Chronicle 2018

IMG_0331

秋の夕暮れ時の大田川放水路

師走を迎えても冬とは思えない生暖かい日が続いていましたが、年の瀬に来て急に冷え込んできました。ここ二、三日広島でも雪がちらついています。お変わりなくお過ごしでしょうか。突然の雪の影響を受けた方もおられることでしょう。お見舞い申し上げます。それにしても、今年の気候、とくに夏の気候は異常でした。そのなかで、200人を超える犠牲者を出した7月の西日本の豪雨災害が起きたわけですが、それは広島の人々の生活にも大きな爪痕を残すことになりました。ここへ来てようやく交通網のほとんどが復旧したとはいえ、多くの被災者が今も生活再建がままならない状況に置かれていますし、何よりも未だに行方の分からない人々がいることが痛ましく思われます。先日被害の大きかった東広島市の黒瀬町から熊野町に至る地域に通りがかりましたが、巨大な土砂崩れの跡を前に愕然としました。

このように、毎年のように起こる大きな災害に曝されて生きるこの列島の人々に対する政権担当者の眼差しは、冷ややかなものと言わざるをえません。ヴォランティアの活躍は目覚ましかったとはいえ、災害の初動的な対応をここまで自発的な協力に頼らざるをえない状況や、最低限のプライヴァシーも守られないような避難所の生活環境などを見るにつけ、憲法に定められているような生活を、いかなる状況においても守ることに対する責任感が、普段の税金の使い方として表われていないと感じます。それどころか、つねに地震や火山の爆発、そして台風などによる豪雨の危険のなかで生きていかざるをえない列島の人々の一人ひとりの命を、とくに政権の中枢にいる人々は尊重していないのではないでしょうか。そのことは、停止していた原子力発電所の再稼働を次々と進める動きに、端的に表われていると思われます。

それどころか、現在の政権担当者は、そもそも人の命を軽んじているとしか思えません。そのことは、12月27日になって、駆け込みのように2名の確定死刑囚に対する死刑を執行したことに、凝縮されたかたちで表われているのではないでしょうか。このやり方は、すべてをなし崩しにして前例を作ろうとする現政権の遣り口の延長線上にあります。この日国家に殺された一人は、再審請求中だったとのことです。そして、今年一年のあいだに死刑になった人々は、15名に及びます。このことは、日本における生゠政治──それは「活躍」させるという意味で生かすことでしょう──が、マイノリティに対する幾重もの差別を孕みながら、死なせる政治と一体になっていることを象徴しています。現在の社会の息苦しさは、すぐに死なせるか、緩慢に死なせるかという二者択一の下にある収容所のそれに重なりつつあります。

こうした問題すべてが、例えば今年その組織の幹部が死刑執行の対象になったオウム真理教の問題のような、比較的近い過去の問題を含め、過去の出来事が今に問いかけるものを受け止めてこなかったことに起因しているように思われてなりません。今や、人を死ぬまで使い尽くそうとする暴力を、それにじかに曝されている者自身が内面化し、それを他者に振り向けている姿すら、しばしば目にします。このような社会に、どのように息を通わせる回路を探りうるのでしょうか。この問いに取り組むためには、まずはほとんど絶望的な状況に目を凝らすほかありません。そのことは、死者のことを忘れないことと表裏一体であると思われます。今夏、こうした問題意識の一端を、8月11日付の中國新聞の「今を読む」欄で、「記憶に刻む『7月26日』」と題してお伝えする機会に恵まれたのは、大変ありがたいことでした。

371906このほか今年は初夏に、岩波書店の雑誌『思想』2018年7月号に、「抑圧された者たちの伝統とは何か──ベンヤミンの歴史哲学における歴史の構成と伝統」と題する論文を発表する機会にも恵まれました。このヴァルター・ベンヤミン特集号には、企画段階から関わっておりましたが、これを世に送ることができたのは、今年最も手応えを感じた仕事でした。これも、力のこもった論文や翻訳を寄稿してくれた研究者の方々と『思想』編集部、そして読者の方々のおかげです。あらためて感謝申し上げます。この7月号は、思想誌としては異例の売れ行きを示したとのことです。ここに示されるベンヤミンの思想に対する関心に、少しでもお応えする仕事を、来たる年も続けたいと考えております。今年は、他に三種類の共著書や雑誌に、哲学と美学にまたがる研究の成果を示す論文を発表させていただきました。

スキャン今年は、1月末の広島でのオペラ《班女》の公演から、細川俊夫さんの芸術に関わって仕事をさせていただく機会が数多くありました。それをつうじて多くを学び、考えることができました。刺激に満ちた機会をいただいたことを心より感謝しております。とくに2月に行なわれた新国立劇場での《松風》の日本初演を、ささやかながらお手伝いさせていただいたことは、とても重要な機会となりました。細川さんは、今年度の国際交流基金賞を、作家で詩人の多和田葉子さんとともに受賞されましたが、これを記念する催しでの対談のモデレーターを務めたことも心に残ります。その時が初めてだったというお二人のコラボレーションが、新たな作品のかたちで、近い将来に実現することを願ってやみません。

omote_osaka27月1日にシュトゥットガルトで、細川さんのオペラ《地震・夢》の世界初演を観たことは、貴重な経験となりました。これやハンブルクでのペーター・ルジツカのオペラ《ベンヤミン》の公演など、今年いくつもの印象深い舞台や演奏会に接することができたのは幸いでした。なかでも、4月15日に大阪で聴いたマリア・ジョアン・ピレシュの公開の場では最後のリサイタルは、忘れがたいものになりました。後半で演奏されたベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタの第2楽章で、透徹した歌が変奏を重ねながら連綿と紡がれる様子は、彼女の芸術の到達点を示すものだったと思われます。先に触れた《班女》の公演をはじめ、私も委員を務めるひろしまオペラ・音楽推進委員会が主催するオペラの公演や演奏会は、いっそう密度の濃いものになりつつあります。来年もお誘い合わせのうえお運びいただけたら幸いです。

maruki_flyer_jp-1-283x400今年は、広島市現代美術館で開催された「交わるいと──『あいだ』をひらく術として」や、「丸木位里・俊──《原爆の図》をよむ」といった、とくに20世紀以後の日本の美術に関する印象深い展覧会を観ることができたのは幸いでした。これと関連して、つい最近福岡アジア美術館で観た「闇に刻む光──アジアの木版画運動1930s–2010s」は、とくに刺激的でした。1930年代に魯迅が火付け役となった木版画の運動が、中国周辺のアジア各地に、そして戦前から戦後にかけての日本にも入ってくる様子が、いくつもの媒体を横断するかたちで描き出されたこの展覧会からは、ベンヤミンの美学と、魯迅の文芸を貫く思想とを、木版画運動を視野に収めたかたちで、媒体の発見ないし創造という観点から照らし合わせるという課題も得られた気がします。来たる年も、今年以上に精進を重ねて、力の及ぶ限りよい仕事をお届けしたいと考えております。変わらぬご指導のほどよろしくお願いいたします。

■Chronicle 2018

  • 1月10日:新国立劇場での細川俊夫《松風》日本初演のプレ・イヴェントとして国立能楽堂で開催された「能とオペラ──『松風』をめぐって」と題する座談会に参加しました。
  • 1月10日:原爆の図丸木美術館の『原爆の図丸木美術館ニュース』に、川口隆行編著『〈原爆〉を読む文化事典』(青弓社、2017年)の書評「〈原爆〉を読み継ぐことへの誘い──川口隆行編著『〈原爆〉を読む文化事典』書評」が掲載されました。
  • 1月13日:カフェ・テアトロ・アビエルトで開催された佐藤満夫、山岡強一監督の映画『山谷 やられたらやりかえせ』と佐藤零郎監督の映画『月夜釜合戦』の上映会における座談会に参加しました。
  • 1月16日:広島市現代美術館で開催された小森はるか+瀬尾夏美「波のした、土のうえ」巡回展のスピンオフ企画として、Social Book Caféハチドリ舎で開催されたトーク・セッション、ナイトトーク「仙台から/広島から」の進行役を務めました。
  • 1月25日:形象論研究会の雑誌『形象』第3号に、「形象の裂傷──ショアーの表象をめぐるフランスの議論が問いかけるもの」と題する論文が掲載されました。クロード・ランズマンの映画『ショアー』とともに提起されたショアー(ホロコースト)の「表象不可能性」の問題に触れたフランスの哲学者、ジャック・ランシエール、ジョルジュ・ディディ゠ユベルマン、ジャン゠リュック・ナンシーの議論を辿り、それがイメージそのものにどのような問いを投げかけているかを検討する内容です。
  • 1月27/28日:Hiroshima Happy New Ear Opera IIIとしてJMSアステールプラザの中ホールの能舞台を用いて行なわれた細川俊夫《班女》の公演のプログラムに、「夢と現、狂気と正気のあわいで──能からのオペラへの転換点としての細川俊夫の《班女》」と題するプログラム・ノートが掲載されました。両日の終演後のトーク・セッションの進行役も務めました。
  • 2月15/16/17日:新国立劇場で開催された細川俊夫《松風》の日本初演のプログラムに「岸辺からの〈うた〉──『松風』への、そして『松風』からの細川俊夫の音楽の歩み」と題するエッセイが掲載されました。中日の公演の終演後に行なわれた、細川さんと、振付師で今回の上演を演出したサシャ・ヴァルツさんを迎えてのトーク・セッションの進行役も務めました。
  • 2月23日:京都工芸繊維大学工繊会館で開催された形象論研究会の特別研究会「イメージの人間学/人類学」において森田團さんの発表「心的装置と幻覚──フロイトにおけるイメージの起源」に対するコメンテイターを務めました。
  • 3月16日:大阪大学美学研究室の雑誌『a+a美学研究』第12号の「シアトロクラシー」特集に「音楽゠劇(ムジーク゠テアーター)の批判的構成のために──ベンヤミンとアドルノの美学を手がかりに」と題する論文が掲載されました。アドルノの『ヴァーグナー試論』の議論を、現在のオペラの文化的現象に当てはまるものとして捉えつつ、そこに含まれる観客支配制の問題にも論及したうえで、モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》と細川俊夫の《リアの物語》を、従来のオペラが表象してきた「人間」の像からはみ出す人間の深淵にある力を響かせるオペラとして論じました。
  • 4月〜7月:広島市立大学国際学部の専門科目として、共生の哲学I、社会文化思想史II、専門演習I、卒論演習I、そして多文化共生入門と国際研究入門の一部を担当しました。国際研究入門ではコーディネーターも務めました。全学共通系科目の平和と人権Aの1コマも担当しました。大学院では、全研究科共通科目の人間論A、国際学研究科の現代思想Iを担当しました。広島大学の教養科目である戦争と平和に関する学際的考察でも、2コマの講義を担当しました。
  • 5月18日:JMSアステールプラザのオーケストラ等練習場で開催されたHiroshima Happy New Ear XXV「魔術としての音楽」の終演後のトークの進行役を務めました。
    5月19日:廿日市市文化ホールさくらぴあ小ホールで開催された第17回「五月の風」室内楽合同発表会でモーツァルトの弦楽四重奏曲第17番変ロ長調「狩」を演奏(ヴィオラ)しました。
  • 7月5日:岩波書店の雑誌『思想』2018年7月号の「ヴァルター・ベンヤミン」特集に、「抑圧された者たちの伝統とは何か──ベンヤミンの歴史哲学における歴史の構成と伝統」と題する論文が掲載されました。ベンヤミンが「歴史の概念について」のなかで提起している「抑圧された者たちの伝統」の概念が、経験の崩壊と、それによる旧来の伝統の破産を踏まえたところから論じられていることを浮き彫りにしたうえで、この来たるべき伝統に対する彼の問題意識とともに、それがどのような歴史の姿を示唆しているかを、歴史叙述における非連続性の意義に触れるかたちで論じる内容です。
  • 8月11日:中國新聞朝刊の「今を読む」というオピニオン欄(6面)に「記憶に刻む『7月26日』」と題する論考が掲載されました2016年7月26日に虐殺された、そして今もその名を知ることができない19名の死者を思うところから、今年の7月26日に重なって起きたオウム真理教の元幹部に対する死刑執行をはじめとする出来事について考えたことを記しました。
  • 9月1日:原爆の図丸木美術館で開催された音筆舎と同美術館の共催によるシンポジウム「『戦争/暴力』と人間──美術と音楽が伝えるもの」の司会とコメンテイターを務めました。
  • 9月14日:第29回武生国際音楽祭の国際作曲ワークショップにて、「〈こだま〉の変容──〈こだま〉としての〈うた〉へ」というテーマのレクチャーを行ないました。「かたる」ことと「うたう」ことのつながりを踏まえつつ、「こだま」の概念を手がかりに、現代において「うたう」余地を探る視点を提示しました。
  • 9月22/23日:JMSアステールプラザ大ホールで開催されたひろしまオペラルネッサンスのモーツァルト《イドメネオ》の公演プログラムに、「戦いの後に生きる人間のオペラの創造──モーツァルトの《イドメネオ》によせて」と題するプログラム・ノートが掲載されました。
  • 9月29日:兵庫県私学会館で開催された神戸・ユダヤ文化研究会の2018年度第2回文化講座で、「天使の変貌──ベンヤミンにおける言語と歴史をめぐる思考の像」と題する講演を行ないました。
  • 10月〜2019年2月:広島市立大学国際学部の専門科目として、共生の哲学II、社会文化思想史I、専門演習II、卒論演習IIを担当しています。全学共通系科目として、哲学Bも担当しています。大学院国際学研究科では、現代思想IIを担当しています。これに加え、広島大学の教養科目哲学Aを担当しました。
  • 10月3日: 東琢磨、仙波希望、川本隆史(編)『忘却の記憶 広島』(月曜社)に、「記憶する言葉へ──忘却と暴力の歴史に抗して」と題する論文が掲載されました。聞く耳を持たないかたちで「ヒロシマ」を「発信」し、「平和」を訴える身ぶりのうちにある権力への同一化を問題にしたうえで、それを内側から乗り越える可能性を、「歴史」による忘却に被われた場所から記憶を細やかに掘り起こす詩的言語のうちに探るものです。
  • 10月16日:ホテルオークラ東京で開催された2018年度国際交流基金賞授賞式にて、受賞者の細川俊夫の音楽と作曲活動を紹介するスピーチをさせていただきました。
  • 10月18日:JTアートホールアフィニスで開催された、2018年度の国際交流基金賞を多和田葉子さんと細川俊夫さんが受賞されたのを記念しての催し「越境する魂の邂逅」の前半で、お二人の公開の場では初めての対談のモデレーターを務めました。
  • 11月3日:フタバ図書MEGA祇園中筋店で開催された『忘却の記憶 広島』の編者東琢磨さんと仙波希望さんを迎えてのトーク・イヴェントの聞き手役を務めました。
  • 12月1日:2016年4月から2018年3月までの二年間の広島における/をめぐる美術の動きがまとめられた『美術ひろしま30』に、昨年春に広島市現代美術館で開催された「殿敷侃:逆流の生まれるところ」の展覧会評が掲載されました。
  • 12月14日:JMSアステールプラザのオーケストラ等練習場で開催されたHiroshima Happy New Ear XXVIの終演後のトークの進行役を務めました。
  • 12月26日:国際交流基金のウェブ・マガジン『をちこち』に、「魂の息吹が交響する場を開く作品の予感 ──2018年度国際交流基金賞受賞記念イベント「越境する魂の邂逅」における文学と音楽の共鳴に接して」と題するエッセイが掲載されました。2018年10月18日にJTアートホールアフィニスで開催された2018年度の国際交流基金賞の受賞記念イヴェント「越境する魂の邂逅」を報告するものです。この催しに先立つ授賞式における今年度の受賞者、作曲家の細川俊夫さんと作家の多和田葉子さんのスピーチに触れながら、それぞれの近作を紹介したうえで、進行役を務めた前半の対談の内容と、後半の音楽と朗読の共鳴の様子を紹介しました。
広告

