他者と応え合う言葉のダイナミズムへ

■他者と応え合う言葉のダイナミズムへ:言葉をめぐるいくつかの個人的な事柄から

言語とは何だろうか。私が普段話したり書いたりしている言葉とは、いったい何なのだろうか。

このように問うことができるのは、おそらく私にとって言語が、ほかの人々ほどに自明のものではないからだろう。言語が何ひとつ自明のものとして与えられていないなかで、言葉をめぐって悲しみと喜びが交錯し続けている。短調のなかに長調を、また長調のなかに短調をふと響かせるシューベルトの音楽のように。

たしかに言葉を聴く、あるいは語る喜びも時折訪れる。しかし、最初にあるのはいつも言葉への悲しみである。まず、私には「私のもの」と言えるような言語がない。鹿児島に生まれた私は、そこで人々が話していた鹿児島訛りの日本語を受け容れることができなかった。私に「マッチョ」さを押しつけようとする当地の気風を嫌悪していたことも多分にあるのだろう。引きこもり気味だった幼い私は、そのかわりに活字となった、あるいはテレビやラジオから聞こえてくる言葉を覚えたのだった。そのことは後に東京へ出て来たとき、その言語環境に最初に馴染むのに多いに役に立ったし、また馴染んでいるらしいことにひそかに優越感を抱いたりもしたのだけれども、自分が覚えてきた言葉が実は東京の言葉でもないことに気づくのにさほど時間はかからなかった。私が話している言葉は、どこの言葉でもない。私はいかなる言語にも住んでいない。そのことは、広島に住み始めて四年目になる今でも何ひとつ変わらない。

私が話し、書く言葉、それはどこにも属さない。だが、その一つひとつは結局どこかからの借り物でしかない。みずからの住み処をもたなければ、真にオリジナルなものであることもない。このような私の、でも私のものではない言語の癒えることのない傷、これがおそらくは言葉への悲しみの源であり続けているのだろう。そのうえ借り物の継ぎはぎにすぎない私の言葉は、やはり他者に伝わらないことが多い。そのことは悲しみをさらに増幅させる。にもかかわらず、考えていることを言葉にしたい、という欲望は止むことがない。ジャック・デリダが述べていたように、ある意味で失語症だからこそ、私は新たに何かを語ろうとするのかもしれない。そして失語のなかから、瓦礫を継ぎ合わせるようにして語り出された言葉が伝わったのがわかる、つまり他者の言葉と響きあっているのが聴こえることの喜びは、やはり何ものにも代えがたいと言わなければならない。しかし、その喜びもやがて悲しみに変わる。他者は私の言葉を、私が望む響きで聴いてはいないし、そもそも私は望みどおりの響きなど一度も響かせることができていないのだ。

おそらくは、このような言葉をめぐる喜びと悲しみの交錯が今、私を言葉への問いへと駆り立てている。自分がけっしてなり代わることのできない他者とのあいだで語り交わされ、ときに他者の言葉と響きあい、またときに他者の言葉とぶつかり合う言語、それはいったい何なのだろう。言語というもののどのようなありかたにもとづいて、一つの言語が新たに世界のなかへ語り出されて、けっして同じ立場に立つことができないし、それゆえ同じ痛みを感ずることもできない他者と応え合うという、奇跡とも見える出来事が起きるのだろうか。そのような出来事をくぐり抜けてきた経験にもとづいて、今言語についてもし言えることがあるとすれば、それは、言語が根源的には、けっして同類たちのあいだの意思疎通の手段、すなわち「コミュニケーション・ツール」ではない、ということである。自分と深淵によって隔てられた他者とのあいだで言葉を交わし、響きあわせて理解し合うこともここで仮にコミュニケーションに含めるなら、言語はむしろコミュニケーションのための手段である以前に、その回路を最初に切り開くかたちでつねに新たに形づくられてくるのではないか。だからこそヴァルター・ベンヤミンは、言語は本質的に、一定の情報ではなく、コミュニケーションの可能性そのものを他者に伝える、とさえ述べているのではないだろうか。最初にあるのは、他者への呼びかけであり、それはすでにして他者がそこにいることに対する応答なのである。

そのように言語についての問題意識が深まるなか、私は越境する作家たちのことを知った。自分の「母語」を越える経験をしながら書き続ける作家たち、たとえば母語ではない日本語を創作の言語とするリービ英雄、あるいはドイツ語の歴史に参与しているという自負をもってドイツ語でも作品を発表し続けている多和田葉子。これらの作家たちは、自分が最初に身につけた言語を越えながら、さらにはすでにある「日本語」や「ドイツ語」をもつねに越えゆくかたちで、みずからの創作の言語を形づくっていよう。そしてそうしてつくられた言葉が読まれていることは、越境しながら生成を続ける言語こそが普遍的でありうることとともに、いかなる共通の地盤ももたない他者とのあいだで、「母語」を越えて言葉を交わしあうことの可能性を指し示しているはずである。

