ベルリン通信X/Nachricht aus Berlin X

バージョン 2

ベルリン郊外の冬の夕暮れ

ベルリンに長く住んでいる人々から聞くかぎり、今年の冬は例年に比べて穏やかなようです。年によっては、気温が氷点下20度ほどまで下がる日が続くようですが、たしかにそのような日を体験することはありません。それでも、冷え込む日には氷点下10度ほどまで気温が下がることがあります。そのような夜に外を歩くと、風が頬を刺すようです。そして、次の朝には水たまりがすっかり凍っています。それから、時々娘を遊びに連れて行く近所のリリエンタール公園では、オットー・リリエンタールが飛行実験を行なった丘の前の浅い人工池も、その傍らにある大きくて深い池も、本格的な冬の訪れ以来、凍ったままになっています。

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リリエンタール公園の凍った人工池

凍った池では、子どもたちがよくスケート遊びを楽しんでいます。スティックとパックを持って来てアイスホッケー──こちらで最も人気のあるウィンター・スポーツの一つです──に興じている子どももいます。どうやらベルリンでは多くの子どもが、靴をはじめスケート道具を一式持っているようです。娘も一度、友達に道具を貸してもらってスケートを楽しみました。スケート靴をぶら下げた子どもに夕方のバスで出くわすこともしばしばです。夏は湖で泳ぎ、冬は凍った湖面を滑って遊ぶというのが、ベルリン子たちの水との親しみ方なのかもしれません。そう言えば、雪の残る街路を木製の橇に乗って──両親に橇を引いてもらって──行く小さな子どもも見かけます。

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凍ったリリエンタール公園の池

2月を迎えて、ベルリンでの滞在期間がいよいよ残り少なくなってきました。現在、今回の研究滞在の大きなテーマである〈残余からの歴史〉の概念について、ここまでの研究にもとづいて考えられるところを短めの論文にまとめながら、引き続き文献研究にも取り組んでいるところです。1月には、あらためてベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』とそれに関連した文献に取り組んでいました。その過程で、彼の生前に公刊された最も大規模な著作であるこの書が、彼の言語哲学、美学、歴史哲学を凝縮させているのみならず、彼の「迂路」としての方法論を、彼の思考を貫くものとして暗示していることなどを、あらためて考えさせられました。また、今後展開されるべき問題系への糸口がそこにあるという感触も得たところです。

本当はベンヤミンのバロック悲劇論のみならず、アドルノのいくつかの著作にも腰を据えて取り組みたかったのですが、1月は依頼された原稿の執筆や来学期の講義の概要の準備などに追われ、そのために時間を確保することができませんでした。アドルノの音楽論には、遠からず向き合わなければと考えています。そのようななか、1月にはごく短い原稿を一つ発表させていただきました。原爆の図丸木美術館ニュースに、「ミュンヒェンの芸術の家に掲げられた《原爆の図》──Haus der KunstのPostwar展における第二部《火》と第六部《原子野》の展示について」という短いエッセイを載せていただきました。昨年10月に見たミュンヒェンのHaus der KunstにおけるPostwar展に丸木夫妻の《原爆の図》より副題にある二部が展示されたことを報告し、展覧会の概要を含めて論評しながら、戦争の衝撃が美術そのものを変えたことを世界的な規模で展覧するPostwar展における《原爆の図》の重要性に触れるとともに、その実際の展示の様子、そして展示の意義を論じる内容のものです。

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ハンブルク大学での「少年口伝隊一九四五」上演のフライヤー

1月21日には、ハンブルク大学のアジア・アフリカ学科で行なわれた井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の日本語での舞台上演を観ました。学生たちが一学期をかけてこの戯曲のテクストに取り組んだ成果を示す今回の日本語上演は、熱のこもった素晴らしいものでした。広島弁の台詞を含め、俳優たちが言葉をしっかりと自分のものにして語っているのがひしひしと伝わってきました。また、原サチコさんの演出もとても工夫されていて、この作品の舞台上演の可能性を示していたと思います。これらが相俟って、井上ひさしがこの戯曲で、被爆後のきわめて困難な状況のなかで一人ひとりが生きること、そして死に追いやられることを、歴史のなかにしっかりと浮き彫りにしていることが伝わってきました。権力者が馬鹿馬鹿しい号令を発するなかで、自分の頭で考えることを止めずに死者たちの希望も担いながら生きることを説く「哲学じいさん」の言葉は、まさに今に語りかけるものでしょう。その役の熱演はとくに印象に残りました。

広島で1945年に起きたことを問いかける言葉を体を張って届けてくれたハンブルクの学生たちと原さんはじめ関係者のみなさんに、心から感謝しています。舞台に掲げられ、要所にプロジェクターで投影された四國五郎の絵も、場面を印象づける役割を果たしていました。なお、この上演には、ハノーファーに留学している広島市立大学の学生も、何人か観に来てくれました。そこで得られた刺激を広島へ持ち帰り、この経験を、ともに平和を考える関係を海を越えて築いていくきっかけにしていただきたいとも願っているところです。私も井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」は、何らかのかたちで広島での教育に導入したいと考えています。

ところで、1月にはいくつかの感銘深い演奏会を聴くことができました。なかでも、13日に聴いたイヴァン・フィッシャー指揮のコンツェルトハウス管弦楽団によるマーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」の演奏は、忘れられません。その五つの楽章が、挙げて死の沈黙からの生命の蘇りへ向かっていることを、微視的にも巨視的にも深く感得させる演奏だったと思います。19日に聴いた、ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会では、音楽自体の構成にもとづく深い充実感を味わわせてくれるブラームスの交響曲第1番ハ短調の演奏を聴けました。9日に聴いたシュターツカペレ・ベルリンの演奏会では、ダニエル・バレンボイムがモーツァルトの「戴冠式」協奏曲で、彼のピアノの健在ぶりを示していました。23日に聴いたジョルディ・サヴァールが率いるエスペリオンXXIとアンサンブル・テンベンベ・コンティヌオの演奏会は、歴史に翻弄された人々の故郷と異郷での生活のなかにこそ、音楽が息づいていることを、音楽そのものの喜びとともに振り返らせてくれる素晴らしい演奏会でした。29日にフィルハーモニア弦楽四重奏団の演奏会で、ベートーヴェンとショスタコーヴィチの第15番の弦楽四重奏曲を間然するところのない演奏で聴けたのも、非常に幸運だったと思います。