秋の旅と仕事

朝晩は冷え込むようになってきましたが、お変わりなくお過ごしでしょうか。月日が経つのは早いもので、すでに師走の足音が聞こえてくる時期になりました。溜まった仕事に少し焦りを覚える今日この頃です。広島では、日中はまだ晩秋とは思えない暖かさの日が続いています。すでに別稿でお知らせしましたように、先月の中旬に、ハンブルクへ出かけてペーター・ルジツカのオペラ《ベンヤミン》を観たわけですが、それに先立ってはミュンヒェンを訪れました。これを含めた10月のごく短いドイツへの旅のことや、その前後の仕事について、ここでご報告しておきたいと思います。

三原市の佛通寺の紅葉

10月13日に、ミュンヒェンのNS-Dokumentationszentrum(ナチズムに関するドキュメンテーション・センター)を初めて訪れました。この州都がナチズムの運動の発祥の地であり、かつ一貫してその中心的な拠点として機能し続けたことを、写真をはじめとする同時代のドキュメントによって、克明に跡づける展示でした。それをつうじて、ナチズムとは何か、ミュンヒェンの何がこれを生み、そして支えたのかが浮かび上がってきます。

とくに印象に残ったのが、現在も続く反ユダヤ主義を含む人種差別の問題にも光が当てられていたことでした。ドイツでは人種差別的な動機にもとづく暴力事件が増え続けていますし、極右政党への支持の広がりが示すように、差別扇動も影響を広げつつあります。このセンターの展示は、そうした問題を歴史的な関連を顧みながら考える視野を開くものと言えるでしょう。もちろん、ナチスの支配に対する抵抗についても展示のスペースが割かれています。

このセンターでもう一つ印象的だったのは、豊富な資料が調えられた図書室が備わっていることでした。そこには、1933年にセンターの建物のすぐ近くにあるケーニヒ広場で行なわれた焚書の対象になった書籍のコレクションも展示されていました。当時の初版が粘り強く集められていました。その説明の末尾には、書を燃やす者は、いずれ人間を燃やすことになるというハイネの言葉が引かれていました。

NS-Dokumentationszentrumを辞した後、ほど近いレンバッハハウスに立ち寄ったところ、アルフレート・クビーンの画業を、この美術館の展示の核をなす青騎士の画家たちの芸術との対照において浮き彫りにする展覧会„Phantastisch!: Alfred Kubin und der Blaue Reiter“が開かれていました(会期は2019年の2月17日まで)。最初期の線描から、青騎士の画家たちとの交流のなかから生まれた彩色作品の数々、そして小説『裏面』や版画集『サンサーラ』の世界に至るまで、非常に興味深く見ました。

自分を駆り立てる妄念を一つの像に研ぎ澄まし、それによって、黙示録的ですらある破滅の情景をも浮かび上がらせるクビーンの幻想の世界を堪能することができます。『裏面』を再読したいと思いました。彼がエドガー・アラン・ポーらの本にも挿絵を描いていることや、『裏面』のパウル・シェーアバルトの『レサベンディオ』との同時代性も触れられていましたし、青騎士の画家たちとの交流を示すドキュメントも数多く展示されていました。

クビーンの年譜に、交友のあったパウル・クレーの死に衝撃を受けたことが記されていましたが、会場に展示されていたクレーの初期の線描作品を見ると、たしかに両者に相通じるものがあるのを感じます。それにしても、レンバッハハウスのクレーの部屋は、いつ訪れても気持ちが落ち着きます。展示作品の数はそう多くはないとはいえ、どの作品も素晴らしいです。ワシリー・カンディンスキーの初期作品の一つ《色彩豊かな生(Das bunte Leben)》が掛かっていましたが、図らずもアクチュアリティのある表題と思いました。 

今回ミュンヒェンに立ち寄った目的の一つに、ゴットフリート・フォン・アイネムのオペラ《ダントンの死》の上演を観ることがありました。アルバン・ベルクの《ヴォツェック》同様、ゲオルク・ビュヒナーの戯曲にもとづくこのオペラの実演を、一度見てみたいと思っていたのです。フォン・アイネムの生誕百年を記念して、今年はいくつかの劇場で彼の作品が取り上げられているようですが、10月13日の夜にミュンヒェンのGärterplatztheater(敢えて日本語にすると「庭師広場劇場」になります)で、革命期のパリを舞台とした《ダントンの死》の上演を観ることができました。

G・フォン・アイネム《ダントンの死》公演プログラムより

この劇場の内部は馬蹄型の古い形式を残していて、舞台もとても広いとは言えないのですが、ギュンター・クレーマーの演出は、そうした制約を逆に、テロルの下、息苦しさのなかに生きることを描き出すのに最大限に生かすものだったと思われました。テロルに曝されてもなお、人民の自由に殉じる自分の生き方を貫こうとするダントンたちと、テロルに訴えることによってしか自分を保つことのできないロベスピエールらとの対照を、現代の問題として浮かび上がらせるコンセプトの下、テーブルと演台を兼ねた装置を最大限に活用した演出は、おおむね説得的に思われました。

黒い片庇のキャップを被ったロベスピエールの一党は、現代の排他主義的なポピュリストを思わせますし、彼がつねにどこかおどおどしている様子からは、日本の権力者の姿も透けて見えます。逆に、人民への呼びかけが書かれたフライヤーを一心に印刷し続けるリュシーユの姿は、ナチスの支配に抵抗した「白バラ」のゾフィー・ショルを思わせるところがあります。彼女が刷ったフライヤーが、裁判の場面の終わり近くで上から客席に撒かれるという演出は、舞台の世界に観客を引き込んでいました。

このとき合唱は、四階の客席の左右に別れて、一方はダントンの側に、他方はロベスピエールの側に立って、激しく言葉をぶつけ合っているわけですが、その迫力はかなりのものでした。全体的に合唱の力演が光りました。アンソニー・ブラマルの指揮の下、オーケストラも、スコアのテクスチュアをしっかりと音にした演奏を繰り広げていました。ブラマルの指揮は、アイネムの音楽の独特の運動性を最大限に生かして、間然するところのない流れを形成していました。

同時に《ダントンの死》の音楽には、抒情的な歌も含まれていますが、その多くが割り当てられるリュシーユの役を歌ったマリア・ツェレングという歌手の歌には、切々とした美しさがありました。主役のダントンを歌ったマティーア・メイチという歌手は、この日の公演が初登場だったようですが、歌唱からも演技からも人格的な大きさが感じられて、役に相応しく思われました。彼の妻ジュリーを演じたソーナ・マクドナルドは、舞台の世界へ観客を導き入れる口上を、台本にあらためて付け加えられたビュヒナーの言葉で述べる重要な役回りでしたが、それに圧倒的な演技力で応えていました。

「国王万歳」と叫ぶまでのリュシーユの立ち振る舞いなど、疑問に思われるところもないわけではありませんでしたし、隅々まで洗練された上演というわけでもありませんでしたが、全体としては、フォン・アイネムの《ダントンの死》を、息苦しい現在に生きることへの深い問いかけを含んだ作品として舞台に載せ、そのテクストと音楽を力強く響かせた上演だったと思います。観ることができてよかったです。

ハンブルクからミュンヒェン経由で羽田空港に到着した10月16日に、国際交流基金賞の授賞式があり、今年の基金賞を受賞された細川俊夫さんの作曲活動を紹介するスピーチをさせていただきました。細川さんとともに作家の多和田葉子さんが受賞されたのも、非常に喜ばしいことでした。10月18日には、虎ノ門のJTアートホールアフィニスにて、多和田さんと細川さんが国際交流基金賞を受賞されたのを記念して、「越境する魂の邂逅」と題する対談とパフォーマンスの夕べが催されましたが、その前半の対談で、お二人の公開の場では初めての対談のモデレーターを務めました。熱心に参加してくださったみなさまに心より感謝申し上げます。

