早春の仕事など

IMG_0080柔らかな陽射しを楽しむかのような鳥たちの声が聞こえる日が多くなり、ようやく春の訪れを実感できるようになってきました。近所の公園の桜の古木にも、花をのぞかせ始めたつぼみがちらほらと見られます。最近目にしたヘルダーリンのフランクフルト時代の断片は、このような一見穏やかな春の萌しのうちに、老いとそこにある硬直に立ち向かう若々しさそのものを、それを貫く生命の迸る動きを鋭敏に感じ取っていました。できればいかに忙しいなかでも、そのような生命の力を内に感じていたいものです。早いもので、広島に戻ってすでに一か月半が過ぎましたが、その間二週間の集中講義を含めて非常に慌ただしく過ごしておりました。その間の活動を、ここでご報告しておきたいと思います。

まず、3月4日には、駿河台のESPACE BIBLIOにて細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(柿木伸之訳、アルテスパブリッシング、2016年)の刊行を記念して開催されたトーク・ショー「細川俊夫の創作の背景にせまる──尹伊桑、武満徹、そしてオペラへの道」の聞き手役を務めました。このトーク・ショーでは、著者の細川俊夫さんをお迎えして、本書において初めて語り下ろされたこの世界的な作曲家の創作の軌跡の背景にあるものなどを、2012年にドイツで本書の原書が刊行されて以後の作曲活動を含めて詳しくお話しいただきました。また、特別ゲストとしてリコーダー奏者の鈴木俊哉さんをお迎えして、細川さんの創作活動の里程標をなす作品を演奏していただきました。51fwl3vou1l

幸い、トーク・ショーには会場が満員になるほどのお客様にお越しいただき、心から感謝しております。鈴木さんの素晴らしい演奏と貴重なオペラ上演の映像を交えての細川さんのお話には、尹伊桑や武満徹との関わりについて初めて聞く話がいくつもありましたし、細川さんの音楽そのものについて改めて深く考えさせられる言葉や、現代日本の状況に対する重要な問題提起もありました。このような充実した場をご用意くださったエスパス・ビブリオのみなさま、アルテスパブリッシングの木村さんに、心から感謝申し上げます。

また、3月11日には、成蹊大学アジア太平洋研究センターの主催で開催されるシンポジウム「カタストロフィと詩──吉増剛造の『仕事』から出発して」にお招きいただき、パネリストの一人として「言葉を枯らしてうたえ──吉増剛造の詩作から〈うた〉を問う」という発表をさせていただきました。ヴォイス・レコーダーを構え、じっとこちらを見つめる吉増剛造さんを前に、またかねがね尊敬している錚々たる方々のあいだで少し緊張しましたが、何とか役目を果たすことができました。最近のものを含めた吉増さんの詩作を読み解きながら、また奇しくもまったく同じテーマ(「カタストロフィと〈詩〉」)で行なわれた三年前の原爆文学研究会のワークショップで原民喜やパウル・ツェランの詩についてお話ししたことを少し振り返りながら、今〈うたう〉可能性を詩のうちに探る内容のお話をさせていただきました。

17218299_1434549826597385_7177254774096220764_oまさに東日本大震災が起きた日に開催されたこのシンポジウムは、これまで参加させていただいたシンポジウムのなかで、最も密度の濃いものの一つでした。吉増さんの詩作の初期から『怪物君』(みすず書房、2016年)にまで貫かれているものを文脈を広げながら掘り下げ、詩とは何か、詩を書くとはどういうことかを突き詰めていく思考が、4時間以上にわたって積み重ねられました。そのような議論が最後に『怪物君』とは何かという点に収斂したのは、この日のシンポジウムに相応しかったと思われます。吉祥寺という場所で胸騒ぎを覚えながら引用した原民喜の「鎮魂歌」の一節に「僕は結びつく」という言葉がありますが、自分のなかでいくつものモティーフが結びつき、たくさんの宿題を持ち帰ることができました。それに吉増さんを介して、素晴らしい方々とも出会うこともできました。このような場を作ってくださった、李静和さんと成蹊大学アジア太平洋研究センターのみなさんに、あらためて心から感謝申し上げます。

それから、図書新聞の第3297号(3月25日発売)に、竹峰義和さんの近著『〈救済〉のメーディウム──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会、2016年)の書評を書かせていただきました。「媒体の美学の可能性──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲの不実な遺産相続の系譜から浮かび上がるもの」と題する拙稿では、時に「剽窃」と非難されることもあるアドルノによるベンヤミンの思想の継承に内在する、破壊的ですらある読み替えが思想の内実を批評的に生かしていることや、師にあたるアドルノが映画や放送メディアのうちに見ようとした可能性を、師とは異なった方向性において開拓するクルーゲの仕事に光を当てる本書の議論が、「フランクフルト学派」のもう一つの系譜とともに、知覚経験を解放する「救済の媒体(メーディウム)」の美学の可能性を示している点に触れました。この原稿が、ベルリン滞在中に公刊を予定して書いた最後の原稿ということになります。

この間、いくつか印象深い演奏会や展覧会に接して、自分の仕事の出発点を顧みる機会を得られたのは幸いでした。まず、3月3日に六本木のギャラリーOta Fine Arts, Tokyoにて、「ニルヴァーナからカタストロフィーへ──松澤宥と虚空間のコミューン」を見ました。嶋田美子さんの素晴らしいキュレーションによって精選された貴重なドキュメントの数々は、松澤宥という、その緻密な思考にもとづくアートによって、アートを突き抜けたアーティストの行為の軌跡と、それを結節点として世界中のアーティストが結びついていくさまを実に生き生きと伝えるものでした。松澤が一つのマンダラの形で構想していた、物質の滅却、人類の滅亡、さらにはその先にある虚無へ向けた思考の布置を構成していくアートを今どのように捉えるか、という点は、膨大な資料の解読にもとづくこれからの研究によって掘り下げられなければならないと思います。

とはいえ、松澤が拠点を置いた諏訪と広島、長崎を結びつけたこともある彼の仕事が、そこに生まれる呼応関係によって、危機的な現在を照らし出すものだということは、展示からひしひしと伝わってきました。そのことは同時に、とくに日本列島に生きる者たちが外的にも内的にも取り返しのつかないカタストロフィに足を踏み入れつつあることを問いただしているようにも感じられます。諏訪の松澤宥プサイの部屋を訪れて、彼を結節点とするアートの強度とアクチュアリティを、資料から計測する研究者が出て来ることを願ってやみません。松澤の空への呼びかけに応じて集まったアーティストたちによる、手書きによって構成された葉書や書簡、そして電報(テレグラムとしてさらに考えてみたいところです)の数々も、新たなポエジーの胎動を感じさせるものでした。

17350038_1444674655584902_3959852989274643360_o3月12日には、横浜のみなとみらいホールで横浜芸術アクション事業Just Composed 2017 in Yokohamaの「能・謡×弦楽四重奏」の演奏会を聴きました。馬場法子さんの《ハゴロモ・スイーツ》の世界初演を聴いて、出かけた甲斐があったと思いました。青木涼子さんの声と謡を見事に生かしながら、能の「羽衣」のエッセンスをなす要素を新鮮に、潮風と気配を感じさせる風景のなかに響かせていたのが印象に残ります。楽器の生かし方も、モノ・オペラとしての空間の演出も、実に巧みだったと思います。終演後に馬場さんからお話をうかがって、これらが謡の綿密な研究の成果であることも分かりました。ステファノ・ジェルヴァッゾーニの《夜の響き、山の中より》も、西行法師の歌の配列のなかに声を多彩に生かしながら一つのモノ・ドラマを現出させる作品として興味深く聴きました。能の謡とミニマムな器楽アンサンブルのコラボレーションに可能性を感じさせる演奏会でした。

3月16日には、京都のVoice Gallery pfs/wにて呉夏枝さんの個展「仮想の島── grandmother island 第1章」を見ました。亜麻を素材にグァテマラやインドネシアの織物の技法を参照しながら丹念に織られた地図、ないしは海図としての織物は、けっして平面で完結することなく、中空で螺旋をなしながら、あるいは地下茎を伸ばしながら、別の時空へ連なっていきます。その様子は、人が記憶の越境的な連なりを生きていることと同時に、いくつもの記憶が海を越えて遭遇する可能性をも暗示しているように見えます。海の上に火山島を思わせる島が浮かび上がる風景は、いくつもの記憶が折り重なり、さらには生の記憶が歴史と痛みとともに交錯することによって織りなされているのではないでしょうか。

目を変えながら織られた織物の上に黒のなかのさまざまな色が滲み出る──それが、島の像の存在感と遠さを一つながらに醸し出していました──ところには、テクスト、あるいはテクスチュアからこぼれ落ちるものが染み出ているようにも見えました。作品のテーマとなっている地図ないし海図とは、このような過程に人を引き込む一つの閾としての空間に身を置く一人ひとりの記憶のなかに織られていくものと思われます。そのことは、吉増剛造さんとパウル・ツェランが詩作を、織ったり、編んだりすることに喩えていたことにも呼応することでしょう。風を感じさせる空間が形づくられていたことも印象的でした。もしかするとそのことは、作家の創作の新たな段階を暗示するものかもしれません。

それにしても、この一月半のあいだ、ベルリン滞在の準備に追われていた一年前に比べてさらに社会が息苦しくなっていることを、さらにその息苦しさが、思想とその表現の自由が最後まで守り抜かれるべき場さえも覆おうとしていることを、実感せざるをえませんでした。もし、幾重もの不正と汚職をめぐる狂騒に紛れて共謀罪──「テロ等準備罪」なるものは、共謀罪以外の何ものでもありません──が法的に作られるなら、思想信条の自由が、それを表現する権利が実質的に奪われるのではと危惧しています。それによって、精神は萎縮し、上目遣いの自粛が蔓延し、いかがわしい「公益」なるものが幅を利かせる社会が出来上がるでしょう。そのような状況のなかで、人が息苦しさと無力さに押し潰されてしまう前に何ができるかを、新たな年度が始まる4月へ向けて、自分の置かれた場所で考えてみたいと思います。

 

広島へ/Nach Hiroshima

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役所からの帰り道に見た現役のトラバント

ここ数日ベルリンでは、この冬では比較的寒い日々が続いています。日中でも気温が氷点下二、三度で、空はどんよりと曇っています。あらためてドイツで冬を過ごしていることを実感させる気候ですが、そのようななかで、ベルリンの住居を引き払い、広島へ帰るための準備を進めていました。寒さのなかを半時間ほど歩いて、地区の役所の支所へ住民登録解除の手続きに行ったり、荷物をまとめたりしていたところです。何と言っても、研究のために買いためた本を箱詰めして送り出す作業が難儀でした。昨年四月からの勤務先の大学の学外長期研修制度によるベルリンでの研究滞在を終えて、広島へ帰ります。あっという間に過ぎた十か月でした。

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桜の時季に滞在が始まりました。

滞在期間は、ベルリン自由大学の哲学科のジュビレ・クレーマー教授にお世話になりながら研究を進めました。おかげで、人文学に関する文献が豊富に揃ったこの大学の文献学図書館をほぼ毎日利用できましたし、またクレーマー教授のコロキウムで研究の中間的な成果を発表してフィードバックを得ることもできました。初めの頃には、ベルリン芸術アカデミーのヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフにも、文献のことをはじめ何かとお世話になりました。ベルリンでの研究環境は、ほぼ申し分なかったと言えるでしょう。ただ、それを生かしきれたかと自問すると、やはり忸怩たるものが残ります。もう少し文献を読めたはずだという思いを拭えません。

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初夏から夏にかけては多くの果物を味わいました。写真は市場で見た巨大な西瓜。