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劇団らせん舘の公園が行なわれたBrotfabrik

1月には、先に触れた井上ひさしの戯曲の上演も含め、演劇の公演も少し観ました。1月6日には、ベルリンに拠点を置きながら、多言語的な演劇の創作を続けている劇団らせん舘による„Etüden im Schnee: Eisbärin Toska“の公演を観ました。昨年クライスト賞を受賞した多和田葉子さんの小説『雪の練習生』(新潮社)のドイツ語版を基にした舞台で、「多和田さんが書いた言葉を非常に大事にして、言葉そのものが含み持つ動きや広がりを、最大限に生かそうとする姿勢が伝わる温かい舞台でした。20日には、ベルリナー・アンサンブルでのビュヒナーの「ヴォイツェク」の上演を観ました。レアンダー・ハウスマンの演出は、設定を現代の軍隊に読み替えたもの。流れる音楽などからアメリカの軍隊のことが念頭にあると思われますが、舞台を見ていて、沖縄などに駐留しているアメリカの海兵隊のことが、またその兵士の暴力に晒される駐留地の人々のことが頭から離れませんでした。

このように、音楽と言葉が今に息づいているベルリンから離れなければならないのは非常に名残惜しいのですが、そろそろ帰国の準備に取りかからなければなりません。本当は、さまざまな文献が揃っているベルリンの環境で進めなければならない研究がまだまだあるのですが、ひと区切りをつけて広島へ戻り、そこから今発言しなければならないことを見定めていくことが課せられていると感じています。心残りなことばかりですが、遠からずまたベルリンに短期間でも滞在して、研究の材料を蒐集したいと考えているところです。月末には、こちらで出会った素晴らしい友人が、心のこもった送別会を催してくれました。この友人をはじめとして、それぞれの仕事や学究に真摯に取り組んでいる友人たちに出会えたことは、何ものにも代えがたい喜びです。友人たちとの関係のなかで経験できたこと、あるいはカフェでの会話のなかで気づかされたことを、帰国してからの仕事のなかでしっかりと生かさなければと思っています。

フルトヴェングラーの影──ベルリンでの三つの演奏会を聴いて

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旧フィルハーモニーの椅子

現在、ベルリンのフィルハーモニーのロビーでは、「旧フィルハーモニー──ベルリンの神話」展が開催されている。演奏会の開演前や休憩時間には、多くの聴衆が、唯一残された旧フィルハーモニーの客席の椅子を含む、そこでの演奏会や催しの活況を伝える展示に見入っていた。写真を見ると、素晴らしい音響を誇っていた──そのことは、1940年代の録音からも充分に伝わってくる──このホールで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会やフリッツ・クライスラー、パウ・カザルスといった著名な音楽家を迎えての演奏会のみならず、コメディアンのショーに舞踏会、さらには政治集会──ドイツ共産党の大会も行なわれている──も開催されていたことがわかる。

このように、ナチス・ドイツの敗戦以前のベルリンにおいて、音楽の拠点としてのみならず、社交の中心としても機能していたベルンブルガー通り──かつてベルリンの主要駅の一つだったアンハルター駅の近く──の旧フィルハーモニーは、1944年1月30日の空襲で完全に破壊されてしまった。その廃墟の写真を見ながら、今まさにロシアの軍事的な支援を受けたシリア政府軍によって徹底的に破壊されているシリア東部の街アレッポのことを思わないわけにはいかなかった。この街では、ほぼ完全に封鎖された状態で住民が日夜攻撃に晒され、子どもを含むおびただしい非戦闘員が犠牲になったと聞く。家屋のみならず、多くの病院や学校も破壊された様子は、ドイツでは繰り返しニュースで伝えられていた。

このようなアレッポの状況が心配で、先週はなかなか音楽を聴こうという気にはなれなかったのだが、結果的には三度、旧フィルハーモニー展が開かれている現在のフィルハーモニーに通うことになった。いずれの演奏会も、ベルリンにおいてのみならず、世界的に重要な指揮者たちの現況を知る鍵となる演奏会と思われたからである。聴いたのは、12月12日のダニエル・バレンボイム指揮によるシュターツカペレ・ベルリンの演奏会、12月14日のインゴ・メッツマッハー指揮によるベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会、そしてクリスティアン・ティーレマン指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会である。いずれの演奏会でも、これらの指揮者が今抱いている音楽が十全に鳴り響いた演奏を聴くことができた。

バレンボイムが指揮したシュターツカペレの演奏会では、スメタナの連作交響詩《わが祖国》が取り上げられた。少なくとも、彼がこの作品のスタジオでのレコーディングを行なったことはないはずである。この時期に彼が満を持して臨んだ今回の《わが祖国》の演奏であることは、曲を完全に手中に収めた彼の指揮から伝わってきた。驚かされたのは、第1曲の「ヴィシェフラド」の冒頭からして、相当に大きくテンポを揺らしながら、波打つような曲の流れを形づくっていたこと。第2曲の「ヴルタヴァ」のよく知られたテーマも、けっしてルーティンに流れることなく、胸中に鬱積した思いがフレーズの頂点から流れ下るように歌わせていたのが印象に残る。この曲と第4曲「ボヘミアと森と草原より」で聴かれる、舞踊のリズムと一体になった旋律にしても、バレンボイムは、細かくテンポを動かしながら、独特の活気をもって歌わせていた。

この日のバレンボイムの指揮で、素晴らしいと思われたのが、こうしたテンポの変化が、ほとんど恣意的に感じられなかったこと。「ヴィシェフラド」から「ヴラニーク」に至る大河のような有機的な流れを形成するものとして、テンポの動きが存分に生かされていた。同時に「シャールカ」や「ボヘミアの森と草原より」などで聴かれる追い込みには、他の演奏では聴いたことのない勢いがあった。とりわけ「ヴラニーク」の終わりに、「ヴィシェフラド」のテーマをはじめとする他の曲の旋律が回帰し、万感を込めて歌われた後、曲の終わりへなだれ込んでいく一節には、凄まじいまでの求心力があった。他方で、「ヴルタヴァ」の神秘的な旋律や、「ターボル」でフス派の聖歌がコラール風に歌われる一節は、もう少し時間を取って歌わせてほしいとも思ったのだけれども。

若い頃のバレンボイムの指揮は、彼が少年時代にその薫陶を受けたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの亜流と揶揄されることもあったが、《わが祖国》の演奏を聴いて、バレンボイムの音楽は、作品を貫く有機的なダイナミズムを、バレンボイム独自の解釈で徹底的に抉り出すかたちで、フルトヴェングラーの精神を受け継ぐに至っていると感じた。そのような彼の音楽を、シュターツカペレ・ベルリンは、ほぼ余すところなく響かせていた。「ボヘミアの森と草原より」の冒頭のむせ返るような響きは忘れられない。

メッツマッハーが古巣のベルリン・ドイツ交響楽団──彼は2007年から2010年までこのオーケストラの音楽監督を務めていた──に帰っての演奏会で取り上げられたのは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《ミューズの神を率いるアポロ》とブルックナーの交響曲第4番変ホ長調《ロマンティック》。メッツマッハーはまず、とかく単調になりがちなストラヴィンスキーの新古典主義的な作品に内在するダイナミズムを引き出し、静と動のメリハリの利いた、同時に身体的な動きを感じさせる《ミューズの神を率いるアポロ》の演奏を繰り広げていた。とくにリズミックな曲の躍動は、この作品が《春の祭典》のような作品を書いたのと同じ作曲家の手によるものであることを思い出させた。

