転機の二月に

早いもので、二月も終わりに近づいてきました。少しずつ春の兆しが感じられるようになっています。いつもにも増して厳しかったこの冬もようやく終わりに近づいてきたようですが、しばらくは寒暖の差が激しい日々が続くことでしょう。みなさまどうかご自愛ください。

さて、この二月には、いくつか転機となる、あるいはなるべきと思われる出来事がありました。なかでも、その最初の日に、ジャーナリストの後藤健二さんが、ISILの構成員の手によって殺害されたのには、大きな衝撃を受けました。紛争地の勇気ある取材をつうじて、現地の人々の困難な暮らしとそれが投げ掛ける問いを伝えてきたジャーナリストがこうして非業の死に追いやられたことに、深い悲しみを覚えないではいられません。

同時に、そこに至る日本政府当局の対応は、厳しく検証される必要があるとも思われます。「テロには屈しない」という言葉が喧しく繰り返されている裏で、どのような選択がなされていたのか、そこにどのような力が作用していたのか、といったことが明らかにされ、そこにある問題が追及されるべきでしょう。もし、その過程について「特定秘密保護」といったことが言われるとするならば、現在の政府は何を志向しているのかが、いよいよ深刻に問われなければならないはずです。

実際、日本のパスポートを携えて国境を越えていく人々が、命の危険に曝されないような状況を作るために外交的に働きかけることよりも、「日本人には指一本触れさせない」などと主張する武力を海外に拡大して、全世界的な戦争の一翼を担うことに、現政権が重心を置いていることが明白になりつつあります。海外への武器輸出や、海外での武力行使の道を拡げることに汲々とし、地元の移設反対派の住民を暴力で弾圧しながら、アメリカ軍の普天間基地の辺野古への移設へ向けた作業を強引に進めるやり方には、深い憂慮を覚えます。そして、「邦人保護」を名目に海外へ武力を送ろうという方向には、日本の戦争の歴史を重ねないではいられません。

ともあれ、2月1日を境に、日本の旅券を所持する者にとって世界は、根本のところで変わってしまったと思われます。そのような日に、一つの世界の崩壊を現出させるシェイクスピアの『リア王』を基に作曲された細川俊夫さんのオペラ《リアの物語》の広島での公演(Hiroshima Happy New Ear Opera II:細川俊夫《リアの物語》、2015年1月30日、2月1日、アステールプラザ中ホール)が楽日を迎えたのは、何かの巡り合わせなのかもしれません。すでに別のところで述べましたように、主催組織であるひろしまオペラ・音楽推進委員会の委員の一人として、プログラム・ノートを執筆し、日本語字幕の制作に携わり、プレ・トークとアフター・トークの司会を務めるかたちで、この公演をお手伝いさせていただきました。こうしたかたちで今回の公演に関わることができたことを、非常に光栄に思っています。また、全国各地からこの公演に駆けつけてくださったみなさまに、心から感謝申し上げます。

《リアの物語》の16年ぶりの上演となった今回の公演は、すでに各方面から好評をもって迎えられているようで、喜ばしく思っております。また、さまざまな意味で厳しい《リアの物語》という作品を、こうして演奏家と聴衆の集中力が一体となるようなかたちで舞台に載せることができたのは、Hiroshima Happy New Ear、ひろしまオペラルネッサンスといった、広島における地道な音楽活動の成果と思われます。しかし今は、今回の公演のなかで同時に、広島から新たなオペラを今後創り出していくうえでの課題も浮き彫りになったとも感じています。能舞台を用いて行なわれた今回の公演は、日本からの、そして広島からのオペラの創造の可能性を示すものであったと思われますが、その可能性を実現するためには、個々の演奏家とスタッフが音楽と舞台に対するみずからの役割と責任を明確にすることによって、芸術的な完成度、とりわけ音楽の完成度を高めることが急務ではないでしょうか。それをつうじて、今回の公演をオペラそのものの転機にする必要があると考えています。