「越境する魂の邂逅」フライヤー

当日は進行役の私が、控え室でのおしゃべりも含めて、お二人のお話をずっと楽しませていただきました。ちょうど20年になるお二人の交流や、細川さんのオペラ《地震、夢》の内容をめぐるお話もさることながら、後半に朗読された多和田さんの『飛魂』をめぐって展開された、作曲と詩作の通底する次元をめぐるお話はことに興味深いものでした。貴重なお話を繰り広げてくださった多和田さんと細川さんにもここから感謝しております。

後半のパフォーマンスでは、吉野直子さんと上野由恵さんの素晴らしい演奏と、多和田さんの想像力を掻き立てる朗読が見事に共鳴していました。上野さんの独奏による《息の歌》と《垂直の歌》も、そして吉野さんの独奏による《ゲジーネ》も、深い沈黙のなかから、全身の息遣いとともに強い歌を響かせる見事な演奏でしたが、『飛魂』の朗読のために新たに書かれた、バス・フルートとハープのための音楽と朗読が響き合う様子はとくに印象深かったです。

低いフルートの音とハープの音が、どこか小説のなかの池や林を思わせる場を開くとともに、朗読をつうじて言葉の一つひとつが、その多層性において立ち上がってくるのを感じながら、またその声が時に音と溶け合ったり、協奏的な緊張関係を示したりするのを聴きながら、来たるべき舞台作品の一場面を予感しておりました。今回の初のコラボレーションが、近い将来における一つのオペラなどでの協働につながることを願ってやみません。

10月上旬には、月曜社より東琢磨、川本隆史、仙波希望編『忘却の記憶 広島』が刊行されました。およそ10年越しの企画がこうして実現する運びとなり、とても感慨深いです。最終的に若手の研究者の新鮮な論考を組み込んだことで、「ヒロシマ」を形づくる忘却をいくつもの視角から問うばかりでなく、忘れつつ生きるなかに潜む記憶にも光を当てる一書に仕上がったことを、嬉しく思っています。また、人々の新たな結びつきのなかで「ジモト」を掘り起こす活動の息吹が伝えられているのも、本書の重要な特徴と言えるでしょう。

『忘却の記憶 広島』書影

旧稿ながら、私も「記憶する言葉へ──忘却と暴力の歴史に抗して」を寄稿させていただきました。聞く耳を持たないかたちで「ヒロシマ」を「発信」し、「平和」を訴える身ぶりのうちにある権力への同一化を問題にしたうえで、それを内側から乗り越える可能性を、「歴史」による忘却に被われた場所から記憶を細やかに掘り起こす詩的言語のうちに探るものです。

さらに、忘却され、抑圧され続ける「軍都=学都」の記憶を問う小田智敏さんの労作が公刊されたことも喜ばしいことです。私とともに学んだ鍋島唯衣さんが本書で、被爆再現人形をめぐる平和記念資料館の展示史についての論考を公にされたことも嬉しく思っています。新たに加わった執筆者と編者の尽力により、『忘却の記憶』は、資料的にも充実した一冊となりました。ヒロシマ/広島への今までにないアプローチを示しながら、この場所とその記憶の時空を問ううえで不可欠の端緒をあらためて伝える本書を、お手に取っていただければ幸いです。

ペーター・ルジツカのオペラ《ベンヤミン》を観て

 

IMG_0467

プログラムより(下も)

ヴァルター・ベンヤミンは40歳を迎える頃、自殺を真剣に考えていた。離婚をめぐる裁判の結果、財産のほとんどを失ったばかりでなく、友人のゲルショム・ショーレムに語った、ドイツの第一級の批評家として身を立てたいという希望を成就させる見通しも立たなくなったことが、その外的な理由として考えられよう。ただし、ベンヤミンのなかには、いずれも儚く崩れた女性たちとの関係を含め、人生を生き終えたという思いもあったようだ。彼が手記に綴っているところによると、彼はその頃、自分をめぐる人間関係を一つの像として描き出そうと試みている。その像が記された紙片は失われたようだが、もしかすると、ベンヤミンがピレネーの麓で48年の生涯を閉じようとするときにも、彼の周りにいた人々の関係は、一つの像として彼の脳裡に去来したのかもしれない。

ベンヤミンをめぐる人間関係は、親しい友人との関係も含めて緊張を含んでいる。ショーレムとは四半世紀にわたって交友を続けたが、ヘブライ語を学んでパレスティナへ渡ることへの誘いに、ベンヤミンは結局乗らなかった。ブレヒトの詩作に魅かれていたとはいえ、そのイデオロギーに同調することはなく、彼との雑誌も計画倒れに終わった。死を間際にしたベンヤミンが幻視していたであろう、こうした緊張に満ちた布置としての人間関係を舞台上に描き出すことによって、ベンヤミンという思想家の像を浮き彫りにすること。これがペーター・ルジツカのオペラ《ベンヤミン》(Peter Ruzicka, „BENJAMIN“)の企図したことなのかもしれない。2018年6月3日に行なわれた初演から数えて6回目の上演を、10月14日にハンブルク州立歌劇場で観ることができた。

このオペラには、すでに挙げたショーレムとブレヒトのほか、ベンヤミンの生の行方を左右することになった三人の女性、一時期妻となったドーラ・ケルナー、彼が愛し、モスクワまで追いかけたアーシャ・ラツィス、そして亡命生活を共にしたハンナ・アーレントが登場する。ただし、舞台に登場するこれらの人物は、主人公のベンヤミンも含め、残されたドキュメントを基に、あくまで文学的、かつ音楽的に構成された虚構である。そのことを示すために、キム・ヨナによるリブレットには、ヴァルター・B、アーシャ・Lのように、人物の姓はイニシャルでのみ記されている。今回観たハンブルクでの初演のプロダクションでは、キム・ヨナ自身が演出も手がけている。おそらくは彼女の構想にもとづく、廃墟めいていると同時に旅の宿駅を思わせる舞台装置は、旅の多い生涯を送ったベンヤミンを描くに相応しく思われた。

このオペラ《ベンヤミン》には、「七つの宿駅による音楽劇(Musiktheater in sieben Stationen)」という副題が付されている。ベンヤミンのなかに湧き起こる想念のなかで、人間関係の布置が情景とともに浮かび上がるさま──その一部は、思想の風景とも言えるだろう──を、彼の生涯の宿駅になぞらえながら、想起の展開を描き出そうという企図を表わすものであろう。その最初の宿駅は、不安に満ちた響きが悶えるようにして始まる。やがて、ゲシュタポからの逃避行の果てに疲れ果てたと見えるベンヤミンの許に、群衆のなかからもう一人の彼の姿が近づいてくる。こうしてベンヤミンを歌う歌手の他に、彼を演じる「俳優」が登場するのには、いくつかの理由が考えられよう。まず彼が自分の思考を記憶も含めて、つねに比喩的な像のかたちに描き出してきたことが、内的な理由として想定される。

他方で外的な理由として、散文の人ベンヤミンに、歌だけで語らせるのは難しいということもあったにちがいない。第一の宿駅では、彼の「歴史の概念について」が引用され、歴史主義の物語を代表する合唱の歌と、その連続性を中断して「歴史」が抑圧した過去を救い出す歴史認識を語る「俳優」の語りが、激しい論争を繰り広げる。その様子は、「音楽劇」の作り方として一つの可能な方向性と見えた一方で、ベンヤミンの思考の描き方としては、対立が硬直しすぎているとも思われた。ギュンター・シャウプによる「俳優」の演技は、台詞の語りを含めて実に巧みであったが、時に饒舌さが気になるところもあった。ただし、第四の宿駅でベンヤミンとブレヒトがチェスの盤を囲む際に、そのテーブルの下に潜り込んで、しばらくそのテーブルを被って演技を続けるというアイディアは、秀逸だったと思われる。

IMG_0466なぜなら、身を屈めてチェス盤の下に潜る姿は、この宿駅で合唱によって伝えられる、独ソ不可侵条約の締結という危機を前にして、ベンヤミンの「歴史の概念について」の最初のテーゼに浮かび上がる、チェスの駒を動かす人形のなかに隠れて勝負を必ず勝利へ導く「せむしの小人」の像と同時に、彼の生涯を挫折に次ぐ挫折へ導いた、彼の不器用さの寓意とも言うべき「せむしの小人」の姿を、同時に思い起こさせるからである。こうしてベンヤミンの想念の像を、想念の運動に応じた情景の転変とともに、ほとんど時系列を無視したかたちで浮かび上がらせる手法は、ベンヤミンを描くオペラの作り方としては当を得たものと考えられる。そして、その過程をルジツカの音楽の持続が貫いている点が、《ベンヤミン》というオペラの説得力に結びついていると思われた。プログラムに掲載されたインタヴューのなかで彼は、このオペラのための音を追求したと述べていたが、たしかに音楽を貫き、オペラの基本的な性格を決定する響きの存在がつねに感じられる。

それを伝えるオーケストラの演奏は、部分的にいくらか緩みを感じたとはいえ、きわめて水準の高いものだったと言える。とくにアンサンブルの緻密さは特筆に値しよう。全体の指揮は作曲家のルジツカ自身が執っていたが、楽器編成が巨大なためにもう一人指揮者を要するようで、副指揮者を石川星太郎が務めていた。ベンヤミンの役を歌ったディートリヒ・ヘンシェルをはじめとする歌手たちのアンサンブルにも隙がない。ヘンシェルは、歌唱と演技の双方でベンヤミンという人物を感じさせて印象深かった。児童合唱を含む合唱も、一貫して力強い歌唱を聴かせてくれた。

それにしても、ルジツカの音楽の展開の緊密さは、この作品だけに聴かれるものではないとはいえ、あらためて瞠目させられる。冒頭で不安に満ちたかたちで響いた動機が、幾重にも変奏され、時に巨大な音響の塊を形成する場面があるかと思えば、弦楽器の各声部の独奏に表われて、きわめて繊細な移行を響かせる場面もある。こうして変形を重ねた動機が、最後の宿駅で三人の女性の柔らかで、哀しみを湛えた重唱に収斂していくのは、たしかに感動を呼ぶ。そして、その響きが震えながら静まって、消え入っていくなかでベンヤミンが息絶える過程も、深い感銘を残すものであった。しかしながら、このような音楽の展開が、「ベンヤミン」という主題と緊密に結びついたものだったか、という点に関しては留保せざるをえない。

このオペラの第五の宿駅は、一つの間奏であると同時に、舞台の展開に「中間休止(ツェズーア)」を刻むものである。そこでは、大規模な管弦楽と合唱が一体となって破局の予感を響かせるが、その音楽はルジツカの前々作のオペラ《ツェラン》から引用されたものである。彼にとってつねに内的な対話の相手であるという詩人パウル・ツェランを主題としたオペラの音楽をここで引用することは、ベンヤミンの危機的な状況における思考とその死が、ツェランの詩作が向き合い続けたショアー/ホロコーストを予感させるという解釈を示すものであろう。この解釈そのものに対してはまったく異論はないが、それを提示する音楽には少し付いて行けないものを感じた。たしかに、巨大な響きのうねりが打ち寄せるのには圧倒的な力がある。しかし、そのなかで「イェルサレム」の名が、これでもかとばかりに繰り返されるのに対しては、どこか取って付けた印象を拭うことができなかった。

もしそこに至る過程で、ベンヤミンの歴史をめぐる思考が音楽と舞台表現によってもう少し突き詰められ──その意味で「歴史の概念について」からの引用は、別なかたちで第四の宿駅に置かれるべきだったかもしれない──、それが彼の死後の巨大な破局に突きつけられるとするならば、間奏における《ツェラン》からの引用は、恐ろしいまでの説得性を持ちえただろう。しかし、そのようには実際のオペラが展開しなかったことは、ルジツカが自分の音楽の展開を優先させたことのみならず、キム・ヨナが書いたリブレットと、それにもとづく舞台作りにも要因があると考えられる。非常に巧みに構成されているとはいえ、リブレットにおけるベンヤミンの言葉の扱い方に対しては、言いたいことが数多くあるが、今はそれは措いて、演出とそこに表われるテクストの問題に焦点を絞ることにしたい。

