初秋の仕事など

[2017年8/9月]

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大田川放水路の堤の彼岸花

秋風の涼しい時期になりました。彼岸花が残る川堤にも、柔らかな陽射しの下、気持ちのよい風が吹いています。早いものですでに十月。大学の学期が始まりました。また学生たちと向き合う日々が続きます。そして今期は、他者とともに生きることへ向けた一人ひとりの学生の問題意識を引き出すと同時に、現在の危機を歴史認識をもって見通しながら、それを生き抜く思考の回路を、ベンヤミンの思想の研究をつうじて探ることにも力を入れなければなりません。

さて、去る九月には二つの場所で、音楽をめぐって考えてきたことをお話しする機会に恵まれました。9月14日に武生国際音楽祭2017の作曲ワークショップにて「嘆きの変容──〈うた〉の美学」というテーマでのレクチャーをさせていただいたことは、すでに別稿でご報告したとおりですが、それに先立って9月11日には、大阪大学中之島センターで開催されたシンポジウム「シアトロクラシー──観客の美学と政治学」にて、広島でオペラの上演に関わってきた経験を踏まえながら、現代におけるオペラの位置と意義をその可能性へ向けて省察する研究報告をさせていただきました。シンポジウムの開催へ向けてご尽力くださった大阪大学大学院文学研究科の田中均さんに、この場を借りて心から感謝申し上げます。

20170911poster『芸術の至高性──アドルノとデリダによる美的経験』などの著書のあるフランクフルト大学のクリストフ・メンケさんを囲んでのシンポジウムでは、「音楽゠劇(ムジーク゠テアーター)の批判的構成に向けて──ベンヤミンとアドルノの美学を手がかりに」と題する報告を、ドイツ語で行ないました。アドルノの『ヴァーグナー試論』における「幻像(ファンタスマゴリー)」としての楽劇を批判的に検討する議論を、現在のオペラの文化的現象に当てはまるものとして捉えつつ、そこに含まれる観客支配制(シアトロクラシー)の問題にも論及したうえで、広島で上演されたモーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》と細川俊夫の《リアの物語》の一端の分析と、ベンヤミンとアドルノの美学とを手がかりに、オペラを詩的な要素と音楽的要素の緊張のなかで人間の残余の媒体をなす「音楽゠劇」として捉え返す可能性を提示するという内容の報告です。その日本語の原稿は、遠からず活字にしてお届けしたいと考えております。

そこで触れたモーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》は、9月30日と10月1日に広島市のJMSアステールプラザで開催されたひろしまオペラルネッサンスの公演(委員を務めているひろしまオペラ・音楽推進委員会の主催)で取り上げられた作品です。川瀬賢太郎さんの指揮、岩田達宗さんの演出による今回のプロダクションは、モーツァルトとダ・ポンテの手になる作品に真正面から向き合って、作品そのものに含まれる美質を、見事に引き出していたと思います。四人の恋する男女をはじめとする登場人物がほぼ同等の役割を果たすこのオペラにおいては、重唱によってドラマが運ばれていくのが特徴的ですが、それを支える歌手たちのアンサンブルも非常に緊密でした。稀に見る完成度でモーツァルト後期の傑作の全貌を提示できたことは、ひろしまオペラルネッサンスにとって大きな、そして今後につながる成果であったと考えております。公演にお越しくださった方々に心より感謝申し上げます。

59435900a3886今回の《コジ・ファン・トゥッテ》の公演のプログラムにも、作品解説として「清澄な響きのなかに開かれる人間の内なる深淵──モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》によせて」と題する小文を寄稿させていただきました。この作品が19世紀のブルジョワ社会に評価されなかった背景を、作品の構成やその基盤にある思想から解き明かすとともに、その社会の「人間」像を踏み越える自由を、モーツァルトの音楽が人間の深淵から響かせていることに力点を置いて、作品の特徴を紹介する内容のものです。作品と今回のプロダクションのアプローチを理解する一助であったとすれば幸いです。それにしても、公演の会場に居合わせて、後期のモーツァルトの澄みきった響きに身を委ねるとともに、そのなかに抉り出される人間の内奥からの情動を肌で感じることができたのはとても幸せでした。

9月2日には、東京から津市美里町に拠点を移して四年目になる第七劇場の広島での公演を、広島市東区民文化センターで見せていただきました。今回取り上げられたのは、イプセンの「人形の家」。そのテクストに内在する仕掛けを、言葉と身振りの双方でしっかり表現する一方、日本でいち早く戯曲の内実を論じた人々の言葉を含め、新たな要素を付け加えながら、ノラが一人の人間として自立して生きていくことを、その困難も含めて浮き彫りにした舞台作りは、実に興味深かったです。それによって「人形の家」という作品が、ジェンダーやレイシズムの問題が幾重にも絡み合った問いを投げかけるものとして浮き彫りにされていたと感じました。この日の終演後に登壇させていただいたポストパフォーマンス・トークでは、こうしたことを、劇団の主宰者で今回の舞台を演出された鳴海康平さんと楽しく話すことができました。

21740934_1633032076749158_8229968318528997813_o9月19日には、JMSアステールプラザでHiroshima Happy New Ear(細川俊夫さんが音楽監督を務める現代音楽演奏会シリーズで、主催はひろしまオペラ・音楽推進委員会)の第24回の演奏会が、トランペット奏者のイエルーン・ベルワルツさんとピアニストの中川賢一さんを迎えて開催されました。細川さんが当初オーケストラとの協奏曲として作曲した《霧のなかで》、ヒンデミットやエネスクのトランペットのための作品のほか、リゲティのオペラ《グラン・マカーブル》のなかのゲポポのアリアの編曲版などが取り上げられたこの演奏会は、豊かな歌と多彩な音色を兼ね備えたベルワルツさんのトランペットに魅了されたひと時でした。彼の演奏は、呼吸と歌の延長線上にあることを、20世紀前半の音楽からジャズに至るプログラムをつうじて実感させられました。終演後、トーク・セッションの進行役を務めました。

8月の下旬には、ごく短期間ではありましたが、2月上旬まで滞在していたベルリンを訪れました。その主要な目的の一つが、コンツェルトハウスを会場に毎年開催されているYoung Euro Classicという世界中のユース・オーケストラが集う音楽祭で、広島のエリザベト音楽大学のオーケストラと合唱団が細川俊夫さんの《星のない夜》を演奏するのを聴くことでした。トラークルの詩を歌詞に用いて季節を歌いつつ、四季の巡りのなかに第二次世界大戦末のドレスデン空襲と広島への原爆投下の体験を浮き彫りにする声楽とオーケストラのための大規模な作品を、核エネルギー発見の地であり、かつ今も戦争の記憶を至るところで刻み続けているベルリンの地で演奏することには、歴史的な意義があったと思われます。

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Young Euro Classicの会場となったベルリンのコンツェルトハウス

《星のない夜》の演奏は、「冬に」の楽章とそれに続く間奏曲に聴かれる不穏で途方もない破局の予感を含んだ自然の息吹が、最後の楽章で浄化されて死者の記憶とともに穏やかに空間を包むに至る一貫した流れを感じさせる演奏に仕上がっていました。「ドレスデンの墓標」の楽章における破壊の表現の凄まじさ以上に、哀しみの表現の深さや、静かな箇所における繊細で抒情的な表現の美しさが際立っていて、そこに作品への取り組みの真摯さが感じられます。広島の若い音楽家にこそ可能な《星のない夜》の魂の籠もった演奏は、満場の聴衆に深い感銘を与えていましたし、現地のメディアにもおおむね好意的に受け止められていました。

今回の日本語の原文で歌われた「広島の墓標」の楽章に込められた言葉を失うまでの恐怖と悲しみは、藤井美雪さんの深く、強い声を介して会場全体を震わせていました。小林良子さんが歌った、地上の世界に怒りをぶつける「天使の歌」も、強い緊張感によって時の流れを宙吊りにし、繰り返されてきた人間の過ちとその忘却を、鋭く問いただしていたと思います。このような、真の意味で強い歌に耳を傾けながら、広島で被爆した子どもの詩が伝える沈黙のうちにある恐怖の忘却が新た破局を招き寄せようとしている今、これらの歌の内実を思考によって掘り下げることが求められていることをあらためて思いました。激昂する天使の声が空間を切り裂くように、記憶の抹殺を積み重ねていく時の流れを断ち切りながら、生存の余地をベンヤミンの言う「瓦礫を縫う道」として開く可能性を、研究をつうじて探っていきたいと考えているところです。

