フルトヴェングラーの影──ベルリンでの三つの演奏会を聴いて

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旧フィルハーモニーの椅子

現在、ベルリンのフィルハーモニーのロビーでは、「旧フィルハーモニー──ベルリンの神話」展が開催されている。演奏会の開演前や休憩時間には、多くの聴衆が、唯一残された旧フィルハーモニーの客席の椅子を含む、そこでの演奏会や催しの活況を伝える展示に見入っていた。写真を見ると、素晴らしい音響を誇っていた──そのことは、1940年代の録音からも充分に伝わってくる──このホールで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会やフリッツ・クライスラー、パウ・カザルスといった著名な音楽家を迎えての演奏会のみならず、コメディアンのショーに舞踏会、さらには政治集会──ドイツ共産党の大会も行なわれている──も開催されていたことがわかる。

このように、ナチス・ドイツの敗戦以前のベルリンにおいて、音楽の拠点としてのみならず、社交の中心としても機能していたベルンブルガー通り──かつてベルリンの主要駅の一つだったアンハルター駅の近く──の旧フィルハーモニーは、1944年1月30日の空襲で完全に破壊されてしまった。その廃墟の写真を見ながら、今まさにロシアの軍事的な支援を受けたシリア政府軍によって徹底的に破壊されているシリア東部の街アレッポのことを思わないわけにはいかなかった。この街では、ほぼ完全に封鎖された状態で住民が日夜攻撃に晒され、子どもを含むおびただしい非戦闘員が犠牲になったと聞く。家屋のみならず、多くの病院や学校も破壊された様子は、ドイツでは繰り返しニュースで伝えられていた。

このようなアレッポの状況が心配で、先週はなかなか音楽を聴こうという気にはなれなかったのだが、結果的には三度、旧フィルハーモニー展が開かれている現在のフィルハーモニーに通うことになった。いずれの演奏会も、ベルリンにおいてのみならず、世界的に重要な指揮者たちの現況を知る鍵となる演奏会と思われたからである。聴いたのは、12月12日のダニエル・バレンボイム指揮によるシュターツカペレ・ベルリンの演奏会、12月14日のインゴ・メッツマッハー指揮によるベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会、そしてクリスティアン・ティーレマン指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会である。いずれの演奏会でも、これらの指揮者が今抱いている音楽が十全に鳴り響いた演奏を聴くことができた。

バレンボイムが指揮したシュターツカペレの演奏会では、スメタナの連作交響詩《わが祖国》が取り上げられた。少なくとも、彼がこの作品のスタジオでのレコーディングを行なったことはないはずである。この時期に彼が満を持して臨んだ今回の《わが祖国》の演奏であることは、曲を完全に手中に収めた彼の指揮から伝わってきた。驚かされたのは、第1曲の「ヴィシェフラド」の冒頭からして、相当に大きくテンポを揺らしながら、波打つような曲の流れを形づくっていたこと。第2曲の「ヴルタヴァ」のよく知られたテーマも、けっしてルーティンに流れることなく、胸中に鬱積した思いがフレーズの頂点から流れ下るように歌わせていたのが印象に残る。この曲と第4曲「ボヘミアと森と草原より」で聴かれる、舞踊のリズムと一体になった旋律にしても、バレンボイムは、細かくテンポを動かしながら、独特の活気をもって歌わせていた。

この日のバレンボイムの指揮で、素晴らしいと思われたのが、こうしたテンポの変化が、ほとんど恣意的に感じられなかったこと。「ヴィシェフラド」から「ヴラニーク」に至る大河のような有機的な流れを形成するものとして、テンポの動きが存分に生かされていた。同時に「シャールカ」や「ボヘミアの森と草原より」などで聴かれる追い込みには、他の演奏では聴いたことのない勢いがあった。とりわけ「ヴラニーク」の終わりに、「ヴィシェフラド」のテーマをはじめとする他の曲の旋律が回帰し、万感を込めて歌われた後、曲の終わりへなだれ込んでいく一節には、凄まじいまでの求心力があった。他方で、「ヴルタヴァ」の神秘的な旋律や、「ターボル」でフス派の聖歌がコラール風に歌われる一節は、もう少し時間を取って歌わせてほしいとも思ったのだけれども。

