Chronicle 2014

ダニ・カラヴァン《初めに》(霧島アートの森)内部より

ダニ・カラヴァン《ベレシート(初めに)》(霧島アートの森野外展示)内部より

年の瀬にようやく寒さが落ち着いた感がありますが、今年の冬の寒さは例年になく厳しさで、12月中旬には広島でもかなりの雪が降り積もりました。すでに別稿で述べたとおり、それは息苦しい冬の時代の到来を告げるかのようでもあります。東日本大震災と福島の原子力発電所の重大事故を経て、日本列島の人々の暮らしは少しは身の丈に合ったものに変わるかと思いきや、二度の総選挙を経てこの国に残ったのは、救いがたくフラットで、目障りなほどに華やかさを装う「ニッポン」という虚像。この自己慰撫と他者への憎悪によってのみかろうじて維持しうる華やかさを増殖させるために、今や放射能の深刻な脅威が、日本列島の全域に実際に迫りつつあります。そして、そのキッチュなきらびやかさと表裏一体の排他的な歴史修正主義は、暴力の歴史の犠牲になった人々の尊厳を奪いながら、日本列島に生きる人々の世界的な信用を損ねています。

人々の生を資本に売り渡して圧殺する「ニッポン」という神話の暴力に抗して、まずアジアの島々の連なりのうちに息をつく余地を探ることが、どうやら来たる年の課題になりそうです。そのために、これまでにも増して地に足を着けて哲学することが求められるように思われてなりません。そこで来年はまず、被爆70周年を迎える広島の記憶を、その複数性と世界性において再考し、その痕跡と証言を今ここで見届け、聴き届ける可能性を考えてみたいと思います。今年夏に起きたイスラエル軍によるガザ地区の人々の虐殺も連なる暴力の歴史を見通し、それを食い止める可能性へ向けて、ヒロシマの記憶は継承されるべきではないでしょうか。そして、その理論をもう一つの歴史、「国民」の名の下の暴力の歴史の残余から描き出される歴史の概念に結びつけていくのが、次なる課題となることでしょう。

そのためにも、先頃批判版のテクストが刊行されたヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について」を読み直すことが急務と思われます。その足がかりとして、今年の夏、奇しくもベンヤミンの誕生日に当たる7月15日に、学位論文を基にした著書『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』を平凡社から上梓することができました。そのためにご尽力くださった編集者の関正則さんと安井梨恵子さんに、あらためて心から感謝申し上げます。幸い拙著は、各方面で温かく迎えられているようで、すでに二つの書評が公にされ、一千人近い読者を得ています。また10月11日には、西南学院大学で拙著の合評会も催していただきました。その実現にご尽力くださった田村元彦さんと行友太郎さんに感謝申し上げます。

この合評会の場でも拙著に素晴らしいコメントをくださった森田團さんには、『週間読書人』紙の12月5日号に、「研究の大きな道標に──言語と歴史をめぐる思考の内的な連関を解釈する可能性を指し示す」と題する濃密な内容の書評をご寄稿いただきました。拙著の意義とアクチュアリティを緻密に読み解いたうえで、ベンヤミンの問いを受け継ごうとするモティーフまで汲んでくださっています。また、インパクト出版会の『インパクション』第197号には、細見和之さんによる拙著の書評「『歴史の天使』は破局に満ちたこの現在にあくまでとどまろうとする」が掲載されています。拙著のベンヤミン受容史における位置、彼の言語哲学と歴史哲学を接続させる議論の意義と射程などを明らかにするとともに、今後課題とすべき点もしっかり指摘した、非常に充実した内容の書評と受け止めております。これらを励みに、上に記したような課題に取り組むべく、研究に精進したいと思います。

今年も、講義と大学の公務と家事の合間を縫って研究と執筆を続ける日々が続いたわけですが、そのなかで、11月にバイエルン国立歌劇場で観たベルント・アロイス・ツィンマーマンの《軍人たち》をはじめ、素晴らしい音楽や舞台に触れられたのは大きな喜びでした。また、細川俊夫さんのモノドラマ《大鴉》の広島初演へ向けた日本語字幕制作や、武生国際音楽祭などでのレクチャーや演奏会をつうじて、音楽と言葉の関係について、実際に作品に触れながら考える機会を持てたことも刺激的でした。そして、私も「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌」という報告をさせていただいた12月下旬の原爆文学研究会は、あらためて詩を生きることの可能性を実感する貴重な機会となりました。詩を生きることの分有のためにも、言葉そのものをさらに掘り下げなければと思います。

