の上演も含め、演劇の公演も少し観ました。1月6日には、ベルリンに拠点を置きながら、多言語的な演劇の創作を続けている劇団らせん舘による„Etüden im Schnee: Eisbärin Toska“の公演を観ました。昨年クライスト賞を受賞した多和田葉子さんの小説『雪の練習生』(新潮社)のドイツ語版を基にした舞台で、「多和田さんが書いた言葉を非常に大事にして、言葉そのものが含み持つ動きや広がりを、最大限に生かそうとする姿勢が伝わる温かい舞台でした。20日には、ベルリナー・アンサンブルでのビュヒナーの「ヴォイツェク」の上演を観ました。レアンダー・ハウスマンの演出は、設定を現代の軍隊に読み替えたもの。流れる音楽などからアメリカの軍隊のことが念頭にあると思われますが、舞台を見ていて、沖縄などに駐留しているアメリカの海兵隊のことが、またその兵士の暴力に晒される駐留地の人々のことが頭から離れませんでした。

このように、音楽と言葉が今に息づいているベルリンから離れなければならないのは非常に名残惜しいのですが、そろそろ帰国の準備に取りかからなければなりません。本当は、さまざまな文献が揃っているベルリンの環境で進めなければならない研究がまだまだあるのですが、ひと区切りをつけて広島へ戻り、そこから今発言しなければならないことを見定めていくことが課せられていると感じています。心残りなことばかりですが、遠からずまたベルリンに短期間でも滞在して、研究の材料を蒐集したいと考えているところです。月末には、こちらで出会った素晴らしい友人が、心のこもった送別会を催してくれました。この友人をはじめとして、それぞれの仕事や学究に真摯に取り組んでいる友人たちに出会えたことは、何ものにも代えがたい喜びです。友人たちとの関係のなかで経験できたこと、あるいはカフェでの会話のなかで気づかされたことを、帰国してからの仕事のなかでしっかりと生かさなければと思っています。

ベルリン通信IX/Nachricht aus Berlin IX

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霜が降りた朝の風景

あけましておめでとうございます。ベルリンから新年のご挨拶を申し上げます。2017年がみなさまにとって幸多き年になりますように。さて、大晦日(ベルリンの時間で)にもイスタンブールから、ナイトクラブでの銃乱射で40名近い人々が命を落としたという痛ましい報せが入ってきましたが、今年は少しでも多くの人々が平和を感じられる年になってほしいものです。あらためてそう願わざるをえないのは、ドイツへ居を移して以後も、ドイツ国内で、シリアをはじめ世界中で、そして日本でも悲しい出来事が相次いだからですが、その一つが先月、クリスマスを前にしたここベルリンで起きました。新年にはあまり相応しくないことかもしれませんが、まずはその出来事を、犠牲者を哀悼しつつ振り返っておかなければと思います。

すでに広く報じられているように、12月19日の20時過ぎ、ベルリンの中心部、かつて主要駅の役割を果たしていた動物園駅のそばのブライトシャイト広場で開催されていたクリスマスの市に、大型トレーラーが突入し、12名の人々が亡くなりました。チュニジア出身とされる襲撃の容疑者がミラノで射殺される結果に至ったこの痛ましい出来事は、ベルリンの人々のあいだに深い衝撃をもたらしました。とくに娘の小学校の同じクラスの親たちの様子からは、不安と動揺が読み取られました。さらに、第二次世界大戦中の空襲の傷跡を敢えて残すことによって、戦争を記憶する行為と、そこに至った歴史を繰り返さないことへの誓いを一つながらに形にしたカイザー・ヴィルヘルム記念教会の目の前で起きたことも、ベルリンの人々の心を深く傷つけたのではないでしょうか。

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クーアフュルステンダムの夜

しかし、それでもなお人々の複数性を生きる日常を継続することが今はいかに大切かを、ベルリンの大多数の人々は深く理解している様子です。このことも、娘のクラスのクリスマス・パーティーに参加して実感しました。これもすでに報じられているとおり、さまざまな背景を持つ人々とともに生きていく(クラスの親たちの出身も、ドイツ国内以外に、ポーランド、イタリア、中国、トルコ、それに日本などと、実に多様です)ことが、破壊的な暴力にも、そして不安を煽り、排外主義的な憎悪を掻き立てる政治にも屈しない力になりうることを、ベルリンの市民は、静かに、普段どおりの行動をもって示していました。