若い頃のバレンボイムの指揮は、彼が少年時代にその薫陶を受けたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの亜流と揶揄されることもあったが、《わが祖国》の演奏を聴いて、バレンボイムの音楽は、作品を貫く有機的なダイナミズムを、バレンボイム独自の解釈で徹底的に抉り出すかたちで、フルトヴェングラーの精神を受け継ぐに至っていると感じた。そのような彼の音楽を、シュターツカペレ・ベルリンは、ほぼ余すところなく響かせていた。「ボヘミアの森と草原より」の冒頭のむせ返るような響きは忘れられない。

メッツマッハーが古巣のベルリン・ドイツ交響楽団──彼は2007年から2010年までこのオーケストラの音楽監督を務めていた──に帰っての演奏会で取り上げられたのは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《ミューズの神を率いるアポロ》とブルックナーの交響曲第4番変ホ長調《ロマンティック》。メッツマッハーはまず、とかく単調になりがちなストラヴィンスキーの新古典主義的な作品に内在するダイナミズムを引き出し、静と動のメリハリの利いた、同時に身体的な動きを感じさせる《ミューズの神を率いるアポロ》の演奏を繰り広げていた。とくにリズミックな曲の躍動は、この作品が《春の祭典》のような作品を書いたのと同じ作曲家の手によるものであることを思い出させた。

この日の演奏会において素晴らしかったのは、メッツマッハーのブルックナー解釈。全体的にやや速めのテンポを基調としながら、この《ロマンティック》交響曲において特徴的な、豊かな歌と、その背景をなす鬱蒼とした奥行きの双方を、けっして響きの透明感を損なうことなく鳴り響かせていた。それによって、それぞれの旋律の流れを形成する対位法的な動きが明瞭に浮かび上がると同時に、響きの風景とでも言うべきものが立ち上ってくる。ブルックナーの第4交響曲が、何故に「ロマンティック」と称されるのかを、音楽的に得心させるメッツマッハーの解釈だったと言えよう。ベルリン・ドイツ交響楽団も、非常に完成度の高い演奏でそれに応えていた。

メッツマッハーの解釈でもう一つ特徴的だったのは、各楽章全体の構成を有機的な流れにおいて見通しながら、各楽節の流れと楽節間の移行を繊細に、かつ自然なテンポの動きを伴いながら響かせていたこと。それによって、冒頭のホルンのテーマから、そのテーマが巨大な建築のなかで鳴り響くに至る一貫した流れが形成されていた。もちろん、響きの力感と勢いもけっして欠けておらず、例えばスケルツォでは、森を駆け抜けるかのように速いテンポのなかで、金管楽器のリズミックな音型が、力強く、かつ明確に響いていた。そこからほぼアタッカで続けられたフィナーレで聴かれる、トゥッティのユニゾンの壮大さも忘れがたい。この日の演奏においては、《ロマンティック》交響曲の難所とも言うべきコーダの演奏も成功していた。深沈とした響きが巨大な音響空間を形成するに至る流れを、メッツマッハーの解釈は見事に建築していた。

ティーレマンがブルックナーの交響曲を指揮するのには、一度だけ接したことがある。2010年3月27日にアクロス福岡で行なわれたミュンヒェン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で、ブルックナーの交響曲第8番ハ短調を指揮するのを聴いている。この演奏の際に少し気になった、曲の大きさを演出しようとするダイナミクスの不自然な細工や、持って回ったような音楽の運びが、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮しての交響曲第7番ホ長調の演奏からは、ほとんど感じられなかった。悠揚迫らぬテンポの運びは従前の演奏と変わらないながら、そこに自然な流れが加わったのは、ティーレマンの解釈の深化を示すものと思われる。全体的に、ノーヴァク版の楽譜に書き込まれたテンポの変化を、雄大な流れのなかに生かした演奏と言えよう。

