四國五郎追悼・回顧展を見て

四國五郎追悼・回顧展の8枚組みの絵葉書より

四國五郎追悼・回顧展の8枚組みの絵葉書より

日本銀行旧広島支店を会場に開催されている「四國五郎追悼・回顧展」をようやく見ることができた。画家が愛した横丁が、その手による映画のポスターなどで彩られたかたちで再現された、手作りのエントランス──そこには四國五郎に私淑したガタロさんの作品も置かれていた──からして魅力的である。全体として、この画家に対する主催者の深い愛情が伝わってくる展示だった。

このエントランスの近くの広島の風景を描いた小品を集めた一角に置かれていた《相生橋》という作品に、思わず釘付けになった。かつての「原爆スラム」のバラックの廃材で造られたその絵の額縁にも驚かされたが、そのバラックが建ち並ぶ「相生通り」から原爆ドームを望む風景を、澄んだ筆致で描き取った画面が何よりも魅力的だった。「相生通り」の街並みを愛情を込めて描きながら、元安川の穏やかな水面とともに一つの静謐な風景に構成した《相生橋》は、この展覧会の冒頭を飾るに相応しい作品と言えよう。

四國の作品からは、全体的に、生命あるものへの深い愛情、それにもとづく戦争に対する怒り、そしてさりげないユーモアが画面から感じられるが、これらが強烈なアイロニーに結びついた作品として、第一次世界大戦の戦死者を描いたオットー・ディクスの作品を思わせる《大日本帝国兵馬俑》が、とくに印象に残る。今も読み継がれている絵本『おこりじぞう』の挿し絵を描くなかから生まれたと思われる《おこりじぞう(死の灰)》は、原爆の惨禍のただなかに巻き込まれることと、そのなかでなおも生きようとする少女の意志とを凝縮させた作品として感銘深い。「黒い雨」を表題に持つ、1970年代末からの一連の作品からは、四國の核の問題への多様なアプローチを垣間見ることができる。

これらの作品を見ていくと、この画家が、独特の温かな即物性を基調としながら、対象やテーマによって、実に多様な様式を使い分けていることが伝わってくるが、同時に彼の画業において一貫していると思われるのは、絵を描き、作品を世に送ることが、つねに一つの行為に結びついていることである。そのことを端的に示すのが、峠三吉の詩を街に掲げる「辻詩」のための絵ではないだろうか。一つの行為としての四國の詩画を、それが生まれた文脈を踏まえつつ、いわゆる絵画の枠組みを越えて再評価する必要も感じられた。

それから、彼の戦後の画業には、シベリア抑留の経験が影を落としているが、抑留のなかから生まれたデッサンを母子像の連作と照らし合わせるとき、抑留の経験は、例えば香月泰男のそれとは違った意味を持っているようにも思われてくる。四國は、自分が武器を携えた、しかも中国の人々を虐殺してきた関東軍の兵士として虜囚となったことを、重く受け止めていたのではないだろうか。母子像などの作品に見られる、絵画と詩的な言葉の結びつきについても、さらに議論が深められる必要があるようにも思われた。

優しい人物像の画家といった四國のイメージを一変させる彼の絵の多彩さを示すとともに、その時代ごとの状況における強度をも伝えるこの展覧会が、彼の画業の再評価と新たな作品や資料の発掘に結びつくことを願ってやまない。彼の絵画が生まれた文脈や状況、そして彼の芸術と呼応する絵画や文学を照らし合わせるかたちで、四國五郎の画業は見直される必要があるのではないだろうか。

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