広島交響楽団第338回定期演奏会を聴いて

雨が上がって春の日差しが戻った休日(4月29日)の午後、広島文化学園HBGホールで広島交響楽団の第338回定期演奏会を聴いた。下野竜也の指揮で、シューマンのヴァイオリン協奏曲にブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」というプログラム。新緑の季節に相応しいプログラムではないだろうか。

まず、後半のブルックナーの演奏が、下野の最近の音楽の充実を物語る内容だった。この「ロマンティック」交響曲の独特の瑞々しさがよく表われた演奏だったと思う。何よりも印象的だったのが、下野が響きのバランスに細心の注意を払いながら、いささかの無理も感じさせない音楽の運びを示していたこと。それによって、時として埋もれがちな低声や内声の動きが聞こえてきて、響きがいっそう有機的になるとともに、この曲を特徴づける豊かな歌がしなやかに息づく。なかでも、第2楽章のヴィオラの歌は実に魅力的に響いた。強奏が続く部分から弱奏の部分への移行の処理も細やかだったし、フィナーレのコーダでこの曲のさまざまな要素が結集しながら徐々に壮大なクライマックスを築いていくあたりは、今回の演奏の白眉だったのではないだろうか。それだけに、最後の和音がまだ響いているうちに「ブラヴォー」の声と拍手が始まってしまったのは残念でならない。東京のいくつかのホールで行なわれているように、指揮者がタクトを降ろすまで拍手など控えてほしい、とアナウンスで要請するしかないのかもしれない。

「ロマンティック」交響曲の演奏に戻ると、今回の演奏は、曲を完全に手中に収めた指揮者が、その意図をしっかりと伝えるならば、広響が非常に内容豊かな演奏を繰り広げうることを証明した好例と言えよう。とはいえ、この曲からはもう少し深い静けさと、そこからいくらかの疾走感を伴って湧き上がる響きを聴きたかった、という気持ちも拭えない。そして、下野はさらにもう一段振幅の大きな音楽を響かせたかったのでは、という印象も受けたが、それはこのホールの条件からしても難しかったかもしれない。

前半のシューマンのヴァイオリン協奏曲では、独奏を担当した若い三浦文彰の奏でる美音とその音楽の繊細さが光った。さまざまな意味で聴かせるのが難しいこの曲を、三浦がここまでの完成度をもって弾ききったことは特筆に値しよう。とくに、濁ることのない重音の響きのなかから溢れ出る瑞々しい歌は、とても魅力的だった。ただ、フレージングがやや窮屈になって、音楽を持て余している印象を受ける箇所が散見されたのは惜しまれる。そのために、音楽の奥行きが狭くなり、シューマンの音楽に求められる陰翳が少し損なわれてしまった。もっと自由にテンポを動かしながら歌ってもよかったのではないか。三浦が──人生のそれも含めて──経験を積んで、もっと振幅の大きな音楽を聴かせるようになってからこの曲に臨んだら、きっと本当に素晴らしい演奏を聴かせてくれるにちがいない。

シューマンの演奏でもう一つ惜しまれるのは、下野の音楽性がどちらかと言うとブルックナーにより親和的だったせいだろうか、オーケストラの響きが、全体的に腰が重すぎたこと。もう少し躍動感のあるリズムで、独奏に機敏に反応してもよかったのではないだろうか。このようにいくつか惜しまれる点があるとはいえ、ここまでの水準の演奏で、めったに取り上げられないシューマンのヴァイオリン協奏曲を聴くことができたことと、それをつうじて将来を嘱望される才能に巡り合えたことは、率直に喜びたいと思う。

広響定期338Flyer