この日の演奏会において素晴らしかったのは、メッツマッハーのブルックナー解釈。全体的にやや速めのテンポを基調としながら、この《ロマンティック》交響曲において特徴的な、豊かな歌と、その背景をなす鬱蒼とした奥行きの双方を、けっして響きの透明感を損なうことなく鳴り響かせていた。それによって、それぞれの旋律の流れを形成する対位法的な動きが明瞭に浮かび上がると同時に、響きの風景とでも言うべきものが立ち上ってくる。ブルックナーの第4交響曲が、何故に「ロマンティック」と称されるのかを、音楽的に得心させるメッツマッハーの解釈だったと言えよう。ベルリン・ドイツ交響楽団も、非常に完成度の高い演奏でそれに応えていた。

メッツマッハーの解釈でもう一つ特徴的だったのは、各楽章全体の構成を有機的な流れにおいて見通しながら、各楽節の流れと楽節間の移行を繊細に、かつ自然なテンポの動きを伴いながら響かせていたこと。それによって、冒頭のホルンのテーマから、そのテーマが巨大な建築のなかで鳴り響くに至る一貫した流れが形成されていた。もちろん、響きの力感と勢いもけっして欠けておらず、例えばスケルツォでは、森を駆け抜けるかのように速いテンポのなかで、金管楽器のリズミックな音型が、力強く、かつ明確に響いていた。そこからほぼアタッカで続けられたフィナーレで聴かれる、トゥッティのユニゾンの壮大さも忘れがたい。この日の演奏においては、《ロマンティック》交響曲の難所とも言うべきコーダの演奏も成功していた。深沈とした響きが巨大な音響空間を形成するに至る流れを、メッツマッハーの解釈は見事に建築していた。

ティーレマンがブルックナーの交響曲を指揮するのには、一度だけ接したことがある。2010年3月27日にアクロス福岡で行なわれたミュンヒェン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で、ブルックナーの交響曲第8番ハ短調を指揮するのを聴いている。この演奏の際に少し気になった、曲の大きさを演出しようとするダイナミクスの不自然な細工や、持って回ったような音楽の運びが、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮しての交響曲第7番ホ長調の演奏からは、ほとんど感じられなかった。悠揚迫らぬテンポの運びは従前の演奏と変わらないながら、そこに自然な流れが加わったのは、ティーレマンの解釈の深化を示すものと思われる。全体的に、ノーヴァク版の楽譜に書き込まれたテンポの変化を、雄大な流れのなかに生かした演奏と言えよう。

この日の演奏で最も感心させられたのは、ティーレマンの指揮に力みが感じられなかったこと。それによって、第1楽章の第三主題がクライマックスに至る箇所や、フィナーレで全楽器が複付点リズムを刻む一節などで、かえって大きな響きの空間が開かれていた。また、アダージョの第二主題が、アクセントの後で少し音を抜くように奏されていたのも印象的だった。それによって、逆に深い息遣いが響いていたし、クライマックスへ至る大きなクレッシェンドにも、噛みしめるような味わいが生まれていたのではないか。テンポの変化も自然かつ効果的で、とくにスケルツォのアッチェレランドには強い求心力があった。さらに、第2楽章とフィナーレでは、はっとさせられるようなゲネラルパウゼも聴かれた。その後に響いた柔らかな旋律の美しさは忘れられない。フィナーレにおける歌謡的な第二主題の再現からコーダに至る壮大な流れは、ティーレマンの音楽の充実ぶりを示すものと言えよう。欲を言えば、曲全体のもう少し自然な流れを、第7交響曲からは聴きたかったところである。

この日のベルリン・フィルハーモニーの定期演奏会で、ある意味でブルックナーの演奏よりも味わい深かったのが、ルドルフ・ブッフビンダーを独奏に迎えてのベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調の演奏。華麗さからはほど遠い、どちからと言うと朴訥にリズムを刻みながら、フレーズのニュアンスを繊細に響かせるブッフビンダーのアプローチが、ティーレマンのごつごつとしたところのある音楽作りと見事にマッチして、作品のハイドン的な側面が最大限に引き出された演奏となった。第2楽章の味わい深い歌も、機知と曲の構成への洞察に満ちたフィナーレのロンドも実に感銘深かった。ブッフビンダーがとくにロンドで、楽節ごとにテンポとタッチを明確に区別していたのも印象的だった。

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破壊された旧フィルハーモニー

これらフィルハーモニーでの三つの演奏会を聴いて感じたのは、ベルリンでは今も、1920年代からその破壊に至るまで旧フィルハーモニーの中心にいたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの精神が生きていることである。彼が指揮した演奏で特徴的な、聴き手の胸を摑んで拉し去るほどの求心力を持ったテンポの動き──とくにアッチェレランド──は、作品を貫く有機的なダイナミズムを読み抜き、それを即興性をもって響かせるところに生まれていることは、あらためて言うまでもないことだろう。敢えてひと言で表わすなら、彼は時間芸術としての音楽の内的な生命を、音楽する瞬間の自由において響かせようとしたのだ。そのようなフルトヴェングラーのアプローチを、バレンボイム、メッツマッハー、ティーレマンといった指揮者が、それぞれに見直していることを、テンポを細かく、そして時に大胆に動かしながら、音楽作品の生命に迫ろうとする演奏から感じないわけにいかなかった。

とりわけブルックナーの演奏において、ギュンター・ヴァントの解釈に代表される、静的な運びのなかで音楽を建築するアプローチ──とくに日本におけるブルックナー像を決定したアプローチ──よりも、フルトヴェングラーが示していた動的に有機的な流れを響かせるアプローチが、指揮者たちのあいだで見直されつつあるのが興味深い。イヴァン・フィッシャーが、コンツェルトハウス管弦楽団を指揮してのブルックナーの第7交響曲の演奏(9月7日)において、ティーレマンとは対照的な全体の運びながら、かなり大胆にテンポを動かして、それぞれの旋律に内在するダイナミズムを抉り出していたのも印象に残っている。このようなブルックナーの解釈の潮流の変化が何を意味するのかは、古楽の演奏や現代の作曲家の音楽の動向も視野に入れつつ、広い文脈のなかで考察されるべき要素を含んでいるように思われる。

