『石原吉郎詩文集』

本『詩文集』には、まず石原吉郎が「もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動」と「失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志」をもって書いた詩の精選が収められているが、なかでも「事実」と題された一篇において示される、起きてしまったことを、その「事実」が「うすわらい」を始めるまでに凝視する眼差しは、読む者を突き刺すほどの鋭さを持っている言えよう。そのように事実をその内側から照射するような視線をもって、石原は、代表作とされる「葬式列車」を書いたのだろう。その詩では、名前を失って「まっ黒なかたまり」と化した人間の群れ──そのなかに石原自身も交じっていたかもしれない──が、貨車に投げ込まれ、運ばれてゆくなかで、生きたまま「屍臭」を放ち始め、亡霊と化してゆくさまが、凄まじいまでの鋭さをもって、しかし静かさに貫かれた筆致で描き出されているのである。

起きてしまった「事実」へのそのような眼差しを持つこと、それは石原の言葉で言えば、彼自身の「位置」に立つことにほかならない。石原は、8年間ものシベリア抑留を経験しながら、けっして声高に他人を告発することなく、静かに自分自身の「位置」に立とうとした。しかも、彼はそのこと自体に仮借のない問いを向けたのである。詩の後に収められた評論を含む散文、そしてとりわけ彼が断続的に綴った日記ふうのノートは、自分の「位置」に立つことへの問いに向きあい続ける石原の歩みを示すものと言えよう。

みずからの「位置」に立つことを問うとは、石原にとってはとくに、詩を書く自分自身の言葉と、言葉を語る自分が、他ならぬ自分であることとを問うことであった。そして、この二つの問いは不可分だったのである。彼が言語をつねに「失語」とのかかわりで問題にしていたことはよく知られていようが、「失語」に陥るとは、石原によると、「ことばの主体がすでにむなしい」がゆえに、「ことばに見はなされる」ことなのだ。それゆえに、「ことば」を問うとは、つねに「ことば」を語る「主体」としての自己のあり方を問うことなのである。

とすれば、石原にとって「ことば」とは、それを語る者自身を他者へ向けて差し出すものであることになろう。実際彼は「失語と沈黙のあいだ」という文章のなかで、「ことばはじつは、一人が一人に語りかけるものだと私は考えます」、と述べているのである。さらに自分の詩を、こう「ひとすじの呼びかけ」と規定している。「ひとすじの呼びかけに、自分自身のすべての望みを託せると思ったからです。ひとすじの呼びかけと私がいうのは、一人の人間が、一人の人間にかける、細い橋のようなものを、心から信じていたためでもあります」。このような、詩を「投壜通信」と規定するパウル・ツェランを思わせる身ぶりで、石原は、言語が第一次的に他者への「ひとすじの呼びかけ」であることを指摘するのである。彼によれば、そのことを忘却するとき、人間は──たとえ饒舌に話しているように見えても──言葉を語る自己とともに言語そのものを失うのだ。そのような危険を身をもって経験しながら、石原は自分の「ことば」に厳密であろうとした。彼が照らし出した言語の深層を踏まえながら、この言葉を銘記しておかなければならないのだろう。「言葉は厳密にもちいねばならぬ。詩を書くことが生きることへの確証であるなら」。

このようにみずからの言葉を研ぎ澄ませながら、石原は自分自身を、その孤独において問い詰めていった。そのことを衝き動かすきっかけになったのは、シベリアにおける抑留生活と、そこでの鹿野武一という徹底的な「ペシミスト」との出会いであったようだ。それをつうじて石原は、「自己という存在」が「徹底的な例外であって、徹底的に例外でない」ことを洞察する。彼によれば、自分自身であろうとするとき、この二つの相矛盾した命題のあいだにある断層を孤独のなかで目のあたりにしなければならないのだ。そこにある「絶望」を、キルケゴールは「死に至る病」と呼んだ、と石原は言うかもしれない。そして、自分が自分であろうとする「絶望」のなかに浮かびあがる孤独、それを石原は数ある状態のなかの一つとは考えていなかった。「孤独ということは〈存在〉と同義なのだ」。人間は、「はじめから孤独のなかに居り、一歩も孤独からでていないのだ」。

石原は、そのような人間にとって本質的とも言える孤独を美化しようとはしなかった。孤独のなか、自分自身であり続けようとするとき、他の人間は、自分に対する脅威として立ち現われることもある。そして、そのように他者を敵視するところから、他者との関係を築くこともできるのだ。そのような孤独への深い洞察が、他者との関係への冷徹なまなざしに結びついている。石原は、ノートのなかにこう書きつけることもできたのだ。「理解しあい、手をにぎりあうことだけが連帯なのではない。にくみあい、ころしあうこともまた連帯である」。

このような、石原を彼自身の「位置」に追い込む、言語とそれを語る自己への鋭い洞察、そしてそれに結びついた彼の問いは、「立ちどまる」ことから始まっている。その重要性について、彼はこう語っている。「私が立ちどまるとき、私は階段を一つ降りる。生きることがそれだけ深くなるのだ。なぜなら、立ちどまる時だけ私は生きているのだから」。わたしも立ちどまるところから始めなければならないのかもしれない。そうすると、彼の問いがずしりとのしかかってくるのも確かなのだけれども。

最後に、石原が1956年の9月11日に、ノートにこのような言葉を書きつけていたのを紹介しておきたい。「敵を恐れるな──やつらは君を殺すのが関の山だ。/友を恐れるな──やつらは君を裏切るのが関の山だ。/無関心なひとびとを恐れよ──やつらは殺しも裏切りもしない。だが、やつらの沈黙という承認があればこそ、この世には虐殺と裏切りが横行するのだ」(ヤセンスキイ『無関心な人びとの共謀』より)。

[『石原吉郎詩文集』講談社文芸文庫、2005年/2005年9月7日執筆]

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中