岩波書店『思想』ヴァルター・ベンヤミン特集号刊行のお知らせ

371906岩波書店の雑誌『思想』2018年7月号は、20世紀前半に文筆家として活躍しながら独特の批評的思考を繰り広げたヴァルター・ベンヤミンの特集号です。本号は、6月28日より各書店の店頭に並びます。また、29日からはhontoAmazonなどのインターネット上の書店でも発売になるとのことです。ちなみに月刊誌でのベンヤミン特集は、久しぶりのことになります。1992年のベンヤミン生誕百年の年には、青土社の『現代思想』で、それから二年後には『思想』誌でベンヤミン特集が組まれています。その後、2002年12月には青土社の『ユリイカ』で、ベンヤミンが特集されていますが、今回の『思想』でのベンヤミン特集は、それ以来およそ16年ぶりの月刊誌での特集ということになるはずです。

その間ベンヤミンを読む環境は、その著作を日本語で読むことに限って見ても、大きく変わりました。まず、ちくま学芸文庫の『ベンヤミン・コレクション』(全7巻)などの刊行によって、ベンヤミンの著作の大半が、読みやすい日本語で読めるようになっています。また、現在ズーアカンプ社より手稿の調査にもとづく編集と刊行が進みつつある、著作と遺稿の批判版全集(Werke und Nachlass: Kritische Gesamtausgabe)のテクストにもとづく日本語訳も、少しずつながら現われ始めています。テーオドア・W・アドルノ、その妻グレーテル(・カルプルス)、そして生涯の友人ゲルショム・ショーレムとの往復書簡の日本語訳が揃っていることも忘れられてはなりません。

ベンヤミンの仕事の領域横断的な広がりに見通しを与えた一方で、議論の関心が当時翻訳が刊行された『パサージュ論』(現在は岩波現代文庫)とその周辺に集中する傾向のあった1990年代前半のベンヤミン研究の興隆からおよそ四半世紀を経て、ベンヤミンの著述活動を最初期から跡づけ、彼の思考を貫く軸を浮き彫りにする研究や、アドルノをはじめ同時代の思想家との関係を生産的に吟味し直す研究などが陸続と現われています。このようなベンヤミンをめぐる日本の状況と、海外の研究動向の双方を見据えながら、彼の著作を今読み直す可能性へ向けて、今回の『思想』誌のベンヤミン特集は構想されています。言語、歴史、これらの宗教的背景、芸術と身体を含むその新たなメディアなどをめぐるベンヤミンの思考を検討する議論の布置が、新たなベンヤミン像を浮かび上がらせる特集になっていれば幸いです。

今回の特集には、ベンヤミンのテクストへの新たなアプローチを提示する試みとして、彼の「技術的複製可能性の時代における芸術作品」の第一稿の翻訳が、これを初めて印刷した批判版全集第16巻と同様、原文に残された抹消や挿入なども再現するかたちで、しかも『思想』誌初の横組みで収録されています。竹峰義和さんの労作は、ベンヤミンのテクストの生成過程からその思考の展開を吟味し、これまで読まれてきた芸術作品論のテクストには最終的に取り入れられなかったものを含め、そのモティーフを生産的にすくい取る道を開くものと言えるでしょう。「ダダイズムは、……芸術作品の文書化を促進する」という言葉をはじめとするダダへの立ち入った論評が見られるあたり、個人的に興味を惹かれます。この「第一稿」の訳出が、他の批判版のテクストが検討される契機になることを願っております。

これ以外の翻訳として、今回の特集には、マイケル・ジェニングスの論文「終末論に向けて」とアーヴィング・ウォールファースの論文「救出 対 弁明」の翻訳も収録されています。両者ともベンヤミン研究を牽引してきた代表的な研究者ですが、その仕事はこれまであまり日本では紹介されてきませんでした。山口裕之さんが訳したジェニングスの論文は、ベンヤミンの歴史哲学と神学の結びつきが、どのような思想的な布置から生じたのかを明らかにするきわめて重要なものです。田邊恵子さんの翻訳によるウォールファースの論文は、「夢のキッチュ」という短いテクストの解釈を足がかりに、近代という「時代=時代の夢」の世界の批判をつうじて、そのなかに打ち捨てられた「歴史の屑」を救い出すというベンヤミンの思考を、多層化して救出するもので、これも際立ったかたちでベンヤミンを読む可能性を示しています。

このほかに今回の特集には、ベンヤミンのユダヤ的なものとの対決を、ショーレムとの対照において検討した論文や、第一次世界大戦下のヘルダーリン受容を軸に、「ドイツ」をめぐるベンヤミンの思考の位置を浮き彫りにした論文、彼の言語論を新たな視角から検討した論文、ベルトルト・ブレヒトの叙事演劇から着想を得た「身ぶり」や「中断」のベンヤミンの思考における意義を掘り下げた論文、さらにはベンヤミンが着目した技術と自然のインタープレイのメディアとして、機械と身体の相互浸透を形象化する可能性を検討した論文が収録されています。これらは翻訳論文と併せて、ベンヤミンの思考の歴史的な文脈を捉え直したところから、その可能性を検討する道を切り開くものと言えるでしょう。

