広島へ/Nach Hiroshima

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役所からの帰り道に見た現役のトラバント

ここ数日ベルリンでは、この冬では比較的寒い日々が続いています。日中でも気温が氷点下二、三度で、空はどんよりと曇っています。あらためてドイツで冬を過ごしていることを実感させる気候ですが、そのようななかで、ベルリンの住居を引き払い、広島へ帰るための準備を進めていました。寒さのなかを半時間ほど歩いて、地区の役所の支所へ住民登録解除の手続きに行ったり、荷物をまとめたりしていたところです。何と言っても、研究のために買いためた本を箱詰めして送り出す作業が難儀でした。昨年四月からの勤務先の大学の学外長期研修制度によるベルリンでの研究滞在を終えて、広島へ帰ります。あっという間に過ぎた十か月でした。

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桜の時季に滞在が始まりました。

滞在期間は、ベルリン自由大学の哲学科のジュビレ・クレーマー教授にお世話になりながら研究を進めました。おかげで、人文学に関する文献が豊富に揃ったこの大学の文献学図書館をほぼ毎日利用できましたし、またクレーマー教授のコロキウムで研究の中間的な成果を発表してフィードバックを得ることもできました。初めの頃には、ベルリン芸術アカデミーのヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフにも、文献のことをはじめ何かとお世話になりました。ベルリンでの研究環境は、ほぼ申し分なかったと言えるでしょう。ただ、それを生かしきれたかと自問すると、やはり忸怩たるものが残ります。もう少し文献を読めたはずだという思いを拭えません。

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初夏から夏にかけては多くの果物を味わいました。写真は市場で見た巨大な西瓜。

ベルリンでは〈残余からの歴史〉の概念を、ヴァルター・ベンヤミンの歴史への問いを引き継ぎながら、哲学的かつ美学的に探究する研究に取り組んでいました。そのためには、当然ながらベンヤミン自身の問題意識をいっそう掘り下げなければなりません。滞在期間の前半は、彼の遺稿「歴史の概念について」の批判版のテクストと、それに関連した二次文献を読み、あらためて彼の歴史哲学とは何か、という問題に取り組んでいました。また、歴史と芸術の接点を探りつつ美学的な問題意識を深めるためには、ベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』が重要であると感じましたので、滞在期間の後半には、そのテクストとこれに関連した文献を繙読しておりました。

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秋のリリエンタール公園

本来ならば、ある程度雑事から解放されている研究滞在の期間にこそ、基礎的な文献をもっと多く読んでおかなければならないのでしょうが、さまざまなことに追われて、思うようには読めなかったというのが正直なところです。とはいえ、ベンヤミンの著作にある程度時間をかけて取り組むなかで、彼の思考への見通しを、微かながら得ることができました。帰国後に少し落ち着いたら、これを何らかのかたちで提示することへ向けた仕事にも取り組まなければと思います。それから、すでに昨年のクロニクルに記しましたように、中國新聞のコラム「緑地帯」などへの寄稿をつうじて、研究に取り組みながら、あるいはベルリンに滞在しながら考えたことを広くお伝えする機会に恵まれたのは幸いでした。

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冬景色

なかでも、昨夏に雑誌『現代思想』の「〈広島〉の思想──いくつもの戦後史」特集に、「そこに歴史はない──ベルリンからグラウンド・ゼロとしての広島を思う」と題する拙論を寄稿させていただいたことは、現在の問題意識を明確にする契機となりました。そこに一端を描いた、ベルリンと広島を大西洋と太平洋を越えて結び、今も続いている「核の普遍史」とも言うべき歴史には、広島から、あるいは広島を思うなかから立ち向かわなければならないでしょう。そして、生存そのものを脅かすこの「普遍史」に抗いつつ、今ここに死者の魂とともに生きる余地を探る営為のうちに、〈残余からの歴史〉を位置づけたいと考えているところです。

過酷な歴史的過程の残滓であるとともに、「歴史」によって抑圧されながらも残り続けている残余としての記憶から、ないしはその消えつつある痕跡から、一つひとつの出来事を想起し、一人ひとりの死者に思いを馳せると同時に、「歴史」とされてきた物語を総体として問いただすところにあるもう一つの歴史、この〈残余からの歴史〉。ベンヤミンの言葉を借りるならば「瓦礫を縫う道」としてのその方法を、さらに彼の思想の研究を深めながら、また広島で原民喜などの作品を読みながら、あるいは歴史学との対話をつうじて探究しなければと考えています。記憶殺しと歴史の骨抜きがとくに日本で進行するなかで、歴史とは何かという問いにはもう少しこだわってみたいと思います。

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フィルハーモニーとともに、コンツェルトハウスへも何度も足を運びました。

ところで、今回の研究滞在中には、細川俊夫さんの『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』の日本語版が、関係者のご尽力により、アルテスパブリッシングより拙訳にて刊行されました。世界的な作曲家の「対話による自伝」とも言うべき本書を、細川さんが最初に留学したベルリンに滞在しているあいだに世に送ることができたのには、巡り合わせのようなものを感じます。そこで細川さんが、ご自身の作曲活動の軌跡とともに語っておられる、音楽の核心にあるものは、これからさらに深めていかなければと考えています。ベルリンでは、かなりの数の演奏会やオペラなどの公演に足を運びました。熱気に包まれた会場で音楽に耳を傾け、舞台に目を凝らしながら、音楽とは何か、オペラの上演は今どのようにありうるか、という問いがいつも脳裡に浮かんでいました。そうして考えたことも、広島で音楽に関わる仕事に生かしていきたいと思います。

