早春の仕事と所感

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広島市植物公園にて

Social distancingという言葉を人類で共有しなければならない状況になりました。新型コロナウィルス感染症(Covid-19)の広がりは、人と人が住まいの外でじかに接触することを、いかなる場合にも極力避けなければならない段階に来ています。息苦しく、気持ちの塞ぐ境遇を脱する見通しは当分立ちそうにありませんが、状況をこれ以上悪化させないためには、今はsocial distancingに努めるしかないのは自明でしょう。在宅での生活の支援を含め、その条件を社会で整えなければならないのは、言うまでもありません。

Social distancingという言葉は、一般に「社会的距離」と訳されているようですが、socialという単語には「社交的」という意味もあります。人付き合いを続け、共に生きていくために、互いの立場や境遇に可能な限り配慮しながら、今は感染拡大の防止に必要な物理的距離を保つ、というようにsocial distancingの意味を理解してはいかがでしょう。国家のことを語るのは正直気後れしますが、このことは国と国の関係にも当てはまるでしょう。特定の国を一方的に遠ざけるようなことは、後に禍根を残すだけです。

むしろ国際的な相互理解にもとづいて、国境での人の出入りのコントロールを検疫を含めて強化するとともに、帰国者を含めた入国者の一定期間の隔離が必要ならば、そのための移動と滞在生活の条件を保証することが、まず必要でしょう。そして、新型コロナウィルスへの感染を広げないために今必要なsocial distancingが何かを、国内にいるすべての人に対し、科学的な根拠にもとづいて論理的に説明すると同時に、社会的な行動制限に伴う損失を埋め合わせる枠組みを提示したうえで、国内での感染防止策を徹底することが、政府の第一の責務のはずです。

残念ながら、何ら根拠のない各種学校の休校「要請」が象徴するように、この国の政府は、自分たちの「やってる感」を演出することに血道を上げています。その中枢を占める人々の言動からは、社会的な行動が制限されざるをえないなかで、国内に生きる人々の生活を保障することへの真摯な問題意識が感じられたためしがありません。それが少しでもあるなら、「商品券」を配るなどという発想は出て来ないはずです。にもかかわらず、そのような政府が「緊急事態宣言」すら出せるようになってしまいました。このことこそが生命の危険です。

それもさることながら、新型コロナウィルスの人から人への感染が始まった頃から危惧しているのが、感染症の流行によって人々が分断され、差別が横行するようになることです。すでにそれはさまざまなかたちで現われています。今回のウィルス禍は、人々の心の奥に潜む差別意識を剝き出しにしただけでなく、マスクや食料品を不必要に買い集めようとする行動が示すように、高度に情報化された新自由主義の浸透が、いかに人間の魂を蝕んでいるかを露呈させました。

今は、根拠のない情報にけっして躍らされることなく、それぞれの住まいで知恵を深め、それを身体的接触を介することなく交換し、互いの立場を理解し合いながら、現在の苦境をともに潜り抜ける道を探る時でしょう。Social distancingという言葉は、このことを指し示していると思われます。その際に最も頼りになるのが本でしょう。本は、自分を時空を隔てた他者と結びつけながら、自分の境遇をその歴史的な背景を含めて照らし出してくれます。Social distancingが、そのような良書との出会いの契機になることを願ってやみません。

それにしても、現在の厳しい状況の下で多くの文化的な催しが中止や延期を余儀なくされていることは寂しいことですし、何よりもそのために大きな経済的な損失を負う組織や、フリーランスのアーティストの苦悩を思うと言葉がありません。一日も早く文化を担う組織の存続とアーティストの生活を保障する仕組みが整えられる必要があるはずです。文化に携わる人々が、この社会に生きる人々の魂の陶冶を担い──これが「文化」の原義です──、社会の礎を築いていることを、今こそ省みるべきでしょう。

今からすると、2月の15日と16日に広島で細川俊夫さんの《松風》の公演が無事に行なわれたことは奇跡のようにすら思われます。Hiroshima Happy New Ear Opera IVとして、アステールプラザの能舞台を用いて開催された上演には、両日とも満席に近いお客さまにお越しいただきました。主催組織のひろしまオペラ・音楽推進委員会の一員として、あらためて感謝申し上げます。非常に充実した内容の上演になったと思います。すでにMercure des Artsに能登原由美さんによる公演評が掲載されています。

1268前後しますが、『週刊金曜日』2020年2月14日号に、旧陸軍被服支廠倉庫の再生へ向けて「戦争と被爆の記憶が刻まれた建物をアジア各地域と連帯する文化拠点に」と題する小論を寄稿させていただきました。「加害と被害、二重の記憶をとどめる戦争遺構」というテーマの下で掲載されています。被服支廠が戦争の時代にどのような場所だったかを切明千恵子さんの証言を基に掘り下げ、解体へ向けた県当局の動きと、それに抗して保存を求める運動を浮き彫りにした宮崎園子さんの「解体計画に揺れる広島・被服支廠」と併せてご笑覧いただければ幸いです。

3月7日に発売された講談社の文芸誌『群像』2020年4月号の「論点」の欄には、「抗う言葉を分かち合う──芸術と批評の関係をめぐって」と題する小論を寄稿させていただきました。この息苦しい時代に芸術が何でありうるかを、ニーチェの『悲劇の誕生』の顰みに倣えばベンヤミンの精神から、批評との緊密な関係のうちに探る内容の論考です。批評的な反省を内在させた創作と、言説としての批評が協働し合うなかに、生命があまりにもないがしろにされる流れに抗い、生きることに踏みとどまる芸術の営みがありうるのではないか、という考えを表題に込めました。

202004表題に掲げた芸術作品を「抗う言葉」と見る視点は、ゲオルク・ビューヒナーの戯曲『ダントンの死』、それに触れた詩人パウル・ツェランのビューヒナー賞受賞講演「子午線」、そしてビューヒナー戯曲の最終部のリュシールの言葉を用いたヴォルフガング・リームの《街路、リュシール》を論じることをつうじて得ました。今年の1月25日に東京交響楽団の定期演奏会でリームの作品を、角田祐子さんの素晴らしい歌唱とともに聴けたことは、拙稿を綴る重要な契機の一つとなりました。

今回の小論では、ベンヤミンの「写真小史」などの議論に接続させるかたちで、佐々木知子さんの写真集『Ground』所収の長崎の写真を、新国立美術館で開催されていた「DOMANI・明日2020」展で見た藤岡亜弥さんの広島の写真とともに取り上げています。佐々木さんの写真と出会えたこと、そして藤岡さんの「川はゆく」シリーズに向き合う機会を得たことも、拙稿の展開の重要な契機となりました。

拙稿の後半では、ファシズムによる「政治の審美主義化」に抗する「芸術の政治化」をめぐるベンヤミンの議論を、「ディセンサス」を鍵語とするジャック・ランシエールの芸術論とも照らし合わせ、複数性を生きる民衆を創造する芸術の可能性にも触れました。その際に、作品の「抗う言葉」を構成し、伝える言説としての批評の役割にも論及しています。美術出版社の『美術手帖』4月号のテーマが「表現の自由」ですが、それをめぐる議論とも緩やかに呼応する内容もあるかと思います。

Ground_展示DM_book obscura_omoteこの間、拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』(岩波新書)をめぐって二つの動きがありました。まず、2月29日に本川町のREADAN DEATにて、写真家の佐々木知子さんと「土地の記憶、闇を歩く批評」と題して対談を行ないました。丁寧に準備してくださったおかげで、選りすぐりの本と器に囲まれながら、佐々木さんの写真集『Ground』に収録された長崎の写真とそれが喚起する記憶について、またある場所に立って写真を撮る行為と言葉を発することの関係について、拙著の内容とも絡めながら密度の濃い議論ができました。

佐々木さんとの対談では、カーテンを引いて視界を遮断することなく、歴史的な現在を凝視する思考と、その媒体としての写真の可能性などについて、多くを考えさせられました。拙著でも論じた言葉そのものの肯定性について、新たな視角から省みる機会ともなりました。今回の対談の場をご準備くださったREADAN DEAT店主の清政さん、『Ground』版元tentoの漆原さんに心から感謝申し上げます。また、当日は約20名の方にお集まりいただきました。大変な状況のなか、足を運んでくださったことに心から感謝しております。

それから、3月15日の中國新聞読書面の「著者に聞く」コーナーで、拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』をご紹介いただきました。インタヴューを丁寧にまとめて、言語、芸術、歴史を問うベンヤミンの危機の時代の思考の足跡を辿る本書の特徴を浮かび上がらせてくれた森田裕美さんに心より感謝申し上げます。拙著が新たな読者と出会うきっかけになることを願っています。

記事の後半は、本書の成り立ちと広島との関わりにも触れています。核分裂が発見された研究所のそばにあるベルリン自由大学の図書館に日々籠もってベンヤミンの著作に取り組むなかから生まれたこの小さな本に込められた思考を、「核の普遍史」に抗する広島からの、そして他の場所とも結びつく想起の営みの意義を考えるのに少しでも生かせればと思います。

IMG_0634その後、勤務先の大学の図書館の司書の方が、この記事を使って私の著書のコーナーを作ってくださいました。来館者が拙著を知る契機を設けてくださったことに感謝申し上げます。ご報告が遅くなりましたが、拙著は、みすず書房の月刊『みすず』2020年1・2月合併号における「2019年読書アンケート」特集で、姜信子さんと成田龍一さんに挙げていただいています。「歴史の反転」へ向かうベンヤミンの思考に着目した本書の趣旨を深く汲んだお二人のご紹介に、心より感謝申し上げます。

時代は先の見えない、そして息苦しい闇と化しつつあります。そのなかを歩むのに、拙著が少しでもお役に立てたらと願っています。早いもので三月もあとわずかです。次の仕事を少しでも先に進めておかなければなりません。厳しい状況が続きますが、適度な緊張感と社交的な距離を保ちながら、お健やかにお過ごしください。

