広島での細川俊夫《リアの物語》公演のお知らせなど

Hiroshima Happy New Ear Opera II:細川俊夫《リアの物語》公演flyer

Hiroshima Happy New Ear Opera II:細川俊夫《リアの物語》公演flyer

早いもので、1月も半ばを過ぎました。原稿執筆に追われたこの半月でした。仕事の一つは、ある事典のためのヴァルター・ベンヤミンについての大項目の原稿の執筆で、彼の哲学を「経験」をキーワードに、以前に書いた中央公論新社の『哲学の歴史』第10巻所収の拙稿とは異なった角度から紹介する内容となりました。こちらは年内にはお届けできるものと思います。もう一つの仕事は、Hiroshima Happy New Ear Operaの第2回公演として行なわれる、細川俊夫さんのオペラ《リアの物語》の公演のプログラム・ノート。この細川さんの最初のオペラの原題が“Vision of Lear”であることに着目しつつ、これが能の精神からの新たなオペラの誕生を印づける作品であることを指摘する内容のものを書きました。その公演の初日まで二週間を切りましたので、広島での《リアの物語》の公演のことを、ここでもお知らせしておきます。

2012年1月の細川さんの《班女》の公演に続くHiroshima Happy New Ear Operaの第二回の公演として、《リアの物語》が1月30日(金)と2月1日(日)に広島市のアステールプラザ中ホールで上演されます。この作品の16年ぶりの日本での上演となります。2年前の《班女》と同様、能舞台を使って上演されるのが、何よりも注目されるところでしょう。細川さんが、能の精神に深く根差しながら、独自の音楽でシェイクスピアの『リア王』の核心に迫った最初のオペラ、そして従来の「オペラ」を超える新しいオペラが、この能舞台でどのように響くか、期待が膨らみます。また、能にインスパイアされつつ振り付けや舞台演出を続けてきたルーカ・ヴェジェッティさんによる演出も、能舞台を、そして能のさまざまな特性をフルに生かして、登場人物たちの魂を舞台に浮かび上がらせることでしょう。

リア役を歌うのは、欧米の数々の劇場で活躍するマレク・M・ガシュテッキさん。また、リアの三人の娘の役を歌うのは、《班女》で素晴らしい歌を聴かせた藤井美雪さんと半田美和子さん、そしてひろしまオペラルネッサンスで目覚ましい活躍を示している柳清美さんです。この四名をはじめ、いずれも実力ある歌手たちがキャストを務めるのも、期待をいっそう高めます。昨秋のモノドラマ《大鴉》の公演で素晴らしい指揮を見せた、川瀬賢太郎さんが指揮する広島交響楽団の演奏も聴き逃せません。1月30日が19時開演、2月1日が14時開演です。全国からこの《リアの物語》の公演にお越しくださることを願っております。満場の聴衆とともに、日本からの新たなオペラの可能性が開ける瞬間を見届けたいと思います。

最後に、本ウェブサイトに、別のウェブログに掲載していた書評のいくつかを、過去の資料の確認も兼ねて転載しておいたことをお伝えしておきます。すでに10年近く前に書いたものですから、今となっては拙いところが目立ちますが、2005年の後半から翌年にかけて、かなり集中的に読みつつ考えたことが、現在に至る思考の骨格を形成していることを、あらためて顧みたところです。少し舞台裏を明かしているところもあるかもしれません。また、ポツダムでの研究滞在を終えて帰国したところで被爆と敗戦から60年目の年を迎え、何とかしなければ、という思いが強かったのも確かです。被爆と敗戦から70年となる今年、先の戦争を引き起こした要因が未だ精算されないなか、原爆に遭った人々の思いを踏みにじるかたちで核の脅威が広がろうとしている歴史的な流れに対峙しながら、被爆の記憶を継承することの現在的な、そして世界的な可能性を探らなければ、と考えつつあるところです。

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岡真理『棗椰子の木陰で──第三世界フェミニズムと文学の力』

48時間の爆撃停止の期限が切れて、イスラエルによるレバノンへの、空と地上両方からの激しい攻撃が再開された。攻撃の激しさは増す一方だが、これは当初から防衛の範囲をはるかに超えている。空からの爆撃においては、非戦闘員を無差別に虐殺するもの以外の何ものでもないクラスター爆弾も使われたという。今朝の新聞には、病院を掃討するイスラエルの地上特殊部隊の写真も載っていた。そして、このような一方的な軍事攻撃の被害を受けるのは、カナの避難施設への爆撃が象徴するように、決まって子どもや年老いた人びとをはじめとする一般の市民である。レバノンでは900人に上る人々が殺され、そのほとんどが民間の非戦闘員であるという。そして、今や100万人を超える人々が、住み慣れた場所を追われ、難民となっているとも報じられている。

そのような悲惨な状況を、今最も研ぎ澄まされた眼で見つめている一人が著者である。本書は、著者がこの10年間、悪化の一途をたどるパレスチナとその周辺のアラブ世界の情勢を見つめながら、それに応える文学の力を問い続け、書き継いでいった論考を集めた一冊。この論集には、言葉を語り、語られた言葉を読むことを、そして語り、読む主体のアイデンティティを、正確な言葉づかいをもって一歩一歩突きつめ、それらについての従来の見方を、すなわち人々の自明のよりどころとなっているものを突き崩し、その果てに文学の、そして言葉の可能性を切り開こうとする試みの軌跡が刻まれている。

例えば、いわゆる「グローバリゼーション」が進行するとともに富める者と貧しき者が引き裂かれるなかで、あるいはイスラエルとアラブ世界との緊張が高まるなかで、しばしば「異文化理解」や「多文化共生」といったことが叫ばれる。しかし、そのように「固有の」文化があらかじめ存在することを前提するかのような議論には、大きな落とし穴があると著者は指摘している。「かつて帝国主義の時代、非西洋世界の文化は価値的に劣ったものとされ、西洋中心主義の世界観のなかで周縁化されてきた。現代においては、過去の西洋中心主義に対する批判として、非西洋世界の文化の自己主張がさかんになされるようになった。とりわけグローバリゼーションが進行する今、世界の一元化に対する文化的抵抗として多文化主義が主張されている。どの地方にも、その地方固有の文化、固有の価値観がある、アラブにはアラブ独自のイスラーム文化によって培われた経験と価値観が、アフリカにはアフリカの太陽と母なる大地によって育まれた生と価値観がある、という主張。西洋中心的な私たちの世界認識が批判され、解体されるのは良い。しかし、ここで注意したいのは、こうした本質主義的な地方主義に根ざした多文化主義は、依然として西洋=普遍、非西洋=特殊という構図が強固に存在するこの世界では、西洋中心主義的な世界認識を解体するどころか、むしろ強化することになりはしまいかということである。知の本質主義的地方主義に居直り、地方の文化的特殊性を強調する「原理主義」が、西洋=普遍とする西洋中心主義と共犯関係を結んでいることはつとに指摘されているとおりである」。

では、酒井直樹が批判する「文化主義」とも重なりあうこの「本質主義的地方主義」を乗り越えてゆくどのような道筋があるのだろうか。著者は、「固有な」ものとして、自己のアイデンティティの基盤として自明視しているものを内側から解体することを提案している。たとえば「母語」。これを私たちは「固有の」言語として「自然に」話しているだろう。しかし、それはもとをただせば、「母」という他者の口から吹き込まれた「異物」なのだ。それを語ることは、核心においては一体化の享楽であるよりはむしろ分裂の「苦悶」なのではないか。そのことを岡は、トリニダート・トバコの詩人マルレーヌ・ヌルベーズ・フィリップの詩「言語の論理に関する言説」を解釈しつつ、説得的に示している。

