初秋の仕事など

[2017年8/9月]

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大田川放水路の堤の彼岸花

秋風の涼しい時期になりました。彼岸花が残る川堤にも、柔らかな陽射しの下、気持ちのよい風が吹いています。早いものですでに十月。大学の学期が始まりました。また学生たちと向き合う日々が続きます。そして今期は、他者とともに生きることへ向けた一人ひとりの学生の問題意識を引き出すと同時に、現在の危機を歴史認識をもって見通しながら、それを生き抜く思考の回路を、ベンヤミンの思想の研究をつうじて探ることにも力を入れなければなりません。

さて、去る九月には二つの場所で、音楽をめぐって考えてきたことをお話しする機会に恵まれました。9月14日に武生国際音楽祭2017の作曲ワークショップにて「嘆きの変容──〈うた〉の美学」というテーマでのレクチャーをさせていただいたことは、すでに別稿でご報告したとおりですが、それに先立って9月11日には、大阪大学中之島センターで開催されたシンポジウム「シアトロクラシー──観客の美学と政治学」にて、広島でオペラの上演に関わってきた経験を踏まえながら、現代におけるオペラの位置と意義をその可能性へ向けて省察する研究報告をさせていただきました。シンポジウムの開催へ向けてご尽力くださった大阪大学大学院文学研究科の田中均さんに、この場を借りて心から感謝申し上げます。

20170911poster『芸術の至高性──アドルノとデリダによる美的経験』などの著書のあるフランクフルト大学のクリストフ・メンケさんを囲んでのシンポジウムでは、「音楽゠劇(ムジーク゠テアーター)の批判的構成に向けて──ベンヤミンとアドルノの美学を手がかりに」と題する報告を、ドイツ語で行ないました。アドルノの『ヴァーグナー試論』における「幻像(ファンタスマゴリー)」としての楽劇を批判的に検討する議論を、現在のオペラの文化的現象に当てはまるものとして捉えつつ、そこに含まれる観客支配制(シアトロクラシー)の問題にも論及したうえで、広島で上演されたモーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》と細川俊夫の《リアの物語》の一端の分析と、ベンヤミンとアドルノの美学とを手がかりに、オペラを詩的な要素と音楽的要素の緊張のなかで人間の残余の媒体をなす「音楽゠劇」として捉え返す可能性を提示するという内容の報告です。その日本語の原稿は、遠からず活字にしてお届けしたいと考えております。

そこで触れたモーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》は、9月30日と10月1日に広島市のJMSアステールプラザで開催されたひろしまオペラルネッサンスの公演(委員を務めているひろしまオペラ・音楽推進委員会の主催)で取り上げられた作品です。川瀬賢太郎さんの指揮、岩田達宗さんの演出による今回のプロダクションは、モーツァルトとダ・ポンテの手になる作品に真正面から向き合って、作品そのものに含まれる美質を、見事に引き出していたと思います。四人の恋する男女をはじめとする登場人物がほぼ同等の役割を果たすこのオペラにおいては、重唱によってドラマが運ばれていくのが特徴的ですが、それを支える歌手たちのアンサンブルも非常に緊密でした。稀に見る完成度でモーツァルト後期の傑作の全貌を提示できたことは、ひろしまオペラルネッサンスにとって大きな、そして今後につながる成果であったと考えております。公演にお越しくださった方々に心より感謝申し上げます。

59435900a3886今回の《コジ・ファン・トゥッテ》の公演のプログラムにも、作品解説として「清澄な響きのなかに開かれる人間の内なる深淵──モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》によせて」と題する小文を寄稿させていただきました。この作品が19世紀のブルジョワ社会に評価されなかった背景を、作品の構成やその基盤にある思想から解き明かすとともに、その社会の「人間」像を踏み越える自由を、モーツァルトの音楽が人間の深淵から響かせていることに力点を置いて、作品の特徴を紹介する内容のものです。作品と今回のプロダクションのアプローチを理解する一助であったとすれば幸いです。それにしても、公演の会場に居合わせて、後期のモーツァルトの澄みきった響きに身を委ねるとともに、そのなかに抉り出される人間の内奥からの情動を肌で感じることができたのはとても幸せでした。

