ベルリンにおける細川俊夫の「開花の時」

■サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会

[2011年2月12日/フィルハーモニー]

花を見ることは、現に咲いている花の目に見える美しさを愛でることに終わりがちである。つまり、見る者に安らぎをもたらすような花の形態や色彩にのみ心を奪われてしまい、花が一つの生命の活動を表現していることを忘れてしまうのだ。しかし、一つひとつかけがえのない生命の営みを思う視点に立つならば、一輪の花が開くことは、無数の力の場とも言うべき宇宙のなかで行なわれる、緊張に満ちた運動にほかならない。自然界の葛藤のただなかからこそ、一輪の花は立ち現われ、唯一無二の生命をしばし輝かせるのである。

このような一輪の花の開花の運動を、けっして外から分割されえない「時」の持続において響かせようとしたのが、細川俊夫の新作「開花の時(Moment of Blooming)」なのかもしれない。この作品は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、アムステルダム・コンセルトヘボウ、そしてロンドンのバービカン・センターの共同委嘱作品として書かれ、ベルリン・フィルの首席ホルン奏者シュテファン・ドールに捧げられている。2011年2月10日から12日にかけてサイモン・ラトルの指揮により行なわれたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会で、この新しいホルン協奏曲は世界初演の「時」を迎えた。その三日目に立ち会うことができた。

ホルン協奏曲「開花の時」は、独奏ホルンに二管編成のオーケストラ、それに客席上方に配された二本のホルン、それぞれ一本のトランペット、トロンボーンのために書かれている。作曲者自身が初演に寄せたコメントによれば、独奏ホルンは一輪の蓮の花を具現し、金管楽器の響きによってぐるりと囲まれることになるホールは、全体としてその蓮の花が咲く一つの池をなすのだが、実際演奏は、ひっそりとした池のある風景を思い起こさせる密やかな、それでいて瑞々しい静けさとともに始まった。響きと一つになりたくなるような魅惑的なピアニッシモである。そのなかに、日の光を受けて水面が煌めくのを思わせる鈴の音が響き、生命の息吹が通い始める。その息吹を管楽器奏者の息の音が表現しているわけだが、そのなかから独奏ホルンの音がすっと立ち現われてくる。蓮の生命の営みが始まるのだ。

独奏を担当したシュテファン・ドールは、ホルンという楽器の幅広い表現力を存分に生かして、蓮の茎や葉が、そして蕾が水底の土壌から伸びてくる運動を実に雄弁に表現していた。ただし、一つの池のなかでそのようにして生きる蓮は一本ではありえない。一輪の蓮の花が開こうとするとき、もういくつもの蓮が生い育ちつつある。あたかも一つの生命に呼応するかのように。そのありさまを、客席に配された二本のホルンが、独奏のエコーを響かせるように表現するわけだが、それがまさに蓮の命が通い合うかのように、よく溶け合った音色で響いたのには驚かされた。オーケストラのなかの緊密なアンサンブルが、フィルハーモニーの広大な空間で生きている。

蓮の茎と葉が土壌のカオスから──作曲者のコメントに、「泥土の混沌なしに花が天空をさして咲くことはけっしてありえないはずだ」という印象的な言葉があった──もがき出てくるのに、さまざまな生命が呼応し、音楽が高まっていくが、池という生命の営まれる場にあるのは、調和ばかりではない。弦楽器の不吉なコル・レーニョが嵐の訪れを告げ、やがて猛烈な強風が、今にも咲きそうな蓮に吹きつける。そして池を囲む山から吹き下ろすかのような全オーケストラの下降音型に抗して、何とか頭を持ち上げて立とうとする蓮を表現する独奏ホルンとの葛藤が繰り広げられるのだ。

それが頂点に達すると、時の流れが断ち切られたかのように、静寂が訪れる。そして、充実した、垂直的な高さをもった静けさが空間を満たすなか、独奏ホルンが柔らかに響く。そのときあたかも、蓮が茎を天空へ向けてすっくと伸ばしながら、今まさに己の花を咲かせようとする瞬間が、音となって響いているかのようだった。この作品の白眉とも言うべき「開花の時」である。その開花を優しく包むように音楽がしばし高まった後、静かに曲が閉じられると、一輪の花としてみずからを輝かせるに至る生命への共感に、会場全体が包まれたように見えた。