このことを洞察し、言語の物質性に躓きながら、他者の言語として自分が「母語」として話してきた言語を見つめ直すこと。著者によれば、このことのうちに言葉を話すことを他者に開かれた活動へ反転させる契機がある。「母語を母語として生きる者であろうと、母語なるものの他者性を、つねにすでに、生きている。これらのテクストが読者に要求するのは、言語の物質性を回復させ、私たちがそれに躓くことによって、母語なるものの、忘却されてあるこの生々しい他者性を想起することにほかならない。言語が言語であるがゆえに、物質性を担い、ときに、話者の意図に反して、他者に呼びかけてしまったり、また、あるときには、その透明性をにわかにかき曇らして、私たちを排除する。言語の、その他者性に私たちが引き裂かれ、〈世界〉に、私たちがその柔肌をさらして、血を流すこと、そのようなものとしての母語、他者の言葉を、私たちもまた生きているという事実を痛みをもって知ること。/だが、そのとき、私たちがともに他者の言語を生きているというそのことが、私たちを他者に開かれたものにする、その反転の契機を、誰のものでもないこの母語のうちに見いだすことはできないだろうか。私の躯のなかに吹き込まれたあなたの言葉が、私の呼気となって出てゆく、開かれた私の躯が反響板となって、あなたの言葉を、あなたのものではない他者の言葉を、誰のものでもない言葉を、私のことばとして、私たちの言葉として。誰のものでもない他者の言葉を分有する者として。苦悶であると同時に、歓びでもあるような」。

「固有の」言語ではなく、他者の言語を分有していることを引き受け、複数性を自分自身のうちに刻印することによってこそ、他者たちのあいだで言葉を響き合わせることができる。「この世に居場所をもたない者たちの、死者たちの声」に耳を澄ませ、「正統性」の名のもとでのあらゆる排除の暴力を越えたところで、そのように掻き消されようとしている声に耳を澄ませ、それに応答することができるのだ。『千夜一夜物語』、ナワール・エル=サアダーウィーの『零度の女』、李良枝の『由煕』といった文学作品の精緻で批判的なレクチュールをつうじて、著者のエクリチュールは、これまで自己の母胎と見なしてきたものを突き崩した先に、他者と応えあう言葉を見いだすことへ読者を誘おうとしている。

本書には、1997年から2006年にかけて、パレスチナの出来事を中心に、一つひとつの出来事に応答しつつ、そこにある暴力と、それに対する抵抗を証言するクロニクルも収められている。それを書き継ぐことをつうじて、アラブ世界の情勢を見すえつつ、そのなかで暴力的な抑圧に苦しむ人々と連帯しようとする著者の姿勢が、冒頭で触れたような状況を見通す眼差しを形づくっていることは言うまでもない。

[岡真理『棗椰子の木陰で──第三世界フェミニズムと文学の力』青土社、2006年/2006年8月4日執筆]

辺見庸『自分自身への審問』

著者は、脳卒中に倒れて右半身が麻痺したばかりでなく、癌にも蝕まれつつある身体で本書を書いた。おそらくは一語一語絞り出すようにして。しかも「自己自身への審問」というかたちで。彼の思考の強靱さは、病床で自分自身を問いただすほどだった、と言うべきなのだろうか。いや、その「審問」はむしろ、著者をその身体もろとも強靱さといったものを越えた次元へと導いているのかもしれない。

本書は、脳卒中で半身の機能を失い、記憶の一部を失った自分自身の身体をさらけ出すところから始まっている。「襤褸のような」と著者が形容する、みずからの身体の剝き出しの姿を見つめるところに、新たな出発点を置こうとするのだ。「老いて病んだ自己身体に即して世界を眺める」。つまり、「なるたけ裸形を怖れず、幻影をまとわず、格好をつけずに風景に分け入る」こと。これがより衒いのない、ということはより深く身体経験にそくした著者の新たな思考のモットーなのである。

とはいえ、病に蝕まれてまったく思うようにならない身体を前にして、「自死の衝動」が首をもたげてきていることも、著者は否定しない。だからこそ、脳梗塞の末に自殺した江藤淳が最後に書き残した言葉のことも思い出される。しかし著者は、江藤のように「自ら処決して形骸を断ずる」ことは選ばない。自死の権利を最終的なものとして留保しながら、自死が自分にとって可能であるかぎり、自己自身を、すなわち「自己身体に即して世界を眺める」思考を、表現し続けようとするのである。「形骸化しつつある自己身体を消滅させる前に、おつにすました者どもの面前で醜怪きわまる踊りの一つも踊ってみせて紳士淑女を仰天せしめよ」。むしろ思考がすでに「形骸」と化してしまっていた江藤のように「自裁」を選ぶのではなく、健常者には「形骸」と見えるものそれ自体を、さらにはその内部に湧きあがるものをさらけ出そうとするのだ。そのとき、いったい誰が「健常」なのかという問いも湧いてくることになる。

脳卒中を経て「眼球が体外ではなく体内というか、躰の「裏側」へ向かい視界が反転する」のを経験した著者は、「見る」ことの「不遜」をこれまで以上に強く感じるようになる。病院でつねに見られる立場にあるなかで、「一般に〈見られる〉ぼくの〈見る〉を想定していない」医師の「見る」眼差しに居心地の悪さを感じ、「〈見る者は見られない〉という関係性」に不遜なものを見て取っているのである。その関係を自明なものとして享受しているところに、著者がそれに対する心の底からの嫌悪感を吐露してやまない「安手のシニシズム」の根があるのかもしれない。

著者は、第二次世界大戦後の世界についてハイデガーが語った「世界の夜の時代」という言葉を引いて、その「夜の時代」とは「まさに現在のこと」かもしれないと述べたうえで、そのような「神の不在をそれとして感じることができず、夜を昼と錯覚している時代、恥なき季節、徒労と失意の時代」では「チープなシニシズム」が伝播してゆくと指摘している。著者によると、そのシニシズム自体は古くからある低い声の笑いとして現われていた。日本では「人として当然憤るべきことに真っ向から本気で怒ると」、「必ずどこからかそんな低い声調の笑いが聞こえてきます」。「何もしない自分を高踏的にみせたいのでしょうか。それとも、何も怒らない絶対多数の群れにいるという安心感からでしょうか、何の意味もない放屁のような笑いなのでしょうか」。

そして、今日そのように人を笑わせているのは、「資本」であるという。「ハイデガーの言った「神性の輝き」を放っているのはいまやキャピタルと市場だけではないですか。人間がその意思の力で資本の暴走を阻止しようとする運動も逆に資本に蚕食されて、いまや瀕死の状態です」。いわゆる「勝ち組」を含めて意識が資本によって収奪されてゆくなかで、その収奪された意識から「安手のシニシズム」の笑いが漏れているのだ。そのとき笑いを漏らす者には、「自分の精神のあらかたが資本に絡めとられているという、本質的貧しさの自覚がない」。そのようななかで、マジョリティに属しているという安心感に浸りつつ、まったく実質のない資本という虚無を追い求めるという、それこそ藤田省三が「全体主義の時代経験」のなかで資本主義のニヒリズムと呼んだ「妄」が全体を覆っていることを、病床の辺見は喝破しているのだ。こちらが「健常」どころではない。ゴヤの版画の題名さながら「すべては妄」であるなかで、ナルシスティック記憶の捏造をともなう記憶喪失が進行し、「市場とは富だけでなく同時に途方もない貧困とこれにともなう悲劇を産み出す無慈悲な場」であることも同時に忘却されているのだ。

だとすれば、「自分自身への審問」とは、脳卒中に倒れて右半身が麻痺し、癌にも身体を蝕まれている者だけが行なわなければならないことなのだろうか。むしろ市場と連動する「腐った民主主義国家」の内部で消費生活と世界のスペクタクルを享受しながら生きている者は、自分自身の生きざまを、いや今ここに生きていることそれ自体を問いたださなければならないのではないか。自己の生存への審問を、スペクタクルの社会の内部で、つねに見ているのではなく、実はさまざまな権力装置によって見られていることの恥辱を「自己身体」で引き受けるところから始めなければならないのではないだろうか。本書は「未完」となっている。著者の自分自身への審問も、それを読む者の自分自身への審問も、まだ終わっていない。

[辺見庸『自分自身への審問』毎日新聞社、2006年/2006年5月14日執筆]

吉田秀和『ソロモンの歌・一本の木』

現在も『レコード芸術』誌に魅力的な文章を寄せたり、NHK-FMの「名曲の楽しみ」でリヒャルト・シュトラウスについて語ったりといった活躍を続けている吉田秀和は、日本における音楽評論の草分けなどとしばしば称されるけれども、けっしていわゆる「音楽評論家」ではない。音楽が彼にとって中心的な芸術であるのは確かだが、彼は「音楽」を消費する文化産業のメカニズム──いわゆる「業界」──に組み込まれたかたちで消費を促進する言説を生産するだけの「評論家」とはまったく異なった次元で音楽を語っている。吉田は、音楽とは何か、それを演奏するとはどういうことなのか、そもそも芸術とは何か、そして芸術が息づく文化とはどのようなものなのか、といった根本的な問いに絶えず向きあいながら、音楽について、そればかりでなく、美術や文学について語っているのだ。そうすることで吉田は、現在も芸術を消費し続けるメカニズムと、それが機能する日本の土壌それ自体を問いただしているのである。そして、このような吉田の批評の位置を伝えるとともに、その批評の言葉が、書くことについての、あるいは文学についての、ひいては言葉それ自体についての深い思索にもとづいていることを知らせてくれるのが、最近講談社文芸文庫の一冊として出たエッセイ集『ソロモンの歌・一本の木』にほかならない。