今回の特集では、ベンヤミンを論じた二つの重要な著書として、『ベンヤミン解読』(白水社)と『堕ちゆく者たちの反転』(岩波書店)がある道籏泰三さんに、「思想の言葉」と「名著再考」をご執筆いただいています。前者では、石川淳の短篇「焼跡のイエス」を手がかりに、救いのなさを凝視するベンヤミンの思考の基本的なモティーフが、見事に浮き彫りにされています。後者では、とくに『ドイツ悲劇の根源』を取り上げていただきました。このバロック悲劇論の文脈と構成、そこに含まれる基本的なモティーフとその発展が、簡潔ななかに鮮明に描き出されたこの「名著再考」は、悲劇論のみならず、他のベンヤミンの著作を読み直すうえでも踏まえるべき軸を示すものでしょう。

私も今回の特集に、ベンヤミンが「歴史の概念について」のなかで提起している「抑圧された者たちの伝統」の概念に取り組んだ論考を寄稿させていただきました。この「伝統」が、経験の崩壊と、それによる旧来の伝統の破産を踏まえたところから語られていることを浮き彫りにしたうえで、この来たるべき伝統に対する彼の問題意識とともに、それがどのような歴史の姿を示唆しているかを、歴史叙述における非連続性の意義に触れるかたちで論じたものです。批判版全集の『歴史の概念について』の巻に収録されているハンナ・アーレント手稿とともに、年代記の概念をめぐるベンヤミンとアーレントの関係にも少し触れました。

さて、今回のベンヤミン特集には、企画段階から関わってきましたので、特別な思い入れがあります。『思想』の吉川哲士編集長からこの特集のお話をいただいたのが昨春のこと。その後吉川さんとの打ち合わせを経て、執筆者の調整と打診を進め、昨秋には『思想』編集部のご尽力により、京都で執筆者の会議も持つことができました。そこで各執筆者が論文の構想を交換し、収録する翻訳テクストを選定したうえで、論文執筆と翻訳を進めていきました。その結果として、今ベンヤミンを読み直す可能性を、密度の濃い議論によって提示するものに仕上がったかと思います。それは何よりも、吉川編集長をはじめ『思想』編集部の周到な準備のおかげです。心から感謝申し上げます。そして、いずれも力作を寄せてくださった執筆者と翻訳者のみなさまにも、衷心より感謝申し上げます。『思想』の新たなベンヤミン特集が広く読まれ、多くの人にベンヤミンの著作を読んでその思考に取り組むきっかけを与えることを願ってやみません。

■『思想』特集ヴァルター・ベンヤミン(2018年7月号)目次

  • 思想の言葉(道籏泰三)
  • 抑圧された者たちの伝統とは何か──ベンヤミンの歴史哲学における歴史の構成と伝統(柿木伸之)
  • ショーレムとベンヤミン──「修復」のシオニズム,「忘却」への「注意深さ」(小林哲也)
  • ベンヤミンと「秘められたドイツ」をめぐって──『死のミメーシス』補遺(平野嘉彦)
  • 終末論に向けて──1920年代初頭におけるヴァルター・ベンヤミンの神学的政治の展開(マイケル・ジェニングス)
  • 名前、この名づけえぬもの──ベンヤミンの初期言語論(藤井俊之)
  • 非゠伝達可能性の象徴としての言語──ベンヤミンの言語哲学における記号への問い(森田團)
  • 〈名著再考〉ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』を読む(道籏泰三)
  • サンチョ・パンサの歩き方──ベンヤミンの叙事演劇論における自己反省的モティーフ(竹峰義和)
  • 救出 対 弁明──ベンヤミン「夢のキッチュ」について(アーヴィング・ウォールファース)
  • 機械の身体というユートピア──技術メディアとしての映画とアヴァンギャルドの思考(山口裕之)
  • 技術的複製可能性の時代における芸術作品──第一稿(ヴァルター・ベンヤミン)
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岩波書店『思想』ヴァルター・ベンヤミン特集号刊行のお知らせ」への1件のフィードバック

  1. 『思想』のベンヤミン特集号は、岩波書店のウェブ・マガジン「たねをまく」でも詳しくご紹介いただいています。ページ上で道籏泰三さんの「思想の言葉」が読めますし、8月末までの期間限定ながら、「技術的複製可能性の時代の芸術作品」の第一稿の翻訳の一部と、訳者の竹峰義和さんによる解題も読むことができるようになっています。こちらもご覧いただけると幸いです。https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/906

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