もちろん、これら二人の作家たち以前にも「母語」を越えて書き続けた文学者はいた。たとえば、今はウクライナのチェルノヴィッツでユダヤ系の家庭に生まれ、いくつもの言語を身につけながら、自分の家族をはじめ親しい人々を抹殺したドイツ人の言語であえて詩を書き続けた詩人パウル・ツェラン。「アウシュヴィッツの後で」の詩の不可能性と対峙しながら、口ごもりつつ、沈黙のなかへ消え入るわずかに手前のところで死者たちの沈黙と拮抗しようとするかのような彼の詩の言葉は、ドイツ語のなかにそれを見つめなおさせる異質な石の響きを紛れ込ませるとともに、ドイツ語で語る人々に、さらにはそれ以外の人々にも、言葉を語ることの可能性を、その不可能性とともに問い直させるきっかけを、今なおもたらし続けているのである。

こうしたツェランの詩の言葉の一つひとつは、沈黙のなかから響いてくる。そのことはまず、言葉というものがつねに沈黙のなかから、沈黙に抗するかたちで、しかも沈黙を陰翳としながら語り出されてくることを思い起こさせる。新たに何ごとかを語ろうとする者は、沈黙のなかで言葉を探らなければならない。そしてそれを沈黙のなかから響き出させるとき、一つの新しい言語が世界のうちに生成している。まさにこのことを、すでに自明のものとして与えられている特定の言語を道具として使いこなすことだけを見ながら言語について考える者は、見すごしているのである。何かを言葉にしようとするなかで、一つひとつの言語は、沈黙のなかから新たに形づくられてくる。しかも、そのとき言語は、ある自分が語ろうとする前に、言わばおのずと語り出されてくるのだ。

そのことを指してベンヤミンは、言語は「媒体」であると述べているのだろう。言語とは、根源的には情報伝達と意思疎通の「手段」ではない。そうした手段として機能する以前に言語は、自己へと沈潜しながら自己自身を新たに形づくり、他者へ向けて自己を打ち明ける媒体である。そして、そのような生成のなかでこそ、一つの言葉は、新たに何ごとかを言い表わす一つの表現のメディアでもありうるのだ。にもかかわらず、「日本人」なるもののアイデンティティの拠り所として、「正しい日本語」という実体があるかのように主張する言説が、「日本語ブーム」が去りつつある今でも後を絶たない。そのようにして一個の統一体として「日本語」を仮構することは、言語の生成の運動を圧殺し、それとともに言葉を話す自分自身を、権力による動員の対象ともなりうるような仕方である一つの、他者と応え合うことのないアイデンティティのうちに囲い込むことでしかないはずだ。むろん、そうする者にとっては、言葉もそれを語る自分も閉じ込められていたほうが「ふつう」で「安心」なのかもしれないけれども。

ところで、かつて「〈沈黙〉と測り合えるほどに強く少ない音」を追い求めていた作曲家武満徹は、そうした音の前に「充実した沈黙」がなければならないとも語っている。「充実した沈黙」、そのなかではけっして音声に解消できない他者の沈黙と、それを前にして言葉をいったん失いながらそれに耳を傾けることの沈黙とがせめぎ合っていることだろう。そのただなかから沈黙を破る言葉、それだけが、自分が今ここにいることを証明する。武満は、そのような言葉を、そして──ここで言語を、狭義の「言語」だけにかぎられないものと考えるなら──新しい音楽という彼の言語を、生涯にわたって追い求めていたのだろう。「沈黙に抗って発音するということは自分の存在を証すこと以外のなんでもない。沈黙の坑道から己れをつかみ出すことだけが〈歌〉と呼べよう」。そして、その歌のうちに武満という作曲家がいるとするなら、ほかならぬこの「自分」というものも、沈黙のなかから一つの言葉を語り出すことのうちにしかないのかもしれない。

