Chronicle 2014

ダニ・カラヴァン《初めに》(霧島アートの森)内部より

ダニ・カラヴァン《ベレシート(初めに)》(霧島アートの森野外展示)内部より

年の瀬にようやく寒さが落ち着いた感がありますが、今年の冬の寒さは例年になく厳しさで、12月中旬には広島でもかなりの雪が降り積もりました。すでに別稿で述べたとおり、それは息苦しい冬の時代の到来を告げるかのようでもあります。東日本大震災と福島の原子力発電所の重大事故を経て、日本列島の人々の暮らしは少しは身の丈に合ったものに変わるかと思いきや、二度の総選挙を経てこの国に残ったのは、救いがたくフラットで、目障りなほどに華やかさを装う「ニッポン」という虚像。この自己慰撫と他者への憎悪によってのみかろうじて維持しうる華やかさを増殖させるために、今や放射能の深刻な脅威が、日本列島の全域に実際に迫りつつあります。そして、そのキッチュなきらびやかさと表裏一体の排他的な歴史修正主義は、暴力の歴史の犠牲になった人々の尊厳を奪いながら、日本列島に生きる人々の世界的な信用を損ねています。

人々の生を資本に売り渡して圧殺する「ニッポン」という神話の暴力に抗して、まずアジアの島々の連なりのうちに息をつく余地を探ることが、どうやら来たる年の課題になりそうです。そのために、これまでにも増して地に足を着けて哲学することが求められるように思われてなりません。そこで来年はまず、被爆70周年を迎える広島の記憶を、その複数性と世界性において再考し、その痕跡と証言を今ここで見届け、聴き届ける可能性を考えてみたいと思います。今年夏に起きたイスラエル軍によるガザ地区の人々の虐殺も連なる暴力の歴史を見通し、それを食い止める可能性へ向けて、ヒロシマの記憶は継承されるべきではないでしょうか。そして、その理論をもう一つの歴史、「国民」の名の下の暴力の歴史の残余から描き出される歴史の概念に結びつけていくのが、次なる課題となることでしょう。

そのためにも、先頃批判版のテクストが刊行されたヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について」を読み直すことが急務と思われます。その足がかりとして、今年の夏、奇しくもベンヤミンの誕生日に当たる7月15日に、学位論文を基にした著書『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』を平凡社から上梓することができました。そのためにご尽力くださった編集者の関正則さんと安井梨恵子さんに、あらためて心から感謝申し上げます。幸い拙著は、各方面で温かく迎えられているようで、すでに二つの書評が公にされ、一千人近い読者を得ています。また10月11日には、西南学院大学で拙著の合評会も催していただきました。その実現にご尽力くださった田村元彦さんと行友太郎さんに感謝申し上げます。

この合評会の場でも拙著に素晴らしいコメントをくださった森田團さんには、『週間読書人』紙の12月5日号に、「研究の大きな道標に──言語と歴史をめぐる思考の内的な連関を解釈する可能性を指し示す」と題する濃密な内容の書評をご寄稿いただきました。拙著の意義とアクチュアリティを緻密に読み解いたうえで、ベンヤミンの問いを受け継ごうとするモティーフまで汲んでくださっています。また、インパクト出版会の『インパクション』第197号には、細見和之さんによる拙著の書評「『歴史の天使』は破局に満ちたこの現在にあくまでとどまろうとする」が掲載されています。拙著のベンヤミン受容史における位置、彼の言語哲学と歴史哲学を接続させる議論の意義と射程などを明らかにするとともに、今後課題とすべき点もしっかり指摘した、非常に充実した内容の書評と受け止めております。これらを励みに、上に記したような課題に取り組むべく、研究に精進したいと思います。

今年も、講義と大学の公務と家事の合間を縫って研究と執筆を続ける日々が続いたわけですが、そのなかで、11月にバイエルン国立歌劇場で観たベルント・アロイス・ツィンマーマンの《軍人たち》をはじめ、素晴らしい音楽や舞台に触れられたのは大きな喜びでした。また、細川俊夫さんのモノドラマ《大鴉》の広島初演へ向けた日本語字幕制作や、武生国際音楽祭などでのレクチャーや演奏会をつうじて、音楽と言葉の関係について、実際に作品に触れながら考える機会を持てたことも刺激的でした。そして、私も「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌」という報告をさせていただいた12月下旬の原爆文学研究会は、あらためて詩を生きることの可能性を実感する貴重な機会となりました。詩を生きることの分有のためにも、言葉そのものをさらに掘り下げなければと思います。