もちろん、今回の襲撃を排他主義的な政治に利用しようとする政治家もいます。しかし、こうした行き方を許さず、ここに生きる人々の多様性を確かめながら、人々を結びつけようとする動きが公の場で見られることは重要でしょうし、とくに外国人には心強く感じられます。例えば、シャウビューネでは、「憎悪と不安に抗して──ともに人として生きるために」と題する催しが急遽企画されました。ベルリンのクリスマスの市への襲撃が惹起した不安に我を忘れ、憎悪を他者に投げつけるのではなく、それぞれに異なった人々とともに在ることを立ち止まって振り返り、その貴重さを確かめることによって、社会を他者に開こうとする催しと言えるでしょう。催しそのものは、朗読とピアノ演奏だけのささやかなものでしたが、音楽をつうじて時空間を共有し、朗読される言葉を分かち合うことの大切さが噛みしめられるものでした。

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ベルリンの晴れた冬空

このような、下手をすると人々のあいだの社会的な関係が取り返しのつかないかたちで引き裂かれかねない危機的な状況にあっては、生の深みに聴く者を誘いながら人々を結びつける音楽の力がとくに重要でしょう。この音楽の力を将来担っていく音楽家を育成するアカデミーが、12月にベルリンに誕生したことも、あらためて特筆されるべきと思われます。すでに別稿で触れましたように、12月8日には幸運にもバレンボイム゠サイード・アカデミーの公式オープニングのセレモニーに立ち会うことができました。両者が設立したウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラをはじめとする場所で活躍する若い音楽家たちの全人格的な育成の場が生まれたことになります。セレモニーのなかでダニエル・バレンボイムは、このアカデミーを、さまざまな人々の対話をつうじて音楽を作り上げる場にしていきたいという希望とともに、教育課程のなかで、哲学をとくに重視する旨のことを語っていました。哲学をつうじて、根本的な問題に複数の視角から取り組みながら、対話に開かれた人格を養成することが、未来の音楽家の育成にとって不可欠であることという彼の主張は、現代における哲学の役割を考えるうえでも重要と思われます。

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冬のテルトウ運河

12月に、バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンの演奏会をはじめ、いくつもの素晴らしい演奏会やオペラの公演に接することができたのは幸いでした。オーケストラの演奏会についてはすでに別稿に記しましたので、ここでは、現代作品の演奏会とオペラの公演に少し触れておきます。まず、12月12日の夜には、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の“Late Night”コンサートで、ジェラール・グリゼーの最晩年の作品、ソプラノと15の楽器のための《閾(しきい)を越えるための四つの歌(Quatre chants pour franchir le seuil)》を聴きました。バーバラ・ハンニガンの独唱に、サイモン・ラトルの指揮によるベルリン・フィルハーモニーのメンバーとゲストによるアンサンブルという、望みうる最高の組み合わせで、この作品の実演に初めて接することができました。同時代の自殺した詩人の作品から、古代エジプトの詩句、さらには古代メソポタミアのギルガメシュ叙事詩まで遡りつつ、生と死の閾を掘り下げ、一つの文明の滅亡、さらには人類の死滅に至るまで死を突き詰めるこの作品に、きわめて完成度の高い演奏をつうじて出会うことができたのは、本当に幸せでした。

クリスマスの夜には、コーミッシェ・オーパーでチャイコフスキーの《エフゲニー・オネーギン》の公演を観ました。昨シーズンに初演されたプロダクションの再演ということになります。歌手たちの水準が非常に高く、音楽的に完成度の高い公演でした。乳母役の歌手と公爵役の歌手が、豊かな声量でアンサンブルを支えていた点、とくに印象的でした。オネーギン役のギュンター・パーペンデルとオルガ役のカロリーナ・グーモスは、この劇場を代表する歌手として存在感をいかんなく発揮していたと思います。ヘンリク・ナーナシの指揮の下、オーケストラの力演も光りました。バリー・コスキーの演出は、若い男女の心の揺れが音楽的に表現されるよう工夫されたもので、かつ絵として美しい情景を見せていました。この《エフゲニー・オネーギン》の舞台は、現在のコーミッシェ・オーパーを代表する一つと言えるでしょう。