この《リアの物語》の公演の二週間後、この公演で素晴らしい指揮を見せてくれた川瀬賢太郎さんが指揮台に立ち、リーガンの役を歌った半田美和子さんが、リゲティの《マカーブルの秘密》──これは、オペラ《ル・グラン・マカーブル》のゲポポのアリアを演奏会用に編曲したもので、バーバラ・ハンニガンが得意とする曲です──を歌うこともあって、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の神奈川県立音楽堂での定期演奏会を聴きに行きました(2月14日)。

この《マカーブルの秘密》が最初に演奏されたのですが、この曲で半田さんが、素晴らしい声と技巧で、リゲティの難曲のテクスチュアとテクストを余すところなく生かした演奏を繰り広げたのには、心動かされました。この作品をここまでの完成度で歌えるのは、日本では半田さんだけではないでしょうか。楽譜とテクストをしっかりと読み込んだ演奏によって、テクストの不条理さと、それが表わす錯乱も、表現として響いてきました。ドイツ語のテクストで歌われたのも、こうした行き方に相応しかったように思います。ドイツ語のほうが、断片化した言葉も含め、言葉が立って聞こえます。

川瀬賢太郎さんの指揮の下、神奈川フィルハーモニーのアンサンブルとの息も合っていて、半田さんの声と管楽器の響きが溶け合っているのが、表現に深みをもたらしていました。とくに声と管楽器の細かいトリルが遠くからひたひたと迫ってくるのには鳥肌が立ちました。以前に東京で接したバーバラ・ハンニガンのパフォーマンスほどには強い視覚性はないとはいえ、リゲティの音楽自体の凄さが研ぎ澄まされたかたちで伝わる演奏とパフォーマンスだったと思います。こうした演奏をつうじて、《マカーブルの秘密》が他ならぬリゲティの作品であることと、オペラの文脈を確かめることは絶対に必要ではないでしょうか。

その後、ハイドンの作品が二曲演奏されましたが、いずれの曲でも川瀬さんとオーケストラがよい関係を築いていることが音楽に表われていました。なかでも、交響曲第60番ハ長調「うかつ者」の演奏は素晴らしかったです。川瀬さんと神奈川フィルハーモニーはこの交響曲で、ハイドン独特のユーモアを存分に生かしつつ、躍動感と繊細な歌に満ちた演奏を繰り広げていました。この多彩な6楽章の交響曲のフィナーレのパフォーマンスも、実に楽しかったです。川瀬さんがここぞというところで示す音楽の推進力は目覚ましいもので、沸き立つようなリズムが聴衆の心を捕らえていました。それと田園情景を思わせる、ゆったりとした歌とのコントラストも生きていたと思います。チェロ協奏曲第1番では、独奏を担当した門脇大樹さんの端正な演奏もさることながら、川瀬さんが、ともすれば単調になりがちな伴奏から、実に豊かな歌を引き出していたのが印象に残ります。

神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏会の翌日、渋谷の松濤美術館へロベール・クートラス展「夜を包む色彩」を見に行きました。小さくて静かな、そして手仕事の痕跡を残す夜の絵を興味深く見ることができました。聖堂の修復にも携わったことのある彼ならではの中世的なアルカイスムのなかに、ルドンを思わせる幻想性と、ルオーに見られるような聖性が同居するのが、とくに魅力的に思われます。また、小さなタロット・カード状の「カルト」に敢えて画面を制限しながら、そこに象徴性と意匠性を、素朴さを交えつつ凝縮させているのも面白かったです。そこに聖性と極端なまでの卑俗さの双方を込めながら、自分の存在の跡を執拗なまでに残そうとする画家の身ぶりからは、その深い存在の不安が感じられます。

ロベール・クートラス展flyer裏面

ロベール・クートラス展のflyer裏面

ちなみに、 「カルト」は極度の貧困のなかで夜ごと描かれたそうです。クートラスの晩祷の連作と言えましょうか。そこに中世の聖堂のファサードに見られる、人間の罪を象徴した像が表われるのも、聖堂の修復に携わった彼ならではのことかもしれません。祖霊への崇敬と魅力的な天使像の見られるグワッシュの作品や、テラコッタの立体作品も面白かったです。クートラスという画家のことは、これまで寡聞にして知らなかったのですが、よい出会いとなりました。