広島の旧陸軍被服支廠の保存と活用に関するパブリック・コメント

IMG_05831945年8月6日に一発の原子爆弾によって壊滅するまで、広島は帝国の軍都だった。1889年に宇品港が竣工し、そこへ通じる鉄道が1894年に開通して以来、広島は陸軍の拠点都市として発展していた。現在その歴史を伝える建物はわずかである。大きなものとしては、缶詰工場だった旧糧秣廠(現広島市郷土資料館)と旧被服支廠という兵站を担った二つの施設の建物だけが、被爆の傷を晒しながら立ち続けている。

このうち旧陸軍被服支廠の4棟の建物は、広島駅と宇品港のほぼ中間に立ち並んでいる。軍用鉄道の線路の近くに建てられたこの建物では、軍服や軍靴が製造されていた。そのための労働が日夜を問わない苛酷なものだったことを、少年期から被服支廠で働くことを余儀なくされた経験を持つ詩画人、四國五郎が証言している。そこでは朝鮮人も働かされていた。寒冷地の軍服に毛皮を使うために、兎も飼われていた。

このように動物をも巻き込んだ総力戦体制を象徴する被服支廠は、被爆直後には負傷者の収容所としても使われている。そこに重傷を負って運び込まれた人々が、建物の片隅で一人、また一人と死んでいくさまを、戦後に四國と協働することになる詩人、峠三吉が「倉庫の記録」という詩に描いている。したがって、今も被爆の傷を晒す被服支廠倉庫の建物には、原爆の犠牲になった人々の苦悩も染み込んでいる。

IMG_0582このように戦争と被爆の傷を一つながらに伝える旧陸軍被服支廠の現存する4棟の建物のうち、3棟を広島県が管理している。昨年末に県の当局は、その2棟を解体するという案を県議会に上程する方針を示した。その際に、市民の意見(パブリック・コメント)を募集していたので、自由記述欄に、以下のような建物の解体に反対する理由と、その活用策に関する意見を記して送付した。参考になれば幸いである。

このような広島県の動きに対しては、旧陸軍被服支廠という歴史的な建造物の全棟保存を求めるキャンペーン(被服支廠キャンペーン)を、若い人たちがいち早く起こしてくれた。その求めに応じるかたちで、この建物の保存と再生に関する基本的な考えを、すでにキャンペーンのnoteに「生存の文化の拠点としての『倉庫』の再生のために」と題して記しておいた。以下と併せて参照していただければと思う。

なお、パブリック・コメント募集への反響の大きさや、建物の解体に反対する市民の要望などを受けて広島県は、旧陸軍被服支廠の解体に来年度着手することは見送った。ただし二棟解体という県の方針自体が撤回されたわけではないので、引き続き県議会の議論を含めて事態の推移を注視するとともに、三棟の活用策について議論を深めていく必要があると考えている。

旧広島陸軍被服支廠に係る安全対策方針(案)に対する意見募集回答(パブリック・コメント)

■なぜ建物の解体に反対するか?

1913年に造られ、百年以上を経た今もほぼ原型をとどめている旧陸軍被服支廠の倉庫は、軍都としての広島の記憶と、被爆の記憶を一つながらに伝える貴重な建物である。そこは、近代日本の戦争の歴史のなかで、広島がどのような役割を果たしたのか、また人が原爆に遭うとはどういうことなのかを、立ち止まって考えることができる貴重な場である。そして、威容を示しながら立ち並ぶ建物のすぐ近くに民家や学校がある都市風景は、広島の復興の歩みを物語るものでもあろう。

そのような風景を含めて、被服支廠の建物を残すことは、広島に生きる者の歴史的な使命であると考えられる。このことは、戦争と被爆を、これらの問題が今も続いている現在を照らし出すかたちで記憶する姿勢を、広島から内外に示すことでもある。このことを、世界中の人々は広島に期待しているはずである。建物を解体することは、広島に生きる者の使命と、世界の人々の広島への期待の両方を裏切ることになる。

旧陸軍被服支廠の建物の保存、活用の方策については、1992年6月に石丸紀興氏らがまとめて提出した「赤れんが 生きかえれ!」をはじめとする提案が民間から出されてきた。これらを十分に検討することなく、安全対策を理由に二棟解体の方針を示すことは、広島県の行政の怠慢を露呈させるものにほかならない。近隣住民の安全が問題ということであれば、その時点で可能な建物の補強などの対策を打っていくのが筋だったはずだ。

また、建物の活用に際しては、どのような方向性が建物の歴史的な意義にふさわしいか、また広島の街にどのような施設が真に必要かを、広島市とも連携しながら検討することと同時に、その議論に市民を巻き込むことが必要なはずである。これらをいずれも積極的に進めることなく、今になってあたかも解体が必然であるかのような方向性を提示するというのは、被爆地の平和行政の使命を忘れ、歴史的建造物の保存と活用について見識を深める努力を怠り、市民の意見にも耳を傾けることなく無為無策を積み重ねてきたことを、みずから表明することにほかならない。

言うまでもなく、建造物を一度壊してしまったら、けっして元には戻らない。そして、ところどころ欠けた赤煉瓦を辿り、窓の歪んだ格子や鎧戸を見つめることで想像が喚起され、被服支廠で軍服などが製造されていた時代の人々の労苦に、そして被爆し、重傷を負って倉庫に運び込まれた人々の苦悩に思いを馳せることは、建物に触れ、触れられる身体的な経験としてのみ可能である。ディジタル技術が作り出すヴァーチャル・リアリティによっては、このような経験は不可能である。

建造物がまさに物として存在することによって、人はある時空間に遭遇するのだ。そのような記憶の経験の場を、歴史的建造物を活用して創造することこそ、広島の人々に課せられているはずである。古い、いわゆる負の歴史も刻まれた建物の内部を改修し、文化的な創造の場として再生させている例は、枚挙にいとまがない。

■どのような建物の活用策があるか?

旧陸軍被服支厰倉庫の建物を継続的に活用する方途の一つとして、まず、世界のアーティストが建物のなかの空間をアトリエとして使って作品を創り、展示する、滞在型のアート・スペースとして整備することが考えられる。これだけの規模の建物であれば、耐震工事を進めながら広い空間を確保することも可能であろう。それによって規模の大きなインスタレーション作品の制作にも道が開かれる。

こうした制作と展示の空間が歴史的な建築物の内部にあることは、世界中のアーティストにとって魅力的と思われる。このことは、伊藤由紀子氏らの主催により被爆建物を主な会場に開催されてきた現代美術展、ヒロシマ・アート・ドキュメントによって実証されている。他方で、世界のアーティストが広島で想を得て制作した作品に接する者も、広島の記憶を世界的な視野の下で見つめ直すことができるにちがいない。

また、軍需施設としての建物の歴史を踏まえた被服支廠の活用策も検討されるべきだろう。その一つとして、明治期から帝国日本の植民地主義と戦争の拠点として発展した広島の歴史を、アジアの歴史を視野に入れながら省みるための史料を、建物の一つに可能なかぎり集め、閲覧できるようにすることが考えられる。

宇品港を尖端の一つとして持った帝国主義によってアジアの各地域が結びつけられてしまった歴史を振り返る場が、広島には欠けている。そのことが、アジアにおける広島の位置と歴史的な意義を自覚できない現状に結びついているのではないか。沖縄と、東南アジアも含めたアジアの各地域と、人々の対話と記憶の分有へ向けて、さらには平和のための連帯へ向けて結びつく回路を模索するための原点は、近代日本における広島の役割を、現代の問題と照らし合わせながら見つめ直すところにある。

さらに、演劇をはじめとする舞台芸術の作品を、時間をかけて制作し、上演する空間を、建物の一つに設けることも考えられる。その際、別の建物での造形芸術と協働することも考えられよう。美術にせよ、舞台芸術にせよ、滞在型の制作空間は、広島には欠けている。だが、それこそがこの街に求められるのではないか。戦争の記憶に、被爆の記憶に、さらには復興の記憶に、時間をかけて向き合い、それを解きほぐして、表現に結びつける取り組みのなかからこそ、広島から生まれ、世界へ送り出されうる作品が生まれるはずである。

このような滞在型のアートスペースの姿に関しては、廃校になった小学校(明倫小学校)の校舎と跡地を芸術振興の拠点施設として再生させた、京都芸術センターの例が参考になろう。これをはじめとする、歴史的建造物の創造的な活用策を比較検討しつつ、人々が芸術を媒介に交差し、世界的な文脈のなかで戦争、被爆、復興の記憶を甦らせる場として、旧陸軍被服支廠の建物を再生させる方策が議論されるべきと考えられる。

広島での細川俊夫のオペラ《松風》の上演へのお誘い

EHZb3NYUUAIgu_g早いもので1月が終わろうとしています。ここ広島では真冬とは思えない暖かな日が続いています。みなさまいかがお過ごしでしょうか。来たる2月15日(土)と16日(日)に、ひろしまオペラ・音楽推進委員会が主催するHiroshima Happy New Ear Opera IVとして、細川俊夫のオペラ《松風》の公演が、広島市のJMSアステールプラザの中ホールで開催されます。主催組織の委員の一人として、多くの方々にご覧いただきたいと願っています。

細川俊夫さんを音楽監督に迎え、その作品をはじめとする現代の音楽を軸とする演奏会シリーズ、Hiroshima Happy New Earでは、2012年からHiroshima Happy New Ear Operaとして、2012年から細川さんのオペラを上演しています。最初に取り上げられたのは《班女》(平田オリザ演出)で、2015年には《リアの物語》(ルーカ・ヴェッジェッティ演出)、2018年には再び《班女》(岩田達宗演出)を、いずれも能舞台を使って上演してきました。

第4回を迎える今回、満を持して《松風》を取り上げます。この作品に関しては、好評を博した2018年2月の新国立劇場での日本初演をご記憶の方も多いことでしょう。サシャ・ヴァルツさんの振り付けと塩田千春さんの美術による2011年の世界初演以来の舞台は、細川さんの音楽とともにオペラの新しい姿を、日本の観客に鮮烈に印象づけました。それによって《松風》のイメージが決定づけられている面もありますが、広島の《松風》のプロダクションは、初演のそれとはまったく異なった作品像を提示するものです。

