Chronicle 2013

除夜の鐘が遠くから響いてくる時分となりました。晴れの大晦日だったからでしょうか。今年は心なしか、例年よりも鐘の音がはっきり聞こえてくるような気がします。除夜の鐘を突く行為には、煩悩から解き放たれることへの願いが込められていると聞きますが、たとえ生への執着から解放されなくとも、今ここにある生を、けっして美化できないその実相において見つめ直し、深く掘り下げることが、あらためて求められているように思います。それをつうじて初めて、他者たちと、さらには死者たちとも応え合いながら生きる途が──それがアポリア、途なき途であったとしても──見通されてくるのではないでしょうか。除夜の鐘の音に耳を傾けながら、そのようなことを考えています。少なくとも、「買い」や「嫌悪」の対象としての虚像から解き放たれてこそ、息をつくことができるはずです。

さて、以下に記すクロニクルのかたちで、2013年の公的な活動を振り返ってみますと、研究発表の機会は例年よりも多かったのですが、研究の成果を活字のかたちで公にする機会がほとんどなかったのが悔やまれます。むろん、ヴァルター・ベンヤミンの哲学的思考に関するこれまでの研究をまとめる仕事に、この間エネルギーを傾注してきたためですが、これを含めた研究の成果を、来年の早い時期にみなさまにお届けしたいものです。また、それを足がかりに、言語と歴史を、他者と応え合いながら生きることから、他者に開かれたかたちで、さらには詩的ないし芸術的な営為にも通じるかたちで考えてみたいとも思います。7月の国際美学会でその一端を発表した「谺」の詩学や、現在研究を進めつつある、イメージ批判を含んだ「形象」の美学は、こうした思考の展開の方向性を示すものと言えるでしょう。

音楽に関わる仕事は、昨年以上に増えてきました。今年は、私が最も心惹かれる作曲家シューベルトの作品や、今年の夏に新作《嘆き》──トラークルの詩にもとづくこの作品、早く日本で聴きたいものです──のザルツブルクでの世界初演を成功裡に終えられた細川俊夫さんの作品に取り組みながら、歌うことを中心に音楽そのものについて、いくつかの角度から考えることができたことは、非常に嬉しいことでした。演奏会の歌詞対訳に関わって、今年も詩の翻訳にも取り組みました。それをつうじて、何人もの優れた詩人や作曲家、そして卓越した歌手に出会うことができたのも、幸せなことでした。

今年は夏に、中沢啓治の『はだしのゲン』の学校図書館における閲覧制限問題が起きたり、冬には「特定秘密保護法案」が国会を通過したりと、芸術を含めた表現活動がこの国において危機に瀕していることが明確になった一年でもありました。人々を飼い馴らそうと、社会を息苦しくしていく流れに抗い、真に生きるための風穴を開けていくために、絶対に飼い馴らすことのできない生の深層を振り返るような思考のきっかけになりうるものを投げかけるとともに、そのような生を震わせて歌うことの喜びも伝えていかなければと思います。

そのためにも、日々の地道な努力が欠かせません。年を追うごとに多忙になっているのは確かなのですが、そのなかでも基礎的な書物に向き合う時間を作らないと、足腰が弱ってしまうと痛感する昨今です。来年は、ベンヤミンの批判版全集のいくつかの巻を含め、基本的な文献に取り組むことを、今まで以上に大事にして、研究の足場を固めなければと思います。さらに、文字通りの意味の体力を増強することは急務です。今年は過労がたたって何度か体調を崩しましたので、来年こそ時間を作って体を鍛えなければと考えております。来たる年も変わらぬご指導のほどよろしくお願いいたします。2014年がみなさまにとって希望に満ちた年になりますように。

