Chronicle 2015

年の瀬とは思えない暖かい日が続いていますが、お変わりないでしょうか。気候の尋常ならぬ穏やかさに、かえって気持ちが落ち着かない日々を過ごしております。空気の生暖かさは、戦争のなかで虐げられてきた人々や、今も日々追いつめられている人々の苦悩を覆い隠し、こうした人々が曝されている暴力を問う思考を鈍らせるものにすら思えるのです。被爆、そして敗戦から70年の節目の年が暮れようとしてしている今、70年のあいだ時に声にならないかたちでも発せられてきた、抑圧されてきた人々の言葉を、神話としての歴史に抗って聴き直していくことの重要性を、あらためて確認すべきではないでしょうか。このことが、来たる年も思考を継続する出発点になると思われます。

IMG_1727そのことの重要性を、私自身先日「被爆70年ジェンダー・フォーラムin広島」に参加して噛みしめたところです。入念な準備を経て開催されたこのフォーラムは、「広島/ヒロシマ/廣島」に凝縮される問題を考え続ける起点となるような、人と問いの交差点(intersection)になったのではないでしょうか。私はそこで得たさまざまな刺激を、残余からの歴史とも呼ぶべき、もう一つの歴史の可能性を哲学的、かつ美学的に考えることに生かしたいと思っています。その歴史をひとまず、神話としての歴史が消し去ろうとしている出来事の残滓を拾い上げ、声にならない声を反響させることで、現在を過去との布置において照らし出すとともに、他者、そして死者とともに生きる場を、神話の解体によって切り開く歴史と特徴づけられるでしょうし、その可能性は史実の探究と美的表現の交響のなかに探られうると考えているところです。

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残余からの歴史が開く場所なき場には、今まさに神話的に喧伝されている「最終的解決」も「不可逆」性もありえません。そこには絶えず死者が到来し、過去に新たに向き合わせます。そのことが、現在を記憶の布置のなかに照らし出すのです。「時の関節が外れた」場に身を置いてこのことを潜り抜けてこそ、自分自身を、性差別を含んだかたちで規定された「国民」的な従属゠主体性を脱するかたちで、他者への応答可能性へ向けて変貌させうるのではないでしょうか。このことが、とりわけ東アジアに生存の余地を開くためにも、喫緊に求められていると思われてなりません。

来年は、こうした残余からの歴史の概念を、ヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について」をはじめとする歴史哲学的著作の読み直しにもとづいて探究することを中心的な課題としたいと考えているのですが、それに取り組むための時間を、4月より広島とは別の場所でいただくことになりました。来年度は、ベルリンにて、当地のベルリン自由大学の哲学科にお世話になりながら、およそ10か月間の在外研究を行ないます。この大学の図書館でも充分に研究のための資料は閲覧できるでしょうが、幸いベルリンには、芸術アカデミー付設のヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフもありますので、こちらも併せて活用しながら研究を進めたいと考えています。

9784755402562以下にクロニクルのかたちで記すように、今年は非常に忙しく過ぎていきました。そのことにはもちろん、今年が被爆と敗戦から70年の年だったことも作用しているにちがいありません。そのような節目の年に、拙著『パット剝ギトッテシマッタ後の世界──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会)を上梓したのをはじめ、今までになく多くの文章を公表できたことは、非常に光栄に思っておりますし、その執筆過程で学ぶことも多々ありました。しかし、そのぶん地道な研究がいくらかおろそかになった感は否めません。来年4月からのベルリンでの在外研究のあいだは、テクストを丁寧に読むことにできるだけ多くの時間を割きたいと思います。

IMG_1898今年も大学での講義や公務に追われながら研究と執筆に勤しむ毎日でしたが、その合間を縫うかたちで、パリ、チューリヒ、そしてテル・アヴィヴとイェルサレムへ旅することができたのは、忘れがたい思い出になりました。そのなかで、素晴らしい音楽や舞台、あるいは美術に触れられた喜びについては、すでに記したとおりですが、それ以上に現地で人と会って語り合う時間を持てたことの貴重さを、今は噛みしめているところです。細川俊夫さんのオペラ《リアの物語》の広島での上演に関わる仕事で明けた今年は、音楽との関わりがさらに深まるとともに、美術との関係も強まった一年でした。こうした芸術との関わりを大切にしながら、研究の深化に努めたいと考えております。このところ文字どおり足腰を鍛えることに少し精を出してきましたが、来年はそれを継続しつつ、研究の足腰も鍛え直したいものです。引き続きご指導くださいますようお願い申し上げます。来たる年が、みなさまにとって少しでも平和で幸せに満ちた年になりますように。