今回も上演に能舞台が用いられます。演出を担当するのは、前回の《班女》に続いて岩田達宗さんです。昨日(1月29日)行なわれた公開リハーサルの際に岩田さんは、オペラ《松風》の台本がドイツの女性作家ハンナ・デュブゲンによって書かれたことを重視しておられました。原作を生かしながらも、男性の原作者とは異なった感性によって作られたリブレットを介することで、およそ600年前に世阿弥が能曲として書き記した内実が、現代の身体に甦ることを、岩田さんの演出は示してくれるにちがいありません。

須磨の浦の海女、松風と村雨の姉妹は、そこで出会った在原行平への恋情を募らせながらこの世を去ったわけですが、その魂のなかで、思慕の念は狂おしいまでに高まっていきます。そして、恋慕の情の高まりは、魂がこの世に回帰することによって、すなわち身体の現象において表現されうるのです。このことを、能舞台を用いた今回の演出は、オペラの第二場の姉妹の美しい二重唱から証明してくれるはずです。そして、それを可能にする音楽家も、広島でのプロダクションには集まっています。

EHZb3NkUUAAEFuZ指揮を担当するのは、2012年からずっと広島での細川さんのオペラを指揮してきた川瀬賢太郎さんです。細川さんの音楽の息遣いを一貫した流れに生かし、歌とともに豊かに響かせる川瀬さんの音楽作りは、高い評価を得てきました。そのいっそうの深まりが示されることでしょう。松風と村雨の役を歌うのも、Hiroshima Happy New Ear Operaの第1回公演から見事な歌唱を聴かせてきた半田美和子さんと藤井美雪さん。第二場の二重唱と第三場の松風のアリアは本当に楽しみです。

《松風》というオペラは、手の届かないところに他者がいるからこそ、一体となろうとするまでに思い焦がれるという人間の逆説と、そこにある懊悩からの救済の可能性もまた、他者との邂逅のうちにあるという洞察とを、風が吹き、波が打ち寄せる岸辺を感じさせる音楽によって伝えています。能舞台を用いてその魅力を凝縮されたかたちで表現する上演をぜひご覧ください。今回の公演は、キャストを含めて日本人による最初の《松風》の上演ということになります。広島からの、そして日本からの《松風》の誕生の瞬間を、多くの方とともに見届けたいと願っております。

公開リハーサルを見て、舞台が順調に仕上がってきていることを確信しました。お見逃しのないよう、お誘い合わせのうえ、チケットをお早めにお求めください。2月15日(土)、16日(日)とも、開演は14:00です。両日とも、終演後にトークが計画されています。広島県内はもとより、九州、そして関西や関東からも日帰りで、あるいは旬の牡蠣を楽しむことを込みに小旅行を兼ねてお越しいただけることでしょう。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げております。今回の《松風》の公演のプログラムにも、作品解説の小文を寄稿させていただきました。ご観覧の際にご笑覧いただけたら幸いです。

Chronicle 2019

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周防大島の夕暮れ

広島でいつになく暖かい大晦日を迎えています。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。気候が穏やかなことは、年を追うごとに寒さに弱くなる身にはありがたいとはいえ、それを手放しで喜ぶ気にはなれません。これもやはり地球規模の気候変動の影響なのではないか、という思いを拭えないからです。

今年、温暖化に対する無為無策を力を込めて批判する国連でのグレタ・トゥンベリさんのスピーチが話題になりました。その言葉は、前へ進むことが、次世代の未来を閉ざすかたちで生存の環境を破壊することでしかないことを突きつけました。にもかかわらず、列島の人々は虚妄の未来に躍らされているままです。

まず求められているのは、立ち止まって足下を見つめ直すことでしょう。どのような歴史が積み重なった現在に生きているのかを考え、生き方を変えていくことでしか生存の道筋は開かれないでしょう。そして、いわゆる「負の歴史」も刻まれた近代の遺構と向き合うことは、そのきっかけになるはずです。

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旧陸軍被服支廠の窓

現在広島県は、県当局が管理する広島市南区の旧陸軍被服支廠倉庫の三棟のうち、二棟を解体するという方針を示そうとしています。その考えには、軍都にして被爆地であることが刻まれた広島にこそ求められる、歴史への真摯さに背反する重大な問題が含まれていると思われます。歴史的な建物を残し、活用する可能性へ向けて、市民を交えて知恵を絞るのが先ではないでしょうか。

禍々しいまでの威容を湛えて立ち並ぶ被服支廠の建物は、近代日本の戦争と植民地主義の記憶と、被爆の記憶を一つながらに伝えています。その軍服工場では、朝鮮人を含む人々が苛酷な労働を強いられました。また被爆直後には、重傷を負った多くの人々がその建物に運び込まれて命を落としています。

そのような被服支廠の建物を、死者の記憶に思いを馳せながら歴史的な現在を見つめ直し、さらに広島の記憶を他の場所の記憶と照らし合わせる場として再生させる可能性を提示する小文「生存の文化の拠点としての『倉庫』の再生のために」を、若い人たちが立ち上げた「被服支廠キャンペーン」に応えて寄稿しました。ご覧いただけると幸いです。

それにしても、この一年ほど神話が消費されることによって、歴史の隠蔽が進んだ年もなかったでしょう。それによって演出された天皇の代替わりに対する「奉祝」ムードが、「オリンピック」への狂躁へと接続されるなか、幾重にも差別が組み込まれた「公」に同調する雰囲気が醸成されています。

この多幸症的な空気のなか、植民地支配下の強制労働も、人が被曝を強いられることも、生活をその原風景もろとも壊されるかたちで戦争に巻き込まれることも、現在の問題であり続けていることが、すっかり忘れられています。これらは今、日本列島に生きる人々の生を日々蝕んでいるにもかかわらず。

歴史の忘却と、前へ進むことへの幻想は表裏一体です。そこに「国民」を束ねるかたちで、現政権とその取り巻きは、人民のもの、すなわちres publicaを私物化しています。今や自分たちが犯したあらゆる不正と犯罪を隠蔽しながらメディアと官僚機構を操り、差別を問いただす表現を抑圧することが、「公」と化しつつあります。「未来」とは、この連中の利権の拡大という虚妄でしかありません。

そのような私物化のファシズムのために、天皇の代替わりの一連の行事まで利用された観すらあります。ただしそのことは、神話的な天皇制を拵えて、国民を支配の対象としながら、性急に帝国主義的な近代化を押し進めた、遅れて来た近代国家としての日本の無惨な成れの果てを示すものでもあると思われます。

日本列島ではこのような破滅的な地点にまで立ち至った近代の歴史的な過程に向き合い、それが進行する内部で、「進歩」が打ち捨ててきた歴史の残骸の一つひとつを拾い上げ、そこに沈澱した記憶から、近代の歴史を総体として捉え返す思考。その回路を探究していたのが、ヴァルター・ベンヤミンでした。

473158今年の9月20日には、二十世紀前半に文筆家として活動したユダヤ人思想家ベンヤミンの思考を、神話に抗いながら言語、芸術、歴史をその可能性において問う批評と捉え、その足跡を辿った小著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を、岩波新書の一冊として上梓することができました。

岩波新書編集部の中山永基さんはじめ、そのためにお力添えくださった方々に、この場を借りてあらためて感謝申し上げます。本書の内容については、このウェブサイトの別のページに少し詳しく記してありますのでご参照ください。すでにお手に取ってくださった多くのみなさまに心より感謝申し上げます。

本書は期せずして、ある意味ではベンヤミンが生きた時代よりも息苦しい闇のなかに送り出されることになりました。その闇のなかで、他者と、そして死者とともに生きる道を探る思考の歩みのお伴して、来年はさらに多くの方に読んでいただけたらと願っております。来年は、ベンヤミン没後80年の年です。

ちなみに、今年は彼の友人だったテーオドア・W・アドルノの没後50年の年でした。アドルノとベンヤミンの往復書簡を検討し、両者がファシズムに抗する美学の共同戦線を模索していたことを示したうえで、そのための両者の思考が、相異なった方向性を持つメディアを創る言葉の探究に結びついたことを描く論考「メディアを創る言葉へ──ベンヤミンとアドルノの書の死後の生によせて」も年末に執筆しました。

こちらは岩波新書編集部のウェブサイト「B面の岩波新書」に、「新書余滴」として掲載されております。ご覧いただけると幸いです。今年こうして一冊の小さな本とそれに関連する論考を公にできたことは幸いでしたが、哲学と美学に関する自分の研究をさらに深めて公にする仕事は、充分だったとは言えません。

EHZb3NYUUAIgu_gベンヤミンの没後80年と被爆から75年の節目を迎える2020年は、拙著を丁寧に精読してくださっている方々がいることを胸に刻みながら研究にしっかりと取り組み、その成果をお伝えできるよう努めたいと思います。併せて、芸術に関わる仕事にも、力の及ぶ範囲で取り組んでいきたいと考えています。来年2月には早速、広島で細川俊夫さんのオペラ《松風》の公演があります。

今年も音楽と美術にまたがるかたちで、芸術に関する小文を公にする機会に恵まれました。それを設けてくださった方々に感謝申し上げます。とくに、広島交響楽団のディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethovenのプログラム・ノートを、連載のように執筆する機会をいただいたことは幸いでした。それによって、この二人の作曲家とその音楽について学ぶことができました。

今年一年のみなさまのご支援やご指導に心より感謝申し上げます。来たる2020年がみなさまにとって、少しでも幸多く平和な年であることを願っております。変わらぬご指導のほどよろしくお願いいたします。