「あとがきにかえて」ということで新たに末尾に付された文章のなかで、吉田は、正宗白鳥のエッセイを再読して、「考えはどんなに違っていても、それを突破して読み手を痛撃する力をもつ言葉を書きつけることが可能だという事実を確認せずにはいられなかった」と語り、さらに「この力、こういう言葉を出現さす精神の働き、これこそ「文学」にほかならない」と述べている。吉田は、このような「文学」についての思想を出発点に、読み手を射貫く力をもった言葉にみずからの「精神の働き」を結晶させることを、今も絶えず追い求めているのではないか。「文学は言葉以外の何物でもないが、それと同時に、これは思想の力の軌跡、あるいは結晶なのである」。もしかすると、吉田の批評の核心をなしているのは、「思想の力」の「結晶」としての「文学」なのかもしれない。そして、こうした意味での「文学」なき批評が、「批評」の名に値しないことも、彼は突きつけているのではないだろうか。

吉田の「読み手を痛撃する力をもつ言葉」への情熱に火を点けたのが、若き日の中原中也、吉田一穂といった詩人との邂逅であったことも、『ソロモンの歌・一本の木』の冒頭に収められたいくつかのエッセイは教えてくれる。言葉の正確さとそこから生まれる鋭さ、これを吉田秀和はもしかすると酒に酔った中原中也の喧嘩ぶりを見ることからも学んでいるのかもしれない。それについて吉田はこう書いている。「そういう彼が、また、喧嘩をするとすさまじかった。私のいうのは口喧嘩である。目の前の相手を、一語一語、肺腑をつくように正確に攻撃する。その烈しさは、意地の悪さなんてものを通りこしていた」。その一方で吉田は、そのような中原の喧嘩が、実は「無限に対する「生」の主張の一つの形式」であることも見て取っていた。それをつうじて中原は、「宇宙との交感」を目指していたという。それも死に限りなく近いところで。吉田に言わせれば、中原は「生きている時に自分の死を見てしまった人間」なのである。

吉田は、詩人たちとの交流をつうじて言葉を研ぎ澄ますばかりでなく、小説を読むことによって芸術をめぐる思索を深めてもいる。そうした経験の場として吉田が最も重要視しているのが、プルーストの『失われた時を求めて』のようである。それを読む経験について彼はこう書いている。「私は『失われし時を求めて』の中で、自分の生きてきた時間を溯り、溯る間にはじめて時間の流れを自覚的に捉える。私は自分に再会し、自分を意識する。この本に出てくる事件は空間的拡がりをもっており、それはまた私を拡げもするのだけれども、私がここで本当に知るのは、この《時間》の中であり、そこで私は《自分になる》のである。こういう《時》がなければ──時が流れ、私が私でないものに流れこみ、私でないものが私の中に流れ込んでくるのでなければ、私は永久に私に再会することはなく、自分になることもないだろう」。

そして、表題作の一つ「ソロモンの歌」は、吉田がそのようにプルーストを読むなかで「私」が「自分になる」経験を、記憶が甦るその「時」をとらえるすぐれてプルースト的な「文学」に結晶させえたことを示している。吉田はそこで、引っ越しの日の朝の目覚めを思い起こすところから幼年期の記憶を甦らせ、それをつうじて「自己革命」の継続のただなかにある日本の現在を照らし出すとともに、芸術を息づかせるような文化の生命を取り戻すべく、今ここで「自分を根本的に検討し、再組織する必要」を語りかけているのである。そうした言葉が、「ソロモンの歌」が書かれてから35年以上が経った現在の日本にも光を投げかけていることは言うまでもない。

吉田秀和の「批評」を構成するものとして、文学の経験と並んでもう一つ忘れてはならないのが、美術の経験である。『ソロモンの歌・一本の木』には、クレーの音楽性とでも言うべきものを見事に解き明かした、「クレーの跡」というエッセイが収められている。そこで吉田は、クレーの絵が「有機的に成長する」過程のうちに、無調の音楽が「非常な自由さと組織性」のバランスを保ちながらかたちづくられてくるプロセスに呼応するものを見て取ることによって、クレーの20世紀的な音楽性を照射すると同時に、その成長過程が「彼の好んだモーツァルトの音楽におけるように」、「線が天使に」なってゆくプロセスであることも示しているのだ。そして吉田は、クレーの天使たちが第二次世界大戦の始まる年に数多く生まれていることも忘れていない。「哀れな人間たちは、忘れっぽい天使が、ついうっかりしている間に、大変なことをおっぱじめ、幾千万という同類たちを殺戮しだしたのである」。

第二次世界大戦を経験し、深い絶望のなかでなお創造し続けた芸術家として、吉田はもう一人、永井荷風を取り上げている。荷風の絶望は、近代日本への絶望である。明治期にフランスとアメリカへ渡り、人間一人ひとりが「個」であることのうちに西欧文明の本質を見た荷風は、帰国後に日本人がその本質を何ひとつ学び取っていないことに直面させられるのである。そして第二次世界大戦の経験は、そうした日本への絶望を決定的なものにしたのだった。「現代の西洋文明輸入は皮相に止り、其の深き内容に至っては、日本人は決して西洋思想を喜ぶものではない」という言葉をはじめ、そうした絶望のなかから絞り出された荷風の言葉から、吉田は、日本の「西洋文明」をモデルにした「自己革命」と、それをつうじてヨーロッパの芸術を「芸術」として日本に根づかせることへの根本的な問いかけを聴き取っている。そして、「技術第一」の日本の音楽教育の問題を指摘するところから音楽について、芸術そのものについて、そしてそれが生きる場としての都市について徹底的に問い抜こうとしているのだ。吉田の「荷風を読んで」は、日本に生きる者、とりわけそこで芸術に携わる者に、「自分を根本的に検討し、再組織する必要」に目覚めさせるインパクトをもった芸術論ないし文学論として、最も重要なものの一つであろう。

ところで吉田は、「荷風を読んで」のなかで「日本人」についてこう述べている。「日本人の最大の特徴は、外国の文物思想の浅薄な模倣をよろこぶ気持と、深いところに潜在する排外思想との間の緊張ではあるまいか。その間に調和を求めるものは、どこかに逃避しなければならない」。荷風は、「日本人」であろうとする者たちの根本的な「排外思想」を前に逃避した一人であったかもしれない。しかし、吉田はそうではないはずだ。彼の研ぎ澄まされた、それでいて居丈高なところは少しもない言葉づかいは、彼が批評を開かれたものととらえていること、さらには批評をつうじて芸術をめぐる対話の空間を開こうとしていることを示していよう。新たな耳で音楽を聴くことに誘う吉田秀和の優しい言葉のうちに、芸術の開かれた場を「日本人」のあいだに切り開くことを目指す彼の不断の闘いを見て取らなければならないのかもしれない。

[吉田秀和『ソロモンの歌・一本の木』講談社文芸文庫、2006年/2006年4月23日執筆]

目取真俊の「水滴」

機会があって目取真俊の「水滴」を再読した。彼の芥川賞受賞作であるこの作品も、彼の他のいくつかの作品と同様に、未だ自然の豊饒さを残している沖縄の現在に沖縄戦の記憶が突如として侵入してくるさまを描き出し、この地上戦における沖縄の人々の苦難がまだけっして過ぎ去っていないことを読み手に突きつけているが、この作品において戦争の過去が入り込んでくるのは、人間の身体の内部である。生命の熱気でむせ返るような沖縄の六月に、主人公徳正の右足の膝下が突然、石灰質の水を含んで熟れた冬瓜のように肥大する。そして、右足の親指に小さく開いた傷口から漏れ出る水滴が、あたかもアンドレイ・タルコフスキーの映画で惑星ソラリスを包むあのソラリス物質のように、徳正が50年以上ものあいだ抑圧し続けてきた沖縄戦の経験を、彼の眼前に甦らせるのである。

