ベルリン通信I/Nachricht aus Berlin I

[2016年5月1日]

ベルリンへ来ると、どこか故郷へ帰って来たような安心感があります。2004年の10月から翌年2月にかけて、在外研究のためにポツダムに滞在していたあいだ、週に一回か二回は電車でベルリンに通っていましたし、その前後にも年に一度は研究のために、あるいは音楽を聴くためにベルリンを訪れていたからです。少しごみごみとした街の空気、せわしく人が行き交う駅から聞こえる電車の音、美術館や博物館の佇まい。どれも懐かしく感じられます。

旅行者としてベルリンを訪れているうちならこういった感慨に浸ることもできるのでしょうが、いざ住むとなるとそのような暇はないというのが実情です。来年2月までの在外研究のためにベルリンに到着して一か月が経ちましたが、あっという間に過ぎました。役所での住民登録に始まり、娘の小学校探し、銀行の口座開設など、思った以上に労力と時間を要しました。とくに役所での手続きは、最近予約なしでは原則として受け付けないようになったこともあって、ベルリンの市民にとっても大変なようです。住まいの家主さんをはじめ、周りの人々の協力を得て、事務的な手続きは、外国人局での在留許可申請を除いて、何とかほぼすべて片づきました。

こちらでは、ベルリン自由大学の哲学科にお世話になりながら、主にヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学の研究を進めています。主著のMedium, Bote, Übertragung: Kleine Metaphysik der Medialität (Suhrkamp, 2008) が日本語に訳されている(『メディア、使者、伝達作用──メディア性の「形而上学」の試み』晃洋書房、2014年)哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキアム(大学院生以上向けのゼミ)に出させていただきながら、ベンヤミンが問うた歴史の概念を掘り下げることになります。クレーマー教授はとても気さくで、後進の教育にも熱心な方と見受けられました。

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ベルリン自由大学文献学図書館の外観

普段はベルリン自由大学の文献学図書館(Philologische Bibliothek)を利用して、ベンヤミンの歴史哲学に関係する文献を渉猟しています。人間の脳をイメージした設計で2006年のベルリン建築賞を受賞したこの図書館には、人文学関係の文献が豊富に揃っています。何よりも、開架式の図書館なのがありがたいです。適度な広がりのある静かな空間で、必要な本をすぐに手に取って読むことができます。それから、もちろんベルリン芸術アカデミー付設のWalter Benjamin Archivも、重要な研究の拠点です。こちらの司書の方にも何かとお世話になっています。

これらの施設を利用しながら、ベンヤミンの歴史哲学の研究を深め、それを現在構想している〈残余からの歴史〉の概念の理論的な探究に接続させたいと考えています。ひとまず、ベンヤミンに関する研究を近いうちにまとめて、先のクレーマー教授のコロキアムで報告させていただく予定です。それゆえ、とくに今月は研究のピッチを上げなければなりません。懸案だった他のプロジェクトも動き出したので、徐々に本業のほうが忙しくなってきました。

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リリエンタール公園の桜並木

ベルリンでは、市内南西部のリヒターフェルデという郊外の街に住んでいます。緑豊かなところで、雰囲気も落ち着いています。晴れた朝には、実にさまざまな鳥の声が聞こえます。リスが木に登っていくのを何度か見かけましたし、夜にキツネが道路を歩いているのに出くわしたこともあります。近くには、グライダーの有人飛行実験によりライト兄弟以後の航空機開発に貢献したオットー・リリエンタールを記念した公園があります。そこの桜並木が、最近ようやく満開になりました。ただ、ベルリンは四月の末まで非常に寒い日が続いていて、最低気温はずっと氷点下近くでした。雹や雨混じりの雪が降ることもありました。幸い、ここへ来て春らしい暖かさが戻りつつあります。

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ティタニア・パラストの外壁の銘板

リヒターフェルデの最寄りの駅からベルリンの市街中心へは、電車で15分から20分ほどですので、交通の便も悪くはありません。ただし、ちょっとした買い物があるときには、バスでシュテーグリッツという少し大きな街へ出るほうが便利です。ここには、ティタニア・パラストという、戦後しばらくベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏会場に使っていた映画館があります。ベルリン自由大学の創立記念式典が開催された場所でもあります。最近そこでこのオーケストラの定期演奏会のライヴ・ヴューイングを見ました。今はどこにでもあるシネマ・コンプレックスになっています。

ちなみに、現在およそ週に一回ほどのペースで、演奏会やオペラの公演にも通っています。なかでも感銘深かったのが、ベルリン・ドイツ・オペラで観たヤナーチェクの《マクロプロス事件》の公演でした。作品に正面から取り組みながら洗練されたダーフィト・ヘルマン演出による舞台と、ドナルド・ラニクルズの指揮の下での充実した音楽が見事に合致していました。今月観たオペラの公演でもう一つ忘れられないのが、パリの郊外で見たフランチェスコ・フィリデイの新作オペラ《ジョルダーノ・ブルーノ》の公演でした。宇宙の無限を説いたルネサンスの哲学者ブルーノの思想と生涯を、彼の焚刑に至るまで非常に説得的に、かつ現在の問題を投げかけるものとして描き出していたと思います。

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パリのパサージュの一つで

4月の下旬には、勤務先の大学で取得した休日を利用してパリへ三日間出かけました。ベルリンからパリへは二時間足らずのフライトです。旅行の目的はこの《ジョルダーノ・ブルーノ》と馬場法子さんの新作で能楽師の青木涼子さんが主演するNôpéra《葵》の公演を観ること、それにポンピドゥー・センターで始まった大規模なパウル・クレー展「作品におけるイロニー」を観ることでした。このクレー展には、ヴァルター・ベンヤミンが私蔵していた二つのクレーの絵《新しい天使》と《奇跡の上演》が初めて揃うので、見逃さないわけにはいきません。初めて実物を見た《奇跡の上演》は、クレーの魅力が凝縮された一枚と思います。ベンヤミンが友人に宛てた手紙のなかで、これ以上美しい絵を見たことがないと語った気持ちも分かります。

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こちらの桜の多くは八重桜のような感じで、あまり花の儚さは感じさせません。

これら以外にも傑作や貴重な作品が集まっていて、かつクレーの画業も新たな視点から見直させるパリのクレー展に関連しては、5月下旬にコロックも予定されています。そちらにも出かけるつもりでおります。それまでにベンヤミンの歴史哲学に関する研究の現時点での成果を示す論考に目鼻を付けておきたいものです。先に記した施設で本を読む時間を持てる幸せを噛みしめながら腰を据えて文献に取り組み、それをつうじて得られた知見を深めていきたいと思います。ベルリンはこれから一年で最も美しい季節を迎えますので、当地の緑の豊かさも家族で味わいたいものです。ハインリヒ・ハイネが歌った「妙なる月(Der wunderschöne Monat)」がみなさまにも訪れますように。

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