ベルリンでは〈残余からの歴史〉の概念を、ヴァルター・ベンヤミンの歴史への問いを引き継ぎながら、哲学的かつ美学的に探究する研究に取り組んでいました。そのためには、当然ながらベンヤミン自身の問題意識をいっそう掘り下げなければなりません。滞在期間の前半は、彼の遺稿「歴史の概念について」の批判版のテクストと、それに関連した二次文献を読み、あらためて彼の歴史哲学とは何か、という問題に取り組んでいました。また、歴史と芸術の接点を探りつつ美学的な問題意識を深めるためには、ベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』が重要であると感じましたので、滞在期間の後半には、そのテクストとこれに関連した文献を繙読しておりました。

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秋のリリエンタール公園

本来ならば、ある程度雑事から解放されている研究滞在の期間にこそ、基礎的な文献をもっと多く読んでおかなければならないのでしょうが、さまざまなことに追われて、思うようには読めなかったというのが正直なところです。とはいえ、ベンヤミンの著作にある程度時間をかけて取り組むなかで、彼の思考への見通しを、微かながら得ることができました。帰国後に少し落ち着いたら、これを何らかのかたちで提示することへ向けた仕事にも取り組まなければと思います。それから、すでに昨年のクロニクルに記しましたように、中國新聞のコラム「緑地帯」などへの寄稿をつうじて、研究に取り組みながら、あるいはベルリンに滞在しながら考えたことを広くお伝えする機会に恵まれたのは幸いでした。

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冬景色

なかでも、昨夏に雑誌『現代思想』の「〈広島〉の思想──いくつもの戦後史」特集に、「そこに歴史はない──ベルリンからグラウンド・ゼロとしての広島を思う」と題する拙論を寄稿させていただいたことは、現在の問題意識を明確にする契機となりました。そこに一端を描いた、ベルリンと広島を大西洋と太平洋を越えて結び、今も続いている「核の普遍史」とも言うべき歴史には、広島から、あるいは広島を思うなかから立ち向かわなければならないでしょう。そして、生存そのものを脅かすこの「普遍史」に抗いつつ、今ここに死者の魂とともに生きる余地を探る営為のうちに、〈残余からの歴史〉を位置づけたいと考えているところです。

過酷な歴史的過程の残滓であるとともに、「歴史」によって抑圧されながらも残り続けている残余としての記憶から、ないしはその消えつつある痕跡から、一つひとつの出来事を想起し、一人ひとりの死者に思いを馳せると同時に、「歴史」とされてきた物語を総体として問いただすところにあるもう一つの歴史、この〈残余からの歴史〉。ベンヤミンの言葉を借りるならば「瓦礫を縫う道」としてのその方法を、さらに彼の思想の研究を深めながら、また広島で原民喜などの作品を読みながら、あるいは歴史学との対話をつうじて探究しなければと考えています。記憶殺しと歴史の骨抜きがとくに日本で進行するなかで、歴史とは何かという問いにはもう少しこだわってみたいと思います。

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フィルハーモニーとともに、コンツェルトハウスへも何度も足を運びました。

ところで、今回の研究滞在中には、細川俊夫さんの『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』の日本語版が、関係者のご尽力により、アルテスパブリッシングより拙訳にて刊行されました。世界的な作曲家の「対話による自伝」とも言うべき本書を、細川さんが最初に留学したベルリンに滞在しているあいだに世に送ることができたのには、巡り合わせのようなものを感じます。そこで細川さんが、ご自身の作曲活動の軌跡とともに語っておられる、音楽の核心にあるものは、これからさらに深めていかなければと考えています。ベルリンでは、かなりの数の演奏会やオペラなどの公演に足を運びました。熱気に包まれた会場で音楽に耳を傾け、舞台に目を凝らしながら、音楽とは何か、オペラの上演は今どのようにありうるか、という問いがいつも脳裡に浮かんでいました。そうして考えたことも、広島で音楽に関わる仕事に生かしていきたいと思います。

それから、滞在期間にベルリンからヨーロッパ各地へ何度か出かけられたのも、忘れられないことの一つです。なかでも大規模なパウル・クレー展が行なわれていたパリへの旅、ベンヤミンが自死を遂げたポルボウへの旅、そして最近のベルンとチューリヒへの旅からは、今後の研究にとってきわめて重要な経験を得ることができました。それによって、ベンヤミンの思考の軌跡をいっそう広い歴史的文脈に位置づける視野が開けたと感じています。また、ハノーファーとハンブルクでは、広島とドイツを結ぶ非常に興味深い試みにも接することができました。これらの旅をつうじて得られた刺激や人間関係も、今後の研究と教育に生かしていかなければなりません。

今回は家族とともにベルリンに滞在しました。娘が公立の小学校に通ったので、それに関わる細々としたことに時間を取られることも多かったのですが、娘の担任の教師やクラスメイトの親など、おそらく単身での滞在では出会うことのない人々とめぐり逢うことができたのもよい経験でした。娘は友達に恵まれ、何人か親友もできました。近いうちに親友との再会の機会を設けなければと思います。また、住まいの家主がとても親切だったのにも助けられました。こうした人々がいたおかげで、温かい日常を過ごすことができたと思います。ベルリンで出会った、あるいは再会した友人たちにも、さまざまな場面で助けられました。心から感謝しています。

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ちょうどベルリン映画祭の準備が本格化しています。

滞在期間には、昨年の12月に起きたトラックによる無差別殺傷事件のように衝撃的な出来事も起きましたが、この事件の後のベルリンの人々の落ち着いた生活ぶりには、多くを学ばされました。現在、世界を不安が覆うなか、憎悪が人々のあいだを引き裂いているのは確かでしょう。それに、それに乗じたとも言える由々しい政治的な動きは、すでに始まっています。しかし、後戻りできないかたちで雑種化し、さまざまな背景を持つ人々の交差路となっているベルリンの日常を生きる人々は、このことがいかに誤っているかを深く理解していると思います。それに、ダニエル・バレンボイムのように、人の注意力を細やかにしながら人と人を結びつける音楽の力を確信しているベルリンの優れた音楽家は、音楽に取り組む者にとって、人を他者に開く人文的な知が重要であることも深く理解しています。おそらくは、憎悪をその歴史的な根から照らし出し、他者とともに生きるうえで困難でありながら大切な問題を考えることへ人を導くことによって、こうした芸術家の営みを支えるところには、この困難な時代における哲学の課題の一つがあることでしょう。このような問題意識を抱きながら、また広島での仕事に戻りたいと思います。今日広島へ発ちます。

細川俊夫『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』刊行記念トーク・ショー[2017年3月4日/ESPACE BIBLIO]のお知らせ

51fwl3vou1l昨年12月に拙訳にてアルテスパブリッシングより刊行された、細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(聞き手:ヴァルター゠ヴォルフガング・シュパーラー)の刊行を記念して開催されるトーク・ショー「細川俊夫の創作の背景にせまる──尹伊桑、武満徹、そしてオペラへの道」をご案内いたします。来たる3月4日(土)15:00より駿河台のESPACE BIBLIOにて開催されるトーク・ショーでは、著者の細川俊夫さんをお迎えして、本書において初めて語り下ろされた、この世界的な作曲家の創作の軌跡の背景にあるものや、本書では語られなかったエピソードなどを、2012年にドイツで本書の原書が刊行されて以後の作曲活動を含めて詳しくお話しいただきます。また、今回は特別ゲストとして、世界を代表するリコーダー奏者の鈴木俊哉さんをお迎えいたします。細川さんのお話と鈴木さんの演奏によって、本書の内容を具体的に感じ取っていただきながら、細川さんの「空間と時間の書(カリグラフィー)」としての音楽を身近に感じていただけるものと考えております。会場などの情報は、末尾に記しておきます。開催に向けてご尽力くださっているESPACE BIBLIOの関係者のみなさまに、この場を借りて心より感謝申し上げます。

本書『細川俊夫 音楽を語る』の概要はすでに別稿に記しましたし、版元のアルテスパブリッシングのウェブサイト(こちらから直接本をご購入いただくこともできます)にも記されておりますので、ここでは繰り返しません。今回の「細川俊夫×柿木伸之トーク・ショー」では、この「対話による自伝」に語られた半生と作曲の足跡のうち、とくにベルリン留学時代の尹伊桑との師弟関係や、細川さんの広島での少年時代にまで遡る武満徹との関係に焦点を絞りながら、これらの作曲家の音楽との対照において、細川さんの音楽世界を浮き彫りにしたいと考えております。鈴木さんの演奏を交えながら、これらの作曲家と細川さんのあいだにある東洋の伝統楽器へのアプローチの相違などにも光を当てることができるのでは、とも思います。2012年以後の作曲の展開を語っていただく際には、オペラ《班女》、そして《松風》の一部の貴重な映像を見ながら、ちょうど一年前にハンブルクで平田オリザさんの演出により初演された《海、静かな海》を含めたオペラの作曲についても詳しくうかがえるものと考えております。それをつうじて、オペラを含む音楽作品を世界中から委嘱され続けている細川さんの作曲の現在が、本書に語られた創作の源泉から浮かび上がることでしょう。細川さんの音楽世界の展開の軌跡とその今にじかに接することのできる3月4日のトーク・ショーへ、ぜひお誘い合わせのうえお越しください。多くの方のご来場を心よりお待ち申し上げております。

  • 日時:2017年3月4日(土)15:00〜17:00(14:30開場)
  • 会場:ESPACE BIBLIO(エスパス・ビブリオ)※リンク先に地図があります。〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1-7-10YK駿河台ビルB1F
  • 参加費:1,500円(当日精算)
  • 予約制:Eメール(info@espacebiblio.superstudio.co.jp)または電話(Tel.: 03-6821-5703)にて受付(定員60名)。Eメールでご予約の際には、上記のアドレス宛に件名「3/4細川氏トーク希望」にて、お名前、電話番号、参加人数をお知らせください。追って返信で予約完了が伝えられるそうです。電話による予約は、火曜日から土曜日の11:30〜20:00のあいだ受け付けているとのことです。20170304%e7%b4%b0%e5%b7%9dx%e6%9f%bf%e6%9c%a8%e3%83%88%e3%83%bc%e3%82%af_a6%e7%89%883rd

ベルリン通信X/Nachricht aus Berlin X

バージョン 2

ベルリン郊外の冬の夕暮れ

ベルリンに長く住んでいる人々から聞くかぎり、今年の冬は例年に比べて穏やかなようです。年によっては、気温が氷点下20度ほどまで下がる日が続くようですが、たしかにそのような日を体験することはありません。それでも、冷え込む日には氷点下10度ほどまで気温が下がることがあります。そのような夜に外を歩くと、風が頬を刺すようです。そして、次の朝には水たまりがすっかり凍っています。それから、時々娘を遊びに連れて行く近所のリリエンタール公園では、オットー・リリエンタールが飛行実験を行なった丘の前の浅い人工池も、その傍らにある大きくて深い池も、本格的な冬の訪れ以来、凍ったままになっています。

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リリエンタール公園の凍った人工池

凍った池では、子どもたちがよくスケート遊びを楽しんでいます。スティックとパックを持って来てアイスホッケー──こちらで最も人気のあるウィンター・スポーツの一つです──に興じている子どももいます。どうやらベルリンでは多くの子どもが、靴をはじめスケート道具を一式持っているようです。娘も一度、友達に道具を貸してもらってスケートを楽しみました。スケート靴をぶら下げた子どもに夕方のバスで出くわすこともしばしばです。夏は湖で泳ぎ、冬は凍った湖面を滑って遊ぶというのが、ベルリン子たちの水との親しみ方なのかもしれません。そう言えば、雪の残る街路を木製の橇に乗って──両親に橇を引いてもらって──行く小さな子どもも見かけます。