この日の演奏で最も感心させられたのは、ティーレマンの指揮に力みが感じられなかったこと。それによって、第1楽章の第三主題がクライマックスに至る箇所や、フィナーレで全楽器が複付点リズムを刻む一節などで、かえって大きな響きの空間が開かれていた。また、アダージョの第二主題が、アクセントの後で少し音を抜くように奏されていたのも印象的だった。それによって、逆に深い息遣いが響いていたし、クライマックスへ至る大きなクレッシェンドにも、噛みしめるような味わいが生まれていたのではないか。テンポの変化も自然かつ効果的で、とくにスケルツォのアッチェレランドには強い求心力があった。さらに、第2楽章とフィナーレでは、はっとさせられるようなゲネラルパウゼも聴かれた。その後に響いた柔らかな旋律の美しさは忘れられない。フィナーレにおける歌謡的な第二主題の再現からコーダに至る壮大な流れは、ティーレマンの音楽の充実ぶりを示すものと言えよう。欲を言えば、曲全体のもう少し自然な流れを、第7交響曲からは聴きたかったところである。

この日のベルリン・フィルハーモニーの定期演奏会で、ある意味でブルックナーの演奏よりも味わい深かったのが、ルドルフ・ブッフビンダーを独奏に迎えてのベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調の演奏。華麗さからはほど遠い、どちからと言うと朴訥にリズムを刻みながら、フレーズのニュアンスを繊細に響かせるブッフビンダーのアプローチが、ティーレマンのごつごつとしたところのある音楽作りと見事にマッチして、作品のハイドン的な側面が最大限に引き出された演奏となった。第2楽章の味わい深い歌も、機知と曲の構成への洞察に満ちたフィナーレのロンドも実に感銘深かった。ブッフビンダーがとくにロンドで、楽節ごとにテンポとタッチを明確に区別していたのも印象的だった。

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破壊された旧フィルハーモニー

これらフィルハーモニーでの三つの演奏会を聴いて感じたのは、ベルリンでは今も、1920年代からその破壊に至るまで旧フィルハーモニーの中心にいたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの精神が生きていることである。彼が指揮した演奏で特徴的な、聴き手の胸を摑んで拉し去るほどの求心力を持ったテンポの動き──とくにアッチェレランド──は、作品を貫く有機的なダイナミズムを読み抜き、それを即興性をもって響かせるところに生まれていることは、あらためて言うまでもないことだろう。敢えてひと言で表わすなら、彼は時間芸術としての音楽の内的な生命を、音楽する瞬間の自由において響かせようとしたのだ。そのようなフルトヴェングラーのアプローチを、バレンボイム、メッツマッハー、ティーレマンといった指揮者が、それぞれに見直していることを、テンポを細かく、そして時に大胆に動かしながら、音楽作品の生命に迫ろうとする演奏から感じないわけにいかなかった。

とりわけブルックナーの演奏において、ギュンター・ヴァントの解釈に代表される、静的な運びのなかで音楽を建築するアプローチ──とくに日本におけるブルックナー像を決定したアプローチ──よりも、フルトヴェングラーが示していた動的に有機的な流れを響かせるアプローチが、指揮者たちのあいだで見直されつつあるのが興味深い。イヴァン・フィッシャーが、コンツェルトハウス管弦楽団を指揮してのブルックナーの第7交響曲の演奏(9月7日)において、ティーレマンとは対照的な全体の運びながら、かなり大胆にテンポを動かして、それぞれの旋律に内在するダイナミズムを抉り出していたのも印象に残っている。このようなブルックナーの解釈の潮流の変化が何を意味するのかは、古楽の演奏や現代の作曲家の音楽の動向も視野に入れつつ、広い文脈のなかで考察されるべき要素を含んでいるように思われる。

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バレンボイム゠サイード・アカデミーの内部の展示

ところで、最近ベルリンでは、フィルハーモニーでの演奏とは違ったかたちでフルトヴェングラーの精神を継承するものとも見られる動きがあった。 12月8日の夜には、現在改修中の州立歌劇場の建物の裏手に、ベルリンの新しい演奏会場ピエール・ブーレーズ・ザールとともに建設されたバレンボイム゠サイード・アカデミーの公式オープニングのセレモニーが行なわれたのである。ウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラをはじめとする場所で活躍する若い音楽家たちの全人格的な育成の場が、ベルリンの地に設立されたことになる。このオーケストラをバレンボイムとともに創立した比較文学者のエドワード・W・サイードも、幼年期にカイロで、フルトヴェングラーが指揮するベルリン・フィルハーモニーの演奏を聴いており、それがサイードにとっての音楽の原体験であったという。そのようなサイードとバレンボイムの思想が、若い音楽家の育成にどのように生かされるか、注目されるところである。人間関係を含めてばらばらに崩壊してしまったシリアの地に、人々の魂を呼応させ、背景の異なる人々を再び結びつけるきっかけをもたらす力を持った音楽家が、このアカデミーから育つことを願ってやまない。

