ミンゲット弦楽四重奏団の演奏を聴いて

広島に、そして広島から新たな耳を開くべく続けられている現代音楽の演奏会シリーズHiroshima Happy New Earの第18回目の演奏会[2014年11月18日/アステールプラザオーケストラ等練習場]に登場したのは、ドイツのケルンを拠点に活躍を続けるミンゲット弦楽四重奏団。その名は、芸術は大衆に愛されるものであるべきだと説いた18世紀スペインの哲学者パブロ・ミンゲットに由来するという。哲学者ミンゲットの精神は、もしかすると、ミンゲット弦楽四重奏団の考え抜かれたプログラム構成に表われているのかもしれない。古典的な作品やその楽章と、現代作品とが照らし合わせられる──例えば今回、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番の両端楽章のなかに、ドビュッシー、ヴェーベルン、細川俊夫らの作品が挟まれていた──ことによって、両者に通底する楽想が浮かび上がり、誰もが現代作品に近づける回路が開かれるとともに、古典的な作品のなかにも新たな発見の余地が開かれるのだ。ミンゲット弦楽四重奏団は今回、こうしたプログラム構成も含め、これまでHiroshima Happy New Earのシリーズに登場したアルディッティ、ディオティマ、ジャックといった弦楽四重奏団とはまた異なった個性を優れて音楽的に発揮していた。

とくに印象的だったのが、ミンゲット弦楽四重奏団が、内声を軸に、クァルテットとしての響きの充実を志向していたこと。第2ヴァイオリンのアネッテ・ライジンガーとヴィオラのアロア・ソリンのしなやかで、豊かに広がる音が、クァルテットの響きに深い奥行きをもたらしていた。また、それによって、メンデルスゾーンの最後の弦楽四重奏曲においては、悲痛な歌が内側から湧き上がってくる。姉ファニーの死に直面した衝撃のなかから生まれたとされるこのヘ短調の弦楽四重奏曲より両端楽章が、演奏会の最初と最後に演奏されたが、そこに込められた激情が、うねるような曲のダイナミズムに結実したのも、このクァルテットならではのことだったにちがいない。そして、この曲に見られる、動機を連綿と発展させ、精神の内奥から歌を紡ぐ行き方が、W・リームの弦楽四重奏曲にも、またヴェーベルンの弦楽四重奏のためのバガテルにも受け継がれているのを、メンデルスゾーンのあいだにこれらが置かれることで、はっきりと感じ取ることができた。

とくにリームの作品は、いくつかのモティーフを、表現主義的とも思える仕方で運動性豊かに、またあくまでそれが楽音において響く可能性を突き詰めるかたちで展開するものと言えようが、その美質がミンゲット四重奏団によって存分に引き出されていたのは非常に印象的だった。他方で、ヴェーベルンのバガテルにおいては、音そのものの最小の展開のうちに最大の自由が凝縮していることを、豊かな歌とともに響かせていたのではないだろうか。ともすれば、雰囲気的に演奏されかねないとも思われる武満の《ランドスケープ》において、このクァルテットが、鋭い打ち込みのなかから響きの層を豊かに繰り広げていたのも印象深い。それぞれの層の襞まで響いてくるかのような演奏だった。その後にドビュッシーの弦楽四重奏曲の緩徐楽章を聴くと、その静謐な響きの層に、武満の楽想の源があるかのようにさえ思えてくる。この楽章の演奏は、それぞれの楽節の特徴をしっかりと示しながら、深いところから柔らかな歌を響かせるもので、それだけで一個の作品のようにさえ聞こえるほど内容的に充実していた。

こうしたミンゲット四重奏団の響きの特徴と、質実な音楽へのアプローチが最も生きたのが、細川俊夫の《開花》の演奏であろう。一つひとつの音に時間をかけて沈潜するなかから、豊かな歌が深い憧れを内包して響いてくる。水面へ上ろうとする蓮の茎のうちで躍動する生命のダイナミズムが、これほど奥深いところから湧き出た演奏は、これまで聴いたことがない。たしかに、技術的な完成度だけを見るなら、ミンゲット四重奏団の演奏には、これまでHirosihma Happy New Earのシリーズに登場したクァルテットに及ばないところはあろう。しかし、泥土の底から這い出てくる蓮の生命を、その開花の喜びを、ミンゲット四重奏団の演奏以上に深いところから、豊かな歌とともに響かせた演奏は、これまで聴いたことがない。

