新緑の季節の仕事

[2017年4/5月]

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三滝の公園の新緑

木々の緑に映える陽射しが初夏の眩しさを感じさせるようになりました。よく晴れた日はまだ空気が乾いているので、体感のうえでは気持ちよく過ごすことができます。そうした日は、三滝橋を渡って、大田川放水路の堤の上を、山々の緑と足下の草花を眺めながら歩くようにしています。橋の上からは、海から上ってきた大きな魚が悠々と泳ぐのが見られることもあります。四月からの日々も非常に慌ただしく、かつ暗澹とせざるをえないことばかりが続くので、こうしてようやく勤め先に通えるだけの心身の平衡を保っているところです。とはいえ、折々に講演や寄稿などの機会をいただいて、そのたびに刺激を得ていることには救われています。そのような場をご用意くださった方々に、心から感謝しています。そこで、四月以降の活動を、この間に接した演奏会や映画などの印象を含めてご報告しておきたいと思います。

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晴れた日の大田川放水路

まず4月29日には、広島市現代美術館で特別展「殿敷侃──逆流の生まれるところ」に関連して、「逆流の芸術──ヒロシマ以後のアートとしての殿敷侃の芸術」と題する講演を行ないました。殿敷が晩年に自作について語った「逆流」という語の含意を、彼の制作を貫くモティーフを指し示すものとして掘り下げながら、彼の芸術をヒロシマ以後のアートとして、狭義の美術を越えた広い文脈のなかで捉え直す可能性を探るお話をさせていただきました。幸いにして会場が一杯になるほどの方々にお集まりいただきました。講演会の場をご準備くださった広島市現代美術館の関係者のみなさまとご来聴くださったみなさまに、あらためて感謝申し上げます。

b5884546-s5月21日まで開催されていた「殿敷侃──逆流の生まれるところ」は、原爆によって両親を失い、自身も被爆したことに向き合い続けながら、実にさまざまな作風を試み、平面も、さらにはアトリエをも飛び出していった殿敷侃の活動の全容を、各地から集められた膨大な作品と、それにまつわる貴重なドキュメントによって浮き彫りにしようとする意欲的な回顧展でした。それをつうじて、作品の形態を変えながらも、このちょうど四半世紀前に亡くなったアーティストが、絶えず打ち捨てられ、忘れられたものを拾い上げ、今に甦らせようとしていること、それによって彼の芸術が、現在に介入する一つの行為に結びついていることも、美術館の空間とのせめぎ合いから伝わってきます。この殿敷侃展が、彼の芸術の踏み込んだ研究と、彼の作品の美術館への収蔵の契機になることを願っています。

top_image5月4日には、横川シネマでおよそ一年ぶりに映画を見ました。見たのは空族の新作『バンコクナイツ』。前作の『サウダーヂ』同様、三時間という長さを感じさせないテンポのなかに、今作ではタイの東北部イサーン地方の歌が効果的に差し挟まれて、映画に奥行きを添えていました。タイとラオスでのロケによるスケールの大きなロードムーヴィーであるのも、『バンコクナイツ』の特色でしょう。同時に、植民地主義が形を変えながら人々の内面にまで浸透する現在に対峙するかたちで、イサーン地方の抵抗としての生活の伝統を、さらにはその森林に逃れた抵抗者たちの足跡を掘り下げることによって、時間的にも空間的にも深みのある作品に仕上がっていると感じました。金に目がくらんだ植民者の欲望がいくつもの角度からこれでもかと抉られるのは『サウダーヂ』にも通じますが、『バンコクナイツ』では、それと同時に歴史に翻弄された人々の悲しみが、映像によって深く掘り下げられているのが特徴的でしょう。映画で流れるイサーン地方の歌には、震災と原発事故に遭った東北地方の人々や、米軍基地によって生活が侵食され続けている沖縄の人々の悲しみも反響しているように感じました。

