丸川哲史『魯迅と毛沢東──中国革命とモダニティ』

革命とは、精神の変革のことである。『魯迅と毛沢東──中国革命とモダニティ』において何よりもまず注目されるべきは、著者が、「今後もっとも大事なことは、国民性を改革することです」という魯迅の言葉を引いて、「精神を変える」ことを、中国における革命の「モダニティ」の基点に見届けていることである。精神の変革から出発しようとする点において、中国の近代は、日本の近代から区別されざるをえない。このことに触れる地点で、著者の議論は、竹内好のそれとも呼応する。竹内は『日本とアジア』(ちくま学芸文庫、1993年)に収められた評論のなかで、戦後日本における「思想の改革」を要請する中国知識人の言説を引用しながら、中国の近代化が内発的な思想にもとづくのに対して、日本の近代化が、構造的な「転向文化」にもとづく対外隷属の歩みであることを指摘し、この「ドレイ」状態を内側から乗り越えて、アジアに主体的に関わる道を探ろうとしていた。

精神の変革としての革命、たしかにそれは、隷属への自発的な隷従が蔓延しているかに見えるこの国において、喫緊に求められていよう。しかし、その可能性に性急に説き及ぶ前に、魯迅が「革命」を標榜する同時代の政治的な動きに、深い「寂寞」を抱えながら抗っていたことを思い起こす必要があるのではないか。魯迅の各作品のモティーフを、内戦に至る同時代の「革命」の迷走と重ね合わせながら、学生たちが虐殺されていく状況を見通す魯迅の透徹した眼差しを浮かび上がらせる『魯迅と毛沢東』は、そう語りかけているように思える。「死地」が遍在するようになり、学生が「非公開の死」にまで追いやられていく状況の暗黒を、魯迅は「寂寞」とともに見据えていた。もしかすると、そこにある抵抗としての思考こそが、彼にとっての精神の変革の基点だったのかもしれない。

このように、抵抗としての思考をつうじて精神の変革の道なき道を探った魯迅の姿には、どこか若きヴァルター・ベンヤミンの姿を思わせるところがある。第一次世界大戦の頃のベンヤミンもまた、同時代のブルジョワ社会を内側から乗り越えようとする青年運動に身を投じながら、やがてその運動からは身を退いたところで、戦争によって同世代の青年たちが無残に殺されていくさまを、さらには敗戦直後のドイツ革命の挫折を、状況に対する否を貫くことで見据えていた(野村修『ベンヤミンの生涯』平凡社、1993年、参照)。この時期の彼は、同時代の資本主義社会の精神なき合理性を批判するのみならず、この合理性に順応する思考様式としての進歩史観と機能主義的な言語観に対する徹底的な批判をも繰り広げながら、作品の見かけの完成を突き崩してその真理内実に迫ろうとする批評と、他言語と接触するなかで制度的な言語を解体させる翻訳のうちに、言語の生成とポエジーの展開とともに精神の炎が燃え上がる場を見届けようとしている。

他言語の異質さを、母語を壊しながら受け止めることで、言語の生成の運動に、ひいては精神そのものに息を吹き込もうとするベンヤミンの行き方を、魯迅は「自分の肉を煮る」こととして考えようとしていたのではないか。1930年代の魯迅が、「硬い文体になったとしても強いて言葉を作り出し、翻訳しようとする方法」としての「硬訳」を支持していたことを論じる著者の議論は、そのような発想に誘うものである。魯迅にとって翻訳するとは、他国から盗んだ火で自分の肉を煮ることにほかならない。そうして煮られた肉を後に続く人が食み、思想を血肉として精神を形成すること。晩年の魯迅はそこに、精神の変革としての革命の可能性を託そうとしていたのではないだろうか。

ところで、『魯迅と毛沢東』の議論は、他国から盗んだ火で自分の肉を煮て差し出す、翻訳者としての魯迅の行き方を、竹内好をはじめとする先駆的な魯迅研究者たちが受け継いでいる点に着目している。「自分の肉を煮る」こと、それは竹内たちにとって、魯迅と彼が生きた中国の近代を内側から、自分自身を解体することによって咀嚼し、日本に導入することによって、中国に対する侵略戦争に立ち至った日本の近代に対する批判的な反省の地平を開くことでもあった。竹内たちにとって、このことはとりもなおさず、精神なき合理性への順応が、例えば、すでに対華二十一箇条要求に表われていた中国に対する蔑視に結びつくような心性を解体する、精神の変革に結びつくべきものだったにちがいない。

おそらくは著者自身も今、「自分の肉を煮る」翻訳をつうじて現代中国を、そこに至った「モダニティ」の歴史とともに日本に導入し、隷属への自発的隷従を招来させるに至った日本の近代を、それを貫く植民地主義を含めて反省し、その歴史を食い止める可能性を切り開こうとしている。その試みを集成した一書として、近著『思想課題としての現代中国──革命・帝国・党』(平凡社、2013年)が読まれるべきであろう。

[以文社、2010年。上記は、2013年12月20日(金)にカフェ・テアトロ・アビエルトで行なわれた「現代中国と向き合う──丸川哲史さんを迎えて」のために準備した草稿に修正を加えたものです。]

丸川哲史『魯迅と毛沢東』書影

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