「白川昌生個展──ここが地獄か、極楽か。」を観て

展示室の壁に掛けられた布に記された言葉は、歴史の否認を一つひとつ、どこか抑えた口調で問いただす。その背景には、歴史修正主義者が否認しようとする出来事の写真にもとづくと思われる線描が見られる。この人々は、日本がアジアの各地域を侵略したことを、その過程で現地の住民を虐殺したことを、人間を魂から根こそぎにする植民地支配を続けたことを、そして組織的に性暴力を繰り返したことを、声高に否定し続ける。何のために。自分たちが同一化したい「国」を守りたいのか。だが、そのことは近代日本が繰り返してきた戦争を、その暴力もろとも肯定することではないのか。

白川昌生個展フライヤー

原爆の図丸木美術館で開催されている「白川昌生個展──ここが地獄か、極楽か。」(2021年7月17日〜9月5日)は、「皇民」としての「国民」を、さらには「少国民」をも訓育の暴力によって作り出し、「総力戦」としての戦争を破滅的に押し進めた国家の復権を望み、みずからその先兵になろうとする姿勢すら示す歴史修正主義者に、白川昌生がみずからの美術をもって対峙するものと言えよう。その背景には、白川が群馬に制作の拠点を置くなかで、群馬の森に設置された朝鮮人労働者の追悼碑の設置許可取り消しの問題に直面した経験があることは、展示作品によって示されている。8月15日にパフォーマンスとともに設置された《群馬県朝鮮人犠牲者追悼碑》は、布に覆われている。

この見えない《追悼碑》は、群馬の森の碑の設置許可を更新しない群馬県の姿勢とその背後でうごめく歴史の否認を糾しているように見えた。この作品が制作されたのは、設置許可更新をめぐる裁判が続いていた2015年であるが、同じ年には群馬の森の追悼碑と長崎の爆心地公園の原子爆弾落下中心地碑の現状を記録した映像作品も制作されている。そこには同時に、公共の場に刻まれた歴史を修正しようとする意図が、政治的な力となって現われ始めていることも記録されている。このことを見据えながら、近代日本の戦争を問う姿勢が、今回の個展に出品された作品では貫かれている。

歴史修正主義が一つの動きとして現われた時期として記憶されるのが、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成された1996年であるが、白川はその翌年には、《戦争と餓鬼》と題されたインスタレーションを制作している。作家が早くから歴史修正主義の危険を察知していたことを示す作品である。そこでまず目に入るのは、赤と金の光を放ちながら妖しく燃え上がる炎である。それは、逆さまにされた世界地図の上に描かれている。戦争が世界を焼き尽くしている手前では、色褪せている端切れ布の上に、餓鬼が炎を放ちながら姿を現わしている。餓鬼は、飲み食いしたものすべてを炎に変えてしまい、けっして満足することがない。

そのような餓鬼の姿は、日本の戦争が民衆の日常生活に食い込むことによって遂行されたことの寓意なのかもしれない。「銃後」の人々を含め、「国民」を総動員し、その生活を、そしてその生命をも国家の犠牲にすることによって果てしなく続く戦争。その無間地獄は、2005年、敗戦から60年を迎えた年に制作された《戦争地獄図》に克明に描き出されることになる。この大規模な作品では、帝国日本の戦争の歴史が炎のなかに浮かび上がる。そこには、中国の戦地を含め、戦地の名が記されている。その文字は、侵略が行なわれた場所を銘記すると同時に、そこで行なわれた蛮行が絵画的な表象を超絶していることを暗示するように見えた。

戦争という火炎は、アジア各地の人々を、そして日本列島の人々をも焼き尽くしていく。その過程がおおよそ時系列に沿って描き出される《戦争地獄図》においても、餓鬼が目を剝きながら炎を放っている。近代日本において国家を動かす権力を手に入れた人々が、民衆の命をむさぼり食ってやまないなかで戦争が続けられていることを、痛烈な皮肉とともに寓意的に示す表現と言える。そして、ここで戦争餓鬼は、金鵄を思わせる猛禽とともに地上を焼いている。戦争を継続する者が、絶えず神話の威を借りることで自己の権威を捏造してきたことも、作家は忘れていない。

金に群がり、民衆の生命を食らい尽くして止まない餓鬼が、自己の力の保持のためだけに続けた戦争は、列島の人々を空襲に晒し、広島と長崎の被爆にまで至った。《戦争と餓鬼》以来、そのような戦争を象徴するものとして描かれてきた炎は、つねに餓鬼と結びついている。それは餓鬼と化した人々によって起こされたのだ。それが黄金色を含んでいるのは、近代日本の戦争と資本の関係を暗示しているようにも見える。そして、《戦争地獄図》には、戦争の終わりは描かれていない。そのことには、今も形を変えながら「地獄図」が繰り広げられているのではないかという問いが含まれていよう。

もはや資本のためだけでしかない「オリパラ」に、「国民」を精神的にも総動員しようと図る国家の動きや、それに乗じてこの列島で働く者の生命を使い尽くそうとする者──まさに餓鬼である──の動きを顧みるとき、《戦争地獄図》は、今まさに起きつつあることを描いているように見えてならない。人々がウイルスの脅威に晒されるなか、感染症に罹った者が死ぬに委されていく状況は、戦争国家としての近代日本において生゠政治が、死゠政治と一体であることをあらためて示していよう。生活はおろか生命すらも守られない現在は、戦争の歴史の延長線上にある。白川が描く地獄図は、このことを突きつけながら、戦争の歴史を否認する者たちを問いただす。その振る舞いは、自分自身の生に跳ね返ってくるのだ。

帰り際、「ピカは人がおとさにゃおちてこん」という言葉が刻まれた碑に見入った。

展示室の両側の壁面は、2015年に制作された《戦意発揚スローガン》が埋め尽くしていた。大書された文字は、神話的な権威を象徴するようでいて虚しい。そして、スローガンが書かれた紙も薄っぺらい。そのことは、「オリパラ」のような薄っぺらい言葉が、ディジタルな情報として流通し、歴史修正主義の言説もウェブ上で、暴力を伴いながら繰り広げられている現在を暗示している。そして、厚みと重みのある媒体に訴える「作品」では、そのような現在に介入することは難しいという白川の考えも、《スローガン》の姿は示しているように思われた。

実際、今回の個展に出品された白川の作品は、《戦争地獄図》を含めて薄い、可動性のある媒体で作られている。出品作のいくつかを、美術館以外の場所で、一種のパフォーマンスとして展示することも可能だろう。このほか、二つの原子爆弾を組み合わせた上に、沈没した艦船や撃墜された戦闘機を載せ、頂きには竹槍を持つ「国民」を置く「太平洋戦争敗戦記念碑」のプランを描いたドローイングを印象深く見た。そのプランが実現し、戦後「平和塔」と名前を変えた広島の日清戦争戦勝記念塔──その頂きには、地球を支配する金鵄が置かれている──と並び立つのを見たいと思った。