2月18日には、原民喜の甥の原時彦さんが、民喜の手帳を広島平和記念資料館に寄託されたとの報せを聞きました。この手帳の現物は、何度か見せていただいたことがありますが、とくに「夏の花」に描かれた場所を巡るフィールドワークの折に見せていただいたときのことを印象深く覚えています。「コハ今後生キノビテ コノ有様ヲツタヘヨト 天ノ命ナランカ」との決意を表わす文言が含まれる、自分が目にした広島の惨状を克明に記した「原爆被災時のノート」(その全文を土曜美術社刊の『新編原民喜詩集』などで読むことができます)がよく知られていますが、それ以外の部分にも反戦の意志が表われていたりして興味深いです。何よりも、こうして資料館に寄託されたのを機に、この手帳の存在が広く知られるようになるとともに、そのなかに記されたすべての文字が研究に活用される道がしっかりと開かれることが重要かと思います。

同時に、被爆から70年を迎えるこの年に寄託されたことは、一つの転機を示すものであると同時に、いくつもの問いを投げかけるものでもあるように感じます。峠三吉や栗原貞子らの作品の自筆草稿などとともに、世界記憶遺産への登録を目指す意味もあるとのことですが、登録されたなら、広島の人々は、この遺産を生かしていく使命を負うことになります。では、どのようにしてその使命を果たすことができるのでしょうか。何よりもまず、「娘を嫁に出すような心境だ」と新聞記者に語る時彦さんの思いに、どのようにして応えることができるのでしょう。広島における文学館の不在が、今あらためて問題として浮かび上がっているようにも思われます。

この二月、何冊かの本との出会いがありましたが、なかでも印象深かったのは、若松英輔さんが著わされた『吉満義彦──詩と天使の形而上学』(岩波書店、2014年)でした。吉満義彦は、近代日本のキリスト教思想史に大きな足跡を残した哲学者にして神学者です。私の母校の上智大学でも教えていたので、彼の名前を私の指導教員などの口から聞くこともあったのですが、彼のことを知る機会は、これまでほとんどありませんでした。若松さんの評伝を読んで初めて、彼が徳之島の出身で、私の高校の大先輩にも当たることを含めた彼の生涯と、霊性とは何かを問い続けた彼の思想に興味を覚えたところです。

徳之島などの南島で、珊瑚礁が死者の彼岸と生者の此岸のあいだに位置づけられていることと、吉満が、地上と超越者のあいだにある中間域を、死者との共生の場として、かつ形而上学の場として追求したこととが重なり合うところが、とくに興味深く感じられます。若松さんの評伝を、二読、三読しながら、吉満自身の著作にも触れてみたいと思います。同時に、「近代の超克」などへの彼のコミットメントも辿りながら、戦争の時代における天使的な思想の境位を確かめられればとも考えています。

この二月には、一つ小さな仕事を公にしました。広島芸術学会の会報第131号の巻頭言です。「芸術の力で死者の魂と応え合う時空間を──被爆70周年の広島における表現者の課題」という表題のごく短い文章で、細川俊夫さんのオペラ《リアの物語》が夢幻能の精神にもとづく作品で、その上演が死者とともにある空間を開くものであることや、原民喜の「鎮魂歌」がその強度において死者の嘆きを反響させていることを踏まえつつ、芸術の力によって死者とともに生きられる時空間を広島の地に切り開くことを、被爆70周年の広島における表現者の課題として提起する内容のものです。また、昨年12月に第46回原爆文学研究会の「『戦後70年』連続ワークショップⅣ──カタストロフィと〈詩〉」のなかで行なった報告「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜の詩を中心に」の要旨などを記した小文も、原爆文学研究会の会報第46号に掲載されております。