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初夏の音楽と美術など

[2017年6/7月]

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世羅高原の薔薇「詩人の妻」

暑中お見舞い申し上げます。うだるような暑さの日が続きますが、お元気でしょうか。広島では、夕凪がいつもにも増して蒸し暑く感じられます。今年は空梅雨の後に、局所的な豪雨が日本列島の各地を襲いましたが、ここ広島も六月の末に、三年前の土砂災害の日を思い出させるような豪雨に見舞われました。それにしても、7月5日から6日にかけての九州北部での豪雨の被害には心が痛みます。と申しますのも、以前に佐賀県の鳥栖市でラ・フォル・ジュルネ(「熱狂の日」音楽祭)が開催されていたのに通っていたとき、今回の豪雨の被害が最も大きかった福岡県朝倉市の杷木温泉を宿泊に使っていたものですから。それにこの朝倉市には、「国際子ども芸術フェスティヴァル」の伝統もありました。被災した方々の一日も早い生活再建を願ってやみません。

六月から七月にかけては、心身の調子があまり良くありませんでした。四月から、まったく新しい講義を含めた大学の仕事が本格的に始まり、二年前よりもかなり多忙だったこともありますが、そのなかで暗然とさせられることがあまりにも多かったのも確かです。昨今、大学のあり方について、大学の内外でさまざまな「改革」の必要性が言われていますが、その多くは、大学を含めた組織の次元の低い自己満足と、子どもとその親にたかる「教育産業」の新たな利権のためのものでしかないと思われてなりません。そして、そのために若い人たちと、その一人ひとりのための教育が食い物にされることは、許しがたいことです。こうした風潮すべての虚妄を見抜けるような批判的思考を培うことも、大学における教育の責務となりつつあることを痛感する昨今です。

七月の上旬には夏風邪を引いてしまったのですが、その症状が治まってきたところで、手足の末端に力が入らなくなってしまいました。一種の虚脱状態になって、何も手につかない日がしばらく続きましたが、おかげさまで今はある程度体調が回復してきました。そのようなわけでなかなか思うように仕事ができず、忸怩たる日々を送っていたわけですが、学ぶことにひたむきな学生の姿とその成長には救われます。今学期の三年生向けのゼミでは、学生の問題意識に応じるかたちで、花崎皋平の『生きる場の哲学──共感からの出発』(岩波新書)を講読しましたが、それをつうじて私も学ぶことが多かったです。その以下の一節は、今あらためて個々人の置かれている状況とともに顧みられるべきかもしれません。「無にひとしいものでありながら、自分とおなじ運命のもとに他人もまたおかれていることを、身につまされて感ずることができたら、そこに生まれる感情は『やさしさ』と名づけられるだろう。つまり、『やさしさ』とは、疎外された社会的個人のありようを、共感という方法でとらえるときに生ずる感情である」。

20170725 原サチコ グローバル人材育成講演会 - コピー

原サチコさん講演会のflyer

7月25日に、大学の「『市大から世界へ』グローバル人材育成講演会」の講師に、ハンブルク・ドイツ劇場の専属俳優として活躍されている原サチコさんをお迎えできたのは、大きな喜びでした。「ヒロシマを世界に伝えるために──ハノーファーでの『ヒロシマ・サロン』の試みから」というテーマでお話しいただきましたが、ハノーファーをはじめとするさまざまな場所でのヒロシマ・サロンを、そのきっかけとなった林壽彦さん(広島とハノーファーが姉妹都市になるきっかけを作った方です)との出会いを含めてご紹介いただいたことによって、ヒロシマがチェルノブイリなど二十世紀の世界的なカタストロフィのあいだにあることが浮き彫りになると同時に、それとの関係のなかで被爆の記憶を継承していくことの課題が照らし出されました。そして、苦難の記憶を分かち合うことにもとづく交流が、まずは相手に対する関心と尊敬にもとづいてこそ、実質的なものになることも、聴衆に伝わったと思います。何よりも、講演会をハノーファーへの留学生を含めた人々の出会いの場にできたことは嬉しかったです。

58dcddff527ebところで、六月と七月にはいくつか感銘深い演奏会に接することができました。まず、6月7日に広島市のアステールプラザのオーケストラ等練習場で行なわれたHiroshima Happy New Ear XXIII「次世代の作曲家たちV」では、川上統さんと金井勇さんが「ヒロシマ」に寄せた新作の誕生の瞬間を多くの聴衆と分かち合うことができました。川上さんの《樟木》と金井さんの《凝視》は、好対照をなしていたので、巧まずして刺激に満ちた演奏会の構成にもなったのではないでしょうか。川上さんの作品では、旋律的なモティーフが折り重なるなかで響きが徐々に熱を帯びていく過程が印象的でしたが、それは「樟木=クスノキ」の生命が、地下へ根を張り、中空に葉を茂らせていく様子とともに、それを見守る人間の魂の存在も感じさせるものでした。川上さんの作品では、歌心を感じさせる時間の連続が特徴的でしたが、金井さんの作品では逆に時を断ち切る衝撃が、ただならぬ緊張感を醸していました。そこにあるのは、時系列的のうえでは72年前に起きたことが未だ過ぎ去っていないことに触れる、いや、むしろ触れられることの衝撃なのかもしれません。この衝撃とともに始まる「凝視」と想起の時間を象徴するソリスティックなパッセージの連なりも、求心力に満ちたものだったと思います。川上さんの作品は、被爆してもなお滅びることのなかった木々の生命力を、金井さんの作品は、被爆の痕跡を目の当たりにする衝撃と、それに続く想起の時の緊張を、魂の奥底から感じさせるものと思います。そのような作品を広島に届けてくださったお二人に、あらためて感謝したいと思います。

今回のHiroshima Happy New Earで、ブーレーズの《メモリアル》の演奏と細川俊夫さんのギター協奏曲《旅IX──目覚め》の演奏に接することができたのも大きな喜びでした。ブーレーズの作品では、何と言っても森川公美さんのフルートが素晴らしかったです。音楽の展開をわがものにした読みと繊細な歌心を兼ね備えた演奏によって、魂=言葉の雅な舞いが浮かび上がっていました。亡くなったフルーティストに捧げられたこの作品の凝縮度の高さも伝わってきました。細川さんの《旅IX》における福田進一さんのギターの独奏も、作品への共感に満ちた素晴らしいものでした。自然のなかを歩む人間の魂の開花を象徴したこの作品の音楽においては、大きく螺旋状に発展していくなかで、一つひとつの音が沈黙のなかから立ち上がってくる瞬間がことに印象的でした。その出来事によって、時に空間がたわむかのようにも聞こえました。福田さんのギターと広島交響楽団のアンサンブルが緊密に呼応し合うなかで、実に豊かな響きが生まれていたのも印象的でしたが、その響きがぎらりとした、強烈な生命の輝きをも見せていたのには驚かされました。それにしても、細川さんの作品を聴いていて、川瀬賢太郎さんが指揮する広響の素晴らしさをあらためて実感しました。響きの風景と空気感が実に見事に表現されているのです。それぞれの作品の響きが独特の時間に結びついているのがひしひしと伝わる、素晴らしい解釈と演奏でした。

18301815_1885690948358355_7477246877900166576_n7月14日に広島の流川教会で行なわれた、ザ・ロイヤル・コンソートの演奏会も心に残ります。そこでは、J. S. バッハが未完のまま遺した《フーガの技法》が、寺神戸亮のバロック・ヴァイオリンと三台のヴィオラ・ダ・ガンバにより演奏されました。二曲に“BACH”の名を音列のかたちで織り込み、バッハの作曲技法の自己省察を示すこの巨大なトルソーは、楽譜に楽器編成が記されていないことから、従来管弦楽、弦楽四重奏、あるいはオルガンのような鍵盤楽器で演奏されてきましたが、今回のように当時一般に用いられていた弦楽器のミニマムな編成で演奏されると、三つないし四つの声部が複雑に絡み合うなかから、大バッハとその同時代人の息遣いが響いてくる気がします。透明でありながら、モダン楽器の四重奏などよりも呼吸を感じさせる響きがまず印象的でした。それが、歌うことと一体となった精緻な思考によってフーガやカノンが組み立てられていることを感じさせます。