すでに触れたように、舞台上の人物はあくまで虚構である。だとすれば、それぞれの人物は舞台の展開のなかで、音楽とともにその登場人物としての人格を表出すればよいはずである。しきりに煙草を吸う女性はハンナ・Aのままでよく、実在のアーレントを知る観客は、それとの関連を隠喩として想像すればよいのではないか。しかしながら、今回の演出では、ヴァルター・B以外の人物が登場すると同時に、その背後で実在の彼女および彼の引き伸ばされた肖像写真が掲げられた。オペラの主題となる歴史上の人物との関連を示すためとはいえ、その表現はあまりにも直接的で、違和感を拭えなかった。それ以上に問題があると思われたのが、個々の人物の造形である。アーシャ・Lは、なぜソヴィエト共産党のテクノクラートのようで、かつ容姿と声で性的な魅力を振りまく存在として登場しなければならないのだろう。

このオペラのなかでブレヒトとラツィスは、つねにマルクス主義の側へベンヤミンを引き込む役回りを演じる。そのためにみずからの主張をほとんどドグマのように繰り返すわけだが、それによってブレヒトの詩作も、ラツィスの演劇との関わりもどこかへ吹き飛んでしまう。そのために、第六の宿駅で試みられるプロレタリアートのための児童演劇も、ユートピア的な性格を失ってしまっていた。その舞台は、歴史の塵のなかからこそ浮かび上がる一つの希望を、不可能なものとして暗示すべきではなかっただろうか。他方で、ベンヤミンをユダヤ教の側へ、かつパレスティナへ導こうとする役割を果たすショーレムの姿も、どこか型にはまった印象を受ける。彼がほぼ始終キッパを被っているのには、違和感を禁じえなかった。

こうして──敢えて比喩的に言えば──モスクワとイェルサレムのあいだの対立が、あまりにも図式的に描かれてしまっていることともに、問題があると思われたのが、アーシャ・Lとドーラ・Kが、あまりにもジェンダー的に差別化された役割を与えられてしまっていることである。ベンヤミンの息子シュテファンを連れたドーラが母性を強調するかたちで登場すること以上に、アーシャがベンヤミンの男性的な欲望の対象として、ほとんど典型的なイメージとして現われるのには、強い違和感を覚えた。詰め襟でかつ深いスリットの入ったスパンコールのドレスは、モスクワへ向かう恋愛劇の小道具としては分かりやすいかもしれないが、これを女性に着せるところに、性差別的で、かつ舞台上の人物形象を旧来のオペラの登場人物としての「人間」に還元する──ここにこそ差別が含まれているのではないのか──眼差しの存在を感じないでいられない。

たしかに、キム・ヨナの舞台上の人物の動かし方は、合唱の扱いも含めて実に巧みで間然するところがない。舞台美術上のイメージの扱いも、人物の肖像写真とクレーの《新しい天使》の絵を除いては、効果的だったと思われる。だが、その手法は分かりやすすぎるかたちでオペラ的で、それゆえにあまりにも人間的である。ルジツカの音楽の緊密さとその強度には目を瞠るものがあるが、それは彼の音楽としてあまりにもよく鳴りすぎている。しかし、それは歴史の屑を拾い、その内奥にまで入り込んだベンヤミンに相応しいこととは思えない。彼は自伝的な手記の一つで、彼の思考の伴侶と言うべき天使は、「別れざるをえなかったもの、人々、そしてとくに物事に似ている」と述べている。そのような天使が指し示している、あらゆる人間的なものを突き抜けた、廃物そのものが語るような表現の強度こそが、時間の流れを止めて、ベンヤミンの思考を歴史のなかに屹立させるのではないだろうか。

すでにフランクフルター・アルゲマイネ紙などの新聞に出た批評が示すように、ルジツカの《ベンヤミン》は、現代のオペラとして一定の評価を得ているようである。しかし、そのことはベンヤミンを主題とすることに成功したことを意味しない。これまで見てきたように、ルジツカとキムは、ベンヤミンの思考と、それを生きた生涯とを、ルジツカの音楽の論理と現在通用している「オペラ」の論理の内部に閉じこめて、一つのドラマを作り上げてしまった。そのことは《ツェラン》、《ヘルダーリン》と書き継がれてきたルジツカの詩人オペラの三部作の完結編には相応しかったかもしれないが、そうして自己完結するなら《ベンヤミン》は、歴史的な現在に語りかける力を失ってしまうだろう。なぜ今ベンヤミンでオペラなのか。この根本的な問いに答える可能性は、「オペラ」の論理ではなく、破局を透視しながら潰えた可能性を過去から探り出すベンヤミン自身の思考を、現在との布置において掘り下げるなかからこそ、開けてくるにちがいない。偉大な芸術作品は、ジャンルを破壊するかそれを創造するかのいずれかであるというベンヤミンの言葉を、あらためて噛みしめておきたい。

武生国際音楽祭2018に参加して

41992189_2070441386341556_3393495407651717120_o第29回目を迎えた武生国際音楽祭に、国際作曲ワークショップの特別ゲストとして参加させていただきました。9月11日に一度家族で武生へ行って、ブラームスの作品を中心とした演奏会を堪能した後、翌日いったん広島へ帰り、もう一度13日に武生に入って、16日の音楽祭最終日まで、数多くの演奏会とレクチャーに接することができました。作曲ワークショップではレクチャーを持たせていただきましたが、それをつうじてむしろ私のほうが多くを学ばせていただきました。このような機会を設けてくださった武生国際音楽祭の音楽監督の細川俊夫さん、コンサート・プロデューサーの伊藤恵さん、そして理事長の笠原章さんをはじめとする武生国際音楽祭推進会議のみなさまに、まずは心から感謝申し上げます。本当にお世話になりました。

9月11日から国際作曲ワークショップのレクチャーに参加させていただいて、電子音楽の作曲法など多くを学ぶことができました。13日の作曲ワークショップでは、「〈こだま〉の変容──〈こだま〉としての〈うた〉へ」というテーマのレクチャーを持たせていただきました。「かたる」ことと「うたう」ことのつながりを踏まえつつ、「こだま」の概念を手がかりに、現代において「うたう」余地を探る視点を提示するないようのものです。アドルノの「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」という言葉と、それに応答したツェランの詩を取り上げつつ、この詩に言われる「まだ歌える歌」を、音楽言語を含む言語の震撼──ベンヤミンの「こだま」のイメージは、「こだまする」ことにこの震撼を見る視点をもたらします──の先に探る拙い講演に対しては、多くの貴重なコメントや質問をいただきました。

この国際作曲ワークショップとともに、それに連動するかたちで、ゲストとして招聘されている作曲家の作品を中心とした演奏会「新しい地平」が開催されるのが、武生国際音楽祭の重要な特徴をなしています。ワークショップに参加している作曲家たちが刺激を得る機会であると同時に、一般の聴衆に同時代の音楽の息吹を伝える機会として、この音楽祭の柱の一つになっていると言ってよいでしょう。今年の「新しい地平」の枠で演奏された、ないしは世界初演された作品はいずれも完成度の高いもので、聴き応えがありました。「新しい地平I」で演奏された三浦則子さんの《アニトヤ》では、繊細な響きがしばし漂った後、旋回しながら虚空へ消えていく過程が美しく、サンスクリット語で「無常」を意味する表題にも相応しかったです。同じ演奏会で取り上げられたチャールズ・クォンさんの《風が自らを探し求めるかのように》における、風を孕み、かつ間を含んだ息の旋回を感じさせる音楽の運動も面白く聴きました。

「新しい地平II」では、坂田直樹さんと神山奈々さんの新作がとくに印象的でした。坂田さんの《胞子》には、ベルクソンのいう「生命の躍動」を伴った有機物の生成が、特殊奏法を巧みに織り交ぜながらダイナミックに表現されていましたし、神山さんの《線香花火》からは、人の行き交う風景のなかに、鮮やかさと儚さの双方を含んだ光の明滅が感じられました。「新しい地平III」では、5月に広島で聴いた細川俊夫さんの《三つの愛の歌》のほか、ベッティーナ・スクリプチャクさんの《ダフネの歌》など感銘深い作品が続きました。とくにこのピアノ独奏のための曲では、モティーフの緊密な展開が精妙な変化を生んでいるのが印象的でした。ひたすら耳を澄ますことでルイジ・ノーノを偲ぶ思いを深めていくクラウス・フーバーの《嘆き》を、マリオ・カーロリさんの素晴らしい演奏で聴けたのも貴重でした。

今回の音楽祭では、この《嘆き》とともに、昨年亡くなったフーバーの笙と打楽器のための《黒い嘆き》の実演に接することができたのが貴重でした。宮田まゆみさんの笙に葛西友子さんの打楽器という、望みうる最高の組み合わせでこの作品を聴けたのは本当に幸運でした。広島の被爆から半世紀の節目に当たる1995年の秋吉台での初演を念頭に細川さんがフライブルクでの師に委嘱したこの作品は、井伏鱒二の『黒い雨』からの抜粋と『万葉集』から選ばれた歌を、笙と、瓦を含む打楽器との静かな対話のなかで朗読し、これらのテクストの内実に迫ろうとしています。被爆するとはどういうことか、という問いに向き合いながら、言語を絶する出来事に遭って苦悩する魂に静かに思いを馳せ、その言葉を刻んでいく過程に耳を澄ますなかで、時空を越えた魂の邂逅の場を開く音楽の力をあらためて感じました。折々に《黒い嘆き》が再演されることを願ってやみません。

この音楽祭の恒例となっている「細川俊夫と仲間たち」では、まず細川さんの《レテ(忘却)の水》の実演に接することができたのが、個人的に嬉しかったです。弦楽が織りなす柔らかな響きの層が徐々に撓んで、そこからおのずと激しい、忘れようとしても忘れられないことへの苦悩を感じさせる展開が生まれてくるのが、とくに印象に残りました。ピアノの強い打ち込みが開く深淵の上で明滅するモティーフも美しかったです。オペラ《海、静かな海》とも関連の深い作品とのことです。この演奏会では、ベッティーナ・スクリプチャクさんの《裂け目》の実演にも触れることができました。モティーフの緊密な展開が、響きの多次元的な運動に見事に結びついた作品と感じました。

とはいえ、今回は何と言ってもヨハネス・マリア・シュタウトさんの四つの作品を聴くことができたのが大きな収穫でした。洗練された、かつ独特の強度を示す響きが精妙に変化していくのがとくに印象的で、室内楽作品の静かな部分は、無類の繊細さを示していたと思われます。《透かし模様》や《シドナム・ミュージック》のような作品が、ブラームスのクラリネット三重奏曲やドビュッシーのフルートとヴィオラとハープのためのソナタを意識しているというように、音楽の伝統をその精神において受け継ぎながら、オリジナリティの高い響きを、鮮やかなリズムの展開とともに実現させたシュタウトさんの音楽が、これからどのように展開していくのか、楽しみになりました。

伊藤恵さんのプロデュースによる、ブラームスの音楽の系譜を照らし出す室内楽や歌曲の演奏会も、非常に充実していました。まず、9月11日の「セルゲ・ツィンマーマン&伊藤恵リサイタル」が感銘深かったです。今回ツィンマーマンは、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全三曲のうち、第2番と第3番を演奏しましたが、いずれの曲でも、きわめて繊細な歌のなかから、深い情感と凛とした曲の形が浮かび上がってきました。万全の体調ではなかったとのことですが、持ち前の美音に徐々に熱がこもってくる演奏には、強い説得力がありました。これに続くピアノ五重奏曲の演奏では、若い弦楽器奏者たちがツィンマーマンに触発されて、実に繊細な表現を示していました。それによって、この作品のテクスチュアが最大限に生かされていたと思います。振幅の大きな表現のなかで、歌の陰翳とリズムの躍動の双方が生きていました。そして、これらのすべてを、しっかりとした歩みのなかで連綿と歌い継いでいく伊藤恵さんのピアノが支えていました。

