細川俊夫《星のない夜──四季へのレクイエム》広島初演を聴いて

どこからともなく響いてくる風の音が徐々に開くのは、雪に覆われた山野の風景。鈴の音が木霊し、炎が明滅するその風景のなかに浮かび上がるのは、狩人の手にかかった獣の屍肉に烏が群がる、禍々しくさえある生命の営みである。それを激しい色彩で描き出すゲオルク・トラークルの詩と一つになった強烈な音響が屹立し、破局を予感させる。細川俊夫の《星のない夜──四季へのレクイエム》の冒頭にあるのは、このような冬の楽章である。この作品は、自然のうちに生のみならず、死滅をも見届け、世界の裂け目を閃かせるトラークルの四季に寄せられた詩を歌詞に用い、そこから人類が今も続けている破壊と殺戮への予感を聴き出しながら、第二次世界大戦の末期に起きた二つの破局、ドレスデン空襲と広島への原子爆弾の投下の記憶を、四季の循環に刻み込む。そのような大規模な声楽作品の広島初演が、広島交響楽団の第335回定期演奏会(2014年1月31日/広島文化学園HBGホール)で行なわれた。この《星のない夜》の最初の楽章「冬に」は、今回の演奏では、合唱が声にならない声でトラークルの詩句を囁き始めたところからしてすでに、ただならぬ雰囲気に包まれていた。この楽章で、一語一語を噛みしめるかのような合唱の丁寧な歌唱と、音楽のダイナミズムを大きなスケールで捉えたヘンリク・シェーファーの指揮によって、恐ろしいまでの奥行きをもった風景──メモリースケープとも言えようか──が開かれたのが、きわめて印象的であった。

「冬に」の楽章に続くのは、アルト・フルートの独奏による間奏曲。変ホの音から発展していくその音楽は、ひと筋の書の線として生成する細川の音楽を凝縮させたものであると同時に、凍えと慄きを純化したものでもあるが、今回の森川公美の独奏は、音楽への深い共感に支えられた緻密なものであると同時に、空間を貫く強さも兼ね備えたものであった。息と風が擦れ合いながら空間のなかに線を織りなしていくさまを、これほど繊細かつ力強く表現した森川の演奏は、作品の演奏史に刻まれるべきものであろう。アタッカで続く第III楽章は「ドレスデンの墓標」。2万5千人に及ぶ市民が犠牲になったドレスデン空襲の二人の体験者の手記が朗読されるなか、それを押し潰すかのように、破壊と殺戮を象徴する音楽が強烈に鳴り響く。二人の語り手が同時に朗読し、それがお互い熱を帯びていくのと、音楽が激しさを増していくのとのせめぎ合いも凄まじかったが、それ以上に、男性の語り手の朗読がいったん終わって、女性の語り手が始まる直前に弦楽が響かせる哀しみの歌が印象的に響いた。それから、ヴォカリーズによるうねるような合唱が、燃えさかる炎のなかに死者たちの叫びを響かせているようであったのも忘れられない。

第IV楽章では、ソプラノとメゾ=ソプラノの二重唱がトラークルの詩「春に」を歌う。ちょうど二年前に細川俊夫のオペラ《班女》の広島公演の幕切れで、素晴らしい二重唱を聴かせた半田美和子と藤井美雪が、今回の《星のない夜》の演奏でも、夢幻の世界へ誘う美しい二重唱を聴かせてくれた。旋回しながら上昇するソプラノの歌に、この日は彼岸へ突き抜けていく強さを感じる。それをしっかりと支えながら、響きの広がる場を開くメゾ=ソプラノの声も素晴らしい。両者によって、廃墟のなかに、破局を想起しながら、死者の魂を救済する場が開かれていくかのようであった。この楽章に続くのが、作品の表題となった「風の止んだ、星のない夜」という詩句の含まれる第V楽章「夏」。この楽章では、合唱の緊密なアンサンブルが非常に際立っていた。歌と語り、囁きを行き来しながら、嵐──それは人為的な破局でもある──の到来を前にしてすべてのものが黙していき、漆黒の闇に消え入っていくさまが、張りつめた雰囲気のなかに浮かび上がっていた。それによって、恐ろしいまでに深い沈黙が迫ってきたのも印象に残る。