また、基本主題のリズムを変えたり、その反行型を作ったりすることにもとづいて曲が構成されることが、全体の響きの色合いを変えるのが、直接的に過ぎないかたちで伝わってくるのも好ましかったです。長調の響きのなかで、ヴァイオリンが高い音域を奏でる瞬間など、柔らかな光が上から差してくるように聴こえました。他方で、細かい音型のコンチェルタントな掛け合いが聴かれる曲や、途絶した三つの主題によるフーガの力強さにも欠けていなかったと思われます。ルネサンスの声のポリフォニー音楽との連続性も感じさせるかたちで、《フーガの技法》の魅力を再発見させる素晴らしい演奏会でした。詳細な解説と各曲の作曲技法をスクリーンに投影する工夫も、聴衆の理解を助けてくれました。

細川俊夫さんの《嘆き》がマーラーの交響曲第2番「復活」とともに取り上げられた東京交響楽団のミューザ川崎での定期演奏会(7月15日)については、すでに別稿で触れましたが、それ以外に7月22日には、すみだトリフォニーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団のサマーコンサートを聴きました。今回の演奏会のプログラムは、音楽監督の上岡敏之が、聴衆のリクエストにもとづいて選曲して指揮するという趣向でしたが、上岡は「ヴィルトゥオーゾ」という観点から、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調とベルリオーズの幻想交響曲を選んでいました。演奏と作曲双方のヴィルトゥオーゾの作品というところでしょうか。

後者に期待して出かけたのですが、上岡と新日本フィルハーモニーは、よい意味で驚きに満ちた演奏を聴かせてくれました。上岡は、「初心に還って」音楽作りをしたいという旨のことを、プログラムに収められたインタヴューで述べていましたが、「初心に還って」ベルリオーズが書いたスコアを読み直すと、これほどまで豊かな内容が引き出されるのか、という驚きが、音楽を聴く喜びと結びついた演奏だったと思います。幻想交響曲に慣習的に付け加えられていることを排して、ある意味で書かれた音だけでもしっかり響かせるなら、標題音楽的な情景、いや譫妄のなかのおどろおどろしい光景までもおのずと響くことを感得できました。

そうした方向性は、割合さらりとした序奏からも伝わってきましたが、上岡の指揮は、主部に入って音楽が熱を帯びるなかでも、見通しのよい響きを保ちながら、ベルリオーズの持っていた音色の豊かさを存分に生かしていました。全曲を通して、打楽器の音色を実に細かく使い分けていたのが印象的でした。それが音楽の進行に絶妙なアクセントを添えていました。この交響曲では個人的に、ヴァイオリンと木管楽器が一緒に旋律を奏でる響きが好きなのですが、そうした箇所の響きの美しい広がりも、歌の美しさも申し分のないものでした。第二楽章のワルツの旋律を含め、伸びやかな歌に満ちた演奏でもありました。第三楽章のコーラングレやクラリネットの独奏をはじめ、木管楽器の演奏はどれも素晴らしかったです。弦楽セクションのアンサンブルの充実は、上岡との音楽作りの成果を示して余りあります。

前半には戸田弥生の独奏でパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番が演奏されましたが、その演奏も、技巧の誇示に終わることのない音楽の有機的な発展を伝えるものであったと思います。戸田の独奏は、力が入りすぎたと見える箇所もありましたが、豊かな音で歌心を示した、好感の持てるものでした。彼女の最近の充実ぶりは、アンコールで演奏されたJ.S. バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータのサラバンドが雄弁に物語っていたように思います。アンコールと言えば、幻想交響曲の後にリストのハンガリー狂詩曲第2番が取り上げられたのですが、その演奏が圧巻でした。個人的にこの曲を積極的に聴くことはないのですが、今日ばかりは曲の面白さを、そして演奏と作曲の両面におけるリストのヴィルトゥオジティを心から楽しみました。

六月から七月にかけては、いくつか重要な美術の展覧会にも接することができました。まず、6月11日には、ギャラリー交差611でのいさじ章子さんの個展「基町の文化人──いさじ章子の小宇宙」を見ることができました。比較的大きなサイズの油絵に始まり、「ハルコ」の名で繰り広げられた街頭パフォーマンスの記録映像、そしてそれぞれが一篇の詩を感じさせる小さな絵画作品と続く展示は、実に見応えがありました。なかでも小さな絵の数々が、文字通り林立するかたちに掲げられたいさじさんの詩的な言葉と応え合っているところは、非常に感銘深かったです。言葉を読んで、あらためて絵を見ると、いさじさんが一貫して自身の生きざまを身体的な次元まで深く掘り下げ、そこにある生命の蠢きを感じ取るところから作品を創っていることが伝わってきます。最近の絵画作品では、《水のように歩く》や《佇む》といった作品が印象に残ります。ちなみに、いさじさんは、拙著『共生を哲学する──他者と共に生きるために』(ひろしま女性学研究所)の表紙に素晴らしい絵を描いてくださった方です。

また、7月5日には、峠三吉と四國五郎の交流、とくに1950年前後の「辻詩」の共同制作に光を当てた展覧会「駆けぬけた広島の青春」を、広島市の合人社ウェンディひと・まち交流プラザで見ました。四國と峠の合作による「辻詩」の現存するすべてを並べて見られたのが何と言っても印象深かったです。おそらく、この当初から儚さを運命づけられた合作は、往来に貼られる一つの行為によって、街路を辻、すなわち人と人が交差する場に変えていたにちがいありません。それとともにどのような人たちが出会っていたのかと想像しながら見入りました。控えめな画面が詩の言葉を引き立てている一枚もあれば、絵の動きに詩が吸い込まれていくかのような一枚もありました。なかでもインパクトが強かったのはやはり、日本銀行旧広島支店での四國五郎の回顧展にも出品されていた、当時の「パンパン」の姿を突きつける一枚でした。「辻詩」の1985年の原水爆禁止署名活動における復活を示す連作も、ナジム・ヒクメットの詩の受容を含め、興味深かったです。1949年の日鋼争議を描いた四國の絵と、そこで朗読された峠の詩が展示されていたのも、両者の出会いを印づけるものとして貴重だったのではないでしょうか。

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無題I(或いはピゴチャーズI)

7月22日には、東京の祖師谷のGallery Taga2にて、ボローニャとニューヨークを拠点に活動しているアーティスト吉田萠さんの個展「ジェルンディオ」を見ました。浅海の砂泥に棲む半索動物ギボシムシの生態から着想を得ながら人間の記憶、人間の自己形成ないし自己の崩壊を孕んだ変成の過程、さらにはスタニスワフ・レムとアンドレイ・タルコフスキーの「ソラリスの海」を思わせるその時空間を、多層的に、かついくつもの感覚を刺激するかたちで問う創作活動が展開されているのを、萠さんのお話を聴きながらとても興味深く見ることができました。
萠さんの作品は、言葉やさまざまなイメージを書き込んだ平面にいくつもの層を重ねたり、層の一部を、それ自体ギボシムシの形を思わせるような言葉の型をくり貫いたりするなどして構成されていましたが、それをつうじて一部が消えて読めなくなっている文字は、それ自身で新たな運動を始めているかのようでもありました。そして、その動きが作品の空間を越えた世界に通じていることも示す、開かれた構成も作品から感じられました。

砂を吸っては吐いて栄養を摂取するギボシムシは、さまざまな観念やイメージを吸収しながら、あるいはそれを忘れながら生きる人間の自己形成の過程を連想させると萠さんは語っておられました。その過程で記憶の襞に、澱のように固着していくものもあることでしょう。作品のなかの石や錆を思わせる細部からは、そうしたものの存在を感じました。作品そのものが、無数の襞を持った人間の不可視の記憶器官をめくり返したようでもあり、同時に器官としての作品が蠕動し始めているようにも思われました。