ベルリン通信VIII/Nachricht aus Berlin VIII

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リリエンタール公園にて

ベルリンでは木々の葉が落ちて冬の気候になってきました。11月はすっきりと晴れる日が何日もあって嬉しかったのですが、そのような日の夜には気温が氷点下5度ほどまで下がります。翌朝は空気が痛いくらいに冷たいですし、池の水も凍っています。しかし、そのような寒い朝に道を歩くのは、けっして嫌いではありません。何よりも気持ちが引き締まりますし、心なしか頭がすっきりするような気もします。とはいえ、しっかり着込むことは欠かせません。マフラーと手袋も手放せなくなってきました。長いドイツの冬の到来です。

さて、11月も論文などを書いているうちにあっという間に過ぎて行きましたが、それにしてもこのひと月は、いろいろなことが起きました。その一つとしてアメリカ合衆国の大統領選挙のことを挙げなければと思いますのは、今から12年前にポツダムで4か月だけ在外研究を行なったときにも、アメリカの大統領選挙の帰趨をドイツのメディアをつうじて見ていたからです。小ブッシュがアル・ゴアに対する怪しげな勝利を収めたあの選挙です。その時は選挙から一夜明けて愕然とさせられましたが、それから12年後の今回は、衝撃を受けるというよりも、このような人物が選ばれる現実を前にして胸苦しい気持ちになりました。

メキシコとの国境に移民の流入を防ぐフェンスを設けようと公言したり、ムスリムの入国禁止方針を打ち出したりした人物がアメリカの次期大統領に当選してしまったことによって、まずは、ドイツ国内ではAfD(ドイツのための選択肢)が代表するような、あるいは周囲の国々ではフランスの国民戦線、ハンガリーやポーランドの現政権などに代表される排外主義的なポピュリズムが勢いづくことが懸念されます。その懸念は、ドイツではすぐに各メディアで次々に表明されていました。それと同時に、オクスフォード辞典が今年の言葉に選んだのが、“post-truth”であったことが示すように、大声で大勢の感情に訴えれば──インターネット上のソーシャル・メディアは、まさにそのことを可能にするメディアでもあるでしょう──、どんな嘘であってもまかり通ってしまうようになることが危惧されます。また、それとともに真理を追求する知の営みに対する冷笑が伝染し、作られた感情でしかない「本音」が、他者への攻撃性を剝き出しにしながら公的空間を喧騒で覆うようになれば──それは、とくにインターネット上ではつとに広がっている問題ですが──、きわめて息苦しい、そして声を持ちえない者たちにとっては生きること自体も非常に困難な時代が訪れることになります。

41cbey-9uml-_sx298_bo1204203200_こうした時期に、みずからの知性をもって知を探究するところに啓蒙を見るカントの議論を戦後のドイツであらためて検討し、ナチズムの問題を掘り下げるところに、「アウシュヴィッツ以後」の「自己陶冶」としての教育と文化の可能性を模索するアドルノの『自律への教育』(原千史他訳、中央公論新社)を学生と読んでいる──ちなみに、ゼミは在外研究中もSkypeを使って続けています──のも、何かの巡り合わせでしょう。本書の冒頭には、「民主主義に抗してファシズム的傾向が生きながらえることより、民主主義の内部に国民社会主義(ナチズム)が生きながらえることのほうが、潜在的にはより脅威だ」という認識の下、「過去の総括」とは、ナチズムを含めた過去の問題を現在の自分自身の問題として正視することであると論じる「過去の総括とは何を意味するのか」という、とりわけ日本で振り返られるべき講演が収録されています。