■Chronicle 2013

  • 4月~8月:広島市立大学国際学部の専門科目「共生の哲学I」、「社会文化思想史I」、そして「多文化共生入門」の4回の講義、全学共通系科目では「世界の文学」の2回の講義、「平和と人権A」の1回の講義を担当しました。国際学部の3年生向けの「専門演習I」と4年生向けの「卒論演習I」も担当しました。前者ではカントの『道徳の形而上学的基礎づけ』(中山元訳、光文社古典新訳文庫)を講読しました。大学院国際学研究科では、「現代思想I」を担当しました。後者では、主にジョルジュ・ディディ=ユベルマンの『イメージ、それでもなお──アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』(橋本一径訳、平凡社)を講読しました。広島大学では、教養科目の「哲学A」の講義の他、「戦争と平和に関する総合的考察」の講義も1回担当しました。日本赤十字広島看護大学では、「人間の存在」の講義を担当しました。
  • 4月30日:伊藤恵『シューベルト・ピアノ作品集』第5集(フォンテック、FOCD9592)のライナー・ノートに、「シューベルトの原像──このディスクによせて」と題する小文を寄稿させていただきました。シューベルトの第16番のピアノ・ソナタ(イ短調D845)、12のドイツ舞曲(D790)、それに最初の四つの即興曲(D899)が収録されたこの『シューベルト・ピアノ作品集』第5集における伊藤恵さんの演奏が、収録された曲、さらにはそれ以外のシューベルトの作品の内的な関係を照らしながら、シューベルトの音楽そのものを映し出していることを論じる内容のものです。
  • 5月30日:広島市のアステールプラザ多目的スタジオにて行なわれた下鴨車窓の『建築家M』の公演の終演後、今回の作品の脚本と演出を担当された田辺剛さんと、ポストパフォーマンス・トークにて対談させていただきました。
  • 7月23日:ポーランドのクラクフのヤギエヴォ大学にて開催された第19回国際美学会(19th International Congress of Aesthetics)にて、“Toward the Poetics of Echo: From Revisiting the Image of ‘Echo’ in Walter Benjamin’s Writings”というテーマで研究発表を行ないました。発表は、ヴァルター・ベンヤミンの著作に見られる「谺(こだま)」の形象とそれが示唆する美的経験を検討しながら、「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」以後の詩的表現の可能性とともに、いわゆる「表象の限界」を超える歴史的想像力の可能性を探る試論とでも言うべき内容で、発表のなかでパウル・ツェランや原民喜の詩にも言及しました。
  • 8月24日:妻が主宰するヴァイオリン教室の発表会で、G・フォーレの《夢のあとに》のヴィオラ編曲版を演奏しました。
  • 9月5日:国際作曲家委嘱シリーズのテーマ作曲家に細川俊夫さんを選び、その作品を特集したサントリー芸術財団Summer Festival 2013のプログラムに「照応のなかに開花する〈うた〉へ──細川俊夫の近作に聴く〈うた〉の探究」と題する小文を寄稿させていただきました。人間が飼い馴らすことのできない自然との、宇宙的とも言える照応関係が身体的に生きられるなかから開花する〈うた〉、この自然と共振する魂の内側から響き出る〈うた〉を追求する細川さんの作曲活動を、2013年6月に広島で日本初演された尺八協奏曲《旅X──野ざらし》、同じ年にベルリンなどで再演され、その一部が本Summer Festivalで演奏されたオペラ《松風》、同じくSummer Festivalで取り上げられた弦楽四重奏曲《開花》などのうちに見届けようとする内容のものです。9月5日にサントリーホールで行なわれた、細川さんのオーケストラ作品を中心とする演奏会の開演前には、細川さんのプレ・トークの聞き手を務めました。