イタリアの古い扉をモティーフにしたという、別の世界へ通じる扉のような作品も、ギボシムシの生態を、記憶の海に生息する半機械的な生物に変成させた立体作品も、非常に魅力的でした。とくに、脆さも感じさせるかたちでゆらめきながら何かを感知している生き物は、見ていて飽きることがありません。その姿は、人間の自己の脆さとともに、その変成の未来をも暗示しているのかもしれません。

ちなみに萠さんは、細川俊夫さんのオペラ《リアの物語》の広島での上演の際に、卓抜な舞台美術を担当された方です。その公演の演出家ルーカ・ヴェッジェッティさんのお連れ合いでもあり、昨夕はルーカさんとも再会できました。広島で日本銀行旧広島支店に強烈な印象を受け、そこに何度も通ったとのお二人のお話を聴きながら、いつかこの被爆建物の空間で萠さんの作品を見てみたいと思いました。

7月23日には、国立新美術館でジャコメッティ展を見ました。マルグリット&エメ・マーグ財団のコレクションを中心とした大規模な展覧会で、アルベルト・ジャコメッティの回顧展を見るのは、数年前に兵庫県立美術館で見て以来ということになります。存在感に満ちた一連のディエゴの胸像やおそらくは妻のアネットをモデルとした細い女性の立像から強い眼差しを感じながら、ベンヤミンが「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」に記した、眼差しをめぐる考察を思い出していました。

彼はこう述べています。「つまりアウラの経験とは、人間社会にしばしば見られる反応形式を、生命を持たないものや、自然と人間の関係に転用したものである。見つめられている者、あるいは見つめられていると思っている者は、眼差しを開く。ある現象のアウラを経験することは、この現象に眼差しを開く能力を付与することである」。ジャコメッティは、この眼差しの出来事に形を与えようという狂おしい試みを続けていたのかもしれません。

ベンヤミンが描くボードレールにとってこの「アウラの経験」が不可能であったように、ジャコメッティにとって一人の人間が眼差しを放ちながら立ち現われてくることの全体を捉えることは不可能であり続けたでしょう。しかし、彼はその出来事をその精髄において捉えようと苦心を重ねました。その過程をシュルレアリスムの影響下にあった初期から辿ることによって、ジャコメッティの芸術が、以前よりも身近に感じられるようになりました。

今回出品されていた作品のなかで印象に残ったのは、どちらかと言うと後期の作品で、とくに《ヴェネツィアの女たち》の立像群は美しく思われました。一体一体を少し距離を置いて見ると、一人ひとりが独特の顔立ちと眼差しでこちらを見つめ、何かを語りかけてくるように感じられます。それ以外の女性の立像のほかには、歩く男の像が興味深かったです。大きな《歩く男》も《三人の歩く男》の群像も、さまざまな力を背負いながら大いなる一歩を踏み出すという出来事を強く印象づけます。その力を、人間のみならず、《犬》も一身に背負っていることでしょう。これほど哀しい犬の姿は見たことがありませんが、それを形にするところにジャコメッティの生あるものへの愛を感じます。

さて、早いものでもう八月になります。学期の仕事がようやく終わりに近づいてきましたので、九月に二度予定されている講演の準備や、依頼されている原稿の執筆に本腰を入れなければなりません。また、その先に予定されている原稿の執筆の準備にも取りかかる必要があります。この二か月ほどで作業日程にいろいろと遅れが生じていますので、それを可能なかぎり取り戻したいとは思いますが、個人的な事情で思い通りにいかないことがあるかもしれません。それでも、現代世界における芸術の可能性を批判的に省察する、あるいは歴史のなかに生きることを、自分自身の問題として考えるきっかけになるような言葉をお届けできるよう、一ページずつ文献を読み進め、一文一文を書き連ねていきたいと思います。これから暑さがいっそう厳しくなるでしょうが、みなさまどうかお身体に気をつけて、よい夏をお過ごしください。

2015年初秋の仕事

早いもので、大学の学期が始まる10月を迎えました。雨が降るごとに秋が深まる今日この頃ですが、晴れるとまだ陽射しが照りつけます。それとともに晴れ渡って、気温が夏並みに上がる日もありますが、そんな日でも見上げると、秋らしく澄んだ青色の空が広がっています。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私のほうは、いつになく慌ただしい9月があっという間に過ぎて、気持ちの整理がつかないまま10月を迎えてしまった感じです。期日に追われながら、読み続け、書き続け、話し続けた9月でした。とはいえ、さまざまな人々のおかげで、慌ただしいながらも充実感をもって過ごすことができました。9月末締め切りの原稿も、おかげさまで何とか脱稿することができました。また、別稿にも記しましたように、上旬には福井県の武生で開催された武生国際音楽祭で、素晴らしい音楽とアーティストに接することもできました。

ダニ・カラヴァンによるベンヤミンを追悼するモニュメント。これが置かれているポルボウを早く取材に訪れたいものです。

ダニ・カラヴァンによるベンヤミンを追悼するモニュメント。これが置かれているポルボウを早く取材に訪れたいものです。

何よりも、7月末より月末の金曜の夜に、東京ドイツ文化センター図書館を会場に3回にわたって開催された連続講演「ベンヤミンの哲学」を無事に終えることができたことに感謝しているところです。毎回図書館が一杯になるほど多くの方々に非常に熱心にご参加いただき、大きな手応えを感じました。ディスカッションも毎回大変盛り上がり、今後の研究の刺激になるご質問もいただきました。ご参加くださったみなさまに心から感謝申し上げます。このような機会をくださった、そして毎回丁寧にご準備くださった東京ドイツ文化センター図書館のみなさまにも、篤く御礼申し上げます。今回の連続講演が、拙著『ベンヤミンの哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)を入り口に、ベンヤミン自身の著作を繙くきっかけになったとすれば、これに勝る幸いはありません。

20世紀の前半に、分類不可能なまでに多彩な文筆活動のなかで独特の思想を繰り広げたヴァルター・ベンヤミンの生涯と著作を紹介する初回の「導入」に始まり、呼応する魂の息遣いをなす言語自体の生成の運動を「翻訳」と考える彼の言語哲学を紹介する第2回「ベンヤミンの言語哲学」が続いたわけですが、想起の経験から歴史の概念を捉え直し、死者とともに生きることのうちに歴史自体を取り戻そうとする彼の歴史哲学を紹介する第3回「ベンヤミンの歴史哲学」が行なわれたのは、奇しくもベンヤミンの75回目の命日の前日でした。国境の街ポルボウでみずから命を絶った彼のことを今思うとき、絶えず生命の危険に曝される場所から何とか逃れ出ながら、少し息のつける場所に辿り着く前に命を落とした、紛争地からの無数の亡命者のことも思わないではいられません。

シリアをはじめとする紛争地からのおびただしい難民が命をつなぐ方途を探ることは、言うまでもなく、世界的に対応しなければならない課題になっていますが、この国の権力者は、その課題に背を向けるかのように、アメリカとの軍事的な結びつきを強化することに血道を上げ、人を殺める武器を製造して輸出することを含んだ軍需産業を潤わせることしか頭になく、そのために世界中で戦争に巻き込まれる道を開いてしまっています。このことは、日本列島に生きる人々の生命のみならず、列島を出て世界各地で人々の生活を支援する活動に取り組む人々の生命も、ひいては危険な例外状態に日々置かれている世界中の人々の生命をも脅かす動きとしか言いようがありません。