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凍ったリリエンタール公園の池

2月を迎えて、ベルリンでの滞在期間がいよいよ残り少なくなってきました。現在、今回の研究滞在の大きなテーマである〈残余からの歴史〉の概念について、ここまでの研究にもとづいて考えられるところを短めの論文にまとめながら、引き続き文献研究にも取り組んでいるところです。1月には、あらためてベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』とそれに関連した文献に取り組んでいました。その過程で、彼の生前に公刊された最も大規模な著作であるこの書が、彼の言語哲学、美学、歴史哲学を凝縮させているのみならず、彼の「迂路」としての方法論を、彼の思考を貫くものとして暗示していることなどを、あらためて考えさせられました。また、今後展開されるべき問題系への糸口がそこにあるという感触も得たところです。

本当はベンヤミンのバロック悲劇論のみならず、アドルノのいくつかの著作にも腰を据えて取り組みたかったのですが、1月は依頼された原稿の執筆や来学期の講義の概要の準備などに追われ、そのために時間を確保することができませんでした。アドルノの音楽論には、遠からず向き合わなければと考えています。そのようななか、1月にはごく短い原稿を一つ発表させていただきました。原爆の図丸木美術館ニュースに、「ミュンヒェンの芸術の家に掲げられた《原爆の図》──Haus der KunstのPostwar展における第二部《火》と第六部《原子野》の展示について」という短いエッセイを載せていただきました。昨年10月に見たミュンヒェンのHaus der KunstにおけるPostwar展に丸木夫妻の《原爆の図》より副題にある二部が展示されたことを報告し、展覧会の概要を含めて論評しながら、戦争の衝撃が美術そのものを変えたことを世界的な規模で展覧するPostwar展における《原爆の図》の重要性に触れるとともに、その実際の展示の様子、そして展示の意義を論じる内容のものです。

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ハンブルク大学での「少年口伝隊一九四五」上演のフライヤー

1月21日には、ハンブルク大学のアジア・アフリカ学科で行なわれた井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の日本語での舞台上演を観ました。学生たちが一学期をかけてこの戯曲のテクストに取り組んだ成果を示す今回の日本語上演は、熱のこもった素晴らしいものでした。広島弁の台詞を含め、俳優たちが言葉をしっかりと自分のものにして語っているのがひしひしと伝わってきました。また、原サチコさんの演出もとても工夫されていて、この作品の舞台上演の可能性を示していたと思います。これらが相俟って、井上ひさしがこの戯曲で、被爆後のきわめて困難な状況のなかで一人ひとりが生きること、そして死に追いやられることを、歴史のなかにしっかりと浮き彫りにしていることが伝わってきました。権力者が馬鹿馬鹿しい号令を発するなかで、自分の頭で考えることを止めずに死者たちの希望も担いながら生きることを説く「哲学じいさん」の言葉は、まさに今に語りかけるものでしょう。その役の熱演はとくに印象に残りました。

広島で1945年に起きたことを問いかける言葉を体を張って届けてくれたハンブルクの学生たちと原さんはじめ関係者のみなさんに、心から感謝しています。舞台に掲げられ、要所にプロジェクターで投影された四國五郎の絵も、場面を印象づける役割を果たしていました。なお、この上演には、ハノーファーに留学している広島市立大学の学生も、何人か観に来てくれました。そこで得られた刺激を広島へ持ち帰り、この経験を、ともに平和を考える関係を海を越えて築いていくきっかけにしていただきたいとも願っているところです。私も井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」は、何らかのかたちで広島での教育に導入したいと考えています。

ところで、1月にはいくつかの感銘深い演奏会を聴くことができました。なかでも、13日に聴いたイヴァン・フィッシャー指揮のコンツェルトハウス管弦楽団によるマーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」の演奏は、忘れられません。その五つの楽章が、挙げて死の沈黙からの生命の蘇りへ向かっていることを、微視的にも巨視的にも深く感得させる演奏だったと思います。19日に聴いた、ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会では、音楽自体の構成にもとづく深い充実感を味わわせてくれるブラームスの交響曲第1番ハ短調の演奏を聴けました。9日に聴いたシュターツカペレ・ベルリンの演奏会では、ダニエル・バレンボイムがモーツァルトの「戴冠式」協奏曲で、彼のピアノの健在ぶりを示していました。23日に聴いたジョルディ・サヴァールが率いるエスペリオンXXIとアンサンブル・テンベンベ・コンティヌオの演奏会は、歴史に翻弄された人々の故郷と異郷での生活のなかにこそ、音楽が息づいていることを、音楽そのものの喜びとともに振り返らせてくれる素晴らしい演奏会でした。29日にフィルハーモニア弦楽四重奏団の演奏会で、ベートーヴェンとショスタコーヴィチの第15番の弦楽四重奏曲を間然するところのない演奏で聴けたのも、非常に幸運だったと思います。

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劇団らせん舘の公園が行なわれたBrotfabrik

1月には、先に触れた井上ひさしの戯曲の上演も含め、演劇の公演も少し観ました。1月6日には、ベルリンに拠点を置きながら、多言語的な演劇の創作を続けている劇団らせん舘による„Etüden im Schnee: Eisbärin Toska“の公演を観ました。昨年クライスト賞を受賞した多和田葉子さんの小説『雪の練習生』(新潮社)のドイツ語版を基にした舞台で、「多和田さんが書いた言葉を非常に大事にして、言葉そのものが含み持つ動きや広がりを、最大限に生かそうとする姿勢が伝わる温かい舞台でした。20日には、ベルリナー・アンサンブルでのビュヒナーの「ヴォイツェク」の上演を観ました。レアンダー・ハウスマンの演出は、設定を現代の軍隊に読み替えたもの。流れる音楽などからアメリカの軍隊のことが念頭にあると思われますが、舞台を見ていて、沖縄などに駐留しているアメリカの海兵隊のことが、またその兵士の暴力に晒される駐留地の人々のことが頭から離れませんでした。

このように、音楽と言葉が今に息づいているベルリンから離れなければならないのは非常に名残惜しいのですが、そろそろ帰国の準備に取りかからなければなりません。本当は、さまざまな文献が揃っているベルリンの環境で進めなければならない研究がまだまだあるのですが、ひと区切りをつけて広島へ戻り、そこから今発言しなければならないことを見定めていくことが課せられていると感じています。心残りなことばかりですが、遠からずまたベルリンに短期間でも滞在して、研究の材料を蒐集したいと考えているところです。月末には、こちらで出会った素晴らしい友人が、心のこもった送別会を催してくれました。この友人をはじめとして、それぞれの仕事や学究に真摯に取り組んでいる友人たちに出会えたことは、何ものにも代えがたい喜びです。友人たちとの関係のなかで経験できたこと、あるいはカフェでの会話のなかで気づかされたことを、帰国してからの仕事のなかでしっかりと生かさなければと思っています。

ベルリン通信IX/Nachricht aus Berlin IX

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霜が降りた朝の風景

あけましておめでとうございます。ベルリンから新年のご挨拶を申し上げます。2017年がみなさまにとって幸多き年になりますように。さて、大晦日(ベルリンの時間で)にもイスタンブールから、ナイトクラブでの銃乱射で40名近い人々が命を落としたという痛ましい報せが入ってきましたが、今年は少しでも多くの人々が平和を感じられる年になってほしいものです。あらためてそう願わざるをえないのは、ドイツへ居を移して以後も、ドイツ国内で、シリアをはじめ世界中で、そして日本でも悲しい出来事が相次いだからですが、その一つが先月、クリスマスを前にしたここベルリンで起きました。新年にはあまり相応しくないことかもしれませんが、まずはその出来事を、犠牲者を哀悼しつつ振り返っておかなければと思います。

すでに広く報じられているように、12月19日の20時過ぎ、ベルリンの中心部、かつて主要駅の役割を果たしていた動物園駅のそばのブライトシャイト広場で開催されていたクリスマスの市に、大型トレーラーが突入し、12名の人々が亡くなりました。チュニジア出身とされる襲撃の容疑者がミラノで射殺される結果に至ったこの痛ましい出来事は、ベルリンの人々のあいだに深い衝撃をもたらしました。とくに娘の小学校の同じクラスの親たちの様子からは、不安と動揺が読み取られました。さらに、第二次世界大戦中の空襲の傷跡を敢えて残すことによって、戦争を記憶する行為と、そこに至った歴史を繰り返さないことへの誓いを一つながらに形にしたカイザー・ヴィルヘルム記念教会の目の前で起きたことも、ベルリンの人々の心を深く傷つけたのではないでしょうか。

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クーアフュルステンダムの夜

しかし、それでもなお人々の複数性を生きる日常を継続することが今はいかに大切かを、ベルリンの大多数の人々は深く理解している様子です。このことも、娘のクラスのクリスマス・パーティーに参加して実感しました。これもすでに報じられているとおり、さまざまな背景を持つ人々とともに生きていく(クラスの親たちの出身も、ドイツ国内以外に、ポーランド、イタリア、中国、トルコ、それに日本などと、実に多様です)ことが、破壊的な暴力にも、そして不安を煽り、排外主義的な憎悪を掻き立てる政治にも屈しない力になりうることを、ベルリンの市民は、静かに、普段どおりの行動をもって示していました。

もちろん、今回の襲撃を排他主義的な政治に利用しようとする政治家もいます。しかし、こうした行き方を許さず、ここに生きる人々の多様性を確かめながら、人々を結びつけようとする動きが公の場で見られることは重要でしょうし、とくに外国人には心強く感じられます。例えば、シャウビューネでは、「憎悪と不安に抗して──ともに人として生きるために」と題する催しが急遽企画されました。ベルリンのクリスマスの市への襲撃が惹起した不安に我を忘れ、憎悪を他者に投げつけるのではなく、それぞれに異なった人々とともに在ることを立ち止まって振り返り、その貴重さを確かめることによって、社会を他者に開こうとする催しと言えるでしょう。催しそのものは、朗読とピアノ演奏だけのささやかなものでしたが、音楽をつうじて時空間を共有し、朗読される言葉を分かち合うことの大切さが噛みしめられるものでした。

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ベルリンの晴れた冬空

このような、下手をすると人々のあいだの社会的な関係が取り返しのつかないかたちで引き裂かれかねない危機的な状況にあっては、生の深みに聴く者を誘いながら人々を結びつける音楽の力がとくに重要でしょう。この音楽の力を将来担っていく音楽家を育成するアカデミーが、12月にベルリンに誕生したことも、あらためて特筆されるべきと思われます。すでに別稿で触れましたように、12月8日には幸運にもバレンボイム゠サイード・アカデミーの公式オープニングのセレモニーに立ち会うことができました。両者が設立したウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラをはじめとする場所で活躍する若い音楽家たちの全人格的な育成の場が生まれたことになります。セレモニーのなかでダニエル・バレンボイムは、このアカデミーを、さまざまな人々の対話をつうじて音楽を作り上げる場にしていきたいという希望とともに、教育課程のなかで、哲学をとくに重視する旨のことを語っていました。哲学をつうじて、根本的な問題に複数の視角から取り組みながら、対話に開かれた人格を養成することが、未来の音楽家の育成にとって不可欠であることという彼の主張は、現代における哲学の役割を考えるうえでも重要と思われます。

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冬のテルトウ運河

12月に、バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンの演奏会をはじめ、いくつもの素晴らしい演奏会やオペラの公演に接することができたのは幸いでした。オーケストラの演奏会についてはすでに別稿に記しましたので、ここでは、現代作品の演奏会とオペラの公演に少し触れておきます。まず、12月12日の夜には、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の“Late Night”コンサートで、ジェラール・グリゼーの最晩年の作品、ソプラノと15の楽器のための《閾(しきい)を越えるための四つの歌(Quatre chants pour franchir le seuil)》を聴きました。バーバラ・ハンニガンの独唱に、サイモン・ラトルの指揮によるベルリン・フィルハーモニーのメンバーとゲストによるアンサンブルという、望みうる最高の組み合わせで、この作品の実演に初めて接することができました。同時代の自殺した詩人の作品から、古代エジプトの詩句、さらには古代メソポタミアのギルガメシュ叙事詩まで遡りつつ、生と死の閾を掘り下げ、一つの文明の滅亡、さらには人類の死滅に至るまで死を突き詰めるこの作品に、きわめて完成度の高い演奏をつうじて出会うことができたのは、本当に幸せでした。