徳正の右足が膨らんで水を滴らせるようになると、夜ごとに沖縄戦で戦死した兵士たちが、当時そのままの傷ついた姿で代わる代わる現われ、親指から水を飲むようになる。そのなかには、首里の師範学校でともに学び、沖縄戦では鉄血勤皇隊員として行動を共にした石嶺の姿もあった。水を飲みに現われるのは、石嶺も含めて、徳正が生き残るために壕に残してきた兵士たちだったのである。

艦砲射撃の砲弾の破片を受けて腹部に致命的な裂傷を負った石嶺をやっとのことで壕まで運び込んだその夜、徳正は部隊と一緒に南へ移動した。しかも壕を立ち去る際に徳正は、兵士の看護のために従軍していた女学生宮城ミネが石嶺の容態を気遣って手渡した水筒の水を、我慢できなくなって飲み干してしまったのだ。徳正は空になった水筒を置いて壕を去ったのである。

この経験を徳正はずっと自分のなかに押し隠していた。石嶺の母親には、逃げる途中ではぐれて行方不明になったと嘘をついたし、平和教育の一環として子どもたちに戦争の経験を物語る際にも、石嶺を見捨てて生き延びたという真実に触れることはなかったのだ。さらに宮城セツが自決を遂げていたことを知ったときには、これで石嶺のことを知る者はいなくなったと安堵さえしたのである。徳正は一方で、過去を抑圧することによって生き残っていることを正当化しようとしていたのだ。しかし彼が他方で、嘘をつき続けるかたちで生き続けることに対して、後ろめたさも感じていたのは間違いない。だからこそ、セツが自決したのを聞いて以来酒量が増えた。自分のなかにある過去の痕跡を酒で洗い流そうとするかのように。

時の流れを攪乱するかのように回帰してきて、徳正の右足から一心に水を飲む石嶺の姿は、このような嘘に満ちた徳正の生きざまを、徳正に見つめ直させる。石嶺が今飲んでいるのは、今まで生き延びるために自分が飲んだ水なのだ。そのことに思い至り、戦慄をおぼえながらも、これまで抑圧してきたこの正当化しえない過去を正視し、自分の傷を担い続けることを心に決めるとき、時が再び速度を増して流れ始める。「自分が急速に老いていくのが分かった。ベッドに寝たまま、五十年余ごまかしてきた記憶と死ぬまで向かい合い続けなければならないことが恐かった」。

徳正が自分のなかの癒えることのない傷を担い続け、そこから湧きあがる記憶に向き合い続けることを決心して以来、兵士たちは現われなくなり、右足の腫れも引いていった。それとともに沖縄の現在が再び前景にせり出してくる。沖縄の夏が帰ってくるのだ。徳正は裏庭の仏桑華の生垣の下に、大きく熟れた冬瓜を発見する。

このように戦争の記憶と向き合い続ける者がいる一方で、沖縄には戦争に寄生しながら金を儲け、したたかに生き延びる人々もやはりいる。徳正の従兄弟清裕は、沖縄のこうした人々の姿を象徴しているようだ。清裕は徳正の右足から滴る水が若々しい生命力を回復させるのに目をつけ、これを瓶詰めにして「奇跡の水」として売り、大金を儲ける。だが、その水は50数年前の若さを取り戻させるのにすぎず、時の流れが元に戻ると、それを飲んだ人々の身体は一挙に50数年分老いてしまう。清裕は、それに怒った人びとによって最後には袋叩きにされてしまうのだ。そんな彼にしても、酒に溺れる徳正にしても、彼の妻ウシのように、地に足を着けて生き、生き続けるための習慣を確立させた女性の支えがなければ生きていけない。

徳正、ウシ、清裕という三人の登場人物を軸に、現在の沖縄を凝縮させたような世界を開きつつ、目取真俊は、生き残ることのうちに拭いがたく染みついた、けっして正当化できない領域を読み手に突きつけている。アウシュヴィッツの生き残りであるプリーモ・レーヴィが『溺れる者と救われる者』(朝日新聞社、2000年)で指摘した、「灰色の領域」である。生き残るとは、死者を見殺しにし、踏み越えてゆくことである点に関しては、アウシュヴィッツの生き残りにしても例外ではないのだ。しかし、生き残りのトラウマと過去の複雑さを形づくるこの「灰色の領域」にしかと向きあい、死者との関係をみずから正してゆくことは、生きることの現在を少しずつ刷新することにもつながりうる。ある意味で人間らしく、酒を断つと誓ったのも束の間、また仲間と大酒を飲んでしまった徳正が、その翌朝に巨大な冬瓜を発見したことは、その希望を暗示しているのかもしれない。

[目取真俊『水滴』文春文庫、2000年、所収/2006年3月16日執筆]

芸術史を見つめ直すための二冊の新書

最近出た芸術史に関する新書を二冊読んでみたが、いずれも実に興味深い。一冊は宮下誠の『20世紀絵画──モダニズム美術史を問い直す』(光文社新書)で、もう一冊は岡田暁生の『西洋音楽史──「クラシック」の黄昏』(中公新書)。二人の著者はいずれも、21世紀の現在において絵画を、あるいは「クラシック」音楽を捉え直す自分自身の位置を確かめるべく、20世紀の絵画の歴史へ、そして西欧音楽の歴史へと眼差しを向けている。それゆえ両者とも、客観的な歴史記述を装うことなく、むしろこれらの芸術史が、今ここで自分自身の視点から捉え返した芸術史であることを前面に押し出している。そのことが、二つの新たな芸術史の叙述をより刺激的なものにしていることは間違いない。とはいえ、二人の著者の歴史の描き方は対照的である。

まず、宮下誠の『20世紀絵画』は、「絵画とは何か」という本質的な問いに向き合うことから始めている。それによれば、対象を描くとはそれを欲望することであり、絵画とはその欲望の表象である。そして、世界の合理的な記号化が進むにつれ、リアルな「もの」それ自体への欲望が絵画の革新をもたらすようになるという。つまり、20世紀のキュビスムや新即物主義の運動は一面で、そうした欲望を映し出しているのだ。さらに、宮下によれば、20世紀までの絵画を支配してきた遠近法とは、世界を「人間」の視点から解釈する、一つの世界解釈のシステムないし言語であり、遠近法にもとづいて描かれた絵画は、世界を遠近法的に見よ、という命令を含んでいる。しかも、そこにはすでに三次元空間の二次元空間への「抽象」が含まれているのだ。

そうすると、20世紀までの西欧の遠近法的絵画は、ある種の「抽象」にもとづく特殊な「具象画」だったのである。そのリアリティが崩壊したのを前にして、画家たちは新たな世界解釈のシステムを、絵画の言語を産み出すことを迫られる。宮下はそのような視点から、マネ、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソ、カンディンスキー、マレーヴィチらの主要な作品を1枚ずつ取り上げ、その魅力も論じつつ、20世紀における「抽象絵画」の成立を描き出している。その描き方には、ところどころ「西洋」と「東洋」の安易な二分法へ傾くきらいもなくはないとはいえ、非常に説得力がある。

しかしながら、宮下によると「抽象絵画」は20世紀絵画の終着点ではない。「抽象」の模索と同時並行的に、またその成立の後に、「具象」への回帰ないし新たな「具象」の探究が行なわれているのである。宮下はこのことを、ドイツ語圏の20世紀の絵画をおもに取り上げながら描き出している。とりわけ私自身ライプツィヒの新しい美術館を訪れたときには正直ついて行けなかった旧東ドイツの絵画を論じた部分は、この書の白眉である。宮下によれば、その「わかりやすさ」は「考える」ことを見る者に求めている。「考える」とはおそらく、自分が世界を見るその見方を問い直すことであろう。もしかすると、もはやそうした思考を抜きに絵画を見ることはできないのかもしれない。

さて、宮下の絵画史が絵画の20世紀をいくつもの亀裂を含んだまま描き出すのに対して、岡田暁生の『西洋音楽史』は「通史」である。たしかにそれは、「西洋音楽史」全体を一望する一つの視点を提示するものとひとまずは言える。とはいえ、そこにあるのは現在に至る連続的な「音楽史」の流れを教科書的に通覧する叙述ではなく、現在の視点から「中世音楽」とは何か、「ルネサンス音楽」とは何か、「バロック音楽」とは何か、といった問いに正面から向きあうことによって、「クラシック音楽」の歴史にいくつもの断裂線を書き込む叙述である。

