映画との出会いと再会

現在、6回目を迎えるヒロシマ平和映画祭が、「地を這うものたちのまなざし」をテーマに開催されています。直接的な暴力によって、あるいは体制や制度のなかに構造化された暴力によって虐げられながらも生き続ける者たちとともに歩むカメラが映し出す世界。それは、現在の世界の仕組みに内在する暴力の所在を指し示しながら、抑圧された者たちが、地面に這いつくばって生きるなかで培ってきた、生きものたちとの親密な関わりとそこにある生きる知恵をも映し出しているように思われます。そのことは、「人間」が生きものの一つであることを伝えながら、「人間」とは何かを問いかけているのではないでしょうか。

さて、今回の映画祭でも、いくつもの素晴らしい映画に出会うことができましたが、そこには最近の映画のみならず、3、40年前に作られた映画も含まれます。なかでも、深作欣二監督の『軍旗はためく下に』(1972年)と小池征人監督の『人間の街──大阪・被差別部落』(1986年)からは強烈な印象を受けました。その印象はとてもひと言では言い尽くせませんが、いずれも「日本」に現在も構造化されている暴力に鋭く迫りながら、それに立ち向かう眼差しをも捉えているように思います。とくに『人間の街』からは、差別の暴力そのものを解体しようとする意志も感じられました。他方で、『軍旗はためく下に』という映画は、戦争をするとはどういうことか、軍隊とは何か、という今や差し迫ったものとなりつつある問題を、国家の存立の暗部に迫るかたちで掘り下げているのではないでしょうか。

もう一つ印象に残った作品に、姫田忠義監督の『豊松祭事記』(1977年)があります。広島の最東部の豊松村の自然崇拝的な祭祀によって分節された暦を辿るこの作品は、中世以来の伝統を保つ村の暮らしを伝えるのみならず、先の『軍旗はためく下に』とはまた異なった視点から、まつろわぬ民の存在を示唆していたようにも思われました。そして、供養を含めた屠畜場の営みに光を当てる小池監督の『人間の街』ともどこか通底するかたちで、人間と他の生きものたちとの親密な関係を映し出していたのも、興味深く感じたところです。

12669421_1028066270586897_944965380566543657_n今回の映画祭では、こうして今まで見たことのなかった映画に出会えたばかりでなく、かつて見た作品と再会する機会にも恵まれました。見直すことができた作品の一つに、広島の卓抜なドキュメンタリストである平尾直政さんがプロデューサーとして手がけた『The A-bomb──ヒロシマで何が起こったか』があります。敢えてやり尽くされたことをやった、という平尾さんの言葉からうかがえるように、1945年秋の広島を撮った未編集のフィルムをハイ゠ヴィジョン化して駆使しながら、広島の原爆被害を可能なかぎりコンパクトにまとめて、これだけは見てほしいと伝えるものですが、とくに平尾さんがずっと追ってこられた原爆小頭症患者の姿などからは、原爆が未だ終わっていない出来事であることが切々と伝わってきます。この作品には英語版もありますので、教材としても活用していきたいと考えています。

12594050_1073045299414508_1639790615333354909_oもう一つ今回の映画祭で再会できた作品に、ミシェル・クレイフィとエイアル・シヴァンの共同監督によるドキュメンタリー映画『ルート181──パレスチナ〜イスラエル 旅の断章』(2003年)があります。この映画を広島で初めて見たのが2006年ですから、今から10年前ということになりますが、今もその衝撃は忘れられません。この映画の上映会に足を運んだことが、今回に至るまでヒロシマ平和映画祭の実行に関わるきっかけともなりました。それから10年を経て、パレスティナの消された境界線を辿るこの映画を見直すとき、現在世界中に浸透しつつある、人を蔑み、根こそぎにし、死へ追い立てていく暴力の源に何があるのかが、あらためて突きつけられる思いでした。

今回広島市立大学の講堂で『ルート181』を見直して、一つ考えさせられたことがあります。それは、この映画が実は周到なかたちでクロード・ランズマンの『ショアー』に問いかけているのではないか、ということです。『ショアー』を意識した場面として、ロッドでのイスラエル兵によるパレスティナ人住民虐殺が証言される床屋のシーンがしばしば挙げられますが、それと併せて、破壊され、地図から消されたパレスティナ人の村々の歴史を語る人々が複数であることも、ほぼラウル・ヒルバーグ一人が「歴史」を代表する『ショアー』と対比させられうる点と思われました。監督の一人クレイフィは、『石の賛美歌』でもアラン・レネの『ヒロシマ・モナムール』に批判的に問いかけていましたが、彼のそのような志向が『ルート181』にも表われているのかもしれません。

