陳光興『脱帝国──方法としてのアジア』

台湾出身のカルチュラル・スタディーズの泰斗としてつとに国際的に活躍してきた著者が本書において目指すのは、「帝国」をグローバリゼーションの進展する現在の問題として捉えながら、この「帝国」の支配を脱し、何ものにも支配されない自立した、また自由な生の余地を、他者との連帯のうちに切り開くための積極的な理念を提示することである。それを表わす旗印が、本書の表題ともなっている「脱帝国」にほかならない。

帝国を脱すること、それは著者によれば、何よりもまずみずからの内なる帝国を脱することであり、さらにそれはアジアという場を構想しながらそこへ打って出るような越境的な知的生産によって、生きる主体を多元化することでもある。つまり、一種の国民性のうちに自己閉塞した主体性では断じてなく、複数の参照軸をもち、他者との連帯のうちに生きる主体性のうちに、「脱帝国」後の自由の余地を探るような、新たな知の場をアジアに切り開くことへの力強い呼びかけが本書にはある。

その呼びかけを説得的にするための著者の分析も見逃せない。分析の俎上に載せられるのは、台湾の「内なる帝国」を体現する組織とも言うべき「51クラブ」である。台湾をアメリカ合州国の51番目の州に組み入れ、合州国の帝国主義的な世界戦略に積極的に参画することを主張するこの組織は、かつての「日本帝国」の支配を深く内面化しながら、第二次世界大戦後の帝国の支配の一翼を担おうという、酒井直樹が『希望と憲法』などで語る「体制翼賛的少数者」の心性を露骨に示すものにほかならない。著者によれば、その心性とは、日本という帝国の支配を内面に引きずりながら、知の次元でも社会構造の次元でも「反共」のシンボルとしての「アメリカ」を模範にしてきた戦後の歴史のなかで培われ、今や台湾人の──あるいは同時に日本人の──主体性を構成するに至っているものである。しかも、この心性に巣喰う帝国の亡霊は、その批判者をも侵食しているという。植民地主義の批判さえも、英語のヘゲモニーの下、植民者の知の枠組みに取り込まれて、植民者の論理でその植民地主義を批判することに閉塞してしまっているのだ。

では、こうしたやりきれない状況を含めて、「脱亜入米」をいかに乗り越えるのか。この問いに答えうる知の方向性を示すのが、「方法としてのアジア」にほかならない。それは「アジア」を一つの多元的な拠点として歴史的に、つまり「帝国」の歴史を多元的な参照軸をもって捉え返すことによって、戦略的かつ積極的に構想しながら、連帯の場としてのアジアの独立と統合を同時に目指す知的生産への呼びかけである。著者によれば、このように「方法」として「アジア」を目指す知的活動は、脱構築的な反本質主義のうちに自足すること──それは、日本の歴史修正主義者の一部にも見られるように、虚構の物語としての神話に居直る道を開きかねないという──もないし、「帝国」に関する一部の議論の非歴史性──この点でネグリとハートの『帝国』が批判の対象となる──に陥ることもない。それはむしろ「帝国」の歴史を多元的に再文脈化することによって「西洋」を断片化し、その支配を脱していくだろう。

こうして、「西洋」の影の下での新自由主義的なグローバリゼーションを越えたところに新たな地域統合の理念を提示するのだ。しかもその契機は、グローバル化が進む今ここにあるという。「もし地域統合が同時に知識生産の次元で進行しなければならないのであれば、東アジアの知識人はまた目下の知識状況の構造的限界を乗り越え、地域的な思想連帯を形成しなければならない。私個人は思うに、目下形成されている連帯の契機は、まさに新自由主義的グローバル化が東アジアの知識生産において大きな力となって作用している中にある。そういうことで我々は、今この知的状況を媒介として、それへの抵抗の中で連合を生み出し、地域的なオルタナティヴな知識生産の空間を形成することができるはずだ。この狂った流れに直面している時、批判を志す知識人はこれを座視すべきではない。積極的に今ここのプレッシャーと困難に直面しつつ、実際的にオルタナティヴな実践の可能性を探ることである」。

現在の「狂った」グローバル化の「流れ」をも契機とするしたたかで肯定的な知的実践への呼びかけは、さらにアジアからの世界平和をも構想している。それに応えるとはまず、アジアに生きる一人ひとりの内なる「アメリカ」、内なる「帝国」を、来たるべきアジアへ向けて歴史的に、かつ多元的に捉え返して、自分自身をアジアの人々との連帯へ開くことなのかもしれない。来たるべきアジアを「帝国」を越えたところに構想する、歴史性をもった知的実践の可能性を力強く提示する一冊である。

[丸川哲史訳、以文社、2011年]

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