以下に記すように今年一年の公的な活動を振り返ると、たしかに今年の前半はさまざまな仕事が積み重なって、相当に忙しかったことが分かります。そのためもあって、7月初旬に橈骨神経麻痺を発症し、2か月強にわたり利き手の右手が不自由な生活を余儀なくされました。おかげさまで今はほぼ何の問題もなく右手を使って仕事ができていますが、長いリハビリの日々は、生活観をかなり変えることになりました。以前は一顧だにしなかった筋力の強化のため、週二回ほどジムに通って、ウェイト・トレーニングとスイミングに取り組んでいます。その成果もあって基礎体力はいくぶん向上しました。引き続き体力の強化に努めながら、地道に仕事に取り組んでいきたいと思います。来たる年もよろしくご指導くださいますようお願い申し上げます。2015年がみなさまにとって少しでも平和で幸せに満ちた年になることを祈念しております。

■Chronicle 2014

  • 1月31日:細川俊夫さんの《星のない夜──四季へのレクイエム》の広島初演が行なわれた広島交響楽団第335回定期演奏会のプログラムに、プログラム・ノートを寄稿しました。この大規模な声楽作品《星のない夜》が、ゲオルク・トラークルの詩をつうじて、四季の循環とそのなかの生々流転を描きながら、広島への原子爆弾の投下とともに、ドレスデンへの空襲を想起する作品であることに触れたうえで、その構想の重要な契機となったのが、パウル・クレーの《新しい天使》とその絵に寄せられたテクストであることにも論及しています。《星のない夜》という作品全体の特徴を紹介し、この作品を、過去を想起するよう促す裂け目を含んだ新しい暦と特徴づけました。併せて、モーツァルトのフリーメイソンのための葬送音楽とヨーゼフ・マルティン・クラウスの交響曲嬰ハ短調の特徴も紹介しています。
  • 2月7日:同日付中国新聞29面に、「佐村河内守作曲」とされてきた作品の作曲者偽装問題について、「作品批評の在り方検証を」という論考を寄稿しました。「交響曲第1番HIROSHIMA」をはじめとする楽曲が別人の作曲によるものであったことが判明したことを受けて、その音楽自体を批評にもとづいて紹介するのではなく、耳が聞こえないなかで作曲する「現代のベートーヴェン」の神話だけを独り歩きさせてきた音楽業界とマス・メディアのあり方を批判し、そのイメージ戦略に乗って美談の消費に流れ、広島では「市民賞」を授与するにまで至った音楽文化のあり方に警鐘を鳴らす内容のものです。
  • 3月7日:学位請求論文「ベンヤミンの言語哲学──翻訳と想起」により、上智大学より博士(哲学)の学位を授与されました。この論文は、7月に刊行される著書『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)の基になった論文です。本にするにあたり、終章を中心にかなり改稿しました。論文要約が上智大学学術情報リポジトリに掲載されています。
  • 3月20日:広島大学総合科学研究科人間存在研究領域人間文化研究会編『人間文化研究』第6号に、「谺の詩学試論──ベンヤミンにおける『谺』の形象を手がかりに」が掲載されました。2013年7月23日に、ポーランドのクラクフで開催された第19回国際美学会 (19th International Congress of Aesthetics) において英語で発表した原稿 (Toward the Poetics of Echo: From Revisiting the Image of “Echo” in Walter Benjamin’s Writings) のもとになった日本語の草稿を改稿したものです。ヴァルター・ベンヤミンの著作、とくに「翻訳者の課題」と「歴史の概念について」に見られる「谺(こだま:Echo)」の形象を批判的に検討するとともに、それが示唆する美的経験を、パウル・ツェランや原民喜の詩的作品のうちに見届けながら、「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」以後の詩的表現の可能性とともに、いわゆる「表象の限界」を超える歴史的想像力の可能性を探っています。
  • 4月1日:丸川哲史さんの著書『魯迅出門』(インスクリプト、2014年)の書評「転形期における魯迅の『文』の探究を世界的な文脈へ解放する」が、『情況』3・4月合併号に掲載されました。魯迅の文学を、従来の魯迅研究などから解放しつつ新たに読み解き、そこに世界史を自主的に構成する道の模索を見て取ろうとする本書の特色を、魯迅の「文」の探究を中心に論じています。この「文」の探究を、中国を越えて同時代の文学における「文」の試みと接続させることによって、魯迅を読み直す新たな、世界的な文脈を開いている点に光を当てるとともに、それによって魯迅とヴァルター・ベンヤミンの同時代性が浮き彫りになっている点に注目しました。
  • 4月〜7月:広島市立大学国際学部の専門科目として、「共生の哲学I」、「社会文化思想史I」、「多文化共生入門」の講義、「発展演習I」、「卒論演習I」、オムニバス講義の「国際研究入門」を担当しました。「国際研究入門」ではコーディネーターも務めました。大学院国際学研究科の「現代思想I」では、ジョルジョ・アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの──アルシーヴと証人』(月曜社)を講読しました。全学共通科目として、「世界の文学」の2回の講義と「平和と人権A」の1回の講義を担当しました。広島大学では教養科目の「哲学A」の講義と「戦争と平和に関する総合的考察」の2回の講義を、日本赤十字広島看護大学では「人間の存在」の講義を担当しました。