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コトブスのシュプレンブルク塔

12月の最初の週末には、家族でブランデンブルク州のコトブスへ、家族で小旅行に出かけました。ベルリンからコトブスまでは、電車で1時間半ほどです。当地の州立劇場で行なわれているフンパーディンクの《ヘンゼルとグレーテル》の公演を観ることが主な目的でした。その公演は、音楽的にはとても充実していました。とくにオーケストラには瞠目させられましたし、父親の役を歌ったバリトン歌手をはじめ、歌手の水準も高かったです。舞台に登場した子どもたちの様子や、客席の温かい雰囲気からも、市民が街の文化の発展に積極的に参加する姿勢が伝わってきました。《ヘンゼルとグレーテル》の公演に先立っては、市の博物館を訪れました。街の歴史を伝える展示もさることながら、ソルブ人の文化を伝える展示がとくに興味深かったです。女性が大きく広がる白い布で頭を覆う独特の衣裳や折々の風習などとともに、ソルブ語訳聖書や詩集などのかたちで表われるソルブ語の文化の営みが紹介されていました。

早いもので、ベルリン滞在の期間が、あと一か月ほどになってしまいました。現在、論文や依頼されている仕事に取り組みつつ、あらためてベンヤミンのテクストに向き合っていますが、その過程で、今さらながらに原典を読むことの重要性を噛みしめています。残された時間を有効に使って、文献研究を可能なかぎり深めたいものです。また、それをつうじて得られたベンヤミンなどの思想への新たな見通しにもとづいて、今回の在外研究のテーマである〈残余からの歴史〉の理論的な構想をまとめて、帰国後の研究の深化に結びつけていきたいと考えています。今年も変わらぬご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

Chronicle 2016

IMG_2190流行語の類いには普段まったく関心がありませんし、とくに日本で「流行語」と呼ばれるものには、これからも興味が持てないと思いますが、イギリスのオクスフォード辞典の発行元とドイツ語協会が「今年の言葉」に、揃って英語で言う“post-truth”(ドイツ語では„postfaktisch“)を選んだことは、現実に世界を覆いつつある由々しい動きを映し出しているように見えます。事実を突き止め、真実を伝えることはもはや尊重されず、威勢よく見えたり、「元気になる」ように響いたりしさえすれば、あるいは「センセーショナル」でありさえすれば、どのような嘘でもまかり通ってしまい、大衆を動かしてしまう時代が実際に到来しつつあるというヨーロッパの人々の認識が、そこには表われているのではないでしょうか。それを象徴するのが、EU離脱の判断を下したイギリス連邦の国民投票と、アメリカ合衆国の大統領選挙の結果であったということは、ここドイツでは、この一年の回顧のなかでしばしば耳にします。

IMG_1977これらを含む動きのなかで無視しえない役割を果たしている──それゆえ、現在ドイツでも対策が進められているようです──のが、英語で“fake news”(ドイツ語では„falsche Nachrichten“)と呼ばれるものですが、これは不安を抱えて孤立した個人に、とりわけ強く訴えかけます。すでに都市に「大衆」が出現した19世紀に、鋭敏な芸術家が気づいていたとおり、そのセンセーションに反応することで、こうした個人は自己の存在を確かめ、それによって「マス」として一様に行動するようになるのです。ベルリンのクリスマスの市へのトラックによる襲撃事件が起きた後、実際にそのようにして„falsche Nachrichten“に踊らされる人々を目にしました。そのことを利用するのを、「新たなポピュリズム」と呼ぶ必要はないでしょう。嘘への反応を束ねることは、ファシズムの定義に当初から含まれていることではないでしょうか。ただし、その具体的な技術には、ディジタル時代ならではの変化が見られるようです。たまたま目にした新聞記事では、インターネットをつうじて世界中にばらまかれた“fake news”が、マケドニアの小さな街で作られている様子がリポートされていました。