■Chronicle 2015

  • 1月30日:1月30日と2月1日の二日にわたりHiroshima Happy New Ear Opera IIとしてJMSアステールプラザ中ホールにて開催された細川俊夫作曲のオペラ《リアの物語》の公演(指揮:川瀬賢太郎/演出:ルーカ・ヴェッジェッティ)のプログラムに、「夢幻能の精神からの新たなオペラの誕生──細川俊夫《リアの物語》によせて」と題するプログラム・ノートが掲載されました。また、今回の《リアの物語》の公演に際しては、日本語字幕の制作に携わり、プレ・トークとアフター・トークの司会も務めました。
  • 2月20日:広島芸術学会の会報第131号に、「芸術の力で死者の魂と応え合う時空間を──被爆70周年の広島における表現者の課題」と題する巻頭言が掲載されました。
  • 2月28日:原爆文学研究会の会報第46号に、2014年12月21日に九州大学西新プラザでの第45回原爆文学研究会において行なわれた「戦後70年」連続ワークショップIV「カタストロフィと〈詩〉」のなかで行なった研究発表「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜の詩を中心に」の報告が掲載されました。
  • 3月20日:広島県と広島市が協働して組織した国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会のひろしま復興・平和構築研究事業の成果を教材としてまとめた小冊子『広島の復興の歩み』に、広島の被爆の記憶をテーマにした映画を紹介するコラム「映像に見るヒロシマ」が掲載されました。なお、この小冊子には英訳版“Hiroshima’s Path to Reconstruction”があります。
  • 3月29日:中央大学駿河台記念館で開催された中央大学人文科学研究所の公開研究会として開催されたシンポジウム「《リアの物語》から考える──日本での現代オペラ上演の現状と課題」にて、「広島から現代のオペラを創るために──細川俊夫《リアの物語》広島初演の成果と課題」と題する講演を行ないました。
  • 4月〜7月:広島市立大学国際学部の専門科目である「共生の哲学I」、「社会文化思想史I」、「専門演習I」、そしてオムニバス形式の「多文化共生入門」の一部を担当しました。同大学大学院国際学研究科の専門科目「現代思想I」では、アライダ・アスマンの『想起の空間』などを講読しました。同研究科のオムニバス講義「平和学概論」でも一回講義を行ないました。広島市立大学の全学共通系科目の「世界の文学」と「平和と人権A」の一部の講義も担当しました。日本赤十字広島看護大学では、「人間の存在」の講義を担当しました。広島大学では、教養科目「哲学A」を担当したほか、同じく教養科目である「戦争と平和に関する総合的考察」でも二回講義を行ないました。
  • 6月11日:ヒロシマ平和映画祭のプレ・イヴェントとして本願寺広島別院共命ホールで開催された、青原さとし監督の映像叙事詩『土徳流離──奥州相馬復興への悲願』上映会のトーク・セッションに進行役およびパネリストとして参加しました。
  • 7月3日:県立広島大学サテライトキャンパスひろしまにて、『九月、東京の路上で──1923年関東大震災ジェノサイドの記憶』の著者加藤直樹氏をお招きして広島市立大学特別公開コロキアム「記憶を編み直す──いま、関東大震災時の虐殺を語る意味」を開催しました。30名ほどの市民や学生のみなさんが熱心に参加してくださいました。
  • 7月15日:インパクト出版会より著書『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』を上梓しました。今ここでヒロシマを想起しながら、死者を含めた他者とともに生きることとして平和を捉え直すというモティーフの下、広島の地で2007年から2015年にかけて書き継がれた評論や論考、講演録の集成です。第1部には、想起の媒体としての芸術、さらには言葉の可能性を探る評論や講演をまとめ、第2部には、ヒロシマ平和映画祭などの場での講演の記録などを収めています。第3部には、書評を中心とした評論を、そして第4部には、被爆の記憶を継承することにもとづいて平和の新たな概念を追求する論考を収録しています。
  • 7月31日、8月28日、9月25日:東京ドイツ文化センター図書館にて、「ベンヤミンの哲学──言語哲学と歴史哲学」と題する連続講演会を行ないました。2014年7月に上梓した拙著『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)の内容を基に、第1回ではヴァルター・ベンヤミンの生涯と著作を概観し、第2回では彼の言語哲学を、第3回では彼の歴史哲学を紹介しました。毎回図書館の閲覧室が一杯になるほど多くの方々に熱心にご参加いただき、ディスカッションも大変盛り上がりました。