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細川俊夫《リアの物語》の広島での上演に接して

細川俊夫《リアの物語》広島公演の舞台

細川俊夫《リアの物語》広島公演の舞台(開演前)

能舞台の上には、竹竿が屋根を思わせる形に組み合わされている。そのなかにリアが入り、政務からの引退を告げると、そこから悲劇が始まる。彼が上の二人の娘、ゴネリルとリーガンへの領土の分与と、末娘のコーディーリアの追放とを宣言すると、リアの城と玉座を一つながらに表わすかのような形態は解体され、一本一本の竿が独り歩きし始める。それは時に、娘が父を城から締め出す忘恩の門になり、陰謀に陥った者を捕らえる刺股になり、さらには人を殺める剣にさえなる。それとともに、リアの王国は滅びていき、彼の現実も崩れていく。闇に包まれた舞台の上に散乱した竹竿の周りに、累々と屍が横たわるさまは、一つの世界が崩壊し去った後の廃墟を思わせずにはおかない。

2015年1月30日と2月1日の二日にわたり広島市のアステールプラザ中ホールで、Hiroshima Happy New Ear Operaの二回目の公演として行なわれた、細川俊夫のオペラ《リアの物語》の16年ぶりとなる日本での再演は、このように能舞台で、最小限の装置を最大限に駆使する演出の下で行なわれた。能に触発されながら振り付けや舞台演出を続けていて、サントリーホールでの細川の《班女》の上演の演出を手がけたこともあるルーカ・ヴェジェッティによる演出は、能舞台の空間と能そのものの形式性を生かすかたちで、視覚的な人物の動きと装置の機能を必要最小限に止めながら、その象徴性を最大限に高めることで、観客の見立てによって開かれる空間のなかに、人物の情動を凝縮させようとするものだったと言えよう。

こうした演出を実現するために、出演者のみならず、舞台スタッフにも相当な苦労があったことが偲ばれるが、それによって能の精神が新たなかたちで生きるなか、恐ろしいまでの静けさに貫かれた舞台が現出したと言えよう。全曲にわたって、ほぼすべての登場人物を舞台上に留める行き方も、人間関係を空間的に暗示する能の舞台に通じるものであった。そして何よりも、能舞台に相応しく、リアの脳裡に浮かぶ幻影として、霊魂としての人物を象徴化される──その際、LEDライトが効果的に機能していた──ことによって、みずからの世界を自分の手で破滅させる人間の闇──それは悪として、狂気として、さらには人間そのものの盲目として現われる──が仮借なく掘り下げていたのが印象深かった。

このように簡素にして凝縮度の高いヴェジェッティの演出がもたらす静けさに貫かれた舞台が、細川の音楽を最大限に生かすものであったことも特筆されるべきであろう。闇のなかから、そして沈黙のなかから、細川の書としての歌が響いてくる。それが生の息吹を伝えながら、ひと筋の光を舞台に投げ掛けるとともに、登場人物のうちにある情動の振幅を聴き手に伝えていたのには、深く心を動かされないわけにはいかなかった。このような音楽を統率した川瀬賢太郎の指揮は、スコアの細部に目を配りながら、細川の音楽の一貫した息遣いを見事に捉えて間然することがない。川瀬の指揮の下、広島交響楽団のメンバーも、緊密なアンサンブルで、細川の音楽の凄まじいまでの強度を余すことなく伝えていた。その演奏には、細川の音楽への深い理解が滲み出ている。なかでも、フルートとクラリネットの奏者、それに打楽器奏者は、さまざまな楽器の音色を細やかに使い分けながら、細川の音楽の書の線としての動きや、それを貫く緊張を見事に響かせていた。