アンコールには、メン261118デルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番より緩徐楽章が演奏された。深沈とした歌に満ちた、ファニーのレクイエムとも言うべきその楽章は、原子爆弾の犠牲者をはじめ、人類の苦難の歴史の犠牲者たちに捧げる一つのレクイエムとして演奏されたという。広島という場に身を置くことで生じた、クァルテットのメンバーのこのような思いもまた、演奏された作品の響きにいっそうの奥行きを添えたはずだ。広島からの霊感とともに生まれた、深い歌に富んだ音楽の出来事に立ち会えた幸運に感謝したい。

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ミュンヒェンへの旅より

ミュンヒェン中央駅の少し北の石畳に見つけた石版

ミュンヒェン中央駅の少し北の石畳に見つけた石版

10月31日から11月4日にかけて、3泊5日とごく短期間ではありましたが、久しぶりにミュンヒェンへ出かけておりました。主な目的は、すでに別稿に記しましたように、バイエルン国立歌劇場におけるベルント・アロイス・ツィンマーマンのオペラ《軍人たち》の上演を観ることと、もう一つ、今まで訪れたことがなかったダッハウの強制収容所跡を訪れることでした。《軍人たち》の上演そのものについては、別稿をご参照いただくとして、最近観たオペラの公演のなかで最も優れたものの一つと言えるこの公演について、ここで付け加えることがあるとすれば、それは会場の熱気でしょうか。

10月31日、11月2日と二回観た公演のいずれもほぼ満席で、公演が始まる前から劇場は期待感に包まれておりました。二度目に観に行ったときには、開演1時間前から始まるEinführung(鑑賞の手引き、とでも訳せましょうか)──ドイツで演奏会やオペラ公演の前にしばしば行なわれる導入の講演で、オペラ劇場では劇場所属のドラマトゥルクが、時にピアノ演奏も交えつつ、作品やプロダクションの特徴を紹介します──に間に合うよう出かけたのですが、その会場のホールがすでに満員で、2回目の講演まで半時間ほど待つことになりました。その間、コーヒーを飲みながら、論考やドキュメントなどで一冊の本と言えるほど充実した内容のプログラムの一部を読むことができました。たしかに、この強烈な公演の前半だけで帰ってしまう人もいたにはいたのですが、そのような人たちは、舞台上でダンサーたちが裸体を血痕とともに露わにすることで暗示している暴力を、今も自分たちが生み出していることを正視しようとしないのでしょう。

11月1日には、同じバイエルン国立歌劇場でレオシュ・ヤナーチェクの《マクロプロス事件》の公演も観ることができました。カレル・チャペックの同名の戯曲にもとづくこのオペラでは、人間が死すべき者であることや、近代人のアイデンティティの複数性ないし多面性が、ルドルフ二世に仕えた錬金術師の父親が作った不老長寿の秘薬のおかげで337年生きたという主人公エミリア・マルティによって、非常に興味深いかたちで問題化されるわけですが、この主人公を歌ったナージャ・ミッチェルは、芯のある声で、オペラの舞台で卓越したプリマ・ドンナを演じるという困難な課題に応えていたように思います。彼女の歌に寄り添うヴィオラ・ダモーレの演奏も魅力的でした。この古い楽器は、ヤナーチェクの他のオペラ、例えば《カーチャ・カバノヴァー》でも重要な役割を果たします。