そして、「過去の出来事の原因が取り除かれた時初めて、過去は総括されたのだと言ってもよい」と結ばれるこの講演に続いては、「哲学と教師」という、これも「教養」と「教育」の概念を考えるうえできわめて重要な──それゆえ、大学の関係者にはぜひ一読してほしい──講演が収められていますが、そのなかには、まさにこの“post-truth”の時代にに語りかけているかに思える一節があります。「『知識人』という表現が国民社会主義によって信用を失墜させられたことは、私にはかえってその表現を肯定的に受け取る理由にしか思えません。自己省察の第一歩とは、蒙昧をより高い徳と見なさないことや啓蒙を馬鹿にしないことではなく、むしろ知識人排斥の扇動──それがどのように偽装されたものであろうとも──に対して抵抗することです」(42頁)。とても残念なことに、アドルノの『自律への教育』の日本語訳は、今年から品切れ状態で、一般の書店での入手が難しくなっているのですが、例えばエドワード・W・サイードの『知識人とは何か』(大橋洋一訳、平凡社ライブラリー)と照らし合わせながら、今あらためて読み直されるべき一書かと思われます。

ところで、秋が学会シーズンだというのは日本もドイツも同じで、私もいくつかの学会や研究会合に足を運んで講演などを聴きました。初日しか行けなかったのですが、興味深かったのが、ベルリン文学・文化研究センターの研究会として開催された「理論゠歴史を書く──何を目的に、どのように、そして誰のために?」というテーマの学会で、そこでは理論ないし理論形成そのものの歴史化、さらには歴史的な文脈における再検討の可能性ということがテーマになっていました。今日の人文学研究の潮流を反映したテーマかもしれません。なかには、戦後ドイツにおける「哲学」という「学問分野」の形成過程を考察の対象としながら、あらためて理論としての哲学の位置と意義を探る講演もありました。このような問題設定そのものは、こと哲学に関して言えば、思想の内実を離れてエピソード的な事実の集積に流れてしまう危険性も帯びていますが、同時代の状況のなかに浮かび上がる哲学者の歴史意識は、私自身の問題意識からしても興味深いところです。

なかでもアドルノの同時代に対する批判的な問題意識が、一貫して音楽作品に関する批評的な言説をつうじて表明されていることを辿り、アドルノの歴史意識に迫ろうとする講演を興味深く聴きました。この点が、晩年のアドルノにまで当てはまるかどうかに関しては検討の余地があるかもしれませんが、講演のなかで引用された彼の音楽論の言葉を辿ると、彼の歴史意識が、時折ハイデガーが人間存在の歴史性を論じる文脈で用いている概念を批判的に引用しながら表現されているように見えます。思えばハイデガーとの対決は、1930年代初頭以来、アドルノの哲学的思考のテーマの一つでした。ちなみに、こうしたことが気になったのも、ちょどベンヤミンの歴史哲学とハイデガーの歴史論を対照させた以前の論文を見直していたからでした。

51fwl3vou1l11月上旬には、現代を代表する作曲家の一人である細川俊夫さんが、ご自身の半生と作曲活動の軌跡を、創造の核心にある思想とともに語った対談書の日本語版の刊行へ向けた、校正や巻末資料の準備といった作業を終えることができました。すでに別稿に記しましたように、拙訳による日本語版は、『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』の表題で、アルテスパブリッシングより刊行されます。12月12日に各書店で発売されますので、お手に取っていただければ幸いです。音楽を愛好する方々に音楽そのものを深く考えさせる一冊として、あるいは作曲を志す方々に刺激と示唆を与える一冊として、多くの方に読んでいただけることを願ってやみません。人間と自然の関わりを、そこにある生の息吹を響かせる芸術の力を深く考えさせる内容を含んだ一書と考えております。

