Chronicle 2019

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周防大島の夕暮れ

広島でいつになく暖かい大晦日を迎えています。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。気候が穏やかなことは、年を追うごとに寒さに弱くなる身にはありがたいとはいえ、それを手放しで喜ぶ気にはなれません。これもやはり地球規模の気候変動の影響なのではないか、という思いを拭えないからです。

今年、温暖化に対する無為無策を力を込めて批判する国連でのグレタ・トゥンベリさんのスピーチが話題になりました。その言葉は、前へ進むことが、次世代の未来を閉ざすかたちで生存の環境を破壊することでしかないことを突きつけました。にもかかわらず、列島の人々は虚妄の未来に躍らされているままです。

まず求められているのは、立ち止まって足下を見つめ直すことでしょう。どのような歴史が積み重なった現在に生きているのかを考え、生き方を変えていくことでしか生存の道筋は開かれないでしょう。そして、いわゆる「負の歴史」も刻まれた近代の遺構と向き合うことは、そのきっかけになるはずです。

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旧陸軍被服支廠の窓

現在広島県は、県当局が管理する広島市南区の旧陸軍被服支廠倉庫の三棟のうち、二棟を解体するという方針を示そうとしています。その考えには、軍都にして被爆地であることが刻まれた広島にこそ求められる、歴史への真摯さに背反する重大な問題が含まれていると思われます。歴史的な建物を残し、活用する可能性へ向けて、市民を交えて知恵を絞るのが先ではないでしょうか。

禍々しいまでの威容を湛えて立ち並ぶ被服支廠の建物は、近代日本の戦争と植民地主義の記憶と、被爆の記憶を一つながらに伝えています。その軍服工場では、朝鮮人を含む人々が苛酷な労働を強いられました。また被爆直後には、重傷を負った多くの人々がその建物に運び込まれて命を落としています。

そのような被服支廠の建物を、死者の記憶に思いを馳せながら歴史的な現在を見つめ直し、さらに広島の記憶を他の場所の記憶と照らし合わせる場として再生させる可能性を提示する小文「生存の文化の拠点としての『倉庫』の再生のために」を、若い人たちが立ち上げた「被服支廠キャンペーン」に応えて寄稿しました。ご覧いただけると幸いです。

それにしても、この一年ほど神話が消費されることによって、歴史の隠蔽が進んだ年もなかったでしょう。それによって演出された天皇の代替わりに対する「奉祝」ムードが、「オリンピック」への狂躁へと接続されるなか、幾重にも差別が組み込まれた「公」に同調する雰囲気が醸成されています。

この多幸症的な空気のなか、植民地支配下の強制労働も、人が被曝を強いられることも、生活をその原風景もろとも壊されるかたちで戦争に巻き込まれることも、現在の問題であり続けていることが、すっかり忘れられています。これらは今、日本列島に生きる人々の生を日々蝕んでいるにもかかわらず。

歴史の忘却と、前へ進むことへの幻想は表裏一体です。そこに「国民」を束ねるかたちで、現政権とその取り巻きは、人民のもの、すなわちres publicaを私物化しています。今や自分たちが犯したあらゆる不正と犯罪を隠蔽しながらメディアと官僚機構を操り、差別を問いただす表現を抑圧することが、「公」と化しつつあります。「未来」とは、この連中の利権の拡大という虚妄でしかありません。

そのような私物化のファシズムのために、天皇の代替わりの一連の行事まで利用された観すらあります。ただしそのことは、神話的な天皇制を拵えて、国民を支配の対象としながら、性急に帝国主義的な近代化を押し進めた、遅れて来た近代国家としての日本の無惨な成れの果てを示すものでもあると思われます。

日本列島ではこのような破滅的な地点にまで立ち至った近代の歴史的な過程に向き合い、それが進行する内部で、「進歩」が打ち捨ててきた歴史の残骸の一つひとつを拾い上げ、そこに沈澱した記憶から、近代の歴史を総体として捉え返す思考。その回路を探究していたのが、ヴァルター・ベンヤミンでした。

473158今年の9月20日には、二十世紀前半に文筆家として活動したユダヤ人思想家ベンヤミンの思考を、神話に抗いながら言語、芸術、歴史をその可能性において問う批評と捉え、その足跡を辿った小著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を、岩波新書の一冊として上梓することができました。