ヴァルター・ベンヤミンの肖像写真

ヴァルター・ベンヤミンの肖像写真

この動きが、死者の尊厳を軽んじながら忘却することを強いる歴史修正主義と絶えず連動していることを顧みるなら、ベンヤミンが二度目の世界大戦がもたらしつつある破局を前に、また彼自身の生命が危険に曝されているなかで、ほとんど絶筆として書いた「歴史の概念について」のテーゼを読み直すことは、いよいよ差し迫った課題となりつつあると考えられます。このほど、哲学的歴史論の第一人者とも言うべき鹿島徹さんが、批判版ベンヤミン全集に初めて異稿の一つとして収録された稿を基に「歴史の概念について」を新たに翻訳し、そのテクストに詳細な注釈を加えた『[新訳・評注]歴史の概念について』(未來社)が刊行されましたが、その書評を10月10日発行の『図書新聞』紙に書かせていただきました。ご覧いただき、ベンヤミンの歴史哲学をその可能性において省みるきっかけとしていただけると幸いです。

ひろしまオペラルネッサンス公演《フィガロの結婚》flyer

ひろしまオペラルネッサンス公演《フィガロの結婚》flyer

さて、9月26日と27日には、私が主催者のひろしまオペラ・音楽推進委員会に加わっている、ひろしまオペラルネッサンスの今年の公演、モーツァルトの《フィガロの結婚》の公演が、広島市のJMSアステールプラザ大ホールにて盛況のうちに開催されました。ヴィーン時代の最も充実したモーツァルトの音楽が、オペラの革新と社会的な革命を喩えようもないほど美しく響かせる《フィガロの結婚》は、私たちが他者とのあいだに生きるなかで最後まで信じる、人と出会い直す可能性を、幸福なかたちで予感させるものと言えるでしょう。簡素ながら引き締まった美しさを示す舞台の上に、人間の生きざまを情動の機微とともに浮かび上がらせる岩田達宗さんの演出と、どこまでも血の通ったリズムの上に美しい歌を余すところなく響かせる川瀬賢太郎さんの指揮が、作品の魅力を存分に伝えながらきわめて密度の濃い上演を実現させていました。今回の公演のプログラムにも、プログラム・ノートを寄稿させていただきました。

個人的には、広島で活躍している何人かの歌手が、厳しい稽古を経て、自分の力で壁を乗り越えるかたちで、歌手としての新たな境地を切り開いていたのが嬉しかったです。そのなかで、モーツァルトとダ・ポンテが書いたものが音楽的に生かされていたのが、今回の公演の最大の収穫かもしれません。二日にわたり、最後の赦しの場面は、永遠すら感じさせる崇高さを示していました。まったくごまかしの利かないモーツァルトの音楽に取り組むことによって、声を磨き、音楽を研ぎ澄ますことへ向けた課題も明確になったのではないでしょうか。みなでそれに取り組みながら、次回の公演へ向けて一歩を踏み出せればと願っております。ひろしまオペラルネッサンスへのご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

Hiroshima Happy New Ear XIX「次世代の作曲家たちIII」を聴いて

55360c23940a6広島を拠点に活動している現代美術作家原仲裕三は、1945年8月6日8時15分、広島の上空で原子爆弾が炸裂した瞬間に、生命あるものが未来永劫背負わなければならない時が刻まれたとして、その瞬間を起点とする時刻「ヒロシマ時刻(Hiroshima Time)」をさまざまな空間的造形のうちに表示する作品を創り続けている。その作品は、現在の空間にもう一つの時を刻み込むことで、クロノロジカルに進み行く時のみならず、アナクロニックに回帰する時、癒えることのない傷としての「時刻」をも見る者に想起させる。

このとき原仲の作品は、広島の街のなかを慌ただしく過ぎ行く時のなかに、過ぎ去ることのない時の欠片が潜んでいることを暗示しているのかもしれない。人々が労働と消費に駆り立てられるなかで嵐のように過ぎ去っていく時間のただなかに入り込む、このもう一つの時、それを内側から生きることを可能にするのが音楽であることを証明したのが、第19回を迎えるHiroshima Happy New Ear「次世代の作曲家たちIII」(2015年6月25日、JMSアステールプラザオーケストラ等練習場)で世界初演された徳永崇と三浦則子の作品だった。

《広島時間》と題された徳永崇の作品は、現在の都市空間を埋め尽くさんばかりの声や音を、その人工性や実際に鳴り響く音の背後に渦巻く欲望を含めて、この作曲家にしか可能でない速度感とともに表現し、生命ある者を押し流そうとしている時の奔流へ聴き手を引き込む。しかし、その表現は、苦いユーモアを交えながら、明るすぎるかに見える響きのなかに、暴力の影、とりわけ戦争と核の暴力の影が潜んでいることも示すものであった。

破壊的とも聞こえる中断を挟みながら音楽はやがて、現在の喧騒を形づくっていた音の欠片から複数の歌を紡いでいく。そこからは、生まれ来たる生命への感謝のこもったブリコラージュとともに、核と戦争の脅威が未だ去らない今ここから、生きることの未来を切り開こうとする意志をも聴き取ることができよう。深く息の余韻を響かせながら徳永の《広島時間》は閉じられるが、生きることの源をなす呼吸が、風を感じることであることを伝えていたのが、三浦則子の《ヒロシマを渡る風──室内オーケストラのための》だったのかもしれない。

この作品は、ふっと吹き過ぎる風が、生命あるものの息遣いを感じさせながら、さまざまな響きや香りを運んでくることを実に繊細に、かつ共感覚的に響かせるものだが、その時間には張りつめたものがある。たびたび差し挟まれる休止は、まさにこの時期の広島の夕暮れ時にしばしば訪れる凪を感じさせるが、その緊張は、風が止んだところに過ぎ去ることのない時が凝集することを示していよう。夕凪のなかに、傷としての「時刻」の記憶が甦るのだ。

歌の息吹を感じさせるパッセージと、どちらかと言うと物質的なパッセージとが交互に奏でられ、やがて両者が折り重なって、強い、深淵をのぞかせるような響きが生まれた後、凪を感じさせる静寂が訪れる。そこにある時の中断の衝撃が、打楽器の打撃によって表わされているようにも聞こえた。《ヒロシマを渡る風》は、深く重い問いを残すようなバス・ドラムの一撃によって閉じられる。三浦の次の作品へ道を開きながら、聴き手を想起と思考に誘う一曲と言えよう。

今回のHiroshima Happy New Earでは、徳永と三浦の室内オーケストラのための新作以外に、この現代音楽の演奏会シリーズの音楽監督を務める細川俊夫が、テューバと室内アンサンブルのために書いた協奏曲《旅VIII》の改訂版も初演された。この曲では、チベット仏教の僧侶の祈りの声から着想を得たというテューバの独奏が、室内アンサンブルのとくに低音楽器の響きと溶け合うなかから徐々に浮かび上がって、息の音を含めた実に多彩な音色を、自然な移行をつうじて響かせていたのが、何よりも印象的であった。それは、テューバを現代音楽の独奏楽器として奏でる可能性を開拓し続けている橋本晋哉にして初めて可能なことだったにちがいない。

その一方で、この曲で川瀬賢太郎の指揮の下、広島交響楽団の奏者たちが、それこそチベットの高地に吹き荒れるような風を見事に奏でていたのも印象深い。響きが深く広がるなかで吹きすさび、激しい打楽器の打撃音とともに仮借のない時の移ろいを感じさせる嵐のような風は、もしかすると、広島の街の表層の下に渦巻く怨念や悔恨などにも通じているのかもしれない。それに抗いながら、あるいはそれと呼応しながら、テューバの独奏は、地の底から響くような切なる祈りを奏でていた。

最後に演奏されたのは、ジェルジー・リゲティのオペラ《ル・グラン・マカーブル》より、ゲポポの三つのアリアを一曲のコンサート・ピースにまとめた《マカーブルの秘密》。このオペラには、「死を思え(メメント・モリ)」という箴言があまりにもリアルだった中世から、いくつもの全体主義を経験した現代──その歴史を身をもって生きたのが他ならぬリゲティだった──までのいくつもの時が折り重なっているが、それらを貫く人間の錯乱を含んだ変貌を凝縮させたのが、この一曲であろう。

