小著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓します

473158このたび岩波新書の一冊として、『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を上梓します。19世紀末のベルリンに生を享け、20世紀の前半に文筆家として活動したユダヤ人思想家ヴァルター・ベンヤミン(1892〜1940年)の批評としての思考の歩みを、その生涯とともに描き出そうとする一書です。これを80年を超える伝統のある新書の一冊として世に送る機会をいただいたことを、身に余る光栄と感じております。ベンヤミンという名前が気になる人にとっても、あるいはその名を初めて聞く人にとっても、この思想家が二つの世界大戦とファシズムの時代にどのような現実と向き合っていたのか、またそのなかで何を問うていたのかが伝わるように書いたつもりです。この文字通りの小著をつうじて、ベンヤミンという人物と、言語、芸術、歴史の本質に迫る彼の思考に興味を持っていただけたら幸いです。

副題は「闇を歩く批評」としました。そこに含まれる言葉がどこから来ているかは、本書の前半をお読みいただければお判りになるかと思いますが、基本的にはベンヤミンの思考を、批評として浮き彫りにしようという意図を込めて、そのような副題を付けた次第です。ベンヤミンの思考は、彼が生きた時代の危機を見通しながら、その危機のうちに決定的な岐路を見て取っていました。それは「分かつ」ことを意味するギリシア語の語源(クリネイン)に照らしても、批評(クリティーク)だったと言えます。しかも、こうして言わば存亡の危機のただなかに活路を見いだそうとするなかで、彼の思考は、言語とは、芸術とは、そして歴史とは何かを、これらを生きる可能性へ向けて根底から問うています。本書では、そのような哲学的な思考が、具体的な文学作品などの批評をつうじて展開されていることにも迫ろうとしました。

こうしてベンヤミンの徹底的な思考の足跡を辿るとは、言うまでもなく同時に、彼が生きた時代を、彼をめぐる人間関係とともに浮かび上がらせることでもあります。ベンヤミン自身が戦地へ赴くことはなかったとはいえ、第一次世界大戦は、彼のなかに深い傷を残すと同時に、経験される現実の崩壊を突きつける出来事でもありました。また、ファシズムの台頭は、ユダヤ人の彼に亡命を強いることになりますが、これはやがて第二次世界大戦として現実となる、人間が自分自身の技術によって、みずからの滅亡を可能にしてしまう状況を用意するものと、彼には映っていました。そのような苛酷な時代に生きることを支えたのが、ゲルショム・ショーレムやハンナ・アーレント、あるいはテーオドア・W・アドルノといった友人たちとの交流でした。本書にはこれらの友人に宛てたベンヤミンの書簡も、著作とともに引用されています。

友人からの音信を支えとしながら、ベンヤミンは、時代の闇のなかを歩み抜こうとしました。彼は絶望的にも見える状況の内部に、生存の道筋を見いだそうとしたのです。このことは亡命期の彼の生きざまにも色濃く表われていますが、何よりも彼の抵抗としての思考の姿にはっきりと示されています。ベンヤミンの思考は、絶えず歴史と対峙しながら、そのなかに息を通わせる余地を切り開こうとしたのです。そのことは具体的には、けっして何かの道具として使われることのないかたちで言葉を、芸術を、そして歴史を生きる道筋を探るところに表われていると考えられます。本書では、このような思考の足跡を、アーレントがベンヤミン論を含む人物論集の表題として語った「闇の時代」の生涯のなかに浮き彫りにすることを試みました。「闇を歩く批評」という副題には、そのことも込められています。

さて、このようにして闇を歩いた思考の足跡を辿るとは、いくつもの点でベンヤミンの時代よりも深まった現代の闇を内側から照らし、ますます息苦しい社会を生き抜くための問いを立てる手がかりを、彼が残した言葉のなかに探ることであるはずです。それは、ベンヤミンの批評の書を読むことにほかなりません。本書は、そのための入り口として書かれています。彼の著述の引用を交えた叙述と、巻末に付した読書案内を兼ねた参考文献一覧を手がかりに、ベンヤミンの著作や書簡に触れていただけるとするなら、著者にとってこれ以上の幸いはありません。以下に本書の目次を掲げますので、参考にしていただけたらありがたいです。「インテルメッツォ」としてアーレント、それからパウル・クレーの絵画芸術とベンヤミンの関係に触れたコラムも設けました。写真もできるだけ多く収録しました。

本書は、2014年に上梓した『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)に込められた研究、2018年7月に刊行された『思想』誌(岩波書店)のベンヤミン特集に寄稿した論文に至る、歴史哲学についての研究、さらには並行して続けてきた美学についての研究と各地での調査を基に、今問いを喚起しうるベンヤミン像を描き出そうと試みるものです。ベンヤミンを主題とした新書としては、1991年に刊行された高橋順一さんの『ヴァルター・ベンヤミン──近代の星座』(講談社現代新書)以来の一冊となります。これとは異なったアプローチでベンヤミンの思考の内実に迫ろうとする小著『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』を、お手に取っていただけたら嬉しいです。本書は、ベンヤミンの79回目の命日の一週間ほど前に当たる2019年9月20日に発売されます。

■『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』目次

プロローグ──批評とその分身

  • 第一節 せむしの小人とともに
  • 第二節 天使という分身

第一章 青春の形而上学──ベルリンの幼年時代と青年運動期の思想形成

  • 第一節 世紀転換期のベルリンでの幼年時代
  • 第二節 独自の思想の胎動
  • 第三節 「青春の形而上学」が開く思考の原風景
  • 第四節 友人の死を心に刻んで

インテルメッツォⅠ クレーとベンヤミン

第二章 翻訳としての言語──ベンヤミンの言語哲学

  • 第一節 言語は手段ではない
  • 第二節 言語とは名である──「言語一般および人間の言語について」
  • 第三節 翻訳としての言語
  • 第四節 方法としての翻訳──「翻訳者の課題」