まず、今日「クラシック音楽」と呼ばれている「芸術音楽」の定義が興味深い。岡田によれば、「芸術音楽」とは「書かれた=設計された音楽」のことである。一定の「構成=設計(コンポジション)」にもとづいて書き残されたのが西欧の「芸術音楽」であり、「西洋音楽史」とはその歴史なのだ。岡田はそのように「芸術音楽」とその歴史を捉える立場から、「中世音楽」、「ルネサンス音楽」、「バロック音楽」などに特有の「構成=設計」のありようを、実にわかりやすく説明している。また、そうした相異なる「構成=設計」が、時代ごとに「音楽」がどのように成立していたか、つまり演奏され受容されていたのか、ということと密接に結びついていることも説得的に描き出している。

岡田の音楽史の叙述のなかで最も興味深かったのは、彼が専門とする19世紀の矛盾を抉り出している一章である。彼によれば、19世紀には純粋な音楽が追求され、音楽が宗教的な装いさえ帯びるようになる一方で、産業革命とブルジョワ社会の成熟が進むなかで、音楽の通俗化と商品化が進行した。このことが、現在における、消費される「ポピュラー音楽」と芸術的な「クラシック音楽」の分裂、さらには「クラシック」内部における、スター信仰とカルト的探究の分裂を用意したのである。しかしながら、岡田に言わせると、同時に人びとは、「ポピュラー」のうちにも「クラシック」のうちにも、何か宗教的な「カタルシス」を追い求めている。ロマン派の時代同様、音楽が「神なき時代の宗教」であることが求められているのだ。そのような現代の「感動中毒」のうちに、岡田は「現代人が抱えるさまざまな精神的危機の兆候」を見て取っている。おそらくそれは相当に深刻な危機であろうが、どのような危機と岡田は見ているのだろう。

それはさておき、岡田の見立てによれば、さまざまな様式へ分裂しているばかりでなく、繰り返し再演されるというかたちで残ることもない現代音楽の「歴史」を叙述することは難しい。現代音楽は、従来のような「公式」の「芸術音楽」であることをやめて「一種のサブカルチャー」になっているからだという。たしかにそうした面はあろう。そして、この「非公式」芸術の歴史を描くためには「通史」を描くのとは別の叙述の仕方が求められるにちがいない。「通史」への眼差しからこぼれ落ちてしまうものを瓦礫から拾い上げる眼差しが必要なのだ。このような微細なものを、「公式」のものに亀裂を穿つアクチュアリティにおいて取り出すま歴史こそが求められていると思うゆえに、個人的に芸術史の描き方としては、岡田の「通史」的な叙述より、宮下のモザイク的な叙述のほうに共感をおぼえる。とはいえ、両者の叙述にはともに、絵画と音楽そのものについて新たに学ばされた点やあらためて考えさせる論点が、実に豊富に盛り込まれていたのは確かである。

[宮下誠『20世紀絵画──モダニズム美術史を問い直す』光文社新書、2005年/岡田暁生の『西洋音楽史──「クラシック」の黄昏』中公新書、2005年/2006年2月4日執筆]

安部公房『他人の顔』

機会があって、安部公房の『他人の顔』を久しぶりに再読した。主人公自身を含めたさまざまな「他人」たちの視線が集まる「表面」として「顔」を浮かびあがらせ、さらにはその「表面」と「内面」なるものの区別を無意味にすることによって、「自己」というものをその根底から揺さぶる小説である。

化学研究者として研究所のなかで一定の地位を得ている主人公の男にとって、液体酸素の不意の爆発によって自分の顔にできたケロイド痕は、「蛭の巣」であり、顔に穿たれた「深い洞穴」にほかならなかった。彼はそれを地肌と見まがうほどに精巧な「仮面」で埋めようとする。物語の大部分は、そのための孤独な暗闘を妻へ向けて綴った彼の手記によって構成されているが、安部は、そこに日常的な空間を言わばさっと異境化しながらその骨組みを浮かび上がらせる洞察をちりばめると同時に、主人公が一定の「男」というジェンダーを背負った自分に囚われ続けていることを、手記のうちにさらけ出させてもいる。

それにしても、顔の「洞穴」はなぜ「仮面」によって埋められなければならなかったのか。それは何よりも主人公が妻との関係を回復したかったからである。彼が顔に包帯を巻いて生活するようになって以来、妻とのあいだを支配していたのは、「あのこわれた楽器のような沈黙」だったのだ。彼は「自分と他人を結ぶ通路」をもう一度切り開くべく、仮面の制作に没頭する。そして、他人の顔から顔型を取り、柔らかい高分子樹脂の仮面を作りあげ、それを着けて街を出歩くようになると、だんだんと彼の仮面制作を衝き動かしていた欲望が浮かび上がってくるのである。その欲望とは性欲にほかならなかった。彼が回復したいのは妻との性的な関係だったのである。だからこそ仮面の男は、妻の好むような顔つきをした、ちょっとした伊達男でなければならなかったのだ。主人公は、妻を誘惑できる「他人の顔」を身に着けようとしたのである。

彼は化学者らしくこの「他人の顔」を、一貫して一つの物的な対象として見ている。人間の顔をさまざまな特徴に分解し、それを組み合わせることによって作りあげられた顔とは、あくまで妻との関係を取り戻すための道具にすぎないのである。だからこそ、彼は仮面の顔に引きずられてしまう自分に気づくときに苛立ってしまうのだ。彼は、「他人の顔」を「仮面」として対象化することによって、「化学者」であり、「男」である自分を保持しようとする。そして、そのためには、「仮面」と「自分」との関係はいつか清算されなければならない。彼は、他人との通路としての「顔」の重要性を認めつつも、そこから隔てられたところに「本当」の自分があることを信じてやまないのである。

しかしながら、妻のほうは、そのような「表面」としての「仮面」と、「内面」としてある「自分」との区別を認めていない。仮面の男の誘いに乗った彼女は、「他人の顔」という新しい顔をした夫を、まさに自分の夫として受け容れた。彼女は、新しい顔を見せるところに夫自身の姿を認めたのである。そして、そのことを知らず、妻は仮面の男に誘惑されたのであり、自分は妻に裏切られたのだ、と信じ込んでいる男は、彼女に言わせれば、「顔は人間同士の通路だなどと言いながら、税関の役人みたいに、自分の扉のことしか考えない、巻き貝のようなあなた」でしかない。

そのように顔の現われと自己の所在を同一視する彼女の考えを徹底させるなら、「表情」というものが、他者がそれを認め、それに呼応するところで初めてある一つの表情として意味をもつように、一人ひとりの自己も顔において現われるとともに、それを他者が認めるところに生まれる、ということになるのだろうか。さらには、自己は「内面」に「存在する」のではなく、他者とのあいだに「生成」するのであり、顔とはそのような自己の媒体である、ということにもなるのかもしれない。だとすれば、「顔」はどこに位置づけられるのか。

少なくとも主人公の妻にとっては、人工の皮膚をもった顔面でも、その人自身の姿を示す「顔」でありえたのだ。当初劇で用いられる「仮面」を意味し、後に「人格」や神の「位格」を意味するようになった「ペルソナ」という語はそれ自体、「それを通して (per) 」何かが「鳴り響く (sonare) 」ことを意味している。少なくとも、人間の顔の固定された表面としての側面ではなく、「おもて」を示すことで他者に対して鳴り響き、語りかける顔のはたらきに注目しながら、自己のありようを問い直す必要があるのかもしれない。主人公の手記の後に挿入された妻からの手紙は、そのような問いの契機をもたらすものと考えられる。さらにその後に置かれている、主人公がかつて正視できなかった映画の物語は、ゲーテの『親和力』に挿入されたノヴェレのようであると同時に、ケロイド痕と「広島」という固有名詞を結びつけることによって、「他人の顔」に対する読者の視線を問題化してもいる。

さて、この妻からの手紙を読んだ主人公は、「仮面」の顔ではなしえなかった真の「行為」のために、いったん捨てた仮面を再び被って外へ出る。彼はどのような「顔」で「行為」へ赴こうとしているのだろうか。その「行為」の物語は未だ書かれていない。

[安部公房『他人の顔』新潮文庫、1968年/2005年10月18日執筆]

