ベルリン通信X/Nachricht aus Berlin X

バージョン 2

ベルリン郊外の冬の夕暮れ

ベルリンに長く住んでいる人々から聞くかぎり、今年の冬は例年に比べて穏やかなようです。年によっては、気温が氷点下20度ほどまで下がる日が続くようですが、たしかにそのような日を体験することはありません。それでも、冷え込む日には氷点下10度ほどまで気温が下がることがあります。そのような夜に外を歩くと、風が頬を刺すようです。そして、次の朝には水たまりがすっかり凍っています。それから、時々娘を遊びに連れて行く近所のリリエンタール公園では、オットー・リリエンタールが飛行実験を行なった丘の前の浅い人工池も、その傍らにある大きくて深い池も、本格的な冬の訪れ以来、凍ったままになっています。

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リリエンタール公園の凍った人工池

凍った池では、子どもたちがよくスケート遊びを楽しんでいます。スティックとパックを持って来てアイスホッケー──こちらで最も人気のあるウィンター・スポーツの一つです──に興じている子どももいます。どうやらベルリンでは多くの子どもが、靴をはじめスケート道具を一式持っているようです。娘も一度、友達に道具を貸してもらってスケートを楽しみました。スケート靴をぶら下げた子どもに夕方のバスで出くわすこともしばしばです。夏は湖で泳ぎ、冬は凍った湖面を滑って遊ぶというのが、ベルリン子たちの水との親しみ方なのかもしれません。そう言えば、雪の残る街路を木製の橇に乗って──両親に橇を引いてもらって──行く小さな子どもも見かけます。

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凍ったリリエンタール公園の池

2月を迎えて、ベルリンでの滞在期間がいよいよ残り少なくなってきました。現在、今回の研究滞在の大きなテーマである〈残余からの歴史〉の概念について、ここまでの研究にもとづいて考えられるところを短めの論文にまとめながら、引き続き文献研究にも取り組んでいるところです。1月には、あらためてベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』とそれに関連した文献に取り組んでいました。その過程で、彼の生前に公刊された最も大規模な著作であるこの書が、彼の言語哲学、美学、歴史哲学を凝縮させているのみならず、彼の「迂路」としての方法論を、彼の思考を貫くものとして暗示していることなどを、あらためて考えさせられました。また、今後展開されるべき問題系への糸口がそこにあるという感触も得たところです。

本当はベンヤミンのバロック悲劇論のみならず、アドルノのいくつかの著作にも腰を据えて取り組みたかったのですが、1月は依頼された原稿の執筆や来学期の講義の概要の準備などに追われ、そのために時間を確保することができませんでした。アドルノの音楽論には、遠からず向き合わなければと考えています。そのようななか、1月にはごく短い原稿を一つ発表させていただきました。原爆の図丸木美術館ニュースに、「ミュンヒェンの芸術の家に掲げられた《原爆の図》──Haus der KunstのPostwar展における第二部《火》と第六部《原子野》の展示について」という短いエッセイを載せていただきました。昨年10月に見たミュンヒェンのHaus der KunstにおけるPostwar展に丸木夫妻の《原爆の図》より副題にある二部が展示されたことを報告し、展覧会の概要を含めて論評しながら、戦争の衝撃が美術そのものを変えたことを世界的な規模で展覧するPostwar展における《原爆の図》の重要性に触れるとともに、その実際の展示の様子、そして展示の意義を論じる内容のものです。

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ハンブルク大学での「少年口伝隊一九四五」上演のフライヤー

1月21日には、ハンブルク大学のアジア・アフリカ学科で行なわれた井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の日本語での舞台上演を観ました。学生たちが一学期をかけてこの戯曲のテクストに取り組んだ成果を示す今回の日本語上演は、熱のこもった素晴らしいものでした。広島弁の台詞を含め、俳優たちが言葉をしっかりと自分のものにして語っているのがひしひしと伝わってきました。また、原サチコさんの演出もとても工夫されていて、この作品の舞台上演の可能性を示していたと思います。これらが相俟って、井上ひさしがこの戯曲で、被爆後のきわめて困難な状況のなかで一人ひとりが生きること、そして死に追いやられることを、歴史のなかにしっかりと浮き彫りにしていることが伝わってきました。権力者が馬鹿馬鹿しい号令を発するなかで、自分の頭で考えることを止めずに死者たちの希望も担いながら生きることを説く「哲学じいさん」の言葉は、まさに今に語りかけるものでしょう。その役の熱演はとくに印象に残りました。

