武生国際音楽祭2017に参加して

Takefu-International-Music-Festival-2017-Leaflet第28回目を迎えた武生国際音楽祭2017に、今年は作曲ワークショップの特別ゲストとして参加させていただきました。9月13日に武生に入ってから17日の音楽祭最終日まで、数多くの演奏会とレクチャーに接することができて、とても言葉では言い尽くせない多くの刺激を受けることができました。この音楽祭の重要な特徴をなすワークショップでは一回レクチャーを持たせていただきましたが、それをつうじて、私のほうが学ぶことが多かったです。このような機会を設けてくださった武生国際音楽祭の音楽監督の細川俊夫さん、コンサート・プロデューサーの伊藤恵さん、そして理事長の笠原章さんをはじめとする武生国際音楽祭推進会議のみなさまに、まずは心から感謝申し上げます。本当にお世話になりました。

5日にわたって聴かせていただいた演奏会は、どれも印象深いものでしたが、とくに9月14日の夜に聴いた「マエストロの調べ──イリヤ・グリンゴルツを迎えて」、15日の夜に聴いた「細川俊夫と仲間たち」、そして最終日の17日に聴いた「ユン・イサンの音楽──100年目の誕生日に寄せて」は、忘れがたい演奏会となりました。まず、細川俊夫さんの作曲の師であった尹伊桑の百回目の誕生日に行なわれた「ユン・イサンの音楽」では、深い吐息とともに発せられた一つの音が、自己自身を拡げながら渦巻くように力強く発展していくこの作曲家の音楽の凝縮された姿を、フルート、ヴァイオリン、ヴィオラの独奏のうちに聴くことができました。一つの音に潜在する響きを聴き出しながら、書の線として展開する細川さんの音楽の源泉の一つがここにあることがあらためて実感されました。

なかでも、尹が十二音技法を用いながら、この西洋音楽の論理の展開に、朝鮮半島の伝統的な音楽や朗唱の要素によって息を吹き込んだ1963年成立の二つの作品、フルートとピアノのための《ガラク(歌楽)》、ヴァイオリンとピアノのための《ガーザ(歌詞)》の音楽の凝縮度の高さには目を瞠りました。演奏会の冒頭で細川さんが、日本の植民地主義によって言語を奪われた経験を持つ尹は、自身の音楽のうちに自分自身の言葉を求めていたと語られたのを感銘深く聴きましたが、これらの二つの作品で尹は、やがて彼自身にも及ぶことになる軍事政権の圧政のなかで、魂が息づく余地を、作曲の方法を突き詰めながら切り開こうとしているように聴こえます。そして、そのような作曲の基本的な姿勢は、今あらためて顧みられる必要があるのではないでしょうか。とりわけ、張りつめた静けさのなかを一段一段上って、言わば舞台の上で音の舞いを羽ばたかせた後、静かな祈りへ還っていく過程を示す《ガラク》の音楽を、温かさと強さを兼ね備えた音で歌い抜いた上野由恵さんのフルートには心を動かされました。上野さんは、無伴奏フルートのための《エチュード》からの三曲でも見事な演奏を聴かせてくれました。

尹の《ガーザ》で、静かな息遣いが徐々に熱を帯びて、忘我の朗詠にまで高揚していく過程を、美しい音で、かつひたひたと迫り来るような緊張感を持って表現したイリヤ・グリンゴルツさんのヴァイオリンには、今回の音楽祭で最も驚嘆させられました。14日の「マエストロの調べ」で彼は、伊藤恵さんの豊かな歌を持ったピアノのサポートを得ながら、シューベルトのイ短調のソナチネとベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ「クロイツェル」の完璧と言って過言ではない演奏を披露してくれましたが、連綿と連なっていくかのような旋律線のなかに起こるドラマを、恐ろしいまでの凝縮度を具えた音楽に造形したシューベルトのソナチネの演奏は、とくに感動的でした。ベートーヴェンの「クロイツェル」ソナタでは、それぞれのフレーズの特質を繊細な感覚で生かしながら、音楽の自然な流れを造形する演奏に感銘を受けました。この曲の両端楽章の躍動も実に魅力的でしたが、その途方もない振幅のなかで澄んだ響きが保たれているのにも驚かされます。13日の夜には、グリンゴルツさんは、見事としか言いようのないパガニーニのカプリースの演奏も披露してくれました。

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珠寳さんによる、水辺から野への歩みと夏から秋への季節の変化を、儚さを感じさせるかたちに表現した引接寺での作品。

15日から16日にかけては、「細川俊夫と仲間たち」の演奏会と「新しい地平」シリーズで、同時代の数多くの作品を聴くことができましたが、とくに「細川俊夫と仲間たち」では、今まで実演に接することのできなかった細川さんの作品を聴くことができて嬉しかったです。なかでも、メシアンの《世の終わりのための四重奏曲》と同じ楽器編成で書かれた《時の花》では、弦楽器とクラリネットが織りなす柔らかな響きの層のなかにピアノの音が静かに打ち込まれることによって、時の動きが始まり、その動きが、分割不可能な時のなかで過去と現在が絶えず浸透し合うのを象徴しながら、渦巻くように高まっていく一連の動きが実に美しく響きました。また、フルートと弦楽三重奏のために書かれた《綾》における、フルートとヴィオラの深い息遣いをもった歌の掛け合いが、やがてどこか取り憑かれたかのように激しい動きへと高揚していく音楽の推移も、聴き手の心を渦のなかへ巻き込んでいくような強さを示していたと思います。これらの二曲を含む細川さんの作品は、毎年武生国際音楽祭で活躍している音楽家が構成する「タケフ・アンサンブル」によって、今年の10月にヴェネツィア・ビエンナーレでも披露されることになっています。