13日の夜のシューマンとブラームスの室内楽を中心とする演奏会も、濃密な内容でした。最後に演奏されたブラームスのクラリネット五重奏曲で、上田希さんのクラリネットが振幅の大きな表現を示していたのがとくに印象的でした。とくに緩徐楽章の中間のあたりで、翳りを帯びた歌が、深沈とした響きのなかから心のなかで叫ぶように立ち上がってくる瞬間には心を打たれました。シューマンのピアノ五重奏曲では、こちらも緩徐楽章でのヴィオラの情熱的な歌が素晴らしかったです。イレー・スーさんがシューマンの《ミルテの花》と《リーダークライス》からの合計9曲を歌いましたが、湧き上がる感情と深い息遣いが自然に一つとなった歌唱は、本当に魅力的でした。

15日夜の「ウィーン音楽の伝統」では、まず赤坂智子さんのヴィオラでリゲティの無伴奏ソナタの抜粋を聴けたのが嬉しかったです。彼女の鋭敏な感性によるアプローチのおかげで、ディアスポラとしてのリゲティの郷愁と屈折が陰翳豊かに表現されていました。この曲に彼の音楽が凝縮されているという思いを新たにしました。続くリヒャルト・シュトラウスの《四つの最後の歌》におけるイレー・スーさんの歌唱は、風景のなかでこれまでの過ぎ来し方を噛みしめながら「生きた」ことに然りと言う歌の豊かさを、温かい息遣いで届けてくれました。北村朋幹さんの繊細なピアノによって、歌の美しさがいっそう際立っていたと思います。この夜の最後に演奏されたブラームスの弦楽六重奏曲第2番では、若い音楽家の素晴らしい技量と感性がこの作品に込められた作曲家の情熱を、新鮮に表現していました。スケルツォの楽章で聴かれる迸るような熱情とリズムの躍動もさることながら、とくに両端楽章の第二主題の繊細な歌とそれを支える響きは、この作品の魅力を再発見させてくれるものでした。

16日ののファイナル・コンサートは、時宗と天台宗の声明が響いた後、リゲティの《マカーブルの秘密の儀式》という瀆神的な黙示録が奏でられ、最後にブラームスのドイツ・レクイエムが演奏されるという、浮き沈みの激しい、そして幾重もの意味で挑戦的なプログラムでした。リゲティの作品では、今年もイェルーン・ベルワルツさんの素晴らしいトランペットを聴くことができました。ブラームスのレクイエムでは、金井勇さんの編曲が、作品の特徴を巧みに生かしていたのが印象的でした。イレー・スーさんの豊かな歌と合唱の力演にも感銘を受けました。今年の武生国際音楽祭に寄せられた作品とその演奏は、今までにない高い水準を示していたのではないでしょうか。ここが今まさに生まれつつある音楽の中心の一つだという思いを新たにしました。このことが広く認知されて、来年30回の節目を迎えるこの音楽祭に、さらに多くの人々が集まることを願っています。

41990948_2070441669674861_1922953263255126016_o

ひろしまオペラルネッサンスのモーツァルト《イドメネオ》公演へのお誘い

痛ましい災害が続いて心の落ち着かなかった夏がようやく終わろうとしています。広島では日中もだいぶ過ごしやすくなってきました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。広島でひろしまオペラルネッサンスと現代音楽の演奏会シリーズ“Hiroshima Happy New Ear”を主催しているひろしまオペラ・音楽推進委員会の委員の一人として、みなさまを、今広島で観られるべきモーツァルトのオペラの公演へお誘いしたく、筆を執りました。

5b1f8deb01ad4今年のひろしまオペラルネッサンスの公演では、モーツァルトの《イドメネオ》(《クレタの王イドメネオ》KV 366)が取り上げられます。20代半ばのモーツァルトが書いたこの作品の広島初演ということになります。公演の初日がいよいよ明日に迫りました。トロイア戦争後のクレタ島を舞台に、戦いの後に生きる人間の苦悩に迫ることによって、オペラそのもの変革を試みた若きモーツァルトの意欲作を、戦火止まぬ現代に生きる者への深い問いかけを含むものとして観ることのできる無二の機会です。どうかお見逃しのないよう、9月22日(土)と23日(日)は広島のJMSアステールプラザへお越しください。両日とも開演は14:00です。

戦争を起こした人間は、たとえ生き残ったとしても、その戦いによって癒えることのない傷を負い、その死者の影の下で生きていかざるをえません。そして、この傷は次の世代へも形を変えながら受け継がれてしまいます。それとともに愛と誓約のあいだに、恋と復讐のあいだに、さらには二つの国のあいだに引き裂かれる人間の魂に迫ったモーツァルトの音楽は、旧来のオペラ・セリアの枠組みを内側から越えていかざるをえませんでした。さらに、オペラのなかで海の波濤にも喩えられる激しい感情を伝えるために、オーケストレーションを含めた音楽の造りも革新的なものになっています。マンハイムやパリなどへの旅をつうじて培ったものを惜しみなく注ぎ込み、クラリネットを含む大規模なオーケストラを活躍させる《イドメネオ》の音楽には、モーツァルトの意欲が漲っています。

ちなみに、《イドメネオ》には、モーツァルトのその後のオペラを予感させるところもあります。愛し合う若い二人(イリアとイダマンテ)が苦難を潜り抜けるさまは、《魔笛》の二人の主人公の生きざまを思わせますし、第二幕の行進曲は、《フィガロの結婚》のそれとどこか似ています。モーツァルト自身、《イドメネオ》をみずからのオペラの原形を示すものとして大事にしてきました。ただしこのオペラには、彼の他のオペラにはあまり見られない際立った特徴があります。それは、雄弁なレチタティーヴォ・アコンパニャート(オーケストラ伴奏によるレチタティーヴォ)によって、主要な場面が繰り広げられていることです。ここにある情景の展開とドラマの緊迫も見どころの一つです。《イドメネオ》に示されるレチタティーヴォ・アコンパニャートによってドラマを繰り広げる手法は、モーツァルト以後のロマン主義のオペラを予感させるところがありますが、彼自身のその後のオペラでは背景に退くことになります。

5b1f8deb654c6今回の広島での《イドメネオ》の上演の特色の一つとして、プロダクションによってはカットされることのある第三幕のエレットラ(オレステスとともに父の復讐を果たしたエレクトラです)のアリアが演奏されることが挙げられます。このアリアは、この女性のなかに積み重なった幾世代にもわたる恩讐を噴き出させるもので、モーツァルトの他の作品にも例を見ない激しさを持っています。先日、この幕のオーケストラとの音楽稽古を聴かせていただきましたが、これを含め、第三幕のいずれのアリアも素晴らしかったです。この稽古で、下野竜也さんの指揮の下、複雑なスコアの機微を伝える音楽が仕上がってきていることを実感できました。ぜひご期待ください。

《イドメネオ》が今あらためて注目される理由として、古代ギリシアから題材を採りながら、きわめて現代的な問題に触れていることが挙げられます。オペラの舞台となるクレタ島には、今も戦争の傷を負った難民が漂着しています。幾重もの意味で今広島で取り上げるに相応しい《イドメネオ》を、今回も人間の感情の細やかな表現に長けた岩田達宗さんの演出で観ることができます。また、このオペラではオーケストラが非常に重要な役割を果たしますが、広島交響楽団が音楽監督の下野さんの指揮の下でピットに入るのも注目されるところでしょう。よりすぐりの歌手たちの歌も期待されるところです。お誘い合わせのうえ、今度の週末はひろしまオペラルネッサンスの《イドメネオ》の公演へお越しください。心よりお待ち申し上げております。なお、今回もプログラムに拙文を寄稿させていただきました。ご来場の際にご笑覧いただければ幸いです。

展覧会「三」を観て

38787411_1945404652185666_8217036060958392320_n8月9日、長崎に原子爆弾が投下された日に、旧日本銀行広島支店とギャラリー交差611の二つの会場で開催されていた、新井卓、小原一真、片桐功敦の三人のアーティストによる展覧会「三」を観た。写真を中心とした表現活動を繰り広げている新井と小原の二人と、華道家の片桐が一つの展覧会をというのは意外に思われる向きがあるかもしれないが、三人にはまず、ここ数年福島をはじめとする東日本大震災と原発事故の被災地を見つめながら創作を続けてきたという共通の立脚点があるとのこと。また、歴史が刻み込まれた生命が発現する現在を捉えることを表現の焦点としながら、その行為の姿に対して批評的な意識を保ち続けている点でも、三人は相通じる芸術を繰り広げていると思われる。

新井は、ギャラリーではダゲレオタイプの手法で、行く先々で出会った17歳の若者の姿を銀板に定着させていく「明日の歴史」プロジェクトの広島での展開を、若者の声とともに展示していた。ダゲレオタイプは、「写真小史」のヴァルター・ベンヤミンにとっては、実生活において「持続」という経験の厚みを失った人間の最後の逃げ場の一つだったわけだが、銀板に沈着した若者たちの姿は、彼女たち、あるいは彼らが日常の時間ではけっして感じさせることのない身体の奥行きと表情の深さを示している。大人が作ったこの息苦しい仕組みのなかに生きることを本当はどう思っているのか、訊いてみたくなるような一つのひとつの顔を、どこか儚さを感じさせながら浮き彫りにする写真ではないだろうか。

旧日銀の会場で上映されていた新井の短編映画『49パンプキンズ』は、原爆投下の試験として投下された「カボチャ爆弾」などから着想を得ながら、アメリカ軍のB-25爆撃機から実際に49個のカボチャを投下することによって、この爆撃機に苦しめられた祖父の体験に迫ろうとする作品と言えよう。ユーモアを交えた映像で、空襲そのものの愚かしさを痛烈に諷刺しながら、空襲の下にあることの恐怖を生々しく伝えているのが、この作品の特徴であろう。大量のカボチャの衝撃に震える大地に伏せて、不自然に揺れる枯れ草と一つになるかのようなショットは、実に印象的だった。

小原は、“Far East / A Stolen Father”という表題の下、旧日本軍がタイとビルマを結ぶかたちで建設した泰緬鉄道の鉄路を拓く労働を、劣悪な環境のなかで強制され、死に追いやられもした犠牲者たちの足跡を辿り、その遺品やこれを強制労働の記憶とともに受け継いでいる被害者(労務者)の二世たちとともに写真に収めていくプロジェクトの一端を、ギャラリーと旧日銀で異なった手法で展示していた。ギャラリーに展示されていた写真でとくに印象に残ったのが、犠牲者の二世に当たる多様な背景を持った人々の横顔を捉えた写真だった。すでに高齢なこれらの人々の顔には深い皺が刻まれているが、そこからは父たち──それぞれの「盗み取られた父」──の体験が滲み出ているようにも感じられる。体験の語りを直接に聴いている、あるいはそれを語れないことを肌で感じている第二世代の身体の存在が、重量をもって迫ってくる写真だった。その身体には、けっして割り切れない感情を含むかたちで、出来事の記憶が染み込んでいるのだ。

これらの写真において捉えられているのが、二世たちのプロフィールであるところには、写真によって日本の侵略と暴虐の歴史に迫ろうとするアプローチに対する小原の批評的な反省も表われている。横顔を見せる人々の視線の先には、小原がいるのだ。こうして見られていることをも写真に刻もうとするところには、俯瞰的な視点から一種の「正史」として物語られる歴史が絶えず抑圧していく一人ひとりの物語に迫ろうとする際に、過ぎ去ることのない記憶によって見つめられているところから出発しようとする小原の姿勢も示されているのではないだろうか。旧日銀の一室で展開されていた、写真のスライドショーなどによるインスタレーションは、現実にはけっして交わることのなかった人々の物語が交差する時空間を提示するものと言えよう。そこに身を置きながら、泰緬鉄道建設のための「労務者」たちの体験の内実を、今ここで働くことに深刻な問いを投げかけるものとして捉え返す必要も感じないわけにいかなかった。今やほとんど誰もが、泰緬鉄道の歴史の当事者になりうるのではないだろうか。