バイエルン国立歌劇場の《マクロプロス事件》公演のポスター

バイエルン国立歌劇場の《マクロプロス事件》公演のポスター

アルベルト・グレゴルを演じたパヴェル・ツェルノクはじめ、他の歌手たちもなかなかの力演を示していましたが、最も印象的だったのは、文字通り惚け役であるハウクを演じたライナー・ゴールドベルクの歌唱でした。未だ伸びのある声と巧妙な演技で、圧倒的な存在感を示していたと思います。ヤナーチェクの音楽に通暁しているというトマーシュ・ハヌスの指揮も素晴らしく、躍動感のある音楽の運びを示すだけでなく、深い間のなかかから劇的な瞬間を響かせてもいました。アルパード・シリングの演出には、いくつか疑問が残ります。最初の場面の弁護士の部屋に無数の椅子を積み重ね、時の堆積を表現するあたり、最近広島市現代美術館で写真で見たドリス・サルセドの作品を思わせて興味深いものがありましたが、最後の場面で、うずくまったエミリアと不老長寿の秘薬の処方箋を手に立つクリスタの上に、氷山を思わせる白い樹脂製の山が覆いかぶさるのは、あまりにも人為的で、かつ本来焼かれることになっている処方箋の行く末を曖昧にするものに思われました。それから、エミリアの337年の生涯が示すように、人が複数の名を名乗って、さまざまな「何者か」でありうることにも、もう少し光を当ててもよかったのではないでしょうか。

新しいレーンバッハハウスの玄関を屋内より

新しいレーンバッハハウスの玄関を屋内より

11月1日の日中は、最近改装されたレーンバッハハウスでじっくりと絵を見ました。展示スペースが大幅に拡がっていて、この美術館の柱である「青騎士」の画家たちの展示作品はもちろんのこと、とくにカンディンスキーとミュンターの展示作品がかなり増えている印象を受けます。同じ風景をこの二人がどのように描いているかを見比べたりできるよう、展示も工夫されています。カンディンスキーの作品の色彩、とくに色の配置と形態の関係にあらためて感銘を受けました。クレーの作品の展示も、以前より増えていて、拙宅の玄関にポスターを掛けている《薔薇の庭園》の実作を見られただけでなく、ちょっとした発見もありました。1921年の《野苺》という作品と1922年の《野人》という作品に、1920年の《新しい天使》に似た形態が見られるのです。この時期のクレーを貫くモティーフを暗示しているのかもしれません。オットー・ディクスらのいわゆる「新即物主義」の画家たちの作品の展示にも、その後のナチズムへの態度を配置で暗示するなどの工夫がなされていましたし、気鋭の作家ヴォルフガング・ティルマンスの作品にもスペースが割かれていました。建物や庭園も綺麗ですし、中央駅から歩いても行けますから、ミュンヒェンへ来られた際の訪問先としてお薦めしておきたいと思います。

レーンバッハハウスの庭園を二階回廊より

レーンバッハハウスの庭園を二階回廊より

翌11月2日は午前中に、今まで訪れたことのなかったピナコテーク・デア・モデルネ(現代美術館)の展示作品を見ました。まず建物の大きさに驚かされましたが、全体としては、ロンドンのテイト・モダンを横に広げた感じでしょうか。特別展として、ジャック・リプシッツの素描や写真が展示されていたり、ヨーゼフ・ボイスの新たな民主主義へ向けた「社会的彫刻」や複製による発信をはじめとするさまざまな試みが展示されていたのを興味深く見ましたが、やはり圧倒的な印象を残したのは、いわゆる「現代の古典」の絵画の膨大な展示でしょうか。キルヒナー、クレー、カンディンスキーの魅力的な作品が数多く展示されているだけでなく、シュルレアリスムの展開を見通せるようにもなっています。《ティロル》をはじめ、フランツ・マルクとアウグスト・マッケという第一次世界大戦で斃れた二人の画家の到達点を示す作品を目の当たりにし、しばらくその場を動くことができませんでした。

この日の午後には、ミュンヒェン在住の音楽批評家マックス・ニフラーさんに、イギリス庭園での散歩にお誘いいただきました。穏やかな日差しに黄色に色づいた木々の葉が映えるなかを一緒に歩きながら、たくさんの貴重なお話をうかがうことができました。バイエルン国立歌劇場で上演されているツィンマーマンの《軍人たち》にも話が及び、その初演を担当したミヒャエル・ギーレンは、ユダヤ系の出自を持ち、ナチスの迫害を受けた者としての実存的な決断として、このオペラのケルンでの初演の指揮を引き受けたのだと語っておられました。第二次世界大戦の戦いにドイツ軍の兵士として従軍し、負傷した経験を持つツィンマーマンがこの作品を書いたこととの符合を感じさせるお話です。イギリス庭園では、スポーツに汗を流したり、マースと呼ばれる1リットルのビア・ジョッキを傾けたりと、人々が思い思いに日曜の午後を楽しんでいました。