第三章 批評の理論とその展開──ロマン主義論からバロック悲劇論へ

  • 第一節 芸術批評の理念へ──『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』
  • 第二節 神話的暴力の批判──「暴力批判論」
  • 第三節 文芸批評の原像──「ゲーテの『親和力』」
  • 第四節 バロック悲劇という根源──『ドイツ悲劇の根源』

第四章 芸術の転換──ベンヤミンの美学

  • 第一節 人間の解体と人類の生成──『一方通行』と「シュルレアリスム」
  • 第二節 アレゴリーの美学──バロック悲劇からボードレールへ
  • 第三節 知覚の変化と芸術の転換──「技術的複製可能性の時代の芸術作品」
  • 第四節 中断の美学──ブレヒトとの交友

インテルメッツォⅡ アーレントとベンヤミン

第五章 歴史の反転──ベンヤミンの歴史哲学

  • 第一節 近代の根源へ──『パサージュ論』の構想
  • 第二節 経験の破産から──「フランツ・カフカ」と「物語作家」
  • 第三節 想起と覚醒──『パサージュ論』の方法
  • 第四節 破壊と救出──「歴史の概念について」

エピローグ──瓦礫を縫う道へ

  • 第一節 ベンヤミンの死
  • 第二節 瓦礫を縫う道を切り開く批評
  • 第三節 哲学としての批評

ヴァルター・ベンヤミン略年譜

主要参考文献一覧

あとがき

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初夏の仕事

もう七月の下旬だというのに、梅雨の長雨は止みそうにありません。しばらくは豪雨と土砂災害にも警戒が必要な様子です。どうかお気をつけてお過ごしください。

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ハノーファーのリンデンにあるハンナ・アーレントの生家跡の銘板

さて、6月の初旬に、ハノーファー専科大学(Hochschule Hannover)と勤務先の広島市立大学の交流事業のために、ドイツのハノーファーに短期間滞在しました。ハノーファーと広島が姉妹都市であることを背景に、両大学のあいだには交換留学に関する協定があり、双方の学生が毎年数名ずつ派遣されています。今回は、教育交流の促進のための事業に、私を含め三名の教員が広島市立大学から派遣されました。

6月3日に、ハノーファー専科大学の第V学部という、社会福祉などを専門とする学部で、この地に生まれたハンナ・アーレントの思想の一端に触れながら、他者との共生をテーマとする講義を二回行ないました。学生たちは非常に拙い話をとても熱心に聴いてくれて、質問もしてくれました。紹介したアーレントの複数性の概念でリポートを書きたいと申し出た学生もいたそうです。

次の日には、講義に招いてくれた倫理学が専門の教員が、リンデンという地区にあるアーレントの生家の跡に連れて行ってくれました。彼女がこの生家で暮らしたのは三年ほどとごく短いのですが、今は薬局に使われている建物の片隅に、生家だったことを示すプレートが掲げられています。それを眺めながら、それぞれ違った人々のあいだにいることを振り返り、人間の複数性を実現する行為の現代における重要性を、あたためて思いました。他者とのあいだを開き、社会の風通しをよくすることは、日本では急務でしょう。

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アントン・ウルリヒ公爵美術館外観

6月5日は、用務が早く終わったこともあり、隣町のブラウンシュヴァイクまで足を伸ばし、フェルメールの《ワイングラスを持つ少女》があるアントン・ウルリヒ公爵美術館の展示(レンブラントのコレクションと、一枚だけあるジョルジョーネの作品がとくに素晴らしかったです)をひと通り見た後、当地の州立劇場ミェチスワフ・ヴァインベルクのオペラ《女船客(パサジェルカ)》の上演を観ました。今シーズンの最終回の公演でした。以前から関心があった作品の実演に接することができました。

この上演の印象と、6月8日にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で思いがけず聴くことができたマリア・ジョアン・ピレシュの演奏の印象を記した拙文が、批評誌『Mercure des Arts』の第46号に「初夏のドイツへの旅より──ベルリンとブラウンシュヴァイクで接した公演を心に刻む」と題して掲載されています。ご笑覧いただければ幸いです。ハノーファーでの仕事が終わった後、ベルリンに寄ったわけですが、その際にはハンブルク駅現代美術館のエーミール・ノルデ展とブリュッケ美術館の特別展「絵画への逃避か」を観ることができました。その印象は、すでに別稿に記してあります。

65911415_2530871616965195_5595289591419502592_oさて、7月19日には、広島市中区本川町にある「本とうつわの小さな店」READAN DEATを会場に、瀬尾夏美さんの著書『あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる』(晶文社、2019年)の出版記念トーク・イヴェントが開催され、その際対談のお相手を務めました。

瀬尾さんは、東日本大震災後の「復興」が進みつつある陸前高田市を活動の拠点に、そこに生きる人々、旅先で出会った人々、そしてこれらの人々のなかに死者が抱え込まれていることと対話しながら、人々が体験したことの「語りえなさ」にも寄り添う繊細な思考を重ねてこられました。

これを瀬尾さんは最近、魅力的な一冊『あわいゆくころ』にまとめられたところです。その内容をめぐって瀬尾さんと、西日本豪雨の災害から一年が経った、そして被爆から74年となる8月6日が巡って来ようとしている広島でお話することには、やはり特別な意味があると感じています。

瀬尾さんとご一緒するのは、昨年の1月16日に広島市現代美術館で開催された小森はるか+瀬尾夏美「波のした、土のうえ」巡回展のスピンオフ企画として開催されたトーク・セッション「仙台から/広島から」以来ということになります。そのときも、瀬尾さんと小森さんの変貌していく風景への眼差しと、そのなかから編み出された表現の姿に、強い感銘を受けました。