片桐はギャラリーでは、8月2日からのおよそ一週間にわたり、広島を歩いて採取した花々を、土の花器に片桐自身のさりげない言葉を添えて生けた、拾遺集としての展示「広島花拾遺」を繰り広げていた。道端で見慣れた花たちが、その場所からいったん切り離され、別の時空間に置き直されることによって、その生命を強烈に発するのは、生け花そのものの特性の現われとはいえ、やはり興味深い。白い夾竹桃の花が妖しいまでの美しさを放つのには、思わず惹きつけられた。7月の豪雨災害の被災地の一つでもある似島で採取された、ニセアカシアの肉体の質量も印象的である。とはいえ、この拾遺集において異彩を放ちながら、行為としての生け花の一つの姿を印象的に示しているのは、平和公園で拾われた菊の花であろう。菊の花は、今も禍々しい歴史を象徴しているが、生命力の強いこの花が、「慰霊」の文脈から切り離されて一つの生け花になるとき、それは枯れながらその歴史を見返しているようにも感じられる。

旧日銀での片桐の展示は、広い空間を使って、これも死者に手向けられることの多い白百合がおのずと、あらゆる方向へ茎を伸ばし、叫ぶように花を咲かせる運動を、身体的に感じさせるものであった。作品の一つは「木に花を継ぐ」と題して、片桐が譲り受けた被爆樹の楠の幹に白百合を生けたもの。その一本が屹立しながら枯れていく様子は、広島の被爆をはじめとする出来事の記憶を身体に染み込ませながら、出来事の場に踏みとどまって生きようとする意志を強烈に感じさせる。出来事の現場に生きるとはどういうことかを深く問う作品と言えよう。もう一つの大規模な作品は、破れた布で被われた木の塊に、白百合をはじめとする花々を、茎を強調するかたちで生けたものであるが、茎がさまざまな方向へ伸びていく姿は、強い生命力を感じさせる一方で、ある場所に癒えようもなく刻まれた傷が、不意に開いて、苦悩の記憶を甦らせる様子も、そこに見ないわけにはいかなかった。傷を負った場所に咲く花は、片桐がギャラリーに生けた街角の小花を含めて、傷口に疼くものを吸い上げて咲いている。そのような花が散って、花弁を床に散乱させているさまは、苦悩の記憶を忘却して「前へ」進もうとする現在への怒りも感じさせる。

38512070_2097067553658044_9209899742354472960_oギャラリー交差611の並々ならぬ意志によって企画された広島での展覧会「三」に集った三人の芸術家の作品は、菊の花に象徴される禍々しい歴史が連続している今に生きていることを踏まえながら、この今に現われる生ある者たちを、その身体性において捉えている。このとき三人は、この歴史が忘れ去ろうとしている記憶が、生ある者たちの身体に浸透していることをも見通している。そのような眼差しにもとづく表現に触れるとき、過ぎ去ることのないものがここにあることを、肌で感知できるにちがいない。その地点から、歴史的な現在をどのように捉え返すことができるかが、今切実に問われているはずである。旧日銀での展示は8月10日で終わってしまったが、ギャラリーでの写真作品の展示は、17日まで続くとのこと。多くの人が会場で、過去と現在の相互浸透を感じ取ることを願ってやまない。

細川俊夫のオペラ《地震・夢》の世界初演に接して

2018-07-02 00-27地表の揺れは収まった。今や自然現象としての地震は、過ぎ去ったのかもしれない。しかし、大地の揺れとそれがもたらした空が閉じるほどの破壊の衝撃は、けっして過ぎ去ることはない。動揺のなかで心のなかに刻まれた地震の爪痕は、余震のようにその記憶を回帰させ続ける。いくつもの夢として。細川俊夫のオペラ《地震・夢》のドイツ語の原題„Erdbeben. Träume“は、このことを暗示しているのではないだろうか。その舞台では、地震とそれに続くおぞましい出来事のなかで孤児となった一人の少年が、余震としての夢を辿り、赤ん坊の頃に自分が、そして生みの親が何を体験したのかを目の当たりにする。この少年の名はフィリップ。ハインリヒ・フォン・クライストの小説「チリの地震」で、ジェロニモとジョセフェの禁断の愛によって生まれ、この両親が虐殺された後、息子を殺されたエルヴィーレとフェルナンドの夫妻の養子となった子どもである。

2018年7月1日にシュトゥットガルト州立歌劇場で世界初演を迎えた《地震・夢》のリブレットは、「チリの地震」を基に、現代ドイツを代表する作家マルセル・バイアーの手によって書かれた。バイアーのテクストは、クライストの小説の基本的な結構と筋を生かしながらも、その作品世界を詩的に、いくつもの夢の世界として展開させている。当然ながら、それによってテクストに加わる抒情性は、登場人物に歌う声を与えるのみならず、1647年にチリで起きた大地震の歴史的文脈を離れて、地震とそれに続く出来事を、身近で起きたこと、あるいは起きうることとして想像する余地をも開いている。そのような台本を響かせる細川の音楽は、それ自体として夢の世界の内奥へ観客を引き込む回路をなしていると言える。観客はフィリップとともに、いくつもの夢として回帰する地震とそれに続く出来事を潜り抜けるのだ。

全18景から成る《地震・夢》の最初の情景は、不穏な風の音が渦巻くなかに開かれる。2016年1月27日にハンブルクで初演された《海、静かな海》は、激しい打楽器の前奏から始まったが、《地震・夢》は、オラトリオ《星のない夜──四季へのレクイエム》(2010年)のように、死者の吐息のようでもある風音とともに始まるのだ。やがて地の底から衝撃を浸透させるかのような打撃音とともに鳴り始める管弦楽の響きは、大地の底知れぬ力のみならず、地震の後に起きる惨劇をも予感させる。その響きは、垂直的な深さと内的な密度の点で、これまでの細川の舞台作品で聴かれた管弦楽の響きのそれを凌駕するように思われる。そのような管弦楽の響きの強度が随所に生かされているのが、《地震・夢》という作品の特徴と言えよう。なかでもそれが際立つのが、三つの「オーケストラのモノローグ」である。「震動、津波」、「生」、「死」とそれぞれ題された三つの「モノローグ」は、かつて起きた、そして今夢見られている出来事の「独白」と言えるかもしれない。これらは、劇の進行を中断しながら、出来事そのものへ観る者を引き入れる。

「震動、津波」では、地の底から湧き立つ打楽器を中心とした響きが、すべてをなぎ倒し、洗い流す力が渦をなすさまだけでなく、その力が破壊の後も渦巻きながら漂っているさまをも表わしているようだったし、「生」では、災厄の後にこそ人が抱く生きることへの渇望が響いているようだったが、これら以上に印象深かったのが「死」の音楽である。コンスタンツェ、ジェロニモ、ジョセフェ、そして乳児──フェルナンドとエルヴィーレの子である──が虐殺された後で、これら四人を哀悼するその深沈とした響きは、アルバン・ベルクの《ヴォツェック》の幕切れ近くのアダージョを思わせながら、災厄のなかで非命の死を強いられること、そのことに対する哀しみを深淵から湧き上がらせる。その響きは、《地震・夢》という作品の核心をなすものとさえ言えよう。シルヴァン・カンブルランの指揮による歌劇場のオーケストラは、深い息遣いでこの哀悼の音楽を響かせていた。細川のオラトリオ《ヒロシマ・声なき声》の初演を手がけ、その音楽を熟知したカンブルランの指揮の下、オーケストラは終始緊密なアンサンブルで、《地震・夢》の音楽の特色をいかんなく発揮させていたと思われる。

今回の初演においては、管弦楽とともに、オペラ雑誌『オーパンヴェルト』で2017年の最優秀のアンサンブルに選ばれた合唱団の素晴らしさも特筆されるべきであろう。集団としての歌唱の力強さと、一人ひとりの演技力によって、災害の後のユートピアとしての分け隔てない連帯の発生と、その連帯の集合的な狂気への転化とが、説得的に表現されていた。大規模な合唱がひとまとまりの集団として活躍するのも《地震・夢》というオペラの特徴であるが、シュトゥットガルトの合唱団は、それを舞台上に見事に発揮させていたと思われる。合唱団は、そのように群衆として動くのみならず、舞台裏で風の音とともに、無名の死者たちのように舞台上の登場人物に語りかける。合唱のこうした影のコロスとでも言うべき役割も忘れられてはならないはずだ。その息遣いに乗って、愛を語るにしてもどこか不安に駆られたアリアや重唱が繰り広げられるのも、このオペラの特色と言えよう。

歌手のなかでは、エルヴィーレ役を歌ったゾフィー・マリリーが、第11景の「告別のアリア」を哀しみの籠もった声で響かせて、とくに印象深かった。ジョセフェ役を歌ったエステル・ディルケスと、ジェロニモ役を歌ったドミニク・グローセの絶望の表現も、切々とした感銘深いものだった。とはいえ、主要な登場人物を演じた歌手たちは、それぞれ単独でと言うよりは、合唱を含めたアンサンブルのなかで、演技力を含めたその美質を発揮させていたように思われる。そして、そこにはドラマそのものを、登場人物の布置として表現されるアンサンブルによって表現し、そのなかで個々人の歌唱力と演技力を生かす、ヨッシ・ヴィーラーの演出上のコンセプトも表われていたと考えられる。ヴィーラーと、ドラマトゥルクのセルジオ・モラビトのシュトゥットガルトでの最後の協働による《地震・夢》の緊密な舞台は、一時の階級なき社会を生への渇望に満ちたものとして、また扇動された群衆の狂気を鬼気迫るものとして描き出すことに成功していた。

このように共生へ向けた連帯と、虐殺への狂気とが現出する場として、舞台上に据えられた橋が重要な役割を果たすわけだが、アンナ・フィーブロックによるその装置は、その手前に据えられたコンクリート造りに見える建物の廃墟を含め、日本の震災で津波に洗われた橋を思い起こさせずにはおかない。彼女を含めたシュトゥットガルトの《地震・夢》の制作チームは、福島を訪れ、震災に遭う経験への省察を深めてきた。それが、舞台装置とそれを生かしたドラマの表現に生きていたのではないだろうか。装置は、全体として上下に動くように造られていたが、その揺れるような運動のなかに横たわる、大地の猛威に曝された剝き出しの身体は、津波の後で波間に漂う屍のようにも見えた。そして橋は、能舞台の橋懸かりを思わせるかたちで、一貫して敷居の役割を果たしていたのではないだろうか。それはまず、舞台上で繰り広げられる夢の世界への敷居であると同時に、連帯から排他的な集合的な狂気への敷居の役割も果たしている。そこに立って、災厄とそれに続く惨劇を目の当たりにすることは、幼い子どもには確かに辛い体験である。原サチコが黙役で演じたフィリップは、それに対する抵抗を示しながら、厳しい葛藤を経て、最後には自分がかつて記憶の彼方で体験したことを引き受けようとしていたのではないだろうか。

それにしても、狂気に駆られた群衆が現出させる惨劇は凄惨きわまりない。その凄まじさは、「サディスティックな少年」と名づけられた児童合唱が加わることで増幅されていよう。クライストの原作では虐殺そのものの下手人であるペドリーリョは、バイヤーの台本では、原作における司祭の役割も含みながら、群衆の煽動者となるわけだが、その役を歌ったトルステン・ホフマンの演技力も際立っていた。ペドリーリョの演説によって焚きつけられた群衆が、コンスタンツェ、ジェロニモ、ジョセフェ、そして乳飲み子の四名に襲いかかる様子は、音楽の高まりと相俟って恐ろしいまでの勢いを示していた。そのような虐殺への狂気に駆られた群衆に関して、今回の舞台では反ユダヤ主義との結びつきが暗示されていた──虐殺の現場に、キッパに似た帽子が投げ捨てられていた──と思われるが、日本の震災の廃墟を思わせる装置の上で惨劇が演じられるのを目の当たりにするとき、関東大震災の際の朝鮮人やアナーキストなどの虐殺や、それを反復する火種を孕んだ被災地でのデマの拡散を思わずにはいられなかった。舞台上の橋は、異質な他者を虐殺する──それは社会的に抹殺することも含まれよう──群衆の狂気を、未だ過ぎ去らない問題として受け止めることへ、観る者を導く役割も果たしているのかもしれない。