以下に記すように今年一年の公的な活動を振り返ると、たしかに今年の前半はさまざまな仕事が積み重なって、相当に忙しかったことが分かります。そのためもあって、7月初旬に橈骨神経麻痺を発症し、2か月強にわたり利き手の右手が不自由な生活を余儀なくされました。おかげさまで今はほぼ何の問題もなく右手を使って仕事ができていますが、長いリハビリの日々は、生活観をかなり変えることになりました。以前は一顧だにしなかった筋力の強化のため、週二回ほどジムに通って、ウェイト・トレーニングとスイミングに取り組んでいます。その成果もあって基礎体力はいくぶん向上しました。引き続き体力の強化に努めながら、地道に仕事に取り組んでいきたいと思います。来たる年もよろしくご指導くださいますようお願い申し上げます。2015年がみなさまにとって少しでも平和で幸せに満ちた年になることを祈念しております。

■Chronicle 2014

  • 1月31日:細川俊夫さんの《星のない夜──四季へのレクイエム》の広島初演が行なわれた広島交響楽団第335回定期演奏会のプログラムに、プログラム・ノートを寄稿しました。この大規模な声楽作品《星のない夜》が、ゲオルク・トラークルの詩をつうじて、四季の循環とそのなかの生々流転を描きながら、広島への原子爆弾の投下とともに、ドレスデンへの空襲を想起する作品であることに触れたうえで、その構想の重要な契機となったのが、パウル・クレーの《新しい天使》とその絵に寄せられたテクストであることにも論及しています。《星のない夜》という作品全体の特徴を紹介し、この作品を、過去を想起するよう促す裂け目を含んだ新しい暦と特徴づけました。併せて、モーツァルトのフリーメイソンのための葬送音楽とヨーゼフ・マルティン・クラウスの交響曲嬰ハ短調の特徴も紹介しています。
  • 2月7日:同日付中国新聞29面に、「佐村河内守作曲」とされてきた作品の作曲者偽装問題について、「作品批評の在り方検証を」という論考を寄稿しました。「交響曲第1番HIROSHIMA」をはじめとする楽曲が別人の作曲によるものであったことが判明したことを受けて、その音楽自体を批評にもとづいて紹介するのではなく、耳が聞こえないなかで作曲する「現代のベートーヴェン」の神話だけを独り歩きさせてきた音楽業界とマス・メディアのあり方を批判し、そのイメージ戦略に乗って美談の消費に流れ、広島では「市民賞」を授与するにまで至った音楽文化のあり方に警鐘を鳴らす内容のものです。
  • 3月7日:学位請求論文「ベンヤミンの言語哲学──翻訳と想起」により、上智大学より博士(哲学)の学位を授与されました。この論文は、7月に刊行される著書『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)の基になった論文です。本にするにあたり、終章を中心にかなり改稿しました。論文要約が上智大学学術情報リポジトリに掲載されています。
  • 3月20日:広島大学総合科学研究科人間存在研究領域人間文化研究会編『人間文化研究』第6号に、「谺の詩学試論──ベンヤミンにおける『谺』の形象を手がかりに」が掲載されました。2013年7月23日に、ポーランドのクラクフで開催された第19回国際美学会 (19th International Congress of Aesthetics) において英語で発表した原稿 (Toward the Poetics of Echo: From Revisiting the Image of “Echo” in Walter Benjamin’s Writings) のもとになった日本語の草稿を改稿したものです。ヴァルター・ベンヤミンの著作、とくに「翻訳者の課題」と「歴史の概念について」に見られる「谺(こだま:Echo)」の形象を批判的に検討するとともに、それが示唆する美的経験を、パウル・ツェランや原民喜の詩的作品のうちに見届けながら、「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」以後の詩的表現の可能性とともに、いわゆる「表象の限界」を超える歴史的想像力の可能性を探っています。
  • 4月1日:丸川哲史さんの著書『魯迅出門』(インスクリプト、2014年)の書評「転形期における魯迅の『文』の探究を世界的な文脈へ解放する」が、『情況』3・4月合併号に掲載されました。魯迅の文学を、従来の魯迅研究などから解放しつつ新たに読み解き、そこに世界史を自主的に構成する道の模索を見て取ろうとする本書の特色を、魯迅の「文」の探究を中心に論じています。この「文」の探究を、中国を越えて同時代の文学における「文」の試みと接続させることによって、魯迅を読み直す新たな、世界的な文脈を開いている点に光を当てるとともに、それによって魯迅とヴァルター・ベンヤミンの同時代性が浮き彫りになっている点に注目しました。
  • 4月〜7月:広島市立大学国際学部の専門科目として、「共生の哲学I」、「社会文化思想史I」、「多文化共生入門」の講義、「発展演習I」、「卒論演習I」、オムニバス講義の「国際研究入門」を担当しました。「国際研究入門」ではコーディネーターも務めました。大学院国際学研究科の「現代思想I」では、ジョルジョ・アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの──アルシーヴと証人』(月曜社)を講読しました。全学共通科目として、「世界の文学」の2回の講義と「平和と人権A」の1回の講義を担当しました。広島大学では教養科目の「哲学A」の講義と「戦争と平和に関する総合的考察」の2回の講義を、日本赤十字広島看護大学では「人間の存在」の講義を担当しました。