  • 8月7日:広島交響楽団の主催で中国電力本社ホールにて開催された「アニー・デュトワ博士と広島の学生との平和交流&萩原麻未による被爆ピアノ演奏」の司会を務めました。
  • 8月8日:週刊書評紙『図書新聞』第3218号の特集「『戦争法案』に反対する」に、「記憶を分有する民衆を、来たるべき東洋平和へ向けて創造する──平和を掠め取り、言葉を奪い、生きることを収奪する力に抗して」と題する小文をが掲載されました。平和という言葉のみならず、言葉そのものを、さらには生きること自体を食い物にしながら、平和主義を根幹から骨抜きにしようとする政権の無法な動きを、歴史的な問題として見据えつつ、まさにその動きに抗して、国会前で、各地の街頭で、そして大学のキャンパスで生まれつつある言葉を、記憶を分有する民衆の創造へ向けて結び合わせることを要請するささやかな平和宣言です。
  • 8月28日:広島芸術学会の会報134号に、8月1日に広島県立美術館講堂で行なわれた広島芸術学会第29回大会における田中勝氏の研究発表「積極的平和と芸術──『ゼロ平和』から見る芸術の創造的価値」の報告が掲載されました。
  • 8月29日:駒場アゴラ劇場で行なわれた下鴨車窓の公演『漂着』のポストパフォーマンス・トークで、この作品の作家で演出家の田辺剛さんと対談させていただきました。『漂着』の舞台は、オシプ・マンデリシュタームが詩について語った「投壜通信」からインスピレーションを得ながら、言葉の遣り取りのなかに含まれる絶望と希望を、あるいは奇跡と破局を、映像作家の生活と、彼が作り出そうとする虚構の世界を往還しながら浮かび上がらせるものでした。
  • 9月26日:9月26日と27日にJMSアステールプラザ大ホールにて開催された、ひろしまオペラルネッサンスのモーツァルト《フィガロの結婚》の公演(指揮:川瀬賢太郎/演出:岩田達宗)のプログラムに、「エロスを昇華させる歌の美、赦しの瞬間の崇高──モーツァルトの《フィガロの結婚》の新しさ」と題するプログラム・ノートが掲載されました。
  • 10月1日:11月21日と28日に淀橋教会で開催された「細川俊夫10×6還暦記念コンサート」のフライヤーとウェブサイトに、この演奏会の意義と魅力を紹介する小文が掲載されました。
  • 10月〜2016年2月:広島市立大学国際学部の専門科目である「共生の哲学II」、「社会文化思想史II」、そして「専門演習II」を担当しています。同大学大学院国際学研究科の専門科目「現代思想II」では、米山リサの『広島、記憶のポリティクス』などを講読しています。広島市立大学では、全学共通系科目の「哲学B」も担当しています。広島大学では教養科目「哲学B」の講義を、広島都市学園大学では「哲学」の講義をそれぞれ担当しています。
  • 10月10日:『図書新聞』第3225号に、鹿島徹氏が批判版ヴァルター・ベンヤミン全集の『歴史の概念について』の巻に異稿の一つとして収録された稿を基に「歴史の概念について」を新たに翻訳し、そのテクストに詳細な注釈を加えた、ヴァルター・ベンヤミン『[新訳・評注]歴史の概念について』(未來社、2015年7月)の書評「アガンベン稿とも呼ぶべき最初のタイプ稿を底本とした新たな翻訳──ベンヤミンのテーゼの読み直しは歴史そのものを捉え直す、かけがえのない出発点」が掲載されました。
  • 12月4日:エリザベト音楽大学のセシリアホールで開催された同大学のクリスマスチャリティーコンサートのプログラムに、細川俊夫作曲《星のない夜──四季へのレクイエム》の作品解説と歌詞対訳が掲載されました。
  • 12月12日:原爆文学研究会の機関誌『原爆文学研究』の第14号に、論文「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜の詩を中心に」が掲載されました。テオドーア・W・アドルノの「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」という言葉を、その文脈から跡づけ、そこに含まれる問いを取り出したうえで、それに対する詩の応答の一端を、原民喜とパウル・ツェランの詩作のうちに求め、そこに含まれる詩の変貌ないし変革に、破局の後の詩の可能性を見ようとする内容です。
  • 12月17日:ベルンのパウル・クレー・センターに集う研究者の編集によるクレー研究の国際的なオンライン・ジャーナル“Zwitscher-Maschine”に、7月5日から9月6日にかけて宇都宮美術館で開催されたパウル・クレー展「だれにもないしょ。」の展覧会評の英語版“Viewing the Paul Klee Exhibition »This is just between Ourselves«”が掲載されました。
  • 12月22日:世界的な打楽器奏者中村功氏を迎えてJMSアステールプラザのオーケストラ等練習場にて開催されたHiroshima Happy New Earの第20回の演奏会「打楽器の世界」のアフター・トークの司会を務めました。