それから、滞在期間にベルリンからヨーロッパ各地へ何度か出かけられたのも、忘れられないことの一つです。なかでも大規模なパウル・クレー展が行なわれていたパリへの旅、ベンヤミンが自死を遂げたポルボウへの旅、そして最近のベルンとチューリヒへの旅からは、今後の研究にとってきわめて重要な経験を得ることができました。それによって、ベンヤミンの思考の軌跡をいっそう広い歴史的文脈に位置づける視野が開けたと感じています。また、ハノーファーとハンブルクでは、広島とドイツを結ぶ非常に興味深い試みにも接することができました。これらの旅をつうじて得られた刺激や人間関係も、今後の研究と教育に生かしていかなければなりません。

今回は家族とともにベルリンに滞在しました。娘が公立の小学校に通ったので、それに関わる細々としたことに時間を取られることも多かったのですが、娘の担任の教師やクラスメイトの親など、おそらく単身での滞在では出会うことのない人々とめぐり逢うことができたのもよい経験でした。娘は友達に恵まれ、何人か親友もできました。近いうちに親友との再会の機会を設けなければと思います。また、住まいの家主がとても親切だったのにも助けられました。こうした人々がいたおかげで、温かい日常を過ごすことができたと思います。ベルリンで出会った、あるいは再会した友人たちにも、さまざまな場面で助けられました。心から感謝しています。

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ちょうどベルリン映画祭の準備が本格化しています。

滞在期間には、昨年の12月に起きたトラックによる無差別殺傷事件のように衝撃的な出来事も起きましたが、この事件の後のベルリンの人々の落ち着いた生活ぶりには、多くを学ばされました。現在、世界を不安が覆うなか、憎悪が人々のあいだを引き裂いているのは確かでしょう。それに、それに乗じたとも言える由々しい政治的な動きは、すでに始まっています。しかし、後戻りできないかたちで雑種化し、さまざまな背景を持つ人々の交差路となっているベルリンの日常を生きる人々は、このことがいかに誤っているかを深く理解していると思います。それに、ダニエル・バレンボイムのように、人の注意力を細やかにしながら人と人を結びつける音楽の力を確信しているベルリンの優れた音楽家は、音楽に取り組む者にとって、人を他者に開く人文的な知が重要であることも深く理解しています。おそらくは、憎悪をその歴史的な根から照らし出し、他者とともに生きるうえで困難でありながら大切な問題を考えることへ人を導くことによって、こうした芸術家の営みを支えるところには、この困難な時代における哲学の課題の一つがあることでしょう。このような問題意識を抱きながら、また広島での仕事に戻りたいと思います。今日広島へ発ちます。

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ベルリン通信VII/Nachricht aus Berlin VII

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十月初旬のベルリンの秋空をボーデ美術館の脇より

十月は、こちらの大学では日本で言う新年度の始まる月で、今回の研究滞在に際してお世話になっているベルリン自由大学のダーレムのキャンパスも、ドイツだけでなく、世界各地からの新入学生を迎えてかなりにぎやかになりました。講義が本格的に始まるのは十月中旬からで、この点は、日本に比べるとかなりのんびりとした感じです。とはいえ、こちらでは日本で言う学会シーズンも始まっており、学内外で研究会合などの行事が目白押しで、それに関わっている教員は、かなり忙しそうに見えます。十月は、そうした慌ただしい大学の様子を横目に、ほぼ毎日大学の文献学図書館に通って、文献を見ながらいくつかの原稿を書いていました。

ちなみに、この図書館では、おしゃべりしながら入ってくる学生がいると、吹き抜けの上階からすぐに「シッ」という声が飛んできます。逆に、先日聴きに行った退職教員の最終講義では、いつもの調子なのでしょうが、ぼそぼそと語り始めたその教員に、「もっと大きな声で話してくれませんか!」という声が飛んでいました。大学では、学生のあいだでも、碩学に対しても遠慮というものがありません。そうした大学の気風は、日本でも大学という場所を風通しよくするためにも、もう少し重んじてよい気がします。もちろん、そうした大学の構成員に対する遠慮のない振る舞いは、それぞれの視座から真理を探究する学問の営みに対する敬意と、その自由の尊重に裏打ちされていなければ、傍若無人な横柄さにすぎません。大学とは、自由であることを学び合い、それを他人とのあいだに学問を追求する者自身が実現する場所であることを、学期初めのドイツの大学の風景を眺めながら、あらためて思いました。

ともあれ、十月は文献を読み、論文を書いているうちにあっと言う間に過ぎました。ベルリンでの滞在期間も残り少なくなってきたので、そろそろそのもう一歩先にある自分自身の研究テーマを掘り下げて形にする仕事に取りかかりたいと思っています。なお、雑誌のそのものが公刊されたのは、八月の末なのですが、原爆文学研究会の機関誌『原爆文学研究』の最新号(第15号)に、能登原由美さんの『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社、2015年)の書評を寄稿させていただきました。長年にわたり能登原さんが取り組んできた「ヒロシマと音楽」委員会の調査活動の経験にもとづく楽曲分析と平和運動史を含んだ現代音楽史の叙述によって、「ヒロシマ」が鳴り響いてきた磁場を、政治的な力学を内包する場として、「ヒロシマ」の物語の陥穽も含めて浮き彫りにするものと本書を捉え、今後もつねに立ち返られるべき参照点と位置づける内容のものです。

先日ようやくベルリンの滞在先に届いたこの『原爆文学研究』第15号には、拙著『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会、2015年)についての高橋由貴さんによる大変丁寧な書評も掲載されていました。それ以前の著書の内容を踏まえ、それを含めた一貫した問題意識を『パット剝ギトッテシマッタ後の世界』の議論から浮き彫りにして、それと正面から向き合った対話を繰り広げる批評を読んで、そこでテーマとして挙げられている、死者とともに生きることを、人間がみずからの手で引き起こした破局の後に生きること自体と捉えながら、その場を今ここに切り開くような歴史の概念を、ベンヤミンと対話しつつ探っていかなければ、とあらためて思いました。