  • 9月8日:広島市のアステールプラザのオーケストラ等練習場でHiroshima Happy New Ear XVとして開催されたバーバラ・ハンニガンのリサイタルのプログラムの歌詞対訳の監訳を行ないました。当日は、ルイジ・ノーノ、クロード・ヴィヴィエ、アーノルト・シェーンベルク、アルバン・ベルク、クルト・ヴァイルの作品が演奏されました。
  • 10月~2014年2月:広島市立大学では、国際学部の専門科目である「共生の哲学II」と「社会文化思想史II」のほか、全学共通系科目の「哲学B」も担当し、知ること、生きることと死ぬこと、自由であること、言葉を話すことをめぐる、主に近代以後の哲学の足跡を辿っています。3年生向けの「専門演習II」では、米山リサの『広島、記憶のポリティクス』(岩波書店)を、大学院の「現代思想II」では、竹内好の『日本とアジア』(ちくま学芸文庫)を講読しています。それ以外の演習として、4年生向けの「卒論演習II」も担当しています。広島大学では教養科目の「哲学B」を、広島都市学園大学では「哲学」を担当しています。
  • 10月19日:ひろしまオペラルネッサンス2013年度公演として行なわれた、エルマンノ・ヴォルフ=フェッラーリ『イル・カンピエッロ』の公演プログラムに、作品解説として「小さな広場(カンピエッロ)における言葉と音楽の幸福な結婚──ヴォルフ=フェッラーリの『イル・カンピエッロ』によせて」と題する小文を寄稿させていただきました。ヴォルフ=フェッラーリのオペラ『イル・カンピエッロ』の原作を書いたカルロ・ゴルドーニの戯曲が示す、庶民の生きざまを活写する近代性を指摘したうえで、それがまさに故郷のヴェネツィアの「小さな広場(カンピエッロ)」を舞台とする戯曲で生きていること、そしてそうした戯曲の魅力を、さらにはその言葉を、同郷の作曲家ヴォルフ=フェッラーリが、『イル・カンピエッロ』の明澄な響きのうちに、見事に引き出していることを伝えようとする内容のものです。
  • 10月27日:第79回上智大学哲学会大会にて、「翻訳から言葉を見つめ直す──ベンヤミンの言語哲学を手がかりに」と題する研究発表を行ないました。第一次世界大戦のさなかに、今も続く言語の道具化を批判しながら、言語を生そのものと結びつけながら、言葉を応え合う生の息吹として捉え返し、言語の本質にある肯定性と歓待性に迫ろうとするベンヤミンの言語哲学の基本的なアプローチを紹介したうえで、言葉を発すること自体を翻訳と捉える彼の視点を提示し、そこから言語そのものが、さらには文化の形成過程がどのように見つめ直されうるか、という問題に対して、一定の方向性を示唆する内容のものです。
  • 11月17日:広島平和文化センターが主催する「国際交流・協力の日」の催しの一つとして行なわれる国際学部の公開講座「防災ゲーム クロスロードから多文化共生を考える」のパネル・ディスカッションのなかで、「共に生きる文化へ」という短い発言をさせていただきました。大災害時に共に生き残る場を開くための困難を、日本社会の根深い問題として指摘したうえで、うわべだけの文化的多様性だけでなく、日本社会自体に内在する裂け目にも目を向けるべきであることを主張し、言葉を生成の相において捉え、それにもとづく文化を複数形における自己陶冶として捉え直しながら、共に生き残る文化を築く可能性を示唆しました。
  • 12月7日、9日:12月6日から15日かけて「異郷の記憶」をテーマに開催されたヒロシマ平和映画祭2013に、実行委員として参加しました。7日に広島市まちづくり市民交流プラザのマルチメディアスタジオで開催されたトーク・セッション「ジェノサイドの後に映画を撮ることはいかにして可能か──ルワンダ虐殺20周年を前に、ルワンダからの映画を考える」と、9日に広島市立大学講堂小ホールで開催された「山城知佳子公開ワークショップ」をコーディネイトし、その司会を務めました。
  • 12月20日:カフェ・テアトロ・アビエルトで中国文芸研究会の主宰により開催された「現代中国と向き合う──丸川哲史さんを迎えて」において、「丸川哲史氏の『魯迅と毛沢東』によせて」と題する書評を発表しました。その草稿を一部修正したものが、本ウェブサイトに掲載されています。

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