ちなみに、広島市立大学では、2007年にクレイフィの『石の賛美歌』(1990年)を上映していますし、アラブ研究を専門とされる国際学部の同僚の宇野昌樹さんは、同じクレイフィの『ガリレアの婚礼』(1986年)の日本語字幕を監修された方です。今回宇野さんには『ルート181』上映後のトーク・セッションにもお越しいただきました。そして、宇野さんや他の来場者と遣り取りするなかで、やはりこの映画の4時間半にわたる長さには理由があるという思いを強くしました。二人の監督が執拗に問いかけるなかでこそ、「国民」の神話が忘却してきたものが、あるいはそのアイデンティティの下で抑圧されてきたものが、身振りや声のかたちで引き出されてくるのです。そして、そこにこそこの作品の映画としての重要性があるように思います。

『ルート181』という映画は、あからさまに「パレスティナ人」の存在を否認する言辞と、おびただしいパレスティナ人が故郷を追われたり、虐殺されたりしている「ナクバ(大災厄)」の証言とを突き合わせるだけではありません。この映画は、パレスティナ人を差別し、抑圧する人々と、イスラエルという国家の暴力に絶えず苛まれているパレスティナ人の双方に、明確な言葉にならないままわだかまっている複雑な思いをも、まさに映像のなかから暗示しているのではないでしょうか。動作や声のトーン、沈黙や躊躇いがいかに多くを物語っているかを、例えばチュニジアからイスラエルに移住した一人の女性が、パレスティナ人との共生は可能かとの問いに、一瞬否と答えかけながら、可能かもしれないと言い直す瞬間から感じ取ることができるでしょう。

平尾さんも、ドキュメンタリーを撮影する際には、間や沈黙に着目していると語っておられましたが、その姿勢は先の『The A-bomb』のインタヴュー映像の端々にも表われています。そして、まさにそのことから、ヒロシマが現在進行中の出来事であることが伝わってくるのです。こうした映像の力を五感を開いて受け止めながら、他者へ思いを馳せ、出来事を想起すること。そうして、国家、民族、地域、世代、宗教などのさまざまな壁を、さらには「表象」の限界をも越えるかたちで想像を解放すること。これこそが、平和に生きることを追求する出発点にあるという認識が、もしかすると「映画」と「平和」を結びつけているのかもしれません。

今回のヒロシマ平和映画祭2015/16のテーマ「地を這うものたちのまなざし」には、「下からの平和」というサブ・テーマが添えられています。ここ広島にあっては、「下からの平和」という言葉は、実はほとんど冗語表現ですらあります。被爆した子どもたちの詩集の表題の言葉を借りるなら、平和という語は、「原子雲の下」から、抑えきれない怨みと癒えぬ苦悩も込めながら、同じく「原子雲の下」に置かれた人々との連帯へ向けて発せられてきたのですから。しかし、今敢えて「下からの平和」と言われなければならない背景に、平和を「下から」希求することが、広島でも危うくなりつつあることがあるようにも思われます。「原子雲」を上から眺める視点から、人々の自由を奪ってきた境界をより強固にし、さらには「抑止」のための軍事的な力すら求める主張に、「平和」という言葉が掠め取られかねない状況が、いわゆる「安保法制」が議論の俎上に上った頃から露呈しつつある気がするのです。こうした状況を見据えつつ、壊滅した街の地面に這いつくばるところから、あるいは「軍旗はためく下」から、今平和とは何かとあらためて問いながら、他者とともに平和に生きることを求める思考を、ヒロシマ平和映画祭の催しに来てくださるみなさんと分かち合いたいと願っているところです。

アンゲロプロスとエレニ/ギリシア──『エレニの帰郷』を見て

テオ・アンゲロプロスという映画監督は、冬の風景ばかりを撮り続けていたのではないだろうか。『旅芸人の一座』から、先頃公開された遺作『エレニの帰郷』に至るまで。雪や冷たい雨のなかに廃墟が沈んでいくような映像──それを極限まで拡大したのが、『エレニの旅』における水没する村の映像なのかもしれない──、それはカタルシスなき歴史、彼の映画でしか伝えることのできない歴史のアレゴリーのようにも思われる。