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バレンボイム゠サイード・アカデミーの内部の展示

ところで、最近ベルリンでは、フィルハーモニーでの演奏とは違ったかたちでフルトヴェングラーの精神を継承するものとも見られる動きがあった。 12月8日の夜には、現在改修中の州立歌劇場の建物の裏手に、ベルリンの新しい演奏会場ピエール・ブーレーズ・ザールとともに建設されたバレンボイム゠サイード・アカデミーの公式オープニングのセレモニーが行なわれたのである。ウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラをはじめとする場所で活躍する若い音楽家たちの全人格的な育成の場が、ベルリンの地に設立されたことになる。このオーケストラをバレンボイムとともに創立した比較文学者のエドワード・W・サイードも、幼年期にカイロで、フルトヴェングラーが指揮するベルリン・フィルハーモニーの演奏を聴いており、それがサイードにとっての音楽の原体験であったという。そのようなサイードとバレンボイムの思想が、若い音楽家の育成にどのように生かされるか、注目されるところである。人間関係を含めてばらばらに崩壊してしまったシリアの地に、人々の魂を呼応させ、背景の異なる人々を再び結びつけるきっかけをもたらす力を持った音楽家が、このアカデミーから育つことを願ってやまない。

ベルリン通信VII/Nachricht aus Berlin VII

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十月初旬のベルリンの秋空をボーデ美術館の脇より

十月は、こちらの大学では日本で言う新年度の始まる月で、今回の研究滞在に際してお世話になっているベルリン自由大学のダーレムのキャンパスも、ドイツだけでなく、世界各地からの新入学生を迎えてかなりにぎやかになりました。講義が本格的に始まるのは十月中旬からで、この点は、日本に比べるとかなりのんびりとした感じです。とはいえ、こちらでは日本で言う学会シーズンも始まっており、学内外で研究会合などの行事が目白押しで、それに関わっている教員は、かなり忙しそうに見えます。十月は、そうした慌ただしい大学の様子を横目に、ほぼ毎日大学の文献学図書館に通って、文献を見ながらいくつかの原稿を書いていました。

ちなみに、この図書館では、おしゃべりしながら入ってくる学生がいると、吹き抜けの上階からすぐに「シッ」という声が飛んできます。逆に、先日聴きに行った退職教員の最終講義では、いつもの調子なのでしょうが、ぼそぼそと語り始めたその教員に、「もっと大きな声で話してくれませんか!」という声が飛んでいました。大学では、学生のあいだでも、碩学に対しても遠慮というものがありません。そうした大学の気風は、日本でも大学という場所を風通しよくするためにも、もう少し重んじてよい気がします。もちろん、そうした大学の構成員に対する遠慮のない振る舞いは、それぞれの視座から真理を探究する学問の営みに対する敬意と、その自由の尊重に裏打ちされていなければ、傍若無人な横柄さにすぎません。大学とは、自由であることを学び合い、それを他人とのあいだに学問を追求する者自身が実現する場所であることを、学期初めのドイツの大学の風景を眺めながら、あらためて思いました。

ともあれ、十月は文献を読み、論文を書いているうちにあっと言う間に過ぎました。ベルリンでの滞在期間も残り少なくなってきたので、そろそろそのもう一歩先にある自分自身の研究テーマを掘り下げて形にする仕事に取りかかりたいと思っています。なお、雑誌のそのものが公刊されたのは、八月の末なのですが、原爆文学研究会の機関誌『原爆文学研究』の最新号(第15号)に、能登原由美さんの『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社、2015年)の書評を寄稿させていただきました。長年にわたり能登原さんが取り組んできた「ヒロシマと音楽」委員会の調査活動の経験にもとづく楽曲分析と平和運動史を含んだ現代音楽史の叙述によって、「ヒロシマ」が鳴り響いてきた磁場を、政治的な力学を内包する場として、「ヒロシマ」の物語の陥穽も含めて浮き彫りにするものと本書を捉え、今後もつねに立ち返られるべき参照点と位置づける内容のものです。

先日ようやくベルリンの滞在先に届いたこの『原爆文学研究』第15号には、拙著『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会、2015年)についての高橋由貴さんによる大変丁寧な書評も掲載されていました。それ以前の著書の内容を踏まえ、それを含めた一貫した問題意識を『パット剝ギトッテシマッタ後の世界』の議論から浮き彫りにして、それと正面から向き合った対話を繰り広げる批評を読んで、そこでテーマとして挙げられている、死者とともに生きることを、人間がみずからの手で引き起こした破局の後に生きること自体と捉えながら、その場を今ここに切り開くような歴史の概念を、ベンヤミンと対話しつつ探っていかなければ、とあらためて思いました。

ところで、10月2日には、ハンブルク・ドイツ劇場で活躍されている俳優の原サチコさんがハノーファーで続けておられる„Hiroshima-Salon“に参加させていただきました。ハノーファー州立劇場のCumberlandsche Galerieで開催された今年の„Salon“では、まず井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の抜粋の朗読に深い感銘を受けました。井上ひさしが、原爆に遭った少年たちの心情の機微に迫るとともに、広島がそれまでどのような街で、そこにどのような人々が暮らしていたかを浮き彫りにしながら、内側から生命を壊す放射能と外から迫る枕崎台風の洪水に呑み込まれていく少年たちの姿を細やかに描いていることが、ドイツ語訳からもひしひしと伝わってきます。考えることに踏みとどまることを、一貫して少年たちに説き続ける「哲学じいさん」の姿も印象深かったです。

「少年口伝隊」の朗読の後、ハノーファーと広島の青少年の交流をつうじて平和を創る人々を育てようとした林壽彦さんの事績とメッセージが、ヴィデオと当時を知るハノーファーの関係者により紹介されました。Hochschule Hannoverと広島市立大学の学生の交換を含め、ハノーファーと広島の現在の交流の礎になった林さんのお仕事の大きさをあらためて感じました。その後のトーク・セッションに参加させていただき、今ここで原爆を記憶することの意義と課題、そしてギュンター・アンダースの思想について、少しばかりお話させていただきました。学ぶことの多い機会を与えていただいたことに、心から感謝しているところです。ちなみに、お寿司とお茶が振る舞われた休憩の後、「ハノーファー最大」の„Karaoke-Show“では、ハノーファーの人々の日本のポピュラー・カルチャーへの愛着の深さ、そしてドイツと日本双方の「歌手」たちの歌の上手さに圧倒されました。

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ミュンヒェンのHaus der Kunstの外観

10月20日と21日にはミュンヒェンへ出かけて、Haus der Kunstで開催されている„Postwar: Kunst zwischen Pazifik und Atlantik, 1945-1965“を見ました。第二次世界大戦終結後の20年間の美術の展開ないし変貌を、„Postwar“という視点から、太平洋と大西洋の両方にまたがる世界的な視野を持って捉えようとするこの大規模な展覧会については、見た印象を別稿に記しましたので。ここでは、20日の夜にガスタイクで聴いたマリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団によるマーラーの交響曲第9番ニ長調の演奏について記しておきますと、彼が完成した最後の交響曲が、彼の生を愛おしむ歌に充ち満ちていることを、あらためて実感させるものだったと思います。その歌の美しさが芳醇な響きのなかに際立った演奏でした。とくに最終楽章のアダージョは美しかったです。心の底からの歌が響きが飽和するまで高まった直後に聴かれる、慈しむような歌の静謐さには心打たれました。ただその一方で、死に付きまとわれているがゆえに生を愛おしむ、その狂おしさが、深い影のなかから響いてほしかったとも思いました。