  • 6月7日:広島市立大学の「いちだい知のトライアスロン」事業の出張講座として、広島市映像文化ライブラリーにて「迷宮としての映画──ヴォイチェフ・イェジー・ハス監督『サラゴサの写本』」と題する短い講演を行ないました。ポーランド貴族ヤン・ポトツキが1804年から1805年にかけてロシアのサンクトペテルブルグで秘密出版した幻想的な小説『サラゴサ手稿』を原作とするハス監督のこの1965年の作品の映像美は、ルイス・ブニュエルをはじめとする世界中の映画監督を魅了してきましたが、そこではナポレオン戦争時代のスペインのサラゴサで一人の将校が偶然手に取った一冊の古い写本のなかで回想が別の回想を呼び、物語がいつ果てるともなく連なっていき、さながら映画そのものが迷宮と化すかのようです。今回の講演では、ハス監督の傑作をポトツキの小説とともに紹介しながら、この迷宮としての映画の魅力に迫りました。
  • 7月1日:広島芸術学会の『広島芸術学会会報』第128号に、「『そっくり』の深淵へ──このしたPosition!!リーディング公演『人間そっくり』を観て」という劇評が掲載されました。5月2日に広島市の東区民文化センターのスタジオ2で行なわれた「人間そっくり」の公演の批評で、京都の演劇ユニットこのしたやみと三重県の劇団Hi!Position!!による、安部公房の小説『人間そっくり』を構成したテクストのリーディングによる公演を、リーディングと巧みな演出によって安部公房の作品の論理的な仕掛けを生かしたスリリングな舞台と紹介しています。
  • 7月12日:『図書新聞』第3166号に、「大衆文化の夢から目覚め、歴史の主体になれ──歴史への覚醒の場をなす形象の座標系」と題するーザン・バック=モースの『ベンヤミンとパサージュ論──見ることの弁証法』(高井宏子訳、勁草書房、2014年)の書評が掲載されました。ベンヤミンの『パサージュ論』の古典的研究を読み解き、そこにあるベンヤミンの「弁証法的形象」を媒体とする「根源史」の試みの救出に光を当てることで、歴史修正主義とも結びついた今日の大衆文化からの歴史への覚醒を今に語りかける一書として、日本の読者に紹介するものです。
  • 7月15日:著書『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』を平凡社より上梓しました。先に上智大学に提出された博士論文を改稿したものです。言語の本質を探究するベンヤミンの哲学的思考を、彼が生涯の節目ごとに著作のうちに描き出した天使の像に結晶するものと捉えつつ、そのような思考を、初期の言語論「言語一般および人間の言語について」から、遺稿となった最晩年の「歴史の概念について」に至るまで貫かれる思考として読み解き、ベンヤミンの思考を独特の言語哲学として描き出そうと試みるものです。本書は、言葉を発すること自体を「翻訳」と考えるベンヤミンの着想に注目しつつ、それが深化される過程を辿ることによって、言語そのものが、共約不可能な他者と呼応し合う回路を切り開く力を発揮しうることを示しています。さらに、過去の出来事を一つひとつ想起する経験のなかから、神話としての「歴史」による抑圧を乗り越えて新たに歴史を語る可能性をも、言語そのものから引き出そうとしています。もう少し詳細な内容と目次については、別稿をご参照ください。
  • 9月27日:9月27日と28日にアステールプラザ大ホールにて開催された、ひろしまオペラルネッサンスのビゼー作曲『カルメン』の公演のプログラムに、「掟を知らない自由を歌うオペラ、その掟破りの新しさ──ビゼーの『カルメン』に寄せて」と題するプログラム・ノートを寄稿しました。『カルメン』というのオペラの時代に先駆けた、かつ当時のオペラの慣習を破る新しさを紹介し、まさにそうした掟破りの新しさによって、けっして掟に縛られることのない、かつ身体的に生きられる自由が表現されていることを、時代背景などに目配りしつつ描き出すものです。
  • 10月〜2015年2月:広島市立大学国際学部の専門科目として、「共生の哲学II」、「社会文化思想史II」の講義、「発展演習II」、「卒論演習II」を担当しています。大学院国際学研究科の「現代思想II」では、カントの『判断力批判』の美と崇高の分析論を講読しています。全学共通科目として「哲学B」を担当しています。広島大学の教養科目「哲学B」の講義と、広島都市学園大学の「哲学」の講義も担当しています。
  • 11月16日:広島平和文化センターの主催による「国際交流・協力の日」の催しとして行なわれた広島市立大学国際学部の公開講座「大衆文化を通じた国際交流──世界各国における日本の大衆文化・日本における世界の大衆文化」の司会を務めました。
  • 12月21日:九州大学西新プラザで開催された第46回原爆文学研究会「戦後70年」連続ワークショップIV「カタストロフィと〈詩〉」 のパネリストとして、「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜を中心に」と題する研究報告を行ないました。テオドーア・W・アドルノの「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」という言葉を、その文脈から跡づけ、そこに含まれる問いを取り出したうえで、それに対する詩の応答の一端を、原民喜とパウル・ツェランの詩作のうちに求め、そこに含まれる詩の変貌ないし変革に、破局の後の詩の可能性を見ようと試みるものです。