IMG_2045とはいえ、日本の人々はすでに、とくに現政権下で長いこと“post-truth”的状況を生きているのではないでしょうか。たまに日本のマス・メディアのウェブサイトを見ると、そのような思いを強くせざるをえません。もちろん、地道に事実を追い、真実を伝えようと努めているジャーナリストがいることは存じていますし、その仕事に対してはいくら敬意を表わしても足りないと思っています。しかし、実際に公共空間にたれ流されているのは、世界で、いや日本でも今何が起きているのかを忘れさせながら、「日本」への空虚なナルシシズムを助長させる、その本質が“fake”であるとしか言いようのない「ニュース」ではないでしょうか。そのようななか、とくに沖縄の人々の生活を踏みにじるかたちで、日米の軍事的な一体性を強める基地建設が進められ、憲法の下で禁じられていたはずの海外派兵が既成事実化されようとしています。まもなく任期を終えようとしているオバマ大統領の広島訪問も、日本の現首相のパール・ハーバー訪問も、そのような「日米同盟」の動きを覆い隠すかたちで演出された観は否めません。

img_0199このような状況に対して、現在ヨーロッパで生活している経験にもとづいて一つだけ言いうることがあるとすれば、そうして戦争のなかに入り込んでいくことによって、戦争に関わる暴力は必ず、袋を裏返すかのようにして、形を変えて自分たちに跳ね返ってくるということです。今年に入ってもヨーロッパで繰り返し起きている痛ましい出来事のいくつかは、そのことを示していることでしょう。それに憎悪をもって応じるなら、このことは実際に住んでいる空間を、自分の手で破壊することになります。なぜなら、集団どうしの憎悪は、すでに後戻りできないほど雑種化し、複雑化した社会を、根底から破壊するからです。憎悪は、異質な人々のあいだを引き裂いてしまいます。そして今、そのことに“post-truth”的状況がひと役買っていることは、何よりも憂慮すべきことと思われます。センセーションに身を委せ、みずから知り、考えることを止めてしまうと、他者を集合的な属性でしか見られなくなって、他者の一人ひとりに対する細やかな注意力が失われてしまうのではないでしょうか。憎悪の根にそのような問題があることを示している一つが、最近通読したカロリン・エームケの近著『憎悪に抗して』(Calorin Emcke, Gegen den Hass, Frankfurt a.M.: Fischer, 2016)です。

img_2377それなしには「愛」の概念すらも考えられない、一人ひとりの他者に対する注意力。これが他者とのあいだに生きるなかに、不可欠のかたちで働いていることを思い出させ、それを深める契機をもたらしうるのが、人文学の知であり、芸術の営みであるはずです。これらの使命は今、従来にも増して重いものがあると考えられます。私自身は現在、一人ひとりの他者に対する細やかさを、歴史を生きるなかに、さらに言えば死者の魂とともに生きるなかに──それは、地上の生の基本的な条件をなしているはずです──回復する道を、歴史そのものを問うことをつうじて探っているところです。幸いなことに、今年は4月からそのための研究の機会をここベルリンで得ておりますが、時が経つのは早いもので、その期間も残り少なくなってまいりました。下記のクロニクルに挙げましたように、論文などはいくつか執筆し、すでに公にする機会にも恵まれておりますが、文献研究にはまだまだ不足を感じています。そして、あともう一つ論文をある程度の形にしておきたいとも考えています。

51fwl3vou1l今年は12月に入って、積年の課題であった細川俊夫さんの対談書Toshio Hosokawa — Stille und Klang, Schatten und Licht: Gespräche mit Walter-Wolfgang Sparrerの翻訳を世に送ることができました。『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』という訳題にてアルテスパブリッシングから刊行されております。自然のなかに生きる魂の息吹から音楽そのものを考えさせる一書として、お手に取っていただければ幸いです。刊行に至る過程は、私にとって非常に学ぶことの多いものでした。また、自分の表現力のなさを呪いながら論文をドイツ語に訳して発表する機会を持てたのも、よい経験でした。校閲者と原稿を遣り取りする過程も学ぶことが多かったですし、論文の趣旨を理解してくれる人がいたことは、本当に嬉しかったです。中國新聞文化面「緑地帯」に、「ベルリン−ヒロシマ通信」と題するコラムを連載できたのも、またとない経験でした。これらを、今後少しずつ思考の表現形態の幅を広げる足がかりにできればと思いますが、その前提として地道な研究の積み重ねがあることは言うまでもないことでしょう。引き続きご指導のほどよろしくお願い申し上げます。来たる年がみなさまにとって、少しでも平和で幸せに満ちた一年になりますように。