もちろん、ベルリンでも演奏会やオペラのシーズンが本格的に始まっており、どれに出かけるか迷う日々です。今月はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に三度通いましたが、三度目にしてようやくこのオーケストラの冴えた響きを聴くことができました。イヴァン・フィッシャー指揮によるバルトークとモーツァルトの作品を軸としたプログラムの演奏会では、一方で後半に演奏されたモーツァルトの「プラハ」交響曲の演奏が、この曲の大きさを意識しながらも、その至るところに見られるリズミックな動きを生き生きと躍動させるもので、深い感銘を受けました。曲の厳しさを鋭い響きで強調しながらも、典雅さをけっして失わない演奏で、とくにアンダンテの楽章を美しく響かせていました。やや早めのテンポを基調としながら、時にはっとさせるようなルバートを聴かせていたのが印象に残ります。

他方で、前半のバルトークの弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽では、まず、問わず語りのように静かに流れるモティーフが次々に折り重なって、やがて一つの力強い歌になり、深いため息のように響く瞬間に、恐ろしいほど深い空間が開かれたのに驚かされました。第2楽章のアレグロのテンポは当初控えめでしたが、それによってバルトークの書いた精緻なテクスチュアが実に生き生きと浮かび上がってきます。ハープとチェレスタによるさざめくようなパッセージの後、弦楽器の絡み合うモティーフが地の底から這い上がるように高揚した後は、フィッシャーはテンポを上げて、書の力強い跳ねのように曲を結んでいました。第3楽章のアダージョは、バルトークの夜の音楽が、深い闇のなかに無数の生命の蠢きを感じさせるように響きました。フィナーレでは、力強い「対の遊び」からバルトークの楽器が響いてきました。これまでの楽章の再現が、哀惜を帯びて美しく響いたのも感動的でした。

オペラでは、ベルリン州立歌劇場で観た、ベートーヴェンの《フィデリオ》の今シーズン最後の公演が感銘深かったです。ダニエル・バレンボイムの指揮の下、音楽的にきわめて充実した公演でした。ベートーヴェンが書いた音の一つひとつに生命を感じました。とくにシュターツカペレ・ベルリンの演奏が素晴らしく、垂直的な深さを感じさせる響きのなかに、リズムを躍動させていました。歌手たちも素晴らしく、とくにアンドレアス・シャーガーが歌ったフロレスタンのアリアは、絶唱と言ってよいほどの出来でした。レオノーレの役を歌ったカミラ・ニュルンドも、伸びのある声と正確な歌唱で人物像を浮き彫りにしていました。

この二人の二重唱から幕切れに至る音楽の内的な高揚は、圧倒的な力強さを崇高に響かせるものだったと思います。このベートーヴェン唯一のオペラのフィナーレに、彼が後にシラーの頌歌に乗せて歌う、人類的な共同性の予感がすでにあることを示した《フィデリオ》の上演でした。もちろん、その共同性から排除される者がいることも、舞台では暗示されていましたが。歌手のなかでは、ロッコ役を歌ったマッティ・サルミネンが非常に重要な位置を占めていました。存在感に満ちた声で、人物を結びつけながら舞台を動かしていました。「黄金の歌」も、台詞回しも説得力がありました。

ハリー・クプファーによる演出は、夫婦関係も含めた社会的な人間関係を超越するユートピアへの魂の跳躍を、ベートーヴェンの唯一のオペラに見ようとするもので、そのコンセプト自体は崇高なものでしょう。ただ、それを実現する手法にはいくらか疑問が残りました。ケルンに残されている、かつてゲシュタポによって拘留された人々が、憧憬と絶望の双方を表現する言葉を刻んだ壁を背景に使うというのは素晴らしい着想で、その前で歌われる囚人の合唱は圧倒的でしたが、ベートーヴェンの胸像の載ったピアノと写真をはじめ、小道具はあまり効果的ではなかったかもしれません。とはいえ、全体として、音楽とマッチした説得的な舞台であったのは確かでしょう。

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リリエンタール公園の桜の紅葉

このように、友愛の下に「人類」が立ち上がろうとする劇場の外では、差別的な憎悪表現が、まさに他者の自由を奪うかたちで撒き散らされているのも無視できません。それに対するドイツ社会の問題意識が、今年『憎悪に抗して(Gegen den Hass)』をフィッシャー書店から公刊して大きな反響を呼び起こしたカロリン・エームケのドイツ出版・書籍販売業協会の平和賞受賞に結びついたと思われます。このことも、十月に新聞の文化欄をにぎわせた話題の一つでした。彼女はフランクフルト大学などで哲学を修めた──フランクフルトで討議倫理を学んだと語っています──後、ジャーナリストにして著述家として活躍しているようです。エームケは、受賞に際してのインタヴューで、ドイツ社会の差別的な憎悪表現は、それ自体としては以前からずっとあったが、最近ではそれが確信犯的で厚顔無恥に現われるようになっていると述べ、それに対する危機感が『憎悪に抗して』を書いた動機の一つであると語っていました。こうした現象に対する共通の問題意識も、エームケの受賞の背景にあるのではないでしょうか。PEGIDAといった排外主義的な主張を行なうグループのデモは公然と行なわれていますし、とくに難民に対するヘイト・クライム(収容施設への放火など)は後を絶ちません。

フランクフルトでの書籍見本市の期間に当地のパウロ教会で行なわれた授賞式の挨拶でエームケは、人間の根本的な複数性を語ったハンナ・アーレントの『人間の条件』を引用しながら、差別的な憎悪が新たな段階に達しようとしている状況を見据えながら、憎悪に立ち向かう責任を、勇気を持ってともに引き受けようと語りかけていました。挨拶の表題は「始めよう(Anfangen)」でしたが、それは、みずからのアイデンティティを問い直しながら、そうして自分の物語ないし歴史を交換しながら、お互いの唯一性を尊重し合う自由な行為へ一歩を踏み出す「始まり」への呼びかけであったと思います。これは『憎悪に抗して』という本の主張とも重なると思いますが、その議論と彼女のスタンスに対しては、すでに批判的な論評も出ています。憎悪の背景にある社会的な問題への視野を欠いている、哲学的に憎悪を批判するだけでは、憎悪の問題に実質的に取り組むことはできないのではないか、といった──なかにはルサンチマンを背景にしたシニシズムを感じさせるものもある──批判がエームケに向けられていました。