クリスマスの夜には、コーミッシェ・オーパーでチャイコフスキーの《エフゲニー・オネーギン》の公演を観ました。昨シーズンに初演されたプロダクションの再演ということになります。歌手たちの水準が非常に高く、音楽的に完成度の高い公演でした。乳母役の歌手と公爵役の歌手が、豊かな声量でアンサンブルを支えていた点、とくに印象的でした。オネーギン役のギュンター・パーペンデルとオルガ役のカロリーナ・グーモスは、この劇場を代表する歌手として存在感をいかんなく発揮していたと思います。ヘンリク・ナーナシの指揮の下、オーケストラの力演も光りました。バリー・コスキーの演出は、若い男女の心の揺れが音楽的に表現されるよう工夫されたもので、かつ絵として美しい情景を見せていました。この《エフゲニー・オネーギン》の舞台は、現在のコーミッシェ・オーパーを代表する一つと言えるでしょう。

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コトブスのシュプレンブルク塔

12月の最初の週末には、家族でブランデンブルク州のコトブスへ、家族で小旅行に出かけました。ベルリンからコトブスまでは、電車で1時間半ほどです。当地の州立劇場で行なわれているフンパーディンクの《ヘンゼルとグレーテル》の公演を観ることが主な目的でした。その公演は、音楽的にはとても充実していました。とくにオーケストラには瞠目させられましたし、父親の役を歌ったバリトン歌手をはじめ、歌手の水準も高かったです。舞台に登場した子どもたちの様子や、客席の温かい雰囲気からも、市民が街の文化の発展に積極的に参加する姿勢が伝わってきました。《ヘンゼルとグレーテル》の公演に先立っては、市の博物館を訪れました。街の歴史を伝える展示もさることながら、ソルブ人の文化を伝える展示がとくに興味深かったです。女性が大きく広がる白い布で頭を覆う独特の衣裳や折々の風習などとともに、ソルブ語訳聖書や詩集などのかたちで表われるソルブ語の文化の営みが紹介されていました。

早いもので、ベルリン滞在の期間が、あと一か月ほどになってしまいました。現在、論文や依頼されている仕事に取り組みつつ、あらためてベンヤミンのテクストに向き合っていますが、その過程で、今さらながらに原典を読むことの重要性を噛みしめています。残された時間を有効に使って、文献研究を可能なかぎり深めたいものです。また、それをつうじて得られたベンヤミンなどの思想への新たな見通しにもとづいて、今回の在外研究のテーマである〈残余からの歴史〉の理論的な構想をまとめて、帰国後の研究の深化に結びつけていきたいと考えています。今年も変わらぬご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

Chronicle 2016

IMG_2190流行語の類いには普段まったく関心がありませんし、とくに日本で「流行語」と呼ばれるものには、これからも興味が持てないと思いますが、イギリスのオクスフォード辞典の発行元とドイツ語協会が「今年の言葉」に、揃って英語で言う“post-truth”(ドイツ語では„postfaktisch“)を選んだことは、現実に世界を覆いつつある由々しい動きを映し出しているように見えます。事実を突き止め、真実を伝えることはもはや尊重されず、威勢よく見えたり、「元気になる」ように響いたりしさえすれば、あるいは「センセーショナル」でありさえすれば、どのような嘘でもまかり通ってしまい、大衆を動かしてしまう時代が実際に到来しつつあるというヨーロッパの人々の認識が、そこには表われているのではないでしょうか。それを象徴するのが、EU離脱の判断を下したイギリス連邦の国民投票と、アメリカ合衆国の大統領選挙の結果であったということは、ここドイツでは、この一年の回顧のなかでしばしば耳にします。

IMG_1977これらを含む動きのなかで無視しえない役割を果たしている──それゆえ、現在ドイツでも対策が進められているようです──のが、英語で“fake news”(ドイツ語では„falsche Nachrichten“)と呼ばれるものですが、これは不安を抱えて孤立した個人に、とりわけ強く訴えかけます。すでに都市に「大衆」が出現した19世紀に、鋭敏な芸術家が気づいていたとおり、そのセンセーションに反応することで、こうした個人は自己の存在を確かめ、それによって「マス」として一様に行動するようになるのです。ベルリンのクリスマスの市へのトラックによる襲撃事件が起きた後、実際にそのようにして„falsche Nachrichten“に踊らされる人々を目にしました。そのことを利用するのを、「新たなポピュリズム」と呼ぶ必要はないでしょう。嘘への反応を束ねることは、ファシズムの定義に当初から含まれていることではないでしょうか。ただし、その具体的な技術には、ディジタル時代ならではの変化が見られるようです。たまたま目にした新聞記事では、インターネットをつうじて世界中にばらまかれた“fake news”が、マケドニアの小さな街で作られている様子がリポートされていました。

IMG_2045とはいえ、日本の人々はすでに、とくに現政権下で長いこと“post-truth”的状況を生きているのではないでしょうか。たまに日本のマス・メディアのウェブサイトを見ると、そのような思いを強くせざるをえません。もちろん、地道に事実を追い、真実を伝えようと努めているジャーナリストがいることは存じていますし、その仕事に対してはいくら敬意を表わしても足りないと思っています。しかし、実際に公共空間にたれ流されているのは、世界で、いや日本でも今何が起きているのかを忘れさせながら、「日本」への空虚なナルシシズムを助長させる、その本質が“fake”であるとしか言いようのない「ニュース」ではないでしょうか。そのようななか、とくに沖縄の人々の生活を踏みにじるかたちで、日米の軍事的な一体性を強める基地建設が進められ、憲法の下で禁じられていたはずの海外派兵が既成事実化されようとしています。まもなく任期を終えようとしているオバマ大統領の広島訪問も、日本の現首相のパール・ハーバー訪問も、そのような「日米同盟」の動きを覆い隠すかたちで演出された観は否めません。

img_0199このような状況に対して、現在ヨーロッパで生活している経験にもとづいて一つだけ言いうることがあるとすれば、そうして戦争のなかに入り込んでいくことによって、戦争に関わる暴力は必ず、袋を裏返すかのようにして、形を変えて自分たちに跳ね返ってくるということです。今年に入ってもヨーロッパで繰り返し起きている痛ましい出来事のいくつかは、そのことを示していることでしょう。それに憎悪をもって応じるなら、このことは実際に住んでいる空間を、自分の手で破壊することになります。なぜなら、集団どうしの憎悪は、すでに後戻りできないほど雑種化し、複雑化した社会を、根底から破壊するからです。憎悪は、異質な人々のあいだを引き裂いてしまいます。そして今、そのことに“post-truth”的状況がひと役買っていることは、何よりも憂慮すべきことと思われます。センセーションに身を委せ、みずから知り、考えることを止めてしまうと、他者を集合的な属性でしか見られなくなって、他者の一人ひとりに対する細やかな注意力が失われてしまうのではないでしょうか。憎悪の根にそのような問題があることを示している一つが、最近通読したカロリン・エームケの近著『憎悪に抗して』(Calorin Emcke, Gegen den Hass, Frankfurt a.M.: Fischer, 2016)です。

img_2377それなしには「愛」の概念すらも考えられない、一人ひとりの他者に対する注意力。これが他者とのあいだに生きるなかに、不可欠のかたちで働いていることを思い出させ、それを深める契機をもたらしうるのが、人文学の知であり、芸術の営みであるはずです。これらの使命は今、従来にも増して重いものがあると考えられます。私自身は現在、一人ひとりの他者に対する細やかさを、歴史を生きるなかに、さらに言えば死者の魂とともに生きるなかに──それは、地上の生の基本的な条件をなしているはずです──回復する道を、歴史そのものを問うことをつうじて探っているところです。幸いなことに、今年は4月からそのための研究の機会をここベルリンで得ておりますが、時が経つのは早いもので、その期間も残り少なくなってまいりました。下記のクロニクルに挙げましたように、論文などはいくつか執筆し、すでに公にする機会にも恵まれておりますが、文献研究にはまだまだ不足を感じています。そして、あともう一つ論文をある程度の形にしておきたいとも考えています。

51fwl3vou1l今年は12月に入って、積年の課題であった細川俊夫さんの対談書Toshio Hosokawa — Stille und Klang, Schatten und Licht: Gespräche mit Walter-Wolfgang Sparrerの翻訳を世に送ることができました。『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』という訳題にてアルテスパブリッシングから刊行されております。自然のなかに生きる魂の息吹から音楽そのものを考えさせる一書として、お手に取っていただければ幸いです。刊行に至る過程は、私にとって非常に学ぶことの多いものでした。また、自分の表現力のなさを呪いながら論文をドイツ語に訳して発表する機会を持てたのも、よい経験でした。校閲者と原稿を遣り取りする過程も学ぶことが多かったですし、論文の趣旨を理解してくれる人がいたことは、本当に嬉しかったです。中國新聞文化面「緑地帯」に、「ベルリン−ヒロシマ通信」と題するコラムを連載できたのも、またとない経験でした。これらを、今後少しずつ思考の表現形態の幅を広げる足がかりにできればと思いますが、その前提として地道な研究の積み重ねがあることは言うまでもないことでしょう。引き続きご指導のほどよろしくお願い申し上げます。来たる年がみなさまにとって、少しでも平和で幸せに満ちた一年になりますように。