実際、旅芸人の一座の旅に、イタリアとドイツの侵略に晒される1930年代後半から内戦が一応の終結を見る1950年代初頭までのギリシアの歴史を凝縮させ、そこにギリシア悲劇のオレステスとエレクトラの別離と再会が見事に重ねられる『旅芸人の記録』においては、一座のなかに埋めることのできない溝が穿たれ、その一人ひとりのなかに癒えることのない傷が刻まれていくさまが、およそ15年にわたるギリシア史の亀裂から浮かび上がってくる。また、『エレニの旅』における、息子の遺骸を見つけたエレニの突き刺すような叫びは、「永遠に続く苦悩は、拷問に遭っている者が泣き叫ぶ権利を持っているのと同じ程度には自己を表現する権利を持っている」という『否定弁証法』におけるアドルノの言葉を思い起こさせずにはおかない。

家族の逃れの場所だったオデッサからみなしごとなってギリシアに帰還したエレニの苦難の生涯に、20世紀のギリシアの苦難を重ねる『エレニの旅』は、国家の反逆者を匿った疑いで監獄を転々とするあいだに、まず内縁の夫を沖縄戦で失った──エレニの幼なじみで、後に恋人となるアレクシスは、音楽家として羽ばたくチャンスをアメリカに求めた後、家族を呼び寄せるために米軍の移民部隊に加わっていたのだった──うえに、第二次世界大戦後の内戦で、双子の息子まで亡くしてしまった彼女の慟哭によって締めくくられるのである。その声は、こうして歴史の暴力に晒され続けながら、エレニがそれでもなお生きている証しを、見る者の胸に刻むだろう。

そう、エレニは生き続けなければならない。別離と再会を繰り返しながら。20世紀の歴史に翻弄されるエレニの旅は続く。その過程でエレニはさらに傷を負い、その子どもも孫も傷を内に抱え込んでいく。アンゲロプロスの遺作『エレニの帰郷』(原題は“The Dust of Time”:「時の塵」)は、アンゲロプロス自身を映し出すかのような映画監督Aが、自分の両親の生涯を歴史と照らし合わせる映画を作ろうとする試みを縦糸に、その母親エレニと父親のスピロス、そしてシベリアの収容所からエレニに寄り添ってきたユダヤ系難民ヤコブの別離と再会、そしてAとその妻の離婚、さらにはそれをきっかけにしたAの娘のエレニの抑鬱を緯糸に絡ませながら織りなされていく。その運びは、これまでのアンゲロプロスの作品に比べると、いささか急な印象もなくはない。

とはいえ、この映画の基調となるのもやはり冬の風景である。スターリンの死去が報じられる雪のテミルタウ──ここに映画の時間的な原点を置くなら、『エレニの帰郷』は、『旅芸人の記録』、それと当然のことながら『エレニの旅』が終わった時点から始まっていることになる──、凍てつくシベリア、冷たい霧が立ちこめるカナダ、そして冬の重い空がのしかかる20世紀最後の日のベルリンと映画は巡り、そのベルリンでAは両親とヤコブに再会するのだが、その廃墟では、幼くして生きる拠り所を失った小さなエレニが自殺を図ろうとしている。そんなエレニと祖母のエレニの感情が共鳴し、自殺が未遂に終わるところには逆に、20世紀を生き抜いたエレニの傷が、癒合しないままその孫にまで転移していることが浮かび上がっているように思われる。

アンゲロプロスの映画において、そのような傷を噛みしめる自分の生の息遣いを他者と通い合わせ、生きていることを確かめる場として、音楽につねに重要な位置が与えられている。『旅芸人の記録』におけるアコーディオンの哀調を帯びたメロディ、『こうのとり、立ちずさんで』における国境を越えて交換される歌、『エレニの旅』におけるヴァイオリン弾きニコスを中心とする「音楽の溜まり場」が思い起こされる。しかし、『エレニの帰郷』では、音楽にこれまでとは別の意味が込められているようにも思われる。ベルリンの地下鉄駅でのストリート・バンドの音楽とそれに合わせた主人公たちの踊りは、映画を最後の展開へ動かすことになるのだ。再会を喜び、ヴィッテンベルク広場駅の階段で肩を寄せ合って踊る年老いたエレニ、ヤコブ、スピロスの三人のなかでは、それまでの生涯が走馬灯のように駆けめぐっているのだろうか。

このとき、ひときわ踊ることに熱心だったヤコブは、エレニとスピロスに別れを告げた後、シュプレーの運河に身を投げる。あたかも、エレニとともに生き抜いた苦難のなかにのみ彼の人生があったかのように。彼は天使の「第三の翼」を手にすることができなかったのか、あるいはそれを求めて身を投げたのか。ヤコブの自殺は、小さなエレニの自殺未遂と対をなしながら、20世紀における離散の民の苦悩を象徴しているのかもしれない。彼は、イスラエルへの「帰還」の機会をみずから見逃して、エレニとともにディアスポラを生き、ディアスポラのままみずから生涯を閉じた。そのようなヤコブを演じたブルーノ・ガンツの演技は、これまで見た彼の演技のなかで最も含蓄に富むものだったと思われる。