イスラエルでの国際ヴァルター・ベンヤミン協会の大会に参加して

闇のなかからふと現われ出たその「天使」は、あらぬところへ来てしまった子どものように、落ち着かない様子で漂っていた。それはもはや場所ではないところに、一つの〈あいだ〉にいるのだ。大きく見開いたその両眼は、それぞれ異なった方向を見つめている。そうして境界領域に浮遊しているという点では、これを「天使」と呼べるのかもしれない。とはいえ、その姿も〈あいだ〉にあると言うほかない。鳥の羽とも退化した手ともつかぬ両腕を広げながら、この「天使」は、人と獣のあいだを、彼岸と此岸のあいだを漂うのだ。

Coll IMJ, photo (c) IMJ

パウル・クレー《新しい天使》/Paul Klee, »Angelus Novus«, 1920 [Public Domain]

イェルサレムのイスラエル博物館で初めて目の当たりにした、パウル・クレーの《新しい天使(Angelus Novus)》(1920年)のこうした姿は、それ自体、当地のヘブライ大学とテル・アヴィヴ大学で12月13日から16日にかけて開催された国際ヴァルター・ベンヤミン協会の研究大会(International Walter Benjamin Society Conference “SPACES, PLACES, CITIES, AND SPATIALITY”)のテーマであった、ベンヤミンの思考における「空間」を開くようであった。その「空間」とは、それ自体として「閾」という境界領域である。それは生と死のあいだに、生誕や再生と、生まれ損なうこととのあいだに開かれる。彼が「空虚で均質な」と形容した「進歩」や「成長」の時空間に空隙を穿つようにして。

したがって、今回の学会全体のテーマであった「空間」は、ひと言で言えば、体験とは異なった経験の媒体であり、ベンヤミンが言う優れた意味での「根源」でもある。その現代の時空間におけるトポグラフィーを、みずから撮影したり、蒐集したりした映像そのものに語らせるかたちで、そしてベンヤミンの著作の読解を一歩進めるかたちで示していたのが、12月14日にテル・アヴィヴで行なわれた、ジョルジュ・ディディ゠ユベルマンの基調講演だった。そのなかで彼が、ベンヤミンの根本的な慎み深さを指摘していたのが印象に残っている。

その慎み深さは、例えば、「ベルリン年代記」のなかでベンヤミンが、自分が文章を書く際に「私」という主語を立てることを自分に禁じていた、と語っていたことに表われていよう。それによって、この「年代記」をはじめとする著作で、記憶の像がおのずと立ち現われてくるのだ。そのような意味で優れてベンヤミン的と言える手つきで、ディディ゠ユベルマンは、「名もなき者たち」の痕跡を辿り、大都市の片隅の薄明を捉えていた。

都市の薄明が浮かび上がらせるのは、両義性の空間である。両義性を帯びた事物のうちに過ぎ去ったものと今との緊張に満ちた布置を捉えることで、ベンヤミンは、「十九世紀の首都」パリのパサージュを近代の「根源史」の場として描き出すこと。これをベンヤミンはついに成し遂げえなかったわけだが、そのような歴史の場としてのパリの空間が、ナポリ、ベルリンといった、ベンヤミンが他の著作でその像を浮かび上がらせた都市の空間に通じていることも、今回の学会の主要なテーマの一つであった。それが取り上げられる際に、彼がナポリの建築空間に見た「多孔性」がしばしば指摘されていたが、その概念を、現代の空間ないし空間経験にどのように位置づけるか、またそのことにもとづいて、経験そのものをどのように捉え返すか、ということは、あらためて課題として浮き彫りになったと思われる。