■Chronicle 2016

  • 1月25日:芸術批評誌『リア』第36号の特集「2015 戦争を視る」に、「褐色の時代に抗いながら戦争の核心に迫る表現の交響──広島県立美術館での『戦争と平和展』を見て」という表題の小文を寄稿させていただきました。2015年7月25日から9月13日まで広島県立美術館で開催された「戦争と平和展」の展覧会評です。ミロの《絵画》と靉光の自画像の同時代的な呼応を出発点としながら、ピカソ、井上長三郎、オットー・ディックス、浜田知明、香月泰男らにおける戦争の暴力の核心に迫る表現に触れるとともに、この展覧会に出品されていた作品からうかがえる戦争画の問題性にも言及する内容のものです。
  • 1月27日/2月3日/2月10日:ヒロシマ平和映画祭2015/16の催しとして、「奥間勝也Artist Talk+新作上映会──広島で記憶と継承を考える:沖縄の映像作家を迎えて」と「消された記憶の痕跡を辿り、現在の暴力の淵源に迫る映画『ルート181:パレスチナ〜イスラエル 旅の断章』上映会」を、広島市立大学講堂小ホールを会場に開催しました。また、2月10日には、「ドキュメンタリー作品上映+Talk Session:ヒロシマ/広島/廣島を映像で見つめ、伝える──映像作家・プロデューサー平尾直政さんを迎えて」を広島市立大学サテライトキャンパスにて開催しました。
  • 2月27日:成田龍一さんをはじめとする研究者が続けておられる科研費の研究会で最近の仕事を取り上げていただきました。岩崎稔さんに『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社、2014年)を、村上陽子さんには『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ』(インパクト出版会、2015年)を、それぞれ綿密な読解にもとづいて論じていただきました。これらに対する応答の時間も取っていただきました。
  • 3月1日:形象論研究会の雑誌『形象』創刊号に、「ベンヤミンの形象の理論──仮象批判から記憶の形象へ」と題する論文と森田團さんの『ベンヤミン──媒質の哲学』(水声社、2011年)の書評が掲載されました。論文は、ベンヤミンが初期から最晩年に至るまで繰り広げた形象の理論を、彼の言語哲学、歴史哲学、美学の結節点と捉えたうえで、彼の思考の核心をなすものとして浮き彫りにしようとする内容のものです。言語を媒体と考える言語哲学を踏まえつつ、形象それ自体が媒体として捉えられていることを念頭に置きながら、「美しい仮象」の批判を経て、想起の媒体にして新たな歴史の場となる可能性へ向けて形象の概念を洗練させていくベンヤミンの思考を辿りました。
  • 3月20日:広島で開催された森元斎さんの著書『具体性の哲学──ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(以文社)の合評会で、「出来事の生成の哲学、あるいは生きられるアナキズム」と題する書評を発表しました。
  • 3月20日:広島市立大学広島平和研究所編『平和と安全保障を考える事典』(法律文化社)に、マルクス主義、国際共産主義運動、プロレタリア独裁、失地回復主義の項目を寄稿しました。
  • 3月26日:中央大学後楽園キャンパスにて開催された中央大学人文科学研究所の公開シンポジウム「ドイツでオペラをつくるということ──ハンブルク歌劇場での細川俊夫《海、静かな海》初演を振り返る」にパネリストとして参加し、「細川俊夫の作品に見る現代の芸術としてのオペラの可能性」と題する発表を行ないました。ベルリンでの《松風》、デュイスブルクでの《班女》、広島での《班女》および《リアの物語》というように、ドイツと広島で細川俊夫さんのオペラ作品の上演に接してきた経験を振り返りつつ、能の精神から現代のオペラの表現の地平を開拓してきた細川作品の特質に触れました。そのことを踏まえて、ハンブルクで初演された《海、静かな海》の細川さんのオペラ作品における位置をあらためて測り、その初演を振り返ることによって、東日本震災および原発事故後の現代に向き合うこの新たなオペラの特徴を現代の芸術としてのオペラの可能性へ向けて考察しました。
  • 4月1日:広島市立大学の学外長期研修制度にもとづくベルリンでの在外研究が始まりました。ベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授の下で「〈残余からの歴史〉の哲学的・美学的探究」という研究課題に取り組んでいます。主に、ベルリン自由大学の文献学図書館とヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフを利用しながら研究を進めています。前期中の卒業論文の指導「卒論演習I」は、Skypeをつうじて行ないました。
  • 4月10日:出版総合誌『出版ニュース』2016年4月上旬号の「書きたいテーマ・出したい本」コーナーに「残余からの歴史へ」と題する小文を寄稿しました。詩人パウル・ツェランが語った、破局を潜り抜けて最後に残った言葉を手引きに、破局の残余の記憶が星座のような布置を形成し、相互に照らし合わせるなかに、現在の危機が照らし出されるような残余からの歴史の理論的な構想を提示する内容のものです。
  • 4月23日:4月23日から6月5日まで横浜美術館にて開催された「複製技術と美術家たち──ピカソからウォーホルまで」展のカタログに、「切断からの像──ベンヤミンとクレーにおける破壊からの構成」という論考を寄稿させていただきました。ベンヤミンが先の「複製技術時代の芸術作品」をはじめとする著作で示している、完結した形象の破壊、技術の介入によるアウラの剝奪、時の流れの切断などをつうじて新たな像の構成へ向かう発想を、クレーがとくに第一次世界大戦中からその直後にかけての時期に集中的に示している、作品の切断による新たな像の造形と照らし合わせ、両者のモティーフの内的な類縁性と同時代性にあらためて光を当てようと試みるものです。
  • 5月6日:秋富克哉、安部浩、古荘真敬、 森一郎編『続・ハイデガー読本』(法政大学出版局)に、「ブロッホ、ローゼンツヴァイク、ベンヤミン──反転する時間、革命としての歴史」と題する論文を寄稿しました。これら三人のユダヤ系の思想家と、初期のハイデガーの時間論と歴史論を照らし合わせ、ユダヤ系の思想家たちが構想する「救済」と結びついた歴史の理論と、『存在と時間』の「歴史性」の概念に最初の結実を見ることになるハイデガーの歴史論との差異を見通す視座を探る内容のものです。
  • 5月19日/20日:4月6日から8月1日にかけてパリのポンピドゥー・センターで開催された大規模なパウル・クレー展「パウル・クレー──作品におけるイロニー」に関連して関連してGoethe-Institut Parisにて開かれた国際コロック「パウル・クレー──新たな視点」に参加しました。展覧会評と合わせたその報告記は、形象論研究会の雑誌『形象』第2号に掲載される予定です。
  • 6月27日:ベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウムにて、ヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学についての研究の初期の成果を「想起からの歴史──ベンヤミンの歴史哲学」と題して発表する講演を行ないました。
  • 7月27日:青土社の『現代思想』2016年8月号の特集「〈広島〉の思想──いくつもの戦後史」に、「そこに歴史はない──ベルリンからグラウンド・ゼロとしての広島を思う」と題する論文を寄稿しました。ベルリンと広島のアメリカを介した結びつきに、広島の被爆から現在も続く核の歴史の起源があることを確認したうえで、その歴史を担う人物としてのアメリカ合衆国大統領の来訪を迎えた広島の現在を、歴史的かつ批判的に考察する内容のものです。とくにそこにある「軍都」の記憶の抑圧と国家権力を正当化する物語への同一化が、沖縄の米軍基地の問題をはじめとする現在の歴史的な問題の忘却に結びついていることを指摘しました。そのうえで、一人ひとりの死者の許に踏みとどまるかたちで被爆の記憶を継承していくことのうちに、国家権力の道具となることなく、他者とともに歴史を生きる道筋があることを、残余からの歴史の概念の研究構想のかたちで示唆し、この歴史のグラウンド・ゼロとして広島を捉え返す思考の方向性を提示しました。
  • 8月16日〜19日:広島市立大学国際学部の専門科目「共生の哲学I」の集中講義を行ないました。
  • 8月30日〜9月8日:中國新聞文化面の「緑地帯」に、「ベルリン−ヒロシマ通信」と題する全8回のコラムを寄稿しました。ベルリンでの在外研究期間中に見聞きしたことを交えつつ、今も続く核の歴史に、記憶することをもってどのように向き合いうるか、その際に芸術がどのような力を発揮しうるか、といった問いをめぐる思考の一端を綴るものです。
  • 8月31日:原爆文学研究会の会誌『原爆文学研究』第15号に、能登原由美さんの著書『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社、2015年)の書評を寄稿しました。長年にわたり著者が取り組んできた「ヒロシマと音楽」委員会の調査活動の経験にもとづく楽曲分析と平和運動史を含んだ現代音楽史の叙述によって、「ヒロシマ」が鳴り響いてきた磁場を、政治的な力学を内包する場として、「ヒロシマ」の物語の陥穽も含めて浮き彫りにするものと本書を捉え、今後もつねに立ち返られるべき参照点と位置づける内容のものです。
  • 9月25日/26日:ヴァルター・ベンヤミンが1940年に自死を遂げたスペインのポルボウを調査に訪れました。それをつうじて得られたことはいずれ著書などに反映させたいと考えています。
  • 10月〜2月:広島市立大学国際学部の専門科目「専門演習II」と「卒論演習II」(卒論指導)を、Skypeをつうじて行なっています。「専門演習II」では、テオドーア・W・アドルノの『自律への教育』(原千史他訳、中央公論新社)を講読しています。
  • 10月2日:ハンブルク・ドイツ劇場で活躍されている俳優の原サチコさんがハノーファーで続けておられるHiroshima-Salon(ハノーファー州立劇場のCumberlandsche Galerieにて)のトーク・セッションに参加させていただき、今ここで原爆を記憶することの意義と課題、そしてギュンター・アンダースの思想について、少しお話させていただきました。
  • 10月20日/21日:ミュンヒェンのHaus der Kunstで開催されている„Postwar: Kunst zwischen Pazifik und Atlantik, 1945-1965“を観覧しました。この展覧会は、第二次世界大戦終結後の20年間の美術の展開ないし変貌を、Postwarという視点から、太平洋と大西洋の両方にまたがる世界的な視野を持って捉えようとする大規模なものです。そこに丸木位里、丸木俊の《原爆の図》から2点が出品されたことも含め、お伝えしていく予定です。
  • 11月26日:ひろしまオペラ・音楽推進委員会が主催したひろしまオペラルネッサンス2016年度公演《修道女アンジェリカ》、《ジャンニ・スキッキ》(11月26日/27日、JMSアステールプラザ大ホールにて)のプログラムに、「生がその全幅において肯定される場を開くオペラ──プッチーニの『三部作』に寄せて」と題するプログラム・ノートを寄稿しました。「三部作」の作曲に際してプッチーニがダンテの『神曲』を意識していたことを踏まえつつ、第一次世界大戦のさなかに書かれたこのオペラの独自性に迫ろうとする内容のものです。歌とハーモニーの美しさが際立つ《修道女アンジェリカ》とドラマの展開が特徴的な《ジャンニ・スキッキ》の魅力に触れつつ、「三部作」が、ダンテの作品とは異なったかたちで生がその全幅において掬い取られる場を開いていると指摘しました。
  • 11月29日:ベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウムで、「形象における歴史──ベンヤミンの歴史哲学における構成の理論」と題する論文をドイツ語に訳したものを発表する講演を行ないました。その日本語の原稿は、形象論研究会の会誌『形象』の第2号に掲載される予定です。
  • 12月12日:細川俊夫さんの対談書『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』が、拙訳にてアルテスパブリッシングから刊行されました。2012年にドイツで出版された細川俊夫さんと音楽学者ヴァルター゠ヴォルフガング・シュパーラーさんの対談書Toshio Hosokawa — Stille und Klang, Schatten und Licht: Gespräche mit Walter-Wolfgang Sparrer (Hofheim: Wolke, 2012) の日本語版です。現代を代表する作曲家細川俊夫さんがその半生とともに、創作と思索の軌跡を語った対談書ですが、細川さんの作曲活動の全体に見通しを与えながら、その音楽の核心にあるものを浮かび上がらせる、本格的な細川俊夫論でもあります。一書にまとまった評論としては世界初です。日本語版には、細川さん自身による新たな序文、豊富な写真や譜例の他、2016年前半までの年譜、作品目録、ディスコグラフィを収録しています。

ベルリン通信VIII/Nachricht aus Berlin VIII

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リリエンタール公園にて

ベルリンでは木々の葉が落ちて冬の気候になってきました。11月はすっきりと晴れる日が何日もあって嬉しかったのですが、そのような日の夜には気温が氷点下5度ほどまで下がります。翌朝は空気が痛いくらいに冷たいですし、池の水も凍っています。しかし、そのような寒い朝に道を歩くのは、けっして嫌いではありません。何よりも気持ちが引き締まりますし、心なしか頭がすっきりするような気もします。とはいえ、しっかり着込むことは欠かせません。マフラーと手袋も手放せなくなってきました。長いドイツの冬の到来です。

さて、11月も論文などを書いているうちにあっという間に過ぎて行きましたが、それにしてもこのひと月は、いろいろなことが起きました。その一つとしてアメリカ合衆国の大統領選挙のことを挙げなければと思いますのは、今から12年前にポツダムで4か月だけ在外研究を行なったときにも、アメリカの大統領選挙の帰趨をドイツのメディアをつうじて見ていたからです。小ブッシュがアル・ゴアに対する怪しげな勝利を収めたあの選挙です。その時は選挙から一夜明けて愕然とさせられましたが、それから12年後の今回は、衝撃を受けるというよりも、このような人物が選ばれる現実を前にして胸苦しい気持ちになりました。

メキシコとの国境に移民の流入を防ぐフェンスを設けようと公言したり、ムスリムの入国禁止方針を打ち出したりした人物がアメリカの次期大統領に当選してしまったことによって、まずは、ドイツ国内ではAfD(ドイツのための選択肢)が代表するような、あるいは周囲の国々ではフランスの国民戦線、ハンガリーやポーランドの現政権などに代表される排外主義的なポピュリズムが勢いづくことが懸念されます。その懸念は、ドイツではすぐに各メディアで次々に表明されていました。それと同時に、オクスフォード辞典が今年の言葉に選んだのが、“post-truth”であったことが示すように、大声で大勢の感情に訴えれば──インターネット上のソーシャル・メディアは、まさにそのことを可能にするメディアでもあるでしょう──、どんな嘘であってもまかり通ってしまうようになることが危惧されます。また、それとともに真理を追求する知の営みに対する冷笑が伝染し、作られた感情でしかない「本音」が、他者への攻撃性を剝き出しにしながら公的空間を喧騒で覆うようになれば──それは、とくにインターネット上ではつとに広がっている問題ですが──、きわめて息苦しい、そして声を持ちえない者たちにとっては生きること自体も非常に困難な時代が訪れることになります。