破局がひたひたと迫り来るさまを感じさせる打楽器の間奏を挟んで続くのが、第VII楽章「広島の墓標」であるが、この楽章は今回初めて、増西正雄が書いたままの日本語の詩──それ以前は作曲家によるドイツ語訳で歌われていた──を歌詞とする改訂版で演奏された。この詩が、メゾ=ソプラノによって歌われるわけだが、藤井美雪の歌は、一見淡々とした詩の言葉のうちに込められた哀しみを響かせながら、言葉を失うまでに恐怖が胸に迫ってくるに至るまでを見事に歌いきったもので、広島の地で被爆を体験することの内実をあらためて想起させるものであったにちがいない。長い沈黙の後に始まった第VIII楽章「天使の歌」を貫くのは、ドレスデンや広島に破局をもたらしながら、それを忘却し、自己自身の破滅を用意しつつある人類に警告を発する怒れる天使の叫びである。ただしその怒りは、細川俊夫が「怒り」と題したピアノのためのエチュードの一曲に込めたように、生きることの根底にある、生きようとする意志から発せられるものである。二年前の春に行なわれた《星のない夜》の日本初演でもこの楽章を歌った半田美和子の今回の演奏は、そのことを思い出させるような深さを、屹立する強さのなかに湛えていた。歌詞に用いられているゲルショム・ショーレムがパウル・クレーの水彩画《新しい天使》に寄せた詩が語るように、神による創造の根源に憧れながら、あくまでこの世界に踏みとどまり、人類に対して警告を発しつ続けようとする天使の姿が、自己自身に沈潜する深さと研ぎ澄まされた強さを兼ね備えた半田美和子の声によって、鮮烈に浮かび上がる演奏だった。

最終楽章「浄められた秋」では、折り重なる下降音型が生命の豊饒さを響かせながら、徐々に消え入っていく。この楽章では、オーケストラと合唱が一体となって、溢れ出るような響きが波打つように湧き上がっては消えていく運動がきわめて印象的だったが、他方で、以前の楽章の回想を含めた細かい動きが、全体のなかにいささか埋もれ気味だったのが惜しまれる。この楽章に限らず、残響に乏しい会場の音響のために、練習場で響いていた細かいテクスチュアが響いてこなかったのが少し残念だった。広島交響楽団の今後の活動のためにも、充分な残響のある音楽専用ホールが近いうちに建設されることが切望される。最終楽章の演奏に戻ると、とくにハープとチェレスタによって強調される、溢れ出るような響きの光彩は、眩いと同時に儚い。どこか目に見える形が滅していくなかに浄化があるかのようにも聞こえる。とはいえ、曲の最後に残る風の音は、どこか新しい生命の気配を感じさせる。その風の音は、西田幾多郎の顰みに倣うなら、形なきものに目を凝らし、声なき声に耳を澄ますことに誘っているのかもしれない。そのような再生──それは死者の魂の救済でもある──への祈りとしての思考に誘う細川俊夫の《星のない夜──四季へのレクイエム》は、すぐれた意味でのoratrio、祈りの曲と言えるのではないだろうか。このような作品が、広島の地で鳴り響いたことの意義は計り知れない。

[広島交響楽団第335回定期演奏会における細川俊夫さんの《星のない夜──四季へのレクイエム》広島初演に際し、曲目解説、そして歌詞及びナレーションの翻訳をプログラムに寄稿させていただきました。第III楽章では、ドレスデン空襲の二人の体験者の手記が、藤井美雪さんと高尾六平さんによって、私の翻訳で朗読されました。このようなかたちで、今回の歴史的とも言える広島初演に関わることができたことを、身に余る光栄に思い、心から感謝しております。]

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