吉田秀和『ソロモンの歌・一本の木』

現在も『レコード芸術』誌に魅力的な文章を寄せたり、NHK-FMの「名曲の楽しみ」でリヒャルト・シュトラウスについて語ったりといった活躍を続けている吉田秀和は、日本における音楽評論の草分けなどとしばしば称されるけれども、けっしていわゆる「音楽評論家」ではない。音楽が彼にとって中心的な芸術であるのは確かだが、彼は「音楽」を消費する文化産業のメカニズム──いわゆる「業界」──に組み込まれたかたちで消費を促進する言説を生産するだけの「評論家」とはまったく異なった次元で音楽を語っている。吉田は、音楽とは何か、それを演奏するとはどういうことなのか、そもそも芸術とは何か、そして芸術が息づく文化とはどのようなものなのか、といった根本的な問いに絶えず向きあいながら、音楽について、そればかりでなく、美術や文学について語っているのだ。そうすることで吉田は、現在も芸術を消費し続けるメカニズムと、それが機能する日本の土壌それ自体を問いただしているのである。そして、このような吉田の批評の位置を伝えるとともに、その批評の言葉が、書くことについての、あるいは文学についての、ひいては言葉それ自体についての深い思索にもとづいていることを知らせてくれるのが、最近講談社文芸文庫の一冊として出たエッセイ集『ソロモンの歌・一本の木』にほかならない。

「あとがきにかえて」ということで新たに末尾に付された文章のなかで、吉田は、正宗白鳥のエッセイを再読して、「考えはどんなに違っていても、それを突破して読み手を痛撃する力をもつ言葉を書きつけることが可能だという事実を確認せずにはいられなかった」と語り、さらに「この力、こういう言葉を出現さす精神の働き、これこそ「文学」にほかならない」と述べている。吉田は、このような「文学」についての思想を出発点に、読み手を射貫く力をもった言葉にみずからの「精神の働き」を結晶させることを、今も絶えず追い求めているのではないか。「文学は言葉以外の何物でもないが、それと同時に、これは思想の力の軌跡、あるいは結晶なのである」。もしかすると、吉田の批評の核心をなしているのは、「思想の力」の「結晶」としての「文学」なのかもしれない。そして、こうした意味での「文学」なき批評が、「批評」の名に値しないことも、彼は突きつけているのではないだろうか。

吉田の「読み手を痛撃する力をもつ言葉」への情熱に火を点けたのが、若き日の中原中也、吉田一穂といった詩人との邂逅であったことも、『ソロモンの歌・一本の木』の冒頭に収められたいくつかのエッセイは教えてくれる。言葉の正確さとそこから生まれる鋭さ、これを吉田秀和はもしかすると酒に酔った中原中也の喧嘩ぶりを見ることからも学んでいるのかもしれない。それについて吉田はこう書いている。「そういう彼が、また、喧嘩をするとすさまじかった。私のいうのは口喧嘩である。目の前の相手を、一語一語、肺腑をつくように正確に攻撃する。その烈しさは、意地の悪さなんてものを通りこしていた」。その一方で吉田は、そのような中原の喧嘩が、実は「無限に対する「生」の主張の一つの形式」であることも見て取っていた。それをつうじて中原は、「宇宙との交感」を目指していたという。それも死に限りなく近いところで。吉田に言わせれば、中原は「生きている時に自分の死を見てしまった人間」なのである。

吉田は、詩人たちとの交流をつうじて言葉を研ぎ澄ますばかりでなく、小説を読むことによって芸術をめぐる思索を深めてもいる。そうした経験の場として吉田が最も重要視しているのが、プルーストの『失われた時を求めて』のようである。それを読む経験について彼はこう書いている。「私は『失われし時を求めて』の中で、自分の生きてきた時間を溯り、溯る間にはじめて時間の流れを自覚的に捉える。私は自分に再会し、自分を意識する。この本に出てくる事件は空間的拡がりをもっており、それはまた私を拡げもするのだけれども、私がここで本当に知るのは、この《時間》の中であり、そこで私は《自分になる》のである。こういう《時》がなければ──時が流れ、私が私でないものに流れこみ、私でないものが私の中に流れ込んでくるのでなければ、私は永久に私に再会することはなく、自分になることもないだろう」。