41cbey-9uml-_sx298_bo1204203200_こうした時期に、みずからの知性をもって知を探究するところに啓蒙を見るカントの議論を戦後のドイツであらためて検討し、ナチズムの問題を掘り下げるところに、「アウシュヴィッツ以後」の「自己陶冶」としての教育と文化の可能性を模索するアドルノの『自律への教育』(原千史他訳、中央公論新社)を学生と読んでいる──ちなみに、ゼミは在外研究中もSkypeを使って続けています──のも、何かの巡り合わせでしょう。本書の冒頭には、「民主主義に抗してファシズム的傾向が生きながらえることより、民主主義の内部に国民社会主義(ナチズム)が生きながらえることのほうが、潜在的にはより脅威だ」という認識の下、「過去の総括」とは、ナチズムを含めた過去の問題を現在の自分自身の問題として正視することであると論じる「過去の総括とは何を意味するのか」という、とりわけ日本で振り返られるべき講演が収録されています。

そして、「過去の出来事の原因が取り除かれた時初めて、過去は総括されたのだと言ってもよい」と結ばれるこの講演に続いては、「哲学と教師」という、これも「教養」と「教育」の概念を考えるうえできわめて重要な──それゆえ、大学の関係者にはぜひ一読してほしい──講演が収められていますが、そのなかには、まさにこの“post-truth”の時代にに語りかけているかに思える一節があります。「『知識人』という表現が国民社会主義によって信用を失墜させられたことは、私にはかえってその表現を肯定的に受け取る理由にしか思えません。自己省察の第一歩とは、蒙昧をより高い徳と見なさないことや啓蒙を馬鹿にしないことではなく、むしろ知識人排斥の扇動──それがどのように偽装されたものであろうとも──に対して抵抗することです」(42頁)。とても残念なことに、アドルノの『自律への教育』の日本語訳は、今年から品切れ状態で、一般の書店での入手が難しくなっているのですが、例えばエドワード・W・サイードの『知識人とは何か』(大橋洋一訳、平凡社ライブラリー)と照らし合わせながら、今あらためて読み直されるべき一書かと思われます。

ところで、秋が学会シーズンだというのは日本もドイツも同じで、私もいくつかの学会や研究会合に足を運んで講演などを聴きました。初日しか行けなかったのですが、興味深かったのが、ベルリン文学・文化研究センターの研究会として開催された「理論゠歴史を書く──何を目的に、どのように、そして誰のために?」というテーマの学会で、そこでは理論ないし理論形成そのものの歴史化、さらには歴史的な文脈における再検討の可能性ということがテーマになっていました。今日の人文学研究の潮流を反映したテーマかもしれません。なかには、戦後ドイツにおける「哲学」という「学問分野」の形成過程を考察の対象としながら、あらためて理論としての哲学の位置と意義を探る講演もありました。このような問題設定そのものは、こと哲学に関して言えば、思想の内実を離れてエピソード的な事実の集積に流れてしまう危険性も帯びていますが、同時代の状況のなかに浮かび上がる哲学者の歴史意識は、私自身の問題意識からしても興味深いところです。

なかでもアドルノの同時代に対する批判的な問題意識が、一貫して音楽作品に関する批評的な言説をつうじて表明されていることを辿り、アドルノの歴史意識に迫ろうとする講演を興味深く聴きました。この点が、晩年のアドルノにまで当てはまるかどうかに関しては検討の余地があるかもしれませんが、講演のなかで引用された彼の音楽論の言葉を辿ると、彼の歴史意識が、時折ハイデガーが人間存在の歴史性を論じる文脈で用いている概念を批判的に引用しながら表現されているように見えます。思えばハイデガーとの対決は、1930年代初頭以来、アドルノの哲学的思考のテーマの一つでした。ちなみに、こうしたことが気になったのも、ちょどベンヤミンの歴史哲学とハイデガーの歴史論を対照させた以前の論文を見直していたからでした。

51fwl3vou1l11月上旬には、現代を代表する作曲家の一人である細川俊夫さんが、ご自身の半生と作曲活動の軌跡を、創造の核心にある思想とともに語った対談書の日本語版の刊行へ向けた、校正や巻末資料の準備といった作業を終えることができました。すでに別稿に記しましたように、拙訳による日本語版は、『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』の表題で、アルテスパブリッシングより刊行されます。12月12日に各書店で発売されますので、お手に取っていただければ幸いです。音楽を愛好する方々に音楽そのものを深く考えさせる一冊として、あるいは作曲を志す方々に刺激と示唆を与える一冊として、多くの方に読んでいただけることを願ってやみません。人間と自然の関わりを、そこにある生の息吹を響かせる芸術の力を深く考えさせる内容を含んだ一書と考えております。

11月の26日と27日には、広島市のアステールプラザにて、ひろしまオペラルネッサンスの今年の公演が開催され、プッチーニの「三部作」より、《修道女アンジェリカ》と《ジャンニ・スキッキ》が上演されましたが、この公演のプログラムに、「生がその全幅において肯定される場を開くオペラ」と題したプログラム・ノートを寄稿させていただきました。プッチーニが「三部作」の作曲に際してダンテの『神曲』を意識していたことに着目しながら、プッチーニのオペラの独自性に迫ろうとする内容のものです。それから、11月29日には、すでに日本語で書いた論文の原稿をドイツ語に訳して、お世話になっているベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウムで発表する機会にも恵まれました。やはりディスカッションには多くの課題を残しましたが、論文の趣旨を深く理解して、それを現在の、それこそ”post-truth”的状況に生かすうえで考えるべき問題を指摘したコメントが得られたのは収穫でした。

シーズン真っ盛りの11月は、かなりの数の演奏会やオペラの公演に足を運びました。故パトリス・シェローの演出による州立歌劇場でのリヒャルト・シュトラウスの《エレクトラ》の公演と、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会は、本当に忘れられないものとなりました。また、ベルリン・ドイツ・オペラでのマイアベーアの《ユグノー教徒》の上演は、多くのことを考えさせるものでした。これらについてお伝えするとなると、かなり長くなってしまうので、場を改めてということにさせていただければと思います。これらとともに印象に残ったのが、イヴァン・フィッシャーの指揮によるベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の演奏会でした。11月に二度聴いたその演奏会はいずれも、今ベルリンで聴くべきコンビがここにあることを、音楽を聴く喜びとともに実感させました。なかでもベートーヴェンの交響曲第4番とシューベルトの交響曲第5番の演奏は、楽譜に書かれた音の潜在力を、しなやかな歌心をもって発揮させていました。清新でかつ充実した内容の演奏を繰り広げる両者の協働が長続きしないのが非常に残念ですが、イヴァン・フィッシャーが指揮するコンツェルトハウス管弦楽団の演奏会を聴けることは、今ベルリンに滞在していて最も幸せに思えることの一つです。

今回は最後に、一つ美術の展覧会をご紹介しておきます。ハンブルク駅現代美術館に改装中のNeue Nationalgalerieの作品の一部を展示するために設けられているNeue Galerieでは、現在「ヒエログリフ」と題するエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー展が開催されています。キルヒナーは、好きな画家の一人なので見に行きました。スペースの関係で絵画の出品数は少ないのですが、ダヴォス時代の作品を含めて興味深い作品がいくつか並んでいます。もちろんあの《ポツダム広場》も架かっているのですが、それとともに面白いのは、この大作のために彼が残した、きわめて簡潔に身体像を捉えるスケッチが展示されていることです。「ヒエログリフ(象形文字)」というのは、キルヒナー自身が、身体の動き──彼は一貫して舞踊などの身体表現に強い関心を持っていました──を平面上の輪郭線に翻訳する際に用いていた、彼独特の素描言語を表わす概念とのこと。その広がりが、デッサンのみならず、舞踊の様子を収めた写真などにも見て取られているのが、今回の展覧会の特徴と言えるかもしれません。また、その言語の形成に、カール・アインシュタインのアフリカの彫刻についての書物などに触発されたアフリカの美術への関心も深く関わっていることも、展示から伝わってきます。

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ジェンダルメンマルクトにて

ともあれ、ヒエログリフとしてのデッサンを見ることをつうじて、《ポツダム広場》の画面から、街路を行き交う人の動きがさらに強く感じられるようになった気がします。この傑作が描かれてからすでに一世紀を超える年月を経て、ポツダム広場の様子はすっかり変わってしまいましたが、その一角やコンツェルトハウスの前のジェンダルメンマルクト、それにアレクサンダー広場のような場所には、11月の最後の週末から、クリスマスの市が立ち、多くの人々で賑わうようになっています。日が落ちると、どこからともなく人が集まってきて、市のなかはかなり混み合います。すでに寒いうえ、夕方ともなれば真っ暗になってしまうので、そうでもしないと精神的にも厳しいのかもしれません。例年より少し早い待降節(アドヴェント)の訪れとともに始まったクリスマスの季節、街は色とりどりの灯と人々の賑わいで彩られるようになりますが、私は図書館にさらに深く籠もって研究に勤しまなければと思います。気がつけば、滞在期間があと二か月ほどになってしまいました。どうかみなさま、ご健康でよいクリスマスの時季をお過ごしください。

『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』刊行のお知らせ

51fwl3vou1l広島に生まれ、現代日本を代表する作曲家として世界中で活躍されている細川俊夫さんが、その創造の源泉と思索の軌跡を語った「対話による自伝」とも呼ぶべき対談書、『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』が、アルテスパブリッシングより拙訳にて刊行されます。12月12日には、各書店の店頭に並ぶとのことです。

本書は、ドイツですでに2012年にWolke社より出版されている、Toshio Hosokawa — Stille und Klang, Schatten und Licht: Gespräche mit Walter Wolfgang Sparrerの日本語版ということになります。聞き手を務めているのは、ドイツの音楽学者ヴァルター゠ヴォルフガング・シュパーラーさん。細川さんの作曲の師尹伊桑の音楽の研究者として、東アジアの音楽に深い関心を持ち続けるとともに、細川さんの作曲活動をベルリン留学時代からずっと見守ってこられた方です。序文は、細川さんと深い親交で結ばれているだけでなく、細川さんの音楽に今も刺激を与え続けている作曲家ヘルムート・ラッヘンマンさんによるものです。

原書刊行から4年以上が経過してしまいましたが、こうして日本語版の刊行に漕ぎ着けられたのは、何よりもまずアルテスパブリッシングの木村元代表の深いご理解とお力添えの賜物です。編集の実務は、青土社時代にピエール・ブーレーズの『標柱 音楽思考の道しるべ』や『現代音楽を考える』などを手がけられた水木康文さんにご担当いただきました。水木さんのきわめて綿密で誠意に満ちたお仕事がなかったら、本書をここまで仕上げることはできませんでした。寺井恵司さんに、装幀を含め本書全体を美しくデザインしていただけたのも非常にありがたかったです。

さて、シュパーラーさんの手によってまとめられた原書の最大の特色は、細川さんの作曲活動の全体に見通しを与えながら、細川さんの音楽の核心にあるものを浮かび上がらせる、本格的な細川俊夫論であるということです。一書にまとまった評論としては世界初ということになります。細川さんの作曲活動の出発点や、その新たな展開への転換点となった場所を軸とした章では、細川さんの音楽が、同時代の音楽の文脈から独特の位置において浮かび上がっています。あるいは、「花」のような細川さんの作曲のテーマを焦点とする章では、作曲の基本理念と方法が、音楽を専門としない読者にも分かりやすい言葉で語られています。