この曲で独唱を担当した半田美和子は、ゲポポが人と物のあいだを行き来しながら、自分が国家機密として秘密裏に伝えようとする想念によって、みずから錯乱していくさまを、澄んだ、それでいて強い声で歌いきっていた。恐ろしいまでの速度のなかで、一語一語を明確に響かせつつ、微妙に音色や息遣いを変えて、リゲティの超人的な要求に見事に応えながら、現代の世界に生きる、狂気を潜在させた人間を深層から浮き彫りにした演奏だったと思われる。この《マカーブルの秘密》の演奏において、ここまでの音楽的な完成度に達することができるのは、日本では半田だけであろう。

今回のHiroshima Happy New Earにおいて取り上げられた作品はどれも、複数の時の緊張関係や相互浸透を、優れて音楽的に響かせていたと考えられる。そのような作品こそが、ヒロシマの記憶を新たにし、その記憶とともに生きることを省察する契機となるにちがいない。このような意味で「ヒロシマの」と言える音楽が新たに生まれる瞬間に立ち会えたことを、まずは率直に喜びたい。この音楽の誕生の出来事が、これからさらにヒロシマの、そして広島からの音楽が生まれてくる契機になることを願っている。

転機の二月に

早いもので、二月も終わりに近づいてきました。少しずつ春の兆しが感じられるようになっています。いつもにも増して厳しかったこの冬もようやく終わりに近づいてきたようですが、しばらくは寒暖の差が激しい日々が続くことでしょう。みなさまどうかご自愛ください。

さて、この二月には、いくつか転機となる、あるいはなるべきと思われる出来事がありました。なかでも、その最初の日に、ジャーナリストの後藤健二さんが、ISILの構成員の手によって殺害されたのには、大きな衝撃を受けました。紛争地の勇気ある取材をつうじて、現地の人々の困難な暮らしとそれが投げ掛ける問いを伝えてきたジャーナリストがこうして非業の死に追いやられたことに、深い悲しみを覚えないではいられません。

同時に、そこに至る日本政府当局の対応は、厳しく検証される必要があるとも思われます。「テロには屈しない」という言葉が喧しく繰り返されている裏で、どのような選択がなされていたのか、そこにどのような力が作用していたのか、といったことが明らかにされ、そこにある問題が追及されるべきでしょう。もし、その過程について「特定秘密保護」といったことが言われるとするならば、現在の政府は何を志向しているのかが、いよいよ深刻に問われなければならないはずです。

実際、日本のパスポートを携えて国境を越えていく人々が、命の危険に曝されないような状況を作るために外交的に働きかけることよりも、「日本人には指一本触れさせない」などと主張する武力を海外に拡大して、全世界的な戦争の一翼を担うことに、現政権が重心を置いていることが明白になりつつあります。海外への武器輸出や、海外での武力行使の道を拡げることに汲々とし、地元の移設反対派の住民を暴力で弾圧しながら、アメリカ軍の普天間基地の辺野古への移設へ向けた作業を強引に進めるやり方には、深い憂慮を覚えます。そして、「邦人保護」を名目に海外へ武力を送ろうという方向には、日本の戦争の歴史を重ねないではいられません。

ともあれ、2月1日を境に、日本の旅券を所持する者にとって世界は、根本のところで変わってしまったと思われます。そのような日に、一つの世界の崩壊を現出させるシェイクスピアの『リア王』を基に作曲された細川俊夫さんのオペラ《リアの物語》の広島での公演(Hiroshima Happy New Ear Opera II:細川俊夫《リアの物語》、2015年1月30日、2月1日、アステールプラザ中ホール)が楽日を迎えたのは、何かの巡り合わせなのかもしれません。すでに別のところで述べましたように、主催組織であるひろしまオペラ・音楽推進委員会の委員の一人として、プログラム・ノートを執筆し、日本語字幕の制作に携わり、プレ・トークとアフター・トークの司会を務めるかたちで、この公演をお手伝いさせていただきました。こうしたかたちで今回の公演に関わることができたことを、非常に光栄に思っています。また、全国各地からこの公演に駆けつけてくださったみなさまに、心から感謝申し上げます。

《リアの物語》の16年ぶりの上演となった今回の公演は、すでに各方面から好評をもって迎えられているようで、喜ばしく思っております。また、さまざまな意味で厳しい《リアの物語》という作品を、こうして演奏家と聴衆の集中力が一体となるようなかたちで舞台に載せることができたのは、Hiroshima Happy New Ear、ひろしまオペラルネッサンスといった、広島における地道な音楽活動の成果と思われます。しかし今は、今回の公演のなかで同時に、広島から新たなオペラを今後創り出していくうえでの課題も浮き彫りになったとも感じています。能舞台を用いて行なわれた今回の公演は、日本からの、そして広島からのオペラの創造の可能性を示すものであったと思われますが、その可能性を実現するためには、個々の演奏家とスタッフが音楽と舞台に対するみずからの役割と責任を明確にすることによって、芸術的な完成度、とりわけ音楽の完成度を高めることが急務ではないでしょうか。それをつうじて、今回の公演をオペラそのものの転機にする必要があると考えています。

この《リアの物語》の公演の二週間後、この公演で素晴らしい指揮を見せてくれた川瀬賢太郎さんが指揮台に立ち、リーガンの役を歌った半田美和子さんが、リゲティの《マカーブルの秘密》──これは、オペラ《ル・グラン・マカーブル》のゲポポのアリアを演奏会用に編曲したもので、バーバラ・ハンニガンが得意とする曲です──を歌うこともあって、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の神奈川県立音楽堂での定期演奏会を聴きに行きました(2月14日)。

この《マカーブルの秘密》が最初に演奏されたのですが、この曲で半田さんが、素晴らしい声と技巧で、リゲティの難曲のテクスチュアとテクストを余すところなく生かした演奏を繰り広げたのには、心動かされました。この作品をここまでの完成度で歌えるのは、日本では半田さんだけではないでしょうか。楽譜とテクストをしっかりと読み込んだ演奏によって、テクストの不条理さと、それが表わす錯乱も、表現として響いてきました。ドイツ語のテクストで歌われたのも、こうした行き方に相応しかったように思います。ドイツ語のほうが、断片化した言葉も含め、言葉が立って聞こえます。

川瀬賢太郎さんの指揮の下、神奈川フィルハーモニーのアンサンブルとの息も合っていて、半田さんの声と管楽器の響きが溶け合っているのが、表現に深みをもたらしていました。とくに声と管楽器の細かいトリルが遠くからひたひたと迫ってくるのには鳥肌が立ちました。以前に東京で接したバーバラ・ハンニガンのパフォーマンスほどには強い視覚性はないとはいえ、リゲティの音楽自体の凄さが研ぎ澄まされたかたちで伝わる演奏とパフォーマンスだったと思います。こうした演奏をつうじて、《マカーブルの秘密》が他ならぬリゲティの作品であることと、オペラの文脈を確かめることは絶対に必要ではないでしょうか。

その後、ハイドンの作品が二曲演奏されましたが、いずれの曲でも川瀬さんとオーケストラがよい関係を築いていることが音楽に表われていました。なかでも、交響曲第60番ハ長調「うかつ者」の演奏は素晴らしかったです。川瀬さんと神奈川フィルハーモニーはこの交響曲で、ハイドン独特のユーモアを存分に生かしつつ、躍動感と繊細な歌に満ちた演奏を繰り広げていました。この多彩な6楽章の交響曲のフィナーレのパフォーマンスも、実に楽しかったです。川瀬さんがここぞというところで示す音楽の推進力は目覚ましいもので、沸き立つようなリズムが聴衆の心を捕らえていました。それと田園情景を思わせる、ゆったりとした歌とのコントラストも生きていたと思います。チェロ協奏曲第1番では、独奏を担当した門脇大樹さんの端正な演奏もさることながら、川瀬さんが、ともすれば単調になりがちな伴奏から、実に豊かな歌を引き出していたのが印象に残ります。

神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏会の翌日、渋谷の松濤美術館へロベール・クートラス展「夜を包む色彩」を見に行きました。小さくて静かな、そして手仕事の痕跡を残す夜の絵を興味深く見ることができました。聖堂の修復にも携わったことのある彼ならではの中世的なアルカイスムのなかに、ルドンを思わせる幻想性と、ルオーに見られるような聖性が同居するのが、とくに魅力的に思われます。また、小さなタロット・カード状の「カルト」に敢えて画面を制限しながら、そこに象徴性と意匠性を、素朴さを交えつつ凝縮させているのも面白かったです。そこに聖性と極端なまでの卑俗さの双方を込めながら、自分の存在の跡を執拗なまでに残そうとする画家の身ぶりからは、その深い存在の不安が感じられます。