ところで、細川俊夫はそのような蓮の生命の営みに、人間の生の営みを重ね合わせているようでもある。その生命も自己自身を表現する。そして、世阿弥の『風姿花伝』が示すように、その表現はしばしば花になぞらえられるのだ。この花としての表現が、泥土のなかからもがき出ることを、また激しい嵐のなかでも矜恃を保って初めてみずからを輝かせられることを、蓮の花をモティーフとしたこのホルン協奏曲は暗示しているのかもしれない。その矜恃とは、作曲家としての細川にとっては、自然と人間の今は失われた照応関係を、音楽のうちに求めようとする姿勢にほかならない。それを貫き、自然と一つになろうとする人間の祈り──細川によると、蓮の蕾は祈る人間の手に似ている──を音楽にする独自の語法──まさにアドルノの言うミメーシスを表現する音楽独自の語法である──を細川が完全に花開かせつつあることを、新作「開花の時」は示していよう。そのような作品が、ベルリンの聴衆に温かく受け容れられたことを、まずは心から喜びたい。

ちなみに、この優れて自己言及的な作品は、一つの約束が29年遅れで果たされたことを示すものでもある。1982年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団創立百周年を記念する作曲コンクールに、細川は「プレリューディオ」で優勝したが、そのとき優勝者に与えられるはずだった委嘱作品の仕事は、複雑な事情で結局与えられずじまいだったのだ。奇妙なことに、ベルリンのジャーナリズムは、そのことに何ら言及していないようである。

さて、細川俊夫の新作に先立っては、ハイドンの交響曲第99番変ホ長調が演奏された。力強いながらも、柔らかさと軽やかさをけっして失わない冒頭の和音が、演奏の基調を決定していたように思われる。時に大胆なアゴーギグも見せる闊達な演奏のなかに、洗練されたユーモアがきらりと光る。ピリオド楽器演奏に影響されたと思われる、引き締まったリズムの推進力も心地よい。ことに非常に速いテンポによるメヌエットでそれが生きていた。それと対照的に、緩徐楽章では柔らかに包み込むような歌が魅力的であった。両端楽章の高揚も特筆に値する。ラトルが、ベルリン・フィルの合奏能力を生かす仕方でハイドンを自家薬籠中のものにしていることを示す、見事な演奏だった。

休憩を挟んで演奏されたのは、シューベルトの交響曲第8番ハ長調。冒頭のホルンのモティーフからして、繊細なニュアンスを加えながらも、けっして停滞することなく前へ前へ進んでいく。そのアラ・ブレーヴェのテンポが、最初の楽章のコーダで冒頭のモティーフが回帰する際に非常に自然なかたちで生きて、けっして居丈高になることのないアーチ状の曲の構造を完成させたのには、思わず頷かされた。また、楽章の主部では、とくに付点音符のリズムの無数の反復を単調にしないための──とくに弓遣いの──工夫が随所に凝らされていたのも興味深い。素晴らしかったのは、それが細部への拘泥に終わることなく、オーケストラ全体の大きな息遣いと結びついていたことである。マクロな流れとミクロな表現が見事に結びついた第一楽章の演奏だった。

続くアンダンテでも自然な音楽の流れはけっして停滞しない。引き締まったリズムが刻まれるなか、美しい歌が次々と流れていく。木管楽器、とくにオーボエの旋律が美しく歌われたことは嬉しかった。弦楽器の歌も実にふくよかである。それらが折り重なって、緊迫感に満ちたクライマックスが築かれた後、十分な間を置いてチェロの旋律が導かれたのも好ましい。ただ、全体的にもう少し寂寥感があれば、音楽の奥行きが生まれたのではないだろうか。

スケルツォは、ともすればリズムが単調になりがちであるが、ラトルは間の取り方やアクセントの配分を工夫して、湧き立つようなリズムの奔流を明快に表現していた。フィナーレは、音楽する喜びを前面に打ち出した演奏。目を見張るような輝かしい響きが、前へ前へと運ばれ、若いベルリン・フィルの推進力に眼を見張る思いだった。そのようななかでも、歌の流麗さとリズムの明快さが失われないのは、実に見事である。さらに、第二主題の伴奏のリズムがうるさくならないよう、ピアノの箇所を、弦楽器の各セクションの半数の奏者に弾かせる工夫も見られた。生命の力強さに満ちた、それでいてニュアンスの失われることのないコーダの表現も特筆に値しよう。

今回のシューベルトの演奏は、ラトルがベルリン・フィルのメンバーとともにこれから作り上げる音楽の姿を、さらにはその方向性を示すものかもしれない。とくに若い奏者の新鮮なアイディアを取り入れながら、輝かしく、力強いながらも、けっして流麗さと明快さを失うことのない、そして停滞することのない音楽を、音楽する喜びをもって表現すること。それがどのようなベルリン・フィルの歴史を築くのか、どのように聴衆に受け容れられていくのか、あるいは批判に晒されるのか、これからも注視していきたい。

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