広島で1945年に起きたことを問いかける言葉を体を張って届けてくれたハンブルクの学生たちと原さんはじめ関係者のみなさんに、心から感謝しています。舞台に掲げられ、要所にプロジェクターで投影された四國五郎の絵も、場面を印象づける役割を果たしていました。なお、この上演には、ハノーファーに留学している広島市立大学の学生も、何人か観に来てくれました。そこで得られた刺激を広島へ持ち帰り、この経験を、ともに平和を考える関係を海を越えて築いていくきっかけにしていただきたいとも願っているところです。私も井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」は、何らかのかたちで広島での教育に導入したいと考えています。

ところで、1月にはいくつかの感銘深い演奏会を聴くことができました。なかでも、13日に聴いたイヴァン・フィッシャー指揮のコンツェルトハウス管弦楽団によるマーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」の演奏は、忘れられません。その五つの楽章が、挙げて死の沈黙からの生命の蘇りへ向かっていることを、微視的にも巨視的にも深く感得させる演奏だったと思います。19日に聴いた、ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会では、音楽自体の構成にもとづく深い充実感を味わわせてくれるブラームスの交響曲第1番ハ短調の演奏を聴けました。9日に聴いたシュターツカペレ・ベルリンの演奏会では、ダニエル・バレンボイムがモーツァルトの「戴冠式」協奏曲で、彼のピアノの健在ぶりを示していました。23日に聴いたジョルディ・サヴァールが率いるエスペリオンXXIとアンサンブル・テンベンベ・コンティヌオの演奏会は、歴史に翻弄された人々の故郷と異郷での生活のなかにこそ、音楽が息づいていることを、音楽そのものの喜びとともに振り返らせてくれる素晴らしい演奏会でした。29日にフィルハーモニア弦楽四重奏団の演奏会で、ベートーヴェンとショスタコーヴィチの第15番の弦楽四重奏曲を間然するところのない演奏で聴けたのも、非常に幸運だったと思います。

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劇団らせん舘の公園が行なわれたBrotfabrik

1月には、先に触れた井上ひさしの戯曲の上演も含め、演劇の公演も少し観ました。1月6日には、ベルリンに拠点を置きながら、多言語的な演劇の創作を続けている劇団らせん舘による„Etüden im Schnee: Eisbärin Toska“の公演を観ました。昨年クライスト賞を受賞した多和田葉子さんの小説『雪の練習生』(新潮社)のドイツ語版を基にした舞台で、「多和田さんが書いた言葉を非常に大事にして、言葉そのものが含み持つ動きや広がりを、最大限に生かそうとする姿勢が伝わる温かい舞台でした。20日には、ベルリナー・アンサンブルでのビュヒナーの「ヴォイツェク」の上演を観ました。レアンダー・ハウスマンの演出は、設定を現代の軍隊に読み替えたもの。流れる音楽などからアメリカの軍隊のことが念頭にあると思われますが、舞台を見ていて、沖縄などに駐留しているアメリカの海兵隊のことが、またその兵士の暴力に晒される駐留地の人々のことが頭から離れませんでした。

このように、音楽と言葉が今に息づいているベルリンから離れなければならないのは非常に名残惜しいのですが、そろそろ帰国の準備に取りかからなければなりません。本当は、さまざまな文献が揃っているベルリンの環境で進めなければならない研究がまだまだあるのですが、ひと区切りをつけて広島へ戻り、そこから今発言しなければならないことを見定めていくことが課せられていると感じています。心残りなことばかりですが、遠からずまたベルリンに短期間でも滞在して、研究の材料を蒐集したいと考えているところです。月末には、こちらで出会った素晴らしい友人が、心のこもった送別会を催してくれました。この友人をはじめとして、それぞれの仕事や学究に真摯に取り組んでいる友人たちに出会えたことは、何ものにも代えがたい喜びです。友人たちとの関係のなかで経験できたこと、あるいはカフェでの会話のなかで気づかされたことを、帰国してからの仕事のなかでしっかりと生かさなければと思っています。

フルトヴェングラーの影──ベルリンでの三つの演奏会を聴いて

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旧フィルハーモニーの椅子

現在、ベルリンのフィルハーモニーのロビーでは、「旧フィルハーモニー──ベルリンの神話」展が開催されている。演奏会の開演前や休憩時間には、多くの聴衆が、唯一残された旧フィルハーモニーの客席の椅子を含む、そこでの演奏会や催しの活況を伝える展示に見入っていた。写真を見ると、素晴らしい音響を誇っていた──そのことは、1940年代の録音からも充分に伝わってくる──このホールで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会やフリッツ・クライスラー、パウ・カザルスといった著名な音楽家を迎えての演奏会のみならず、コメディアンのショーに舞踏会、さらには政治集会──ドイツ共産党の大会も行なわれている──も開催されていたことがわかる。