9月2日には、東京から津市美里町に拠点を移して四年目になる第七劇場の広島での公演を、広島市東区民文化センターで見せていただきました。今回取り上げられたのは、イプセンの「人形の家」。そのテクストに内在する仕掛けを、言葉と身振りの双方でしっかり表現する一方、日本でいち早く戯曲の内実を論じた人々の言葉を含め、新たな要素を付け加えながら、ノラが一人の人間として自立して生きていくことを、その困難も含めて浮き彫りにした舞台作りは、実に興味深かったです。それによって「人形の家」という作品が、ジェンダーやレイシズムの問題が幾重にも絡み合った問いを投げかけるものとして浮き彫りにされていたと感じました。この日の終演後に登壇させていただいたポストパフォーマンス・トークでは、こうしたことを、劇団の主宰者で今回の舞台を演出された鳴海康平さんと楽しく話すことができました。

21740934_1633032076749158_8229968318528997813_o9月19日には、JMSアステールプラザでHiroshima Happy New Ear(細川俊夫さんが音楽監督を務める現代音楽演奏会シリーズで、主催はひろしまオペラ・音楽推進委員会)の第24回の演奏会が、トランペット奏者のイエルーン・ベルワルツさんとピアニストの中川賢一さんを迎えて開催されました。細川さんが当初オーケストラとの協奏曲として作曲した《霧のなかで》、ヒンデミットやエネスクのトランペットのための作品のほか、リゲティのオペラ《グラン・マカーブル》のなかのゲポポのアリアの編曲版などが取り上げられたこの演奏会は、豊かな歌と多彩な音色を兼ね備えたベルワルツさんのトランペットに魅了されたひと時でした。彼の演奏は、呼吸と歌の延長線上にあることを、20世紀前半の音楽からジャズに至るプログラムをつうじて実感させられました。終演後、トーク・セッションの進行役を務めました。

8月の下旬には、ごく短期間ではありましたが、2月上旬まで滞在していたベルリンを訪れました。その主要な目的の一つが、コンツェルトハウスを会場に毎年開催されているYoung Euro Classicという世界中のユース・オーケストラが集う音楽祭で、広島のエリザベト音楽大学のオーケストラと合唱団が細川俊夫さんの《星のない夜》を演奏するのを聴くことでした。トラークルの詩を歌詞に用いて季節を歌いつつ、四季の巡りのなかに第二次世界大戦末のドレスデン空襲と広島への原爆投下の体験を浮き彫りにする声楽とオーケストラのための大規模な作品を、核エネルギー発見の地であり、かつ今も戦争の記憶を至るところで刻み続けているベルリンの地で演奏することには、歴史的な意義があったと思われます。

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Young Euro Classicの会場となったベルリンのコンツェルトハウス

《星のない夜》の演奏は、「冬に」の楽章とそれに続く間奏曲に聴かれる不穏で途方もない破局の予感を含んだ自然の息吹が、最後の楽章で浄化されて死者の記憶とともに穏やかに空間を包むに至る一貫した流れを感じさせる演奏に仕上がっていました。「ドレスデンの墓標」の楽章における破壊の表現の凄まじさ以上に、哀しみの表現の深さや、静かな箇所における繊細で抒情的な表現の美しさが際立っていて、そこに作品への取り組みの真摯さが感じられます。広島の若い音楽家にこそ可能な《星のない夜》の魂の籠もった演奏は、満場の聴衆に深い感銘を与えていましたし、現地のメディアにもおおむね好意的に受け止められていました。