5月5日には、広島市と大邱広域市の姉妹都市提携20周年を記念してのオペラの共同制作公演をアステールプラザへ観に行きました。演目はプッチーニの《ラ・ボエーム》。合唱を含む歌手が大邱オペラハウスから来演し、広島交響楽団や広島ジュニアコーラスなどが広島側から演奏に加わるかたちで公演が開催されました。何よりも大邱を拠点に活躍する歌手たちの声の強さに驚かされました。なかでもイ・ユンギョンという歌手は、ミミの苦悩を振幅の大きな、かつ彫りの深い表現で歌い上げていました。声の美しさも特筆されます。第三幕以降の切々とした歌唱は、とくに印象的でした。また、マルチェッロ役を歌ったキム・スンチョルという歌手の自然な発声と懐の深い歌は、この歌手の並々ならぬ実力を示すものと思われました。プログラムに記されていたプロフィールを見ると、韓国の歌手たちが実に貪欲に、韓国の外に活躍の場を求めていることがうかがえます。演出にはいくつか注文を付けたいところがありましたが、今回の《ラ・ボエーム》の共同制作公演が、大邱のオペラが高水準で活況を呈していることを、素晴らしい歌とともに伝えるものだったのは確かでしょう。

18401940_1500969589955408_2240876196494931709_o5月15日には勤め先の広島市立大学で、クレズマーの1980年代後半におけるアメリカでのリヴァイヴァルと、その後のグローバルな展開を象徴するミュージシャンで、グラミー賞を受賞したバンドKlezmaticsの創立メンバーでもあるフランク・ロンドンさんを迎えての特別講義とささやかなライヴを開催しました。ロンドンさんは、クレズマーをはじめ移民音楽の研究に取り組んでおられる松山大学経済学部の黒田晴之さんのご尽力によりお招きすることができました。午後の特別講義にも、夕方のミニ・ライヴにも、学外から多くのお客さまにお越しいただきました。ご来聴に心から感謝申し上げます。

特別講義は、ワールド・ミュージックのブームに乗ったクレズマーのリヴァイヴァルを見つめてきた音楽批評家東琢磨さんが、ロンドンさんにインタヴューするかたちで行なわれました。東欧ユダヤ人の言語であるイディッシュとクレズマーの結びつきや、アメリカでの他の音楽との混淆による音楽の変化などが、ディアスポラ(世界各地への離散)を生きるユダヤ人の二重の生活とともに語られました。お話のなかでは、世界中のさまざまな音楽と接触しながらグローバルに生成するなかで、東欧ユダヤ人の文化に由来する特殊なものの普遍性を体現していく、ロンドンさんのクレズマーの特徴も示されました。ショアー(ホロコースト)の記憶に向き合い、この言い表わしがたいものを歌う可能性を追求する、みずからの音楽の使命にも触れておられました。

夕方のライヴは、日本でいち早くクレズマーの魅力を発見し、それとストリート・ミュージックとの融合を図ってきたバンド、ジンタらムータとの共演により行なわれました。結婚式の踊りに使われた音楽をはじめ伝統的なクレズマーのほか、実に多彩な曲が披露されましたが、なかでもかつて美空ひばりが唄った《お祭りマンボ》の演奏は、ロンドンさんとジンタらムータの出会いを象徴するものだったと言えるでしょう。心の奥底からの祈りを、驚くほどの振幅で聴かせる曲もあれば、会場を祝祭的な興奮の渦に巻き込む激しいリズムの音楽もありましたが、どの曲からも聴く者の魂を揺さぶる力が感じられました。原曲がイディッシュの平和を祈る歌“Sholem-lid”が日本語の訳詞でプログラムの最後に歌われたことは、非常に意味深いことだったと思われます。