このように、ナチス・ドイツの敗戦以前のベルリンにおいて、音楽の拠点としてのみならず、社交の中心としても機能していたベルンブルガー通り──かつてベルリンの主要駅の一つだったアンハルター駅の近く──の旧フィルハーモニーは、1944年1月30日の空襲で完全に破壊されてしまった。その廃墟の写真を見ながら、今まさにロシアの軍事的な支援を受けたシリア政府軍によって徹底的に破壊されているシリア東部の街アレッポのことを思わないわけにはいかなかった。この街では、ほぼ完全に封鎖された状態で住民が日夜攻撃に晒され、子どもを含むおびただしい非戦闘員が犠牲になったと聞く。家屋のみならず、多くの病院や学校も破壊された様子は、ドイツでは繰り返しニュースで伝えられていた。

このようなアレッポの状況が心配で、先週はなかなか音楽を聴こうという気にはなれなかったのだが、結果的には三度、旧フィルハーモニー展が開かれている現在のフィルハーモニーに通うことになった。いずれの演奏会も、ベルリンにおいてのみならず、世界的に重要な指揮者たちの現況を知る鍵となる演奏会と思われたからである。聴いたのは、12月12日のダニエル・バレンボイム指揮によるシュターツカペレ・ベルリンの演奏会、12月14日のインゴ・メッツマッハー指揮によるベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会、そしてクリスティアン・ティーレマン指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会である。いずれの演奏会でも、これらの指揮者が今抱いている音楽が十全に鳴り響いた演奏を聴くことができた。

バレンボイムが指揮したシュターツカペレの演奏会では、スメタナの連作交響詩《わが祖国》が取り上げられた。少なくとも、彼がこの作品のスタジオでのレコーディングを行なったことはないはずである。この時期に彼が満を持して臨んだ今回の《わが祖国》の演奏であることは、曲を完全に手中に収めた彼の指揮から伝わってきた。驚かされたのは、第1曲の「ヴィシェフラド」の冒頭からして、相当に大きくテンポを揺らしながら、波打つような曲の流れを形づくっていたこと。第2曲の「ヴルタヴァ」のよく知られたテーマも、けっしてルーティンに流れることなく、胸中に鬱積した思いがフレーズの頂点から流れ下るように歌わせていたのが印象に残る。この曲と第4曲「ボヘミアと森と草原より」で聴かれる、舞踊のリズムと一体になった旋律にしても、バレンボイムは、細かくテンポを動かしながら、独特の活気をもって歌わせていた。

この日のバレンボイムの指揮で、素晴らしいと思われたのが、こうしたテンポの変化が、ほとんど恣意的に感じられなかったこと。「ヴィシェフラド」から「ヴラニーク」に至る大河のような有機的な流れを形成するものとして、テンポの動きが存分に生かされていた。同時に「シャールカ」や「ボヘミアの森と草原より」などで聴かれる追い込みには、他の演奏では聴いたことのない勢いがあった。とりわけ「ヴラニーク」の終わりに、「ヴィシェフラド」のテーマをはじめとする他の曲の旋律が回帰し、万感を込めて歌われた後、曲の終わりへなだれ込んでいく一節には、凄まじいまでの求心力があった。他方で、「ヴルタヴァ」の神秘的な旋律や、「ターボル」でフス派の聖歌がコラール風に歌われる一節は、もう少し時間を取って歌わせてほしいとも思ったのだけれども。

若い頃のバレンボイムの指揮は、彼が少年時代にその薫陶を受けたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの亜流と揶揄されることもあったが、《わが祖国》の演奏を聴いて、バレンボイムの音楽は、作品を貫く有機的なダイナミズムを、バレンボイム独自の解釈で徹底的に抉り出すかたちで、フルトヴェングラーの精神を受け継ぐに至っていると感じた。そのような彼の音楽を、シュターツカペレ・ベルリンは、ほぼ余すところなく響かせていた。「ボヘミアの森と草原より」の冒頭のむせ返るような響きは忘れられない。

メッツマッハーが古巣のベルリン・ドイツ交響楽団──彼は2007年から2010年までこのオーケストラの音楽監督を務めていた──に帰っての演奏会で取り上げられたのは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《ミューズの神を率いるアポロ》とブルックナーの交響曲第4番変ホ長調《ロマンティック》。メッツマッハーはまず、とかく単調になりがちなストラヴィンスキーの新古典主義的な作品に内在するダイナミズムを引き出し、静と動のメリハリの利いた、同時に身体的な動きを感じさせる《ミューズの神を率いるアポロ》の演奏を繰り広げていた。とくにリズミックな曲の躍動は、この作品が《春の祭典》のような作品を書いたのと同じ作曲家の手によるものであることを思い出させた。