「冥府」へ通じた「閾」にしてもう一つの歴史の経験の場である「パサージュ」、それは残存するものが来たるべきものとなって回帰する場でもある。「翻訳者の課題」が原作の「残存」を翻訳の出発点に置いていることを念頭に置きつつ、ベンヤミンが要請する字句どおりの翻訳──それは文字を、文字の姿のままに受け容れることだ──がもたらす言語の「非接合」によって開かれる言語そのもののパサージュ、すなわち「翻訳者の課題」に言う「アーケード」を、言語自体の媒体性ないし霊媒性を構成するものと捉え、このパサージュを、「根源史」の媒体としてのパリのパサージュと橋渡ししようとする議論は、示唆に富むものであった。

想起の媒体として根源史を形づくるとベンヤミンが考える「像」──それは彼によれば、言語的なものである──のうちにある時間の空間化を、それ自体として、「空虚で均質な時間」と神話的な歴史の連続の双方を中断する時間性において捉えることも、ベンヤミンの思考における「時空間/時代(Zeitraum)」としての空間の問題として浮上したのではないだろうか。さらに、その静止した「時空間」を構成する「時代の夢(Zeit-traum)」からの「目覚め」をどのように考えるか、という問題は、ベンヤミンの著作の読解をつうじて、今ここにある時空間をどのように見通せるか、という問いにも通じていよう。

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テル・アヴィヴの海岸にて

今回の国際学会では、「イスラエルにおけるベンヤミン」というテーマのパネル・ディスカッションの場が持たれたが、議論がイスラエルの国内政治の問題をめぐって噛み合わないままで、占領とは何か、また占領する力の上に成り立つイスラエルとはそもそも何か、というところにまで及ばなかったのは惜しまれる。こうした問題は、生涯シオニズムに批判的で、ついにパレスティナの地に足を踏み入れることのなかったベンヤミンの「暴力批判論」などを読み直す視点からこそ、問題そのものに介入するかたちで論じられうるのではないだろうか。今回の学会では、イスラエルでの学会に相応しく、と言うべきか、ベンヤミンの思考を、ゲルショム・ショーレム、マルティン・ブーバー、ヘルマン・コーエン、フランツ・ローゼンツヴァイクといった同時代のユダヤ系の思想家との布置のなかに浮かび上がらせようとする議論が目についた。

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ヘブライ大学のあるスコープス山からのイェルサレム郊外の開発地の眺め

学会の期間中には、テル・アヴィヴ美術館で、ベルリン芸術アカデミー付設のベンヤミンの手稿などが、「ヴァルター・ベンヤミン──亡命のアーカイヴ」のテーマの下で、ベンヤミンの著作に触発されて創られた現代芸術作品とともに展示されていた。それを見ると、ベンヤミンがいかに緻密にみずからの著作を組み立てていたかが伝わってくる。ゲーテの『親和力』の批評では、全体の細かな構成を一枚の紙に書き出したうえで、その組み立てどおりに小さな文字で原稿を書き、さらにその縁に、構想を組み立てた際に記した小見出しを転記しているのである。あるいは、カフカ論では、断章を記した紙を切り、紙片を並べ直して草稿を組み立てている。こうした手法は、いったん描いた作品を切り分けることで新たな像を浮かび上がらせた、クレーの手法と一脈通じるところがあるのかもしれない。『パサージュ論』では、独特の記号を駆使して構想を組み立てているのが印象的である。

学会の最終日には、学会の会場を抜け出して、ヘブライ大学のあるスコープス山とは反対側のヘルツルの丘──そこには「ユダヤ人国家」の発案者の一人テオドール・ヘルツルの墓がある──にあるヤド・ヴァシェム・ホロコースト博物館を訪れた。たしかに、ショアー、すなわち「ホロコースト」の歴史に関する展示は、エマヌエル・リンゲルバウムがゲットーのなかに残そうとしたアーカイヴのそれを含む貴重なドキュメントと、生還者──そのなかにヘウムノの生き残りであるシモン・スレブニクの姿があった──へのインタヴュー映像を巧みに配して、差別と迫害の下での生と死を、さらに絶滅の暴力の下に置かれることを、それぞれのゲットーや収容所の特徴を含めてありありと、かつ胸に迫るかたちで浮かび上がらせるものと言える。しかし、全体からは、ナチスの支配下における蜂起のヒロイズムを称揚し、オスカー・シンドラーをはじめとするユダヤ人を救った「義人」の力を強調することが、最終的に生還者たちの手によるイスラエルの建国へ流れ込んでいく、ナショナリスティックなストーリーの流れを感じないではいられない。「名前の部屋」の圧倒的な空間のなかに佇みながら、ここに「名もなき者」たちの場所はあるのだろうか、と自問せざるをえなかった。