  • 6月7日:広島市立大学の「いちだい知のトライアスロン」事業の出張講座として、広島市映像文化ライブラリーにて「迷宮としての映画──ヴォイチェフ・イェジー・ハス監督『サラゴサの写本』」と題する短い講演を行ないました。ポーランド貴族ヤン・ポトツキが1804年から1805年にかけてロシアのサンクトペテルブルグで秘密出版した幻想的な小説『サラゴサ手稿』を原作とするハス監督のこの1965年の作品の映像美は、ルイス・ブニュエルをはじめとする世界中の映画監督を魅了してきましたが、そこではナポレオン戦争時代のスペインのサラゴサで一人の将校が偶然手に取った一冊の古い写本のなかで回想が別の回想を呼び、物語がいつ果てるともなく連なっていき、さながら映画そのものが迷宮と化すかのようです。今回の講演では、ハス監督の傑作をポトツキの小説とともに紹介しながら、この迷宮としての映画の魅力に迫りました。
  • 7月1日:広島芸術学会の『広島芸術学会会報』第128号に、「『そっくり』の深淵へ──このしたPosition!!リーディング公演『人間そっくり』を観て」という劇評が掲載されました。5月2日に広島市の東区民文化センターのスタジオ2で行なわれた「人間そっくり」の公演の批評で、京都の演劇ユニットこのしたやみと三重県の劇団Hi!Position!!による、安部公房の小説『人間そっくり』を構成したテクストのリーディングによる公演を、リーディングと巧みな演出によって安部公房の作品の論理的な仕掛けを生かしたスリリングな舞台と紹介しています。
  • 7月12日:『図書新聞』第3166号に、「大衆文化の夢から目覚め、歴史の主体になれ──歴史への覚醒の場をなす形象の座標系」と題するーザン・バック=モースの『ベンヤミンとパサージュ論──見ることの弁証法』(高井宏子訳、勁草書房、2014年)の書評が掲載されました。ベンヤミンの『パサージュ論』の古典的研究を読み解き、そこにあるベンヤミンの「弁証法的形象」を媒体とする「根源史」の試みの救出に光を当てることで、歴史修正主義とも結びついた今日の大衆文化からの歴史への覚醒を今に語りかける一書として、日本の読者に紹介するものです。
  • 7月15日:著書『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』を平凡社より上梓しました。先に上智大学に提出された博士論文を改稿したものです。言語の本質を探究するベンヤミンの哲学的思考を、彼が生涯の節目ごとに著作のうちに描き出した天使の像に結晶するものと捉えつつ、そのような思考を、初期の言語論「言語一般および人間の言語について」から、遺稿となった最晩年の「歴史の概念について」に至るまで貫かれる思考として読み解き、ベンヤミンの思考を独特の言語哲学として描き出そうと試みるものです。本書は、言葉を発すること自体を「翻訳」と考えるベンヤミンの着想に注目しつつ、それが深化される過程を辿ることによって、言語そのものが、共約不可能な他者と呼応し合う回路を切り開く力を発揮しうることを示しています。さらに、過去の出来事を一つひとつ想起する経験のなかから、神話としての「歴史」による抑圧を乗り越えて新たに歴史を語る可能性をも、言語そのものから引き出そうとしています。もう少し詳細な内容と目次については、別稿をご参照ください。
  • 9月27日:9月27日と28日にアステールプラザ大ホールにて開催された、ひろしまオペラルネッサンスのビゼー作曲『カルメン』の公演のプログラムに、「掟を知らない自由を歌うオペラ、その掟破りの新しさ──ビゼーの『カルメン』に寄せて」と題するプログラム・ノートを寄稿しました。『カルメン』というのオペラの時代に先駆けた、かつ当時のオペラの慣習を破る新しさを紹介し、まさにそうした掟破りの新しさによって、けっして掟に縛られることのない、かつ身体的に生きられる自由が表現されていることを、時代背景などに目配りしつつ描き出すものです。
  • 10月〜2015年2月:広島市立大学国際学部の専門科目として、「共生の哲学II」、「社会文化思想史II」の講義、「発展演習II」、「卒論演習II」を担当しています。大学院国際学研究科の「現代思想II」では、カントの『判断力批判』の美と崇高の分析論を講読しています。全学共通科目として「哲学B」を担当しています。広島大学の教養科目「哲学B」の講義と、広島都市学園大学の「哲学」の講義も担当しています。
  • 11月16日:広島平和文化センターの主催による「国際交流・協力の日」の催しとして行なわれた広島市立大学国際学部の公開講座「大衆文化を通じた国際交流──世界各国における日本の大衆文化・日本における世界の大衆文化」の司会を務めました。
  • 12月21日:九州大学西新プラザで開催された第46回原爆文学研究会「戦後70年」連続ワークショップIV「カタストロフィと〈詩〉」 のパネリストとして、「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜を中心に」と題する研究報告を行ないました。テオドーア・W・アドルノの「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」という言葉を、その文脈から跡づけ、そこに含まれる問いを取り出したうえで、それに対する詩の応答の一端を、原民喜とパウル・ツェランの詩作のうちに求め、そこに含まれる詩の変貌ないし変革に、破局の後の詩の可能性を見ようと試みるものです。
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ミュンヒェンへの旅より