同じ「細川俊夫と仲間たち」で聴いたイザベル・ムンドリーさんの作品も印象深いものでした。とりわけ器楽アンサンブルのための《リエゾン》において、緊張感に満ちた持続のなかから、とても繊細で、しかも緻密に構成された響きが閃くのが印象的でした。《織る夜》においては、分割された声の構成的でかつニュアンスに富んだ扱いが、詩の壊れやすい世界を生かしていたと思います。この作品では、太田真紀さんの声が、こうした作品の特徴を見事に生かしていました。二日にわたって聴いた「新しい地平」シリーズのなかでは、陰翳に富んだ響きのなかから対がニュアンスを変えつつ生じてくる三浦則子さんの二台のピアノのための《二つの眼》や、笛と鼓を介した密やかな遣り取りが、声を通わせる対話に発展して、また遠ざかっていく金子仁美さんの《歌をうたい…I》などを面白く聴きました。これらの他に、ドイナ・ロタルさんのフルート独奏のための《JYOTIS》を、素晴らしい曲と感じました。東方教会とルーマニアの民俗音楽から得られた魅力的な歌の線に息が吹き込まれ、音楽の強度が増していくのが、マリオ・カローリさんの素晴らしい演奏によって聴衆に届けられました。彼は、尹の《ソリ》でも見事な演奏を聴かせてくれました。

こうした息遣いと深く結びついた音楽の力は、ヨーロッパの音楽の核心にあるものでもあるはずです。それがとても魅力的に発揮されたのが、16日夜の演奏会「珠玉の室内楽と魅惑の歌声」でした。なかでも、毛利文香さんと津田裕也さんが奏でたシューベルトの幻想曲の豊かな歌と感興に満ちた演奏は、敢えて「幻想曲」と銘打たれた作曲家晩年の作品の魅力を見事に伝えていたと思います。コーダの直前の歌の広がりと、そこからの追い込みには心を奪われました。こうして若い演奏家が自身の音楽を深化させている姿に接することができるのも、この音楽祭の魅力の一つでしょう。最終日の「ファイナル・コンサート」でのシューマンのピアノ五重奏曲の闊達な演奏や、先の「マエストロの調べ」におけるシューベルトの弦楽五重奏曲の躍動感と歌に満ちた演奏も、若い音楽家たちの成長を実感させるものでした。

16日夜の演奏会の最後に演奏された、イルゼ・エーレンスさんの独唱によるマーラーのリュッケルトの詩による五つの歌曲にも感嘆させられました。第4曲「私はこの世の人ではなくなった」と第5曲「真夜中に」における高揚には神々しいまでの輝きがありました。彼女は、来年2月に細川さんのオペラ《松風》の新国立劇場での日本初演で、タイトル・ロールを歌うことになっています。彼女は、「ファイナル・コンサート」でのブルックナーの《テ・デウム》でも独唱を務めましたが、自身のパートで見事な歌唱を聴かせるのみならず、合唱のパートもほぼすべて歌って、武生の人々の歌唱を支えていました。こうした姿勢に表われるエーレンスさんの人間としての温かさも、実に魅力的でした。彼女のサポートと相俟って、《テ・デウム》は力強く響いたと思います。台風が近づいていたので、最終日の演奏会への影響が心配されましたが、「ファイナル・コンサート」まで無事に盛況のうちに開催されたのは、実に喜ばしいことです。

作曲ワークショップでは、文学研究者にして音楽学者でもあるラインハルト・マイヤー゠カルクスさんと作曲家のイザベル・ムンドリーさんのレクチャーから多くを学ぶことができました。《アヴァンチュール》に代表されるリゲティの声の扱いとその背景にある前世紀の芸術運動について、細川さんの声の扱いの方法とその深化について、さらにムンドリーさんが音楽が生じてくる動きそのものに着目しながら作曲する方法や、その前提となる思想について興味深いお話をうかがいました。今回は、私もワークショップにて、「嘆きの変容──〈うた〉の美学のために」というテーマでお話ししました。困難な世界のなか、他者とのあいだで、そして死者とともに生きることを悲しみとともにわが身に引き受ける嘆きを掘り下げ、その嘆きを響かせるという観点から、〈うたう〉ことを、さらに言えば〈うた〉の出来事を、文学と音楽を往還するかたちで考察する内容のものです。慣れないことでいくつか反省点もありましたが、若い作曲家の方々にとっていくつか刺激になるものが話には含まれていたようで、後でいくつも質問をいただきました。その準備の過程では、学ぶことがとても多かったです。

このように、作曲家と演奏家にとって確かな手応えのあった、そして私にとっても刺激に満ちた今回の武生国際音楽祭に参加させていただいたことに、重ねて心から感謝申し上げます。また次回も、この音楽祭のために武生を訪れるのを、とても楽しみにしております。そして、この音楽祭が、武生の街における日常的な芸術の営み──それは、この街の至るところにある寺院やギャラリー、さらにはカフェのような場所で、美術作品の展示のみならず、詩的な作品の朗読やレクチャー、小さなパフォーマンスなどをつうじて行なわれうることでしょう──をつうじて、より深く人々のあいだに根づくことを願っております。音楽祭が開催された越前市文化センターの周りには、立派な図書館や子どもが遊ぶスペースが整えられていて、さまざまな背景を持った子どもたちの声が夕暮れ時まで響いていました。その声のなかに、武生の街の新たな文化の胎動があるのかもしれません。

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