こうした批判があるとはいえ、エームケの著述には、ザヴィニー広場駅の本屋でたまたま前著の『それは語りうるゆえに──証言と正義について(Weil es sagbar ist: Über Zeugenschaft und Gerechtigkeit)』というエッセイ集を手に取り、ドレスデンへの旅のあいだ読んでから、少し関心を持っているところですので、あちこちの本屋に平積みになっている『憎悪に抗して』も読んでみようかと思っています。そこから、公職にある者が人種差別にもとづく憎悪表現を他者の面前で行ない、それを監督責任者の首長が容認するというように、憎悪表現が新たな、そしてきわめて深刻な段階に入っている日本の状況について考える何らかの材料が得られるかもしれません。

ベルリン通信V/Nachricht aus Berlin V

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八月末に訪れたプラハ城を望む風景

九月を迎えて、ベルリンでは朝夕に秋の気配が感じられるようになりました。午後はそれなりに気温が上がりますが、日が落ちるとすぐに冷気を含んだ風が漂ってきます。日本も、そろそろ秋風が吹き始める頃でしょうか。八月もあっと言う間に過ぎて行きましたが、その感触は、中旬の10日間を猛暑の広島と東京で慌ただしく過ごしたことも影響しています。8月15日から集中講義などのために一時帰国しておりました。集中講義では、4日間で一学期分の講義をして、試験まで済ませたわけですが、学生たちがとてもよく付いて来てくれたと思います。それ以外のいくつかの仕事にも見通しを得ることができました。貴重なお時間を割いてご協力くださった方々に心から感謝申し上げます。その内容については、追い追いお伝えしていきます。

仕事の一つに、中國新聞の文化面の「緑地帯」のための原稿執筆がありました。すでに8月30日付の朝刊より、「ヒロシマ─ベルリン通信」と題して、全8回のコラムの連載が始まっております。本コラムでは、すでに『現代思想』誌の「〈広島〉の思想」特集所載の拙稿に盛り込んだエピソードも含め、4月からの研究滞在中に見聞きしたことを交えつつ、ここベルリンでの思考の一端を綴ってまいります。とくに、今も続く核の歴史に、記憶することをもってどのように向き合いうるか、その際に芸術がどのような力を発揮しうるか、といった問いをめぐって、拙いながら考えたことをお伝えできればと思います。全文が同紙のヒロシマ平和メディアセンターのウェブサイトに掲載されますので、ご笑覧いただければ幸いです。

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ブランデンブルクの旧市庁舎の入り口に立つローランの像

一時帰国に先立っては、71回目の広島の原爆忌をベルリンで迎えました。その日の夜は、中心街にあるカイザー・ヴィルヘルム記念教会へ、IPPNW(International Physicians for the Prevention of Nuclear War:核戦争防止国際医師会議)の主催によるチャリティー・コンサート„Nie wieder Hiroshima – No more Hiroshima“を聴きに行きました。演奏会は、昨年広島を訪れて若い演奏家と共演したギャレット宇見のピアノ独奏によるもので、彼女が、輝かしい音色と技巧の確かさにおいて才能に恵まれたピアニストであることを伝えるものでした。演奏会の中ほどで、IPPNWの代表者によるスピーチ„Nie wieder Hiroshima – No more Hiroshima“があり、そのなかで広島と長崎の原爆の犠牲者に捧げる黙祷も行なわれました。科学者と原爆開発の関わりを詳しく辿ったそのスピーチの最後で、ギュンター・アンダース(ベンヤミンの従弟に当たります)の「広島は遍在している」という言葉が引かれていたのが印象的でした。

8月11日には、ブランデンブルク(Brandenburg an der Havel)を訪れました。ハーフェル川の辺のこの古い街までは、ベルリンから電車で一時間足らずです。ナチス・ドイツのいわゆる「安楽死」施設の跡に設けられた記念館の展示を見るのが小旅行の目的でした。旧市庁舎の前にはローランの像が立ち、随所に中世の面影を残す美しい古都には、あの「T4作戦」の実行施設の一つが造られ、1940年1月から10月までのあいだに9000人を超える人々がガスによって、「安楽死」の名の下で虐殺されています。その跡地には、犠牲となった人々を紹介するモニュメントが置かれるとともに、ガス室のあった場所が示されています。

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「安楽死」施設記念館のモニュメント

記念館の展示はとても詳細なものでした。誰がどのような立場で虐殺の過程に関わったのか、どのような人々が、どこから、またどのような手続きでこの施設へ送られてきたのか、虐殺の背景にどのようなイデオロギーがあったのか、といったことが、ドキュメントとともに網羅的に描き出されています。犠牲者の多くは心身に障害を持った人々でしたが、なかにはユダヤ人であるという理由で虐殺された人もいたようです。そして、この施設で虐殺に関わった人々の一部は、後に「ラインハルト作戦」の下でソビブルやトレブリンカの絶滅収容所を稼働させるのに重要な役割を果たすことになります。「最終的解決」とも深く結びついたナチスの「安楽死」の問題を、現在を照らし出す問題として考えなければという思いを新たにしました。

8月13日には、ベルリンの歴史ある野外演奏会場ヴァルトビューネで、ダニエル・バレンボイムが指揮するウェスト゠イースタン・ディヴァン管弦楽団の演奏会を家族で聴きました。大勢が集まる演奏会ということで少し不安もありましたが、アラブ諸国とイスラエルの若い演奏家で組織された、そしてバレンボイムと今は亡きエドワード・W・サイードによって創設されたこのオーケストラの演奏を聴ける貴重な機会と思って出かけた次第です。プログラムは、イェルク・ヴィトマンの《コン・ブリオ》に始まり、マルタ・アルゲリッチの独奏によるリストのピアノ協奏曲第1番、休憩を挟んでヴァーグナーの歌劇《タンホイザー》の序曲、楽劇《神々の黄昏》より、「ジークフリートのラインの旅」と「ジークフリートの葬送行進曲」、そして楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の第一幕への前奏曲というもので、なかなか聴き応えがありましたが、音楽家たちはどのような気持ちでこれらの作品に取り組んでいるのでしょうか。

さて、このオーケストラは、バレンボイムとの共演をすでに何年も積み重ねていることもあって、彼の細かいアゴーギグにも実によく付いて行きます。PAを通した音がどうしても聞こえるので、細かいところが伝わらないのが残念ですが、全体として、バレンボイムの求める音楽が、重心の低い、充実した響きとともに引き出された演奏だったと思います。とくに「葬送行進曲」は、気迫が込もっていて、圧倒的な印象を残しました。とはいえ、やはり素晴らしかったのは、マルタ・アルゲリッチのピアノ。幼馴染みで気心の知れたバレンボイムとの共演とあって、感興に富んだ、若々しいとさえ思える演奏を繰り広げていました。のピアノの闊達さが曲ともマッチしたリストの演奏だったと思います。アンコールにバレンボイムとの連弾で、ラヴェルの組曲《マ・メール・ロワ》からの一曲が演奏されました。

