近況と伊藤恵『シューベルト・ピアノ作品集』第5集のことなど

早いもので、もう四月が終わろうとしています。気温が上がって桜が一気に開花したかと思ったら、春の嵐とともに急に冷え込んで、真冬のような日が続くなど、例年になく気候が不安定な四月で、体調を整えるのもひと苦労でした。そのようななか新学期が始まり、講義とその準備に追われています。勤務先の広島市立大学国際学部では、今年度から他の二人の同僚と一緒に、「多文化共生入門」という一年生のための講義を新たに担当することになり、現在その準備を進めているところです。そもそも「文化」とは何か、というところから説き起こして、文化を異種混淆性において、また生成の相において捉え直させる「ディアスポラ」や「クレオール」のことを紹介したうえで、「多文化主義」の問題を指摘しながら、「ポストコロニアル」という自己と世界の認識を踏まえた「多文化共生」の課題を探っていく内容を予定しています。

これ以外の専門科目、拙著『共生を哲学する──他者と共に生きるために』(ひろしま女性学研究所、2010年)を教科書に用いる「共生の哲学」、それから「社会文化思想史」の講義には、残念ながらあまり学生が集まらなかったのですが、非常勤講師として出講させていただいている広島大学と日本赤十字広島看護大学での哲学関係の講義には、かなり多くの学生が熱心に参加してくれています。これ以外に、広島大学では、「戦争と平和に関する総合的考察」という科目で講義を1回担当させていただくことになっています。また、広島市立大学では、「世界の文学」という科目でドイツ文学を紹介する2回の講義を、「平和と人権」という科目では広島の被爆の記憶の継承にまつわる問題を論じる1回の講義を行ないます。学部と大学院のゼミも始動しました。学部のゼミでは、鄭暎惠さんの「交差するヒロシマ」──彼女の論文集『〈民が代〉斉唱──アイデンティティ・国民国家・ジェンダー』(岩波書店、2003年)所収のこの論考は、広島のことを考える際にまず参照されるべきものでしょう──に続いて、連休明けからはカントの『道徳形而上学の基礎づけ』を講読する予定です。しばらくぶりにカントに取り組むことになります。

さて、このほど尊敬するピアニスト伊藤恵さんの『シューベルト・ピアノ作品集』の第5集に、短いエッセイを寄稿する機会をいただきました。つい先日、そのディスク(FOCD9592)がフォンテックよりリリースされたところです。「シューベルトの原像」という表題の私のエッセイは、第16番のピアノ・ソナタ(イ短調D845)、12のドイツ舞曲(D790)、それに最初の四つの即興曲(D899)が収録されたこのディスクにおける伊藤さんの演奏が、収録された曲、さらにはそれ以外のシューベルトの作品の内的な関係を照らしながら、彼の音楽そのものを映し出していることを論じる内容のものですが、拙文はともかく、演奏が素晴らしいので、ぜひ多くの方にこのディスクを手に取っていただきたいと思います。これほど深い息遣いをもって細やかに歌われたシューベルトを、私は知りません。静寂のなかから、おのずと、としか言いようのない自然さをもって歌が生まれてくる瞬間に、ぐっと歌の息遣いへ引き込まれますし、またその瞬間に垣間見える音楽の奥行きにも瞠目させられます。この第5集は、シューベルトの歌の本質に迫った、彼の音楽を愛する人にとって必携の一枚ではないでしょうか。

まず、有名な四つの即興曲が非常に素晴らしく、変奏曲風の第1曲の歌の寂寥感からして本当に魅力的で、移ろいゆく風景を感じさせますし、細かい音の動きのなかに、ふとした躊躇いや心のさざめきを、テンポのわずかな動きとともに細やかに、かつ自然に織り込んだ第2曲の演奏も、他では聴けないものでしょう。そして、深い歌がどこまでも広がってゆく第3曲。そこに身を委せることは、シューベルトを聴く最高の喜びではないでしょうか。このような即興曲の世界と深く結びついているのが、12のドイツ舞曲であることも、伊藤さんの演奏から教えられたことの一つです。舞曲の素朴さを基本としながらも、実に多彩な表情を示すとともに、自由に展開していくその音楽は、後にショパンのマズルカなどにも連なってゆくものでしょうが、これが実に魅力的で、シューベルトの佳品としてもっと広く知られてよいように思われました。時に聴かれる夢見るような旋律は、いわゆる「舞曲」の域を超えてしまっています。

四つの即興曲が、後の四つの即興曲(D935)ではなく、第16番のピアノ・ソナタと組み合わせられているのも、このディスクの特徴の一つでしょう。即興曲の世界が、このイ短調のソナタの帰結であるかのようです。最初に出版されたソナタで、かつシューベルトが4楽章の大規模なソナタの形式を確立した、彼にとって画期的な意義を持つこの作品において、彼が同時に、歌い込むことによって音楽を繰り広げていく道筋を切り開いていることも、伊藤さんの演奏から感じ取ることができます。その道筋が晩年のピアノ・ソナタのみならず、即興曲などにも通じているのでしょう。とくにこのイ短調のソナタでは、冒頭に聴かれる「さすらい人」の息遣いを感じさせる旋律が印象的で、第1楽章ではこれが何度も回帰するのですが、伊藤さんはこの旋律を、時に沈黙に耳を澄ますかのような深い呼吸をもって歌い継いで、変容させていきます。歌をその根源に立ち返らせながら、慈しみをもって歌を開花させていくのも、伊藤さんの演奏の特徴と言えるかもしれません。それが実に魅力的に発揮されているのが、第2楽章の変奏曲ではないでしょうか。第3楽章のトリオで静かにたゆたう旋律も、非常に美しいです。伊藤さんの演奏、そして卓抜なカップリングをつうじて、第16番のソナタの魅力と、シューベルトの音楽における重要な位置の双方を感じ取ることができるように思います。

伊藤さんの第5集が出る少し前に出て、彼女の演奏とはまた異なったアプローチで、第16番のソナタの魅力を伝えるディスクに、ドイツ・グラモフォンからリリースされたマリア・ジョアン・ピリスの新しいシューベルト・アルバム(DG 777 8107)があります。こちらのディスクの演奏もまた非常に魅力的で、とくに第2楽章の変奏曲における細やかな表情の冴えは、ピリスならではのものでしょう。第1楽章も素晴らしいですが、後半の2つの楽章の闊達さも、彼女のなかから湧き出る音楽が、シューベルトの音楽の運びと合致していることを示すものと感じられます。なお、今回のピリスのアルバムには、最後の第21番のピアノ・ソナタ(変ロ長調D960)の演奏も収録されています。エラートから出ている以前の録音も、瑞々しい歌に満ちた素晴らしいものでしたが、新しい録音でのこのソナタの演奏は、以前より落ち着いた音楽の運びのなかで、あらゆる細かなモティーフが有機的に結びついていくのを感じさせるのが特徴と言えましょうか。深みを湛えながら連綿と、自然な息遣いで歌い継がれていく、70歳に近づこうとしているピリスにこそ可能な名演奏と思われます。

[付記]このウェブサイトに収録されている記事の一覧を作成し、“Contents”のページに掲載しました。カテゴリー別に古い順に並べてあり、記事のタイトルから本文にアクセスできます。

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