この日の演奏会において素晴らしかったのは、メッツマッハーのブルックナー解釈。全体的にやや速めのテンポを基調としながら、この《ロマンティック》交響曲において特徴的な、豊かな歌と、その背景をなす鬱蒼とした奥行きの双方を、けっして響きの透明感を損なうことなく鳴り響かせていた。それによって、それぞれの旋律の流れを形成する対位法的な動きが明瞭に浮かび上がると同時に、響きの風景とでも言うべきものが立ち上ってくる。ブルックナーの第4交響曲が、何故に「ロマンティック」と称されるのかを、音楽的に得心させるメッツマッハーの解釈だったと言えよう。ベルリン・ドイツ交響楽団も、非常に完成度の高い演奏でそれに応えていた。

メッツマッハーの解釈でもう一つ特徴的だったのは、各楽章全体の構成を有機的な流れにおいて見通しながら、各楽節の流れと楽節間の移行を繊細に、かつ自然なテンポの動きを伴いながら響かせていたこと。それによって、冒頭のホルンのテーマから、そのテーマが巨大な建築のなかで鳴り響くに至る一貫した流れが形成されていた。もちろん、響きの力感と勢いもけっして欠けておらず、例えばスケルツォでは、森を駆け抜けるかのように速いテンポのなかで、金管楽器のリズミックな音型が、力強く、かつ明確に響いていた。そこからほぼアタッカで続けられたフィナーレで聴かれる、トゥッティのユニゾンの壮大さも忘れがたい。この日の演奏においては、《ロマンティック》交響曲の難所とも言うべきコーダの演奏も成功していた。深沈とした響きが巨大な音響空間を形成するに至る流れを、メッツマッハーの解釈は見事に建築していた。

ティーレマンがブルックナーの交響曲を指揮するのには、一度だけ接したことがある。2010年3月27日にアクロス福岡で行なわれたミュンヒェン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で、ブルックナーの交響曲第8番ハ短調を指揮するのを聴いている。この演奏の際に少し気になった、曲の大きさを演出しようとするダイナミクスの不自然な細工や、持って回ったような音楽の運びが、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮しての交響曲第7番ホ長調の演奏からは、ほとんど感じられなかった。悠揚迫らぬテンポの運びは従前の演奏と変わらないながら、そこに自然な流れが加わったのは、ティーレマンの解釈の深化を示すものと思われる。全体的に、ノーヴァク版の楽譜に書き込まれたテンポの変化を、雄大な流れのなかに生かした演奏と言えよう。

この日の演奏で最も感心させられたのは、ティーレマンの指揮に力みが感じられなかったこと。それによって、第1楽章の第三主題がクライマックスに至る箇所や、フィナーレで全楽器が複付点リズムを刻む一節などで、かえって大きな響きの空間が開かれていた。また、アダージョの第二主題が、アクセントの後で少し音を抜くように奏されていたのも印象的だった。それによって、逆に深い息遣いが響いていたし、クライマックスへ至る大きなクレッシェンドにも、噛みしめるような味わいが生まれていたのではないか。テンポの変化も自然かつ効果的で、とくにスケルツォのアッチェレランドには強い求心力があった。さらに、第2楽章とフィナーレでは、はっとさせられるようなゲネラルパウゼも聴かれた。その後に響いた柔らかな旋律の美しさは忘れられない。フィナーレにおける歌謡的な第二主題の再現からコーダに至る壮大な流れは、ティーレマンの音楽の充実ぶりを示すものと言えよう。欲を言えば、曲全体のもう少し自然な流れを、第7交響曲からは聴きたかったところである。

この日のベルリン・フィルハーモニーの定期演奏会で、ある意味でブルックナーの演奏よりも味わい深かったのが、ルドルフ・ブッフビンダーを独奏に迎えてのベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調の演奏。華麗さからはほど遠い、どちからと言うと朴訥にリズムを刻みながら、フレーズのニュアンスを繊細に響かせるブッフビンダーのアプローチが、ティーレマンのごつごつとしたところのある音楽作りと見事にマッチして、作品のハイドン的な側面が最大限に引き出された演奏となった。第2楽章の味わい深い歌も、機知と曲の構成への洞察に満ちたフィナーレのロンドも実に感銘深かった。ブッフビンダーがとくにロンドで、楽節ごとにテンポとタッチを明確に区別していたのも印象的だった。

