Hiroshima Happy New Ear VII

[2010年9月13日/広島市アステールプラザオーケストラ等練習場]

生まれて間もない音の世界に開かれる広島の新しい耳を祝福する現代音楽の演奏会シリーズ、Hiroshima Happy New Earの第7回の演奏会が、アステールプラザのオーケストラ等練習場で行なわれた。今回は、パリを中心に世界中で活躍する気鋭のクァルテットであるディオティマ弦楽四重奏団が、このシリーズの音楽監督である細川俊夫の二つの作品と、彼の友人でもあるヘルムート・ラッヘンマンの弦楽四重奏曲第3番「グリド(叫び)」を演奏した。古典的なレパートリーから現代作品まで幅広く手がけ、とくに現代の作品の演奏で高い評価を得ているというこのクァルテットが、これらの作品をどのように響かせるのか、非常に期待されたが、期待に違わぬどころか、それをはるかに超えた衝撃的な演奏だった。

最初に演奏されたのは、細川俊夫の1998年の作品である「沈黙の花」。張り詰めた静けさのなかに、書の打ち込みのような一撃が時の亀裂をもたらし、その余韻から新たな響きが生成するのを基調としながら、やがて生命のエネルギーが横溢するかのような激しい展開が生じ、それが儚さを感じさせながら細い絹糸のような響きへ昇華されていく曲の流れを、ディオティマ弦楽四重奏団は深い奥行きをもって表現していた。それによって、沈黙を背に咲く花の変化する美が、人間の手では飼い馴らされえない生命の輝きとして、まざまざと立ち現われてくる。そのさまは妖しささえ感じさせるが、そこに同時に研ぎ澄まされた美も感じるのは、このクァルテットの演奏ゆえのことかもしれない。楽器の胴を弓で擦って息のような音を出すといった特殊奏法も、花の変化のただならぬ気配を感じさせ、非常に効果的だったように思うが、それもきわめて高い技術を要求されることは言うまでもないだろう。

次に演奏されたのは、蓮の花をモティーフにした細川の最近の作品「開花」。変ロの持続音によって表わされる水面の上に蓮が花咲くに至るプロセスを、自己が花開いていく過程として、ゆったりとした、水面にたゆたうかのような時の流れのなかに表現するこの曲のなかには、天空から注ぐ月光に感応して、水底の泥土が蠢き、そこから伸びた蓮が水面から顔をもたげるのを表現した、非常に印象的なシークエンスがある。それをディオティマ弦楽四重奏団は、豊かな歌をもって表現していた。ただし、そこにある歌は、あまりにも人間的な歌ではない。むしろ蓮が天空へ向けて歌うのだ。細川がいわゆる歌に回帰するのではなく、人間ではない者たちにも声を返し与えるような新たな歌を模索していることを、今回の演奏は明快に示していたのではないだろうか。そして、そのような歌のうちに自己というものがあり、かつそれが他のものとの照応のうちにある、いやこの照応のうちにこそ自己が開花するというのが、この曲の主題の一つであろうが、そう考えるとき、「まぎれもない自己の生は〈他者〉との有機的な関係のなかにおいてあらわれるものであり、それは正しく個を越えたものである」という武満徹の言葉が思い出される。

最後に演奏されたのは、イタリア語で「泣き叫ぶ声」を意味するGridoという語を標題にもつヘルムート・ラッヘンマンの弦楽四重奏曲第3番。泣き叫ぶことが、その際の全身の衝迫、さらには無意識の衝動に至るまで、弦楽器から音を出すあらゆる可能性を駆使して表現し尽くされたかのような凄い作品である。そのように、言わばミクロコスモスとしての一人の嘆きに沈潜することによって、それがマクロコスモスの広がりに連なるのが見いだされることを、ディオティマ弦楽四重奏団は、素晴らしい技術をもって完璧に表現していたと言ってよい。心の軋みのような衝撃から放出されるエネルギーが、まさに宇宙的な広がりのなかに駆け巡るさまを、全身が拉し去られるような速度感をもって響かせるあたり、瞠目させられるほかはない。そして、その運動が突如として停止するときの凄まじい緊張感。深い音響空間のなかで、運動と停止が間然することなく交互するのに、ただただ身を任せるほかはなかった。そして、心のうちにあるものすべてが堰き止められるかのような、暴力的とも言える停止とともに曲が閉じられるとき、全身が震えるかのような衝撃を味わった。

今回の演奏は、弦楽四重奏という西洋音楽の最も凝縮された演奏形態の一つから、しかもその既成の演奏様式を越えたところから開かれる世界の底知れぬ広がりを体感させる、一つの事件とも言うべき衝撃的な出来事だったのではないだろうか。それに立ち会えたことを心から幸せに思っている。そして、同じような喜びを聴衆の多くが共有しているようだったのも嬉しかった。この日の客席の期待感で張り詰めた雰囲気にはただならぬものがあり、それが素晴らしい演奏を引き出したところもあったのではないだろうか。実際、クァルテットのメンバーも聴衆が良かったと口々に述べていた。7回を数えるHiroshima Happy New Earをつうじて、それこそ新しい耳が、さらに言えば、広島に今までなかった聴取の文化が育まれつつあるのかもしれない。それを他の演奏会にも広げるのが今後の課題だろう。

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