そればかりでなく、今音楽とは何か、日本からの音楽は何でありうるか、芸術の社会的位置はどこにあるのか、その源にある自然のなかの、また自然とともにある人間の生は今どうなっているのか、といった問題をめぐって、細川さんの深い思索が繰り広げられていることも、原書の特色として見逃せません。翻訳に際しては、原書のそのような特色を最大限に生かせるよう微力を尽くしました。まずは、ようやく日本での演奏機会が徐々に増えてきた細川さんの作品の原点にあるものを、さらにはその作曲を貫く思想を理解する一助として、本書を役立てていただけることを心から願っております。もし本書が、芸術との関わりを、さらには自然との関係を深いところから見つめ直すきっかけになるとすれば、これに勝る幸いはありません。

日本語版の最大の特色としてまず、細川さんから特別に新たな序文をお寄せいただいていることを挙げなければなりません。また、ショット・ミュージックの多大なご助力により、2016年前半までの年譜、作品目録、ディスコグラフィが収録されているのも、日本語版独自の際立った特色と言えるでしょう。人名と細川さんの作品名の索引も付しました。それゆえ一種の資料集としても、お手許に置いて長くお使いいただけるものと考えております。豊富な写真と譜例、それに図版も、原書から引き継いでいます。これらを眺めるだけでも、かなり見応えがあるのではないでしょうか。

至らぬ点もあろうかとも思いますが、音楽を愛好する方々に、細川さんの音楽の世界を開くとともに音楽そのものを深く考えさせる一冊として、あるいは作曲を志す方々に刺激と示唆を与える一冊として、本書が広く手に取っていただけることを願ってやみません。西洋の音楽と文化に正面から向き合いながら、日本、そしてアジアの音楽の核心にあるものを深い源泉から汲み上げ、世界へ向けて響かせ続けている細川さんの音楽の世界を、その原風景から開く本書は、音楽そのものが生まれる現場へ読者を導き、その音楽観を変えるきっかけになるものと信じております。

ベルリン通信VII/Nachricht aus Berlin VII

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十月初旬のベルリンの秋空をボーデ美術館の脇より

十月は、こちらの大学では日本で言う新年度の始まる月で、今回の研究滞在に際してお世話になっているベルリン自由大学のダーレムのキャンパスも、ドイツだけでなく、世界各地からの新入学生を迎えてかなりにぎやかになりました。講義が本格的に始まるのは十月中旬からで、この点は、日本に比べるとかなりのんびりとした感じです。とはいえ、こちらでは日本で言う学会シーズンも始まっており、学内外で研究会合などの行事が目白押しで、それに関わっている教員は、かなり忙しそうに見えます。十月は、そうした慌ただしい大学の様子を横目に、ほぼ毎日大学の文献学図書館に通って、文献を見ながらいくつかの原稿を書いていました。

ちなみに、この図書館では、おしゃべりしながら入ってくる学生がいると、吹き抜けの上階からすぐに「シッ」という声が飛んできます。逆に、先日聴きに行った退職教員の最終講義では、いつもの調子なのでしょうが、ぼそぼそと語り始めたその教員に、「もっと大きな声で話してくれませんか!」という声が飛んでいました。大学では、学生のあいだでも、碩学に対しても遠慮というものがありません。そうした大学の気風は、日本でも大学という場所を風通しよくするためにも、もう少し重んじてよい気がします。もちろん、そうした大学の構成員に対する遠慮のない振る舞いは、それぞれの視座から真理を探究する学問の営みに対する敬意と、その自由の尊重に裏打ちされていなければ、傍若無人な横柄さにすぎません。大学とは、自由であることを学び合い、それを他人とのあいだに学問を追求する者自身が実現する場所であることを、学期初めのドイツの大学の風景を眺めながら、あらためて思いました。

ともあれ、十月は文献を読み、論文を書いているうちにあっと言う間に過ぎました。ベルリンでの滞在期間も残り少なくなってきたので、そろそろそのもう一歩先にある自分自身の研究テーマを掘り下げて形にする仕事に取りかかりたいと思っています。なお、雑誌のそのものが公刊されたのは、八月の末なのですが、原爆文学研究会の機関誌『原爆文学研究』の最新号(第15号)に、能登原由美さんの『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社、2015年)の書評を寄稿させていただきました。長年にわたり能登原さんが取り組んできた「ヒロシマと音楽」委員会の調査活動の経験にもとづく楽曲分析と平和運動史を含んだ現代音楽史の叙述によって、「ヒロシマ」が鳴り響いてきた磁場を、政治的な力学を内包する場として、「ヒロシマ」の物語の陥穽も含めて浮き彫りにするものと本書を捉え、今後もつねに立ち返られるべき参照点と位置づける内容のものです。

先日ようやくベルリンの滞在先に届いたこの『原爆文学研究』第15号には、拙著『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会、2015年)についての高橋由貴さんによる大変丁寧な書評も掲載されていました。それ以前の著書の内容を踏まえ、それを含めた一貫した問題意識を『パット剝ギトッテシマッタ後の世界』の議論から浮き彫りにして、それと正面から向き合った対話を繰り広げる批評を読んで、そこでテーマとして挙げられている、死者とともに生きることを、人間がみずからの手で引き起こした破局の後に生きること自体と捉えながら、その場を今ここに切り開くような歴史の概念を、ベンヤミンと対話しつつ探っていかなければ、とあらためて思いました。

ところで、10月2日には、ハンブルク・ドイツ劇場で活躍されている俳優の原サチコさんがハノーファーで続けておられる„Hiroshima-Salon“に参加させていただきました。ハノーファー州立劇場のCumberlandsche Galerieで開催された今年の„Salon“では、まず井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の抜粋の朗読に深い感銘を受けました。井上ひさしが、原爆に遭った少年たちの心情の機微に迫るとともに、広島がそれまでどのような街で、そこにどのような人々が暮らしていたかを浮き彫りにしながら、内側から生命を壊す放射能と外から迫る枕崎台風の洪水に呑み込まれていく少年たちの姿を細やかに描いていることが、ドイツ語訳からもひしひしと伝わってきます。考えることに踏みとどまることを、一貫して少年たちに説き続ける「哲学じいさん」の姿も印象深かったです。

「少年口伝隊」の朗読の後、ハノーファーと広島の青少年の交流をつうじて平和を創る人々を育てようとした林壽彦さんの事績とメッセージが、ヴィデオと当時を知るハノーファーの関係者により紹介されました。Hochschule Hannoverと広島市立大学の学生の交換を含め、ハノーファーと広島の現在の交流の礎になった林さんのお仕事の大きさをあらためて感じました。その後のトーク・セッションに参加させていただき、今ここで原爆を記憶することの意義と課題、そしてギュンター・アンダースの思想について、少しばかりお話させていただきました。学ぶことの多い機会を与えていただいたことに、心から感謝しているところです。ちなみに、お寿司とお茶が振る舞われた休憩の後、「ハノーファー最大」の„Karaoke-Show“では、ハノーファーの人々の日本のポピュラー・カルチャーへの愛着の深さ、そしてドイツと日本双方の「歌手」たちの歌の上手さに圧倒されました。

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ミュンヒェンのHaus der Kunstの外観

10月20日と21日にはミュンヒェンへ出かけて、Haus der Kunstで開催されている„Postwar: Kunst zwischen Pazifik und Atlantik, 1945-1965“を見ました。第二次世界大戦終結後の20年間の美術の展開ないし変貌を、„Postwar“という視点から、太平洋と大西洋の両方にまたがる世界的な視野を持って捉えようとするこの大規模な展覧会については、見た印象を別稿に記しましたので。ここでは、20日の夜にガスタイクで聴いたマリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団によるマーラーの交響曲第9番ニ長調の演奏について記しておきますと、彼が完成した最後の交響曲が、彼の生を愛おしむ歌に充ち満ちていることを、あらためて実感させるものだったと思います。その歌の美しさが芳醇な響きのなかに際立った演奏でした。とくに最終楽章のアダージョは美しかったです。心の底からの歌が響きが飽和するまで高まった直後に聴かれる、慈しむような歌の静謐さには心打たれました。ただその一方で、死に付きまとわれているがゆえに生を愛おしむ、その狂おしさが、深い影のなかから響いてほしかったとも思いました。

もちろん、ベルリンでも演奏会やオペラのシーズンが本格的に始まっており、どれに出かけるか迷う日々です。今月はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に三度通いましたが、三度目にしてようやくこのオーケストラの冴えた響きを聴くことができました。イヴァン・フィッシャー指揮によるバルトークとモーツァルトの作品を軸としたプログラムの演奏会では、一方で後半に演奏されたモーツァルトの「プラハ」交響曲の演奏が、この曲の大きさを意識しながらも、その至るところに見られるリズミックな動きを生き生きと躍動させるもので、深い感銘を受けました。曲の厳しさを鋭い響きで強調しながらも、典雅さをけっして失わない演奏で、とくにアンダンテの楽章を美しく響かせていました。やや早めのテンポを基調としながら、時にはっとさせるようなルバートを聴かせていたのが印象に残ります。

他方で、前半のバルトークの弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽では、まず、問わず語りのように静かに流れるモティーフが次々に折り重なって、やがて一つの力強い歌になり、深いため息のように響く瞬間に、恐ろしいほど深い空間が開かれたのに驚かされました。第2楽章のアレグロのテンポは当初控えめでしたが、それによってバルトークの書いた精緻なテクスチュアが実に生き生きと浮かび上がってきます。ハープとチェレスタによるさざめくようなパッセージの後、弦楽器の絡み合うモティーフが地の底から這い上がるように高揚した後は、フィッシャーはテンポを上げて、書の力強い跳ねのように曲を結んでいました。第3楽章のアダージョは、バルトークの夜の音楽が、深い闇のなかに無数の生命の蠢きを感じさせるように響きました。フィナーレでは、力強い「対の遊び」からバルトークの楽器が響いてきました。これまでの楽章の再現が、哀惜を帯びて美しく響いたのも感動的でした。

オペラでは、ベルリン州立歌劇場で観た、ベートーヴェンの《フィデリオ》の今シーズン最後の公演が感銘深かったです。ダニエル・バレンボイムの指揮の下、音楽的にきわめて充実した公演でした。ベートーヴェンが書いた音の一つひとつに生命を感じました。とくにシュターツカペレ・ベルリンの演奏が素晴らしく、垂直的な深さを感じさせる響きのなかに、リズムを躍動させていました。歌手たちも素晴らしく、とくにアンドレアス・シャーガーが歌ったフロレスタンのアリアは、絶唱と言ってよいほどの出来でした。レオノーレの役を歌ったカミラ・ニュルンドも、伸びのある声と正確な歌唱で人物像を浮き彫りにしていました。

この二人の二重唱から幕切れに至る音楽の内的な高揚は、圧倒的な力強さを崇高に響かせるものだったと思います。このベートーヴェン唯一のオペラのフィナーレに、彼が後にシラーの頌歌に乗せて歌う、人類的な共同性の予感がすでにあることを示した《フィデリオ》の上演でした。もちろん、その共同性から排除される者がいることも、舞台では暗示されていましたが。歌手のなかでは、ロッコ役を歌ったマッティ・サルミネンが非常に重要な位置を占めていました。存在感に満ちた声で、人物を結びつけながら舞台を動かしていました。「黄金の歌」も、台詞回しも説得力がありました。

ハリー・クプファーによる演出は、夫婦関係も含めた社会的な人間関係を超越するユートピアへの魂の跳躍を、ベートーヴェンの唯一のオペラに見ようとするもので、そのコンセプト自体は崇高なものでしょう。ただ、それを実現する手法にはいくらか疑問が残りました。ケルンに残されている、かつてゲシュタポによって拘留された人々が、憧憬と絶望の双方を表現する言葉を刻んだ壁を背景に使うというのは素晴らしい着想で、その前で歌われる囚人の合唱は圧倒的でしたが、ベートーヴェンの胸像の載ったピアノと写真をはじめ、小道具はあまり効果的ではなかったかもしれません。とはいえ、全体として、音楽とマッチした説得的な舞台であったのは確かでしょう。

