細川俊夫『松風』ベルリン公演

[2011年7月16日/ベルリン国立歌劇場(シラー劇場)]

「松風」は、世阿弥が書いた能の名作の一つとして知られている。春の季節曲である「熊野」と並ぶ秋の季節曲として人気があり、能の愛好家はこの二曲を米の飯のように飽かず見るという。ちなみに「松風」のあらすじは、須磨の浦を満月の夜に訪れた旅の僧の前に、ともに在原行平を愛した松風と村雨の霊が現われ、行平への断ちがたい恋慕を舞い謡った後、村雨の露と松風のなかへ消え去っていくというもの。そのような「松風」をオペラへ翻案したのが、細川俊夫の新作『松風』である。ベルリン国立歌劇場で行なわれたそのベルリン初演の中日に立ち会うことができた。夢幻能において表現されるのは、過去が浸透した時間とひとまず言えようが、そのような時間が、今回の公演では緊張感に満ちた音楽と多彩な身体表現をもって説得的に表現されていた。とりわけ、死者と生者が共存する時間が自然の風景のなかにあることが強調されていたことが、『松風』の世界を豊かにしていたように思われる。なお本作品は、5月初旬にブリュッセルのモネ劇場で世界初演された後、すでにワルシャワとルクセンブルクで上演されている。

サンプリングされた波打ち際の水音が静かに響き始めると、ダンサーたちが舞台に現われ、須磨の浦における生の営みを、細かな身振りで表現する。能の舞台においては、作品の情景がワキの様式化された身振りで表現されるのだが、ここでの情景の表現は、能とはまた違った様式の洗練を示すと同時に、きわめて表情豊かである。海鳥が飛び回る中に立つ松の木が海風に揺られるさまをも描こうとするかのようであった。やがて音楽が静かに鳴り始めるが、それは最初からただならぬ緊張感を湛えるとともに、妖しいまでに豊かに響く。能における鼓のように時折打ち込まれる打楽器の音は、波の音のようであり、また自然の風景の底知れぬ深さを垣間見せるかのようでもあった。指揮者のパブロ・ヘラス=カサドが細川の音楽をしっかりと把握していることが、最初の数分ではっきりと感じ取られる。ベルリン国立歌劇場のオーケストラも、彼の指揮に、終始確信に満ちた響きで応えていた。やや惜しまれるのは、スピーカーから響く水音が少し耳についたこと。これは、もう少し小さくても、あるいはなくても良かったかもしれない。深い沈黙から「松風」の風景が、楽器が奏でる音楽とともに立ち上がってくるのを聴きたかった。

しばらくすると、闇のなかから旅の僧侶が静かに現われる。それにダンサーが細かな動きで付きまとうが、そのさまは、僧侶の肌に触れる、湿り気を帯びた潮風を表わしているようにも見えた。僧侶は古い松の木に目を留め、その謂われを漁師に尋ねる。そして、漁師から在原行平への恋慕のうちに死んだ姉妹のことを聞き、念仏を捧げるまでの、低い、抑制された声での対話は、テクストの凝縮度も相まって、舞台を引き締めていた。若手の作家であるハンナ・デュブゲンが「松風」の謡曲を翻案したドイツ語のテクストは、非常に簡潔でありながらきわめて詩的なニュアンスに富んでおり、部分的には韻を踏んでもいる。全体的に能の「松風」の世界のエッセンスをドイツ語による舞台のうちに発現させることを可能にする翻案だったと感じられた。舞台上のコーラスが密やかに鳴らす鈴の音は、舞台上に潮風のそよぐ空間が開かれていることと、そこが祈りの空間でもあることとを、一つながらに示していた。僧を歌ったフローデ・オルセンの声は、引き締まった、威厳のある声で、作品に相応しく感じられる。

僧が須磨の浦に着いたのはすでに夕刻で、漁師と別れた後、時を置かずして日が落ちて、夜の帳が下りるわけだが、それが今回の演出では、一人のダンサーが、無数の黒い糸によって織りなされた網のような壁を少しずつ手前に引いてくることによって表現されていた。深沈とした音楽に乗って、夜闇がだんだんと迫ってくる。そしてその奥からは、謡曲でも歌われるとおり、満月が顔をのぞかせている。こうして夜の風景が、過去が浸透した境界域として、すなわち死者たちの魂が回帰する場として開かれてくるさまは、今回の演出において最も魅力的であった。黒い網のような闇が舞台前景に達してしばらくすると、上方から松風と村雨の魂が下りてくる。その際二人は、現世への妄執によってみずからの魂がいつまでも静まらないことを歌うのだが、その二重唱の美しさは、この作品の白眉とも言えよう。夜の闇が網のようであるのは、彼女たちの魂が現世に絡め取られていることを表わしているのかもしれない。そのような魂の奥底から発せられる悲痛な叫びが、聴く者の肺腑をぐっと掴むような緊張感を湛えながら、それでいて妖艶でもある魅力的な音楽に昇華されていた。プログラムに掲載されていたインタヴューのなかで細川は、松風と村雨を一つの人格の二つの面のように表現したいと語っていたが、松風を歌ったバーバラ・ハニガンと、村雨を歌ったシャルロッテ・ヘレカントの二人は、この言葉に違わない緊密なアンサンブルを最後まで繰り広げていた。一本筋が通っていながらつややかさを失わない二人の声は、非常に作品に相応しいと思われたが、それ以上にサッシャ・ヴァルツの演出によって、かなり激しいダンスが要求されるなかで、高度な音楽性を保ちえていたことに瞠目させられた。