ところで、10月2日には、ハンブルク・ドイツ劇場で活躍されている俳優の原サチコさんがハノーファーで続けておられる„Hiroshima-Salon“に参加させていただきました。ハノーファー州立劇場のCumberlandsche Galerieで開催された今年の„Salon“では、まず井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の抜粋の朗読に深い感銘を受けました。井上ひさしが、原爆に遭った少年たちの心情の機微に迫るとともに、広島がそれまでどのような街で、そこにどのような人々が暮らしていたかを浮き彫りにしながら、内側から生命を壊す放射能と外から迫る枕崎台風の洪水に呑み込まれていく少年たちの姿を細やかに描いていることが、ドイツ語訳からもひしひしと伝わってきます。考えることに踏みとどまることを、一貫して少年たちに説き続ける「哲学じいさん」の姿も印象深かったです。

「少年口伝隊」の朗読の後、ハノーファーと広島の青少年の交流をつうじて平和を創る人々を育てようとした林壽彦さんの事績とメッセージが、ヴィデオと当時を知るハノーファーの関係者により紹介されました。Hochschule Hannoverと広島市立大学の学生の交換を含め、ハノーファーと広島の現在の交流の礎になった林さんのお仕事の大きさをあらためて感じました。その後のトーク・セッションに参加させていただき、今ここで原爆を記憶することの意義と課題、そしてギュンター・アンダースの思想について、少しばかりお話させていただきました。学ぶことの多い機会を与えていただいたことに、心から感謝しているところです。ちなみに、お寿司とお茶が振る舞われた休憩の後、「ハノーファー最大」の„Karaoke-Show“では、ハノーファーの人々の日本のポピュラー・カルチャーへの愛着の深さ、そしてドイツと日本双方の「歌手」たちの歌の上手さに圧倒されました。

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ミュンヒェンのHaus der Kunstの外観

10月20日と21日にはミュンヒェンへ出かけて、Haus der Kunstで開催されている„Postwar: Kunst zwischen Pazifik und Atlantik, 1945-1965“を見ました。第二次世界大戦終結後の20年間の美術の展開ないし変貌を、„Postwar“という視点から、太平洋と大西洋の両方にまたがる世界的な視野を持って捉えようとするこの大規模な展覧会については、見た印象を別稿に記しましたので。ここでは、20日の夜にガスタイクで聴いたマリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団によるマーラーの交響曲第9番ニ長調の演奏について記しておきますと、彼が完成した最後の交響曲が、彼の生を愛おしむ歌に充ち満ちていることを、あらためて実感させるものだったと思います。その歌の美しさが芳醇な響きのなかに際立った演奏でした。とくに最終楽章のアダージョは美しかったです。心の底からの歌が響きが飽和するまで高まった直後に聴かれる、慈しむような歌の静謐さには心打たれました。ただその一方で、死に付きまとわれているがゆえに生を愛おしむ、その狂おしさが、深い影のなかから響いてほしかったとも思いました。

もちろん、ベルリンでも演奏会やオペラのシーズンが本格的に始まっており、どれに出かけるか迷う日々です。今月はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に三度通いましたが、三度目にしてようやくこのオーケストラの冴えた響きを聴くことができました。イヴァン・フィッシャー指揮によるバルトークとモーツァルトの作品を軸としたプログラムの演奏会では、一方で後半に演奏されたモーツァルトの「プラハ」交響曲の演奏が、この曲の大きさを意識しながらも、その至るところに見られるリズミックな動きを生き生きと躍動させるもので、深い感銘を受けました。曲の厳しさを鋭い響きで強調しながらも、典雅さをけっして失わない演奏で、とくにアンダンテの楽章を美しく響かせていました。やや早めのテンポを基調としながら、時にはっとさせるようなルバートを聴かせていたのが印象に残ります。

他方で、前半のバルトークの弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽では、まず、問わず語りのように静かに流れるモティーフが次々に折り重なって、やがて一つの力強い歌になり、深いため息のように響く瞬間に、恐ろしいほど深い空間が開かれたのに驚かされました。第2楽章のアレグロのテンポは当初控えめでしたが、それによってバルトークの書いた精緻なテクスチュアが実に生き生きと浮かび上がってきます。ハープとチェレスタによるさざめくようなパッセージの後、弦楽器の絡み合うモティーフが地の底から這い上がるように高揚した後は、フィッシャーはテンポを上げて、書の力強い跳ねのように曲を結んでいました。第3楽章のアダージョは、バルトークの夜の音楽が、深い闇のなかに無数の生命の蠢きを感じさせるように響きました。フィナーレでは、力強い「対の遊び」からバルトークの楽器が響いてきました。これまでの楽章の再現が、哀惜を帯びて美しく響いたのも感動的でした。

オペラでは、ベルリン州立歌劇場で観た、ベートーヴェンの《フィデリオ》の今シーズン最後の公演が感銘深かったです。ダニエル・バレンボイムの指揮の下、音楽的にきわめて充実した公演でした。ベートーヴェンが書いた音の一つひとつに生命を感じました。とくにシュターツカペレ・ベルリンの演奏が素晴らしく、垂直的な深さを感じさせる響きのなかに、リズムを躍動させていました。歌手たちも素晴らしく、とくにアンドレアス・シャーガーが歌ったフロレスタンのアリアは、絶唱と言ってよいほどの出来でした。レオノーレの役を歌ったカミラ・ニュルンドも、伸びのある声と正確な歌唱で人物像を浮き彫りにしていました。