■Chronicle 2016

  • 1月25日:芸術批評誌『リア』第36号の特集「2015 戦争を視る」に、「褐色の時代に抗いながら戦争の核心に迫る表現の交響──広島県立美術館での『戦争と平和展』を見て」という表題の小文を寄稿させていただきました。2015年7月25日から9月13日まで広島県立美術館で開催された「戦争と平和展」の展覧会評です。ミロの《絵画》と靉光の自画像の同時代的な呼応を出発点としながら、ピカソ、井上長三郎、オットー・ディックス、浜田知明、香月泰男らにおける戦争の暴力の核心に迫る表現に触れるとともに、この展覧会に出品されていた作品からうかがえる戦争画の問題性にも言及する内容のものです。
  • 1月27日/2月3日/2月10日:ヒロシマ平和映画祭2015/16の催しとして、「奥間勝也Artist Talk+新作上映会──広島で記憶と継承を考える:沖縄の映像作家を迎えて」と「消された記憶の痕跡を辿り、現在の暴力の淵源に迫る映画『ルート181:パレスチナ〜イスラエル 旅の断章』上映会」を、広島市立大学講堂小ホールを会場に開催しました。また、2月10日には、「ドキュメンタリー作品上映+Talk Session:ヒロシマ/広島/廣島を映像で見つめ、伝える──映像作家・プロデューサー平尾直政さんを迎えて」を広島市立大学サテライトキャンパスにて開催しました。
  • 2月27日:成田龍一さんをはじめとする研究者が続けておられる科研費の研究会で最近の仕事を取り上げていただきました。岩崎稔さんに『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社、2014年)を、村上陽子さんには『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ』(インパクト出版会、2015年)を、それぞれ綿密な読解にもとづいて論じていただきました。これらに対する応答の時間も取っていただきました。
  • 3月1日:形象論研究会の雑誌『形象』創刊号に、「ベンヤミンの形象の理論──仮象批判から記憶の形象へ」と題する論文と森田團さんの『ベンヤミン──媒質の哲学』(水声社、2011年)の書評が掲載されました。論文は、ベンヤミンが初期から最晩年に至るまで繰り広げた形象の理論を、彼の言語哲学、歴史哲学、美学の結節点と捉えたうえで、彼の思考の核心をなすものとして浮き彫りにしようとする内容のものです。言語を媒体と考える言語哲学を踏まえつつ、形象それ自体が媒体として捉えられていることを念頭に置きながら、「美しい仮象」の批判を経て、想起の媒体にして新たな歴史の場となる可能性へ向けて形象の概念を洗練させていくベンヤミンの思考を辿りました。
  • 3月20日:広島で開催された森元斎さんの著書『具体性の哲学──ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(以文社)の合評会で、「出来事の生成の哲学、あるいは生きられるアナキズム」と題する書評を発表しました。
  • 3月20日:広島市立大学広島平和研究所編『平和と安全保障を考える事典』(法律文化社)に、マルクス主義、国際共産主義運動、プロレタリア独裁、失地回復主義の項目を寄稿しました。
  • 3月26日:中央大学後楽園キャンパスにて開催された中央大学人文科学研究所の公開シンポジウム「ドイツでオペラをつくるということ──ハンブルク歌劇場での細川俊夫《海、静かな海》初演を振り返る」にパネリストとして参加し、「細川俊夫の作品に見る現代の芸術としてのオペラの可能性」と題する発表を行ないました。ベルリンでの《松風》、デュイスブルクでの《班女》、広島での《班女》および《リアの物語》というように、ドイツと広島で細川俊夫さんのオペラ作品の上演に接してきた経験を振り返りつつ、能の精神から現代のオペラの表現の地平を開拓してきた細川作品の特質に触れました。そのことを踏まえて、ハンブルクで初演された《海、静かな海》の細川さんのオペラ作品における位置をあらためて測り、その初演を振り返ることによって、東日本震災および原発事故後の現代に向き合うこの新たなオペラの特徴を現代の芸術としてのオペラの可能性へ向けて考察しました。