八月には、もう一つオーケストラの演奏会を聴きました。ヨーロッパを中心とした世界各地のユース・オーケストラの音楽祭Young Euro Classicの一環として行なわれたルーマニア・モルドヴァ・ユース・オーケストラの演奏会です。隣接する二つの国の17歳から25歳の若い音楽家によって構成されたこのオーケストラの演奏能力の高さと、音楽のエネルギーに驚かされました。オーケストラが一体となっての響きの力感と推進力は息を呑むほどでしたし、繊細な表情にも欠けていません。何と言っても、セクションどうしがよく聴き合って、つねに見通しの利く響きを形成しているのが素晴らしかったです。とくに、プロコフィエフの《ロメオとジュリエット》の組曲における音楽の振幅の大きさには瞠目させられました。

二つの国から集まった若い音楽家の力をいかんなく発揮させていたのが、ルーマニアの名匠クリスチャン・マンデアル。緊密で有機的な響きをオーケストラを引き出しながら、間然することのない音楽の流れを形成していました。彼が得意なレパートリーを指揮するのを、ぜひ聴いてみたいところです。とはいえ、今夜最も驚嘆させられたのは、チャイコフスキーのロココ風の主題による変奏曲における、アンドレイ・イオニーツァという若いチェリストの独奏。すでにチャイコフスキー・コンクールなどのコンクールでの受賞と著名な音楽家との共演を重ねてきたチェリストですが、素晴らしい才能と思います。豊かで深い音から実に闊達な音楽を聴かせていました。

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プラハ城内にある聖ヴィート教会のゴシック様式の身廊

月末には、休暇を取ってプラハへ二泊三日の家族旅行に行ってきました。ベルリンからプラハへは、飛行機を使うと一時間足らずです。旧市街とプラハ城などのお定まりの観光地くらいにしか行けませんでしたが、とくにプラハ城内の教会は、何度見ても発見があります。今回は天候に恵まれたので、聖ヴィート教会のステンドグラスがひときわ美しかったです。ロマネスク様式の聖イジー教会の建築も、あらためて興味深く思いました。旧市街の塔からの「百塔の街」の眺めも楽しめました。家族旅行だったので、初めてケーブルカーでペトリの丘に登ったり、公共の渡し舟でヴルタヴァ川を渡ったりもしました。プラハの街は、観光客でごった返していて、それを当て込んだ店が多いのは相変わらずですが、全体として落ち着きを取り戻しつつある印象を受けました。

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プラハ動物園で見たゴリラの親子

ちなみに、家族がプラハで最も喜んだのは、最終日に訪れた動物園。プラハまで来て動物園、と思われるかもしれませんが、この動物園は一日過ごす価値があります。広大な敷地で実にさまざまな動物の生態を間近に見ることができます。家族にはやや不評だったユダヤ人街の外れのギャラリーでは、上海に逃れたユダヤ人の生きざまを記録した写真の展示を興味深く見ました。プラハ城内の国立美術館では、デューラーの《ロザリオの聖母》をはじめ、ホルバイン、レンブラント、ライスダールらの名作と再会しましたが、クラーナハについて、ややとまった展示もありました。そう言えば、近々東京と大阪でもクラーナハ展が開催されるようですが、それがこの画家の再評価の機縁になればと思います。

さて、冒頭で触れましたように、すでに九月が始まりました。4日からは、福井県越前市で武生国際音楽祭が始まります。ここ数年毎年聴かせていただいていたこの素晴らしい音楽祭に、今年伺えないのが残念ですが、今年も、古典と現代を結びつけながら、両者に新たな光を当てる充実したプログラムが組まれていますので、例年に増して多くの聴衆が集まることを心から願っております。5日からは娘が通う小学校の新学期が始まります。そして、すでにベルリンでは、芸術週間の演奏会や催しが始まっています。まもなく各劇場の新シーズンも本格的に始動します。研究に、仕事に、そして劇場や演奏会場に通うのに忙しい日々が始まりそうです。季節の変わり目に差しかかりますので、みなさまもお身体大事にお過ごしください。

ベルリン通信III/Nachricht aus Berlin III

[2016年7月5日]

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ベルリン植物園の睡蓮

六月と聞くとすぐに梅雨のじめじめとした気候が思い浮かびますが、ドイツの六月は、五月に茎を伸ばし、葉を繁らせた植物が、花を咲き誇らせ、果物などの最初の恵みをもたらす時期のようです。六月の初旬に、ダーレムにあるベルリン植物園を訪れましたが、睡蓮や薔薇などの季節の花の豊かさを堪能することができました。また、この時季に市場を訪れれると、実にさまざまな種類の果物が並んでいます。とりわけ桃の種類の豊富さには驚かされました。日本でも蟠桃として知られる平たい形の桃はとくに甘くて、家族のお気に入りとなりました。住まいのある家の庭の木には、今もたくさんの桜桃が生っています。そろそろ夏の暑さも顔を覗かせ始めて、下旬には午後から夕方にかけて気温が30度を超える日もありましたが、それ以外はおおむね15度から25度の範囲で気温は推移していています。

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蟠桃と家主さんに採ってもらった桜桃

さて、この六月はとても慌ただしかったです。月末には、こちらでお世話になっているベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウム(大学院生以上を対象とした定期的な研究会合)での小さな講演を、何とか終えることができました。こちらであらためてその研究に取り組んでいるヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学について、研究の初期の成果を「想起からの歴史──ベンヤミンの歴史哲学」と題して発表させていただきました。ドイツ語での講演はまったく慣れないので、当然ながら、プレゼンテーションにもディスカッションにもたくさんの課題を残しましたが、関心を持って聴いてもらえたのは非常にありがたかったです。本質的な質問もいくつか得られて、内容的にはよい場を持てたので、これを理論的な端緒とする研究への弾みになりました。

ベンヤミンの「歴史の概念について」の批判版のテクストに取り組んでいると、彼がそのなかで、けっして恣意的には生じない想起の経験における死者との関わりを重視しながら、青年期以来一貫したモティーフを哲学的にいっそう深めるかたちで、彼自身が直面していた危機に応えうる歴史の概念を探究していることが伝わってきます。そのようなベンヤミンの歴史哲学が、今歴史を生きることへ向けて何を問いかけているのかを明らかにしながら、〈残余からの歴史〉の構想を深められればと考えています。いずれその構想の一端をお伝えする機会もあろうかと思います。こうして研究を進め、その初期の成果をドイツ語でまとめる傍らで、他の仕事も並行して進めておりましたので、六月はあっという間に過ぎていきました。