アンゲロプロス『エレニの帰郷』スチル画像

映画『ハンナ・アーレント』を見て

マルガレーテ・フォン・トロッタ監督の『ハンナ・アーレント』をようやく見ることができた。この映画の焦点は、イェルサレムでのアイヒマン裁判を傍聴し、それをつうじて見いだされた「悪」の真実を、勇気と弛まぬ意志を持って伝えるアーレントの姿である。彼女は、ユダヤ人であるために、亡命先でのフランスで抑留を余儀なくされ、死の収容所へ移送される危険に直面した経験を持つが、このような苦難の日々に連れ戻されることを覚悟のうえで、彼女は裁判を傍聴しにイェルサレムへ出かけ、それをつうじて考え抜いたことを、包み隠さず伝えようとする。

こうした彼女の生きざまのなかで貫かれる「私は理解したい」という意志と、ナチの親衛隊は「怪物」であるといった前提をも突き抜ける思考──「思考」と「意志」は、彼女の未完の遺作『精神の生活』のテーマでもある──こそ、映画全体のテーマであろう。それゆえ、アイヒマン裁判のシーンにおいても、焦点となるのは、去来する大戦中の記憶に苛まれながら裁判に臨み、裁判の進め方に苛立たされながらも、「アイヒマン」という問題に向き合い続けるアーレントである。そのような彼女の内面の掘り下げも──そのために裁判の歴史的な叙述が犠牲になっている面もあるが──、見応えがある。

裁判の傍聴をつうじて捉えられたアイヒマンの「悪の凡庸さ」を──アーレントがユダヤ人指導層のナチによるユダヤ人移送への荷担を指摘していることと相俟って──、当時の多くの人々は理解できず、そのためにアーレントは、轟々たる非難の嵐に巻き込まれることになるのだが、アイヒマンの悪が、さらにありふれたものになっているという意味でも「凡庸」である現代に生きる者は、そこにある、自分自身を問い、行ないを省み、自律的に判断する思考──アーレントによれば、「人間性」そのものを形づくる思考──の欠落という問題に、みずから考えることによって向き合うべきだろう。そのことが「世界」と友人たち──「民族」ではなく──への愛をもって生きる力になることを、バルバラ・スコヴァ演じるアーレントは、力強く示していた。スコヴァは、落ち着きと温かみのある演技で、アーレント独特の率直さに奥行きを与えていたように思う。

フォン・トロッタの映画におけるアーレントには、『イェルサレムのアイヒマン』という傍聴記に向けられた、彼女は冷酷であるという非難を反駁する意味でも、非常に温かいが、それがメアリー・マッカーシーとの親交や、ドイツ語で思いを打ち明けられる環境に支えられていたことも、映画では強調されている。その名も『私は理解したい(Ich will verstehen)』という表題の対談集に収められたインタヴューのなかでアーレントは、亡命後、自分にはドイツ語という「母語だけが残った」と表白しているが、アメリカでの生活のなかでもドイツ語で思索し、ドイツ語で親しい人と遣り取りする彼女の姿が捉えられている点も、この映画の特徴と言えよう。

ちなみにこの映画では、アーレントに「思索」を教えた一人であるハイデガーとの関係にも光が当てられているが、朴訥ながら力強く「思索」そのものを語りかける若き日の姿と、老いてなおアーレントとの「縒り」を戻そうとする彼の姿の落差が大きく、やや滑稽な印象もなくはない。この映画で、それ以上に卑小に描かれているのが、アーレントと同じくハイデガーに学んだハンス・ヨーナスであるが、それにより、みずからの思考を貫くアーレントの姿がいっそう力強く際立つことになる。おそらく、勇気と温かみの双方を強調しながらフォン・トロッタが描きたかったのは、過去の苦難や人間関係だけでなく、理由のない非難にも苦悩しながら、それに応答し、みずからの言葉で「悪」への洞察を実直に伝え続けようとするアーレントの意志──「私は理解したい」という意志である──と、そのなかで貫かれる、他者と世界を肯定する愛──これは彼女がアウグスティヌスから学んだものだ──であろう。『ハンナ・アーレント』は、これらが徹底的な思考と一人の人間のなかで緊密に結びつきうることを、力強く示した映画と思われる。映画『ハンナ・アーレント』画像