■Chronicle 2019

  • 2018年12月27日:神戸・ユダヤ文化研究会の雑誌『ナマール』第23号に、「天使の変貌──ベンヤミンにおける言語と歴史をめぐる思考の像」と題する論文が掲載されました。パウル・クレーの《新しい天使》を手に入れて以来、ベンヤミンの生涯の節目に、ないしは危機に彼の著作に描き出された天使の像を、言語と歴史を徹底的に問う彼の思考を読み解く鍵として検討するものです。
  • 1月12日:フタバ図書MEGA祇園中筋店で「今、地域で生きる/暮らすということ」第2回として開催された森元斎さんのトークで聞き手を務めました。
  • 3月6日:佐藤零郎監督の映画『月夜釜合戦』の批評新聞『CALDRONS』に、「手つきと身ぶり──広島で『月夜釜合戦』を『山谷──やられたらやりかえせ』とともに観て」と題する批評が掲載されました。2018年1月13日、『山谷──やられたらやりかえせ』の監督の一人山岡強一の命日に、この映画と『月夜釜合戦』を観たのを踏まえ、後者を前者に対する応答と捉えるとともに、両者の対照を指摘し、佐藤零郎監督の劇映画『月夜釜合戦』の独特の特徴を浮き彫りにする映画評です。
  • 3月9日:東京文化会館小ホールで開催された演奏会「現代音楽と能〜くちづけ」のプログラムに、「閾(しきい)を開く声──青木涼子の謡の展開によせて」と題する小文が掲載されました。現代音楽と協働しながら彼岸と此岸の閾を開き、うたう可能性を開拓し続けている青木さんの活動を、パリでの細川俊夫さんの《二人静》の初演のことを含めて伝える内容のものです。
  • 3月21日:神戸大学で開催された第14回形象論研究会で、クリストフ・メンケの美学について研究報告を行ないました。
  • 4月〜7月:広島市立大学国際学部の専門科目として、共生の哲学I、社会文化思想史II、専門演習I、卒論演習I、そして多文化共生入門と国際研究入門の一部を担当しました。多文化共生入門ではコーディネーターも務めました。全学共通系科目の世界の文学の2コマと平和と人権Aの1コマも担当しました。大学院では、全研究科共通科目の人間論A、国際学研究科の現代思想Iを担当しました。広島大学の教養科目である戦争と平和に関する学際的考察でも、2コマの講義を担当しました。
  • 4月6日:国際交流基金のウェブ・マガジン『をちこち』に寄稿した「魂の息吹が交響する場を開く作品の予感 ──2018年度国際交流基金賞受賞記念イベント「越境する魂の邂逅」における文学と音楽の共鳴に接して」と題するエッセイの英語訳“Premonitions of Works Where Souls Reverberate”が、同ウェブ・マガジンに掲載されました。
  • 4月14日:本願寺の聞法会館で開催された公開シンポジウム「『戦争/暴力』と人間 ──美術と音楽が伝えるもの」第2回「総力戦体制下の芸術」で、司会とコメンテイターを務めました。
  • 5月17日:広島交響楽団ディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethoven第1回演奏会のプログラムに、プログラム・ノートを寄稿しました。
  • 6月1日〜11日:Erasmus Plusにもとづくハノーファー専科大学(Hochschule Hannover)と広島市立大学の交流事業に参加しました。ハノーファー専科大学の第V学部で二つの講義を行ない、同学部などに属する教員との交流を深めました。
  • 6月15日:批評誌Mercure des Artsに、「初夏のドイツへの旅より──ベルリンとブラウンシュヴァイクで接した公演を心に刻む」と題する批評が掲載されました。2019年6月1日から11日にかけてハノーファーとベルリンに出張した際に接したオペラの公演と演奏会の批評で、6月5日にブラウンシュヴァイク州立劇場で観たミェチスワフ・ヴァインベルグのオペラ《女船客》の公演の批評を、作品の紹介を交えて記したほか、6月8日のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会におけるマリア・ジョアン・ピレシュの演奏の批評を、彼女のピアニズムと教育活動に論及するかたちで記しました。
  • 6月17日:JMSアステールプラザで開催されたひろしまオペラ・音楽推進委員会主催の演奏会Hiroshima Happy New Ear XXVII:次世代の作曲家たちVIの終演後のトークで進行役を務めました。
  • 7月19日:「本とうつわの小さな店」READAN DEATで開催された瀬尾夏美さんの著書『あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる』(晶文社、2019年)の出版記念トーク・イヴェントで、瀬尾さんと対談しました。
  • 9月12日:武生国際音楽祭の武生国際作曲ワークショップにて、「芸術のなかの批評──ヴァルター・ベンヤミンの美学を手がかりに」と題するレクチャーを行ないました。ベンヤミンのロマン主義論とバロック悲劇論、そして「技術的複製可能性の時代の芸術作品」の議論が、批評を組み込んだ芸術の姿を提示していることを示し、作曲家がみずからの方法論を歴史的文脈のなかで反省することの重要性を問いかけました。
  • 9月18日:立命館大学衣笠キャンパスで開催されたジェノサイドと奴隷制を考えるブレイン・ストーミングで「M・ヴァインベルグとその《女船客》」と題するレクチャーを行ないました。ヴァインベルグの生涯と音楽、そしてそのオペラ《女船客》を紹介しました。
  • 9月20日:岩波新書の一冊として『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓しました。最新の研究にもとづくヴァルター・ベンヤミンの思想への入門書となる評伝です。時代の危機を見通しながら、その危機のうちに決定的な岐路を見て取るベンヤミンの思考を批評と特徴づけながら、それが言語とは、芸術とは、そして歴史とは何かを、これらを生きる可能性へ向けて根底から問うていることを浮き彫りにしました。戦争とファシズムの時代を生きたベンヤミンの足跡から彼の言語哲学、美学、歴史哲学を描き出し、著作への入り口を示す一書で、略年譜と主要参考文献一覧も付されています。
  • 9月28日:ひろしまオペラルネッサンス2019年度公演モーツァルト《魔笛》プログラムに、プログラム・ノート「『人間』を問う特異な歌芝居(ジングシュピール)──モーツアルトの《魔笛》によせて」が掲載されました。作品成立の背景とともに、これが「歌芝居(ジングシュピール)」として書かれていることを踏まえながら、《魔笛》という作品において自由な人間の尊厳が歌い上げられる一方で、「人間」と認められていない者の側から「人間」であること自体への問いが今に鋭く突きつけられていることを指摘するものです。
  • 10月〜2019年2月:広島市立大学国際学部の専門科目として、共生の哲学II、社会文化思想史I、卒論演習IIを担当しています。全学共通系科目として、哲学Bも担当しています。これに加え、広島大学の教養科目哲学Aを担当しました。
  • 10月1日:日本社会文学会の会報『社会文学通信』に、「岩崎稔氏の基調講演印象記」が掲載されました。6月30日に早稲田大学で開催された日本社会文学会2019年度春季大会のシンポジウム「歴史学と文学──言語論的転回以後を考える」で岩崎稔さんが基調講演を行ないましたが、ヘイドン・ホワイトの『メタ・ヒストリー』とそれ以後の彼の理論の展開に定位しつつ、修辞学の伝統を重視するホワイトの議論の可能性を、出来事を語る可能性へ向けて掘り下げる講演の趣旨を紹介したものです。
  • 10月4日:広島交響楽団ディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethoven第2回演奏会のプログラムに、プログラム・ノートを寄稿しました。
  • 10月12日:小山市立車屋美術館での呉夏枝さんの個展「手にたくす、糸へたくす」のカタログに、「記憶の多島海へ──呉夏枝のほぐす芸術によせて」と題する評論が掲載されました。作家の芸術の歩みを、記憶の越境的な継承の可能性へ向けて論じるものです。
  • 10月15日:批評誌Mercure des Artsに、「30回目の武生国際音楽祭に参加して」が掲載されました。今年30回目を迎えた武生国際音楽祭にゲスト講師として参加しての報告です。9月の音楽祭で新たな音楽が生まれた様子を伝えると同時に、音楽家が出会い、世界的な音楽創造の芽が育まれる場として続いてきた武生国際音楽祭の意義にも触れました。
  • 10月22日:8・6ヒロシマ大行動実行委員会が主催した拡声器規制問題に関する第2回公開討論会(広島市東区民文化センター)にパネリストの一人として参加しました。平和祈念式典のあり方を、市民自身がどのように考えるか、という問いを広く共有することが必要であることなどを論じました。
  • 11月2日:広島市立大学広島平和研究所の直野章子さんが主催したシンポジウム「記憶の存在論と歴史の地平」に、ディスカッサントとして参加し、「記憶から歴史を問う──想起の経験から歴史の地平を開くために」と題する問題提起を行ないました。
  • 11月15日:中国文芸研究会の主催によりハナワインで開催された拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』の合評会に参加しました。
  • 11月19日:NHK交響楽団のウェブサイトに、「エルネスト・ブロッホとその音楽のユダヤ的要素」と題した小文が掲載されました。ブロッホのヘブライ狂詩曲《ソロモン/シェロモ》をはじめ、彼の「ユダヤ連作 Jewish Cycle」を中心に、彼の音楽のユダヤ的な要素を焦点とした小伝です。
  • 12月5日:広島交響楽団ディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethoven第3回演奏会のプログラムに、プログラム・ノートを寄稿しました。
  • 12月22日:福岡のブックカフェ本のあるところajiroにて、「ベンヤミンを読み始めるために──『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を入り口に」と題するトークを行ないました。ベンヤミンがどのような時代に生き、またそのなかでどのような問いに取り組んだかを、拙著『ヴァルター・ベンヤミン』に沿ってお話ししました。
  • 12月23日:被服支廠キャンペーンのnoteに、「生存の文化の拠点としての『倉庫』の再生のために」と題する小文を寄稿しました。被服支廠の建物の一角で繰り広げられた被爆死の光景を描く峠三吉の「倉庫の記録」を読み直したうえで、総力戦と被爆の記憶を一つながらに伝えるこの赤煉瓦の建物を、戦争と核開発の歴史に立ち向かう想起の文化が創られる空間として再生させる可能性を探る文章です。
  • 12月29日:岩波新書編集部のウェブサイト「B面の岩波新書」の連載「新書余滴」として、「メディアを創る言葉へ──ベンヤミンとアドルノの書の死後の生によせて」と題する論考を寄稿しました。拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』のとくに後半部の補遺として、ベンヤミンとアドルノの1930年代後半の往復書簡を読み解き、その思想の相即と背馳を検討しました。