歌手のなかでは、16年前の日本での上演でもリアの役を歌ったマレク・ガシュテッキが、傑出した歌唱を示していた。彼の低い声の力もさることながら、それとリアの狂気を表わすファルセットのあいだを、音程のない語りなどを交えつつ間断なく行き来して、一つの歌を聴かせる力には目を見張るものがあった。何よりも、コーディーリアの遺骸を前にした最後のモノローグは、人間の愚かさがもたらした一つの世界の破局を圧倒的な力で突きつけながら、それに対して聴衆の眼を開くものだった。竹の棒に付いた羽飾りを揺らす姿が象徴するように、父から継承した王国を弄ぶように策を弄し、それにみずから陥っていくリアの上の二人の娘の役を歌った、藤井美雪と半田美和子の歌唱も特筆に値する。ゴネリル役を歌った藤井は、深い、安定感のある声で、この長女の底意地の悪さとして表われる、父親や妹に対する複雑な思いを、見事な存在感で示していた。また、リーガンの役を歌った半田が、澄んだ声と繊細な表現、そして時に見せる突き刺すような叫びで、気性の激しいこの次女の心情の起伏を、その襞を含めて余すところなく伝えていたのも感銘深かった。

この三人以外のほか、エドガー役を歌った山岸玲音も忘れがたい。狂気を装いながら、父グロスターへの愛情を隠すことができない、しかも矜恃を持って生き抜こうとする姿を、声の音色を細やかに使い分けながら、またしなやかな身体表現とともに演じていたのが印象に残る。エドガーの思いがグロスターに通じたかのように、両目を潰された彼がエドガーに促されながら死から生へ向きを変える瞬間には、現実の世界で人々が体験しつつある破局のなかの微かな希望が閃いているのかもしれない。コーディーリアの役を歌った柳清美も、澄みきった、しかも力強い声で、この末娘の一途さを見事に伝えていた。彼女がずっと能舞台の橋掛かりに佇む姿は、世界の崩壊を静かに見つめる今回の舞台の眼差しを象徴しているようにも思えた。他の歌手たちも、舞台をしっかり引き締めていた。

二回の公演を観たが、初日よりも楽日の演奏のほうが闊達で、音楽にも奥行きが生まれていたように思われたが、そのぶんいくつか綻びが生まれていたのが惜しまれる。とはいえ、全体として、細川の最初のオペラであり、かつ劇的な緊張が他のどのオペラよりも際立つ《リアの物語》を、音楽の強度を発揮させつつ、能に触発されたその美質を、能舞台に生かすかたちで広島で上演できたことには、画期的な意義があると考えられる。この《リアの物語》ではしばしば、強烈な打撃音によって時の流れが断ち切られる瞬間から歌が響き始めるが、細川が「垂直的な時間」と呼ぶその瞬間は、能舞台においてはまさに生者の世界の裂け目であり、また死者の魂が幻となって回帰する間でもある。もしかすると、そこには70年前の広島で世界の崩壊のただなかに置かれた魂が回帰していたのかもしれない。観客のなかには、風のような響きのなかに、嘆く声のような音を聴いた人もいたと聞く。今回の広島での《リアの物語》の公演は、世界が崩れ落ちていくなかに強い歌を響かせることで、死者の魂と生者の魂が共鳴し、応え合う時空を、死者とともに生きる場として開くという、この節目の年の芸術的表現の可能性を指し示すものでもあったと思えてならない。

Hiroshima Happy New Ear Opera II:細川俊夫《リアの物語》公演flyer

Hiroshima Happy New Ear Opera II:細川俊夫《リアの物語》公演flyer

[上記のように、2015年1月30日と2月1日にアステールプラザの能舞台を使って行なわれた、Hiroshima Happy New Ear II:細川俊夫《リアの物語》の公演を、主催組織であるひろしまオペラ・音楽推進委員会の委員の一人として、プログラム・ノートを執筆し、日本語字幕の制作に携わり、プレ・トークとアフター・トークの司会を務めるかたちでお手伝いさせていただきました。こうしたかたちで今回の公演に関わることができたことを、非常に光栄に思っています。このような立場ではありますが、今回の公演に接して率直に考えたところを書き留めておいた次第です。来場してくださった方々が公演を振り返る際の一助になれば幸いです。文中の敬称は省略しました。]