岩波新書編集部の中山永基さんはじめ、そのためにお力添えくださった方々に、この場を借りてあらためて感謝申し上げます。本書の内容については、このウェブサイトの別のページに少し詳しく記してありますのでご参照ください。すでにお手に取ってくださった多くのみなさまに心より感謝申し上げます。

本書は期せずして、ある意味ではベンヤミンが生きた時代よりも息苦しい闇のなかに送り出されることになりました。その闇のなかで、他者と、そして死者とともに生きる道を探る思考の歩みのお伴して、来年はさらに多くの方に読んでいただけたらと願っております。来年は、ベンヤミン没後80年の年です。

ちなみに、今年は彼の友人だったテーオドア・W・アドルノの没後50年の年でした。アドルノとベンヤミンの往復書簡を検討し、両者がファシズムに抗する美学の共同戦線を模索していたことを示したうえで、そのための両者の思考が、相異なった方向性を持つメディアを創る言葉の探究に結びついたことを描く論考「メディアを創る言葉へ──ベンヤミンとアドルノの書の死後の生によせて」も年末に執筆しました。

こちらは岩波新書編集部のウェブサイト「B面の岩波新書」に、「新書余滴」として掲載されております。ご覧いただけると幸いです。今年こうして一冊の小さな本とそれに関連する論考を公にできたことは幸いでしたが、哲学と美学に関する自分の研究をさらに深めて公にする仕事は、充分だったとは言えません。

EHZb3NYUUAIgu_gベンヤミンの没後80年と被爆から75年の節目を迎える2020年は、拙著を丁寧に精読してくださっている方々がいることを胸に刻みながら研究にしっかりと取り組み、その成果をお伝えできるよう努めたいと思います。併せて、芸術に関わる仕事にも、力の及ぶ範囲で取り組んでいきたいと考えています。来年2月には早速、広島で細川俊夫さんのオペラ《松風》の公演があります。

今年も音楽と美術にまたがるかたちで、芸術に関する小文を公にする機会に恵まれました。それを設けてくださった方々に感謝申し上げます。とくに、広島交響楽団のディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethovenのプログラム・ノートを、連載のように執筆する機会をいただいたことは幸いでした。それによって、この二人の作曲家とその音楽について学ぶことができました。

今年一年のみなさまのご支援やご指導に心より感謝申し上げます。来たる2020年がみなさまにとって、少しでも幸多く平和な年であることを願っております。変わらぬご指導のほどよろしくお願いいたします。