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フェリックス・ヌスバウム《難民》/Felix Nussbaum, »Le réfusié« 1939

ヤド・ヴァシェムの「ホロコースト」の歴史に関する展示からは、ショアーに至る迫害と抹殺をもたらした問題そのものが未だ解決されていないどころか、現代の世界で新たなかたちで深刻化していることを考え続けようという問題意識を感じ取ることはできなかった。歴史に関する展示のスペースに併設されている、「ホロコーストの芸術」を展示している美術館で目にすることのできた、フェリックス・ヌスバウムの《難民(Le réfugié)》(1939年)が、現在の問題の所在を静かに、しかし鋭く照らし出しているように思われた。その絵のなかでは、地球儀の置かれた長い机の傍らで、行き場を失った一人が頭を抱えて座り込んでいる。

晩秋から初冬にかけての演奏会と仕事

早いもので、今年も残すところ二週間足らずとなりました。冬とは思えない、どこか生暖かい感じの気候が続いていますが、お変わりありませんか。私はと言いますと、今年はいつになく慌ただしい師走を過ごしているところですが、この一週間ほどは、広島を離れて自分の研究の位置を省みたり、世界的な研究の動向に触れたり、さらには現代世界の問題が凝縮している状況に接したりすることができました。そこからあらためて広島の現在についても考えさせられました。これについてはまた稿をあらためてお伝えすることにして、ここでは、11月下旬から12月初旬にかけて聴くことのできた演奏会と、それに関わる仕事のことをご報告することにします。

まず、11月21日と28日の二日にわたり、細川俊夫さんの還暦を記念して企画された「細川俊夫10×6還暦記念コンサート」を聴かせていただきました。細川さんが作品を発表し始めた頃からともに歩んできたアーティストや、これからの音楽を担う若いアーティストがみずからの音楽を携えて集い、細川さんの音楽をその原点から見つめ直す、還暦記念に相応しい連続演奏会でした。細川さんの音楽思想の四つのテーマを軸とした構成によって、細川さんの音楽思想の深まりを辿る場にもなったと思います。演奏会のウェブサイトとフライヤーにこの演奏会に寄せる小文を寄稿させていただいたことを、非常に光栄に思っております。

まず、印象的だったのが、両日の演奏会の冒頭に、和楽器の本曲の演奏が置かれたことです。尺八の音が空間全体を震わせながら立ち上がり、笙の音が幾重にも襞を拡げていくところに、細川さんの音楽の源にあるものを垣間見る思いがしました。沈黙のなかから生の息遣いとともに響き始め、空間と共振しながらひと筋の線を描いていく、空間と時間の書(カリグラフィー)としての音楽、それが日本の伝統のなかで追求されてきた音楽と深いところで呼応し合っていることを、アコーディオン独奏のための《メローディア》(1979年)のような最初期の作品からも、はっきりと感じ取ることができました。

今回の連続演奏会では、この作品をはじめ、とくに楽器の独奏のために書かれた作品が、細川さんの音楽が、「作曲するとは自分自身の楽器を作り上げることである」というヘルムート・ラッヘンマン(彼も最近80歳の誕生日を迎えたようですね)の理念を、彼の音楽とは異なったかたちで、時空の書の線を描くかたちで実現していることを、強く感じさせました。なかでも、フルート独奏のための《線》(1984/86年)の上野由恵さんの演奏は、細川さんの音楽の展開の大きな足がかりとなったこの作品の新たな可能性を感じさせる、素晴らしいものでした。また、ヴィオラ独奏のための《哀歌》(2011年)における赤坂智子さんの演奏は、東日本大震災の衝撃の後の細川さんの音楽の深まりを歌心をもって響かせる、実に印象的なものでした。