ミュンヒェン中央駅の少し北の石畳に見つけた石版

ミュンヒェン中央駅の少し北の石畳に見つけた石版

10月31日から11月4日にかけて、3泊5日とごく短期間ではありましたが、久しぶりにミュンヒェンへ出かけておりました。主な目的は、すでに別稿に記しましたように、バイエルン国立歌劇場におけるベルント・アロイス・ツィンマーマンのオペラ《軍人たち》の上演を観ることと、もう一つ、今まで訪れたことがなかったダッハウの強制収容所跡を訪れることでした。《軍人たち》の上演そのものについては、別稿をご参照いただくとして、最近観たオペラの公演のなかで最も優れたものの一つと言えるこの公演について、ここで付け加えることがあるとすれば、それは会場の熱気でしょうか。

10月31日、11月2日と二回観た公演のいずれもほぼ満席で、公演が始まる前から劇場は期待感に包まれておりました。二度目に観に行ったときには、開演1時間前から始まるEinführung(鑑賞の手引き、とでも訳せましょうか)──ドイツで演奏会やオペラ公演の前にしばしば行なわれる導入の講演で、オペラ劇場では劇場所属のドラマトゥルクが、時にピアノ演奏も交えつつ、作品やプロダクションの特徴を紹介します──に間に合うよう出かけたのですが、その会場のホールがすでに満員で、2回目の講演まで半時間ほど待つことになりました。その間、コーヒーを飲みながら、論考やドキュメントなどで一冊の本と言えるほど充実した内容のプログラムの一部を読むことができました。たしかに、この強烈な公演の前半だけで帰ってしまう人もいたにはいたのですが、そのような人たちは、舞台上でダンサーたちが裸体を血痕とともに露わにすることで暗示している暴力を、今も自分たちが生み出していることを正視しようとしないのでしょう。