装置としての橋と緊密なアンサンブルを繰り広げるかたちで、《地震・夢》というオペラにおいてまさに橋の役割を果たすのが、細川の音楽である。プログラムに寄せられた文章のなかで細川は、自身の音楽を能の橋懸かりに準えている。その点で、《地震・夢》において、彼の能の精神にもとづくオペラの基本的なコンセプトは、音楽の内部に凝縮されていると言えよう。それは、オーケストラによる「死」のモノローグが示すように、地震とそれに続く出来事の犠牲者への哀悼を音楽に浸透させ、死者を橋としての舞台に回帰させること──それは細川のオペラのある意味で反オペラ的な特徴である──に結びついている。このことが、《地震・夢》においては、地震とその後の出来事の記憶を、いくつもの夢として描くバイアーの台本のコンセプトと呼応しているにちがいない。その最も際立った特徴が、死者に声を与えていることである。最後の場面で霊魂と化したジョセフェとジェロニモは歌う。「ある者は獣が鳴くのを聞く。別の者は……」と。確かに東日本震災の死者たちは、避難区域に取り残された家畜の声を聞いているはずだ。

36465733_1626825124112935_4303460576647970816_n《地震・夢》というオペラは、橋懸かりとしての音楽を軸としたアンサンブルとして、18の相を示す一つの橋をなしていると考えられる。それは、地震に遭い、その後の惨劇に直面した死者たちの記憶の世界──それは、悪夢を含んだ「いくつもの夢」である──のただなかへ観る者を導きながら、死者への哀悼から今ここにある危険を見通す回路を指し示している。満場の歓呼によって迎えられたその初演によって、細川とバイアー、そしてシュトゥットガルトのアンサンブルは、クライストがその小説の緊密なテクストのなかに描き込んだ要素を、深い嘆きを含んだ現代の詩的な表現──それは広い意味で「うたう」ことである──によって舞台上に解き放ったうえで、震災をはじめとする災害と、群衆による虐殺を歴史的に経験した後に、他者たちのあいだに生きることへの深い問いかけに再結晶させたと言えよう。

岩波書店『思想』ヴァルター・ベンヤミン特集号刊行のお知らせ

371906岩波書店の雑誌『思想』2018年7月号は、20世紀前半に文筆家として活躍しながら独特の批評的思考を繰り広げたヴァルター・ベンヤミンの特集号です。本号は、6月28日より各書店の店頭に並びます。また、29日からはhontoAmazonなどのインターネット上の書店でも発売になるとのことです。ちなみに月刊誌でのベンヤミン特集は、久しぶりのことになります。1992年のベンヤミン生誕百年の年には、青土社の『現代思想』で、それから二年後には『思想』誌でベンヤミン特集が組まれています。その後、2002年12月には青土社の『ユリイカ』で、ベンヤミンが特集されていますが、今回の『思想』でのベンヤミン特集は、それ以来およそ16年ぶりの月刊誌での特集ということになるはずです。

その間ベンヤミンを読む環境は、その著作を日本語で読むことに限って見ても、大きく変わりました。まず、ちくま学芸文庫の『ベンヤミン・コレクション』(全7巻)などの刊行によって、ベンヤミンの著作の大半が、読みやすい日本語で読めるようになっています。また、現在ズーアカンプ社より手稿の調査にもとづく編集と刊行が進みつつある、著作と遺稿の批判版全集(Werke und Nachlass: Kritische Gesamtausgabe)のテクストにもとづく日本語訳も、少しずつながら現われ始めています。テーオドア・W・アドルノ、その妻グレーテル(・カルプルス)、そして生涯の友人ゲルショム・ショーレムとの往復書簡の日本語訳が揃っていることも忘れられてはなりません。

ベンヤミンの仕事の領域横断的な広がりに見通しを与えた一方で、議論の関心が当時翻訳が刊行された『パサージュ論』(現在は岩波現代文庫)とその周辺に集中する傾向のあった1990年代前半のベンヤミン研究の興隆からおよそ四半世紀を経て、ベンヤミンの著述活動を最初期から跡づけ、彼の思考を貫く軸を浮き彫りにする研究や、アドルノをはじめ同時代の思想家との関係を生産的に吟味し直す研究などが陸続と現われています。このようなベンヤミンをめぐる日本の状況と、海外の研究動向の双方を見据えながら、彼の著作を今読み直す可能性へ向けて、今回の『思想』誌のベンヤミン特集は構想されています。言語、歴史、これらの宗教的背景、芸術と身体を含むその新たなメディアなどをめぐるベンヤミンの思考を検討する議論の布置が、新たなベンヤミン像を浮かび上がらせる特集になっていれば幸いです。

今回の特集には、ベンヤミンのテクストへの新たなアプローチを提示する試みとして、彼の「技術的複製可能性の時代における芸術作品」の第一稿の翻訳が、これを初めて印刷した批判版全集第16巻と同様、原文に残された抹消や挿入なども再現するかたちで、しかも『思想』誌初の横組みで収録されています。竹峰義和さんの労作は、ベンヤミンのテクストの生成過程からその思考の展開を吟味し、これまで読まれてきた芸術作品論のテクストには最終的に取り入れられなかったものを含め、そのモティーフを生産的にすくい取る道を開くものと言えるでしょう。「ダダイズムは、……芸術作品の文書化を促進する」という言葉をはじめとするダダへの立ち入った論評が見られるあたり、個人的に興味を惹かれます。この「第一稿」の訳出が、他の批判版のテクストが検討される契機になることを願っております。

これ以外の翻訳として、今回の特集には、マイケル・ジェニングスの論文「終末論に向けて」とアーヴィング・ウォールファースの論文「救出 対 弁明」の翻訳も収録されています。両者ともベンヤミン研究を牽引してきた代表的な研究者ですが、その仕事はこれまであまり日本では紹介されてきませんでした。山口裕之さんが訳したジェニングスの論文は、ベンヤミンの歴史哲学と神学の結びつきが、どのような思想的な布置から生じたのかを明らかにするきわめて重要なものです。田邊恵子さんの翻訳によるウォールファースの論文は、「夢のキッチュ」という短いテクストの解釈を足がかりに、近代という「時代=時代の夢」の世界の批判をつうじて、そのなかに打ち捨てられた「歴史の屑」を救い出すというベンヤミンの思考を、多層化して救出するもので、これも際立ったかたちでベンヤミンを読む可能性を示しています。

このほかに今回の特集には、ベンヤミンのユダヤ的なものとの対決を、ショーレムとの対照において検討した論文や、第一次世界大戦下のヘルダーリン受容を軸に、「ドイツ」をめぐるベンヤミンの思考の位置を浮き彫りにした論文、彼の言語論を新たな視角から検討した論文、ベルトルト・ブレヒトの叙事演劇から着想を得た「身ぶり」や「中断」のベンヤミンの思考における意義を掘り下げた論文、さらにはベンヤミンが着目した技術と自然のインタープレイのメディアとして、機械と身体の相互浸透を形象化する可能性を検討した論文が収録されています。これらは翻訳論文と併せて、ベンヤミンの思考の歴史的な文脈を捉え直したところから、その可能性を検討する道を切り開くものと言えるでしょう。

今回の特集では、ベンヤミンを論じた二つの重要な著書として、『ベンヤミン解読』(白水社)と『堕ちゆく者たちの反転』(岩波書店)がある道籏泰三さんに、「思想の言葉」と「名著再考」をご執筆いただいています。前者では、石川淳の短篇「焼跡のイエス」を手がかりに、救いのなさを凝視するベンヤミンの思考の基本的なモティーフが、見事に浮き彫りにされています。後者では、とくに『ドイツ悲劇の根源』を取り上げていただきました。このバロック悲劇論の文脈と構成、そこに含まれる基本的なモティーフとその発展が、簡潔ななかに鮮明に描き出されたこの「名著再考」は、悲劇論のみならず、他のベンヤミンの著作を読み直すうえでも踏まえるべき軸を示すものでしょう。

私も今回の特集に、ベンヤミンが「歴史の概念について」のなかで提起している「抑圧された者たちの伝統」の概念に取り組んだ論考を寄稿させていただきました。この「伝統」が、経験の崩壊と、それによる旧来の伝統の破産を踏まえたところから語られていることを浮き彫りにしたうえで、この来たるべき伝統に対する彼の問題意識とともに、それがどのような歴史の姿を示唆しているかを、歴史叙述における非連続性の意義に触れるかたちで論じたものです。批判版全集の『歴史の概念について』の巻に収録されているハンナ・アーレント手稿とともに、年代記の概念をめぐるベンヤミンとアーレントの関係にも少し触れました。

さて、今回のベンヤミン特集には、企画段階から関わってきましたので、特別な思い入れがあります。『思想』の吉川哲士編集長からこの特集のお話をいただいたのが昨春のこと。その後吉川さんとの打ち合わせを経て、執筆者の調整と打診を進め、昨秋には『思想』編集部のご尽力により、京都で執筆者の会議も持つことができました。そこで各執筆者が論文の構想を交換し、収録する翻訳テクストを選定したうえで、論文執筆と翻訳を進めていきました。その結果として、今ベンヤミンを読み直す可能性を、密度の濃い議論によって提示するものに仕上がったかと思います。それは何よりも、吉川編集長をはじめ『思想』編集部の周到な準備のおかげです。心から感謝申し上げます。そして、いずれも力作を寄せてくださった執筆者と翻訳者のみなさまにも、衷心より感謝申し上げます。『思想』の新たなベンヤミン特集が広く読まれ、多くの人にベンヤミンの著作を読んでその思考に取り組むきっかけを与えることを願ってやみません。

■『思想』特集ヴァルター・ベンヤミン(2018年7月号)目次

  • 思想の言葉(道籏泰三)
  • 抑圧された者たちの伝統とは何か──ベンヤミンの歴史哲学における歴史の構成と伝統(柿木伸之)
  • ショーレムとベンヤミン──「修復」のシオニズム,「忘却」への「注意深さ」(小林哲也)
  • ベンヤミンと「秘められたドイツ」をめぐって──『死のミメーシス』補遺(平野嘉彦)
  • 終末論に向けて──1920年代初頭におけるヴァルター・ベンヤミンの神学的政治の展開(マイケル・ジェニングス)
  • 名前、この名づけえぬもの──ベンヤミンの初期言語論(藤井俊之)
  • 非゠伝達可能性の象徴としての言語──ベンヤミンの言語哲学における記号への問い(森田團)
  • 〈名著再考〉ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』を読む(道籏泰三)
  • サンチョ・パンサの歩き方──ベンヤミンの叙事演劇論における自己反省的モティーフ(竹峰義和)
  • 救出 対 弁明──ベンヤミン「夢のキッチュ」について(アーヴィング・ウォールファース)
  • 機械の身体というユートピア──技術メディアとしての映画とアヴァンギャルドの思考(山口裕之)
  • 技術的複製可能性の時代における芸術作品──第一稿(ヴァルター・ベンヤミン)

五月の音楽

32266933_1882631815122515_1986807641556385792_n早いもので、もう五月が終わろうとしています。広島では、ここのところ梅雨の訪れを感じさせるじめじめとした気候が続いています。今年も気の滅入る季節が巡って来たようです。それにしても、四月に年度が改まってからは慌ただしかったです。ここに至るまで、振り返る暇もないほど雑事に追われておりました。そのために報告がすっかり遅くなってしまいましたが、5月18日には、「魔術としての音楽」というテーマの下、Hiroshima Happy New Earの第25回の演奏会が、JMSアステールプラザのオーケストラ等練習場にて開催されました。開演前に土砂降りの雨が降るなど悪天候に見舞われましたが、会場には多くの熱心な聴衆が集まりました。主催組織のひろしまオペラ・音楽推進委員会の委員の一人として、ご来場くださったみなさまにあらためて心より感謝申し上げます。