神無月の仕事──『ヴァルター・ベンヤミン』刊行から一か月を経て

十月も下旬というのに、ここ広島ではまだ日中の気温が高く、何を着て出かけるか迷う今日この頃です。先月から今月にかけて、二つの巨大な台風が相次いで列島を襲い、ご存知のとおり、痛ましい被害が各地に深い傷を残しています。被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

473158さて、先月20日に岩波新書の一冊として拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓してから一か月が経ちました。この間すでに、いくつもの温かいお言葉をいただいております。読者のなかには文字通り精読してくださっている方もおられて、著者冥利に尽きると感じております。

拙著『ヴァルター・ベンヤミン』をいち早くお手に取ってくだり、ご感想をお寄せくださった方々に心より感謝申し上げます。おかげさまで、この種の書籍としては比較的多くの読者の手許に届いているようです。拙著は、図書新聞の第3421(2019年11月2日)号の「ポケットブック」のコーナーをはじめ、各種媒体でも紹介され始めています。

今、思わぬかたちで、ベンヤミンが抱いていた問いがアクチュアリティを帯びていると感じています。その一つは、拙著の主に第四章で論じた、今芸術は何でありうるかという問いではないでしょうか。彼は、知覚経験が変容し、従来の意味で「美しい」芸術作品が成り立ちえなくなっている状況のなかで、芸術が、そして作品がどのようにありうるかを、同時代の芸術の動きを見据えながら問うています。

あいちトリエンナーレとその「表現の不自由・その後」展をめぐっては、芸術は民衆に役立つものであるべきだといった、民衆を上から統治の対象としてしか見ていない言説も聞かれました。しかし、ベンヤミンはむしろ、そのような対象とはならない民衆そのものが生じる媒体として、芸術作品が創造される可能性を、新たな、批評を内在させた芸術のうちに見届けようとしていました。

こうして、ベンヤミンの思考が取り組んだ問題がアクチュアリティを帯びて浮上することは、同時に彼が生きた時代よりもその闇が深まったことの徴候でもあるでしょう。とくに、行き交う情報のいっそうの断片化が進むなか、歴史修正主義が精神を蝕むかたちで浸透しつつあることは、排他的ないし排外主義的な暴力としても現われながら、現代の闇を深めていると感じています。

ベンヤミンの著作には、こうした現在の闇の要因を見通しながら、そのなかを歩むことへ向けた思考のきっかけや手がかりが含まれていると考えて、拙著を公にしました。彼の批評的な思考の足跡を、彼の生涯のなかに浮かび上がらせた拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を書店で見かけられたら、お手に取っていただけると幸いです。

71293874_2691610117558010_7584518907336065024_oところで、今月は芸術に関わる仕事をいくつか公にすることができました。機会を与えてくださった方々に感謝申し上げます。まず、10月4日に開催された広島交響楽団のディスカバリー・シリーズHosokawa×Beethovenの第2回演奏会のプログラムに、曲目解説を寄稿させていただきました。

この演奏会では、何よりも細川さんの《月夜の蓮》を望みうる最高の演奏で聴けたのが嬉しかったです。児玉桃さんの明晰でありながら、豊かな歌に貫かれたピアノに、下野竜也さんが指揮するオーケストラが見事に応えて、生気に満ちた流れた生まれていました。

72554808_2726928977359457_3251842159254437888_oまた、10月12日から栃木県の小山市立車屋美術館で始まった呉夏枝さんの個展「手にたくす、糸へたくす」のカタログにも、「記憶の多島海へ──呉夏枝のほぐす芸術によせて」と題する小文を寄稿させていただきました。作家の芸術の歩みを、記憶の越境的な継承の可能性へ向けて論じるものです。

糸を扱う手仕事によって、言葉にならなかった記憶の気配を伝える空間を開き、その継承の回路を紡いできた呉夏枝さんの仕事の多彩さを伝える展示も楽しみなところです。この機会に、多くの方に彼女の芸術に触れていただきたいと思います。

それから、10月15日に発行された芸術批評誌『Mercure des Arts』の第49号には、今年30回目を迎えた武生国際音楽祭にゲスト講師として参加しての報告を寄稿させていただきました。9月の音楽祭で新たな音楽が生まれた様子を伝えると同時に、音楽家が出会い、世界的な音楽創造の芽が育まれる場として続いてきた武生国際音楽祭の意義にも触れました。ご一読いただけると幸いです。

10月22日には、8・6ヒロシマ大行動実行委員会が主催した、拡声器規制問題に関する第2回公開討論会にパネリストの一人として参加しました。その際、毎年8月6日に開催される平和祈念式典のあり方を、市民自身がどのように考えるか、という問いを広く共有することが必要であることや、式典会場周辺での拡声機使用を条例で規制することは、表現の自由に抵触する危険があることなどを論じました。

討論会では、平和祈念式典の成り立ちを歴史的に検証することへの問いを含め、さまざまな視点からの発言があって、多くを学ぶことができました。あいちトリエンナーレに対する文化庁の補助金不交付の問題とも通底するものを含んだ拡声器規制問題については、広島に注目する世界中の人々を失望させることにならないよう、市当局の動きなどを注視していきたいと考えています。

71184137_3005860276108036_4509768596271923200_o来たる11月2日には、勤務先の大学の広島平和研究所の直野章子さんが主催されるシンポジウム「記憶の存在論と歴史の地平」に、ディスカッサントとして参加させていただきます。直野さんはじめ、このテーマをめぐる研究をリードしている学者が顔を揃えるこのシンポジウムにご関心のある方は、広島市立大学のサテライトキャンパスへお越しください。参加は無料です。

11月中旬からは、拙著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』の合評会や刊行記念のトークなども続きます。12月22日に開催される福岡市の書店&カフェ「本のあるところajiro」でのトークについては、広報も始まっています。これらについては、FacebookTwitterでも情報を発信していきたいと考えております。拙著にご関心のある方とお会いできることを、心から楽しみにしております。

もうしばらくしたら、広島にも紅葉の季節が訪れます。それとともに朝晩は冷え込むことでしょう。台風やその後の大雨のために避難生活を余儀なくされている方々にとっては、寒さがとりわけ厳しくなると思います。どうかみなさまお身体大切にお過ごしください。

小著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓します

473158このたび岩波新書の一冊として、『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓します。19世紀末のベルリンに生を享け、20世紀の前半に文筆家として活動したユダヤ人思想家ヴァルター・ベンヤミン(1892〜1940年)の批評としての思考の歩みを、その生涯とともに描き出そうとする一書です。これを80年を超える伝統のある新書の一冊として世に送る機会をいただいたことを、身に余る光栄と感じております。ベンヤミンという名前が気になる人にとっても、あるいはその名を初めて聞く人にとっても、この思想家が二つの世界大戦とファシズムの時代にどのような現実と向き合っていたのか、またそのなかで何を問うていたのかが伝わるように書いたつもりです。この文字通りの小著をつうじて、ベンヤミンという人物と、言語、芸術、歴史の本質に迫る彼の思考に興味を持っていただけたら幸いです。

副題は「闇を歩く批評」としました。そこに含まれる言葉がどこから来ているかは、本書の前半をお読みいただければお判りになるかと思いますが、基本的にはベンヤミンの思考を、批評として浮き彫りにしようという意図を込めて、そのような副題を付けた次第です。ベンヤミンの思考は、彼が生きた時代の危機を見通しながら、その危機のうちに決定的な岐路を見て取っていました。それは「分かつ」ことを意味するギリシア語の語源(クリネイン)に照らしても、批評(クリティーク)だったと言えます。しかも、こうして言わば存亡の危機のただなかに活路を見いだそうとするなかで、彼の思考は、言語とは、芸術とは、そして歴史とは何かを、これらを生きる可能性へ向けて根底から問うています。本書では、そのような哲学的な思考が、具体的な文学作品などの批評をつうじて展開されていることにも迫ろうとしました。

こうしてベンヤミンの徹底的な思考の足跡を辿るとは、言うまでもなく同時に、彼が生きた時代を、彼をめぐる人間関係とともに浮かび上がらせることでもあります。ベンヤミン自身が戦地へ赴くことはなかったとはいえ、第一次世界大戦は、彼のなかに深い傷を残すと同時に、経験される現実の崩壊を突きつける出来事でもありました。また、ファシズムの台頭は、ユダヤ人の彼に亡命を強いることになりますが、これはやがて第二次世界大戦として現実となる、人間が自分自身の技術によって、みずからの滅亡を可能にしてしまう状況を用意するものと、彼には映っていました。そのような苛酷な時代に生きることを支えたのが、ゲルショム・ショーレムやハンナ・アーレント、あるいはテーオドア・W・アドルノといった友人たちとの交流でした。本書にはこれらの友人に宛てたベンヤミンの書簡も、著作とともに引用されています。

友人からの音信を支えとしながら、ベンヤミンは、時代の闇のなかを歩み抜こうとしました。彼は絶望的にも見える状況の内部に、生存の道筋を見いだそうとしたのです。このことは亡命期の彼の生きざまにも色濃く表われていますが、何よりも彼の抵抗としての思考の姿にはっきりと示されています。ベンヤミンの思考は、絶えず歴史と対峙しながら、そのなかに息を通わせる余地を切り開こうとしたのです。そのことは具体的には、けっして何かの道具として使われることのないかたちで言葉を、芸術を、そして歴史を生きる道筋を探るところに表われていると考えられます。本書では、このような思考の足跡を、アーレントがベンヤミン論を含む人物論集の表題として語った「闇の時代」の生涯のなかに浮き彫りにすることを試みました。「闇を歩く批評」という副題には、そのことも込められています。