この二人の二重唱から幕切れに至る音楽の内的な高揚は、圧倒的な力強さを崇高に響かせるものだったと思います。このベートーヴェン唯一のオペラのフィナーレに、彼が後にシラーの頌歌に乗せて歌う、人類的な共同性の予感がすでにあることを示した《フィデリオ》の上演でした。もちろん、その共同性から排除される者がいることも、舞台では暗示されていましたが。歌手のなかでは、ロッコ役を歌ったマッティ・サルミネンが非常に重要な位置を占めていました。存在感に満ちた声で、人物を結びつけながら舞台を動かしていました。「黄金の歌」も、台詞回しも説得力がありました。

ハリー・クプファーによる演出は、夫婦関係も含めた社会的な人間関係を超越するユートピアへの魂の跳躍を、ベートーヴェンの唯一のオペラに見ようとするもので、そのコンセプト自体は崇高なものでしょう。ただ、それを実現する手法にはいくらか疑問が残りました。ケルンに残されている、かつてゲシュタポによって拘留された人々が、憧憬と絶望の双方を表現する言葉を刻んだ壁を背景に使うというのは素晴らしい着想で、その前で歌われる囚人の合唱は圧倒的でしたが、ベートーヴェンの胸像の載ったピアノと写真をはじめ、小道具はあまり効果的ではなかったかもしれません。とはいえ、全体として、音楽とマッチした説得的な舞台であったのは確かでしょう。

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リリエンタール公園の桜の紅葉

このように、友愛の下に「人類」が立ち上がろうとする劇場の外では、差別的な憎悪表現が、まさに他者の自由を奪うかたちで撒き散らされているのも無視できません。それに対するドイツ社会の問題意識が、今年『憎悪に抗して(Gegen den Hass)』をフィッシャー書店から公刊して大きな反響を呼び起こしたカロリン・エームケのドイツ出版・書籍販売業協会の平和賞受賞に結びついたと思われます。このことも、十月に新聞の文化欄をにぎわせた話題の一つでした。彼女はフランクフルト大学などで哲学を修めた──フランクフルトで討議倫理を学んだと語っています──後、ジャーナリストにして著述家として活躍しているようです。エームケは、受賞に際してのインタヴューで、ドイツ社会の差別的な憎悪表現は、それ自体としては以前からずっとあったが、最近ではそれが確信犯的で厚顔無恥に現われるようになっていると述べ、それに対する危機感が『憎悪に抗して』を書いた動機の一つであると語っていました。こうした現象に対する共通の問題意識も、エームケの受賞の背景にあるのではないでしょうか。PEGIDAといった排外主義的な主張を行なうグループのデモは公然と行なわれていますし、とくに難民に対するヘイト・クライム(収容施設への放火など)は後を絶ちません。

フランクフルトでの書籍見本市の期間に当地のパウロ教会で行なわれた授賞式の挨拶でエームケは、人間の根本的な複数性を語ったハンナ・アーレントの『人間の条件』を引用しながら、差別的な憎悪が新たな段階に達しようとしている状況を見据えながら、憎悪に立ち向かう責任を、勇気を持ってともに引き受けようと語りかけていました。挨拶の表題は「始めよう(Anfangen)」でしたが、それは、みずからのアイデンティティを問い直しながら、そうして自分の物語ないし歴史を交換しながら、お互いの唯一性を尊重し合う自由な行為へ一歩を踏み出す「始まり」への呼びかけであったと思います。これは『憎悪に抗して』という本の主張とも重なると思いますが、その議論と彼女のスタンスに対しては、すでに批判的な論評も出ています。憎悪の背景にある社会的な問題への視野を欠いている、哲学的に憎悪を批判するだけでは、憎悪の問題に実質的に取り組むことはできないのではないか、といった──なかにはルサンチマンを背景にしたシニシズムを感じさせるものもある──批判がエームケに向けられていました。

こうした批判があるとはいえ、エームケの著述には、ザヴィニー広場駅の本屋でたまたま前著の『それは語りうるゆえに──証言と正義について(Weil es sagbar ist: Über Zeugenschaft und Gerechtigkeit)』というエッセイ集を手に取り、ドレスデンへの旅のあいだ読んでから、少し関心を持っているところですので、あちこちの本屋に平積みになっている『憎悪に抗して』も読んでみようかと思っています。そこから、公職にある者が人種差別にもとづく憎悪表現を他者の面前で行ない、それを監督責任者の首長が容認するというように、憎悪表現が新たな、そしてきわめて深刻な段階に入っている日本の状況について考える何らかの材料が得られるかもしれません。

ベルリン通信I/Nachricht aus Berlin I

[2016年5月1日]

ベルリンへ来ると、どこか故郷へ帰って来たような安心感があります。2004年の10月から翌年2月にかけて、在外研究のためにポツダムに滞在していたあいだ、週に一回か二回は電車でベルリンに通っていましたし、その前後にも年に一度は研究のために、あるいは音楽を聴くためにベルリンを訪れていたからです。少しごみごみとした街の空気、せわしく人が行き交う駅から聞こえる電車の音、美術館や博物館の佇まい。どれも懐かしく感じられます。

旅行者としてベルリンを訪れているうちならこういった感慨に浸ることもできるのでしょうが、いざ住むとなるとそのような暇はないというのが実情です。来年2月までの在外研究のためにベルリンに到着して一か月が経ちましたが、あっという間に過ぎました。役所での住民登録に始まり、娘の小学校探し、銀行の口座開設など、思った以上に労力と時間を要しました。とくに役所での手続きは、最近予約なしでは原則として受け付けないようになったこともあって、ベルリンの市民にとっても大変なようです。住まいの家主さんをはじめ、周りの人々の協力を得て、事務的な手続きは、外国人局での在留許可申請を除いて、何とかほぼすべて片づきました。