»Arbeit macht frei«と書かれた鉄扉が失われたダッハウ強制収容所の入口

»Arbeit macht frei«と書かれた鉄扉が失われたダッハウ強制収容所の入口

滞在最終日の11月3日は、午前中からダッハウの強制収容所跡へ出かけましたが、そこに着くなり、衝撃的な出来事を目の当たりにすることになりました。写真から分かるように、収容所の監視塔の下の鉄扉が»Arbeit macht frei«(「労働は自由にする」)の文字ごと無くなっています。11月1日から2日の夜間に盗まれたとのことでした。まだ犯人が捕まっていないので、誰がどのような意図をもってこの扉を盗んだのかはわかりませんが、ナチスの蛮行を象徴するものがこの場から取り去られること自体に、途方もない気味の悪さを覚えます。歴史修正主義の臭いを感じないではいられません。その日の昼前に行なわれた記者会見で述べられていたように、この歴史的な場所を保存することの精神の根幹を傷つける犯行であるのは確かでしょう。ちなみにこの扉は、1936年に強制労働によって鋳造されたオリジナルで、同じ文字を掲げた門が、よく知られているように、後にアウシュヴィッツにも造られました。アウシュヴィッツのそれも、一度盗まれて破壊されています。

そのようなわけで、空の色とは対照的に、非常に重苦しい気持ちを抱えながら収容所の施設を見て回ることになりました。1933年に開設されたこのダッハウの強制収容所は、最初の大規模な強制収容所の一つで、その後の強制収容所およびその運営のモデルとなっています。この収容所は、収容所を支配する親衛隊幹部の訓練地の役割も担っていたようです。さらに、この収容所の火葬場には、小規模ながらガス室も備わっていました。ここで「選別」された囚人たちが次々とガス殺されていたわけですが、それは東方の占領地に設けられた絶滅収容所における殺戮の実験の意味合いもあったのかもしれません。資料館では、こうしたことが歴史的背景とともに、きわめて詳細に説明されていました。心理学者のブルーノ・ベッテルハイムがここに収容されていたのはよく知られていますが、チェコの作家にして画家で、カレル・チャペックの兄のヨーゼフ・チャペックもダッハウに収容されていたことも知りました。カレル・チャペックの戯曲にもとづくオペラを観た直後だっただけに、このことは胸に迫るものがありました。

ダッハウ強制収容所の木立のあるメイン・ストリート

ダッハウ強制収容所の木立のあるメイン・ストリート

ところで、今回の旅行ではあまり落ち着いて食事をする暇がなく、朝食以外にまともに座って食べたのは、11月1日の夜の《マクロプロス事件》の公演後に、たまたま見かけたイタリア料理の店でペンネ・アラビアータを食べたときだけでした。勘定を済ませてその店を出るとき、Auf Wiedersehen!(さようなら)と店の人に声を掛けたところ、「チャオ、チャオ!」と愛想よく挨拶を返してくれたのですが、それを耳にして思い出したのが、旅のあいだ読んでいたヘルタ・ミュラーの小説»Herztier«(『心の獣』とでも訳せるでしょうか)の一節でした。そこでは、どこかで覚えた「チャオ、チャオ」の言葉をルーマニアの子どもが使うのを、大人が制止するのです。独裁者チャウシェスクの名を思い起こすから、というわけですが、それほどまでに彼の独裁の恐怖が、ルーマニアの人々、とりわけ彼の独裁体制に順応できない人々の身体に浸透しているのを、ミュラーの小説は、時に韻文の響きを聴かせる文体で、非常に細やかに描き出しています。この小説の錯綜した時間は、相互監視体制の暴力が、亡命に成功した人の心にも癒しがたい傷を残していることを暗示しているにちがいありません。