さて、このようにして闇を歩いた思考の足跡を辿るとは、いくつもの点でベンヤミンの時代よりも深まった現代の闇を内側から照らし、ますます息苦しい社会を生き抜くための問いを立てる手がかりを、彼が残した言葉のなかに探ることであるはずです。それは、ベンヤミンの批評の書を読むことにほかなりません。本書は、そのための入り口として書かれています。彼の著述の引用を交えた叙述と、巻末に付した読書案内を兼ねた参考文献一覧を手がかりに、ベンヤミンの著作や書簡に触れていただけるとするなら、著者にとってこれ以上の幸いはありません。以下に本書の目次を掲げますので、参考にしていただけたらありがたいです。「インテルメッツォ」としてアーレント、それからパウル・クレーの絵画芸術とベンヤミンの関係に触れたコラムも設けました。写真もできるだけ多く収録しました。

本書は、2014年に上梓した『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)に込められた研究、2018年7月に刊行された『思想』誌(岩波書店)のベンヤミン特集に寄稿した論文に至る、歴史哲学についての研究、さらには並行して続けてきた美学についての研究と各地での調査を基に、今問いを喚起しうるベンヤミン像を描き出そうと試みるものです。ベンヤミンを主題とした新書としては、1991年に刊行された高橋順一さんの『ヴァルター・ベンヤミン──近代の星座』(講談社現代新書)以来の一冊となります。これとは異なったアプローチでベンヤミンの思考の内実に迫ろうとする小著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を、お手に取っていただけたら嬉しいです。本書は、ベンヤミンの79回目の命日の一週間ほど前に当たる2019年9月20日に発売されます。

■『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』目次

プロローグ──批評とその分身

  • 第一節 せむしの小人とともに
  • 第二節 天使という分身

第一章 青春の形而上学──ベルリンの幼年時代と青年運動期の思想形成

  • 第一節 世紀転換期のベルリンでの幼年時代
  • 第二節 独自の思想の胎動
  • 第三節 「青春の形而上学」が開く思考の原風景
  • 第四節 友人の死を心に刻んで

インテルメッツォⅠ クレーとベンヤミン

第二章 翻訳としての言語──ベンヤミンの言語哲学

  • 第一節 言語は手段ではない
  • 第二節 言語とは名である──「言語一般および人間の言語について」
  • 第三節 翻訳としての言語
  • 第四節 方法としての翻訳──「翻訳者の課題」

第三章 批評の理論とその展開──ロマン主義論からバロック悲劇論へ

  • 第一節 芸術批評の理念へ──『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』
  • 第二節 神話的暴力の批判──「暴力批判論」
  • 第三節 文芸批評の原像──「ゲーテの『親和力』」
  • 第四節 バロック悲劇という根源──『ドイツ悲劇の根源』

第四章 芸術の転換──ベンヤミンの美学

  • 第一節 人間の解体と人類の生成──『一方通行』と「シュルレアリスム」
  • 第二節 アレゴリーの美学──バロック悲劇からボードレールへ
  • 第三節 知覚の変化と芸術の転換──「技術的複製可能性の時代の芸術作品」
  • 第四節 中断の美学──ブレヒトとの交友

インテルメッツォⅡ アーレントとベンヤミン

第五章 歴史の反転──ベンヤミンの歴史哲学

  • 第一節 近代の根源へ──『パサージュ論』の構想
  • 第二節 経験の破産から──「フランツ・カフカ」と「物語作家」
  • 第三節 想起と覚醒──『パサージュ論』の方法
  • 第四節 破壊と救出──「歴史の概念について」

エピローグ──瓦礫を縫う道へ

  • 第一節 ベンヤミンの死
  • 第二節 瓦礫を縫う道を切り開く批評
  • 第三節 哲学としての批評

ヴァルター・ベンヤミン略年譜

主要参考文献一覧

あとがき

※書籍情報のポータルサイト「版元ドットコム」の本書のページでも、本書についてのさまざまな情報が得られます。書店の在庫状況も確認できるので便利です。本書はお近くの書店のほか、Amamzon.co.jp楽天ブックスhonto紀伊國屋BookwebHMV&BOOKSセブンネットショッピングe-honなどでご購入いただけます。

初夏の仕事

もう七月の下旬だというのに、梅雨の長雨は止みそうにありません。しばらくは豪雨と土砂災害にも警戒が必要な様子です。どうかお気をつけてお過ごしください。

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ハノーファーのリンデンにあるハンナ・アーレントの生家跡の銘板

さて、6月の初旬に、ハノーファー専科大学(Hochschule Hannover)と勤務先の広島市立大学の交流事業のために、ドイツのハノーファーに短期間滞在しました。ハノーファーと広島が姉妹都市であることを背景に、両大学のあいだには交換留学に関する協定があり、双方の学生が毎年数名ずつ派遣されています。今回は、教育交流の促進のための事業に、私を含め三名の教員が広島市立大学から派遣されました。

6月3日に、ハノーファー専科大学の第V学部という、社会福祉などを専門とする学部で、この地に生まれたハンナ・アーレントの思想の一端に触れながら、他者との共生をテーマとする講義を二回行ないました。学生たちは非常に拙い話をとても熱心に聴いてくれて、質問もしてくれました。紹介したアーレントの複数性の概念でリポートを書きたいと申し出た学生もいたそうです。

次の日には、講義に招いてくれた倫理学が専門の教員が、リンデンという地区にあるアーレントの生家の跡に連れて行ってくれました。彼女がこの生家で暮らしたのは三年ほどとごく短いのですが、今は薬局に使われている建物の片隅に、生家だったことを示すプレートが掲げられています。それを眺めながら、それぞれ違った人々のあいだにいることを振り返り、人間の複数性を実現する行為の現代における重要性を、あたためて思いました。他者とのあいだを開き、社会の風通しをよくすることは、日本では急務でしょう。

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アントン・ウルリヒ公爵美術館外観

6月5日は、用務が早く終わったこともあり、隣町のブラウンシュヴァイクまで足を伸ばし、フェルメールの《ワイングラスを持つ少女》があるアントン・ウルリヒ公爵美術館の展示(レンブラントのコレクションと、一枚だけあるジョルジョーネの作品がとくに素晴らしかったです)をひと通り見た後、当地の州立劇場ミェチスワフ・ヴァインベルクのオペラ《女船客(パサジェルカ)》の上演を観ました。今シーズンの最終回の公演でした。以前から関心があった作品の実演に接することができました。

この上演の印象と、6月8日にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で思いがけず聴くことができたマリア・ジョアン・ピレシュの演奏の印象を記した拙文が、批評誌『Mercure des Arts』の第46号に「初夏のドイツへの旅より──ベルリンとブラウンシュヴァイクで接した公演を心に刻む」と題して掲載されています。ご笑覧いただければ幸いです。ハノーファーでの仕事が終わった後、ベルリンに寄ったわけですが、その際にはハンブルク駅現代美術館のエーミール・ノルデ展とブリュッケ美術館の特別展「絵画への逃避か」を観ることができました。その印象は、すでに別稿に記してあります。

65911415_2530871616965195_5595289591419502592_oさて、7月19日には、広島市中区本川町にある「本とうつわの小さな店」READAN DEATを会場に、瀬尾夏美さんの著書『あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる』(晶文社、2019年)の出版記念トーク・イヴェントが開催され、その際対談のお相手を務めました。

瀬尾さんは、東日本大震災後の「復興」が進みつつある陸前高田市を活動の拠点に、そこに生きる人々、旅先で出会った人々、そしてこれらの人々のなかに死者が抱え込まれていることと対話しながら、人々が体験したことの「語りえなさ」にも寄り添う繊細な思考を重ねてこられました。

これを瀬尾さんは最近、魅力的な一冊『あわいゆくころ』にまとめられたところです。その内容をめぐって瀬尾さんと、西日本豪雨の災害から一年が経った、そして被爆から74年となる8月6日が巡って来ようとしている広島でお話することには、やはり特別な意味があると感じています。

瀬尾さんとご一緒するのは、昨年の1月16日に広島市現代美術館で開催された小森はるか+瀬尾夏美「波のした、土のうえ」巡回展のスピンオフ企画として開催されたトーク・セッション「仙台から/広島から」以来ということになります。そのときも、瀬尾さんと小森さんの変貌していく風景への眼差しと、そのなかから編み出された表現の姿に、強い感銘を受けました。

当日は雨模様のなか、26名を数える方々にお集まりいただき、心から感謝しております。瀬尾さんから、この魅力的な一冊がどのようにして綴られたかとともに、小森はるかさんとの映像作品にも表われている、物語を他者とともに紡ぎだす作業についても興味深いお話をうかがって、今物語るとはどういうことか、という問いをめぐって、集まってくださったみなさまとともに多くのことを考えることができました。

その過程で、本のなかで語られる、「物語ることは弔いに似ている」という洞察について、少しだけ理解が深まった気がします。霊媒的でもあり、天使のような媒介者でもあるような、媒体としての物語。哀悼と傷の労りを織り込みながら、これを他者とのあいだで紡いでいく仕事が響き合うなかで、出来事が照らし出されてくる可能性は、ここ広島でも、他の場所との関係を視野に収めつつ掘り下げられる必要があると、あらためて痛感したところです。

以前から気になっていた、記憶と物語の関係について、少し整理しながら考える機会になりましたし、そのために多くのことを教えられました。瀬尾さんとこのような場を持つことができたことを心から感謝しています。一端を最後にご紹介いただきましたが、『あわいゆくころ』以後のお仕事の展開も楽しみにしているところです。

