連続講演会「ベンヤミンの哲学」のお知らせ

パウル・クレー《新しい天使》/Paul Klee, »Angelus Novus«, 1920 [Public Domain]

パウル・クレー《新しい天使》/Paul Klee, »Angelus Novus«, 1920 [Public Domain]

早いもので四月も下旬となりました。からりと晴れたかと思うと嵐のような雨風が襲来したりと気候不安定な日々が続いておりますが、お元気でお過ごしでしょうか。新しい年度が始まり、いつにない緊張感をもって仕事や勉学に臨んだ疲れが出る頃かもしれません。体調に気をつけたいものです。

さて、このたび東京ドイツ文化センター図書館のご尽力により、拙著『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社、2014年)の内容を基に、ヴァルター・ベンヤミンの思想を紹介する、3回シリーズの講演の機会をいただきました。「ベンヤミンの哲学──言語哲学と歴史哲学」というテーマの下、20世紀前半の危機に向き合いながら、文筆家として多彩な活躍を示したこの希有な思想家の思考を解きほぐしながら、その著作をこの危機の時代に読み直す意義に迫ることができればと考えております。

拙著『ベンヤミンの言語哲学』では、ベンヤミンがパウル・クレーの水彩画《新しい天使》を手に入れて以来、生涯の節目ごとにその著作のうちに描き出した天使の像を、言語の本質へ向かうベンヤミンの思考の像として見据えながら、彼の青年期から早過ぎた晩年に至る思考のうちに、言語をその本質から捉え返しながら言語の可能性を照らし出そうとする一貫した言語哲学を見て取ろうと試みました。今度の連続講演では、そのような拙著の視点を生かしながら、ベンヤミンの哲学的思考を、そのアクチュアリティにおいてお伝えしたいと願っております。第1回ではベンヤミンの生涯と著作を概観し、第2回では彼の言語哲学を、第3回では彼の歴史哲学を中心にお話しするつもりです。各回の詳細につきましては、東京ドイツ文化センターの催し物情報をご覧ください。

拙著『ベンヤミンの言語哲学』の書影です。あらかじめ読んでいただけたら幸甚です。

拙著『ベンヤミンの言語哲学』の書影です。あらかじめ読んでいただけたら幸甚です。

ベンヤミンは、死者でもある他者に応えながら言葉を生き抜く道筋を、翻訳という視点から示すとともに、そこに内在する過去の想起の働きから歴史そのものを捉え直す可能性を指し示しています。そのような彼の哲学を、放射能によって生そのものが根幹から蝕まれようとするなか、戦死を含む死に至るまで生命が絞り取られようとしている危機的な状況に立ち向かいながら、他者とともに生きることを言葉をもって深く肯定する余地を今ここに切り開く思考──それはベンヤミンがさまざまな場所で論及しているように、立ち止まることから始まることでしょう──のきっかけをもたらすものとしてご紹介することを目指したいと思います。

ベンヤミンの文学的著作や思想に、あるいは哲学そのものに関心をお持ちの方が数多く参加してくださることをお待ちしております。今の状況のなかで少し立ち止まって考えてみたいと思われる方のご参加も、もちろん歓迎いたします。ディスカッションのなかで、さまざまな関心を交換しながら、ベンヤミンを読み直す可能性を探ることができればよいのではないでしょうか。

講演会は、7月31日、8月28日、9月25日のいずれも金曜日の18:30より開催されます。会場は、東京ドイツ文化センター(ゲーテ・インスティトゥート)2階の図書館です。参加費は無料です。参加をご希望の方は、東京ドイツ文化センター図書館に、Eメール(yoshitsugu[アットマーク]tokyo.goethe.de)かお電話(03-3584-3203)でお申し込みください。みなさまのお越しを心からお待ち申し上げております。

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四國五郎追悼・回顧展を見て

四國五郎追悼・回顧展の8枚組みの絵葉書より

四國五郎追悼・回顧展の8枚組みの絵葉書より

日本銀行旧広島支店を会場に開催されている「四國五郎追悼・回顧展」をようやく見ることができた。画家が愛した横丁が、その手による映画のポスターなどで彩られたかたちで再現された、手作りのエントランス──そこには四國五郎に私淑したガタロさんの作品も置かれていた──からして魅力的である。全体として、この画家に対する主催者の深い愛情が伝わってくる展示だった。

このエントランスの近くの広島の風景を描いた小品を集めた一角に置かれていた《相生橋》という作品に、思わず釘付けになった。かつての「原爆スラム」のバラックの廃材で造られたその絵の額縁にも驚かされたが、そのバラックが建ち並ぶ「相生通り」から原爆ドームを望む風景を、澄んだ筆致で描き取った画面が何よりも魅力的だった。「相生通り」の街並みを愛情を込めて描きながら、元安川の穏やかな水面とともに一つの静謐な風景に構成した《相生橋》は、この展覧会の冒頭を飾るに相応しい作品と言えよう。

四國の作品からは、全体的に、生命あるものへの深い愛情、それにもとづく戦争に対する怒り、そしてさりげないユーモアが画面から感じられるが、これらが強烈なアイロニーに結びついた作品として、第一次世界大戦の戦死者を描いたオットー・ディクスの作品を思わせる《大日本帝国兵馬俑》が、とくに印象に残る。今も読み継がれている絵本『おこりじぞう』の挿し絵を描くなかから生まれたと思われる《おこりじぞう(死の灰)》は、原爆の惨禍のただなかに巻き込まれることと、そのなかでなおも生きようとする少女の意志とを凝縮させた作品として感銘深い。「黒い雨」を表題に持つ、1970年代末からの一連の作品からは、四國の核の問題への多様なアプローチを垣間見ることができる。

これらの作品を見ていくと、この画家が、独特の温かな即物性を基調としながら、対象やテーマによって、実に多様な様式を使い分けていることが伝わってくるが、同時に彼の画業において一貫していると思われるのは、絵を描き、作品を世に送ることが、つねに一つの行為に結びついていることである。そのことを端的に示すのが、峠三吉の詩を街に掲げる「辻詩」のための絵ではないだろうか。一つの行為としての四國の詩画を、それが生まれた文脈を踏まえつつ、いわゆる絵画の枠組みを越えて再評価する必要も感じられた。

それから、彼の戦後の画業には、シベリア抑留の経験が影を落としているが、抑留のなかから生まれたデッサンを母子像の連作と照らし合わせるとき、抑留の経験は、例えば香月泰男のそれとは違った意味を持っているようにも思われてくる。四國は、自分が武器を携えた、しかも中国の人々を虐殺してきた関東軍の兵士として虜囚となったことを、重く受け止めていたのではないだろうか。母子像などの作品に見られる、絵画と詩的な言葉の結びつきについても、さらに議論が深められる必要があるようにも思われた。

優しい人物像の画家といった四國のイメージを一変させる彼の絵の多彩さを示すとともに、その時代ごとの状況における強度をも伝えるこの展覧会が、彼の画業の再評価と新たな作品や資料の発掘に結びつくことを願ってやまない。彼の絵画が生まれた文脈や状況、そして彼の芸術と呼応する絵画や文学を照らし合わせるかたちで、四國五郎の画業は見直される必要があるのではないだろうか。