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破壊された旧フィルハーモニー

これらフィルハーモニーでの三つの演奏会を聴いて感じたのは、ベルリンでは今も、1920年代からその破壊に至るまで旧フィルハーモニーの中心にいたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの精神が生きていることである。彼が指揮した演奏で特徴的な、聴き手の胸を摑んで拉し去るほどの求心力を持ったテンポの動き──とくにアッチェレランド──は、作品を貫く有機的なダイナミズムを読み抜き、それを即興性をもって響かせるところに生まれていることは、あらためて言うまでもないことだろう。敢えてひと言で表わすなら、彼は時間芸術としての音楽の内的な生命を、音楽する瞬間の自由において響かせようとしたのだ。そのようなフルトヴェングラーのアプローチを、バレンボイム、メッツマッハー、ティーレマンといった指揮者が、それぞれに見直していることを、テンポを細かく、そして時に大胆に動かしながら、音楽作品の生命に迫ろうとする演奏から感じないわけにいかなかった。

とりわけブルックナーの演奏において、ギュンター・ヴァントの解釈に代表される、静的な運びのなかで音楽を建築するアプローチ──とくに日本におけるブルックナー像を決定したアプローチ──よりも、フルトヴェングラーが示していた動的に有機的な流れを響かせるアプローチが、指揮者たちのあいだで見直されつつあるのが興味深い。イヴァン・フィッシャーが、コンツェルトハウス管弦楽団を指揮してのブルックナーの第7交響曲の演奏(9月7日)において、ティーレマンとは対照的な全体の運びながら、かなり大胆にテンポを動かして、それぞれの旋律に内在するダイナミズムを抉り出していたのも印象に残っている。このようなブルックナーの解釈の潮流の変化が何を意味するのかは、古楽の演奏や現代の作曲家の音楽の動向も視野に入れつつ、広い文脈のなかで考察されるべき要素を含んでいるように思われる。

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バレンボイム゠サイード・アカデミーの内部の展示

ところで、最近ベルリンでは、フィルハーモニーでの演奏とは違ったかたちでフルトヴェングラーの精神を継承するものとも見られる動きがあった。 12月8日の夜には、現在改修中の州立歌劇場の建物の裏手に、ベルリンの新しい演奏会場ピエール・ブーレーズ・ザールとともに建設されたバレンボイム゠サイード・アカデミーの公式オープニングのセレモニーが行なわれたのである。ウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラをはじめとする場所で活躍する若い音楽家たちの全人格的な育成の場が、ベルリンの地に設立されたことになる。このオーケストラをバレンボイムとともに創立した比較文学者のエドワード・W・サイードも、幼年期にカイロで、フルトヴェングラーが指揮するベルリン・フィルハーモニーの演奏を聴いており、それがサイードにとっての音楽の原体験であったという。そのようなサイードとバレンボイムの思想が、若い音楽家の育成にどのように生かされるか、注目されるところである。人間関係を含めてばらばらに崩壊してしまったシリアの地に、人々の魂を呼応させ、背景の異なる人々を再び結びつけるきっかけをもたらす力を持った音楽家が、このアカデミーから育つことを願ってやまない。

ベルリン通信VIII/Nachricht aus Berlin VIII

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リリエンタール公園にて

ベルリンでは木々の葉が落ちて冬の気候になってきました。11月はすっきりと晴れる日が何日もあって嬉しかったのですが、そのような日の夜には気温が氷点下5度ほどまで下がります。翌朝は空気が痛いくらいに冷たいですし、池の水も凍っています。しかし、そのような寒い朝に道を歩くのは、けっして嫌いではありません。何よりも気持ちが引き締まりますし、心なしか頭がすっきりするような気もします。とはいえ、しっかり着込むことは欠かせません。マフラーと手袋も手放せなくなってきました。長いドイツの冬の到来です。

さて、11月も論文などを書いているうちにあっという間に過ぎて行きましたが、それにしてもこのひと月は、いろいろなことが起きました。その一つとしてアメリカ合衆国の大統領選挙のことを挙げなければと思いますのは、今から12年前にポツダムで4か月だけ在外研究を行なったときにも、アメリカの大統領選挙の帰趨をドイツのメディアをつうじて見ていたからです。小ブッシュがアル・ゴアに対する怪しげな勝利を収めたあの選挙です。その時は選挙から一夜明けて愕然とさせられましたが、それから12年後の今回は、衝撃を受けるというよりも、このような人物が選ばれる現実を前にして胸苦しい気持ちになりました。