banar_motohashi5月20日には、原爆の図丸木美術館で開催されている本橋成一写真展「ふたりの画家──丸木位里・丸木俊の世界」と関連して原爆文学研究会との共催で開催された、本橋さんの監督による映画『ナージャの村』(1997年)と、この作品の公開から20年後の再訪ドキュメントの上映後のトークの聞き手役を務めました。当時8歳だったナージャを、地に根を張った村人たちの生きざまのなかに浮かび上がらせた映画を、大人になって町で働くナージャが登場する報告映像と併せて見るなかで、チェルノブイリの原発事故によってばらまかれた放射能によって、彼女が帰るはずの場所が失われ、生き物との関わりを含めた風景のなかの生が根こそぎにされつつあることを、原発事故の福島で起きていることと結びつけながら思わざるをえませんでした。それに対する哀しみによって貫かれていることが、『ナージャの村』の映像を今に生かしている気がしてなりません。そして、再訪ドキュメントを見ると、『アレクセイと泉』(2002年)を含めた、チェルノブイリ原発事故後のベラルーシを撮った作品が、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)とも通底するかたちで、人と人の密な関係のなかに一つの出来事を浮き彫りにするものであることも伝わってきます。この人間関係の始まりを含めて興味深いお話を、本橋さんからうかがうことができました。丸木夫妻の写真も含め、本橋さんの映像は、立ち振る舞いや仕草の細部から、既成の人物像をはみ出す人物を浮かび上がらせています。写真展を含め、とても見応えがありました。

18671216_1516927588359608_6340337683729439282_n5月25日には東京オペラシティのコンサートホールで、コンポージアム2017「ハインツ・ホリガーを迎えて」の一環として《スカルダネッリ・ツィクルス》の日本初演が行なわれましたが、そのプログラムに「ヘルダーリンの詩と音楽」と題する小文を寄稿させていただきました。作品解説を補完するかたちでヘルダーリンの生涯と詩作を音楽との関わりにおいて紹介する内容のもので、アドルノのヘルダーリン論「パラタクシス」を参照して、とくに二十世紀以降の音楽とヘルダーリンの詩の親和性に着目しました。今回の記念碑的とも言うべき《スカルダネッリ・ツィクルス》の日本初演の印象は、すでに別稿に記したとおりですが、これに立ち会えたことをとても嬉しく思っています。実演を聴いて、最晩年のヘルダーリンの詩にもとづく無伴奏合唱曲《四季》、小管弦楽のための《スカルダネッリのための練習曲》、フルート独奏のための《(t)air(e)》によってまとめられたこの《ツィクルス》が、「スカルダネッリ」の署名を持つヘルダーリンの詩が生まれる世界を、その崩壊も含めて厳密に構成/作曲したものであることがよく分かりました。ラトヴィア放送合唱団、フェリックス・レングリのフルート、そしてアンサンブル・ノマドの演奏も素晴らしかったです。

18679097_1385938901514262_1156041139_n5月28日には、アステールプラザのオーケストラ等練習場で開催された「安保惠麻 現代への眼差し──20世紀のヴィオラ作品を中心に」を聴きました。現在広島交響楽団と神奈川フィルハーモニー管弦楽団の首席ヴィオラ奏者を兼任されている安保さんの独奏を、初めて間近で聴いたことになります。ショスタコーヴィチの最後の作品であるヴィオラ・ソナタを中心とした演奏会でしたが、とくにその終楽章は素晴らしかったです。中間のカデンツァ風の一節から徐々に静まっていく展開の緊張感には息を呑みました。安保さんのヴィオラの音は豊かでありながら透明性も兼ね備えているので、このソナタの第一楽章の微かなピツィカートもよく響きます。そのことを生かした振幅の大きな表現が魅力的な演奏でした。その前に取り上げられた武満徹の《星が道に降りてきた》も美しかったです。ピアノの響きが道を作るなかに、ヴィオラの闊達な動きが豊かな歌とともに響いていたと思います。リゲティのソナタが聴けたのも収穫でした。どの楽章からもひと筋の線が感じられました。広島を拠点に活躍されている作曲家徳永崇さんの《舟歌If》の初演もありました。音戸の舟歌が変奏されるなかに風景を感じさせる曲、という印象を受けました。