  • 4月1日:広島市立大学の学外長期研修制度にもとづくベルリンでの在外研究が始まりました。ベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授の下で「〈残余からの歴史〉の哲学的・美学的探究」という研究課題に取り組んでいます。主に、ベルリン自由大学の文献学図書館とヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフを利用しながら研究を進めています。前期中の卒業論文の指導「卒論演習I」は、Skypeをつうじて行ないました。
  • 4月10日:出版総合誌『出版ニュース』2016年4月上旬号の「書きたいテーマ・出したい本」コーナーに「残余からの歴史へ」と題する小文を寄稿しました。詩人パウル・ツェランが語った、破局を潜り抜けて最後に残った言葉を手引きに、破局の残余の記憶が星座のような布置を形成し、相互に照らし合わせるなかに、現在の危機が照らし出されるような残余からの歴史の理論的な構想を提示する内容のものです。
  • 4月23日:4月23日から6月5日まで横浜美術館にて開催された「複製技術と美術家たち──ピカソからウォーホルまで」展のカタログに、「切断からの像──ベンヤミンとクレーにおける破壊からの構成」という論考を寄稿させていただきました。ベンヤミンが先の「複製技術時代の芸術作品」をはじめとする著作で示している、完結した形象の破壊、技術の介入によるアウラの剝奪、時の流れの切断などをつうじて新たな像の構成へ向かう発想を、クレーがとくに第一次世界大戦中からその直後にかけての時期に集中的に示している、作品の切断による新たな像の造形と照らし合わせ、両者のモティーフの内的な類縁性と同時代性にあらためて光を当てようと試みるものです。
  • 5月6日:秋富克哉、安部浩、古荘真敬、 森一郎編『続・ハイデガー読本』(法政大学出版局)に、「ブロッホ、ローゼンツヴァイク、ベンヤミン──反転する時間、革命としての歴史」と題する論文を寄稿しました。これら三人のユダヤ系の思想家と、初期のハイデガーの時間論と歴史論を照らし合わせ、ユダヤ系の思想家たちが構想する「救済」と結びついた歴史の理論と、『存在と時間』の「歴史性」の概念に最初の結実を見ることになるハイデガーの歴史論との差異を見通す視座を探る内容のものです。
  • 5月19日/20日:4月6日から8月1日にかけてパリのポンピドゥー・センターで開催された大規模なパウル・クレー展「パウル・クレー──作品におけるイロニー」に関連して関連してGoethe-Institut Parisにて開かれた国際コロック「パウル・クレー──新たな視点」に参加しました。展覧会評と合わせたその報告記は、形象論研究会の雑誌『形象』第2号に掲載される予定です。
  • 6月27日:ベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウムにて、ヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学についての研究の初期の成果を「想起からの歴史──ベンヤミンの歴史哲学」と題して発表する講演を行ないました。
  • 7月27日:青土社の『現代思想』2016年8月号の特集「〈広島〉の思想──いくつもの戦後史」に、「そこに歴史はない──ベルリンからグラウンド・ゼロとしての広島を思う」と題する論文を寄稿しました。ベルリンと広島のアメリカを介した結びつきに、広島の被爆から現在も続く核の歴史の起源があることを確認したうえで、その歴史を担う人物としてのアメリカ合衆国大統領の来訪を迎えた広島の現在を、歴史的かつ批判的に考察する内容のものです。とくにそこにある「軍都」の記憶の抑圧と国家権力を正当化する物語への同一化が、沖縄の米軍基地の問題をはじめとする現在の歴史的な問題の忘却に結びついていることを指摘しました。そのうえで、一人ひとりの死者の許に踏みとどまるかたちで被爆の記憶を継承していくことのうちに、国家権力の道具となることなく、他者とともに歴史を生きる道筋があることを、残余からの歴史の概念の研究構想のかたちで示唆し、この歴史のグラウンド・ゼロとして広島を捉え返す思考の方向性を提示しました。
  • 8月16日〜19日:広島市立大学国際学部の専門科目「共生の哲学I」の集中講義を行ないました。
  • 8月30日〜9月8日:中國新聞文化面の「緑地帯」に、「ベルリン−ヒロシマ通信」と題する全8回のコラムを寄稿しました。ベルリンでの在外研究期間中に見聞きしたことを交えつつ、今も続く核の歴史に、記憶することをもってどのように向き合いうるか、その際に芸術がどのような力を発揮しうるか、といった問いをめぐる思考の一端を綴るものです。