メキシコとの国境に移民の流入を防ぐフェンスを設けようと公言したり、ムスリムの入国禁止方針を打ち出したりした人物がアメリカの次期大統領に当選してしまったことによって、まずは、ドイツ国内ではAfD(ドイツのための選択肢)が代表するような、あるいは周囲の国々ではフランスの国民戦線、ハンガリーやポーランドの現政権などに代表される排外主義的なポピュリズムが勢いづくことが懸念されます。その懸念は、ドイツではすぐに各メディアで次々に表明されていました。それと同時に、オクスフォード辞典が今年の言葉に選んだのが、“post-truth”であったことが示すように、大声で大勢の感情に訴えれば──インターネット上のソーシャル・メディアは、まさにそのことを可能にするメディアでもあるでしょう──、どんな嘘であってもまかり通ってしまうようになることが危惧されます。また、それとともに真理を追求する知の営みに対する冷笑が伝染し、作られた感情でしかない「本音」が、他者への攻撃性を剝き出しにしながら公的空間を喧騒で覆うようになれば──それは、とくにインターネット上ではつとに広がっている問題ですが──、きわめて息苦しい、そして声を持ちえない者たちにとっては生きること自体も非常に困難な時代が訪れることになります。

41cbey-9uml-_sx298_bo1204203200_こうした時期に、みずからの知性をもって知を探究するところに啓蒙を見るカントの議論を戦後のドイツであらためて検討し、ナチズムの問題を掘り下げるところに、「アウシュヴィッツ以後」の「自己陶冶」としての教育と文化の可能性を模索するアドルノの『自律への教育』(原千史他訳、中央公論新社)を学生と読んでいる──ちなみに、ゼミは在外研究中もSkypeを使って続けています──のも、何かの巡り合わせでしょう。本書の冒頭には、「民主主義に抗してファシズム的傾向が生きながらえることより、民主主義の内部に国民社会主義(ナチズム)が生きながらえることのほうが、潜在的にはより脅威だ」という認識の下、「過去の総括」とは、ナチズムを含めた過去の問題を現在の自分自身の問題として正視することであると論じる「過去の総括とは何を意味するのか」という、とりわけ日本で振り返られるべき講演が収録されています。

そして、「過去の出来事の原因が取り除かれた時初めて、過去は総括されたのだと言ってもよい」と結ばれるこの講演に続いては、「哲学と教師」という、これも「教養」と「教育」の概念を考えるうえできわめて重要な──それゆえ、大学の関係者にはぜひ一読してほしい──講演が収められていますが、そのなかには、まさにこの“post-truth”の時代にに語りかけているかに思える一節があります。「『知識人』という表現が国民社会主義によって信用を失墜させられたことは、私にはかえってその表現を肯定的に受け取る理由にしか思えません。自己省察の第一歩とは、蒙昧をより高い徳と見なさないことや啓蒙を馬鹿にしないことではなく、むしろ知識人排斥の扇動──それがどのように偽装されたものであろうとも──に対して抵抗することです」(42頁)。とても残念なことに、アドルノの『自律への教育』の日本語訳は、今年から品切れ状態で、一般の書店での入手が難しくなっているのですが、例えばエドワード・W・サイードの『知識人とは何か』(大橋洋一訳、平凡社ライブラリー)と照らし合わせながら、今あらためて読み直されるべき一書かと思われます。

ところで、秋が学会シーズンだというのは日本もドイツも同じで、私もいくつかの学会や研究会合に足を運んで講演などを聴きました。初日しか行けなかったのですが、興味深かったのが、ベルリン文学・文化研究センターの研究会として開催された「理論゠歴史を書く──何を目的に、どのように、そして誰のために?」というテーマの学会で、そこでは理論ないし理論形成そのものの歴史化、さらには歴史的な文脈における再検討の可能性ということがテーマになっていました。今日の人文学研究の潮流を反映したテーマかもしれません。なかには、戦後ドイツにおける「哲学」という「学問分野」の形成過程を考察の対象としながら、あらためて理論としての哲学の位置と意義を探る講演もありました。このような問題設定そのものは、こと哲学に関して言えば、思想の内実を離れてエピソード的な事実の集積に流れてしまう危険性も帯びていますが、同時代の状況のなかに浮かび上がる哲学者の歴史意識は、私自身の問題意識からしても興味深いところです。

なかでもアドルノの同時代に対する批判的な問題意識が、一貫して音楽作品に関する批評的な言説をつうじて表明されていることを辿り、アドルノの歴史意識に迫ろうとする講演を興味深く聴きました。この点が、晩年のアドルノにまで当てはまるかどうかに関しては検討の余地があるかもしれませんが、講演のなかで引用された彼の音楽論の言葉を辿ると、彼の歴史意識が、時折ハイデガーが人間存在の歴史性を論じる文脈で用いている概念を批判的に引用しながら表現されているように見えます。思えばハイデガーとの対決は、1930年代初頭以来、アドルノの哲学的思考のテーマの一つでした。ちなみに、こうしたことが気になったのも、ちょどベンヤミンの歴史哲学とハイデガーの歴史論を対照させた以前の論文を見直していたからでした。