11月1日には、同じバイエルン国立歌劇場でレオシュ・ヤナーチェクの《マクロプロス事件》の公演も観ることができました。カレル・チャペックの同名の戯曲にもとづくこのオペラでは、人間が死すべき者であることや、近代人のアイデンティティの複数性ないし多面性が、ルドルフ二世に仕えた錬金術師の父親が作った不老長寿の秘薬のおかげで337年生きたという主人公エミリア・マルティによって、非常に興味深いかたちで問題化されるわけですが、この主人公を歌ったナージャ・ミッチェルは、芯のある声で、オペラの舞台で卓越したプリマ・ドンナを演じるという困難な課題に応えていたように思います。彼女の歌に寄り添うヴィオラ・ダモーレの演奏も魅力的でした。この古い楽器は、ヤナーチェクの他のオペラ、例えば《カーチャ・カバノヴァー》でも重要な役割を果たします。

バイエルン国立歌劇場の《マクロプロス事件》公演のポスター

バイエルン国立歌劇場の《マクロプロス事件》公演のポスター

アルベルト・グレゴルを演じたパヴェル・ツェルノクはじめ、他の歌手たちもなかなかの力演を示していましたが、最も印象的だったのは、文字通り惚け役であるハウクを演じたライナー・ゴールドベルクの歌唱でした。未だ伸びのある声と巧妙な演技で、圧倒的な存在感を示していたと思います。ヤナーチェクの音楽に通暁しているというトマーシュ・ハヌスの指揮も素晴らしく、躍動感のある音楽の運びを示すだけでなく、深い間のなかかから劇的な瞬間を響かせてもいました。アルパード・シリングの演出には、いくつか疑問が残ります。最初の場面の弁護士の部屋に無数の椅子を積み重ね、時の堆積を表現するあたり、最近広島市現代美術館で写真で見たドリス・サルセドの作品を思わせて興味深いものがありましたが、最後の場面で、うずくまったエミリアと不老長寿の秘薬の処方箋を手に立つクリスタの上に、氷山を思わせる白い樹脂製の山が覆いかぶさるのは、あまりにも人為的で、かつ本来焼かれることになっている処方箋の行く末を曖昧にするものに思われました。それから、エミリアの337年の生涯が示すように、人が複数の名を名乗って、さまざまな「何者か」でありうることにも、もう少し光を当ててもよかったのではないでしょうか。

新しいレーンバッハハウスの玄関を屋内より

新しいレーンバッハハウスの玄関を屋内より

11月1日の日中は、最近改装されたレーンバッハハウスでじっくりと絵を見ました。展示スペースが大幅に拡がっていて、この美術館の柱である「青騎士」の画家たちの展示作品はもちろんのこと、とくにカンディンスキーとミュンターの展示作品がかなり増えている印象を受けます。同じ風景をこの二人がどのように描いているかを見比べたりできるよう、展示も工夫されています。カンディンスキーの作品の色彩、とくに色の配置と形態の関係にあらためて感銘を受けました。クレーの作品の展示も、以前より増えていて、拙宅の玄関にポスターを掛けている《薔薇の庭園》の実作を見られただけでなく、ちょっとした発見もありました。1921年の《野苺》という作品と1922年の《野人》という作品に、1920年の《新しい天使》に似た形態が見られるのです。この時期のクレーを貫くモティーフを暗示しているのかもしれません。オットー・ディクスらのいわゆる「新即物主義」の画家たちの作品の展示にも、その後のナチズムへの態度を配置で暗示するなどの工夫がなされていましたし、気鋭の作家ヴォルフガング・ティルマンスの作品にもスペースが割かれていました。建物や庭園も綺麗ですし、中央駅から歩いても行けますから、ミュンヒェンへ来られた際の訪問先としてお薦めしておきたいと思います。

レーンバッハハウスの庭園を二階回廊より

レーンバッハハウスの庭園を二階回廊より

翌11月2日は午前中に、今まで訪れたことのなかったピナコテーク・デア・モデルネ(現代美術館)の展示作品を見ました。まず建物の大きさに驚かされましたが、全体としては、ロンドンのテイト・モダンを横に広げた感じでしょうか。特別展として、ジャック・リプシッツの素描や写真が展示されていたり、ヨーゼフ・ボイスの新たな民主主義へ向けた「社会的彫刻」や複製による発信をはじめとするさまざまな試みが展示されていたのを興味深く見ましたが、やはり圧倒的な印象を残したのは、いわゆる「現代の古典」の絵画の膨大な展示でしょうか。キルヒナー、クレー、カンディンスキーの魅力的な作品が数多く展示されているだけでなく、シュルレアリスムの展開を見通せるようにもなっています。《ティロル》をはじめ、フランツ・マルクとアウグスト・マッケという第一次世界大戦で斃れた二人の画家の到達点を示す作品を目の当たりにし、しばらくその場を動くことができませんでした。