こちらでは、ベルリン自由大学の哲学科にお世話になりながら、主にヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学の研究を進めています。主著のMedium, Bote, Übertragung: Kleine Metaphysik der Medialität (Suhrkamp, 2008) が日本語に訳されている(『メディア、使者、伝達作用──メディア性の「形而上学」の試み』晃洋書房、2014年)哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキアム(大学院生以上向けのゼミ)に出させていただきながら、ベンヤミンが問うた歴史の概念を掘り下げることになります。クレーマー教授はとても気さくで、後進の教育にも熱心な方と見受けられました。

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ベルリン自由大学文献学図書館の外観

普段はベルリン自由大学の文献学図書館(Philologische Bibliothek)を利用して、ベンヤミンの歴史哲学に関係する文献を渉猟しています。人間の脳をイメージした設計で2006年のベルリン建築賞を受賞したこの図書館には、人文学関係の文献が豊富に揃っています。何よりも、開架式の図書館なのがありがたいです。適度な広がりのある静かな空間で、必要な本をすぐに手に取って読むことができます。それから、もちろんベルリン芸術アカデミー付設のWalter Benjamin Archivも、重要な研究の拠点です。こちらの司書の方にも何かとお世話になっています。

これらの施設を利用しながら、ベンヤミンの歴史哲学の研究を深め、それを現在構想している〈残余からの歴史〉の概念の理論的な探究に接続させたいと考えています。ひとまず、ベンヤミンに関する研究を近いうちにまとめて、先のクレーマー教授のコロキアムで報告させていただく予定です。それゆえ、とくに今月は研究のピッチを上げなければなりません。懸案だった他のプロジェクトも動き出したので、徐々に本業のほうが忙しくなってきました。

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リリエンタール公園の桜並木

ベルリンでは、市内南西部のリヒターフェルデという郊外の街に住んでいます。緑豊かなところで、雰囲気も落ち着いています。晴れた朝には、実にさまざまな鳥の声が聞こえます。リスが木に登っていくのを何度か見かけましたし、夜にキツネが道路を歩いているのに出くわしたこともあります。近くには、グライダーの有人飛行実験によりライト兄弟以後の航空機開発に貢献したオットー・リリエンタールを記念した公園があります。そこの桜並木が、最近ようやく満開になりました。ただ、ベルリンは四月の末まで非常に寒い日が続いていて、最低気温はずっと氷点下近くでした。雹や雨混じりの雪が降ることもありました。幸い、ここへ来て春らしい暖かさが戻りつつあります。

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ティタニア・パラストの外壁の銘板

リヒターフェルデの最寄りの駅からベルリンの市街中心へは、電車で15分から20分ほどですので、交通の便も悪くはありません。ただし、ちょっとした買い物があるときには、バスでシュテーグリッツという少し大きな街へ出るほうが便利です。ここには、ティタニア・パラストという、戦後しばらくベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏会場に使っていた映画館があります。ベルリン自由大学の創立記念式典が開催された場所でもあります。最近そこでこのオーケストラの定期演奏会のライヴ・ヴューイングを見ました。今はどこにでもあるシネマ・コンプレックスになっています。

ちなみに、現在およそ週に一回ほどのペースで、演奏会やオペラの公演にも通っています。なかでも感銘深かったのが、ベルリン・ドイツ・オペラで観たヤナーチェクの《マクロプロス事件》の公演でした。作品に正面から取り組みながら洗練されたダーフィト・ヘルマン演出による舞台と、ドナルド・ラニクルズの指揮の下での充実した音楽が見事に合致していました。今月観たオペラの公演でもう一つ忘れられないのが、パリの郊外で見たフランチェスコ・フィリデイの新作オペラ《ジョルダーノ・ブルーノ》の公演でした。宇宙の無限を説いたルネサンスの哲学者ブルーノの思想と生涯を、彼の焚刑に至るまで非常に説得的に、かつ現在の問題を投げかけるものとして描き出していたと思います。

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パリのパサージュの一つで

4月の下旬には、勤務先の大学で取得した休日を利用してパリへ三日間出かけました。ベルリンからパリへは二時間足らずのフライトです。旅行の目的はこの《ジョルダーノ・ブルーノ》と馬場法子さんの新作で能楽師の青木涼子さんが主演するNôpéra《葵》の公演を観ること、それにポンピドゥー・センターで始まった大規模なパウル・クレー展「作品におけるイロニー」を観ることでした。このクレー展には、ヴァルター・ベンヤミンが私蔵していた二つのクレーの絵《新しい天使》と《奇跡の上演》が初めて揃うので、見逃さないわけにはいきません。初めて実物を見た《奇跡の上演》は、クレーの魅力が凝縮された一枚と思います。ベンヤミンが友人に宛てた手紙のなかで、これ以上美しい絵を見たことがないと語った気持ちも分かります。

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こちらの桜の多くは八重桜のような感じで、あまり花の儚さは感じさせません。

これら以外にも傑作や貴重な作品が集まっていて、かつクレーの画業も新たな視点から見直させるパリのクレー展に関連しては、5月下旬にコロックも予定されています。そちらにも出かけるつもりでおります。それまでにベンヤミンの歴史哲学に関する研究の現時点での成果を示す論考に目鼻を付けておきたいものです。先に記した施設で本を読む時間を持てる幸せを噛みしめながら腰を据えて文献に取り組み、それをつうじて得られた知見を深めていきたいと思います。ベルリンはこれから一年で最も美しい季節を迎えますので、当地の緑の豊かさも家族で味わいたいものです。ハインリヒ・ハイネが歌った「妙なる月(Der wunderschöne Monat)」がみなさまにも訪れますように。