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リリエンタール公園の桜の紅葉

このように、友愛の下に「人類」が立ち上がろうとする劇場の外では、差別的な憎悪表現が、まさに他者の自由を奪うかたちで撒き散らされているのも無視できません。それに対するドイツ社会の問題意識が、今年『憎悪に抗して(Gegen den Hass)』をフィッシャー書店から公刊して大きな反響を呼び起こしたカロリン・エームケのドイツ出版・書籍販売業協会の平和賞受賞に結びついたと思われます。このことも、十月に新聞の文化欄をにぎわせた話題の一つでした。彼女はフランクフルト大学などで哲学を修めた──フランクフルトで討議倫理を学んだと語っています──後、ジャーナリストにして著述家として活躍しているようです。エームケは、受賞に際してのインタヴューで、ドイツ社会の差別的な憎悪表現は、それ自体としては以前からずっとあったが、最近ではそれが確信犯的で厚顔無恥に現われるようになっていると述べ、それに対する危機感が『憎悪に抗して』を書いた動機の一つであると語っていました。こうした現象に対する共通の問題意識も、エームケの受賞の背景にあるのではないでしょうか。PEGIDAといった排外主義的な主張を行なうグループのデモは公然と行なわれていますし、とくに難民に対するヘイト・クライム(収容施設への放火など)は後を絶ちません。

フランクフルトでの書籍見本市の期間に当地のパウロ教会で行なわれた授賞式の挨拶でエームケは、人間の根本的な複数性を語ったハンナ・アーレントの『人間の条件』を引用しながら、差別的な憎悪が新たな段階に達しようとしている状況を見据えながら、憎悪に立ち向かう責任を、勇気を持ってともに引き受けようと語りかけていました。挨拶の表題は「始めよう(Anfangen)」でしたが、それは、みずからのアイデンティティを問い直しながら、そうして自分の物語ないし歴史を交換しながら、お互いの唯一性を尊重し合う自由な行為へ一歩を踏み出す「始まり」への呼びかけであったと思います。これは『憎悪に抗して』という本の主張とも重なると思いますが、その議論と彼女のスタンスに対しては、すでに批判的な論評も出ています。憎悪の背景にある社会的な問題への視野を欠いている、哲学的に憎悪を批判するだけでは、憎悪の問題に実質的に取り組むことはできないのではないか、といった──なかにはルサンチマンを背景にしたシニシズムを感じさせるものもある──批判がエームケに向けられていました。

こうした批判があるとはいえ、エームケの著述には、ザヴィニー広場駅の本屋でたまたま前著の『それは語りうるゆえに──証言と正義について(Weil es sagbar ist: Über Zeugenschaft und Gerechtigkeit)』というエッセイ集を手に取り、ドレスデンへの旅のあいだ読んでから、少し関心を持っているところですので、あちこちの本屋に平積みになっている『憎悪に抗して』も読んでみようかと思っています。そこから、公職にある者が人種差別にもとづく憎悪表現を他者の面前で行ない、それを監督責任者の首長が容認するというように、憎悪表現が新たな、そしてきわめて深刻な段階に入っている日本の状況について考える何らかの材料が得られるかもしれません。

ベルリン通信VI/Nachricht aus Berlin VI

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秋晴れの下のジェンダルメンマルクト

ベルリンではここ数日で秋が深まった印象です。朝晩の気温が10度前後になりましたし、街路の木の葉も色づいてきたように見えます。それとともに街の雰囲気が少し落ち着いた気がしますが、それは八月の下旬頃から街の至るところに騒々しく掲げられていた選挙のポスターが、おおかた撤去されたからかもしれません。ポスターそのものは鬱陶しいですが、そこに書かれている各政党の主張は、現在この都市ないし地区で問題になっていることをそれぞれの立場から伝えていて、それはそれで興味深かったです。ベルリンでは、9月18日に当地の議会の議員を選ぶ選挙が行なわれました。ベルリンの東西を往復すると、この街に実にさまざまな背景を持った人々が暮らしていることが実感されると同時に、とくに東側が資本の力によって、幾重にも引き裂かれている感触を持たざるをえません。今回の選挙の結果は、それによって生まれた隙間に、排外主義的な主張が徐々に浸透しつつあることを懸念させるものと思われました。

さて、九月とともに、ベルリンには音楽のシーズンが到来しました。その始まりを毎年彩っているのが、Musikfest Berlin(ベルリン音楽祭)です。数多くの同時代の作品が取り上げられるこの音楽祭の演奏会を聴きに、たびたびフィルハーモニーに足を運びました。9月3日にオープニングを飾った、ダニエル・ハーディング指揮のバイエルン放送交響楽団によるヴォルフガング・リームの《トゥトゥグリ》の演奏では、フィルハーモニーの天井も床も抜けんばかりの音響のエネルギーに圧倒されました。他方で、アントナン・アルトーの晩年の詩的なテクストに触発されたこの作品の演奏においては、音楽の繊細な肌理も聞こえてきて、演奏の完成度の高さも伝わってきました。ワレリー・ゲルギエフとミュンヒェン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会では、ショスタコーヴィチの交響曲第4番の演奏に驚嘆させられました。音楽そのもののダイナミズムを、整理された演奏からはこぼれ落ちてしまう情動的なものも含めて生かしきった演奏で、時に音響がうねり狂うかのようでした。

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フィルハーモニーとその傍らに設けられたT4作戦を記憶するモニュメント

とはいえ、演奏そのもので最も強い印象を受けたのは、17日に聴いたハンブルクのアンサンブル・レゾナンツの演奏会でした。とりわけシューベルトの初期の「序曲」と交響曲第5番の演奏は、様式性と新鮮さを兼ね備えた活気溢れるもので、瞠目させられました。自発性に富む演奏を繰り広げながら、非常に透明度の高い響きを保っていました。これを指揮者なしでやってのけるのですから驚きです。シューベルトの作品に挟まれるかたちで演奏されたエンノ・ポッペとレベッカ・サウンダースの作品では、いずれも独奏楽器とアンサンブルのための曲を面白く聴きました。とくにサウンダースのチェロ協奏曲では、チェロと打楽器の対話のなかから聞こえる響きがとても多彩で、かつそれが音楽の有機的な発展とも結びついていて、印象に残りました。ポッペのヴィオラ協奏曲では、タベア・ツィンマーマンが、存在感に満ちた素晴らしい演奏を聴かせてくれました。

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夕暮れ時のコンツェルトハウス

この九月には、イザベル・ファウストの素晴らしいヴァイオリンを聴くことができたのも嬉しかったです。9月2日の夜遅くにMusikfestの一環として行なわれたルイジ・ノーノの“La Lontananza Nostalgica Utopica Futura”の演奏も、電子音響ときわめて繊細な対話を繰り広げるものでしたが、22日のコンツェルトハウス管弦楽団の演奏会におけるバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番の演奏は、すべての音に必然性と生命がこもった素晴らしいものでした。考え抜かれた弓遣いとフレージングのなかから、魂の息吹を一つの風景とともに響かせるような歌が紡がれていきました。それが楽章を追うごとに熱を帯びていくのにすっかり引き込まれました。同時に、曲全体の構成を浮き彫りにする造型にも感動を覚えたところです。ヴァイオリニストと言えば、同じコンツェルトハウス管弦楽団のシーズン最初の演奏会におけるユリア・フィッシャーの演奏も魅力的でした。ヘンツェのヴァイオリンと室内オーケストラのための《イル・ヴィタリーノ・ラドッピアート》を、ヴィターリの原曲の解体過程を浮き彫りにするかのように弾いた後、アンコールにパガニーニのカプリースの完璧な演奏も聴かせてくれました。

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リチャード・セラによるT4作戦の犠牲者のためのモニュメント(1988年)

九月からは、興味深い美術展も始まっています。例えば、ベルリン美術館(Berlinische Galerie)では、「ダダ・アフリカ(DADA Afrika)」展が開催されています。ダダ百年の今年、チューリヒのリートベルク美術館の協力の下、ダダの作家とアフリカ、ないし異他なる世界との対話に光を当てるこの展覧会を先日見ましたが、とりわけハンナ・ヘーヒの作品が魅力的に思われました。このベルリン美術館では、この「ダダ・アフリカ」展以上に、たまたま入った「モデルネの幻視者たち(Visionäre der Moderne)」というテーマの展覧会に惹きつけられました。『ガラス建築』などでベンヤミンにも影響を与えたパウル・シェーアバルトの版画や、ブルーノ・タウトの絵画や建築の設計図のほか、パウル・ゲシュという彼と同時代の作家の作品が数多く展示されていて、これがとても魅力的でした。幻想的でありながら、非常に澄んだ目を感じさせる水彩画の数々が並んでいました。ゲシュには情緒不安定なところがあったようで、いくつかの医療施設を転々とした末、1940年にブランデンブルクの「安楽死」施設で虐殺されることになります。あらためてナチスの「T4作戦」の問題に向き合わせられました。演奏会を聴きにしばしば通っているフィルハーモニーがある場所は、この作戦の司令部が置かれたかつてのティーアガルテン4番地に当たるので、フィルハーモニーの傍らには、この「安楽死」の名による虐殺を記憶する場所が設けられています。

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ポルボウの公共墓地内のベンヤミンの(墓)碑

それから、すでに別稿に記しましたとおり、九月末には、ヴァルター・ベンヤミンが亡命の道を阻まれ、自死を遂げたスペインのポルボウを訪れることができました。彼が亡くなったのが1940年の9月26日とされていますので、彼の76回目の命日にポルボウに滞在したことになります。この地に設けられた彼を記念するモニュメントには、いずれも彼が「歴史の概念について」記したテクストの一節が刻まれています。ベンヤミンが葬られた墓地のなかの碑には、「同時に野蛮の記録であることのない文化の記録など、あったためしがない」という一文が引かれていますし、またイスラエルの芸術家ダニ・カラヴァンが、ベンヤミンの没後50年を機に、墓地の手前の崖を貫くかたちで制作したモニュメント《いくつものパサージュ》には、次の一節が引用されています。「名のある人々の記憶を称えるよりも、名もなき者の記憶を称えることのほうがいっそう難しい。歴史の構成は、名もなき者たちに捧げられている」。これらを、ポルボウの入江から広がる真っ青な地中海とともに見ながら、歴史哲学に対する問題意識を新たにしたところです。十月は、自分自身の研究を形にすることに徐々に力を傾けなければなりません。

現代史に関わることに最後にもう一つだけ触れるならば、1941年9月29日から30日にかけてウクライナのキエフにあるバビ・ヤールの峡谷で、ナチスの特別部隊による最大規模の虐殺が繰り広げられました。今年はそれから75年ということになります。その犠牲者を追悼するキエフでの式典で、ドイツ連邦共和国大統領ヨアヒム・ガウクが、ナチズムの歴史を踏まえた印象深い言葉を残しています。そのごく一部を、ディ・ツァイト紙所載(2016年9月29日付)の抜粋からご紹介しておきたいと思います。国民社会主義の「抹殺への意志」が、死者だけで満たされることはなかったのは、「犠牲者の記憶すらも消し去られるべきだとしていたからであります」。「私たちは、ショアーの深淵を前にするとき、計り知れない苦悩を、そして私たちドイツ人の法外な罪責を語ることになります」。「この深淵への眼差しを抜きにしては、ドイツの罪責について、ひいては私たちが共有する歴史について思いを致すことはありえません」。このバビ・ヤールでの虐殺を含めた、ナチスの特別部隊による「バルト海から黒海に至る」大量射殺の歴史に関する展示が、テロルのトポグラフィーで始まっていますので、それも近々見に行かなければと思います。