今回の演奏会でこれらの他にとくに印象に残ったのは、太田真紀さんの声の充実ぶりでした。ジャチント・シェルシの作品で、この同時代の作曲家が細川さんと同様に一つの声から一つの世界を開く音楽を追求していることを見事に響かせた後、演奏会を締めくくる《三つの天使の歌》(2014年)では、警告し、絶望を歌いながら、地上に生きることを見つめ直させる天使の声を空間に屹立させていました。この曲では、吉野直子さんのハープにより、天使の歌が深い哀しみのなかから発せられていることも感じられました。そして、吉野さんのハープと宮田まゆみさんの笙は、《うつろひ》(1986年)をはじめとする作品で、非日常的でありながら、世界そのものを構成するものが凝縮されたかたちで現出する儀式的な場を開く、という細川さんの音楽のもう一つの側面を浮き彫りにしていました。吉野さんのハープとサクソフォンの大石将紀さんの《弧のうた》(1999年)は、今回の演奏会全体を、細川さんの音楽の新たな展開へ向けて象徴する、見事なものだったと思います。

11月29日には、紀尾井ホールにて、ヴィオラ奏者の今井信子さんの三回にわたるリサイタルのシリーズ「夢」の第三回を聴きました。“Clarinet Trio”と題された今回の演奏会は、クラリネット、ヴィオラ、ピアノの三重奏のために書かれたモーツァルト、シューマン、クルターグの作品をプログラムの中心に置いたうえで、ブラームス晩年の二曲のクラリネット、あるいはヴィオラのためのソナタを、クラリネットとヴィオラで演奏するという充実した内容の演奏会でした。クラリネットがヒェン・ハレヴィでピアノが韓国出身の新鋭キム・ソヌク。表現意欲に満ちたこの二人の冴えた演奏を今井さんが豊かな響きで受け止めて、温かくもスリリングなアンサンブルが繰り広げられていました。

とくに、モーツァルトのケーゲルシュタット・トリオがこれほど豊かな振幅を持って奏でられたのは、これまで聴いたことがありませんでした。個人的に嬉しかったのは、クルターグの《ローベルト・シューマンへのオマージュ》を実演で聴けたことです。シューマンの引き裂かれた内面を掘り下げながら、それをクルターグ自身の音楽と共鳴させるこの作品の「夜の音楽」は、非常に魅力的に思われました。クラリネットによるブラームスの第1番のソナタも、楽器の持ち味を最大限に生かした好演でしたが、何よりも素晴らしかったのが、今井信子さんのヴィオラによる第2番のソナタの演奏。自然な息遣いで連綿と歌い継いでいくヴィオラの響きが、会場を満たしていました。

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チャリティークリスマスコンサートflyer

12月4日には、エリザベト音楽大学のセシリアホールで行なわれた、同大学のチャリティークリスマスコンサートを聴きました。この演奏会では、20世紀初頭の夭折の詩人ゲオルク・トラークルが四季に寄せた詩をテクストに自然の深い息遣いを響かせながら、季節が巡るなかに、第二次世界大戦の末期に起きた二つの凄惨な出来事、ドレスデン空襲と広島への原爆投下という出来事の記憶を深く刻み込む、細川俊夫さんの《星のない夜》が演奏されました。この作品の解説と歌詞対訳を、演奏会のプログラムに寄稿させていただいたことを、とても光栄に感じています。この作品を取り上げようと決意された大学関係者の方々にも、心からの敬意を表わしたいと思います。《星のない夜》の演奏は、一音一音に熱意のこもった素晴らしいもので、とくにソプラノの小林良子さんが、澄んだ声ときれいな発音で一つひとつのフレーズを美しく響かせる演奏を聴かせてくれたのが印象的した。細川さんの音楽思想が集約されたこの作品に耳を傾けながら、70年前に起きた出来事に思いを馳せ、今を見つめ直す機縁を与える、被爆70年の記念に相応しい演奏だったと思います。

12月6日には、三原市芸術文化センターポポロへ、大阪フィルハーモニー交響楽団の特別演奏会を聴きに行きました。音楽監督の井上道義の指揮で、アールトネンの交響曲第2番「ヒロシマ」とブルックナーの交響曲第4番、それに佐藤眞のよく知られた「大地讃頌」が、冒頭に地元の合唱団と演奏されました。朝比奈隆が、今から60年前に広島で当時の関西交響楽団と演奏したアールトネンの「ヒロシマ」交響曲と、これも朝比奈が自家薬籠中のものとしていたブルックナーの「ロマンティック」交響曲が井上道義の指揮の下でどのように響くのか、楽しみに出かけました。