当日は雨模様のなか、26名を数える方々にお集まりいただき、心から感謝しております。瀬尾さんから、この魅力的な一冊がどのようにして綴られたかとともに、小森はるかさんとの映像作品にも表われている、物語を他者とともに紡ぎだす作業についても興味深いお話をうかがって、今物語るとはどういうことか、という問いをめぐって、集まってくださったみなさまとともに多くのことを考えることができました。

その過程で、本のなかで語られる、「物語ることは弔いに似ている」という洞察について、少しだけ理解が深まった気がします。霊媒的でもあり、天使のような媒介者でもあるような、媒体としての物語。哀悼と傷の労りを織り込みながら、これを他者とのあいだで紡いでいく仕事が響き合うなかで、出来事が照らし出されてくる可能性は、ここ広島でも、他の場所との関係を視野に収めつつ掘り下げられる必要があると、あらためて痛感したところです。

以前から気になっていた、記憶と物語の関係について、少し整理しながら考える機会になりましたし、そのために多くのことを教えられました。瀬尾さんとこのような場を持つことができたことを心から感謝しています。一端を最後にご紹介いただきましたが、『あわいゆくころ』以後のお仕事の展開も楽しみにしているところです。

ペーター・ルジツカのオペラ《ベンヤミン》を観て

 

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プログラムより(下も)

ヴァルター・ベンヤミンは40歳を迎える頃、自殺を真剣に考えていた。離婚をめぐる裁判の結果、財産のほとんどを失ったばかりでなく、友人のゲルショム・ショーレムに語った、ドイツの第一級の批評家として身を立てたいという希望を成就させる見通しも立たなくなったことが、その外的な理由として考えられよう。ただし、ベンヤミンのなかには、いずれも儚く崩れた女性たちとの関係を含め、人生を生き終えたという思いもあったようだ。彼が手記に綴っているところによると、彼はその頃、自分をめぐる人間関係を一つの像として描き出そうと試みている。その像が記された紙片は失われたようだが、もしかすると、ベンヤミンがピレネーの麓で48年の生涯を閉じようとするときにも、彼の周りにいた人々の関係は、一つの像として彼の脳裡に去来したのかもしれない。

ベンヤミンをめぐる人間関係は、親しい友人との関係も含めて緊張を含んでいる。ショーレムとは四半世紀にわたって交友を続けたが、ヘブライ語を学んでパレスティナへ渡ることへの誘いに、ベンヤミンは結局乗らなかった。ブレヒトの詩作に魅かれていたとはいえ、そのイデオロギーに同調することはなく、彼との雑誌も計画倒れに終わった。死を間際にしたベンヤミンが幻視していたであろう、こうした緊張に満ちた布置としての人間関係を舞台上に描き出すことによって、ベンヤミンという思想家の像を浮き彫りにすること。これがペーター・ルジツカのオペラ《ベンヤミン》(Peter Ruzicka, „BENJAMIN“)の企図したことなのかもしれない。2018年6月3日に行なわれた初演から数えて6回目の上演を、10月14日にハンブルク州立歌劇場で観ることができた。

このオペラには、すでに挙げたショーレムとブレヒトのほか、ベンヤミンの生の行方を左右することになった三人の女性、一時期妻となったドーラ・ケルナー、彼が愛し、モスクワまで追いかけたアーシャ・ラツィス、そして亡命生活を共にしたハンナ・アーレントが登場する。ただし、舞台に登場するこれらの人物は、主人公のベンヤミンも含め、残されたドキュメントを基に、あくまで文学的、かつ音楽的に構成された虚構である。そのことを示すために、キム・ヨナによるリブレットには、ヴァルター・B、アーシャ・Lのように、人物の姓はイニシャルでのみ記されている。今回観たハンブルクでの初演のプロダクションでは、キム・ヨナ自身が演出も手がけている。おそらくは彼女の構想にもとづく、廃墟めいていると同時に旅の宿駅を思わせる舞台装置は、旅の多い生涯を送ったベンヤミンを描くに相応しく思われた。

このオペラ《ベンヤミン》には、「七つの宿駅による音楽劇(Musiktheater in sieben Stationen)」という副題が付されている。ベンヤミンのなかに湧き起こる想念のなかで、人間関係の布置が情景とともに浮かび上がるさま──その一部は、思想の風景とも言えるだろう──を、彼の生涯の宿駅になぞらえながら、想起の展開を描き出そうという企図を表わすものであろう。その最初の宿駅は、不安に満ちた響きが悶えるようにして始まる。やがて、ゲシュタポからの逃避行の果てに疲れ果てたと見えるベンヤミンの許に、群衆のなかからもう一人の彼の姿が近づいてくる。こうしてベンヤミンを歌う歌手の他に、彼を演じる「俳優」が登場するのには、いくつかの理由が考えられよう。まず彼が自分の思考を記憶も含めて、つねに比喩的な像のかたちに描き出してきたことが、内的な理由として想定される。

他方で外的な理由として、散文の人ベンヤミンに、歌だけで語らせるのは難しいということもあったにちがいない。第一の宿駅では、彼の「歴史の概念について」が引用され、歴史主義の物語を代表する合唱の歌と、その連続性を中断して「歴史」が抑圧した過去を救い出す歴史認識を語る「俳優」の語りが、激しい論争を繰り広げる。その様子は、「音楽劇」の作り方として一つの可能な方向性と見えた一方で、ベンヤミンの思考の描き方としては、対立が硬直しすぎているとも思われた。ギュンター・シャウプによる「俳優」の演技は、台詞の語りを含めて実に巧みであったが、時に饒舌さが気になるところもあった。ただし、第四の宿駅でベンヤミンとブレヒトがチェスの盤を囲む際に、そのテーブルの下に潜り込んで、しばらくそのテーブルを被って演技を続けるというアイディアは、秀逸だったと思われる。

