解き放たれた色を求めて

■解き放たれた色を求めて:「ドイツ表現主義の芸術」展におけるノルデとカンディンスキー

色とは、つねにある何かの色だろうか。ある事物がそのときの光の受け具合などによって帯びる一つの性質なのだろうか。いや、色そのものはむしろ形態からの離脱において初めて出現するのではないか。もしかすると、人間の認識が捉えた事物の輪郭から解放される瞬間にこそ、一つの色は、その色自体の光彩を帯びて立ち現われてくるのかもしれない。カンディンスキーの試みが代表するように、現実とされてきた具象的な形態から解放されることを目指した二十世紀の絵画が見せる色彩は時に、色そのものをめぐるこのような考えを誘う。

もはや何の色でもない色、その誕生の瞬間を捉えているかに見えるのが、ドイツ表現主義を代表する画家とされるエミール・ノルデの描く「花と雲」 (»Blumen und Wolken«, 1933) である。そこでは、ヒナゲシのような赤い花の赤も、スイセンの花の黄色も、画面の左端に揺れる無数の青い花──ヒヤシンスだろうか──の青も、花の形態を逸脱しながら、それぞれの色自体の輝きを放とうとしている。北方の暗い空を流れる雲のどこまでも崩れゆく動きに誘われるかのようにして。

このように、人間が見て取る形態が崩壊する瞬間に誕生する色彩は、ノルデにとって、人間の認識を逃れゆく真に自然であるものの蘇生を告げるものなのかもしれない。「花と雲」の二十年ほど前に描かれた「秋の海」連作の一枚 (»Herbstmeer IX«, um 1910) に見られる、沈んだ、あるいは昇ろうとする太陽が北の海の暗い水面に残した、揺らめく赤い光もまた、人間がけっして飼い馴らすことのできない自然の胎動を暗示するかのようだ。北ドイツの寒村に生まれ、この故郷を愛したノルデ──この画名「ノルデ」は故郷の村の名である──は、そのような自然にどこかで通じていたのだろう。そして彼はこの自然を、形態の崩壊する瞬間に輝き出る色において延らせようとしていたのではないか。ノルデのいくつかの絵を見るとき、彼はこの、もう何の色でもない色を、真に自然であるものの場として追い求め続けているように思われるのだ。このような自然の象徴としての色彩の追求は、ノルデより25歳年下のヴァルター・ベンヤミンが第一次世界大戦中に残した色についての省察を思い起こさせるものでもある。

色というものは、何かに付随して美しく現われるのではなく、それ自体として美しいと若きベンヤミンは述べている。そして彼によると、色そのものの美は、色が「彩りを帯びてみずからを差しだす」ところにある。とはいえ「色は見られなければならない」。みずから立ち現われてくる色とその美も、人間がそれを見届けるところのほかには存在しないのである。では、そのような色を見るとはどういうことなのか。ノルデによる色彩の追求は、そのまま色とその美を見ることの探究でもあったはずである。それが彼に事物の形態の崩壊を画面に描き込ませたのではないか。形態の崩壊とは同時に、認識という仕方で見ることの瓦解である。ノルデは、それを潜り抜けることで、所有し、支配することのできない自然の場を、見ることのうちに切り開こうとしたのではないか。ここで見るとは、描くことであり、それはまた認識の輪郭から色を解放することにほかならない。

ところで、解き放たれた色において現われる、所有するまなざしを逃れゆく自然が、人間の身体にも宿っていることもノルデは見て取っていた。「女と男」 (»Weib und Mann I«, 1919) と題された一枚の絵では、燃え立つような赤い髪の女が右腕を自分の首に絡ませて、傍らで女の裸体を淀んだ眼で眺める男のほうへぐっと身体を寄せながら、絵を見る者にも、その乳房と腹部を挑むように突き出している。見せることによってその猛々しさを露わにする肉体、それは「女性美」のかたちを歪め、その輪郭をはみ出してゆく。そのような自然さを、皮肉なことに「女と男」の関係のうちに浮かび上がらせるのも、ノルデの色彩の蠢きなのである。