  • 8月31日:原爆文学研究会の会誌『原爆文学研究』第15号に、能登原由美さんの著書『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社、2015年)の書評を寄稿しました。長年にわたり著者が取り組んできた「ヒロシマと音楽」委員会の調査活動の経験にもとづく楽曲分析と平和運動史を含んだ現代音楽史の叙述によって、「ヒロシマ」が鳴り響いてきた磁場を、政治的な力学を内包する場として、「ヒロシマ」の物語の陥穽も含めて浮き彫りにするものと本書を捉え、今後もつねに立ち返られるべき参照点と位置づける内容のものです。
  • 9月25日/26日:ヴァルター・ベンヤミンが1940年に自死を遂げたスペインのポルボウを調査に訪れました。それをつうじて得られたことはいずれ著書などに反映させたいと考えています。
  • 10月〜2月:広島市立大学国際学部の専門科目「専門演習II」と「卒論演習II」(卒論指導)を、Skypeをつうじて行なっています。「専門演習II」では、テオドーア・W・アドルノの『自律への教育』(原千史他訳、中央公論新社)を講読しています。
  • 10月2日:ハンブルク・ドイツ劇場で活躍されている俳優の原サチコさんがハノーファーで続けておられるHiroshima-Salon(ハノーファー州立劇場のCumberlandsche Galerieにて)のトーク・セッションに参加させていただき、今ここで原爆を記憶することの意義と課題、そしてギュンター・アンダースの思想について、少しお話させていただきました。
  • 10月20日/21日:ミュンヒェンのHaus der Kunstで開催されている„Postwar: Kunst zwischen Pazifik und Atlantik, 1945-1965“を観覧しました。この展覧会は、第二次世界大戦終結後の20年間の美術の展開ないし変貌を、Postwarという視点から、太平洋と大西洋の両方にまたがる世界的な視野を持って捉えようとする大規模なものです。そこに丸木位里、丸木俊の《原爆の図》から2点が出品されたことも含め、お伝えしていく予定です。
  • 11月26日:ひろしまオペラ・音楽推進委員会が主催したひろしまオペラルネッサンス2016年度公演《修道女アンジェリカ》、《ジャンニ・スキッキ》(11月26日/27日、JMSアステールプラザ大ホールにて)のプログラムに、「生がその全幅において肯定される場を開くオペラ──プッチーニの『三部作』に寄せて」と題するプログラム・ノートを寄稿しました。「三部作」の作曲に際してプッチーニがダンテの『神曲』を意識していたことを踏まえつつ、第一次世界大戦のさなかに書かれたこのオペラの独自性に迫ろうとする内容のものです。歌とハーモニーの美しさが際立つ《修道女アンジェリカ》とドラマの展開が特徴的な《ジャンニ・スキッキ》の魅力に触れつつ、「三部作」が、ダンテの作品とは異なったかたちで生がその全幅において掬い取られる場を開いていると指摘しました。
  • 11月29日:ベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウムで、「形象における歴史──ベンヤミンの歴史哲学における構成の理論」と題する論文をドイツ語に訳したものを発表する講演を行ないました。その日本語の原稿は、形象論研究会の会誌『形象』の第2号に掲載される予定です。
  • 12月12日:細川俊夫さんの対談書『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』が、拙訳にてアルテスパブリッシングから刊行されました。2012年にドイツで出版された細川俊夫さんと音楽学者ヴァルター゠ヴォルフガング・シュパーラーさんの対談書Toshio Hosokawa — Stille und Klang, Schatten und Licht: Gespräche mit Walter-Wolfgang Sparrer (Hofheim: Wolke, 2012) の日本語版です。現代を代表する作曲家細川俊夫さんがその半生とともに、創作と思索の軌跡を語った対談書ですが、細川さんの作曲活動の全体に見通しを与えながら、その音楽の核心にあるものを浮かび上がらせる、本格的な細川俊夫論でもあります。一書にまとまった評論としては世界初です。日本語版には、細川さん自身による新たな序文、豊富な写真や譜例の他、2016年前半までの年譜、作品目録、ディスコグラフィを収録しています。