今回の日本語の原文で歌われた「広島の墓標」の楽章に込められた言葉を失うまでの恐怖と悲しみは、藤井美雪さんの深く、強い声を介して会場全体を震わせていました。小林良子さんが歌った、地上の世界に怒りをぶつける「天使の歌」も、強い緊張感によって時の流れを宙吊りにし、繰り返されてきた人間の過ちとその忘却を、鋭く問いただしていたと思います。このような、真の意味で強い歌に耳を傾けながら、広島で被爆した子どもの詩が伝える沈黙のうちにある恐怖の忘却が新た破局を招き寄せようとしている今、これらの歌の内実を思考によって掘り下げることが求められていることをあらためて思いました。激昂する天使の声が空間を切り裂くように、記憶の抹殺を積み重ねていく時の流れを断ち切りながら、生存の余地をベンヤミンの言う「瓦礫を縫う道」として開く可能性を、研究をつうじて探っていきたいと考えているところです。

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クラクフへの旅より

クラクフ旧市街の風景

クラクフ旧市街の風景

7月20日から24日にかけて、第19回国際美学会 [19th Jubilee International Congress of Aesthetics, Krakow 21.–27. July, 2013] で研究発表を行なうために、ポーランドのクラクフを訪れました。クラクフを訪れるのは、2009年の秋以来2度目ということになります。幸いなことに滞在中はずっと晴れていて、日差しに映える緑がとても美しかったです。クラクフの人々が憩う緑深い公園に囲まれるような感じで、歴史的な建造物が建ち並ぶ旧市街があるのですが、大きな市場の建物があるその中心は、世界各地から集まった観光客でかなりごった返していました。ちょうどヴァカンスの季節でもあります。

国際美学会は、古くはコペルニクスが、比較的新しいところではローマ教皇ヨハネ・パウロ2世も学んだという中欧最古の大学の一つヤギエヴォ大学(1367年創立)の新しい講堂 [Auditorium Maximum] を会場に開催されています。旧市街の中心から少しばかり離れたところに、おそらくごく最近建てられたと思われる講堂は、非常に機能的で、大ホールを二つに分割して同時に使用できますし、映写や音響の装置が整った比較的小規模のホールやセミナー・ルームも数多く備わっています。そのため、膨大な数に及ぶ学会のセッションを、ほぼすべて同じ講堂の内部で回すことができています。これは、いくつものセッションを渡り歩きたい学会参加者にとっては非常に便利です。ロビーの横にはスタッフ常駐のクロークが、また地下には会食も可能なビストロも備わっています。このような施設が、広島市の千田町にある広島大学の跡地あたりに建設されれば、とも思ったところです。

7月23日の夜のセッションに組まれていた私の研究発表は、さまざまな方のサポートのおかげで、大過なく終えることができました。“Toward the Poetics of Echo: From Revisiting the Image of ‘Echo’ in Walter Benjamin’s Writings”というテーマで行なった発表は、ヴァルター・ベンヤミンの著作、とくに「翻訳者の課題」と「歴史の概念について」に見られる「谺(こだま:Echo)」の形象とそれが示唆する美的経験を検討しながら、「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」以後の詩的表現の可能性とともに、いわゆる「表象の限界」を超える歴史的想像力の可能性を探る試論とでも言うべき内容のものです。あるいは、自己が根底から震撼させられるほどの強度を持った「照応(コレスポンデンス)」の経験のなかから、言語の限界において「谺」としての言葉を響かせることのうちに、テオドーア・W・アドルノの「アウシュヴィッツ以後詩を書くことは野蛮である」という言明に応答する回路を探る試み、とも言えましょうか。発表のなかでは、パウル・ツェランの「黒土」や「帰郷」、あるいは原民喜が小説「夏の花」に挿入した詩や彼の「鎮魂歌」にも言及しました。温かい雰囲気のセッションで、何人もの方から好意的なコメントをいただけたのが嬉しかったです。内容的にはまだまだ詰めなければならない点がありますし、英語での研究発表にはいろいろと課題がありますが、ともあれまずはよい経験になったと思います。