ベルリンへ/Nach Berlin

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2003年の冬に訪れたときのイーストサイド・ギャラリー

早いもので今年も桜が見頃になりました。近所の三瀧寺の周辺も多くの花見客で賑わっています。毎年そのような時期になると、新たな年度、そして新たな学期も始まって、何かと気ぜわしくなるものですが、今年は普段とは別の慌ただしさがあります。今年度は、勤務先の大学の学外長期研修制度により、4月1日から明くる年の2月10日まで、ベルリンで在外研究を行ないますので、その準備に追われていたのです。おかげさまですでに住居は確保していますし、荷造りなども済んではいるのですが、さまざまな仕事に追われているうちに、肝心の研究計画をしっかりまとめ直す時機を逸してしまいました。ベルリンに着きしだい、当地で行なう研究の照準を合わせ直し、そのために取り組まなければならないことを整理したいと思います。

すでに別稿に記しましたとおり、ベルリン滞在中は、まずはベンヤミンの著作や書簡などをしっかり読み直しながら、残余からの歴史とも呼ぶべき、もう一つの歴史の可能性を哲学的かつ美学的に追求したいと考えています。そこへ向けて、ベンヤミンの歴史への問いを、彼の問い自体を掘り下げながら引き受けていきたいと思います。ちなみに、残余からの歴史とは、これもすでに述べましたとおり、神話としての歴史が消し去ろうとしている出来事の残滓を拾い上げ、声にならない声を反響させることで、現在を過去との布置において照らし出すとともに、他者、そして死者とともに生きる場を、神話の解体によって切り開く歴史とひとまず言えるでしょう。その歴史の可能性は、史実の探究と美的表現が交響するところに開かれるのではないでしょうか。

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2004/05年の在外研究の際に撮影した博物館島の風景

ベルリン自由大学の哲学科にお世話になりながら、この大学の図書館で、あるいはベルリン芸術アカデミー付設のヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフで、ベンヤミンのテクストとそれに関する文献を読み、この残余からの歴史の概念を掘り下げる傍ら、週に一度くらいは、優れた音楽や舞台に接する時間も取りたいものです。それをつうじて、先日の中央大学人文科学研究所のシンポジウム「ドイツでオペラをつくるということ──ハンブルク歌劇場での細川俊夫のオペラ《海、静かな海》の世界初演を振り返る」のテーマでもあった、現代の世界における音楽や舞台芸術の可能性についても考えを深めたいと考えています。

また、ベルリンには近郊にザクセンハウゼンの収容所跡がありますし、中心部にも「テロルのトポグラフィー」をはじめ、全体主義的ファシズムとその戦争、そして虐殺の歴史を伝えるモニュメントなどが無数にあります。それらがどのように造られていて、どのように記憶を喚起するかを観察することも、研究にとって欠かせないことでしょう。こうしたモニュメントへのアートの介入とその意義を検討することは、広島での記憶の継承の姿を、その可能性において考えるうえでも重要なことと思われます。さらに、今回の滞在中は、さまざまな背景を持つ人々の相互理解および共存の試みと、排外主義的な主張の両方を目の当たりにすることにもなるはずです。2004/05年の冬学期の時期にポツダムに研究滞在していた時にもベルリンは頻繁に訪れていましたが、その頃からすると、街の風景もところどころ変わったことでしょう。街の変化を見るのも楽しみなところです。

このように、ベルリン滞在中に取り組みたいことは、挙げだしたらきりがありませんが、10か月ほどのあいだにできることは限られているでしょう。まずは、文献をしっかり読むことに力を注がなければと思います。それに、今回は家族で滞在するので、しばらくは生活が落ち着かないかもしれません。身辺に気をつけなければならない場面も多くなるでしょう。いずれにしても、滞在中は対応しきれないことが多々あるにちがいありません。ご迷惑をおかけすることもあろうかと思いますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。いよいよ今日出発します。

Chronicle 2015

年の瀬とは思えない暖かい日が続いていますが、お変わりないでしょうか。気候の尋常ならぬ穏やかさに、かえって気持ちが落ち着かない日々を過ごしております。空気の生暖かさは、戦争のなかで虐げられてきた人々や、今も日々追いつめられている人々の苦悩を覆い隠し、こうした人々が曝されている暴力を問う思考を鈍らせるものにすら思えるのです。被爆、そして敗戦から70年の節目の年が暮れようとしてしている今、70年のあいだ時に声にならないかたちでも発せられてきた、抑圧されてきた人々の言葉を、神話としての歴史に抗って聴き直していくことの重要性を、あらためて確認すべきではないでしょうか。このことが、来たる年も思考を継続する出発点になると思われます。

IMG_1727そのことの重要性を、私自身先日「被爆70年ジェンダー・フォーラムin広島」に参加して噛みしめたところです。入念な準備を経て開催されたこのフォーラムは、「広島/ヒロシマ/廣島」に凝縮される問題を考え続ける起点となるような、人と問いの交差点(intersection)になったのではないでしょうか。私はそこで得たさまざまな刺激を、残余からの歴史とも呼ぶべき、もう一つの歴史の可能性を哲学的、かつ美学的に考えることに生かしたいと思っています。その歴史をひとまず、神話としての歴史が消し去ろうとしている出来事の残滓を拾い上げ、声にならない声を反響させることで、現在を過去との布置において照らし出すとともに、他者、そして死者とともに生きる場を、神話の解体によって切り開く歴史と特徴づけられるでしょうし、その可能性は史実の探究と美的表現の交響のなかに探られうると考えているところです。

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残余からの歴史が開く場所なき場には、今まさに神話的に喧伝されている「最終的解決」も「不可逆」性もありえません。そこには絶えず死者が到来し、過去に新たに向き合わせます。そのことが、現在を記憶の布置のなかに照らし出すのです。「時の関節が外れた」場に身を置いてこのことを潜り抜けてこそ、自分自身を、性差別を含んだかたちで規定された「国民」的な従属゠主体性を脱するかたちで、他者への応答可能性へ向けて変貌させうるのではないでしょうか。このことが、とりわけ東アジアに生存の余地を開くためにも、喫緊に求められていると思われてなりません。