ドイツの東西統一と東ヨーロッパの「民主化」の決定的な契機となったベルリンの壁の崩壊から、今年の11月8日でちょうど四半世紀が経ちますが、このような節目に、ミュラーの文学が迫っているような、旧東側の独裁体制下に生きた人々の記憶を、例えば、今パレスティナで隔離壁によって、移動の自由をはじめ、あらゆる自由を奪われるだけでなく、不断の監視に曝されてもいる人々の経験と照らし合わせることが重要なのではないでしょうか。そうして、この隔離壁に象徴される新たな、時に不可視の壁が、レイシズムとも結びつきながら人々のあいだに張り巡らされていくのを食い止めることが喫緊の課題であることを、祝祭に湧きつつあるドイツに短いあいだ滞在して、あらためて思わざるをえませんでした。

バイエルン国立歌劇場におけるB. A. ツィンマーマン《軍人たち》の上演に接して

バイエルン国立歌劇場のB. A. ツィンマーマン《軍人たち》ポスター

作曲家ベルント・アロイス・ツィンマーマンについてのドキュメンタリーに収められたインタヴューのなかで、《軍人たち》のケルンでの初演を指揮したミヒャエル・ギーレンは、ツィンマーマンはこの途方もないオペラのために、今も社会に蔓延している暴力を仮借なく抉り出す音楽だけでなく、光彩に満ちた歌も書いたと述べていた。それに呼応するかのように、2014年の春と秋にバイエルン国立歌劇場で行なわれた《軍人たち》の上演で主人公のマリーの役を歌ったバーバラ・ハンニガンも、テレビ放送のためのインタヴューのなかで、マリーの歌にあるのは、美しいベル・カントだと語っている。

2014年の10月31日と11月2日に、このバイエルン国立歌劇場での《軍人たち》の上演に接する機会に恵まれたが、その際、ツィンマーマンが書いた、時に切々と、また時に身をよじるように歌われる光彩豊かな歌にしっかりと耳を傾けることができた。そして、その歌のなかから、暴力の蠢きを、あるいはその身体への刻印を感じないではいられなかった。例えば、第一幕におけるマリーとデポルトの出会いの場面において、両者の歌の高い音域への跳躍は、一方では「高貴」な人に対する態度としてマリーの身に染み付いてしまったコケットリーを、他方ではデポルトのぎらりと閃く艶っぽさを示しながら、その出会いに続く暴力の予感に充ち満ちている。

こうしたことがはっきりと感じ取られるほどに、アンドレーアス・クリーゲンブルクの演出は、ツィンマーマンの音楽を舞台に生かすものだった。彼は、現代のオペラの演出で時に見られるように、センセーショナルな仕掛けによって音楽を遮ってしまうことはない。彼はむしろ、音楽と身体的表現を緊密に結びつけることで、音楽そのものの強度をより凝縮されたかたちで伝えていた。クリーゲンブルクの演出は、ダンサーを数名登場させ──時に肉体を剝き出しにし、虐待の跡をも露わにする女性ダンサーの表現は、芸術的にきわめて洗練されたものと思われた──、歌手の身ぶりも舞踊的に様式化することによって、軍隊における訓育と当時の市民社会の抑圧性の身体的表現を、ツィンマーマンの音楽の厳密な形式性と一体化させることによって、《軍人たち》という作品の主題である暴力の核心に迫ることに迫ることに成功していたのではないだろうか。第二幕で舞台上の身ぶりは、さまざまな器物を叩きながら、音楽の厳格なリズムとも一つになっていた。

クリーゲンブルクの演出においてもう一つ特筆されるべきは、舞台装置である。多くの場面が舞台上に積み重ねられた檻のような箱部屋で演じられ、その一つひとつが前後に移動する。このことによって、ヤーコプ・ミヒャエル・ラインホルト・レンツの同名の戯曲にもとづくこのオペラの上演を困難にしている、異なった場所のほぼ同じ時間の場面が続くという問題を解くことだけでなく、軍隊の閉鎖性や、この閉鎖的な組織に内在する性暴力を、より鮮明に表現することができていた。さらに、舞台の両端から出入りする長机の使い方も印象的であった。それは当初マリーがシュトルツィウスへの手紙を認める机として現われ、後には彼女を市民社会から弾き出す力として現われる。大道具の運動がこれほど効果的に使われた舞台は、今まで観たことがない。