この日の午後には、ミュンヒェン在住の音楽批評家マックス・ニフラーさんに、イギリス庭園での散歩にお誘いいただきました。穏やかな日差しに黄色に色づいた木々の葉が映えるなかを一緒に歩きながら、たくさんの貴重なお話をうかがうことができました。バイエルン国立歌劇場で上演されているツィンマーマンの《軍人たち》にも話が及び、その初演を担当したミヒャエル・ギーレンは、ユダヤ系の出自を持ち、ナチスの迫害を受けた者としての実存的な決断として、このオペラのケルンでの初演の指揮を引き受けたのだと語っておられました。第二次世界大戦の戦いにドイツ軍の兵士として従軍し、負傷した経験を持つツィンマーマンがこの作品を書いたこととの符合を感じさせるお話です。イギリス庭園では、スポーツに汗を流したり、マースと呼ばれる1リットルのビア・ジョッキを傾けたりと、人々が思い思いに日曜の午後を楽しんでいました。

»Arbeit macht frei«と書かれた鉄扉が失われたダッハウ強制収容所の入口

»Arbeit macht frei«と書かれた鉄扉が失われたダッハウ強制収容所の入口

滞在最終日の11月3日は、午前中からダッハウの強制収容所跡へ出かけましたが、そこに着くなり、衝撃的な出来事を目の当たりにすることになりました。写真から分かるように、収容所の監視塔の下の鉄扉が»Arbeit macht frei«(「労働は自由にする」)の文字ごと無くなっています。11月1日から2日の夜間に盗まれたとのことでした。まだ犯人が捕まっていないので、誰がどのような意図をもってこの扉を盗んだのかはわかりませんが、ナチスの蛮行を象徴するものがこの場から取り去られること自体に、途方もない気味の悪さを覚えます。歴史修正主義の臭いを感じないではいられません。その日の昼前に行なわれた記者会見で述べられていたように、この歴史的な場所を保存することの精神の根幹を傷つける犯行であるのは確かでしょう。ちなみにこの扉は、1936年に強制労働によって鋳造されたオリジナルで、同じ文字を掲げた門が、よく知られているように、後にアウシュヴィッツにも造られました。アウシュヴィッツのそれも、一度盗まれて破壊されています。

そのようなわけで、空の色とは対照的に、非常に重苦しい気持ちを抱えながら収容所の施設を見て回ることになりました。1933年に開設されたこのダッハウの強制収容所は、最初の大規模な強制収容所の一つで、その後の強制収容所およびその運営のモデルとなっています。この収容所は、収容所を支配する親衛隊幹部の訓練地の役割も担っていたようです。さらに、この収容所の火葬場には、小規模ながらガス室も備わっていました。ここで「選別」された囚人たちが次々とガス殺されていたわけですが、それは東方の占領地に設けられた絶滅収容所における殺戮の実験の意味合いもあったのかもしれません。資料館では、こうしたことが歴史的背景とともに、きわめて詳細に説明されていました。心理学者のブルーノ・ベッテルハイムがここに収容されていたのはよく知られていますが、チェコの作家にして画家で、カレル・チャペックの兄のヨーゼフ・チャペックもダッハウに収容されていたことも知りました。カレル・チャペックの戯曲にもとづくオペラを観た直後だっただけに、このことは胸に迫るものがありました。

ダッハウ強制収容所の木立のあるメイン・ストリート

ダッハウ強制収容所の木立のあるメイン・ストリート

ところで、今回の旅行ではあまり落ち着いて食事をする暇がなく、朝食以外にまともに座って食べたのは、11月1日の夜の《マクロプロス事件》の公演後に、たまたま見かけたイタリア料理の店でペンネ・アラビアータを食べたときだけでした。勘定を済ませてその店を出るとき、Auf Wiedersehen!(さようなら)と店の人に声を掛けたところ、「チャオ、チャオ!」と愛想よく挨拶を返してくれたのですが、それを耳にして思い出したのが、旅のあいだ読んでいたヘルタ・ミュラーの小説»Herztier«(『心の獣』とでも訳せるでしょうか)の一節でした。そこでは、どこかで覚えた「チャオ、チャオ」の言葉をルーマニアの子どもが使うのを、大人が制止するのです。独裁者チャウシェスクの名を思い起こすから、というわけですが、それほどまでに彼の独裁の恐怖が、ルーマニアの人々、とりわけ彼の独裁体制に順応できない人々の身体に浸透しているのを、ミュラーの小説は、時に韻文の響きを聴かせる文体で、非常に細やかに描き出しています。この小説の錯綜した時間は、相互監視体制の暴力が、亡命に成功した人の心にも癒しがたい傷を残していることを暗示しているにちがいありません。