ロベール・クートラス展flyer裏面

ロベール・クートラス展のflyer裏面

ちなみに、 「カルト」は極度の貧困のなかで夜ごと描かれたそうです。クートラスの晩祷の連作と言えましょうか。そこに中世の聖堂のファサードに見られる、人間の罪を象徴した像が表われるのも、聖堂の修復に携わった彼ならではのことかもしれません。祖霊への崇敬と魅力的な天使像の見られるグワッシュの作品や、テラコッタの立体作品も面白かったです。クートラスという画家のことは、これまで寡聞にして知らなかったのですが、よい出会いとなりました。

2月18日には、原民喜の甥の原時彦さんが、民喜の手帳を広島平和記念資料館に寄託されたとの報せを聞きました。この手帳の現物は、何度か見せていただいたことがありますが、とくに「夏の花」に描かれた場所を巡るフィールドワークの折に見せていただいたときのことを印象深く覚えています。「コハ今後生キノビテ コノ有様ヲツタヘヨト 天ノ命ナランカ」との決意を表わす文言が含まれる、自分が目にした広島の惨状を克明に記した「原爆被災時のノート」(その全文を土曜美術社刊の『新編原民喜詩集』などで読むことができます)がよく知られていますが、それ以外の部分にも反戦の意志が表われていたりして興味深いです。何よりも、こうして資料館に寄託されたのを機に、この手帳の存在が広く知られるようになるとともに、そのなかに記されたすべての文字が研究に活用される道がしっかりと開かれることが重要かと思います。

同時に、被爆から70年を迎えるこの年に寄託されたことは、一つの転機を示すものであると同時に、いくつもの問いを投げかけるものでもあるように感じます。峠三吉や栗原貞子らの作品の自筆草稿などとともに、世界記憶遺産への登録を目指す意味もあるとのことですが、登録されたなら、広島の人々は、この遺産を生かしていく使命を負うことになります。では、どのようにしてその使命を果たすことができるのでしょうか。何よりもまず、「娘を嫁に出すような心境だ」と新聞記者に語る時彦さんの思いに、どのようにして応えることができるのでしょう。広島における文学館の不在が、今あらためて問題として浮かび上がっているようにも思われます。

この二月、何冊かの本との出会いがありましたが、なかでも印象深かったのは、若松英輔さんが著わされた『吉満義彦──詩と天使の形而上学』(岩波書店、2014年)でした。吉満義彦は、近代日本のキリスト教思想史に大きな足跡を残した哲学者にして神学者です。私の母校の上智大学でも教えていたので、彼の名前を私の指導教員などの口から聞くこともあったのですが、彼のことを知る機会は、これまでほとんどありませんでした。若松さんの評伝を読んで初めて、彼が徳之島の出身で、私の高校の大先輩にも当たることを含めた彼の生涯と、霊性とは何かを問い続けた彼の思想に興味を覚えたところです。

徳之島などの南島で、珊瑚礁が死者の彼岸と生者の此岸のあいだに位置づけられていることと、吉満が、地上と超越者のあいだにある中間域を、死者との共生の場として、かつ形而上学の場として追求したこととが重なり合うところが、とくに興味深く感じられます。若松さんの評伝を、二読、三読しながら、吉満自身の著作にも触れてみたいと思います。同時に、「近代の超克」などへの彼のコミットメントも辿りながら、戦争の時代における天使的な思想の境位を確かめられればとも考えています。

この二月には、一つ小さな仕事を公にしました。広島芸術学会の会報第131号の巻頭言です。「芸術の力で死者の魂と応え合う時空間を──被爆70周年の広島における表現者の課題」という表題のごく短い文章で、細川俊夫さんのオペラ《リアの物語》が夢幻能の精神にもとづく作品で、その上演が死者とともにある空間を開くものであることや、原民喜の「鎮魂歌」がその強度において死者の嘆きを反響させていることを踏まえつつ、芸術の力によって死者とともに生きられる時空間を広島の地に切り開くことを、被爆70周年の広島における表現者の課題として提起する内容のものです。また、昨年12月に第46回原爆文学研究会の「『戦後70年』連続ワークショップⅣ──カタストロフィと〈詩〉」のなかで行なった報告「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜の詩を中心に」の要旨などを記した小文も、原爆文学研究会の会報第46号に掲載されております。

細川俊夫《リアの物語》の広島での上演に接して

細川俊夫《リアの物語》広島公演の舞台

細川俊夫《リアの物語》広島公演の舞台(開演前)

能舞台の上には、竹竿が屋根を思わせる形に組み合わされている。そのなかにリアが入り、政務からの引退を告げると、そこから悲劇が始まる。彼が上の二人の娘、ゴネリルとリーガンへの領土の分与と、末娘のコーディーリアの追放とを宣言すると、リアの城と玉座を一つながらに表わすかのような形態は解体され、一本一本の竿が独り歩きし始める。それは時に、娘が父を城から締め出す忘恩の門になり、陰謀に陥った者を捕らえる刺股になり、さらには人を殺める剣にさえなる。それとともに、リアの王国は滅びていき、彼の現実も崩れていく。闇に包まれた舞台の上に散乱した竹竿の周りに、累々と屍が横たわるさまは、一つの世界が崩壊し去った後の廃墟を思わせずにはおかない。

2015年1月30日と2月1日の二日にわたり広島市のアステールプラザ中ホールで、Hiroshima Happy New Ear Operaの二回目の公演として行なわれた、細川俊夫のオペラ《リアの物語》の16年ぶりとなる日本での再演は、このように能舞台で、最小限の装置を最大限に駆使する演出の下で行なわれた。能に触発されながら振り付けや舞台演出を続けていて、サントリーホールでの細川の《班女》の上演の演出を手がけたこともあるルーカ・ヴェジェッティによる演出は、能舞台の空間と能そのものの形式性を生かすかたちで、視覚的な人物の動きと装置の機能を必要最小限に止めながら、その象徴性を最大限に高めることで、観客の見立てによって開かれる空間のなかに、人物の情動を凝縮させようとするものだったと言えよう。

こうした演出を実現するために、出演者のみならず、舞台スタッフにも相当な苦労があったことが偲ばれるが、それによって能の精神が新たなかたちで生きるなか、恐ろしいまでの静けさに貫かれた舞台が現出したと言えよう。全曲にわたって、ほぼすべての登場人物を舞台上に留める行き方も、人間関係を空間的に暗示する能の舞台に通じるものであった。そして何よりも、能舞台に相応しく、リアの脳裡に浮かぶ幻影として、霊魂としての人物を象徴化される──その際、LEDライトが効果的に機能していた──ことによって、みずからの世界を自分の手で破滅させる人間の闇──それは悪として、狂気として、さらには人間そのものの盲目として現われる──が仮借なく掘り下げていたのが印象深かった。

このように簡素にして凝縮度の高いヴェジェッティの演出がもたらす静けさに貫かれた舞台が、細川の音楽を最大限に生かすものであったことも特筆されるべきであろう。闇のなかから、そして沈黙のなかから、細川の書としての歌が響いてくる。それが生の息吹を伝えながら、ひと筋の光を舞台に投げ掛けるとともに、登場人物のうちにある情動の振幅を聴き手に伝えていたのには、深く心を動かされないわけにはいかなかった。このような音楽を統率した川瀬賢太郎の指揮は、スコアの細部に目を配りながら、細川の音楽の一貫した息遣いを見事に捉えて間然することがない。川瀬の指揮の下、広島交響楽団のメンバーも、緊密なアンサンブルで、細川の音楽の凄まじいまでの強度を余すことなく伝えていた。その演奏には、細川の音楽への深い理解が滲み出ている。なかでも、フルートとクラリネットの奏者、それに打楽器奏者は、さまざまな楽器の音色を細やかに使い分けながら、細川の音楽の書の線としての動きや、それを貫く緊張を見事に響かせていた。

