2015年初秋の仕事

早いもので、大学の学期が始まる10月を迎えました。雨が降るごとに秋が深まる今日この頃ですが、晴れるとまだ陽射しが照りつけます。それとともに晴れ渡って、気温が夏並みに上がる日もありますが、そんな日でも見上げると、秋らしく澄んだ青色の空が広がっています。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私のほうは、いつになく慌ただしい9月があっという間に過ぎて、気持ちの整理がつかないまま10月を迎えてしまった感じです。期日に追われながら、読み続け、書き続け、話し続けた9月でした。とはいえ、さまざまな人々のおかげで、慌ただしいながらも充実感をもって過ごすことができました。9月末締め切りの原稿も、おかげさまで何とか脱稿することができました。また、別稿にも記しましたように、上旬には福井県の武生で開催された武生国際音楽祭で、素晴らしい音楽とアーティストに接することもできました。

ダニ・カラヴァンによるベンヤミンを追悼するモニュメント。これが置かれているポルボウを早く取材に訪れたいものです。

ダニ・カラヴァンによるベンヤミンを追悼するモニュメント。これが置かれているポルボウを早く取材に訪れたいものです。

何よりも、7月末より月末の金曜の夜に、東京ドイツ文化センター図書館を会場に3回にわたって開催された連続講演「ベンヤミンの哲学」を無事に終えることができたことに感謝しているところです。毎回図書館が一杯になるほど多くの方々に非常に熱心にご参加いただき、大きな手応えを感じました。ディスカッションも毎回大変盛り上がり、今後の研究の刺激になるご質問もいただきました。ご参加くださったみなさまに心から感謝申し上げます。このような機会をくださった、そして毎回丁寧にご準備くださった東京ドイツ文化センター図書館のみなさまにも、篤く御礼申し上げます。今回の連続講演が、拙著『ベンヤミンの哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)を入り口に、ベンヤミン自身の著作を繙くきっかけになったとすれば、これに勝る幸いはありません。

20世紀の前半に、分類不可能なまでに多彩な文筆活動のなかで独特の思想を繰り広げたヴァルター・ベンヤミンの生涯と著作を紹介する初回の「導入」に始まり、呼応する魂の息遣いをなす言語自体の生成の運動を「翻訳」と考える彼の言語哲学を紹介する第2回「ベンヤミンの言語哲学」が続いたわけですが、想起の経験から歴史の概念を捉え直し、死者とともに生きることのうちに歴史自体を取り戻そうとする彼の歴史哲学を紹介する第3回「ベンヤミンの歴史哲学」が行なわれたのは、奇しくもベンヤミンの75回目の命日の前日でした。国境の街ポルボウでみずから命を絶った彼のことを今思うとき、絶えず生命の危険に曝される場所から何とか逃れ出ながら、少し息のつける場所に辿り着く前に命を落とした、紛争地からの無数の亡命者のことも思わないではいられません。

シリアをはじめとする紛争地からのおびただしい難民が命をつなぐ方途を探ることは、言うまでもなく、世界的に対応しなければならない課題になっていますが、この国の権力者は、その課題に背を向けるかのように、アメリカとの軍事的な結びつきを強化することに血道を上げ、人を殺める武器を製造して輸出することを含んだ軍需産業を潤わせることしか頭になく、そのために世界中で戦争に巻き込まれる道を開いてしまっています。このことは、日本列島に生きる人々の生命のみならず、列島を出て世界各地で人々の生活を支援する活動に取り組む人々の生命も、ひいては危険な例外状態に日々置かれている世界中の人々の生命をも脅かす動きとしか言いようがありません。

ヴァルター・ベンヤミンの肖像写真

ヴァルター・ベンヤミンの肖像写真

この動きが、死者の尊厳を軽んじながら忘却することを強いる歴史修正主義と絶えず連動していることを顧みるなら、ベンヤミンが二度目の世界大戦がもたらしつつある破局を前に、また彼自身の生命が危険に曝されているなかで、ほとんど絶筆として書いた「歴史の概念について」のテーゼを読み直すことは、いよいよ差し迫った課題となりつつあると考えられます。このほど、哲学的歴史論の第一人者とも言うべき鹿島徹さんが、批判版ベンヤミン全集に初めて異稿の一つとして収録された稿を基に「歴史の概念について」を新たに翻訳し、そのテクストに詳細な注釈を加えた『[新訳・評注]歴史の概念について』(未來社)が刊行されましたが、その書評を10月10日発行の『図書新聞』紙に書かせていただきました。ご覧いただき、ベンヤミンの歴史哲学をその可能性において省みるきっかけとしていただけると幸いです。

ひろしまオペラルネッサンス公演《フィガロの結婚》flyer

ひろしまオペラルネッサンス公演《フィガロの結婚》flyer

さて、9月26日と27日には、私が主催者のひろしまオペラ・音楽推進委員会に加わっている、ひろしまオペラルネッサンスの今年の公演、モーツァルトの《フィガロの結婚》の公演が、広島市のJMSアステールプラザ大ホールにて盛況のうちに開催されました。ヴィーン時代の最も充実したモーツァルトの音楽が、オペラの革新と社会的な革命を喩えようもないほど美しく響かせる《フィガロの結婚》は、私たちが他者とのあいだに生きるなかで最後まで信じる、人と出会い直す可能性を、幸福なかたちで予感させるものと言えるでしょう。簡素ながら引き締まった美しさを示す舞台の上に、人間の生きざまを情動の機微とともに浮かび上がらせる岩田達宗さんの演出と、どこまでも血の通ったリズムの上に美しい歌を余すところなく響かせる川瀬賢太郎さんの指揮が、作品の魅力を存分に伝えながらきわめて密度の濃い上演を実現させていました。今回の公演のプログラムにも、プログラム・ノートを寄稿させていただきました。

個人的には、広島で活躍している何人かの歌手が、厳しい稽古を経て、自分の力で壁を乗り越えるかたちで、歌手としての新たな境地を切り開いていたのが嬉しかったです。そのなかで、モーツァルトとダ・ポンテが書いたものが音楽的に生かされていたのが、今回の公演の最大の収穫かもしれません。二日にわたり、最後の赦しの場面は、永遠すら感じさせる崇高さを示していました。まったくごまかしの利かないモーツァルトの音楽に取り組むことによって、声を磨き、音楽を研ぎ澄ますことへ向けた課題も明確になったのではないでしょうか。みなでそれに取り組みながら、次回の公演へ向けて一歩を踏み出せればと願っております。ひろしまオペラルネッサンスへのご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

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