ドイツの東西統一と東ヨーロッパの「民主化」の決定的な契機となったベルリンの壁の崩壊から、今年の11月8日でちょうど四半世紀が経ちますが、このような節目に、ミュラーの文学が迫っているような、旧東側の独裁体制下に生きた人々の記憶を、例えば、今パレスティナで隔離壁によって、移動の自由をはじめ、あらゆる自由を奪われるだけでなく、不断の監視に曝されてもいる人々の経験と照らし合わせることが重要なのではないでしょうか。そうして、この隔離壁に象徴される新たな、時に不可視の壁が、レイシズムとも結びつきながら人々のあいだに張り巡らされていくのを食い止めることが喫緊の課題であることを、祝祭に湧きつつあるドイツに短いあいだ滞在して、あらためて思わざるをえませんでした。

バイエルン国立歌劇場におけるB. A. ツィンマーマン《軍人たち》の上演に接して

バイエルン国立歌劇場のB. A. ツィンマーマン《軍人たち》ポスター

作曲家ベルント・アロイス・ツィンマーマンについてのドキュメンタリーに収められたインタヴューのなかで、《軍人たち》のケルンでの初演を指揮したミヒャエル・ギーレンは、ツィンマーマンはこの途方もないオペラのために、今も社会に蔓延している暴力を仮借なく抉り出す音楽だけでなく、光彩に満ちた歌も書いたと述べていた。それに呼応するかのように、2014年の春と秋にバイエルン国立歌劇場で行なわれた《軍人たち》の上演で主人公のマリーの役を歌ったバーバラ・ハンニガンも、テレビ放送のためのインタヴューのなかで、マリーの歌にあるのは、美しいベル・カントだと語っている。

2014年の10月31日と11月2日に、このバイエルン国立歌劇場での《軍人たち》の上演に接する機会に恵まれたが、その際、ツィンマーマンが書いた、時に切々と、また時に身をよじるように歌われる光彩豊かな歌にしっかりと耳を傾けることができた。そして、その歌のなかから、暴力の蠢きを、あるいはその身体への刻印を感じないではいられなかった。例えば、第一幕におけるマリーとデポルトの出会いの場面において、両者の歌の高い音域への跳躍は、一方では「高貴」な人に対する態度としてマリーの身に染み付いてしまったコケットリーを、他方ではデポルトのぎらりと閃く艶っぽさを示しながら、その出会いに続く暴力の予感に充ち満ちている。

こうしたことがはっきりと感じ取られるほどに、アンドレーアス・クリーゲンブルクの演出は、ツィンマーマンの音楽を舞台に生かすものだった。彼は、現代のオペラの演出で時に見られるように、センセーショナルな仕掛けによって音楽を遮ってしまうことはない。彼はむしろ、音楽と身体的表現を緊密に結びつけることで、音楽そのものの強度をより凝縮されたかたちで伝えていた。クリーゲンブルクの演出は、ダンサーを数名登場させ──時に肉体を剝き出しにし、虐待の跡をも露わにする女性ダンサーの表現は、芸術的にきわめて洗練されたものと思われた──、歌手の身ぶりも舞踊的に様式化することによって、軍隊における訓育と当時の市民社会の抑圧性の身体的表現を、ツィンマーマンの音楽の厳密な形式性と一体化させることによって、《軍人たち》という作品の主題である暴力の核心に迫ることに迫ることに成功していたのではないだろうか。第二幕で舞台上の身ぶりは、さまざまな器物を叩きながら、音楽の厳格なリズムとも一つになっていた。