来年は、こうした残余からの歴史の概念を、ヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について」をはじめとする歴史哲学的著作の読み直しにもとづいて探究することを中心的な課題としたいと考えているのですが、それに取り組むための時間を、4月より広島とは別の場所でいただくことになりました。来年度は、ベルリンにて、当地のベルリン自由大学の哲学科にお世話になりながら、およそ10か月間の在外研究を行ないます。この大学の図書館でも充分に研究のための資料は閲覧できるでしょうが、幸いベルリンには、芸術アカデミー付設のヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフもありますので、こちらも併せて活用しながら研究を進めたいと考えています。

9784755402562以下にクロニクルのかたちで記すように、今年は非常に忙しく過ぎていきました。そのことにはもちろん、今年が被爆と敗戦から70年の年だったことも作用しているにちがいありません。そのような節目の年に、拙著『パット剝ギトッテシマッタ後の世界──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会)を上梓したのをはじめ、今までになく多くの文章を公表できたことは、非常に光栄に思っておりますし、その執筆過程で学ぶことも多々ありました。しかし、そのぶん地道な研究がいくらかおろそかになった感は否めません。来年4月からのベルリンでの在外研究のあいだは、テクストを丁寧に読むことにできるだけ多くの時間を割きたいと思います。

IMG_1898今年も大学での講義や公務に追われながら研究と執筆に勤しむ毎日でしたが、その合間を縫うかたちで、パリ、チューリヒ、そしてテル・アヴィヴとイェルサレムへ旅することができたのは、忘れがたい思い出になりました。そのなかで、素晴らしい音楽や舞台、あるいは美術に触れられた喜びについては、すでに記したとおりですが、それ以上に現地で人と会って語り合う時間を持てたことの貴重さを、今は噛みしめているところです。細川俊夫さんのオペラ《リアの物語》の広島での上演に関わる仕事で明けた今年は、音楽との関わりがさらに深まるとともに、美術との関係も強まった一年でした。こうした芸術との関わりを大切にしながら、研究の深化に努めたいと考えております。このところ文字どおり足腰を鍛えることに少し精を出してきましたが、来年はそれを継続しつつ、研究の足腰も鍛え直したいものです。引き続きご指導くださいますようお願い申し上げます。来たる年が、みなさまにとって少しでも平和で幸せに満ちた年になりますように。