このようにして新緑の時季は慌ただしく過ぎ、早くも六月に入りました。忙しさにかまけ、肝心の研究に関わる仕事を進められていないのには忸怩たる思いです。今月からは研究とその成果の執筆に力を傾注しなければなりません。その際、今ここで哲学することの意義があらためて問われることになるでしょう。このことを思うとき、5月20日に訪れた原爆の図丸木美術館に展示されていた丸木夫妻の共作《大逆事件》(1989年)が目に浮かびます。1910年に明治天皇の暗殺を共謀したとの理由で官憲に摘発された人々のうち、死刑となった12名の姿が絞首のためのロープとともに浮かび上がるその画面は、内心の自由を根底から脅かす「共謀罪」が制定されようとしている現在を、静かに問いただしています。異論を封じ、自発的隷従──これが「忖度」の意味するところでしょう──を強いる法律の制定を、許しがたい不正と暴力を重ねながら急ぐ政権の欺瞞は食い止めたいと思いますし、同時にそれによって圧殺されることのない精神の在り処を、思考によって他者たちのあいだに切り開きたいとも考えているところです。

ハインツ・ホリガーの《スカルダネッリ・ツィクルス》の日本初演に接して

コンポージアム2017フライヤー作曲家ハインツ・ホリガーの音楽の集大成の一つ《スカルダネッリ・ツィクルス Scardanelli-Zyklus》の日本初演が、東京オペラシティのコンポージアム2017「ハインツ・ホリガーを迎えて」の一環として行なわれた(2017年5月25日/東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル)のを聴くことができた。1975年から1991年かけて書き継いで成ったこの《ツィクルス》は、最晩年のヘルダーリンが架空の日付と「敬白、スカルダネッリ」という署名を付して四季に寄せた詩にもとづく無伴奏混声合唱のための《四季》、小管弦楽のための《スカルダネッリのための練習曲集》、そしてフルート独奏のための《テイル (t)air(e)》にもとづいている。そのなかの《四季》と《練習曲集》において特徴的なのは、季節ごとの自然の風景をその本質において凝結させたかのようなヘルダーリンの詩の世界を、微分音や呼吸の特殊技法、さらには楽器の特殊奏法を含めた現代音楽のさまざまな語法を駆使して、恐ろしいほど透明度の高い、時にほとんど重さを感じさせない音響に昇華させるとともに、およそ700年にわたる音楽史を見据えながら、詩の世界をその陰翳に至るまで掘り下げるのに、古い音楽の語法をも用いていることであろう。幸運なことに、演奏会の翌日に東京藝術大学音楽学部で行なわれたホリガーのレクチャーを聴講できたが、それによると、彼はこの《ツィクルス》を構成するにあたり、同じ曲を声楽でも器楽でも演奏していた17世紀のハインリヒ・シュッツの時代の伝統を参照すると同時に、14世紀の最古のカノンも意識していた。