クリーゲンブルクの演出においてもう一つ特筆されるべきは、舞台装置である。多くの場面が舞台上に積み重ねられた檻のような箱部屋で演じられ、その一つひとつが前後に移動する。このことによって、ヤーコプ・ミヒャエル・ラインホルト・レンツの同名の戯曲にもとづくこのオペラの上演を困難にしている、異なった場所のほぼ同じ時間の場面が続くという問題を解くことだけでなく、軍隊の閉鎖性や、この閉鎖的な組織に内在する性暴力を、より鮮明に表現することができていた。さらに、舞台の両端から出入りする長机の使い方も印象的であった。それは当初マリーがシュトルツィウスへの手紙を認める机として現われ、後には彼女を市民社会から弾き出す力として現われる。大道具の運動がこれほど効果的に使われた舞台は、今まで観たことがない。

今回のバイエルン国立歌劇場での《軍人たち》の上演において、クリーゲンブルクの演出とともに感銘深かったのは、指揮者のキリル・ペトレンコの見事な統率力と、それに応えたオーケストラの力演であった。仮借のない打楽器の打撃の激しさも、第二幕に聴かれる瀆神的なまでに輝かしく響く金管楽器のコラールも印象的であったが、それにも増して素晴らしいと思われたのは、弦楽器群の表情の振幅の大きさであった。その緊密なアンサンブルは、時に荒々しく蠢き、また時に、時間が止まるかと思うまでに張りつめたピアノを聴かせてくれた。すでに触れたように、舞台上の打楽器奏者たちの巧みさも光ったし、ジャズ・コンボの演奏にも目覚ましいものがあった。

歌手たちのなかでは、やはりマリー役のバーバラ・ハンニガンが際立った存在感を示していた。彼女は、「ドラマティックなコロラトゥーラ」という無理な声質への要求に見事に応えながら、技術的にきわめて困難と思われる音の跳躍のなかで、艶と陰の双方を響かせていた。時折聴かれる柔らかなカンティレーナは、癒しがたい傷と幸福への切なる願いを一つながらに響かせていたように思う。マリーの姉のシャルロッテの役を歌った、オッカ・フォン・ダムラウの豊かな声も忘れがたい。レンツの詩を歌う冒頭の歌唱は、情景を破局の予感とともに浮かび上がらせていた。そして、第三幕に聴かれるマリー、シャルロッテ、ニコラ・ベラー・カルボーンが歌ったラ・ロシュ伯爵夫人の三重唱は、リヒャルト・シュトラウスの《薔薇の騎士》の終幕の三重唱の陰画のように響きながら、出口のない状況における慄きを切々と歌うものだったように思う。これら以外では、シュトルツィウス役を歌ったミヒャエル・ナジーが、思い詰めた男の深い叫びを見事に響かせていた。デポルト役のダニエル・ブレマも巧みだったが、彼を含めた男性歌手のそれぞれの性格の違いがもう少し際立てば、力関係としての人間関係がいっそう明瞭になったのではないだろうか。

幕切れが近づくと、マリーの陵辱が演じられた舞台中央の溝には、ゴミ袋が投げ込まれていく、人が、女性が、死に至るまで虐げられ、棄てられていく社会があることを、今に突きつける演出である。その傍らでは、別の女性の陵辱が続き、ゴミ袋のあいだを縫ってマリーを探す父親は、物乞いをするマリーをもはや認めることができない。そして、そのあいだも軍靴の音は止むことがない。それがふと静まったところで、凄まじい叫びが響いて、《軍人たち》は幕切れを迎えるわけだが、今回その叫びは、舞台上にいるすべての演者とスピーカーから発せられた。スピーカーから聞こえるのは、サンプリングされた無数の匿名の人々の叫びである。これらは、クリーゲンブルクの演出による今回の舞台において、軍隊組織のなかで最も腐敗したかたちで、しかも性暴力のかたちで今も跋扈している暴力の犠牲となったすべての人々の叫びを凝縮した叫びだったのではないか。このような叫びを劇場に響きわたらせることによって、ツィンマーマンは、この暴力の歴史の連続に介入しようとしていたにちがいない。そこにある歴史を中断させる力を、バイエルン国立歌劇場における今回の《軍人たち》の上演は、洗練された表現によって、またそれだけに凝縮されたかたちで劇場空間に発揮させるものだったと考えられる。

ほとんど一冊の本と言ってよいほど充実した内容の《軍人たち》プログラムの表紙

ほとんど一冊の本と言ってよいほど充実した内容の《軍人たち》プログラムの表紙