如月の仕事など

写真展「30年後に見えなくなるもの」表二月は仕事に追われるなか、慌ただしく過ぎていきましたが、2月23日、神戸での研究会からの帰りに、大阪市福島区のフォトギャラリー・サイで開催されている小原一真写真展「Exposure / Everlasting──30年後に見えなくなるもの」を見ることができたのは幸いでした。1986年4月26日に起きたチェルノブイリの原子力発電所の事故を、その前史──それは言うまでもなく、戦後の日本も積極的に関与した核開発の歴史です──から捉え返したうえで、この取り返しのつかない出来事の後に生きるとはどういうことかを、ウクライナに生きる三人の暮らしを追った写真と、それについてのテクストによって問いかける展示でした。

なかでも事故で被曝したフィルムを用いて、母親の胎内で被曝し、甲状腺の障害に苦しむことになったマリアという女性と、その朽ちていく生活風景を撮影した写真は印象的でした。技術的なことは分かりませんが、どうしても余白が多くなってしまう媒体を駆使して、放射能の不可視性と、その見えない力に曝されて生き続けること、さらにはその孤独や虚しさにも迫っているように見えます。壊れた室内などの写真からは、チェルノブイリ周辺の人々が忘却に曝されていることも感じます。

放射能の見えない力に曝されて生き続けることが、忘却に曝されているということは、当然ながら福島の原発事故に巻き込まれた地域の人々の問題でもあります。町家の暗い空間でライトボックスを使った展示は、それを静かに問いかけているように見えます。今もチェルノブイリの原発で働く人々の日常を、その風景とともに映した写真は、生活の構成要素の貴重さを伝えるとともに、それを次の世代のために受け継ぎ、世界を廃墟から造り直していく責任を、見る者に問いかけています。

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広島の公園に咲いていた梅

さて、ここ最近公になった、あるいは近々公になる仕事をご紹介しておきたいと思います。まず、昨秋神戸・ユダヤ文化研究会の文化講座で講演した内容を基にした拙論「天使の変貌──ベンヤミンにおける言語と歴史をめぐる思考の像」を、同研究会の雑誌『ナマール』第23号に掲載していただきました。黒田晴之さんはじめ講演に招いてくださった、また編集にご尽力くださった研究会のみなさまに心より感謝申し上げます。

拙論は、1921年にパウル・クレーの《新しい天使》を手に入れて以来、ベンヤミンが生涯の節目ごとに著作に描き出した天使の像を、言語と歴史を徹底的に問う彼の思考を読み解く鍵として検討する内容のものです。第23号にはこのほか、ベンヤミンとショーレムの関係を掘り下げた小林哲也さんの論考なども掲載されています。

それから、ユーロスペースでの上映が始まる佐藤零郎監督の映画『月夜釜合戦』の制作チームが発行している批評新聞『CALDRONS』の第2号に「手つきと身ぶり──広島で『月夜釜合戦』を『山谷(やま)やられたらやりかえせ』とともに観て」と題する小文を寄稿させていただきました。インタヴューや座談を含めて非常に充実した内容の紙面に加えていただき、とても光栄に思っています。

拙稿は、2018年1月13日に『山谷』の監督の一人山岡強一の命日にこの映画と『月夜釜合戦』を観たのを踏まえて、この映画の『山谷』への応答を見るとともに、両者の対照に触れることで『月夜釜合戦』の特徴に迫ろうとするものです。とくにこの劇映画の時折中断する時間と、そこに浮かび上がる権力の視線から逃れていく身ぶりに注目しました。

もしこの批評新聞が劇場でお目に留まったら、ご笑覧いただけると嬉しいです。 何よりも、釜ヶ崎を舞台に、根深い問題を抉り出すとともに、ユートピア的とも言える連帯を浮かび上がらせる映画は、16ミリフィルムで撮影された映像とともに非常に魅力的ですので、まだご覧でない方は、ぜひ劇場へお運びいただければと思います。東京での上映が盛況であることを願っています。

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