アールトネンの交響曲に関しては、この曲とその演奏史をずっと辿って来られた能登原由美さんがこのほど公刊された素晴らしい本『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社)を読んで、少し「予習」して行ったので、いろいろと考えさせられるところがありました。1947年に着手され、1949年に完成したというこの作品は、広島の被爆についての情報が未だきわめて乏しいなかで、原子爆弾の被害を人類の問題として受け止め、そこからの人間の再生を願って書かれたものとひとまず言えるでしょうか。音楽そのものは、同郷のシベリウスからの深い影響の下、映画音楽などの作曲の経験なども踏まえながら書かれていると思われます。同時代のショスタコーヴィチの一部の作品と呼応するようなリアリズムないし描写性を示すところもあります。井上道義の指揮による今回の「ヒロシマ」交響曲の演奏は、井上なりの解釈の下で、「交響曲」としての構成よりも、一篇の交響詩としての流れを重視して、標題音楽的な要素を生かしながら一気に聴かせるものだったのではないでしょうか。序奏で重苦しく奏でられたモティーフが、終楽章で長調に転じて回帰し、再生への願いを込めて徐々に熱を帯びていくあたり、引きつけるものがありました。

後半のブルックナーの交響曲の演奏は、各楽章の主題をゆったりと歌わせながら、それに各声部が対位法的に絡む動きもしっかりと響かせることによって、歌謡性と響きの充実を両立させた、とても聴き応えのあるものでした。井上は、とくに両端楽章で細かいアゴーギグを加えることで、彼ならではの曲の流れを作り出していました。この曲でも井上は、ブロックごとの構築性よりも、全体の自然な流れを重視していたように思いますし、それが彼ならではのブルックナーへのアプローチなのでしょう。とくに第2楽章と第4楽章は、美しい演奏に仕上がっていたと思われます。

第2楽章では、見事なテンポ設定の下で、最初にチェロに現われる憂いを帯びた主題が連綿と歌い継がれていく流れが素晴らしかったですし、第4楽章では、大きな広がりを持った響きのなかに第二主題をゆったりと響かせることが、音楽の大きな起伏を作り、最終的に壮大なクライマックスを現出させたあたりは、実に感銘深かったです。全体的に、ピアノの音量が大きすぎる印象を受けましたが、それは楽員が、井上の意図するところを懸命に実現させようとした結果かもしれません。井上と大阪フィルハーモニーの関係が深まれば、表現の振幅はおのずと広がることでしょう。

ともあれ、両者のブルックナー演奏の朝比奈時代とはひと味異なる方向性を垣間見ることもできました。大阪フィルハーモニーの演奏を聴くのは、実に久しぶりでしたが、重心の低い、聴き応えのある響きは相変わらずでしたし、さらにそこに透明感も加わってきているようにも思われます。もう一つ印象深かったのは、槇文彦が設計したポポロの音響の見事さです。充分な残響のなかで総奏が輝かしく響くのみならず、そのなかで内声の細かい動きもよく聞こえます。三原市民の素晴らしい財産と言うべきこのホールを、しっかりと生かし続けてほしいものです。

Die_Zwitscher-Maschine_(Twittering_Machine)

Paul Klee, »Die Zwitscher-Maschine«(1922)

最後に、話題が少し音楽から美術へスライドするかもしれませんが、ベルンのパウル・クレー・センターに集うクレーの美術の世界的な研究者が主体となって編集され、このほどその創刊号がオンラインで発行された、クレー研究の国際的な雑誌“Zwitscher-Maschine”──この表題は、クレーの水彩画《さえずり機械》(1922年)に由来しています──に、今夏栃木県の宇都宮美術館で開催されたクレー展「だれにもないしょ。」の展覧会評を、英語で掲載していただきました。拙稿の掲載の機縁を作ってくださり、そのために編集を含めご尽力くださった、チューリヒ大学の柿沼万里江さんと翻訳者のデイヴィッド・ノーブルさんに心からの感謝を捧げたいと思います。拙稿は、ご興味のある方にご一読いただけると幸いです。ヴァイオリンを愛し、生涯にわたり音楽を着想の源泉とし続けたクレーの作品を新たな角度から見直す、ささやかなきっかけになればと願っております。