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ベルリン植物園のキタリス

それから、研究とは関係ありませんが、中旬には、娘がお世話になっているヴァイオリンの先生の教室の発表会の冒頭で、家族の三重奏でヴィオラをほんの少しだけ弾きました。ドヴォジャークのミニアチュールのうち、最初のモデラートの曲だけを露払いのような感じで演奏しました。気分転換にと思って持って行った楽器を、いちおう聴衆のいる場で弾くことになるとは思ってもいませんでした。ちなみに娘は、こちらの公立の小学校に通いながら、放課後はおおむねヴァイオリンを練習しています。ドイツ語でのコミュニケーションはままならないながらも、学校の友達とは仲良く遊んでいるようで、放課後に遊びに誘われたり、誕生日のパーティーに招かれたりすることも増えてきました。最近は、劇場や演奏会場に通うのも楽しみになってきたようで、今度はいつ行くのかとしばしば尋ねられます。この六月は、演奏会やオペラの公演へ家族でかなりの回数足を運びました。

そのなかで最も感動的だったのが、シュターツカペレ・ベルリンの演奏会でした。音楽の生成のダイナミズムを掘り下げたイェルク・ヴィトマンの《コン・ブリオ》の鮮やかな演奏で幕を開けたこの演奏会では、それに続くバルトークのピアノ協奏曲第1番の第二楽章の演奏が、まず素晴らしかったです。この楽章では、アンドラーシュ・シフの独奏が、ピアノの両側に配された打楽器と、密やかなとも形容すべき緊密な対話を繰り広げ、一つの別世界を開いて見せました。そこでさざめく声たちが、徐々に結びついて嘆きにも聞こえる強い歌を響かせるに至る音楽の展開には、心からの感動を覚えました。そして、休憩の後のベートーヴェンの《エロイカ》交響曲の演奏は、フル編成の弦楽器を存分に生かして、葬送行進曲に示されるような峻厳さを含めたこの交響曲の大きさを描ききった、圧倒的な演奏でした。ダニエル・バレンボイムの指揮は、荒々しさを含んだリズムの躍動を、大きなスケールで捉えられた音楽の流れに見事に結びつけていました。

他の演奏会では、協奏曲の素晴らしい演奏に接することができました。まず、ロジャー・ノリントン指揮のベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会では、イザベル・ファウストがモーツァルトの第4番のヴァイオリン協奏曲で、ほとんどヴィブラートなしの冴えた音を創意豊かに生かした、それでいて様式感にも富む、見事な独奏を聴かせてくれました。また、イヴァン・フィッシャー指揮のベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の演奏会では、スティーヴン・イッサーリスが、すがすがしく広がる響きとしなやかな歌心に満ちたシューマンのチェロ協奏曲の演奏を披露してくれました。それから、下旬に一人で聴いたヤニク・ネゼ゠セガン指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会では、リザ・バティアシヴィリが、バルトークのヴァイオリン協奏曲第1番の内容豊かな演奏を聴かせてくれました。彼女は、歌が連綿と連なるこの曲の音楽の展開を、完全に手中に収めていました。

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ベルリン植物園の薔薇

ベルリン・フィルハーモニーの演奏会では、バルトークの協奏曲の後に、ショスタコーヴィチの交響曲第13番《バビ・ヤール》が演奏されました。このオーケストラにこそ可能な、仮借のない凄まじさと明晰さを両立させたこの曲の演奏を聴きながら、この曲が今取り上げられる意味も考えざるをえませんでした。ナチス・ドイツとソヴィエト連邦の戦争が始まった翌日の1941年6月23日から、移動特別部隊によるバルト海沿岸から黒海に至る地域での組織的なユダヤ人虐殺──最も大規模な虐殺がバビ・ヤールで起きたのでした──が始まっています。それから75年になるのに合わせた今回の演奏会のプログラムだったようです。そのような暴虐を可能にした問題そのものは、けっして過ぎ去ってはいません。むしろより複雑化しながら広がっていることを、昨今の出来事は示しているのではないでしょうか。9月末からは、テロルのトポグラフィーで、主に旧ソ連におけるユダヤ人虐殺をテーマとする展覧会が始まりますが、それはこの問題を考える機会ともなるでしょう。

オペラでは、いずれもニーナ・ステンメが主役を歌った、ベルリン・ドイツ・オペラにおけるヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》R・シュトラウスの《エレクトラ》の公演がとくに印象に残りました。前者では、第二幕が素晴らしい密度を示していました。例の長大な愛の二重唱で、主役の二人の役を歌ったステンメとステフェン・グールドがとても繊細な歌唱を聴かせて、息を重ねるのが聞こえるようですらありました。それを支える、ドナルド・ラニクルズの指揮によるオーケストラの響きも充実していながら、透明感を保っていました。精神分析も参照しつつ、夢と覚醒の関係にも光を当てた《トリスタンとイゾルデ》の舞台でもありました。後者の公演は、エレクトラの復讐心と復讐の成就への歓喜も、クリュテムネストラの悪夢も、もはや知性による統制が利かない、人間性と獣性の閾で展開されることにオペラの焦点があることを提示するものとして興味深く観ました。この公演でもステンメが繊細かつ輝かしい歌唱を聴かせていました。

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ベルリン植物園の睡蓮

この六月には、演劇の公演へも二つ足を運びました。一つは、シャウビューネでのシラーの『ヴァレンシュタイン』の公演で、シラーが約十年かけて書いた三部作の原作を一晩の舞台に凝縮させた、ミヒャエル・タールハイマーの演出による上演でした。三十年戦争期の傭兵隊長を主人公とするこの戯曲を今取り上げることを強く意識しながら、求心力の強い舞台を提示していました。苦悩するヴァレンシュタインの姿には、自分が仕掛けた戦争の泥沼にはまって身動きが取れなくなっていく現代の政治的指導者の姿と、ベンヤミンがバロック悲劇のうちに見て取った、決断できずに没落していく君主の像とが重ねられているように感じられました。もう一つは、東京の国立劇場で『つく、きえる』の表題で上演されたローラント・シンメルプフェニヒの戯曲„An und Aus“の公演で、ブルクハルト・C・コスミンスキの演出によるマインツの国民劇場の舞台でした。東日本大震災を題材に書かれたこの戯曲のユーモアを巧みに生かしつつ、死者たちのほろ苦い物語によって、震災と原発事故後の傷ついた現在を深いところから照らし出す„An und Aus“の上演として、とても興味深く観ました。

それにしても、この六月には例の“Brexit”を宣するに至ったイギリスの国民投票を含め、社会的にも大きな出来事がいくつもありましたが、イギリスの下院議員ジョー・コックスの暗殺事件、イスタンブール空港での無差別攻撃事件、そして七月に入ってから起きて、20名を超える人々が犠牲になったダッカでの人質事件など、凄惨な事件が相次いだのには胸が痛みます。そして、これらの事件には、通底する問題が潜んでいるようにも思われます。その問題は、日本に住む人々にとってもけっして他人事ではないでしょう。日本では参議院選挙が近づいていますが、こうした事件が起きうる世界のなかで、一人ひとりがみずからの生を、不当な抑圧や差別を受けることなく生きうることへ向けて、同時にその可能性を相互に尊重し合える社会を、問題を一つひとつともに解決しながら築いていくことへ向けて、有権者が一票を投じることを、遠くから念じているところです。