やがて、夢のなかに目覚めた僧と、行平への恋慕に取り憑かれた二人の死者の魂が、対話を繰り広げる。「旅人は袂涼しくなりにけり関吹き越ゆる須磨の浦風」はじめ、行平が須磨に残した歌が引かれながら、行平と二人が過ごした日々が思い出されてくるにつれ、恋慕の情はますます高まる。現世への妄執にますます取り憑かれていくのだ。それはついに行平が残した烏帽子と狩衣をかき抱き、砂浜の松に行平の姿を認める、僧の言う「狂気」にまで高まる。そのことが、行平の歌と共鳴し、また須磨の自然の風景とも共振し合っていることを、細川の音楽は、無駄のない音楽で描き出していたのではないだろうか。僧、松風、村雨の対話が徐々に緊迫の度を増していくあたりは、このオペラの音楽のクライマックスをなしていたように思われる。その後、僧が招じ入れられた塩汲みの小屋──その骨組みだけが舞台に置かれる──の一室で、行平の狩衣を着けたと見られる男性のダンサーを相手に、松風の狂おしい妄執が舞われるのだが、その踊りはやや過度に様式化されていて、細川の音楽の強度と釣り合っていないように感じられた。もっと狂おしい舞があるべきではなかっただろうか。全体的に、女性のダンサーたちの動きは、二人の魂の感情や、その不可視の身体性などを増幅させているようで効果的に思われたが、男性のダンサーの存在は、少し目障りに感じられる場面が多かった。

松風と村雨の忘我の踊りの後、まさに明け方の村雨のように、松葉に見立てた無数の細い棒が舞台上に投げ込まれ、夜明けが近いことを告げる。僧は舞台上に目覚め、地謡のような合唱が、朝日を湛えた村雨の露の残る松のあいだを潮風が吹き抜ける風景を静かに歌うなか、息の音で表現される風の音が徐々に静まっていき、オペラ『松風』は静かな幕切れを迎えた。その終わり方は、どこか細川の前作のオラトリオ「星のない夜」を思わせる。こちらの作品は、けっして美しいだけではない、どこかおぞましくさえある季節の廻りが予感させる、いつまでも続くかのように思われる、忘れっぽい人間の暴力の歴史の連続のなかで起きた、1945年の二つの凄惨な出来事、すなわちドレスデンの空襲と広島への原子爆弾の投下を想起するとともに、これらの犠牲者の魂の救済を祈る場がやはり自然の風景のなかにあることを暗示するものであったとするならば、新しいオペラ『松風』は、祈りの場が自然のなかにあるのはなぜかを示すものと言えよう。須磨の浦のような自然の風景のなかに、その振動に生者の身体が共振するなかに、死者の魂は回帰してくる。そのとき、その魂は現世への断ちがたい思いを抱いているのだ。立ち止まって、風のそよぎに耳を澄ますとき、そうした魂の奥底からの叫びが聞こえるかもしれない。須磨を訪れた僧のように静かに佇むこと、そうして自然と自分の身体が触れ合うばかりか、両者が相互に浸透し合っているのを感じ取るとき、自分のなかに死者の魂がふと姿を現わすのかもしれない。そして、今こそそのような経験をつうじて、死者の声が聴き届けられなければならないのではないだろうか。過去が現在に浸透した時空間を表現し、死者と生者が声を交わし合う場を開いた『松風』は、期せずして2011年3月11日の大震災の後の世界へ送り出されることになった。津波に洗われ、その生々しい傷跡を今も残している東北地方の太平洋岸には、無数の静まることのない魂が漂っているにちがいない。では、その声に耳を澄ます余地を、どのように残していけるのだろうか。原題の日常にない静けさに貫かれたこの作品は、あの3月11日以前に書かれながら、それ以後の世界に生きる者のうちにずしりと残る問いを投げかけているようにも思われる。

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