二つの研究会に参加して

パウル・ツェランの「死のフーガ」の詳細な註解書

パウル・ツェランの「死のフーガ」の詳細な註解書

早いもので、2014年も暮れようとしています。この冬は、例年になく厳しいものになりそうです。時ならぬ大雪が示すように寒さも厳しいですが、それは厳しい抵抗の日々の到来を告げるかのようです。華やかさを装いながら人々の苦難を食い物にし、働く人々の生活を破壊し、そして核によって生命そのものを壊滅させることでますます増殖しようとしている権力に、そのファシズムの文字通り「神話的」な暴力にいかに立ち向かうか、そしていかに他者とともに生きることに踏み止まるかが、これから問われることになるでしょう。

さて、そのような厳しい日々を生き抜く道を探るうえでも、この師走に二つの研究会に参加できたことは非常に刺激的でした。その一つは、2014年12月14日に東京ドイツ文化センターにて第3回日独哲学会議として開催された、マルティン・ハイデガーのいわゆる『黒ノート』についてのワークショップです。この『黒ノート』とは、ハイデガーが密かに記していた哲学的手記とでも言うべきノートで、彼が死後に全集の最後の巻として公刊することを指示していたものです。このほど、その遺志に反するかたちで出版されたこの『黒ノート』ですが、出版に先だってその内容の一部が伝えられた際に、そこに反ユダヤ主義的な言辞が含まれることが激しい論議を呼び、「ハイデガー問題」が再燃することになりました。

今回の東京の会議には、現在全3巻1200ページに及ぶ『黒ノート』のテクストを編集したヴッパータール大学のペーター・トラヴニーさんが招かれていて、そこに込められたハイデガーの思想について、詳しく聞くことができました。また、このテクストとそれをめぐるヨーロッパの議論をいち早く紹介した三島憲一さんをはじめとする日本の研究者が、『黒ノート』が問いかけるものを議論しました。個人的には、例えば、単独性と共存のあいだの断層をはじめとする、ハイデガーの思想そのものに内在するいくつかの断層を指摘した加藤恵介さんの報告が、ハイデガーのテクストへの新たな切り口を示すものと思われました。