歌手のなかでは、16年前の日本での上演でもリアの役を歌ったマレク・ガシュテッキが、傑出した歌唱を示していた。彼の低い声の力もさることながら、それとリアの狂気を表わすファルセットのあいだを、音程のない語りなどを交えつつ間断なく行き来して、一つの歌を聴かせる力には目を見張るものがあった。何よりも、コーディーリアの遺骸を前にした最後のモノローグは、人間の愚かさがもたらした一つの世界の破局を圧倒的な力で突きつけながら、それに対して聴衆の眼を開くものだった。竹の棒に付いた羽飾りを揺らす姿が象徴するように、父から継承した王国を弄ぶように策を弄し、それにみずから陥っていくリアの上の二人の娘の役を歌った、藤井美雪と半田美和子の歌唱も特筆に値する。ゴネリル役を歌った藤井は、深い、安定感のある声で、この長女の底意地の悪さとして表われる、父親や妹に対する複雑な思いを、見事な存在感で示していた。また、リーガンの役を歌った半田が、澄んだ声と繊細な表現、そして時に見せる突き刺すような叫びで、気性の激しいこの次女の心情の起伏を、その襞を含めて余すところなく伝えていたのも感銘深かった。

この三人以外のほか、エドガー役を歌った山岸玲音も忘れがたい。狂気を装いながら、父グロスターへの愛情を隠すことができない、しかも矜恃を持って生き抜こうとする姿を、声の音色を細やかに使い分けながら、またしなやかな身体表現とともに演じていたのが印象に残る。エドガーの思いがグロスターに通じたかのように、両目を潰された彼がエドガーに促されながら死から生へ向きを変える瞬間には、現実の世界で人々が体験しつつある破局のなかの微かな希望が閃いているのかもしれない。コーディーリアの役を歌った柳清美も、澄みきった、しかも力強い声で、この末娘の一途さを見事に伝えていた。彼女がずっと能舞台の橋掛かりに佇む姿は、世界の崩壊を静かに見つめる今回の舞台の眼差しを象徴しているようにも思えた。他の歌手たちも、舞台をしっかり引き締めていた。

二回の公演を観たが、初日よりも楽日の演奏のほうが闊達で、音楽にも奥行きが生まれていたように思われたが、そのぶんいくつか綻びが生まれていたのが惜しまれる。とはいえ、全体として、細川の最初のオペラであり、かつ劇的な緊張が他のどのオペラよりも際立つ《リアの物語》を、音楽の強度を発揮させつつ、能に触発されたその美質を、能舞台に生かすかたちで広島で上演できたことには、画期的な意義があると考えられる。この《リアの物語》ではしばしば、強烈な打撃音によって時の流れが断ち切られる瞬間から歌が響き始めるが、細川が「垂直的な時間」と呼ぶその瞬間は、能舞台においてはまさに生者の世界の裂け目であり、また死者の魂が幻となって回帰する間でもある。もしかすると、そこには70年前の広島で世界の崩壊のただなかに置かれた魂が回帰していたのかもしれない。観客のなかには、風のような響きのなかに、嘆く声のような音を聴いた人もいたと聞く。今回の広島での《リアの物語》の公演は、世界が崩れ落ちていくなかに強い歌を響かせることで、死者の魂と生者の魂が共鳴し、応え合う時空を、死者とともに生きる場として開くという、この節目の年の芸術的表現の可能性を指し示すものでもあったと思えてならない。

Hiroshima Happy New Ear Opera II:細川俊夫《リアの物語》公演flyer

Hiroshima Happy New Ear Opera II:細川俊夫《リアの物語》公演flyer

[上記のように、2015年1月30日と2月1日にアステールプラザの能舞台を使って行なわれた、Hiroshima Happy New Ear II:細川俊夫《リアの物語》の公演を、主催組織であるひろしまオペラ・音楽推進委員会の委員の一人として、プログラム・ノートを執筆し、日本語字幕の制作に携わり、プレ・トークとアフター・トークの司会を務めるかたちでお手伝いさせていただきました。こうしたかたちで今回の公演に関わることができたことを、非常に光栄に思っています。このような立場ではありますが、今回の公演に接して率直に考えたところを書き留めておいた次第です。来場してくださった方々が公演を振り返る際の一助になれば幸いです。文中の敬称は省略しました。]

広島での細川俊夫《リアの物語》公演のお知らせなど

Hiroshima Happy New Ear Opera II:細川俊夫《リアの物語》公演flyer

Hiroshima Happy New Ear Opera II:細川俊夫《リアの物語》公演flyer

早いもので、1月も半ばを過ぎました。原稿執筆に追われたこの半月でした。仕事の一つは、ある事典のためのヴァルター・ベンヤミンについての大項目の原稿の執筆で、彼の哲学を「経験」をキーワードに、以前に書いた中央公論新社の『哲学の歴史』第10巻所収の拙稿とは異なった角度から紹介する内容となりました。こちらは年内にはお届けできるものと思います。もう一つの仕事は、Hiroshima Happy New Ear Operaの第2回公演として行なわれる、細川俊夫さんのオペラ《リアの物語》の公演のプログラム・ノート。この細川さんの最初のオペラの原題が“Vision of Lear”であることに着目しつつ、これが能の精神からの新たなオペラの誕生を印づける作品であることを指摘する内容のものを書きました。その公演の初日まで二週間を切りましたので、広島での《リアの物語》の公演のことを、ここでもお知らせしておきます。

2012年1月の細川さんの《班女》の公演に続くHiroshima Happy New Ear Operaの第二回の公演として、《リアの物語》が1月30日(金)と2月1日(日)に広島市のアステールプラザ中ホールで上演されます。この作品の16年ぶりの日本での上演となります。2年前の《班女》と同様、能舞台を使って上演されるのが、何よりも注目されるところでしょう。細川さんが、能の精神に深く根差しながら、独自の音楽でシェイクスピアの『リア王』の核心に迫った最初のオペラ、そして従来の「オペラ」を超える新しいオペラが、この能舞台でどのように響くか、期待が膨らみます。また、能にインスパイアされつつ振り付けや舞台演出を続けてきたルーカ・ヴェジェッティさんによる演出も、能舞台を、そして能のさまざまな特性をフルに生かして、登場人物たちの魂を舞台に浮かび上がらせることでしょう。

リア役を歌うのは、欧米の数々の劇場で活躍するマレク・M・ガシュテッキさん。また、リアの三人の娘の役を歌うのは、《班女》で素晴らしい歌を聴かせた藤井美雪さんと半田美和子さん、そしてひろしまオペラルネッサンスで目覚ましい活躍を示している柳清美さんです。この四名をはじめ、いずれも実力ある歌手たちがキャストを務めるのも、期待をいっそう高めます。昨秋のモノドラマ《大鴉》の公演で素晴らしい指揮を見せた、川瀬賢太郎さんが指揮する広島交響楽団の演奏も聴き逃せません。1月30日が19時開演、2月1日が14時開演です。全国からこの《リアの物語》の公演にお越しくださることを願っております。満場の聴衆とともに、日本からの新たなオペラの可能性が開ける瞬間を見届けたいと思います。

最後に、本ウェブサイトに、別のウェブログに掲載していた書評のいくつかを、過去の資料の確認も兼ねて転載しておいたことをお伝えしておきます。すでに10年近く前に書いたものですから、今となっては拙いところが目立ちますが、2005年の後半から翌年にかけて、かなり集中的に読みつつ考えたことが、現在に至る思考の骨格を形成していることを、あらためて顧みたところです。少し舞台裏を明かしているところもあるかもしれません。また、ポツダムでの研究滞在を終えて帰国したところで被爆と敗戦から60年目の年を迎え、何とかしなければ、という思いが強かったのも確かです。被爆と敗戦から70年となる今年、先の戦争を引き起こした要因が未だ精算されないなか、原爆に遭った人々の思いを踏みにじるかたちで核の脅威が広がろうとしている歴史的な流れに対峙しながら、被爆の記憶を継承することの現在的な、そして世界的な可能性を探らなければ、と考えつつあるところです。