そして、表題作の一つ「ソロモンの歌」は、吉田がそのようにプルーストを読むなかで「私」が「自分になる」経験を、記憶が甦るその「時」をとらえるすぐれてプルースト的な「文学」に結晶させえたことを示している。吉田はそこで、引っ越しの日の朝の目覚めを思い起こすところから幼年期の記憶を甦らせ、それをつうじて「自己革命」の継続のただなかにある日本の現在を照らし出すとともに、芸術を息づかせるような文化の生命を取り戻すべく、今ここで「自分を根本的に検討し、再組織する必要」を語りかけているのである。そうした言葉が、「ソロモンの歌」が書かれてから35年以上が経った現在の日本にも光を投げかけていることは言うまでもない。

吉田秀和の「批評」を構成するものとして、文学の経験と並んでもう一つ忘れてはならないのが、美術の経験である。『ソロモンの歌・一本の木』には、クレーの音楽性とでも言うべきものを見事に解き明かした、「クレーの跡」というエッセイが収められている。そこで吉田は、クレーの絵が「有機的に成長する」過程のうちに、無調の音楽が「非常な自由さと組織性」のバランスを保ちながらかたちづくられてくるプロセスに呼応するものを見て取ることによって、クレーの20世紀的な音楽性を照射すると同時に、その成長過程が「彼の好んだモーツァルトの音楽におけるように」、「線が天使に」なってゆくプロセスであることも示しているのだ。そして吉田は、クレーの天使たちが第二次世界大戦の始まる年に数多く生まれていることも忘れていない。「哀れな人間たちは、忘れっぽい天使が、ついうっかりしている間に、大変なことをおっぱじめ、幾千万という同類たちを殺戮しだしたのである」。

第二次世界大戦を経験し、深い絶望のなかでなお創造し続けた芸術家として、吉田はもう一人、永井荷風を取り上げている。荷風の絶望は、近代日本への絶望である。明治期にフランスとアメリカへ渡り、人間一人ひとりが「個」であることのうちに西欧文明の本質を見た荷風は、帰国後に日本人がその本質を何ひとつ学び取っていないことに直面させられるのである。そして第二次世界大戦の経験は、そうした日本への絶望を決定的なものにしたのだった。「現代の西洋文明輸入は皮相に止り、其の深き内容に至っては、日本人は決して西洋思想を喜ぶものではない」という言葉をはじめ、そうした絶望のなかから絞り出された荷風の言葉から、吉田は、日本の「西洋文明」をモデルにした「自己革命」と、それをつうじてヨーロッパの芸術を「芸術」として日本に根づかせることへの根本的な問いかけを聴き取っている。そして、「技術第一」の日本の音楽教育の問題を指摘するところから音楽について、芸術そのものについて、そしてそれが生きる場としての都市について徹底的に問い抜こうとしているのだ。吉田の「荷風を読んで」は、日本に生きる者、とりわけそこで芸術に携わる者に、「自分を根本的に検討し、再組織する必要」に目覚めさせるインパクトをもった芸術論ないし文学論として、最も重要なものの一つであろう。

ところで吉田は、「荷風を読んで」のなかで「日本人」についてこう述べている。「日本人の最大の特徴は、外国の文物思想の浅薄な模倣をよろこぶ気持と、深いところに潜在する排外思想との間の緊張ではあるまいか。その間に調和を求めるものは、どこかに逃避しなければならない」。荷風は、「日本人」であろうとする者たちの根本的な「排外思想」を前に逃避した一人であったかもしれない。しかし、吉田はそうではないはずだ。彼の研ぎ澄まされた、それでいて居丈高なところは少しもない言葉づかいは、彼が批評を開かれたものととらえていること、さらには批評をつうじて芸術をめぐる対話の空間を開こうとしていることを示していよう。新たな耳で音楽を聴くことに誘う吉田秀和の優しい言葉のうちに、芸術の開かれた場を「日本人」のあいだに切り開くことを目指す彼の不断の闘いを見て取らなければならないのかもしれない。

[吉田秀和『ソロモンの歌・一本の木』講談社文芸文庫、2006年/2006年4月23日執筆]

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