もし、その断層が、三島さんの指摘する「公共性」ないし「世界性」の欠如──例えば、ハイデガーのユダヤ人観はユダヤ教を欠いた一面的なもので、それ自体反ユダヤ主義的なソースにもとづいているようです──のなかで、一種の決断によって架橋され、それとともに「民族」、「人種」、さらには「存在論的マニ教主義」が語られているとすれば、トラヴニーさんが『黒ノート』に見る「存在史的反ユダヤ主義」の問題はきわめて根深く、それは和辻哲郎らの京都学派におけるハイデガー受容にも、さらには今日「日本人」をことさらに言挙げする排他的言説の淵源にも、深刻な問いを投げかけるものと言わざるをえません。

さらに、この催しそのものが、日本におけるこれからのハイデガー受容に、すなわち今ハイデガーを読むことに、重い問いを突きつけるものであったように思います。そのテクストでハイデガーが「世界ユダヤ人組織」といった不穏な言葉を語っているのを、現在を照らす問題としてどのように受け止められるかに、このワークショップでトラヴニーさんが言及していた哲学者の感受性、とくに受苦に対する感受性が表われることでしょう。ハイデガーの『黒ノート』については、今後も日本国内で論じられる機会があると聞いています。哲学の徒の一人として、そこでの言論の動向を注視したいと思います。

もう一つの研究会は、2014年12月21日に、九州大学西新プラザで開催された第46回原爆文学研究会でした。この研究会がここのところ連続して行なっている「戦後70年」を考えるワークショップの一つ「カタストロフィと〈詩〉」での報告を、おかげさまで大過なく終えることができました。それにしても今回の原爆文学研究会は、刺激に満ちたものでした。このような濃密かつ多様な観点に開かれた議論の場でお話させていただいたことを、心から光栄に思っています。ワークショップのコーディネーターの野坂昭雄さんはじめ原爆文学研究会のみなさまに心から感謝申し上げます。

ナーズム・ヒクメットの「希望」という素晴らしい詩との出会いから始まった今回の研究会の前半のワークショップ「古典詩と現代詩の協奏」では、生身で歴史的な問題と格闘し、その過程で身を削って、言葉とともに身についた心性を乗り越えようとする詩の試みや、言葉の重層性と可塑性を最大限に活かす語の配置によって、現在の問題の核心に踏み込む詩の試みに、詩の朗読をつうじてじかに触れられたのは、本当に得がたい体験でした。言葉の肌理ないし肌触りにじかに触れられる場としてのポエトリー・リーディングの重要性も、あらためて実感しました。

私が報告させていただいた後半のワークショップでは、高橋由貴さんによる原民喜の作品の精緻な読解から、晩年の作品を、散文と詩を往還して読み解くことの重要性とともに、失語を潜り抜けて生まれた作品における渦や緑のような形象の重要性についても教えられました。また、中原中也記念館館長の中原豊さんからは、須藤洋平という独特の感性をもって大震災と原発事故に向き合う詩人の作品を、その成立の背景とともにご紹介いただき、大変興味深かったです。私の報告は、アドルノの「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」という言葉を、その文脈から跡づけ、そこに含まれる問いを取り出したうえで、それに対する詩の応答の一端を、原民喜とパウル・ツェランの詩作のうちに求め、そこに表われる詩の変貌ないし変革に、破局の後の詩の可能性を見ようとするものでした。その内容が活字化されましたら、またお伝えします。

今回の報告に、すでに膨大なツェラン研究の成果を充分に盛り込めなかったのは残念ですが、それは今後の研究の課題としたいと思います。拙い報告を聴きに来てくださった方、熱心にご質問くださった方には心から感謝申し上げます。全体として今回の研究会は、批評性を自己自身のうちに含みながら破局的な現実の深奥に踏み込む詩の力を再確認する場になったと思います。中原さんによると、須藤洋平にとって「死にっぱぐれた」自分が「塩辛い」生を生きることと、詩を書くことは一つとのことですが、そのように生そのものを賭けて書かれた詩を、今こそこの世界に生きる糧にしなればと思うことしきりでした。言葉の欠片を拾い上げ、それが響かせるものを聴き分けながら、人々を搦め捕り、束ねようとする言葉の喧騒に立ち向かう詩の営みは、地上にそれでも生き続けるための抵抗の拠点の一つになりうるのではないでしょうか。もしかすると、フリードリヒ・ヘルダーリンが語った「人はこの地上に詩的に住む」という言葉は今、このような可能性へ向けて読み直されうるのかもしれません。