今回のバイエルン国立歌劇場での《軍人たち》の上演において、クリーゲンブルクの演出とともに感銘深かったのは、指揮者のキリル・ペトレンコの見事な統率力と、それに応えたオーケストラの力演であった。仮借のない打楽器の打撃の激しさも、第二幕に聴かれる瀆神的なまでに輝かしく響く金管楽器のコラールも印象的であったが、それにも増して素晴らしいと思われたのは、弦楽器群の表情の振幅の大きさであった。その緊密なアンサンブルは、時に荒々しく蠢き、また時に、時間が止まるかと思うまでに張りつめたピアノを聴かせてくれた。すでに触れたように、舞台上の打楽器奏者たちの巧みさも光ったし、ジャズ・コンボの演奏にも目覚ましいものがあった。

歌手たちのなかでは、やはりマリー役のバーバラ・ハンニガンが際立った存在感を示していた。彼女は、「ドラマティックなコロラトゥーラ」という無理な声質への要求に見事に応えながら、技術的にきわめて困難と思われる音の跳躍のなかで、艶と陰の双方を響かせていた。時折聴かれる柔らかなカンティレーナは、癒しがたい傷と幸福への切なる願いを一つながらに響かせていたように思う。マリーの姉のシャルロッテの役を歌った、オッカ・フォン・ダムラウの豊かな声も忘れがたい。レンツの詩を歌う冒頭の歌唱は、情景を破局の予感とともに浮かび上がらせていた。そして、第三幕に聴かれるマリー、シャルロッテ、ニコラ・ベラー・カルボーンが歌ったラ・ロシュ伯爵夫人の三重唱は、リヒャルト・シュトラウスの《薔薇の騎士》の終幕の三重唱の陰画のように響きながら、出口のない状況における慄きを切々と歌うものだったように思う。これら以外では、シュトルツィウス役を歌ったミヒャエル・ナジーが、思い詰めた男の深い叫びを見事に響かせていた。デポルト役のダニエル・ブレマも巧みだったが、彼を含めた男性歌手のそれぞれの性格の違いがもう少し際立てば、力関係としての人間関係がいっそう明瞭になったのではないだろうか。

幕切れが近づくと、マリーの陵辱が演じられた舞台中央の溝には、ゴミ袋が投げ込まれていく、人が、女性が、死に至るまで虐げられ、棄てられていく社会があることを、今に突きつける演出である。その傍らでは、別の女性の陵辱が続き、ゴミ袋のあいだを縫ってマリーを探す父親は、物乞いをするマリーをもはや認めることができない。そして、そのあいだも軍靴の音は止むことがない。それがふと静まったところで、凄まじい叫びが響いて、《軍人たち》は幕切れを迎えるわけだが、今回その叫びは、舞台上にいるすべての演者とスピーカーから発せられた。スピーカーから聞こえるのは、サンプリングされた無数の匿名の人々の叫びである。これらは、クリーゲンブルクの演出による今回の舞台において、軍隊組織のなかで最も腐敗したかたちで、しかも性暴力のかたちで今も跋扈している暴力の犠牲となったすべての人々の叫びを凝縮した叫びだったのではないか。このような叫びを劇場に響きわたらせることによって、ツィンマーマンは、この暴力の歴史の連続に介入しようとしていたにちがいない。そこにある歴史を中断させる力を、バイエルン国立歌劇場における今回の《軍人たち》の上演は、洗練された表現によって、またそれだけに凝縮されたかたちで劇場空間に発揮させるものだったと考えられる。

ほとんど一冊の本と言ってよいほど充実した内容の《軍人たち》プログラムの表紙

ほとんど一冊の本と言ってよいほど充実した内容の《軍人たち》プログラムの表紙