■Chronicle 2019

  • 2018年12月27日:神戸・ユダヤ文化研究会の雑誌『ナマール』第23号に、「天使の変貌──ベンヤミンにおける言語と歴史をめぐる思考の像」と題する論文が掲載されました。パウル・クレーの《新しい天使》を手に入れて以来、ベンヤミンの生涯の節目に、ないしは危機に彼の著作に描き出された天使の像を、言語と歴史を徹底的に問う彼の思考を読み解く鍵として検討するものです。
  • 1月12日:フタバ図書MEGA祇園中筋店で「今、地域で生きる/暮らすということ」第2回として開催された森元斎さんのトークで聞き手を務めました。
  • 3月6日:佐藤零郎監督の映画『月夜釜合戦』の批評新聞『CALDRONS』に、「手つきと身ぶり──広島で『月夜釜合戦』を『山谷──やられたらやりかえせ』とともに観て」と題する批評が掲載されました。2018年1月13日、『山谷──やられたらやりかえせ』の監督の一人山岡強一の命日に、この映画と『月夜釜合戦』を観たのを踏まえ、後者を前者に対する応答と捉えるとともに、両者の対照を指摘し、佐藤零郎監督の劇映画『月夜釜合戦』の独特の特徴を浮き彫りにする映画評です。
  • 3月9日:東京文化会館小ホールで開催された演奏会「現代音楽と能〜くちづけ」のプログラムに、「閾(しきい)を開く声──青木涼子の謡の展開によせて」と題する小文が掲載されました。現代音楽と協働しながら彼岸と此岸の閾を開き、うたう可能性を開拓し続けている青木さんの活動を、パリでの細川俊夫さんの《二人静》の初演のことを含めて伝える内容のものです。
  • 3月21日:神戸大学で開催された第14回形象論研究会で、クリストフ・メンケの美学について研究報告を行ないました。
  • 4月〜7月:広島市立大学国際学部の専門科目として、共生の哲学I、社会文化思想史II、専門演習I、卒論演習I、そして多文化共生入門と国際研究入門の一部を担当しました。多文化共生入門ではコーディネーターも務めました。全学共通系科目の世界の文学の2コマと平和と人権Aの1コマも担当しました。大学院では、全研究科共通科目の人間論A、国際学研究科の現代思想Iを担当しました。広島大学の教養科目である戦争と平和に関する学際的考察でも、2コマの講義を担当しました。
  • 4月6日:国際交流基金のウェブ・マガジン『をちこち』に寄稿した「魂の息吹が交響する場を開く作品の予感 ──2018年度国際交流基金賞受賞記念イベント「越境する魂の邂逅」における文学と音楽の共鳴に接して」と題するエッセイの英語訳“Premonitions of Works Where Souls Reverberate”が、同ウェブ・マガジンに掲載されました。
  • 4月14日:本願寺の聞法会館で開催された公開シンポジウム「『戦争/暴力』と人間 ──美術と音楽が伝えるもの」第2回「総力戦体制下の芸術」で、司会とコメンテイターを務めました。
  • 5月17日:広島交響楽団ディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethoven第1回演奏会のプログラムに、プログラム・ノートを寄稿しました。
  • 6月1日〜11日:Erasmus Plusにもとづくハノーファー専科大学(Hochschule Hannover)と広島市立大学の交流事業に参加しました。ハノーファー専科大学の第V学部で二つの講義を行ない、同学部などに属する教員との交流を深めました。
  • 6月15日:批評誌Mercure des Artsに、「初夏のドイツへの旅より──ベルリンとブラウンシュヴァイクで接した公演を心に刻む」と題する批評が掲載されました。2019年6月1日から11日にかけてハノーファーとベルリンに出張した際に接したオペラの公演と演奏会の批評で、6月5日にブラウンシュヴァイク州立劇場で観たミェチスワフ・ヴァインベルグのオペラ《女船客》の公演の批評を、作品の紹介を交えて記したほか、6月8日のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会におけるマリア・ジョアン・ピレシュの演奏の批評を、彼女のピアニズムと教育活動に論及するかたちで記しました。
  • 6月17日:JMSアステールプラザで開催されたひろしまオペラ・音楽推進委員会主催の演奏会Hiroshima Happy New Ear XXVII:次世代の作曲家たちVIの終演後のトークで進行役を務めました。
  • 7月19日:「本とうつわの小さな店」READAN DEATで開催された瀬尾夏美さんの著書『あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる』(晶文社、2019年)の出版記念トーク・イヴェントで、瀬尾さんと対談しました。
  • 9月12日:武生国際音楽祭の武生国際作曲ワークショップにて、「芸術のなかの批評──ヴァルター・ベンヤミンの美学を手がかりに」と題するレクチャーを行ないました。ベンヤミンのロマン主義論とバロック悲劇論、そして「技術的複製可能性の時代の芸術作品」の議論が、批評を組み込んだ芸術の姿を提示していることを示し、作曲家がみずからの方法論を歴史的文脈のなかで反省することの重要性を問いかけました。
  • 9月18日:立命館大学衣笠キャンパスで開催されたジェノサイドと奴隷制を考えるブレイン・ストーミングで「M・ヴァインベルグとその《女船客》」と題するレクチャーを行ないました。ヴァインベルグの生涯と音楽、そしてそのオペラ《女船客》を紹介しました。