IMG_0466なぜなら、身を屈めてチェス盤の下に潜る姿は、この宿駅で合唱によって伝えられる、独ソ不可侵条約の締結という危機を前にして、ベンヤミンの「歴史の概念について」の最初のテーゼに浮かび上がる、チェスの駒を動かす人形のなかに隠れて勝負を必ず勝利へ導く「せむしの小人」の像と同時に、彼の生涯を挫折に次ぐ挫折へ導いた、彼の不器用さの寓意とも言うべき「せむしの小人」の姿を、同時に思い起こさせるからである。こうしてベンヤミンの想念の像を、想念の運動に応じた情景の転変とともに、ほとんど時系列を無視したかたちで浮かび上がらせる手法は、ベンヤミンを描くオペラの作り方としては当を得たものと考えられる。そして、その過程をルジツカの音楽の持続が貫いている点が、《ベンヤミン》というオペラの説得力に結びついていると思われた。プログラムに掲載されたインタヴューのなかで彼は、このオペラのための音を追求したと述べていたが、たしかに音楽を貫き、オペラの基本的な性格を決定する響きの存在がつねに感じられる。

それを伝えるオーケストラの演奏は、部分的にいくらか緩みを感じたとはいえ、きわめて水準の高いものだったと言える。とくにアンサンブルの緻密さは特筆に値しよう。全体の指揮は作曲家のルジツカ自身が執っていたが、楽器編成が巨大なためにもう一人指揮者を要するようで、副指揮者を石川星太郎が務めていた。ベンヤミンの役を歌ったディートリヒ・ヘンシェルをはじめとする歌手たちのアンサンブルにも隙がない。ヘンシェルは、歌唱と演技の双方でベンヤミンという人物を感じさせて印象深かった。児童合唱を含む合唱も、一貫して力強い歌唱を聴かせてくれた。

それにしても、ルジツカの音楽の展開の緊密さは、この作品だけに聴かれるものではないとはいえ、あらためて瞠目させられる。冒頭で不安に満ちたかたちで響いた動機が、幾重にも変奏され、時に巨大な音響の塊を形成する場面があるかと思えば、弦楽器の各声部の独奏に表われて、きわめて繊細な移行を響かせる場面もある。こうして変形を重ねた動機が、最後の宿駅で三人の女性の柔らかで、哀しみを湛えた重唱に収斂していくのは、たしかに感動を呼ぶ。そして、その響きが震えながら静まって、消え入っていくなかでベンヤミンが息絶える過程も、深い感銘を残すものであった。しかしながら、このような音楽の展開が、「ベンヤミン」という主題と緊密に結びついたものだったか、という点に関しては留保せざるをえない。

このオペラの第五の宿駅は、一つの間奏であると同時に、舞台の展開に「中間休止(ツェズーア)」を刻むものである。そこでは、大規模な管弦楽と合唱が一体となって破局の予感を響かせるが、その音楽はルジツカの前々作のオペラ《ツェラン》から引用されたものである。彼にとってつねに内的な対話の相手であるという詩人パウル・ツェランを主題としたオペラの音楽をここで引用することは、ベンヤミンの危機的な状況における思考とその死が、ツェランの詩作が向き合い続けたショアー/ホロコーストを予感させるという解釈を示すものであろう。この解釈そのものに対してはまったく異論はないが、それを提示する音楽には少し付いて行けないものを感じた。たしかに、巨大な響きのうねりが打ち寄せるのには圧倒的な力がある。しかし、そのなかで「イェルサレム」の名が、これでもかとばかりに繰り返されるのに対しては、どこか取って付けた印象を拭うことができなかった。

もしそこに至る過程で、ベンヤミンの歴史をめぐる思考が音楽と舞台表現によってもう少し突き詰められ──その意味で「歴史の概念について」からの引用は、別なかたちで第四の宿駅に置かれるべきだったかもしれない──、それが彼の死後の巨大な破局に突きつけられるとするならば、間奏における《ツェラン》からの引用は、恐ろしいまでの説得性を持ちえただろう。しかし、そのようには実際のオペラが展開しなかったことは、ルジツカが自分の音楽の展開を優先させたことのみならず、キム・ヨナが書いたリブレットと、それにもとづく舞台作りにも要因があると考えられる。非常に巧みに構成されているとはいえ、リブレットにおけるベンヤミンの言葉の扱い方に対しては、言いたいことが数多くあるが、今はそれは措いて、演出とそこに表われるテクストの問題に焦点を絞ることにしたい。

すでに触れたように、舞台上の人物はあくまで虚構である。だとすれば、それぞれの人物は舞台の展開のなかで、音楽とともにその登場人物としての人格を表出すればよいはずである。しきりに煙草を吸う女性はハンナ・Aのままでよく、実在のアーレントを知る観客は、それとの関連を隠喩として想像すればよいのではないか。しかしながら、今回の演出では、ヴァルター・B以外の人物が登場すると同時に、その背後で実在の彼女および彼の引き伸ばされた肖像写真が掲げられた。オペラの主題となる歴史上の人物との関連を示すためとはいえ、その表現はあまりにも直接的で、違和感を拭えなかった。それ以上に問題があると思われたのが、個々の人物の造形である。アーシャ・Lは、なぜソヴィエト共産党のテクノクラートのようで、かつ容姿と声で性的な魅力を振りまく存在として登場しなければならないのだろう。

このオペラのなかでブレヒトとラツィスは、つねにマルクス主義の側へベンヤミンを引き込む役回りを演じる。そのためにみずからの主張をほとんどドグマのように繰り返すわけだが、それによってブレヒトの詩作も、ラツィスの演劇との関わりもどこかへ吹き飛んでしまう。そのために、第六の宿駅で試みられるプロレタリアートのための児童演劇も、ユートピア的な性格を失ってしまっていた。その舞台は、歴史の塵のなかからこそ浮かび上がる一つの希望を、不可能なものとして暗示すべきではなかっただろうか。他方で、ベンヤミンをユダヤ教の側へ、かつパレスティナへ導こうとする役割を果たすショーレムの姿も、どこか型にはまった印象を受ける。彼がほぼ始終キッパを被っているのには、違和感を禁じえなかった。