ちなみに、“Aesthetics in Action”を全体のテーマとする今回の国際美学会を、クラクフ市は全面的に支援している──おそらく資金面でも相当に──ようで、この学会に合わせたいくつもの芸術に関わるアクティヴィティも企画されていました。まず、7月22日の夕方にはフィルハーモニー・ホールで、ヤチェク・カスプツィクの指揮による、クラクフのベートーヴェン・アカデミー管弦楽団の演奏会が行なわれ、国際美学会の枠内で開催されるこの演奏会のために作曲された、カロル・ネペルスキという若い作曲家の“Aisthetic Symphony”──「感性の交響曲」とでも訳せばよいのでしょうか──という作品が初演されました。オーケストラの楽器によって、あるいはそれ以外の水笛のような楽器によって、さらにはサンプリングされた音声によって響く断片的なモティーフを、いくつもの方向から響かせることで、聴覚を空間的に拡げていこうという発想そのものは理解できるのですが、音楽的にはそれほど面白いところのない単純なモティーフが、これまたあまり音楽的な必然性が感じられないかたちで延々と反復されるのは、個人的には聴いているのが辛かったです。

7月23日の夜遅くには、旧市街の中心にある時計塔に、アフガニスタンやイラクの戦争に動員されたポーランド兵およびその家族の言葉を、軍用車によって投影し、さらにその言葉を銃声とともに撃ち崩すという、現代芸術家のクシュシトフ・ヴォディチコのパフォーマンスが行なわれました。アメリカを中心とするいわゆる「テロとの戦争」の列に加わろうという国家政策のために、戦争のなかで心身に傷を受け、家族との関係にも傷を負わされた兵士、そしてその家族の言葉が、断片的な叫びとして突き刺すように時計塔に投げつけられ、それが轟音とともに掻き消されるのを目の当たりにすると、戦争の暴力が今なお続いていることを強く感じざるをえません。

前回2009年にクラクフへ初めて来たのは、そこからアウシュヴィッツを訪れるためだったのですが、今回も学会の予定が組まれていない7月21日を使って、アウシュヴィッツへ行ってきました。クラクフ本駅に隣接するバス・ターミナルから1時間半ほどのところにあります。アウシュヴィッツの展示やビルケナウの廃墟を見るのは今回が二度目なので、前回ほどの衝撃は受けなかったものの、これらの場所で行なわれた計画的にして大規模な抹殺の痕跡を目の当たりにすると、戦慄を覚えないではいられません。しかし、これを見据えて、何が行なわれたのかを、現在の問題として考え続けなければならないと思います。アウシュヴィッツのガス室やビルケナウのバラックからは、今も気配のようなものが感じられます。

さて、10時から15時までの時間、国立博物館でもあるアウシュヴィッツでは、見学者はガイド・ツアー──ビルケナウまで行くと4時間ほどかかります──への参加を義務づけられています。私は前回同様、英語のツアーに参加しました。そして今回も、国家資格を持ったガイド──その一人に『アウシュヴィッツ博物館案内』の著者の中谷剛さんがいます──がよく訓練されているばかりでなく、伝えることへの並々ならぬ熱意をもって見学者を導いてくれることに、感動すら覚えました。英語のツアーのグループの参加者は、当然ながら相当な人数だったのですが、今回の年配のガイドの方も、人混みを避けて見学者をうまく誘導し、展示に関して要を得た、かつ内容の深い説明をしてくれました。その言葉が、ガイドの方自身の言葉になっているので、何が問題なのかが非常によく伝わってくるのです。今、広島で養成されるべきは、このように自分自身の言葉で被爆の記憶をしっかりと伝えられる、プロフェッショナルでかつ真に熱意を持ったガイドではないでしょうか。