11月の26日と27日には、広島市のアステールプラザにて、ひろしまオペラルネッサンスの今年の公演が開催され、プッチーニの「三部作」より、《修道女アンジェリカ》と《ジャンニ・スキッキ》が上演されましたが、この公演のプログラムに、「生がその全幅において肯定される場を開くオペラ」と題したプログラム・ノートを寄稿させていただきました。プッチーニが「三部作」の作曲に際してダンテの『神曲』を意識していたことに着目しながら、プッチーニのオペラの独自性に迫ろうとする内容のものです。それから、11月29日には、すでに日本語で書いた論文の原稿をドイツ語に訳して、お世話になっているベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウムで発表する機会にも恵まれました。やはりディスカッションには多くの課題を残しましたが、論文の趣旨を深く理解して、それを現在の、それこそ”post-truth”的状況に生かすうえで考えるべき問題を指摘したコメントが得られたのは収穫でした。

シーズン真っ盛りの11月は、かなりの数の演奏会やオペラの公演に足を運びました。故パトリス・シェローの演出による州立歌劇場でのリヒャルト・シュトラウスの《エレクトラ》の公演と、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会は、本当に忘れられないものとなりました。また、ベルリン・ドイツ・オペラでのマイアベーアの《ユグノー教徒》の上演は、多くのことを考えさせるものでした。これらについてお伝えするとなると、かなり長くなってしまうので、場を改めてということにさせていただければと思います。これらとともに印象に残ったのが、イヴァン・フィッシャーの指揮によるベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の演奏会でした。11月に二度聴いたその演奏会はいずれも、今ベルリンで聴くべきコンビがここにあることを、音楽を聴く喜びとともに実感させました。なかでもベートーヴェンの交響曲第4番とシューベルトの交響曲第5番の演奏は、楽譜に書かれた音の潜在力を、しなやかな歌心をもって発揮させていました。清新でかつ充実した内容の演奏を繰り広げる両者の協働が長続きしないのが非常に残念ですが、イヴァン・フィッシャーが指揮するコンツェルトハウス管弦楽団の演奏会を聴けることは、今ベルリンに滞在していて最も幸せに思えることの一つです。

今回は最後に、一つ美術の展覧会をご紹介しておきます。ハンブルク駅現代美術館に改装中のNeue Nationalgalerieの作品の一部を展示するために設けられているNeue Galerieでは、現在「ヒエログリフ」と題するエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー展が開催されています。キルヒナーは、好きな画家の一人なので見に行きました。スペースの関係で絵画の出品数は少ないのですが、ダヴォス時代の作品を含めて興味深い作品がいくつか並んでいます。もちろんあの《ポツダム広場》も架かっているのですが、それとともに面白いのは、この大作のために彼が残した、きわめて簡潔に身体像を捉えるスケッチが展示されていることです。「ヒエログリフ(象形文字)」というのは、キルヒナー自身が、身体の動き──彼は一貫して舞踊などの身体表現に強い関心を持っていました──を平面上の輪郭線に翻訳する際に用いていた、彼独特の素描言語を表わす概念とのこと。その広がりが、デッサンのみならず、舞踊の様子を収めた写真などにも見て取られているのが、今回の展覧会の特徴と言えるかもしれません。また、その言語の形成に、カール・アインシュタインのアフリカの彫刻についての書物などに触発されたアフリカの美術への関心も深く関わっていることも、展示から伝わってきます。

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ジェンダルメンマルクトにて

ともあれ、ヒエログリフとしてのデッサンを見ることをつうじて、《ポツダム広場》の画面から、街路を行き交う人の動きがさらに強く感じられるようになった気がします。この傑作が描かれてからすでに一世紀を超える年月を経て、ポツダム広場の様子はすっかり変わってしまいましたが、その一角やコンツェルトハウスの前のジェンダルメンマルクト、それにアレクサンダー広場のような場所には、11月の最後の週末から、クリスマスの市が立ち、多くの人々で賑わうようになっています。日が落ちると、どこからともなく人が集まってきて、市のなかはかなり混み合います。すでに寒いうえ、夕方ともなれば真っ暗になってしまうので、そうでもしないと精神的にも厳しいのかもしれません。例年より少し早い待降節(アドヴェント)の訪れとともに始まったクリスマスの季節、街は色とりどりの灯と人々の賑わいで彩られるようになりますが、私は図書館にさらに深く籠もって研究に勤しまなければと思います。気がつけば、滞在期間があと二か月ほどになってしまいました。どうかみなさま、ご健康でよいクリスマスの時季をお過ごしください。