こうして──敢えて比喩的に言えば──モスクワとイェルサレムのあいだの対立が、あまりにも図式的に描かれてしまっていることともに、問題があると思われたのが、アーシャ・Lとドーラ・Kが、あまりにもジェンダー的に差別化された役割を与えられてしまっていることである。ベンヤミンの息子シュテファンを連れたドーラが母性を強調するかたちで登場すること以上に、アーシャがベンヤミンの男性的な欲望の対象として、ほとんど典型的なイメージとして現われるのには、強い違和感を覚えた。詰め襟でかつ深いスリットの入ったスパンコールのドレスは、モスクワへ向かう恋愛劇の小道具としては分かりやすいかもしれないが、これを女性に着せるところに、性差別的で、かつ舞台上の人物形象を旧来のオペラの登場人物としての「人間」に還元する──ここにこそ差別が含まれているのではないのか──眼差しの存在を感じないでいられない。

たしかに、キム・ヨナの舞台上の人物の動かし方は、合唱の扱いも含めて実に巧みで間然するところがない。舞台美術上のイメージの扱いも、人物の肖像写真とクレーの《新しい天使》の絵を除いては、効果的だったと思われる。だが、その手法は分かりやすすぎるかたちでオペラ的で、それゆえにあまりにも人間的である。ルジツカの音楽の緊密さとその強度には目を瞠るものがあるが、それは彼の音楽としてあまりにもよく鳴りすぎている。しかし、それは歴史の屑を拾い、その内奥にまで入り込んだベンヤミンに相応しいこととは思えない。彼は自伝的な手記の一つで、彼の思考の伴侶と言うべき天使は、「別れざるをえなかったもの、人々、そしてとくに物事に似ている」と述べている。そのような天使が指し示している、あらゆる人間的なものを突き抜けた、廃物そのものが語るような表現の強度こそが、時間の流れを止めて、ベンヤミンの思考を歴史のなかに屹立させるのではないだろうか。

すでにフランクフルター・アルゲマイネ紙などの新聞に出た批評が示すように、ルジツカの《ベンヤミン》は、現代のオペラとして一定の評価を得ているようである。しかし、そのことはベンヤミンを主題とすることに成功したことを意味しない。これまで見てきたように、ルジツカとキムは、ベンヤミンの思考と、それを生きた生涯とを、ルジツカの音楽の論理と現在通用している「オペラ」の論理の内部に閉じこめて、一つのドラマを作り上げてしまった。そのことは《ツェラン》、《ヘルダーリン》と書き継がれてきたルジツカの詩人オペラの三部作の完結編には相応しかったかもしれないが、そうして自己完結するなら《ベンヤミン》は、歴史的な現在に語りかける力を失ってしまうだろう。なぜ今ベンヤミンでオペラなのか。この根本的な問いに答える可能性は、「オペラ」の論理ではなく、破局を透視しながら潰えた可能性を過去から探り出すベンヤミン自身の思考を、現在との布置において掘り下げるなかからこそ、開けてくるにちがいない。偉大な芸術作品は、ジャンルを破壊するかそれを創造するかのいずれかであるというベンヤミンの言葉を、あらためて噛みしめておきたい。

ベルリンへの旅より

東日本大震災と福島第一原子力発電所の過酷事故が起きてから七年になる日をベルリンで迎えた。「公式」の記録でも七万人を超える人々が、実際にはそれよりはるかに多くの人々が、今なお避難を余儀なくされているばかりか、未だに見いだされていない遺体が、おそらくは水底に沈んでいる状況は、災禍がけっして過ぎ去っていないことを突きつけている。いや、メルト・スルーを起こした原子炉の廃炉の見込みがまったく立っていないことが意味しているのは、災いが今も起き続けていることではないだろうか。放射性物質は、今も漏れ続けている。

もし、政治というものが語源的な意味で共和的なもの、すなわち共同体の成員すべてにとっての事柄、ラテン語で言うres publicaであるのなら、現在の状況に至った過程を振り返るとともに、災禍に遭った人々がその傷を抱えながら、それでもなお生きていくことに対して最大限に配慮する必要があるはずだ。しかし、日本列島においてこの七年のあいだ「政治」の名の下で行なわれてきたのは、終わることのない災害の歴史も、それに翻弄された人々の生活も省みることなく、とくに原発の再稼働の動きが示すように、放射能による生命の根幹からの破壊の危険を増大させながら、一部の人々の権益のために「前へ」進むことでしかなかった。

今露呈しているのは、「前」へ進むために、その事業に「国民」を動員するために、ありとあらゆる嘘で塗り固められた「ニッポン」なるものが、政治の私物化によって芯から腐っていて、さらにその腐敗が行政機構の骨組みにまで及んでいることだろう。ハンナ・アーレントは、他者とともにあることを基本条件として生きる人間が、そのみずから始める自由を実現する活動として、政治というものを掘り下げたわけだが、そのような意味での政治が、成員のみなに開かれた事柄になるためには、現在利権を握っている者が美化して喧伝する「ニッポン」なるものがまず徹底的に壊されなければならない。洋上の列島で現在起きていることを遠く離れた場所から眺めると、このような思いがいっそう強まる。

ベルリンへ赴いたのは、当地にあるWalter Benjamin Archivにて、ヴァルター・ベンヤミンの生涯と思想に関する文献を調査するためである。丸二日にわたり勝手を知ったアーカイヴの閲覧室に籠もって読むことに集中できたことは、時間的にはけっして充分ではないとはいえ、貴重だった。二日間、閲覧室が開いている時間をフルに使って調査を進めた以外の時間は、主に友人との会合に充てた。以前からの友人や新しい友人と持った刺激的な対話のひと時は、何ものにも代えがたい。ベルリンに到着した3月10日と翌11日に、修理と改装をほぼ終えたウンター・デン・リンデンの州立歌劇場でオペラを観ることができたのも嬉しかった。