熊野純彦『差異と隔たり』

労働の産物のみならず自己の生命も「所有」の対象であり、人間はそれに対する自己決定権を有するという「私的所有論」、歴史とは出来事が終わった後で物語られるものであり、物語る現在の視点から──過去が実際どうであったかにかかわりなく──構成されるところにあるとする反実在論的な「歴史の物語り論」、そして言語とはすでにある記号どうしの差異の体系であり、言葉を話すとはその体系を織りなすコードに従属することにほかならないという「記号論的」で「静態的」な言語論のそれぞれに、レヴィナスの他者論の視点から楔を打ち込もうとする本書の議論は、現在自己の身体と生命、自己の来歴ともなる歴史、そしてみずからが語る言語に関して、それらを手にすることが必然的に孕むはずの他者との関係へのまなざしを欠いた、ある主体の一方的な決定と操作だけがものを言うかのような現在の状況にも切り込もうとするものであるばかりではない。その議論は何よりも、死に抗って生命を自己につなぎ止めること、過ぎ去ったことを想起し、語り出そうとすること、そして言葉を語ることそれ自体のうちに、自己とは絶対的に隔たった他者への回路を穿つことによって、それらの営為をより根源的な次元へ立ちかえらせ、そこに他者とのあいだにある倫理を考える余地を切り開こうとするものであるように思われる。

著者は「所有する」ことを主題化するにあたり、まず「所有する」ことそれ自体を可能にする原初的な、ある意味では当然至極な条件を浮かびあがらせている。その条件とは、「私は、私にいくらかは近しいが、私そのものではない対象だけを、私のものとして所有することが可能である」、というものである。この「私にいくらかは近しいが、私そのものではない対象」として今日クローズ・アップされているのが「身体」ということになろうが、熊野によれば、「身体を自己所有の対象と考えるとき、ひとはなぜか、身体が病んで、痛みに苦しみ、老い、やがて死んでゆくことを忘れはててしまっているかにおもわれる」。身体が病むときにこそ、それをあらためて自分のものにすることが痛切に問題となるはずなのに。しかも、その身体は、労働においては他者と「間身体的」に機能し、それ自体として他者に触れられる対象である。そればかりか、とくに病に苦しむとき、身体はそのさまざまな欠乏を、他者に配慮してもらわなければならない。

このような身体の「自己所有」の不可能性が最もラディカルに浮かびあがるのは、やはり自分が死ぬときである。所有とは死を先送りする努力であるが、それは最終的には先送りできない。しかも、その死はけっして「私」に現前することなく、所有を擦り抜けてゆく。「私の死亡をたしかめ、私の生じたいを閉じることができるのは、他者にかぎられる」のである。そして、死の対極にある自己の生誕もまた、所有の彼方にある不可能な「贈与」の出来事なのだ。そのことを見つめ直すとき、身体として存在することに由来するさまざまな欠乏を埋め、死を繰り延べようとする「所有」一般の努力を、またそれをつうじて自分が生き存えることそれ自体を、自分の手をつねに逃れてゆく他者との倫理的な関係において問いなおすことが要請されるのである

さて、著者は、いわゆる「過去の想起説」にもとづく「歴史の物語り論」を検討するに際し、その「想起説」自体のうちに、それが排除しようとする「過去としての過去」がひそかに回帰しているのに着目している。想起が、たんなる想像ではなく、まさに「想起」であると自己を了解するところに、「過ぎ去ったものそれ自体が、亡霊のように」回帰し、「想起が過去を定義する」という主張を侵食しているのである。それゆえ、その始まりにおいて「喪の儀礼そのものとむすんだ〈追憶〉にほかならない」歴史の物語りは、「それ自体としては反復不可能で、現在へと回収不可能な生」であるような過去を繰り返し物語るいとなみであるばかりでなく、そのような過去が、「遙かな差異そのままに、私の現在にかかわってくる」ところから始まるものなのではないだろうか。隔絶した過去がそのようなものとして現在に食い込んでくるところ、またそれに「無関心であることができない」ところに歴史は始まる。とすれば、その物語りはけっして完結することはありえないし、見せかけの完結はつねに欺瞞であろうことになろう。歴史をいくつかの一貫した筋立てに解消しようとするある種の「物語り論」が見すごしかねないこうした論点を、著者は指摘しているのである。

けっして現在に回収できない過ぎ去ったものが現在を侵食しているのに遭遇し、それに対して無関心でいられないとき、現在は他者の痕跡の場と化す。著者によると、その痕跡はけっして癒えることのない「傷痕としての過去」を回帰させるものとして、現在の外部から予測しえないかたちで到来し、現在を、またそのリアリティを構成している来歴の物語を根底から揺さぶるのである。ベンヤミンは、その「物語作者」のうちに「死は、物語作者が報告しうるすべてを承認する」と書きつけるとき、その「承認」のうちにこうした現在の動揺を見て取ってはいなかっただろうか。だからこそ彼は「無意志的記憶」に注目し、現在と過ぎ去ったことが遭遇する恣意的でない瞬間に歴史の構成が始まると述べることができたのではないだろうか。

それはさておき、著者の議論によって、現在が過ぎ去った他者の痕跡の場と化す今こそが歴史そのものの原点であることが明らかになったとすれば、彼が述べているように、そうした他者への「祈り」を含んだ、新たな歴史の物語りのありようが問われなければならないことになろう。熊野は、そのような問題意識を、ここでは言語への問いに接続させている。著者は、今日ともすればあまりにも規範的ないし記号論的に取り押さえられがち言語のうちに他者と応えあう回路を開き、言語をめぐる経験の深みを計測するために、まずレヴィナスが取り出した言語における「語ること」と「語られたこと」の区別とも重なるような言語の両義性を指摘している。「言語がこの私よりも前に存在し、私はすでに存在する語と規則を用いてなにごとかを語りだす以上、すべてはかつてすでに繰り返し語られたものである。他方では、私がいま特定の状況で、特定のことばによって、現前する他者にたいしてなにかを伝えようとするかぎり、いっさいはいまだ語られたことがないはずなのだ」。発話の「繰り返し語られたもの」を反復するという側面ばかりを強調するなら、言語がつねに他者へ向けて語られることが見すごされてしまう。そして、この点に注目するなら、「ことばを習いおぼえたばかりの子どもであれ、既成的なコードにほとんど搦めとられてしまっているかにみえるおとなであれ、ひとは、発話の連鎖を継続しようとするそのつど、ことばが生まれようとする現場に立ちあうことができる」ことが確認されるのである。

ここにあるのは、著者に言わせれば、他者とのあいだにある一般性へ向けた言語の生成である。一個の名詞を言挙げることであっても、言葉を語るとはつねに、他者との関係を更新するような呼びかけと贈与を含んだかたちで、「いまだかつて語られたことのないもの」を語り出すことなのである。そのような経験とともにある言語の本質を体現しているのが、著者によれば「固有名」にほかならない。「固有名」は、言語が何ごとかを語る前に他者への呼びかけであることを示しているのである。「他者に呼びかけるために、まず発せられる固有名は、その意味では、ことばそのものの原型をかたどっているといわなければならない。呼びかけとしての固有名、特定の他者を呼び止めるための表現は、文法的な品詞としての固有名にさきだって、言語それ自体を可能にしているのである」。このような洞察は、言語の本質を「名」のうちに見て取ったベンヤミンの思考の消息を思い起こさせずにおかない。

著者によれば、固有名のように呼びかけられる言葉は、同時に「あてどない祈り」である。それが、一つの言葉として他者に届く保証はどこにもないのだ。にもかかわらず、今ここにいる自分は、自分がけっして立つことのできないそこへ言葉を届けようとする。届かなければ届かないほど、その欲望は増大することさえある。それは何よりも、自己と他者のあいだに埋めることのできない隔たりがあるからである。他者はつねに言葉を擦り抜けてゆくし、また言葉を語ろうとするとき、他者がつねに先に呼びかけていて、言葉はそれにけっして追いつくことができないのだ。「世界の移ろいと揺らぎは、なまえを与えられぬままに生起し、ほどなく消え去ってゆく」こと、そして他者の呼びかけに応えようとするときにそこにあるのは、もはや取り戻しようもなく過ぎ去った他者の痕跡でしかないこと。これが言葉を語ることを不可能にしながら可能にし、さらには衝き動かしているのだ。言語をめぐるベンヤミンの思考を「世界の受難史」に応ずるアレゴリーへ差し向けたのとおそらくは同じこのような洞察に、他者に応答し、そして呼びかける言語のありようを問う著者の思考は達しているのである。そしてその到達点こそ、著者にとっては他者とのあいだにあるべき倫理的関係を主題化する思考の出発点なのであろう。