たしかに《スカルダネッリ・ツィクルス》の実演を聴くと、とくにカノンの技法がそれぞれの曲のなかに実に多彩に変形されながら、非常に効果的に用いられていることが伝わってくる。それによって、ホリガーが俳句に喩えるヘルダーリン最晩年の詩の静かに凝結した世界がひたひたと迫ってくると同時に、時にどこか雅楽を思わせるように響きが柔らかに折り重なっていく。それによって織りなされた重力から解放されたかのような響きがふと歪む瞬間は、詩人の精神の深淵を垣間見せる。また、無伴奏合唱のための《夏》においては、それぞれの歌手の脈拍にしたがって詩句を語る一種のカノンが、詩(うた)そのものが崩壊して消え去っていく過程を突きつけるものと言えよう。そこに突如として介入する男性の「パラクシュ」──精神を病んで塔の一室に籠もったヘルダーリンは、返事に窮するとこう叫んだという──の語は、詩人が魂の危機にあっても、詩に結晶する自由を求め続けていたことを表わしているようにも思える。これを含めた表現の凝縮された強さが、今回の実演に接してとくに印象的だった。その強さは、音響と沈黙の双方から感じ取られた。それが顕著に現われていたのが、第一部に置かれたフルートと小管弦楽のための《断片》と、第三部の頂点とも言うべきフルート独奏のための《テイル》であろう。ホリガーが語っていたところによると、彼はとくに器楽作品において、テュービンゲンの塔に籠もる前の、ホンブルク時代のヘルダーリンの抵抗を響かせようと試みた。これらの曲において、自己の世界が崩れていくのを押しとどめようとする息遣いが、恐ろしいまでの沈黙を交えた、聴く者の肺腑を抉るような音の連なりとして表現されていることは、この曲が捧げられたオーレル・ニコレに学んだフェリックス・レングリの演奏によって、非常に説得的に伝わってきた。とくに《テイル》の演奏は、今回の《ツィクルス》の日本初演における白眉だった。

ラトヴィア放送合唱団の歌唱の素晴らしさも特筆に値しよう。きわめて微細な音高のコントロールを保ちながら、ありとあらゆる呼吸法が要求されるなかで、響きの基本的な透明性を保ちつつ、言葉を響かせ、狂気を暗示する強い表現を成し遂げていたのには瞠目させられた。たゆたうような響きのなかで、「人間性 Menschheit」のような語が突如として混濁したりする瞬間には、自分自身の内にもある精神の闇を突きつけられる思いだった。バルコニー席の一角なども使って、オペラシティのホールの高い空間を存分に生かし、そこに響きの層を漂わせたのは、無伴奏合唱のための《四季》のテクスチュアを生かす最善の方法だったと思われる。正確でかつ表現の振幅の大きな演奏を聴かせたアンサンブル・ノマドの力演にも感銘を受けた。なかでも、モーツァルトの《フリーメイソンのための葬送音楽》の和音をさまざまに変調させた第三部冒頭の《葬送のオスティナート》の演奏は見事だった。この曲やJ. S. バッハのコラール「来たれ、おお死よ、眠りの兄弟よ」にもとづく《氷の花》が暗示しているのは、もはや人間の見る働きを感じさせることのない静謐な風景を現出させるヘルダーリンの詩魂が、死に限りなく接近していることであろう。そのことは、バッハのコラールの旋律のネガティヴが詩人の言葉を寸断する《冬》においてさらに突き詰められることになろう。ツィクルスのちょうど中間に位置する《氷の花》と《冬》で、音楽そのものが死の側へ、さらには「石」──シラーに宛てた手紙でヘルダーリンは、自分は「石で出来ている」と語っている──の無機性の側へ折り返されるのかもしれない。

51DU-b6fRAL._SX425_ホリガーの作品のなかで合唱によって読み上げられる、ヘルダーリンが詩に「スカルダネッリ」の署名とともに記したほとんどが架空の日付の年は、1648年から1940年にわたっている。三十年戦争の終結の年から、第二次世界大戦の戦火が東へ広がり、ナチスによるユダヤ人などの虐殺が本格的に始まる時期が、この三百年弱のあいだに含まれることになるとホリガーは語っていた。例えば「ヒュペーリオンの運命の歌」が示すように、フランス革命の推移ともに激動する同時代の状況を見据えながら、死すべき人間の運命の過酷さを究めたヘルダーリンは、精神の薄明のなかで、この期間に起きる破局を見通していたのかもしれない。そのような眼と化すとともに、見る主体性を消し去り、死の間近に身を置く魂が「スカルダネッリ」の署名とともに季節に寄せた詩を書くところにある世界を、その崩壊もろとも厳密に構成した《ツィクルス》が、作曲家自身の指揮によって見事な完成度で響いたのに立ち会えたのは本当に幸運だった。その二時間半の恐ろしいまでの緊張は忘れがたい。