仲程昌徳『原民喜ノート』

本書は原民喜の作品を、戦前の作品から最晩年の作品まで読み抜き、原則として作家自身によって編まれた作品集ごとに、書簡や同時代の批評などを駆使しつつ論じた、優れて体系的な原民喜論──その註は、今なお参照されるべき文献への回路として貴重と思われる──であると同時に、幼年期から取り憑いたとも言える死の想念と、作家がいかに対峙したかを掘り下げることによって、原民喜の書く経験の核心に迫った書物でもある。

少年期までに父親や、理解者だった姉をはじめとする肉親を幾人も亡くし、言わば死者に取り囲まれて生きていた原を襲った最大の衝撃は、つとに知られているように妻貞恵の死であったわけだが、それは彼にとって、哲学者ジャンケレヴィッチが近しい他人の死について述べているように、ほとんど自分自身の死であった。まさに「自分の臨終を見とどけたやうなもの」なのである。以後彼は、妻の死後に書き残すべき「悲しい美しい一冊の詩集」へ向けて、すなわち自分自身の最期へ向けて、死の想念を研ぎ澄ませていく。著者はその道筋を、丹念に辿っている。原にとって死が「透明な球体」と化すに至るまで。

その一方で、彼は疎開した広島で、もう一つの死に向き合わせられている。原子爆弾の犠牲者たちの死ぬことのできない死である。人が死を死ぬことすらできずに、物としての姿を剝き出しにせざるをえない現実の愚劣さに対する「やりきれない憤り」を、「夏の花」の原は隠さないわけだが、その「憤り」が語り手と兵士を、彼が「兵士」であることを越えて「無言で結びつけてゐるやうであった」と語られる一節──言論統制下で公刊された際に削除された一節──を、著者は「夏の花」の頂点であるとともに、この作品の特異性を印づけるものと見ている。本書において著者が、この特異な作品を構成する原の方法論を、明確に見通している点は、非常に示唆的である。

さて、この「夏の花」に結晶する原の被爆の経験の後の彼の詩作の基調となるのは、著者によれば、「鎮魂歌」に見られるように、無数の死者の「嘆きに堪へよ」というモティーフであるが、それは死者の「幻」とともに響く嘆きと言葉を共振させることによって、この「鎮魂歌」に見られるような、これも独特な散文詩の形式を産むことであるとともに、戦前の作品に散見されると著者が見ている「ふと」という言葉に象徴される経験を潜り抜けることでもあるのかもしれない。死者の幻影に、その死の想念に「ふと」捕らえられる──そのことはプルーストが『失われた時を求めて』を紡ぎ出した無意志的記憶とも通底していよう──まっただなかから、幻影を、想念を研ぎ澄ませること。それが原の書く経験を形づくっているとすれば、その経験を今どのように捉え返すことができるのか。

本書は、原の作家活動への見通しを示しながら、こうした問いの前に立たせるものであった。今原民喜を読み直すために、あらためて参照されるべき優れた研究書である。さらに、著者がテニアン島に生まれ、琉球大学に学んでいることを省みるならば、本書は、沖縄からの広島への眼差し──このこれまで応えられることのなかった眼差し──でもあると考えられる。

[勁草書房、1983年]

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