[熊野純彦『差異と隔たり──他なるものへの倫理』岩波書店、2003年/2005年10月7日執筆]

高橋哲哉『国家と犠牲』

私が今ここに生きていることはけっして正当化されえない。ここに場所を占めるとは、他者たちから生きる場所を奪うことであり、今何かを食べて命をつなぐとは、他の生きものを殺すことであり、さらにはそれをもとに作られた食べものを用意してくれる他者たちを搾取することでもありえよう。私がその立場に立つことのできない他者は、時にこうした自己保存の暴力を問いただす者として私の眼前に立ち現われる。そして、たとえその他者の問いかけに真摯に応えようとしたとしても、私は他者の立場に立つことはできない以上、その他者に対する責任を果たしきることはできないし、またその他者に対する責任を引き受けるなら、私はそれ以外の他者たちとの関係をやはり暴力的な仕方でなおざりにせざるをえない。このこともまた、けっして正当化されえないのだ。私はその暴力を問いただす他者の呼びかけに再び応えなければならない。

このように考えるとき、私はそれぞれ特異な他者たちに普遍的に応えることをまだあきらめてはいない。そしてカントはすでに、特異な他者たちに普遍的に応えようとする行為へ一歩を踏み出そうとするところに、「理性的存在者」としての「人間」の「自由」と、「道徳的」でありうる希望とを見ていたのではなかったか。あるいはレヴィナスは、私が特異な他者に対して「無関心でいられない」ときにわたしのうちに開かれる「応答可能性」のうちに、「根源的社会性」を見届けるとともに、ラディカルな「平和」の可能性を見て取っていたのではないだろうか。

とはいえ、このようにそれぞれ特異な他者たちとの関係のなかでけっして正当化されえない仕方で生きるとは、たしかに厳しいことであり、割り切れないことではある。カントが「道徳的」であろうとする「理性的存在者」であるにつきない「人間」の深層に「根源悪」として見て取っていたように、今ここに生きている──社会的にお仕着せられたものであるはずの──自分を、あまりにも性急な「最終的解決」によって正当化したい欲望が、人々のなかでうごめいていることもまた否定できない。そして、他者が自分のための「犠牲」になることを自分のために神聖化し、それによってもたらされる他者の悲惨を覆い隠し、疑似的な「最終的解決」を今生きている者たちのなかにもたらすレトリックとして絶えず持ち出されるのが、「犠牲の論理」にほかならない。それは「論理」であり、「レトリック」である。自己正当化の論理として首尾一貫性を追求するかぎりでは、それは「論理」であろう。しかし、それはつねに他者の悲惨を隠蔽しながら虚構の「われわれ」をつくり出し、その「われわれ」を説得する「レトリック」なのだ。このようなレトリックとしての「犠牲の論理」は、第二次世界大戦のあいだには「ユダヤ人問題の最終的解決」をもたらそうとする、いわゆる「ホロコースト」──この語はかつてユダヤ教の「犠牲」そのものを表わしていた──を引き起こしたし、今でも「国家」とその「国民」の自己保存のための「尊い犠牲」を産み出し続けている。

このように「自己」正当化のレトリックとして今なお機能し続ける「犠牲の論理」の構造を、「生け贄」の「神聖化」(サクリファイス)というその宗教的起源から解き明かすとともに、その論理が「国家」を束ねていること、とりわけ軍隊をもつ近代国家を「国民国家」として構成していること、そしてその点で「犠牲の論理」が、日本も含め世界じゅうに遍在しているのを明快に示しているのが、本書『国家と犠牲』である。この著書は、思想書としては空前のベストセラーとなった著者の『靖国問題』(ちくま新書)のバックボーンをなしている思想を、より広いコンテクストで展開させることによって、悲惨な戦場での兵士たちの無惨な戦死からその悲惨さも無惨さも拭い去り、戦死を神聖で崇高な死に変え、非業の死を遂げる兵士を送り出してまで押し進めた侵略戦争の責任の所在を隠蔽しながら、兵士の遺族の感情を慰撫するばかりでなく、国民を「名誉の戦死」へ駆り立てていった「靖国の論理」がいかに根深いものであるかを読者に突きつけている。

「自衛」の軍隊による「テロ対策」や「安全保障」を訴えるなら、すでに他の人々を殺し、また他の人々のために殺されるための人間の集団を作るという不正に手を染めながら、その不正を隠蔽する「犠牲の論理」を生きてしまうことになるし、「靖国の論理」で戦死者の「平和と繁栄のための尊い犠牲」を語る首相のもとで、その「自衛」への国民への動員を可能にするような政治が押し進められるのを容認するならば、自分自身が死へ向けて動員されることを同時に容認してしまうことになる。「犠牲の論理」とは、他者への不正を一方的に正当化し、他者への暴力を恒常化しながら、一人ひとりを死へと駆り立て、そうしてある虚構の「われわれ」の自己保存を図るレトリックにほかならない。それは今ここに生きている私たちをいつでも虜にしかねないのだ。たとえ宗教的な拠り所をもっていたとしても、その宗教自体が──かつて聖なる生け贄を神に捧げていたものとして、あるいは語源的に人びとを束ねるものとして──「犠牲の論理」を含み持っているかぎりは、国家による犠牲の論理に巻き込まれかねない。著者は、「殉国即殉教」を説いてみずから「靖国の論理」との共犯関係に身を置いた日本のキリスト者のことを取り上げるとともに、長崎への原爆投下によって殺された浦上地区の人びとを戦争終結のための「尊い犠牲」とし、原爆投下自体を「神の摂理」と神聖化することで、無差別殺戮をもたらした原爆投下の責任ばかりでなく、それを招いた天皇をはじめ日本国家中枢の責任をも隠蔽してしまったカトリック教徒永井隆の言説にも、鋭い分析を加えているのである。

では、「犠牲の論理」の外部はあるのだろうか。著者はデリダの『死を与える』を引きながら、「人は絶対的犠牲から逃れられない」、「他の他者を、他の他者たちを犠牲にすることなしには、ある他者への呼びかけ、要求、責務、それどころか愛に対しても応えられない」、と述べている。この「絶対的犠牲」がある構造の内部で、決断しなければならないのだ。そのことは何も、犠牲なき国家や社会がありえないことを意味しない。特異な他者に普遍的に応えようとすること、それは同時にあらゆる犠牲の廃棄という「不可能なもの」を欲望することである。その欲望にもとづいて、現実に犠牲なき国家や社会を目指してゆくことができるのである。それが具体的にどのように他者およびその他の他者たちに対する責任を引き受けて倫理的な決断を下すことでありうるのか、どのような実践でありうるのかは、本書の最終章だけでは、今ひとつ明らかではない。おそらくそうした問題の考察にはもう一書が必要であろうし、またその問題に取り組むことは読者自身に課せられた課題でもあろう。

著者によると、魯迅は『狂人日記』のなかで、「人間が人間を食って」生きている社会の戦慄を呼び覚ますとともに、魯迅自身、そうした犠牲にもとづく「人食い」の社会のなかで生きてきたことに絶望している。私たちも、自分自身が「人食い」の社会に生きていることに戦慄を覚えるところから始めなければならないのかもしれない。本書は、そのきっかけに満ちているばかりでなく、私たちのなかに「人間を食べたことのない子ども」への希望を目覚めさせる思考の可能性も示している。このような意味で本書は、犠牲の外部を目指す責任ある生への問いを呼び起こす一書である。

[高橋哲哉『国家と犠牲』NHKブックス、2005年/2005年9月28日執筆]

二冊の言語論

最近(2005年9月)読んだ二冊の言語論を、備忘も兼ねて紹介しておきたい。一冊は、以前から気になっていた管啓次郎の『オムニフォン──〈世界の響き〉の詩学』である。表題が示すとおり本書は、著者が翻訳してきた詩や小説についての文学論的なエッセイが集められた著作であるが、その至るところに鋭い言語論的洞察がちりばめられていて、どちらかというとそちらのほうが興味深い。とはいえ、文学論も面白く読めたことは確かで、とりわけフェルナンド・ペソア論は、彼がさまざまな異名で書いた実際の詩作品がいくつも載せられていたこともあって、実に魅力的であった。この詩人の重要性、そしてその詩の魅力を詩的に伝えてくれる文章である。そして、その末尾に管が置いている、「自分であることは牢獄」と歌う「私は逃亡者」という詩は、異名の詩人ペソアの詩作そのものを歌うものであると同時に、著者自身の思索のモットーであろう。