飛行機がテーゲルの空港に到着したのは、10日の夕方6時前だった。それからホテルに寄っても、7時半からのR・シュトラウスの《サロメ》の公演に充分間に合ったが、これは現在のベルリンだからこそ可能なことだろう。今回の《サロメ》は、病気で降板したズービン・メータに代わって、クリストフ・フォン・ドホナーニが指揮するはずだった。しかし、彼もキャンセルしてしまい、結局指揮台に立ったのは、芸術監督のダニエル・バレンボイムの下でアシスタントを務めているという若手のトーマス・グガイス(ドイツ語読みでの表記)だったが、彼は非凡な統率力の持ち主と見受けられる。

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改修をほぼ終えた州立歌劇場の外観

グガイスがオーケストラから引き出した響きは、たしかに《サロメ》の演奏に求められる恐ろしいまでの深みと独特の冷たさに関しては充分とは言えないものの、若々しい躍動感と瑞々しい歌に満ちている。それによって、最後まで間然するところがない流れが形成されていたのは特筆に値しよう。歌手のなかでは、力強い声を基調に実に振幅の大きな表現で、サロメの欲動のダイナミズムを浮き彫りにしたオースリヌ・スタンダイトがやはり印象に残った。ヘロデ王役のゲオルク・ジーゲルやヘロディアス役を歌ったマリーナ・プルデンスカヤをはじめ、他の歌手たちの歌唱も申し分のない出来だったが、ハンス・ノイエンフェルスの演出には、以前に観た彼の手による舞台ほどの説得力は感じられなかった。

人物のメイクも含め誇張された隈取りを舞台上に一貫させ、ヒトもモノも一種の「フィギュア」として見せることによって、フェティシズムとして現われる欲動を照らし出そうという演出のコンセプトは伝わってくるものの、それをネオ・バロック的に描くことが、今に何を問いかけるのかは伝わってこない。原作者オスカー・ワイルドの黙役としての登場と立ち回り──「七つのヴェールの踊り」は、「コスプレ」した彼との絡みだった──にも、正直なところあまり必然性が感じられない。

11日には、バレンボイムの指揮によるヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の公演に接することができた。バレンボイムがこの作品の音楽の脈動をみずからの血肉にしていることが、響きからひしひしと伝わってくる上演で、とくに感情の波と海の波濤が一体となったかのような音楽の寄せては返す動きの凄まじいまでの振幅と、それを貫く音楽の生命感は、聴く者を内側から燃え立たせずにはおかない。加えて、全体に音楽の推進力が貫かれていたので、前奏曲から「愛の死」による幕切れまで一気に聴かせる趣があった。

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州立歌劇場の真新しい内部

それにしても、バレンボイムが指揮する時のシュターツカペレの響きは、本当に力強く、かつ輝かしい。そこに見通しの良さも加わっていたのには、改築によって歌劇場の音響も改善されたことが手伝っていたかもしれない。各楽器の独奏も素晴らしく、とくに艶やかなヴィオラと苦悩の深さを突きつけるかのようなクラリネットのソロは印象的だった。そして、歌手たちの歌唱は、まさに圧倒的だった。なかでも、愛の高揚を声に乗せて劇場全体に届けえた主役二人の歌の強さは、《トリスタンとイゾルデ》の上演史に名を刻むに値するものと思われる。

ただし、イゾルデ役を歌ったアニヤ・カンペとトリスタン役を歌ったアンドレアス・シャーガーの歌唱において特筆されるべきは、二人が最後まで劇場を呑み込むかのような響きの奔流を貫く声を響かせていたことだけではない。子音の残響をも生かす表現の繊細さがあるからこそ、二人の歌には説得力があるのだろう。そして、そのことは歌曲演奏への不断の取り組みにもとづいていよう。それにしても、マルケ王の役を歌ったステファン・ミリングの存在感には圧倒させられた。その声は、王の怨念の深さを伝えながら、岩礁のように屹立していた。

このように、《トリスタンとイゾルデ》の公演は、音楽的にはこれ以上望めないと思われるほどの出来だったが、ドミトリ・チェルニアコフの演出には疑問を拭えない。2016年の夏にベルリン・ドイツ・オペラで観たヴィリー・デッカーの演出同様、船室を主な舞台とすることには異論はないし、その閉ざされた室内空間における不可能な自己の解放を表現したいという演出の意図も分からないではないが、身体表現に無駄な動きが多いことには強い違和感を持った。不自然で、かつあまりにも直接的な身振りは、音楽を邪魔していた気がしてならない。

さらに、ドラマのクライマックスに当たる瞬間に、やや抒情的に過ぎると思われる映像のプロジェクションに訴えるのにも、あまり必然性を感じられなかったし、何よりもそのために始終薄い遮幕が下がっているのは、歌手にとって過重な負担でしかなかったのではないだろうか。今回観た《サロメ》にしても、《トリスタンとイゾルデ》にしても、演出のアイディアが空回りしてしまっている印象は拭えない。これらの古典的な作品において、時間と空間を統一的に造形しつつ、作品に内在するものを新たに説得的に今に取り出す演出の難しさも考えさせられた二つの公演だった。

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皇帝パノラマ展示の様子

ところで、今回の滞在のあいだ、研究や対話、それに観劇の合間を縫うかたちで、ベルリン市の歴史博物館であるメルキッシェス・ムゼウムも訪れた。そこに展示されている皇帝パノラマ(Kaiserpanorama)を見るためである。皇帝パノラマというのは、19世紀末に造られた写真の映写装置で、木造の大きな枠の内部を、ベルリンの街頭風景や記念行事の模様を収めた写真が一定の速度で回転しているのを、ステレオスコープで見る仕掛けになっている。実際に、双眼鏡のような格好で覗いてみると、建物や人の姿がかなり立体的に浮かび上がる。フリードリヒ通りを走る自動車など、こちらに迫ってくるかのようだ。