■Chronicle 2015

  • 1月30日:1月30日と2月1日の二日にわたりHiroshima Happy New Ear Opera IIとしてJMSアステールプラザ中ホールにて開催された細川俊夫作曲のオペラ《リアの物語》の公演(指揮:川瀬賢太郎/演出:ルーカ・ヴェッジェッティ)のプログラムに、「夢幻能の精神からの新たなオペラの誕生──細川俊夫《リアの物語》によせて」と題するプログラム・ノートが掲載されました。また、今回の《リアの物語》の公演に際しては、日本語字幕の制作に携わり、プレ・トークとアフター・トークの司会も務めました。
  • 2月20日:広島芸術学会の会報第131号に、「芸術の力で死者の魂と応え合う時空間を──被爆70周年の広島における表現者の課題」と題する巻頭言が掲載されました。
  • 2月28日:原爆文学研究会の会報第46号に、2014年12月21日に九州大学西新プラザでの第45回原爆文学研究会において行なわれた「戦後70年」連続ワークショップIV「カタストロフィと〈詩〉」のなかで行なった研究発表「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜の詩を中心に」の報告が掲載されました。
  • 3月20日:広島県と広島市が協働して組織した国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会のひろしま復興・平和構築研究事業の成果を教材としてまとめた小冊子『広島の復興の歩み』に、広島の被爆の記憶をテーマにした映画を紹介するコラム「映像に見るヒロシマ」が掲載されました。なお、この小冊子には英訳版“Hiroshima’s Path to Reconstruction”があります。
  • 3月29日:中央大学駿河台記念館で開催された中央大学人文科学研究所の公開研究会として開催されたシンポジウム「《リアの物語》から考える──日本での現代オペラ上演の現状と課題」にて、「広島から現代のオペラを創るために──細川俊夫《リアの物語》広島初演の成果と課題」と題する講演を行ないました。
  • 4月〜7月:広島市立大学国際学部の専門科目である「共生の哲学I」、「社会文化思想史I」、「専門演習I」、そしてオムニバス形式の「多文化共生入門」の一部を担当しました。同大学大学院国際学研究科の専門科目「現代思想I」では、アライダ・アスマンの『想起の空間』などを講読しました。同研究科のオムニバス講義「平和学概論」でも一回講義を行ないました。広島市立大学の全学共通系科目の「世界の文学」と「平和と人権A」の一部の講義も担当しました。日本赤十字広島看護大学では、「人間の存在」の講義を担当しました。広島大学では、教養科目「哲学A」を担当したほか、同じく教養科目である「戦争と平和に関する総合的考察」でも二回講義を行ないました。
  • 6月11日:ヒロシマ平和映画祭のプレ・イヴェントとして本願寺広島別院共命ホールで開催された、青原さとし監督の映像叙事詩『土徳流離──奥州相馬復興への悲願』上映会のトーク・セッションに進行役およびパネリストとして参加しました。
  • 7月3日:県立広島大学サテライトキャンパスひろしまにて、『九月、東京の路上で──1923年関東大震災ジェノサイドの記憶』の著者加藤直樹氏をお招きして広島市立大学特別公開コロキアム「記憶を編み直す──いま、関東大震災時の虐殺を語る意味」を開催しました。30名ほどの市民や学生のみなさんが熱心に参加してくださいました。
  • 7月15日:インパクト出版会より著書『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』を上梓しました。今ここでヒロシマを想起しながら、死者を含めた他者とともに生きることとして平和を捉え直すというモティーフの下、広島の地で2007年から2015年にかけて書き継がれた評論や論考、講演録の集成です。第1部には、想起の媒体としての芸術、さらには言葉の可能性を探る評論や講演をまとめ、第2部には、ヒロシマ平和映画祭などの場での講演の記録などを収めています。第3部には、書評を中心とした評論を、そして第4部には、被爆の記憶を継承することにもとづいて平和の新たな概念を追求する論考を収録しています。
  • 7月31日、8月28日、9月25日:東京ドイツ文化センター図書館にて、「ベンヤミンの哲学──言語哲学と歴史哲学」と題する連続講演会を行ないました。2014年7月に上梓した拙著『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)の内容を基に、第1回ではヴァルター・ベンヤミンの生涯と著作を概観し、第2回では彼の言語哲学を、第3回では彼の歴史哲学を紹介しました。毎回図書館の閲覧室が一杯になるほど多くの方々に熱心にご参加いただき、ディスカッションも大変盛り上がりました。
  • 8月7日:広島交響楽団の主催で中国電力本社ホールにて開催された「アニー・デュトワ博士と広島の学生との平和交流&萩原麻未による被爆ピアノ演奏」の司会を務めました。
  • 8月8日:週刊書評紙『図書新聞』第3218号の特集「『戦争法案』に反対する」に、「記憶を分有する民衆を、来たるべき東洋平和へ向けて創造する──平和を掠め取り、言葉を奪い、生きることを収奪する力に抗して」と題する小文をが掲載されました。平和という言葉のみならず、言葉そのものを、さらには生きること自体を食い物にしながら、平和主義を根幹から骨抜きにしようとする政権の無法な動きを、歴史的な問題として見据えつつ、まさにその動きに抗して、国会前で、各地の街頭で、そして大学のキャンパスで生まれつつある言葉を、記憶を分有する民衆の創造へ向けて結び合わせることを要請するささやかな平和宣言です。
  • 8月28日:広島芸術学会の会報134号に、8月1日に広島県立美術館講堂で行なわれた広島芸術学会第29回大会における田中勝氏の研究発表「積極的平和と芸術──『ゼロ平和』から見る芸術の創造的価値」の報告が掲載されました。
  • 8月29日:駒場アゴラ劇場で行なわれた下鴨車窓の公演『漂着』のポストパフォーマンス・トークで、この作品の作家で演出家の田辺剛さんと対談させていただきました。『漂着』の舞台は、オシプ・マンデリシュタームが詩について語った「投壜通信」からインスピレーションを得ながら、言葉の遣り取りのなかに含まれる絶望と希望を、あるいは奇跡と破局を、映像作家の生活と、彼が作り出そうとする虚構の世界を往還しながら浮かび上がらせるものでした。
  • 9月26日:9月26日と27日にJMSアステールプラザ大ホールにて開催された、ひろしまオペラルネッサンスのモーツァルト《フィガロの結婚》の公演(指揮:川瀬賢太郎/演出:岩田達宗)のプログラムに、「エロスを昇華させる歌の美、赦しの瞬間の崇高──モーツァルトの《フィガロの結婚》の新しさ」と題するプログラム・ノートが掲載されました。
  • 10月1日:11月21日と28日に淀橋教会で開催された「細川俊夫10×6還暦記念コンサート」のフライヤーとウェブサイトに、この演奏会の意義と魅力を紹介する小文が掲載されました。
  • 10月〜2016年2月:広島市立大学国際学部の専門科目である「共生の哲学II」、「社会文化思想史II」、そして「専門演習II」を担当しています。同大学大学院国際学研究科の専門科目「現代思想II」では、米山リサの『広島、記憶のポリティクス』などを講読しています。広島市立大学では、全学共通系科目の「哲学B」も担当しています。広島大学では教養科目「哲学B」の講義を、広島都市学園大学では「哲学」の講義をそれぞれ担当しています。
  • 10月10日:『図書新聞』第3225号に、鹿島徹氏が批判版ヴァルター・ベンヤミン全集の『歴史の概念について』の巻に異稿の一つとして収録された稿を基に「歴史の概念について」を新たに翻訳し、そのテクストに詳細な注釈を加えた、ヴァルター・ベンヤミン『[新訳・評注]歴史の概念について』(未來社、2015年7月)の書評「アガンベン稿とも呼ぶべき最初のタイプ稿を底本とした新たな翻訳──ベンヤミンのテーゼの読み直しは歴史そのものを捉え直す、かけがえのない出発点」が掲載されました。
  • 12月4日:エリザベト音楽大学のセシリアホールで開催された同大学のクリスマスチャリティーコンサートのプログラムに、細川俊夫作曲《星のない夜──四季へのレクイエム》の作品解説と歌詞対訳が掲載されました。
  • 12月12日:原爆文学研究会の機関誌『原爆文学研究』の第14号に、論文「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜の詩を中心に」が掲載されました。テオドーア・W・アドルノの「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」という言葉を、その文脈から跡づけ、そこに含まれる問いを取り出したうえで、それに対する詩の応答の一端を、原民喜とパウル・ツェランの詩作のうちに求め、そこに含まれる詩の変貌ないし変革に、破局の後の詩の可能性を見ようとする内容です。
  • 12月17日:ベルンのパウル・クレー・センターに集う研究者の編集によるクレー研究の国際的なオンライン・ジャーナル“Zwitscher-Maschine”に、7月5日から9月6日にかけて宇都宮美術館で開催されたパウル・クレー展「だれにもないしょ。」の展覧会評の英語版“Viewing the Paul Klee Exhibition »This is just between Ourselves«”が掲載されました。
  • 12月22日:世界的な打楽器奏者中村功氏を迎えてJMSアステールプラザのオーケストラ等練習場にて開催されたHiroshima Happy New Earの第20回の演奏会「打楽器の世界」のアフター・トークの司会を務めました。