こうしたノルデの絵に出会ったのは、大阪のサントリーミュージアム天保山で開かれた「ドイツ表現主義の芸術展」においてであった。この展覧会は、キルヒナーをはじめとする芸術家集団ブリュッケの画家たちと、ワシリー・カンディンスキーとフランツ・マルクを中心とする「青騎士」誌に集った画家たちの作品を軸に、ドイツ表現主義の絵画を展望するものだったけれども、そのなかでノルデのいくつかの絵とならんで色彩の力を見せつけていたのは、やはりカンディンスキーの諸作品である。とりわけ「万聖節」 (»Allerheiligen I«, 1911) と題された一枚においては、最後の審判のそれを思わせる黄色のラッパに呼び覚まされるようにして具象的な形態を逸脱しながら沸き立ち、あたかも画面から飛び出してくるかのような色彩の交響が、終末論的なヴィジョンを呈示している。聖人たちの霊魂が甦り、集う万聖節、それをカンディンスキーは、すべての生命が甦る日と捉えているのだろう。そして、事物の輪郭から解き放たれた色はここで、生命の復活を、その動きを象徴するものとなっているように見える。その運動は、「万聖節」の画面のなかでは重力からも解放されて渦巻いている。とはいえ、そこにあるのは単なるカオスではない。画面はあくまでひとつのヴィジョンヘ向けて、あらゆる生命の復活のヴィジョンへ向けて構成されていると言える。この構成は、マレーヴイチら同時代の構成主義者たちの幾何学的構成、認識という仕方で見ることを要求する構成からは遠く隔たったものである。カンディンスキーの構成はむしろ、聴くことへいざなう。それはやはり、たんに見えるだけの現実から解き放たれたさまざまな色の響きあいを産み出すような「コンポジション」、ひとつの作曲ではないだろうか。「万聖節」を前にしても、天使のラッパの音楽とともに、三和音の秩序から解放された音楽の響きが沸き立つのを、色彩の動きから聴き取らずにはいられない。そして、色彩のこの無調の響きこそがここで生命の復活を象徴しているのかもしれない。

この「万聖節」に見られるようなカンディンスキーの終末論的なヴィジョンとは、展覧会カタログの解説によると、科学主義的で物質主義的な西欧近代の崩壊と、それを超えたところにある新たな時代の到来とを暗示するものである。そして画面には、こうした新時代への期待がみなぎっているという。アフリカのものと思われる木の鉢とそれに盛られた果物を描いたり (»Holzschale«, 1910) 、水浴する女の裸体を描いたり (»Drei Badende am Meer«, 1912/20) するときキルヒナーの力強い筆致もまた、そうした期待に満ちていよう。一定の遠近法のもと、自然の事物を一つの輪郭のなかに押し込め、数量化して支配する、科学主義的な認識が人間をも支配するような社会構造に息苦しさを感じていた画家たちは、そうした支配としての認識が抑圧してきた根源的な自然を、その生命を、新しい芸術のうちに甦らせることが、新しい時代の到来につながってゆくことを予感していたのかもしれない。そして、とりわけノルデと抽象画へ向かおうとするカンディンスキーにおいて、この根源的なものの救済の場とされたのは、人間によって見られた具象的形態から解き放たれた色彩であったと考えられる。彼らにとっては、色の輪郭を逸脱する動きこそが、生命の復活を象徴するものだったのではないか。もしかすると、パウル・クレーがチュニジアへの旅で発見した色彩もまた、そのような解き放たれた色だったのかもしれない。

カンディンスキーは、このような根源的な生命の復活を象徴するような色彩は、徹底的な画面の構成を通じてのみ響き出てくると考えていた。彼は、人為的なもののうちにしか自然がありえないという逆説に耐え抜こうとしたのだ。おそらくこの点が彼を、ロマン主義的に理想化された原始的なものを直接的に描こうとしたブリュッケの画家たちから、あるいはマルクをはじめ、第一次世界大戦に社会構造の全面的な変革の可能性を見て、みずから戦地に赴いて斃れた画家たちから区別しているのだろう。従軍によって心身に傷を負った自分を措くキルヒナーの「夜の病人」 (»Kranker in der Nacht«, 1920/22) は、あまりにも直接的だった表現主義の挫折を告げているようにも見える。しかし、表現主義の運動のなかで続けられていた色彩の追求、解き放たれた色の追求は、彼のカンディンスキーによって、あるいはクレーによって、新たな仕方で引き継がれることになるだろう。その可能性は未だ汲み尽くされてはいない。

[2003年1月11日/サントリーミュージアム天保山]

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中