ところで、言語論として興味深いのはまず、「オムニフォン」という言語に対する態度を論じた冒頭のエッセイである。「近代」の顔を示すものとして1492年という年号を呈示する発想も示唆に富むが、それ以上に、この年から本格的に始まることになる植民地主義的「近代」の力によって、アフリカの海岸から引き剝がされ、カリブ海の島々に連れられて来たディアスポラの人びとが産み出してきた、そして今も産み出されつつあるクレオール言語を媒体として文学作品を書いている作家たちが、みずからを「世界の響き」に育てあげようとしていることを論じているあたりがやはり注目に値しよう。

著者によると、クレオール言語で書くということは、異質な言葉たちが隣り合い、ぶつかりあう多島海に身を置くことである。そうすることで、カリブ海の作家たちは、それら異質な諸言語のどれもが、世界の豊饒さを受けとめるのになくてはならないことを洞察したのだ。「世界の多様性は、世界のすべての言語を必要とする」。そして、言語の群島の作家たちは、一つの言語で語るときに、他のすべての言語がかたわらに佇んでいることも意識している。著者に言わせれば、「オムニフォン」とは、そのようにして「あらゆる言葉が同時に響きわたる言語空間で生きる」こと、またその「決意」なのである。それにもとづいて、「理解できない言葉の不透明性をうけいれ、それに耐えつつ、それを尊重し、その来歴を想像し、新たな「列島」を構成しうる可能性を探ろう」とすること、これは「アングロフォン」の資本主義が世界を覆いつつある状況と同時に、日本の列島を一つの「日本語」ないし「国語」という虚像が包もうとしている状況に対抗するかたちで、今まさに試みられなければならないことだろう。

そのことはむろん、管自身が指摘しているように、数えることのできる個々の言語や方言を尊重することではない。むしろ、それらの言語の閉鎖性ないし排他性を解体して、そこにある響きを、さまざまな言語のあいだで聴き出そうとすることである。では、それを具体的にどのように実践しうるのだろう。多和田葉子の行き方はその実践の一つの方向性を示すものかもしれないが、これは他人任せにしてよいことではなく、言葉を語り交わして生きる者一人ひとりの問題である。

もう一つ言語論として面白かったのが、「エコソフィア」の詩人たちとともにヤキ族の詩的言語を論じた「花、野、世」である。そこで管は、その詩的言語がそれ自体一つの「殺し」であると同時に、それが生きてゆくための現実の「殺し」を思い出させつつ、殺されたものの再生を祈るものであることに触れている。その指摘は、言語自体の暴力性とともに、その自己言及性、さらにはその詩的な表現力を思い起こさせる。語ることは、語られるものを殺すことであるが、まさにこの殺害によって、語られるものを甦らせることもできるのである。

このように著者の言語論はさまざまな示唆に富むが、あとがきに代えて置かれた「島と翻訳」というエッセイに含まれているベンヤミン批判には、彼の思想を研究するものとしては見過ごせないものが含まれている。そこで著者は、「翻訳者の課題」でベンヤミンが導入している「純粋言語」の概念に対して、「そんな唯一の、真理の、沈黙の純粋言語がありうると考える」というのには「とても賛成できない」と述べている。「徹底的にローカルな言語質の群れの上に、そんな純粋言語のレベルを想定すること自体に、ぼくは反発を覚える。それは大陸の、どこかに中心と頂点をもたずにいられない「帝国」の発想だ」、というのである。とはいえ、そのように著者が断言するときに忘れられているのは、ベンヤミンが、この「純粋言語」が取り戻しがたく失われているところ、すなわちバベル以後の状況を直視するところから、「翻訳者の課題」の議論を始めていることである。

「多くの言語をひとつの真の言語に積分するというモティーフ」をもって翻訳者が翻訳を行なったとしても、けっして「純粋言語」に達することはできないし、また翻訳者がみずからの課題として遂行すべきとされる諸言語の「補完」とは、実のところ、「文字どおり」翻訳することでそれぞれの言語のうちに不協和をもたらし、その言語を動揺させ、他の言語と響き合う可能性へ向けて、「英語」、「ドイツ語」と数え上げうる言語を解体していくことである。とすれば、「多くの言語をひとつの真の言語に積分する」とは、あらゆる言語が、その「近代」的な桎梏を突破しながらモザイク状に響きあう、それこそ「オムニフォン」的な言語のありようを目指すものなのではないだろうか。それに、「純粋言語」の概念をただ「帝国」的なものとして打ち捨ててしまうことは、その概念をもってベンヤミンが語ろうとしている言語そのものの創造力や表現力を見すごしてしまうことにもなるだろう。

こうした問題を感じるとはいえ、『オムニフォン』が、「世界の響き」に呼応しうるような言語の実践の可能性を、「ピジンという生き方」としても指し示す、魅力的な著作であることに変わりはない。それは言葉の語り手を複数の言語へ、さらには「オムニフォン」の世界へと誘う。

さて、最近読んだもう一冊の言語論とは、半ばそのタイトルだけに惹かれて古本を注文した、竹内芳郎の『言語・その解体と創造』である。絵について絵を描くことはできないが、言語については言語で語ることができるというメルロ−ポンティの洞察──それがほんとうに明察であるかどうかには、いわゆる「モダン・アート」の動きを考えるならちょっと首をかしげてしまうが──にもとづいて、言語が自己言及的に、日常言語から、文学的言語と理論的言語という二つのメタ・レヴェルへ階層化する必然性を述べて、当時も今も死に体を晒している「言論」の地位を理論的に確保したうえで、構造主義的な、さらにはそれ以後の言語論を批判的に検討し、「言論」が体現すべき「社会的伝達性」を本質とする言語の主体的で革命的な変成の普遍的な可能性を語る論理をチョムスキーの変換生成文法の理論のうちに求める著者の執拗な議論は、たしかに今となっては時代がかって見えるし、また「文化革命」に言語を動員しようかという方向性には、ついて行きかねるという思いも禁じえない。しかし、言語そのものの「非現実性」および「疎外」を論じているあたりは、傾聴に値するだろうし、またいち早くデリダのエクリチュール論に対して詳細な批判的論評を加えている点も興味を惹く。

この言語論で何よりも興味深かったのは、ドゥルーズとガタリによる「マイナー文学論」を先取りするかのような議論を展開している一節である。著者は、かつての支配者の言語であり、自分から同胞の言葉を奪った日本語で書く在日朝鮮人の言葉づかいに、この「日本語」のうちに不協和をもたらし、それを内側から解体してゆくようなポテンシャルを見て取っているのである。「在日朝鮮人作家たちの場合」には、「国語の既成性に発話の直接的な自己表出性を対置させただけではどうにもならぬこと、むしろ、己れの発話そのものさえ己れの〈内語〉となった敵の国語によって占拠されてしまっている以上、一旦は己れを徹底的に他者化し、敵の国語をそのまま受容しつつその逆用をもって敵の国語自体を破壊するという、詐術に充ちた迂路を経なければ自己発見すらもできぬことが、したたかに体験されているのである」。

そのように、スピヴァク風に言えば、一つの言語を「学び捨てる」ことでその言語を内側から、そこに潜在する未聞の響きへ向けて解体し、「国語」であるといった言語の「近代」的桎梏を乗り越えてゆく、そうして他者とのあいだに新たな関係を築いてゆく可能性を、言語そのもののうちに見いだすことに、竹内が成功しているとは言いがたい。とはいえ竹内は、言語そのものの「非現実性」と「疎外」ゆえに、言語のうちに住まうことはできないこと、そしてそのことが「語る」可能性に転じうることに気づいていたようである。そして、彼によれば、「国語」の重圧を感じ、自分の言語に違和感をおぼえるところにこそ、言語の創造的な変成の出発点があるのだ。「言語創造の場そのものでも働くコトバの社会的既成性の重圧〔中略〕を自覚的にひき受ける覚悟のない言語観は、どんなに革命的意図に貫かれていても、所詮は真のコトバの創造を基礎づけるには至らぬであろう」。

[管啓次郎『オムニフォン──〈世界の響き〉の詩学』岩波書店、2005年/竹内芳郎『言語・その解体と創造』筑摩書房、1972年/2005年9月23日執筆]