シンポジウム「『戦争/暴力』と人間──美術と音楽が伝えるもの」第2回「総力戦体制下の芸術」のお知らせ

51666037_1275443149272437_7188597255643856896_o来たる4月14日(日)の午後、京都の本願寺に併設されている聞法会館にて、「『戦争/暴力』と人間──美術と音楽が伝えるもの」をテーマとするシンポジウムのシリーズの第2回が開催されます。このシリーズは、「ヒロシマと音楽」委員会の委員長で、音筆舎も主宰されている能登原由美さんのコーディネイトによるものです。すでに第1回のシンポジウムが、昨年の9月1日に原爆の図丸木美術館で行なわれています。第2回は「総力戦体制下の芸術」を問うシンポジウムとして、日本音楽学会西日本支部の特別例会としても開催されます。第1回に続いて、司会とコメンテイターの役を務めることになっています。

第1回のシンポジウムでは、戦争とその記憶を美術と音楽がどのように表現しえたか、あるいはしえなかったか、また社会に構造化されたものを含めた暴力の問題に芸術がどのように迫ってきたか、といった問いに、時代的にも広い視野の下で取り組みました。今回は、とくに日本の「総力戦体制」下の美術と音楽に焦点を絞り、1931年の満州事変から15年にわたった日本の戦争に芸術が、そして芸術家がどのように関わったかを、戦後とのつながりも視野に入れながら問うことになります。そのためにまずは、1930年代から40年代にかけての日本の美術と音楽の動向を捉える必要があるはずです。今回のシンポジウムには、これについて重要な歴史的研究を重ねてこられた方々を、パネリストにお迎えすることになっています。

52141248_1275443282605757_7223594556137144320_o美術史家の平瀬礼太さんは、『彫刻と戦争の近代』(吉川弘文館)をはじめとする著書が示すように、日本の戦争の時代に彫刻と絵画の双方が、戦時体制に巻き込まれながらどのように展開してきたかを抉り出してこられました。また、音楽史家の戸ノ下達也さんは、『音楽を動員せよ──統制と娯楽の十五年戦争』(青弓社)などの著書が示すように、戦時下に音楽界が批評家をも巻き込みつつどのように組織化されていったか、それをつうじて音楽がどのように運動として展開したかを掘り起こす研究を繰り広げてこられました。お二人のご発表からは、1930年代からの総力戦体制の形成と浸透に、美術と音楽がどのように関わったか、そしてそこにどのような思考が作用していたのかを掘り下げる視点が示されることでしょう。

最近『亡命者たちの上海楽壇──租界の音楽とバレエ』(音楽之友社)を出された井口淳子さんは、長年民族音楽を含めた近代アジアの音楽を研究されていますが、この著書が示すように、最近は20世紀前半の上海やハルビンにおける音楽文化を発掘する研究に力を入れておられます。井口さんの発表からは、これら「外地」で、戦時下に亡命者らとの交流のなかから展開した芸術が、日本の戦後における芸術の展開にどのように結びついたかを見通す視点が提示されることでしょう。その視点と、「内地」における芸術の戦争との関わりをめぐる戦後も清算されていない問題を摘出する視点とを照らし合わせることによって初めて、「総力戦体制下の芸術」の姿を重層的に、かつ両義性を孕んだものとして捉えることができるはずです。

このように今回1930年代から40年代にかけての「総力戦体制下の芸術」を問うのは、とりもなおさず、新たな総力戦体制が作られつつあるとも見える現在を、歴史的な現在として可能なかぎり鮮明に照らし出すためです。今どこに生きているのか、その地点はどのような歴史の延長線上にあるのか、そこで何が身に起きようとしているのか、そしてその際に芸術ないし美的なものは、どのような役割を果たすのか、といった問いに向き合う契機を、登壇者を含めた参加者それぞれが、議論のなかから取り出すことができるならば、シンポジウムは有意義であったことになるでしょう。入場は無料で、どなたでもご参加いただけるとのことです。テーマにご関心のある方は、ぜひ奮ってご参加ください。心よりお待ち申し上げております。

公開シンポジウム「戦争/暴力」と人間 ──美術と音楽が伝えるもの
第2回「総力戦体制下の芸術」(日本音楽学会西日本支部特別例会)
日時:2019年4月14日(日)13:30~17:00
会場:本願寺聞法会館研修室1
(JR京都駅より徒歩18分、市バス9、28、75番で西本願寺前下車)
パネリスト/発表テーマ:
1. 平瀬礼太(愛知県美術館)「戦時体制と絵画・彫刻 1930~40年代」
2. 戸ノ下達也(洋楽文化史研究会)「1930〜40年代・音楽文化の諸相」
3. 井口淳子(大阪音楽大学)「外地、ハルビン、上海から戦後日本の楽壇とバレエ界への連続性」
司会/コメンテーター:柿木伸之(広島市立大学)
コーディネーター:能登原由美(大阪音楽大学)
*入場無料、非会員歓迎
お問い合わせ:onpitsusya@yahoo.co.jp
シンポジウム・ウェブサイト:https://onpitsusya.jimdofree.com/

早春のヴィーンへの旅より

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プラーターの大観覧車

三月の末、およそ五年ぶりにヴィーンを訪れた。到着してしばらくは、小雨交じりの天気で肌寒かったが、やがて春の陽射しに木々の葉が映えるようになった。今回は家族での旅行だったため、プラーターのような独りでは絶対に訪れないであろう場所へも行ったが、その日はちょうど晴れていて、キャロル・リードの映画『第三の男』で知られるようになった観覧車のゴンドラの窓から、ヴィーンの街を望むことができた。やや寂れた雰囲気の遊園地で遊んでいたのは、ほとんどが外国人観光客とその子どもだった。

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ハイリゲンシュタットの小道

思うところがあってハイリゲンシュタットにあるベートーヴェンの博物館を訪れた日も、よく晴れていた。リングの東側を通る路面電車のD線を、ベルヴェデーレのあるレンヴェーク方面とは反対方向の終点ヌスドルフまで乗って、ベートーヴェンの散歩道として知られる小道を歩くと、作曲家としてもピアニストとしても忙しくなって、健康を壊すことが多くなり、かつ難聴も進み始めた作曲家が、医師に勧められてしばしば訪れるようになったハイリゲンシュタットの自然を愛した気持ちが、今は少し分かる気がする。

交響曲第2番などの作品と「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた家を改装して最近造られた博物館の展示は、若いベートーヴェンがボンからヴィーンへやって来た頃からの生涯を、六つの章に分けて描く構成になっていた。どのような環境と人間関係のなかで作曲が行なわれていたかを、同時代のドキュメントを含む豊富な資料によって描き出す展示と言えよう。帰りがけに、自筆稿のファクシミリと日本語訳の付いた「遺書」を買い求めた。これから折々に他の文献とともに参照することになるだろう。

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ベートーヴェン博物館の外観

ともあれ、ヴィーンを訪れたのは、家族で演奏会やオペラの上演などに通うためだが、3月29日にヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴くことができたのは幸運だった。楽友協会のホールでの定期演奏会のソワレを指揮したのは、アンドリス・ネルソンス。ベートーヴェンの交響曲第4番変ロ長調と第5番ハ短調というプログラムだった。彼が指揮するもう少し先の演奏会も、交響曲を中心とするベートーヴェンの作品のプログラムと予告されていたので、もしかすると交響曲のツィクルスが計画されているのかもしれない。

ネルソンスのアプローチは、モダン楽器のオーケストラの機能を最大限に生かすなかに、楽譜に書かれた音楽のダイナミズムを響かせようとするものと言えよう。なかでも彼が引き出した響きの強度には圧倒される思いだった。とくに、12人の第一ヴァイオリン奏者をはじめとする全オーケストラが、第4交響曲の最初の楽章の序奏から主部への移行の際に、エネルギーに充ち満ちたフォルティッシモを響かせたのには、瞠目させられた。もちろんその強さは、そこに至る序奏のピアノを基調とした凝縮度の高い歩みがあってこそ生きている。

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ベートーヴェン博物館の内部

それにしても、ネルソンスが第4交響曲の両端楽章でヴィーン・フィルハーモニーから引き出したリズムの躍動は特筆に値しよう。彼はこれらの楽章で、例えばかつてカルロス・クライバーが採っていたような、相当に速いテンポを採用していたが、そのなかでこの曲を特徴づける細かい動機が、時に対話を繰り広げながら生き生きと脈動していた。しかし、そこに独特の劇性が加わるのが、ネルソンスの解釈の特徴かもしれない。第1楽章で二分音符の動機が積み重なるように高まった後、堰を切ったように音楽が溢れ出すところにある喜びは、まさにこの曲でベートーヴェンが伝えようとした喜びではないだろうか。

第4楽章でも、無窮動的な主題が何かを語りかけるように生きていた。その活気が音楽を前に運ぶのみならず、その奥底にある意志の叫びが、流れに抗うように響いたのも、音楽に劇的な減り張りをもたらしていた。ネルソンスは他方で、とくに緩徐楽章では、豊潤な歌を響かせていたが、そこにはヴィーン・フィルハーモニーの魅力がいかんなく発揮されていた。奥深い響きのなかに艶やかな歌が浮かび上がるのは、このオーケストラならではのことだろう。そして、息の長いメロディと、弾むような付点のリズムの相即と相剋は、第2楽章でも一つのドラマを形づくっていた。

このように、音楽そのもののダイナミズムから、ベートーヴェンの音楽に相応しいドラマを説得的に引き出し、力強く響かせた第4交響曲の解釈の大きさに圧倒されたために、後半に演奏された第5交響曲の印象がやや薄くなってしまったが、こちらの解釈も、推進力に充ち満ちた流れを基調にしながら、作品の壮大さを伝える魅力的なものだった。ここでも、「運命の動機」として知られる動機をめぐるドラマが、曲全体にわたって繰り広げられていた。とくに第1楽章におけるそれは、畳みかけるような迫力に満ちていた。

