アンゲロプロスとエレニ/ギリシア──『エレニの帰郷』を見て

テオ・アンゲロプロスという映画監督は、冬の風景ばかりを撮り続けていたのではないだろうか。『旅芸人の一座』から、先頃公開された遺作『エレニの帰郷』に至るまで。雪や冷たい雨のなかに廃墟が沈んでいくような映像──それを極限まで拡大したのが、『エレニの旅』における水没する村の映像なのかもしれない──、それはカタルシスなき歴史、彼の映画でしか伝えることのできない歴史のアレゴリーのようにも思われる。

実際、旅芸人の一座の旅に、イタリアとドイツの侵略に晒される1930年代後半から内戦が一応の終結を見る1950年代初頭までのギリシアの歴史を凝縮させ、そこにギリシア悲劇のオレステスとエレクトラの別離と再会が見事に重ねられる『旅芸人の記録』においては、一座のなかに埋めることのできない溝が穿たれ、その一人ひとりのなかに癒えることのない傷が刻まれていくさまが、およそ15年にわたるギリシア史の亀裂から浮かび上がってくる。また、『エレニの旅』における、息子の遺骸を見つけたエレニの突き刺すような叫びは、「永遠に続く苦悩は、拷問に遭っている者が泣き叫ぶ権利を持っているのと同じ程度には自己を表現する権利を持っている」という『否定弁証法』におけるアドルノの言葉を思い起こさせずにはおかない。

家族の逃れの場所だったオデッサからみなしごとなってギリシアに帰還したエレニの苦難の生涯に、20世紀のギリシアの苦難を重ねる『エレニの旅』は、国家の反逆者を匿った疑いで監獄を転々とするあいだに、まず内縁の夫を沖縄戦で失った──エレニの幼なじみで、後に恋人となるアレクシスは、音楽家として羽ばたくチャンスをアメリカに求めた後、家族を呼び寄せるために米軍の移民部隊に加わっていたのだった──うえに、第二次世界大戦後の内戦で、双子の息子まで亡くしてしまった彼女の慟哭によって締めくくられるのである。その声は、こうして歴史の暴力に晒され続けながら、エレニがそれでもなお生きている証しを、見る者の胸に刻むだろう。

そう、エレニは生き続けなければならない。別離と再会を繰り返しながら。20世紀の歴史に翻弄されるエレニの旅は続く。その過程でエレニはさらに傷を負い、その子どもも孫も傷を内に抱え込んでいく。アンゲロプロスの遺作『エレニの帰郷』(原題は“The Dust of Time”:「時の塵」)は、アンゲロプロス自身を映し出すかのような映画監督Aが、自分の両親の生涯を歴史と照らし合わせる映画を作ろうとする試みを縦糸に、その母親エレニと父親のスピロス、そしてシベリアの収容所からエレニに寄り添ってきたユダヤ系難民ヤコブの別離と再会、そしてAとその妻の離婚、さらにはそれをきっかけにしたAの娘のエレニの抑鬱を緯糸に絡ませながら織りなされていく。その運びは、これまでのアンゲロプロスの作品に比べると、いささか急な印象もなくはない。

とはいえ、この映画の基調となるのもやはり冬の風景である。スターリンの死去が報じられる雪のテミルタウ──ここに映画の時間的な原点を置くなら、『エレニの帰郷』は、『旅芸人の記録』、それと当然のことながら『エレニの旅』が終わった時点から始まっていることになる──、凍てつくシベリア、冷たい霧が立ちこめるカナダ、そして冬の重い空がのしかかる20世紀最後の日のベルリンと映画は巡り、そのベルリンでAは両親とヤコブに再会するのだが、その廃墟では、幼くして生きる拠り所を失った小さなエレニが自殺を図ろうとしている。そんなエレニと祖母のエレニの感情が共鳴し、自殺が未遂に終わるところには逆に、20世紀を生き抜いたエレニの傷が、癒合しないままその孫にまで転移していることが浮かび上がっているように思われる。

アンゲロプロスの映画において、そのような傷を噛みしめる自分の生の息遣いを他者と通い合わせ、生きていることを確かめる場として、音楽につねに重要な位置が与えられている。『旅芸人の記録』におけるアコーディオンの哀調を帯びたメロディ、『こうのとり、立ちずさんで』における国境を越えて交換される歌、『エレニの旅』におけるヴァイオリン弾きニコスを中心とする「音楽の溜まり場」が思い起こされる。しかし、『エレニの帰郷』では、音楽にこれまでとは別の意味が込められているようにも思われる。ベルリンの地下鉄駅でのストリート・バンドの音楽とそれに合わせた主人公たちの踊りは、映画を最後の展開へ動かすことになるのだ。再会を喜び、ヴィッテンベルク広場駅の階段で肩を寄せ合って踊る年老いたエレニ、ヤコブ、スピロスの三人のなかでは、それまでの生涯が走馬灯のように駆けめぐっているのだろうか。

このとき、ひときわ踊ることに熱心だったヤコブは、エレニとスピロスに別れを告げた後、シュプレーの運河に身を投げる。あたかも、エレニとともに生き抜いた苦難のなかにのみ彼の人生があったかのように。彼は天使の「第三の翼」を手にすることができなかったのか、あるいはそれを求めて身を投げたのか。ヤコブの自殺は、小さなエレニの自殺未遂と対をなしながら、20世紀における離散の民の苦悩を象徴しているのかもしれない。彼は、イスラエルへの「帰還」の機会をみずから見逃して、エレニとともにディアスポラを生き、ディアスポラのままみずから生涯を閉じた。そのようなヤコブを演じたブルーノ・ガンツの演技は、これまで見た彼の演技のなかで最も含蓄に富むものだったと思われる。

アンゲロプロス『エレニの帰郷』スチル画像