私が今その思想と向きあっているベンヤミンは、沈黙のなかから沈黙に抗ってかたちづくられ、今ここの自分の存在を証明するかたちで語り出される「媒体」としての言語とは、本質的に「名」であるとも述べている。「名」、それは一般的な「名詞」ではない。彼が「名」ということで考えているのは、名づける行為であり、さらに言えば、ある何か、あるいは誰かそれ自身を命名しようとする言葉が生成してくる動き──その最も純粋なかたちは、ベンヤミンによれば神の創造と重なりあう──そのものである。例えば、ある誰かの名を呼ぶとき、私はまだいかなる情報も伝えていない。自分がけっして立つことのできないそこに他者がいることを肯定しながら、自分がここにいることだけを伝えようとしているのだ。そうして私は、未だ開かれていない、他者と応え合う回路を、他者とのあいだに開こうとしているのである。ベンヤミンが言語は本質的に「名」であると述べるとき、彼は、沈黙のなかから新たに語り出されてくる言葉が、自分とは異他なるものの存在を肯定し、それに応える自分を差し出すと同時に、自分とその異他なるもののあいだに一つの回路を新たに切り開こうとしているのを暗示しているのではないか。武満にとって一つの歌ですらあるような言葉の響きは、ここにいる自分とそこにいる他者のあいだを開くのではないだろうか。

さらにベンヤミンによれば、この地上において名づけるはたらきは、他者からの語りかけを受け容れ、聴き届けることをつうじてのみ発動する。しかも、その語りかけにはつねに、音声に解消できない異質さが、こちらの言葉を失わせるような沈黙が含まれているという。それを受けとめながら、一つの言葉を他者の言葉から聴き出すこと、それが今ここで、神からすれば一つの儚い被造物であるこの私が言葉を語ることの始まりにあるのだ。そして、そのことが一つの言語を生成させるのである。そして、このように受動的かつ能動的に他者に応答する言葉をかたちづくることを、ベンヤミンは「翻訳」と呼んでいる。二つの言語体系を前提するのではなく、一つの言語を発見しながら、それと異なったもう一つの言語を生成させるような翻訳、これが言葉を語ることの核心をなしているのだ。とすれば、この翻訳は、他者と応え合う言葉として生成する言語のダイナミズムの原動力とも言えよう。言語それ自体を彼のいう意味での翻訳の活動として見つめなおすなら、私が普段話し、書いている言葉を、深淵によって隔てられた他者とのあいだで他者の言葉と応え合い、響き合い、ときにぶつかり合いながら生成を続けるものとして捉え返すことができるのでは、と現時点では考えている。

もちろん、そうした他者とのあいだで発動する言語のダイナミズムは、それぞれの言語が共同体の「母語」ないし「国語」の体系として整備され、同類のあいだの「コミュニケーション・ツール」として対立しあうバベル以後の、そしてとりわけ近代以降の世界では覆い隠されていよう。しかし、ベンヤミンによれば、このバベル以後の世界の内部でも、他者の言葉の異質さに直面するとき、すなわち他者がまさに「他」であることが突きつけられるときに、自分の「母語」を突き抜けてでも他者の言葉の異質さに開かれるなら、そうして他者の言葉をもう一つの言葉で聴き届けるなら、「媒体」としての言語のダイナミズムを再び活性化させることができる。つまり、自分がすでに身につけた一つの言語に揺さぶりをかけながら自分の言葉を他者に応答する言葉として見いだすような翻訳の実践をつうじて、もう一つの言語が生成するのである。

とはいえ、そのように言語を再生させようとするときにも、私は借り物の言葉を語るほかはない。私は言語を無から創造することはできない。とりわけ狭義の言語を語るとき、私は世界のうちに散らばっている、他者たちがすでに語った言葉たちを拾い集めてくるほかはない。そうして借り物を継ぎ合わせることは、たしかに先に触れたような悲しみをもたらす。私の言葉は、私の望む響きから遠ざかってゆくし、それとともに不透明な物質性を帯びた言葉は、いかようにも読みうる書きもののように他者の前に差し出されるのだ。そのことを前にして私は言い淀んでしまう。だが、私は借り物の言葉しか語ることができないのだ。とすれば、世界のなかで言語が書きものの物質性を帯びるほかはないことを、どのように引き受けることができるのだろう。あるいはそのことを、言葉の身体性としてどのように生かすことができるのだろうか。私は今こうした問題に取り組もうとしている。

言語とは何だろうか。私がふだん話したり書いたりしている言葉とは、いったい何なのだろうか。最初に掲げたこの問いを、私は、私が今ここで、そこにいる他者とのあいだで言葉を語り交わす可能性へ向けて問いかけようとしている。私は、言語そのものを問うことをつうじて、沈黙のなかから他者と応え合う言葉として生成するダイナミズムにおいて言語をとらえかえそうとする思考の歩みを──しばしば立ち止まりながら──進めつつあるところなのである。

[2005年7月11日]

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中