世紀転換期における技術の都市への浸透と、それによる都市生活への変貌を一つの見世物として伝えるこの皇帝パノラマを、幼年期のベンヤミンも強い印象とともに体験していて、後に彼は『一方通行路』と『一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代』の双方でこれに言及している。ただし、前者のアフォリズム集において「パノラマ」のなかに浮かび上がるのは、1920年代前半の途方もないインフレーション下にあるドイツの都市風景である。ベンヤミンの筆が描き出すその風景の像には、現在の日本列島の人々の生きざまを映し出しているかに思えるところがある。

現状にしがみつくあまり視野狭窄に陥り、他者に対する温かさを失っていくインフレ下のドイツの人々の姿は、未だに「自己責任」を吹聴しながら、自分と異質に見える人々に対する敵意を剝き出しにすることによって「ニッポン」に頑張る現在の人々の姿と驚くほど重なる。そしてベンヤミンは、こうして他者との対話の回路も、自己との対話の回路も閉ざして思考停止に陥ること──これをアーレントは「孤立」と呼んだのではなかったか──が、破滅を招き寄せることを見通していた。それを食い止めるためには、「頑張る」べきとされている「ニッポン」なるものが、近代の嘘であることを見抜き、思考に絡みつくその神話を打ち砕く必要がある。死者と、そして他者とともに生きる──そこにある複数性こそが生存の条件にほかならない──道筋は、この瓦礫を縫う道は、その先にのみ開かれるだろう。

[2018年3月15日]

矢野久美子『ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所』

03113_home『人間の条件』におけるハンナ・アーレントの最も重要な洞察の一つに、人間の根本的な「複数性」ということがある。省みるなら、生まれてから死ぬまで人は独りでは生きていない。人は、人々のあいだに生まれ落ち、人々のあいだに生き、そして他者に看取られ、あるいは悼まれながらこの世を去っていく。このように、地上に生きる人間が根本的に複数であるということは、一人ひとりが特異であることも同時に含意している。この点で、複数性という概念は、多数の人間を俯瞰的に一つの類概念に包摂することに道を開く多数性の概念とは次元を異にしている。つまり、人が生まれるとは、自分とは絶対的に異なる他者と遭遇し、その他者と関係を結ぶことであり、他者たちのあいだに生きるとは、他者と出会い、第二、第三の誕生としての「始まり」を経験し続けることなのである。

アーレントによれば、こうして人間が複数性を生きることのうちに、他者とともに生きる関係を築く政治の可能性が宿っている。裏を返すなら、人々が一定の同質性のうちに閉じこめられる全体主義的な体制の下には、人々が関係を築きながらともに生きることができる場は存在しない。むしろ、相互監視とテロルのみが、究極的には自分自身の滅亡を招来させるような一つの方向へ人々を向かわせることになる。アーレントは、1930年代から40年代初頭にかけて全体主義の暴力を身をもって経験した後、複数の人々の〈あいだ〉を開き、人々の関係を築く営為としての「政治」の可能性へ向けた思考を培い、深めていった。本書は、この「政治的思考」の歩みを、アーレントの亡命初期からアイヒマン裁判の頃まで辿り、政治そのものの可能性を問う一書である。

さて、つとに知られているように、アーレントは、『人間の条件』をはじめとする著作において、古代ギリシアのポリスをモデルとしながら、「言論」を伴った「活動」──これによって人は他の人の前に、自分自身の姿を現わす──にもとづく政治を論じている。ただし、本書によると、その際アーレントは、人間を「ポリス的/政治的動物」とするアリストテレスの議論の従来の解釈を乗り越えている。つまり、人間が実体として政治的であるわけではない。むしろ、複数の人々のあいだを開く活動こそが「人間」を形づくっている──ここに人の「現われ」がある──のであって、その〈あいだ〉という空間が、複数の人々が生きる場としての「世界」をなすのである。しかも、自分自身を露わにし、人々の〈あいだ〉を開き、世界を切り開く活動は、それぞれ代替不可能な人々の対等な関係──これが古代ギリシアでは「イソノミア」と呼ばれていたのだ──を築いていく。

著者によれば、ここにこそ、アーレントの考える政治がある。 したがって、アーレントの思考にもとづく政治とは、ある種の人間が歴史的に作り出した「真理」に従属することではありえない。この「真理」の歴史性を見失ったところに、「人種」のような近代の最悪の虚構の起源もある。その暴力がおびただしい人々を虐殺した後で、それぞれ特異な他者たちの〈あいだ〉を開き、他者たちを結びつけることとしての政治の可能性を考えることは、アーレントにとって一方では、あらゆる集団への帰属、ないしは集団への帰属感を乗り越えることを意味していた。このことが、アイヒマン裁判をめぐる論争のなかで彼女が表明した、自分は友人を愛するのであって、「ユダヤ人」のような集団を愛するわけではないとする態度に結びついていることも、著者は指摘している。

他方で、アーレントにとって「あってはならなかった」全体主義のジェノサイドが起きた後で、複数で生きる人間の生そのものの営みとしての政治──人間が生きるとは、〈あいだ〉に生まれることにほかならず、それこそが「始まり」なのだ──についての省察を深めることは、同時に、親友だったヴァルター・ベンヤミンが考えようとした、もう一つの歴史の可能性を考えることでもあったことも、著者は指摘している。ある集団の自己正当化のために物語られ、人々をおぞましい暴力に巻き込んでいった神話としての歴史の「残骸」からの歴史、それは複数の人々のあいだで出来事を物語り、そのリアリティを複数で共有することから始まる。 このもう一つの歴史が始まる場所としてアーレントが指し示しているのが、彼女が『過去と未来のあいだ』をはじめとする著作で繰り返し言及したフランツ・カフカの「彼」の場所である。