さて、今回のHiroshima Happy New Earでは、歌うこと、ないしは声を発することの根源として、現代の作曲家があらためて秘教的な儀式の姿に着目し、そのなかで音楽の可能性を探究したことを示す作品が中心となりました。なかでも、《山羊座の歌》をはじめとするジャチント・シェルシの作品を、その研究を重ねて来られた太田真紀さんの声で聴けたのは、実に貴重でした。《山羊座の歌》からの抜粋を演奏される際に、太田さんは、シェルシとともにこの作品を作り上げたと言っても過言ではない、平山美智子の形見の衣裳を着ておられました。それによって、彼女とシェルシのあいだで生成する歌の魂をも引き受けようとするかのような、非常に求心力の強い演奏を聴くことができたのは、忘れがたい体験となりました。時にノイズに限りなく接近するほどの多彩さを持った声が、空間を揺さぶり、その揺らぎのなかから声の新たな響きが生じ、さらには打楽器をはじめ他の楽器の音と呼応する過程に引き込まれました。

それは、太田さんの声の表現が、非常に大きな振幅を示していただけでなく、彼女の声そのものが、各作品の音楽の核心を捉えていることを示す芯を具えているからではないでしょうか。そのことは、とくに細川俊夫さんの《スペル・ソング》と《三つの愛の歌》の各曲を、ひと筋の線を描く歌として響かせることに結びついていたと思われます。とくに後者では、和泉式部の断ちがたい思いの強さが、歌の強度となって響いていたのではないでしょうか。そのことと同時に特筆されるべきは、大石将紀さんのサクソフォンの素晴らしさです。柔らかなピアニッシモから、空間を深く揺さぶるフォルティッシモに至るまで、豊かな、そして歌心に満ちた音色を一貫させる演奏で、とくにルチアーノ・ベリオの《セクエンツァ》の一曲を聴けたのも忘れがたいです。細かなモティーフが、それ自身のうちから発展していくことによって織りなされる15分に及ぶ音楽が、間然することなく、一つの歌として響いていました。

今回のHiroshima Happy New Earでとりわけ印象深かったのは、細かなモティーフを基に発展していく独唱ないし独奏の音楽が、それ自身の響きによって一つの儀式的な空間を形成していたことでした。魔術的な結界でもあるような時空間を織り直す音楽の力にも触れることができました。この五月には、そのようなHiroshima Happy New Ear以外に、新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く機会もありました。指揮は、今年85歳になるというミシェル・プラッソン。彼の演奏には主にディスクをつうじて親しんできましたが、その最近の充実ぶりは、サン゠サーンスの「オルガン」交響曲などが取り上げられたパリ管弦楽団の演奏会(サル・プレイエル)や、パリのオペラ座(バスティーユ)でのグノーの《ファウスト》の指揮をつうじて実感してきたところです。今回の演奏も、非常に内容の濃いものでした。

サントリーホールで行なわれた新日本フィルハーモニーの第589回定期演奏会は、ドビュッシーの《夜想曲》からの二曲(「雲」と「祭り」)と神秘劇《聖セバスティアンの殉教》からの交響的断章、そしてフランクの交響曲ニ短調というプログラムでしたが、この二人の作曲家が書いたすべてのフレーズに、いやすべての音に息が吹き込まれた素晴らしい演奏でした。微かなピツィカートの音からも気配が感じられます。柔らかな響きが徐々に色合いを変えていく動きが、外界と内面の照応を感じさせる《夜想曲》からの「雲」も、聖性を強調するコラール風の響きが、どこか艶めかしい身体性も感じさせる《聖セバスティアンの殉教》からの音楽も、非常に印象的だったのですが、何と言ってもフランクの交響曲が、圧倒的な印象を残しました。音楽そのものの息遣いを生かした緩急によって見事に歌い上げられた交響曲を聴くことができました。

深沈とした最初の動機から、すべてのフレーズが深い情感を湛えながらしなやかに歌い継がれていくだけでなく、そのあいだに絶妙の間合いがあって、それが実に自然な音楽の流れに結びついていました。緩徐楽章のコーラングレによる主題が、楽章の後半でもう一度歌われる際に、プラッソンがぐっとテンポを落としたのには驚かされましたが、それによってこの主題の寂寥感がいっそう際立っていました。曲の終わりで、この主題を含めた先行の主題が回帰して、輝きと香気に満ちた響きのなかに掬い取られていくのには心からの感動を覚えました。終演後の様子では、プラッソンも演奏に心からの満足を覚えていたようです。フランス近代音楽の精髄が生き生きと響いた演奏会だったにもかかわらず、聴衆の入りが少々寂しかったのだけが残念でした。プラッソンは、日本では未だ「知る人ぞ知る」存在なのかもしれません。

この五月には、音楽を聴くだけでなく、自分で演奏に加わる機会もありました。妻が続けている弦楽四重奏のグループでヴィオラを弾いておられる方が、ご家族の事情で、今日廿日市市文化ホールさくらぴあの小ホールで行なわれた「五月の風」という室内楽合同発表会に、直前に出られなくなってしまったため、急遽代役で出演することになったというわけです。曲はモーツァルトの「狩り」の名で知られる弦楽四重奏曲第17番変ロ長調。長いこと楽器に触れていなかった身には相当にチャレンジングな曲で、今日の演奏も反省すべき点だらけの出来でしたが、練習で何度か合わせるうちに、曲の魅力を感じられるようになってきたのも確かです。とくに第三楽章のアダージョは、本当に美しい音楽だと思います。作品の美質を演奏で深める余裕が、時間的にも技術的にもなかったのは非常に残念でしたが、これに触れる機会をいただけたのには感謝しています。できれば、ヴィオラを弾くことも細々と続けたいものです。

DecUUDOVQAAKsfRところで、ひろしまオペラ・音楽推進委員会が主催するひろしまオペラルネッサンスの今年の公演で取り上げられるのは、モーツァルトのオペラ・セリア《イドメネオ》です。トロイア戦争後のクレタ島を舞台とするこの中期の作品は、ダ・ポンテ三部作などの後期のオペラに比べると馴染みが薄いかもしれませんが、二十代半ばのモーツァルトが並々ならぬ意欲をもって書いた音楽と、それによる人物描写の密度などから、近年再評価が高まっています。四年前に東京二期会が現代的な演出で取り上げたのも、記憶に新しいことでしょう。そのような《イドメネオ》という作品に、岩田達宗さんの演出と、広島交響楽団の音楽監督である下野竜也さんの指揮がどのようにアプローチするのか、非常に楽しみなところです。9月22日(土)と23日(日)に予定されている《イドメネオ》の公演についても、随時お伝えしていきたいと思います。ぜひご期待ください。

原爆の図丸木美術館での「横湯久美展──時間 家の中で 家の外で」を観て

yokoyu_leafret01時間のなかに生きること、それは前世紀以来哲学が語ってきたように、一人の人間に有限性を刻印しながら、まさに死すべきであることにもとづいて、独特の生を歩むことを可能にする。その歩みはこの人の死後も、物語として紡がれていくだろう。ただし、その物語は歴史と関わりを持たざるをえない。とくに近代以降、人は「国民」のアイデンティティをも形づくるような「歴史」が物語られているなかに生まれ落ちるのだから。その神話は、人生の物語に浸潤していき、しばしばそれを呑み込んでしまう。この力を避けられないなかで、一人ひとりの生の歩みをどのように世界に刻むことができるのか。この問いに人は、自分のなかに抱えた一人の死者と向き合うなかでこそ取り組むことができるにちがいない。そして、そのことはとりもなおさず、一人の人間の「歴史」との対峙の回路を探ることでもある。

先日原爆の図丸木美術館で観た「横湯久美展──時間 家の中で 家の外で」は、一人の死者の生の痕跡を辿りながら「歴史」と対峙する可能性の探求が、写真を軸とする独特の表現に結晶しうることを示すものだったと言えよう。会場で作家から説明を受けながら作品を見ることができたのは、実に貴重だった。なかでも、第一次世界大戦が始まった年に生まれ、治安維持法による思想弾圧に曝されながら二十世紀を生きた作家の祖母の記憶を、その姿を写真に捉えながら、さらには死後も記憶の痕跡を追い求めながら細やかに制作された作品は、一人の死者とともに生きることを表現をつうじて深く掘り下げながら、観る者にその現場が「歴史」のただなかにあることも告げている。

yokoyu_leafret02なかでも「昭和」以来の時の積み重なりを感じさせる室内から、札幌の雪景色を眺める作家の祖母の姿を撮った一連の写真は、治安維持法下で、あるいは戦後も息を潜めていなければならなかった時の重みとともに、同時代の動きと向き合う意志の強さも感じさせる。「家の中」にいることの重みと、そこからの「家の外」への眼差しに含まれる時の重層性が、映像の求心力を高めているのではないだろうか。また、祖母の生涯の歩みを二十一世紀に至る世界の、そして日本の歴史のなかに差し挟みながら作られたクロノロジー“A Woman was Born into the World, 1914”は、「歴史を書くとは、年号にその相貌を与えることである」というベンヤミンの言葉を変奏させるなら、「歴史的」な出来事の起きた年月に一人の女性の表情を刻むものと言えるかもしれない。人は「歴史」に翻弄されるだけではない。翻弄されながらも、「歴史」の現場にみずからの生の隘路を思想をもって探ることができる。その試みを、あるいはその挫折を「歴史」に刻むならば、そこから「歴史」そのものが異なった相貌において見つめ直されうることを、このクロノロジーは一つの像として示している。

表情を刻むと言えば、苺の果実を使って布に沈着させた、亡くなった祖母の顔が、クッションとともに撮られた写真は、それ自体としてまず、中世以来宗教画のトポスをなしてきたヴェロニカの布に浮かび上がったイエスの顔貌を連想させながら、室内にその魂が出現する一つの出来事を感じさせる。その写真を、傍らに掲げられた作家が小学生の頃に描いた祖母の顔のスケッチと、それがスケッチ帳の次のページに写っているのが撮られた写真とともに見ると、全体として一つの三幅対をなしているようでもある。先のクロノロジーも、歴史叙述の古い形式であることを考え合わせるなら、高度な写真技術による制作のなかに、古いアートの記憶が期せずして入り込んでいるのかもしれない。優れて現代的な表現技法が駆使されることによって、像の出現そのものが、絵画表現の起源にあるものへ立ち返るのも、今回の展示で興味深く思われたことの一つである。

作家の祖母が生まれれたのは、第一次世界大戦開戦の年であった。このことを契機として作家は、この最初の世界大戦の記録や戦跡、さらにそこに設けられた墓地を、写真によって辿っている。その歩みもまた、一人の死者からもう一人の死者への回路を開きつつ、その生を記憶し、「歴史」に刻んでいくものと言えよう。開戦のまさに引き鉄となったピストルがホチキスとさほど変わらない大きさだったことへの驚きから出発して制作された、とくにソンムなどの戦跡の墓地を写真に撮り、さらに墓石の配置をホチキスで刻んでいく作品は、作家がイギリス留学時代に取り組んでいたランド・アートの残響を感じさせるとともに、撃つという行為──ホチキスの発明者は、「ホチキス式」機関銃の開発者でもあった──を、戦死した一人ひとりの個としての存在を刻むものに反転させる手仕事を示していよう。さらにこのことは、英語では撃つことである、映像を撮る行為の意味を変えうるのではないだろうか。今やそれは「歴史」を撃ち抜いて、そのただなかに生の記憶を刻印するのだ。

今回の丸木美術館での横湯久美展「時間 家の中で 家の外で」において際立っていたのは、映像を定着させ、現出させる行為が、優れて身体的な記憶する手仕事として示されていることだろう。苺の果実で亡くなった祖母の顔を布に定着させることも、優れて身体的行為であり、またそれは死者との交感の回路を探る、呪術的でさえある行為と言えるかもしれない。そして、そのような行為において、現代の表現と、死者の哀悼とともにあった最初の芸術が交差するのだ。こうした特徴を含めて作家の制作は、身体的に一人ひとりの死者に近づいて、それをつうじて歴史に内側から楔を打ち込むような記憶の芸術を示しているように思われた。一人の死者との結びつきのなかで「歴史的」な出来事を見つめ返す一つの方向性が示すことによって、死者とともに「歴史」のなかに生きることを問うことへ誘う展覧会であった。