クラクフへの旅より

クラクフ旧市街の風景

クラクフ旧市街の風景

7月20日から24日にかけて、第19回国際美学会 [19th Jubilee International Congress of Aesthetics, Krakow 21.–27. July, 2013] で研究発表を行なうために、ポーランドのクラクフを訪れました。クラクフを訪れるのは、2009年の秋以来2度目ということになります。幸いなことに滞在中はずっと晴れていて、日差しに映える緑がとても美しかったです。クラクフの人々が憩う緑深い公園に囲まれるような感じで、歴史的な建造物が建ち並ぶ旧市街があるのですが、大きな市場の建物があるその中心は、世界各地から集まった観光客でかなりごった返していました。ちょうどヴァカンスの季節でもあります。

国際美学会は、古くはコペルニクスが、比較的新しいところではローマ教皇ヨハネ・パウロ2世も学んだという中欧最古の大学の一つヤギエヴォ大学(1367年創立)の新しい講堂 [Auditorium Maximum] を会場に開催されています。旧市街の中心から少しばかり離れたところに、おそらくごく最近建てられたと思われる講堂は、非常に機能的で、大ホールを二つに分割して同時に使用できますし、映写や音響の装置が整った比較的小規模のホールやセミナー・ルームも数多く備わっています。そのため、膨大な数に及ぶ学会のセッションを、ほぼすべて同じ講堂の内部で回すことができています。これは、いくつものセッションを渡り歩きたい学会参加者にとっては非常に便利です。ロビーの横にはスタッフ常駐のクロークが、また地下には会食も可能なビストロも備わっています。このような施設が、広島市の千田町にある広島大学の跡地あたりに建設されれば、とも思ったところです。

7月23日の夜のセッションに組まれていた私の研究発表は、さまざまな方のサポートのおかげで、大過なく終えることができました。“Toward the Poetics of Echo: From Revisiting the Image of ‘Echo’ in Walter Benjamin’s Writings”というテーマで行なった発表は、ヴァルター・ベンヤミンの著作、とくに「翻訳者の課題」と「歴史の概念について」に見られる「谺(こだま:Echo)」の形象とそれが示唆する美的経験を検討しながら、「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」以後の詩的表現の可能性とともに、いわゆる「表象の限界」を超える歴史的想像力の可能性を探る試論とでも言うべき内容のものです。あるいは、自己が根底から震撼させられるほどの強度を持った「照応(コレスポンデンス)」の経験のなかから、言語の限界において「谺」としての言葉を響かせることのうちに、テオドーア・W・アドルノの「アウシュヴィッツ以後詩を書くことは野蛮である」という言明に応答する回路を探る試み、とも言えましょうか。発表のなかでは、パウル・ツェランの「黒土」や「帰郷」、あるいは原民喜が小説「夏の花」に挿入した詩や彼の「鎮魂歌」にも言及しました。温かい雰囲気のセッションで、何人もの方から好意的なコメントをいただけたのが嬉しかったです。内容的にはまだまだ詰めなければならない点がありますし、英語での研究発表にはいろいろと課題がありますが、ともあれまずはよい経験になったと思います。

ちなみに、“Aesthetics in Action”を全体のテーマとする今回の国際美学会を、クラクフ市は全面的に支援している──おそらく資金面でも相当に──ようで、この学会に合わせたいくつもの芸術に関わるアクティヴィティも企画されていました。まず、7月22日の夕方にはフィルハーモニー・ホールで、ヤチェク・カスプツィクの指揮による、クラクフのベートーヴェン・アカデミー管弦楽団の演奏会が行なわれ、国際美学会の枠内で開催されるこの演奏会のために作曲された、カロル・ネペルスキという若い作曲家の“Aisthetic Symphony”──「感性の交響曲」とでも訳せばよいのでしょうか──という作品が初演されました。オーケストラの楽器によって、あるいはそれ以外の水笛のような楽器によって、さらにはサンプリングされた音声によって響く断片的なモティーフを、いくつもの方向から響かせることで、聴覚を空間的に拡げていこうという発想そのものは理解できるのですが、音楽的にはそれほど面白いところのない単純なモティーフが、これまたあまり音楽的な必然性が感じられないかたちで延々と反復されるのは、個人的には聴いているのが辛かったです。

7月23日の夜遅くには、旧市街の中心にある時計塔に、アフガニスタンやイラクの戦争に動員されたポーランド兵およびその家族の言葉を、軍用車によって投影し、さらにその言葉を銃声とともに撃ち崩すという、現代芸術家のクシュシトフ・ヴォディチコのパフォーマンスが行なわれました。アメリカを中心とするいわゆる「テロとの戦争」の列に加わろうという国家政策のために、戦争のなかで心身に傷を受け、家族との関係にも傷を負わされた兵士、そしてその家族の言葉が、断片的な叫びとして突き刺すように時計塔に投げつけられ、それが轟音とともに掻き消されるのを目の当たりにすると、戦争の暴力が今なお続いていることを強く感じざるをえません。

前回2009年にクラクフへ初めて来たのは、そこからアウシュヴィッツを訪れるためだったのですが、今回も学会の予定が組まれていない7月21日を使って、アウシュヴィッツへ行ってきました。クラクフ本駅に隣接するバス・ターミナルから1時間半ほどのところにあります。アウシュヴィッツの展示やビルケナウの廃墟を見るのは今回が二度目なので、前回ほどの衝撃は受けなかったものの、これらの場所で行なわれた計画的にして大規模な抹殺の痕跡を目の当たりにすると、戦慄を覚えないではいられません。しかし、これを見据えて、何が行なわれたのかを、現在の問題として考え続けなければならないと思います。アウシュヴィッツのガス室やビルケナウのバラックからは、今も気配のようなものが感じられます。

さて、10時から15時までの時間、国立博物館でもあるアウシュヴィッツでは、見学者はガイド・ツアー──ビルケナウまで行くと4時間ほどかかります──への参加を義務づけられています。私は前回同様、英語のツアーに参加しました。そして今回も、国家資格を持ったガイド──その一人に『アウシュヴィッツ博物館案内』の著者の中谷剛さんがいます──がよく訓練されているばかりでなく、伝えることへの並々ならぬ熱意をもって見学者を導いてくれることに、感動すら覚えました。英語のツアーのグループの参加者は、当然ながら相当な人数だったのですが、今回の年配のガイドの方も、人混みを避けて見学者をうまく誘導し、展示に関して要を得た、かつ内容の深い説明をしてくれました。その言葉が、ガイドの方自身の言葉になっているので、何が問題なのかが非常によく伝わってくるのです。今、広島で養成されるべきは、このように自分自身の言葉で被爆の記憶をしっかりと伝えられる、プロフェッショナルでかつ真に熱意を持ったガイドではないでしょうか。

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