著者によると、この「彼」は、過去と未来の狭間に立ち、せめぎ合う両者の力を身に受けているが、歴史の残骸を手に「戦線の外」に出ることができる。ベンヤミンの「歴史の天使」すら思わせるこの歴史の残余を掬い取る身ぶりこそが、出来事を物語ることを可能にする。しかも、著者によれば、この物語る身ぶりこそ、神話的な歴史の流れを中断させるものなのだ。歴史の残余の記憶を担うこの身ぶりにもとづく新たな歴史を、複数性において生きること、このことが、取り返しのつかない出来事の後で、他者とともに生きる空間を、すなわち〈あいだ〉を切り開く。こうして、残余からの歴史とともに開かれる他者たちの〈あいだ〉こそが、来たるべき政治の「場所」にほかならない。

歴史の暴力を身に受け、「あってはならなかった」出来事を目の当たりにした後に、それでもなお他者たちのあいだにある「政治」を探究し、「人間が複数の人間として、世界への関係を創設すること」に「政治の本質」を見て取るアーレントの思考を辿った本書は、歴史の残骸の記憶を担うもう一つの歴史によって、神話的な「真理」を乗り越え、複数の人々の〈あいだ〉に立つ道筋を指し示していよう。歴史の否定にもとづく「真理」の名にまったく値しないイデオロギーに人々が搦め捕られ、人間の根本的な複数性すら忘れ去られようとしている今、本書はアーレントの思想研究であることを越えて、地上における人間の生を構成する営為としての政治の可能性をみずから考えるための重要な手がかりをもたらす一書として、広く読まれるべきであると考えられる。

[みすず書房、2002年]

映画『ハンナ・アーレント』を見て

マルガレーテ・フォン・トロッタ監督の『ハンナ・アーレント』をようやく見ることができた。この映画の焦点は、イェルサレムでのアイヒマン裁判を傍聴し、それをつうじて見いだされた「悪」の真実を、勇気と弛まぬ意志を持って伝えるアーレントの姿である。彼女は、ユダヤ人であるために、亡命先でのフランスで抑留を余儀なくされ、死の収容所へ移送される危険に直面した経験を持つが、このような苦難の日々に連れ戻されることを覚悟のうえで、彼女は裁判を傍聴しにイェルサレムへ出かけ、それをつうじて考え抜いたことを、包み隠さず伝えようとする。

こうした彼女の生きざまのなかで貫かれる「私は理解したい」という意志と、ナチの親衛隊は「怪物」であるといった前提をも突き抜ける思考──「思考」と「意志」は、彼女の未完の遺作『精神の生活』のテーマでもある──こそ、映画全体のテーマであろう。それゆえ、アイヒマン裁判のシーンにおいても、焦点となるのは、去来する大戦中の記憶に苛まれながら裁判に臨み、裁判の進め方に苛立たされながらも、「アイヒマン」という問題に向き合い続けるアーレントである。そのような彼女の内面の掘り下げも──そのために裁判の歴史的な叙述が犠牲になっている面もあるが──、見応えがある。

裁判の傍聴をつうじて捉えられたアイヒマンの「悪の凡庸さ」を──アーレントがユダヤ人指導層のナチによるユダヤ人移送への荷担を指摘していることと相俟って──、当時の多くの人々は理解できず、そのためにアーレントは、轟々たる非難の嵐に巻き込まれることになるのだが、アイヒマンの悪が、さらにありふれたものになっているという意味でも「凡庸」である現代に生きる者は、そこにある、自分自身を問い、行ないを省み、自律的に判断する思考──アーレントによれば、「人間性」そのものを形づくる思考──の欠落という問題に、みずから考えることによって向き合うべきだろう。そのことが「世界」と友人たち──「民族」ではなく──への愛をもって生きる力になることを、バルバラ・スコヴァ演じるアーレントは、力強く示していた。スコヴァは、落ち着きと温かみのある演技で、アーレント独特の率直さに奥行きを与えていたように思う。

フォン・トロッタの映画におけるアーレントには、『イェルサレムのアイヒマン』という傍聴記に向けられた、彼女は冷酷であるという非難を反駁する意味でも、非常に温かいが、それがメアリー・マッカーシーとの親交や、ドイツ語で思いを打ち明けられる環境に支えられていたことも、映画では強調されている。その名も『私は理解したい(Ich will verstehen)』という表題の対談集に収められたインタヴューのなかでアーレントは、亡命後、自分にはドイツ語という「母語だけが残った」と表白しているが、アメリカでの生活のなかでもドイツ語で思索し、ドイツ語で親しい人と遣り取りする彼女の姿が捉えられている点も、この映画の特徴と言えよう。

ちなみにこの映画では、アーレントに「思索」を教えた一人であるハイデガーとの関係にも光が当てられているが、朴訥ながら力強く「思索」そのものを語りかける若き日の姿と、老いてなおアーレントとの「縒り」を戻そうとする彼の姿の落差が大きく、やや滑稽な印象もなくはない。この映画で、それ以上に卑小に描かれているのが、アーレントと同じくハイデガーに学んだハンス・ヨーナスであるが、それにより、みずからの思考を貫くアーレントの姿がいっそう力強く際立つことになる。おそらく、勇気と温かみの双方を強調しながらフォン・トロッタが描きたかったのは、過去の苦難や人間関係だけでなく、理由のない非難にも苦悩しながら、それに応答し、みずからの言葉で「悪」への洞察を実直に伝え続けようとするアーレントの意志──「私は理解したい」という意志である──と、そのなかで貫かれる、他者と世界を肯定する愛──これは彼女がアウグスティヌスから学んだものだ──であろう。『ハンナ・アーレント』は、これらが徹底的な思考と一人の人間のなかで緊密に結びつきうることを、力強く示した映画と思われる。映画『ハンナ・アーレント』画像