51fwl3vou1l11月上旬には、現代を代表する作曲家の一人である細川俊夫さんが、ご自身の半生と作曲活動の軌跡を、創造の核心にある思想とともに語った対談書の日本語版の刊行へ向けた、校正や巻末資料の準備といった作業を終えることができました。すでに別稿に記しましたように、拙訳による日本語版は、『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』の表題で、アルテスパブリッシングより刊行されます。12月12日に各書店で発売されますので、お手に取っていただければ幸いです。音楽を愛好する方々に音楽そのものを深く考えさせる一冊として、あるいは作曲を志す方々に刺激と示唆を与える一冊として、多くの方に読んでいただけることを願ってやみません。人間と自然の関わりを、そこにある生の息吹を響かせる芸術の力を深く考えさせる内容を含んだ一書と考えております。

11月の26日と27日には、広島市のアステールプラザにて、ひろしまオペラルネッサンスの今年の公演が開催され、プッチーニの「三部作」より、《修道女アンジェリカ》と《ジャンニ・スキッキ》が上演されましたが、この公演のプログラムに、「生がその全幅において肯定される場を開くオペラ」と題したプログラム・ノートを寄稿させていただきました。プッチーニが「三部作」の作曲に際してダンテの『神曲』を意識していたことに着目しながら、プッチーニのオペラの独自性に迫ろうとする内容のものです。それから、11月29日には、すでに日本語で書いた論文の原稿をドイツ語に訳して、お世話になっているベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウムで発表する機会にも恵まれました。やはりディスカッションには多くの課題を残しましたが、論文の趣旨を深く理解して、それを現在の、それこそ”post-truth”的状況に生かすうえで考えるべき問題を指摘したコメントが得られたのは収穫でした。

シーズン真っ盛りの11月は、かなりの数の演奏会やオペラの公演に足を運びました。故パトリス・シェローの演出による州立歌劇場でのリヒャルト・シュトラウスの《エレクトラ》の公演と、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会は、本当に忘れられないものとなりました。また、ベルリン・ドイツ・オペラでのマイアベーアの《ユグノー教徒》の上演は、多くのことを考えさせるものでした。これらについてお伝えするとなると、かなり長くなってしまうので、場を改めてということにさせていただければと思います。これらとともに印象に残ったのが、イヴァン・フィッシャーの指揮によるベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の演奏会でした。11月に二度聴いたその演奏会はいずれも、今ベルリンで聴くべきコンビがここにあることを、音楽を聴く喜びとともに実感させました。なかでもベートーヴェンの交響曲第4番とシューベルトの交響曲第5番の演奏は、楽譜に書かれた音の潜在力を、しなやかな歌心をもって発揮させていました。清新でかつ充実した内容の演奏を繰り広げる両者の協働が長続きしないのが非常に残念ですが、イヴァン・フィッシャーが指揮するコンツェルトハウス管弦楽団の演奏会を聴けることは、今ベルリンに滞在していて最も幸せに思えることの一つです。

今回は最後に、一つ美術の展覧会をご紹介しておきます。ハンブルク駅現代美術館に改装中のNeue Nationalgalerieの作品の一部を展示するために設けられているNeue Galerieでは、現在「ヒエログリフ」と題するエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー展が開催されています。キルヒナーは、好きな画家の一人なので見に行きました。スペースの関係で絵画の出品数は少ないのですが、ダヴォス時代の作品を含めて興味深い作品がいくつか並んでいます。もちろんあの《ポツダム広場》も架かっているのですが、それとともに面白いのは、この大作のために彼が残した、きわめて簡潔に身体像を捉えるスケッチが展示されていることです。「ヒエログリフ(象形文字)」というのは、キルヒナー自身が、身体の動き──彼は一貫して舞踊などの身体表現に強い関心を持っていました──を平面上の輪郭線に翻訳する際に用いていた、彼独特の素描言語を表わす概念とのこと。その広がりが、デッサンのみならず、舞踊の様子を収めた写真などにも見て取られているのが、今回の展覧会の特徴と言えるかもしれません。また、その言語の形成に、カール・アインシュタインのアフリカの彫刻についての書物などに触発されたアフリカの美術への関心も深く関わっていることも、展示から伝わってきます。