  • 9月20日:岩波新書の一冊として『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓しました。最新の研究にもとづくヴァルター・ベンヤミンの思想への入門書となる評伝です。時代の危機を見通しながら、その危機のうちに決定的な岐路を見て取るベンヤミンの思考を批評と特徴づけながら、それが言語とは、芸術とは、そして歴史とは何かを、これらを生きる可能性へ向けて根底から問うていることを浮き彫りにしました。戦争とファシズムの時代を生きたベンヤミンの足跡から彼の言語哲学、美学、歴史哲学を描き出し、著作への入り口を示す一書で、略年譜と主要参考文献一覧も付されています。
  • 9月28日:ひろしまオペラルネッサンス2019年度公演モーツァルト《魔笛》プログラムに、プログラム・ノート「『人間』を問う特異な歌芝居(ジングシュピール)──モーツアルトの《魔笛》によせて」が掲載されました。作品成立の背景とともに、これが「歌芝居(ジングシュピール)」として書かれていることを踏まえながら、《魔笛》という作品において自由な人間の尊厳が歌い上げられる一方で、「人間」と認められていない者の側から「人間」であること自体への問いが今に鋭く突きつけられていることを指摘するものです。
  • 10月〜2019年2月:広島市立大学国際学部の専門科目として、共生の哲学II、社会文化思想史I、卒論演習IIを担当しています。全学共通系科目として、哲学Bも担当しています。これに加え、広島大学の教養科目哲学Aを担当しました。
  • 10月1日:日本社会文学会の会報『社会文学通信』に、「岩崎稔氏の基調講演印象記」が掲載されました。6月30日に早稲田大学で開催された日本社会文学会2019年度春季大会のシンポジウム「歴史学と文学──言語論的転回以後を考える」で岩崎稔さんが基調講演を行ないましたが、ヘイドン・ホワイトの『メタ・ヒストリー』とそれ以後の彼の理論の展開に定位しつつ、修辞学の伝統を重視するホワイトの議論の可能性を、出来事を語る可能性へ向けて掘り下げる講演の趣旨を紹介したものです。
  • 10月4日:広島交響楽団ディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethoven第2回演奏会のプログラムに、プログラム・ノートを寄稿しました。
  • 10月12日:小山市立車屋美術館での呉夏枝さんの個展「手にたくす、糸へたくす」のカタログに、「記憶の多島海へ──呉夏枝のほぐす芸術によせて」と題する評論が掲載されました。作家の芸術の歩みを、記憶の越境的な継承の可能性へ向けて論じるものです。
  • 10月15日:批評誌Mercure des Artsに、「30回目の武生国際音楽祭に参加して」が掲載されました。今年30回目を迎えた武生国際音楽祭にゲスト講師として参加しての報告です。9月の音楽祭で新たな音楽が生まれた様子を伝えると同時に、音楽家が出会い、世界的な音楽創造の芽が育まれる場として続いてきた武生国際音楽祭の意義にも触れました。
  • 10月22日:8・6ヒロシマ大行動実行委員会が主催した拡声器規制問題に関する第2回公開討論会(広島市東区民文化センター)にパネリストの一人として参加しました。平和祈念式典のあり方を、市民自身がどのように考えるか、という問いを広く共有することが必要であることなどを論じました。
  • 11月2日:広島市立大学広島平和研究所の直野章子さんが主催したシンポジウム「記憶の存在論と歴史の地平」に、ディスカッサントとして参加し、「記憶から歴史を問う──想起の経験から歴史の地平を開くために」と題する問題提起を行ないました。
  • 11月15日:中国文芸研究会の主催によりハナワインで開催された拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』の合評会に参加しました。
  • 11月19日:NHK交響楽団のウェブサイトに、「エルネスト・ブロッホとその音楽のユダヤ的要素」と題した小文が掲載されました。ブロッホのヘブライ狂詩曲《ソロモン/シェロモ》をはじめ、彼の「ユダヤ連作 Jewish Cycle」を中心に、彼の音楽のユダヤ的な要素を焦点とした小伝です。
  • 12月5日:広島交響楽団ディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethoven第3回演奏会のプログラムに、プログラム・ノートを寄稿しました。
  • 12月22日:福岡のブックカフェ本のあるところajiroにて、「ベンヤミンを読み始めるために──『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を入り口に」と題するトークを行ないました。ベンヤミンがどのような時代に生き、またそのなかでどのような問いに取り組んだかを、拙著『ヴァルター・ベンヤミン』に沿ってお話ししました。
  • 12月23日:被服支廠キャンペーンのnoteに、「生存の文化の拠点としての『倉庫』の再生のために」と題する小文を寄稿しました。被服支廠の建物の一角で繰り広げられた被爆死の光景を描く峠三吉の「倉庫の記録」を読み直したうえで、総力戦と被爆の記憶を一つながらに伝えるこの赤煉瓦の建物を、戦争と核開発の歴史に立ち向かう想起の文化が創られる空間として再生させる可能性を探る文章です。
  • 12月29日:岩波新書編集部のウェブサイト「B面の岩波新書」の連載「新書余滴」として、「メディアを創る言葉へ──ベンヤミンとアドルノの書の死後の生によせて」と題する論考を寄稿しました。拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』のとくに後半部の補遺として、ベンヤミンとアドルノの1930年代後半の往復書簡を読み解き、その思想の相即と背馳を検討しました。