ただし、演奏会の初日だったこともあって、第1楽章ではオーケストラがタイミングを探っているようにも見受けられた。翌日以降は、さらに緊密な動機の受け渡しが聴かれただろう。フィナーレでは、「運命の動機」が生への意志を伝えるものとして要所で力強く響き、音楽の求心力を高めていた。第2楽章では、輝かしい響きが幾度もホールを満たしたが、それがプレスティッシモの全曲のコーダの頂点で、聴き手の心を拉し去るエネルギーとなって回帰したのは忘れがたい。このように、第5交響曲の解釈も説得力に満ちていたが、ネルソンスのアプローチとベートーヴェンの音楽の照応は、やはり第4交響曲で一つの化学反応に結びついていたと思われる。

ヴィーンで聴いたオーケストラの演奏会でもう一つ印象的だったのは、3月27日に同じく楽友協会で聴いた、アラン・アルティノグリュが指揮したフランス国立管弦楽団の演奏会。パスカル・デュサパンのオーケストラのための「ソロ」第7番《アンカット》、ブルッフの二台のピアノのための協奏曲、ビゼーの《アルルの女》第2組曲、そしてルーセルのバレエ音楽《バッカスとアリアーヌ》第2組曲という多彩なプログラムで、ブルッフの協奏曲には、ラベック姉妹が登場した。ヴィーンで学んだアルティノグリュは、当地では人気があるようだ。

デュサパンの《アンカット》は、金管から弦楽器へと受け渡される凝縮度の高い響きの連鎖が印象的な作品。オーケストラをよく鳴らしながら、途切れることのない流れを構成していることが、共感に満ちた演奏から伝わってくる。ブルッフの協奏曲に接するのは初めてだったが、対位法的な序奏を両端楽章に置きながら、対照的な抒情性を示す旋律が熱を帯びて発展していく魅力的な作品と聴いた。ラベック姉妹が、こうした作品の特徴を生かしながら、息の合ったアンサンブルを繰り広げていた。

後半では、まずビゼーの演奏が素晴らしかった。「パストラール」でオーケストラが一つの息遣いで歌うのも、また「ファランドール」が破綻しそうなところまで高揚するのも、このオーケストラならではのことだろう。とはいえ、今夜とくに魅力的だったのはルーセルの《バッカスとアリアーヌ》。この作品に来て、リズムの躍動感と音色の豊かさがぐっと増し、どの動機にも生命が脈打っている。その集合体が築くクライマックスには瞠目させられた。アンコールで、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《火の鳥》より「カスチェイ一党の凶暴な踊り」が演奏されたが、その冒頭で響きの色合いがさっと変わったのにも驚かされた。

3月28日にコンツェルトハウスで行なわれたヴィーン交響楽団の演奏会で、アレクサンドル・ガヴリリュクの独奏で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第1番嬰ヘ短調を聴けたのも嬉しかった。ガヴリリュクは、若い作曲家がこの作品に詰め込み過ぎるまでに込めたものを、余すところなく音楽的に響かせてくれた。このほか、プロコフィエフの《三つのオレンジへの恋》組曲も演奏されたが、これを含め、指揮のユライ・ヴァルチュハは、躍動感に満ちた音楽を作り上げていた。プロコフィエフでは、各楽器の独奏も魅力的だった。

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„Im Klang“の「客席」の様子

今回のヴィーン交響楽団の演奏会は、„Im Klang“(響きのなかで)と題されていて、普段は客席の平土間にオーケストラを置いて、奏者の間近でも聴けるという趣向だった。とくに若い人に音響を体感してもらう試みと言えるだろう。そのために、特殊なボール紙の箱の椅子も用意されていたし、チケットも安価に抑えられていた。新たな聴衆層の開拓が、ここヴィーンでも喫緊の課題になっていることを暗示する試みと言えるかもしれない。

3月30日には、ヴィーン国立歌劇場でリヒャルト・シュトラウスの《薔薇の騎士》の公演を観た。多くの人々の《薔薇の騎士》像を規定しているオットー・シェンクの演出による舞台。シェンクの手によるこのオペラの上演は、たしかちょうど二十年前に一度ミュンヒェンで観ているはずだ。人がこのオペラに求めるものを具現させる演出よりも、フェリシティ・ロットが元帥夫人の役を歌ったことのほうが印象に残っている。今回ヴィーンで観た公演では、何よりもアダム・フィッシャーの指揮が素晴らしかった。

フィッシャーは、余裕のあるテンポのなか、個々の動機とその関連を意味深く聴かせながら、オーケストラから繊細で流麗な響きを引き出していた。それによって、とくに歌の美しさが際立った。今にも崩れ落ちかねない繊細なバランスのピアニッシモの響きから、旋律が柔らかに、しかし説得力をもって聞こえてくる。例えばオックス男爵のワルツを彩るポルタメントも、儚く過ぎ去りゆくものとして意義深く響いた。そのようななか、一つひとつの言葉がしっかりと聞こえたのが、上演を感銘深いものにしていたのではないだろうか。

今回の上演で最も印象に残ったのは、アドリアンヌ・ピエチョンカが歌った元帥夫人の第一幕のモノローグだった。この独白で語られるのは、自分が巻き込まれざるをえない、そして老いとして体験される時の移ろいだが、それに耳を傾けながら、時間を生きる者が避けることのできない変化と美の儚さが、結婚によって社会的な身分の変更を含めた変化を経験せざるをえない女性の視点から語られていることを思った。今回の旅で、消え去りゆくものへの哀惜と今を生きようとする情熱の緊張関係が音楽の推移を規定する《薔薇の騎士》の、音楽性豊かな上演に触れることができたのは嬉しかった。

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ノイバウガッセで見つけた躓きの石

ところで、今回のヴィーンへの旅のあいだ興味深く読んでいたのは、ヨーゼフ・ロートの長編小説『ラデツキー行進曲』だった。そこに描かれるのは、シュトラウスのオペラからも感じられる、一つの帝国の文化的な秩序の崩壊と、帝国そのものの滅亡であるが、これをロートは、主人公たちの死に凝縮させている。そして、最も若い主人公は、滅びの過程を自身の経験にできないまま、第一次世界大戦の戦場での無惨な戦死へ追い込まれていく。羽田空港に降り立つなり見せつけられた「改元」をめぐる狂躁を前に、その姿にどこか身につまされるものを感じないわけにはいかなかった。

如月の仕事など

写真展「30年後に見えなくなるもの」表二月は仕事に追われるなか、慌ただしく過ぎていきましたが、2月23日、神戸での研究会からの帰りに、大阪市福島区のフォトギャラリー・サイで開催されている小原一真写真展「Exposure / Everlasting──30年後に見えなくなるもの」を見ることができたのは幸いでした。1986年4月26日に起きたチェルノブイリの原子力発電所の事故を、その前史──それは言うまでもなく、戦後の日本も積極的に関与した核開発の歴史です──から捉え返したうえで、この取り返しのつかない出来事の後に生きるとはどういうことかを、ウクライナに生きる三人の暮らしを追った写真と、それについてのテクストによって問いかける展示でした。

なかでも事故で被曝したフィルムを用いて、母親の胎内で被曝し、甲状腺の障害に苦しむことになったマリアという女性と、その朽ちていく生活風景を撮影した写真は印象的でした。技術的なことは分かりませんが、どうしても余白が多くなってしまう媒体を駆使して、放射能の不可視性と、その見えない力に曝されて生き続けること、さらにはその孤独や虚しさにも迫っているように見えます。壊れた室内などの写真からは、チェルノブイリ周辺の人々が忘却に曝されていることも感じます。

放射能の見えない力に曝されて生き続けることが、忘却に曝されているということは、当然ながら福島の原発事故に巻き込まれた地域の人々の問題でもあります。町家の暗い空間でライトボックスを使った展示は、それを静かに問いかけているように見えます。今もチェルノブイリの原発で働く人々の日常を、その風景とともに映した写真は、生活の構成要素の貴重さを伝えるとともに、それを次の世代のために受け継ぎ、世界を廃墟から造り直していく責任を、見る者に問いかけています。

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広島の公園に咲いていた梅

さて、ここ最近公になった、あるいは近々公になる仕事をご紹介しておきたいと思います。まず、昨秋神戸・ユダヤ文化研究会の文化講座で講演した内容を基にした拙論「天使の変貌──ベンヤミンにおける言語と歴史をめぐる思考の像」を、同研究会の雑誌『ナマール』第23号に掲載していただきました。黒田晴之さんはじめ講演に招いてくださった、また編集にご尽力くださった研究会のみなさまに心より感謝申し上げます。

拙論は、1921年にパウル・クレーの《新しい天使》を手に入れて以来、ベンヤミンが生涯の節目ごとに著作に描き出した天使の像を、言語と歴史を徹底的に問う彼の思考を読み解く鍵として検討する内容のものです。第23号にはこのほか、ベンヤミンとショーレムの関係を掘り下げた小林哲也さんの論考なども掲載されています。

それから、ユーロスペースでの上映が始まる佐藤零郎監督の映画『月夜釜合戦』の制作チームが発行している批評新聞『CALDRONS』の第2号に「手つきと身ぶり──広島で『月夜釜合戦』を『山谷(やま)やられたらやりかえせ』とともに観て」と題する小文を寄稿させていただきました。インタヴューや座談を含めて非常に充実した内容の紙面に加えていただき、とても光栄に思っています。

拙稿は、2018年1月13日に『山谷』の監督の一人山岡強一の命日にこの映画と『月夜釜合戦』を観たのを踏まえて、この映画の『山谷』への応答を見るとともに、両者の対照に触れることで『月夜釜合戦』の特徴に迫ろうとするものです。とくにこの劇映画の時折中断する時間と、そこに浮かび上がる権力の視線から逃れていく身ぶりに注目しました。

もしこの批評新聞が劇場でお目に留まったら、ご笑覧いただけると嬉しいです。 何よりも、釜ヶ崎を舞台に、根深い問題を抉り出すとともに、ユートピア的とも言える連帯を浮かび上がらせる映画は、16ミリフィルムで撮影された映像とともに非常に魅力的ですので、まだご覧でない方は、ぜひ劇場へお運びいただければと思います。東京での上映が盛況であることを願っています。