ベンヤミンの著作の翻訳書二題

08373『この道、一方通行』[細見和之訳、みすず書房、2014年]

看板や広告、パノラマやからくり人形、建築とその室内など、都市生活を織りなすさまざまな文物を、文字像として捉え、それが喚起する思想をエピグラムのように書き留める、ベンヤミンによる都市のエンブレム集とも言うべき作品。その翻訳には、本訳書のような簡潔体の散文詩のような文体が相応しい。

この作品は、ベンヤミンのほとんど片思いに終わった恋の相手アーシャ・ラツィスに捧げられ、エロスと歴史の極限へ向かう一方通行の道を指し示す。鋭敏な批評眼をもって思想を形象に込める彼の思考が、最も洗練された形式で表われているとともに、「暴力批判論」と「歴史の概念について」を結ぶ歴史哲学と、後に「人間学的唯物論」と定式化される思考とが凝縮されたかたちで示されている点で、訳者が述べるように、この作品は格好のベンヤミン入門とも言える。「ドイツのインフレーションをめぐる旅」は、この国の現在に恐ろしいほどぴたりと当てはまる。原書表題»Einbahnstraße«の訳を「この道、一方通行」とする着想も卓抜。ズーアカンプ社から刊行され始めているベンヤミン批判版全集(Walter Benjamin Werke und Nachlaß: Kritische Gesamtausgabe, Frankfurt am Main/Berlin: Suhrkamp, 2008–.)を底本とした最初の翻訳書ともなった。

『ベンヤミン・コレクション7──〈私〉記から超〈私〉記へ』[浅井健二郎編訳、土合文夫、久保哲司、内村博信、岡本和子訳、ちくま学芸文庫、2014年]

拙著『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)とほぼ同時期に刊行されたベンヤミンの著作のアンソロジー。第6巻もそうだったが、この第7巻にも、これまで日本語に訳されたことのなかったベンヤミンの著作が相当数含まれている。なかでも貴重と思われるのが、第V部「学校改革・教育」に含まれた著作で、1910年代初頭の、ヴィネケンの影響の下で青年運動の中心にいた時期のものから、1920年代後半からの、マルクス主義の影響を受けながら、児童演劇や子どものための読本などを論じた著作に至るまで、ベンヤミンが教育に対する強い問題意識を持続させていたことがうかがえる。その歩みを、アドルノが『自律への教育』(中央公論新社)で示している「アウシュヴィッツ以後の教育」の探究と照らし合わせ、今日教育の現場にも浸透しつつあるファシズムを撥ね返す子どもの力を、一人ひとりの子どもが真に生きることへ向けて引き出す教育の可能性を探ることは、喫緊の課題と言えよう。

また、こうした教育に触れた著作のなかで、ベンヤミンが自身の思想の重要な概念を繰り広げているのも注目される。青年運動期に雑誌に書かれた論考では、若きベンヤミンが思考の軸とした来たるべき「宗教」の概念──それを、本書に翻訳が収められている「宗教としての資本主義」の「宗教」と対峙させることも、彼の思想を深めるうえでも、また現在の状況に立ち向かううえでも重要だろう──が展開されているし、「プロレタリア児童劇」などを論じた後年の著作で、「複製技術時代の芸術作品」で重視される触覚や反復が、これよりも率直に論じられている。本書には、これらに加えて、履歴書や成し遂げられなかった自殺の前に書かれた遺書など、ベンヤミンが自分自身を語った重要な文書も訳出されている。さらに、日記や雑誌のためのインタヴュー記録などで、さりげなく思想の核心に触れているのも見逃せない。

先の『コレクション』第6巻には、岩波現代文庫の『パサージュ論』の翻訳で割愛されたその初期草稿が訳出されていたが、第7巻には、これまでまとまった翻訳のなかった「歴史の概念について」の異稿断片集の抄訳が収められている。これも、何度も訳されてきた「歴史の概念について」の全著作集印刷稿や『パサージュ論』の方法に関する覚え書きなどとともに、ベンヤミンの歴史哲学を広い視野から、歴史そのものの可能性へ向けて検討するための貴重な資料となろう。

この第7巻でちくま学芸文庫の『ベンヤミン・コレクション』シリーズは完結するとのことだが、同じちくま学芸文庫から出ている『ドイツ悲劇の根源』や『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』を合わせると、ズーアカンプ社から出ている7巻の全著作集(Walter Benjamin Gesammelte Schriften)のほとんどを日本語で読めることになる。これだけの量の著作を、非常に明快な訳文で読者の許に届けてくれたことに対しては、心からの敬意と感謝を表わさないではいられない。今後は、「手紙の人」ベンヤミンの全書簡集(Walter Benjamin Gesammelte Briefe:ズーアカンプ社から全6巻で刊行されている)や、徐々に刊行されつつある批判版全集の各巻の翻訳が課題となろう。

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