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ジェンダルメンマルクトにて

ともあれ、ヒエログリフとしてのデッサンを見ることをつうじて、《ポツダム広場》の画面から、街路を行き交う人の動きがさらに強く感じられるようになった気がします。この傑作が描かれてからすでに一世紀を超える年月を経て、ポツダム広場の様子はすっかり変わってしまいましたが、その一角やコンツェルトハウスの前のジェンダルメンマルクト、それにアレクサンダー広場のような場所には、11月の最後の週末から、クリスマスの市が立ち、多くの人々で賑わうようになっています。日が落ちると、どこからともなく人が集まってきて、市のなかはかなり混み合います。すでに寒いうえ、夕方ともなれば真っ暗になってしまうので、そうでもしないと精神的にも厳しいのかもしれません。例年より少し早い待降節(アドヴェント)の訪れとともに始まったクリスマスの季節、街は色とりどりの灯と人々の賑わいで彩られるようになりますが、私は図書館にさらに深く籠もって研究に勤しまなければと思います。気がつけば、滞在期間があと二か月ほどになってしまいました。どうかみなさま、ご健康でよいクリスマスの時季をお過ごしください。

ベルリン通信III/Nachricht aus Berlin III

[2016年7月5日]

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ベルリン植物園の睡蓮

六月と聞くとすぐに梅雨のじめじめとした気候が思い浮かびますが、ドイツの六月は、五月に茎を伸ばし、葉を繁らせた植物が、花を咲き誇らせ、果物などの最初の恵みをもたらす時期のようです。六月の初旬に、ダーレムにあるベルリン植物園を訪れましたが、睡蓮や薔薇などの季節の花の豊かさを堪能することができました。また、この時季に市場を訪れれると、実にさまざまな種類の果物が並んでいます。とりわけ桃の種類の豊富さには驚かされました。日本でも蟠桃として知られる平たい形の桃はとくに甘くて、家族のお気に入りとなりました。住まいのある家の庭の木には、今もたくさんの桜桃が生っています。そろそろ夏の暑さも顔を覗かせ始めて、下旬には午後から夕方にかけて気温が30度を超える日もありましたが、それ以外はおおむね15度から25度の範囲で気温は推移していています。

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蟠桃と家主さんに採ってもらった桜桃

さて、この六月はとても慌ただしかったです。月末には、こちらでお世話になっているベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウム(大学院生以上を対象とした定期的な研究会合)での小さな講演を、何とか終えることができました。こちらであらためてその研究に取り組んでいるヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学について、研究の初期の成果を「想起からの歴史──ベンヤミンの歴史哲学」と題して発表させていただきました。ドイツ語での講演はまったく慣れないので、当然ながら、プレゼンテーションにもディスカッションにもたくさんの課題を残しましたが、関心を持って聴いてもらえたのは非常にありがたかったです。本質的な質問もいくつか得られて、内容的にはよい場を持てたので、これを理論的な端緒とする研究への弾みになりました。

ベンヤミンの「歴史の概念について」の批判版のテクストに取り組んでいると、彼がそのなかで、けっして恣意的には生じない想起の経験における死者との関わりを重視しながら、青年期以来一貫したモティーフを哲学的にいっそう深めるかたちで、彼自身が直面していた危機に応えうる歴史の概念を探究していることが伝わってきます。そのようなベンヤミンの歴史哲学が、今歴史を生きることへ向けて何を問いかけているのかを明らかにしながら、〈残余からの歴史〉の構想を深められればと考えています。いずれその構想の一端をお伝えする機会もあろうかと思います。こうして研究を進め、その初期の成果をドイツ語でまとめる傍らで、他の仕事も並行して進めておりましたので、六月はあっという間に過ぎていきました。

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ベルリン植物園のキタリス

それから、研究とは関係ありませんが、中旬には、娘がお世話になっているヴァイオリンの先生の教室の発表会の冒頭で、家族の三重奏でヴィオラをほんの少しだけ弾きました。ドヴォジャークのミニアチュールのうち、最初のモデラートの曲だけを露払いのような感じで演奏しました。気分転換にと思って持って行った楽器を、いちおう聴衆のいる場で弾くことになるとは思ってもいませんでした。ちなみに娘は、こちらの公立の小学校に通いながら、放課後はおおむねヴァイオリンを練習しています。ドイツ語でのコミュニケーションはままならないながらも、学校の友達とは仲良く遊んでいるようで、放課後に遊びに誘われたり、誕生日のパーティーに招かれたりすることも増えてきました。最近は、劇場や演奏会場に通うのも楽しみになってきたようで、今度はいつ行くのかとしばしば尋ねられます。この六月は、演奏会やオペラの公演へ家族でかなりの回数足を運びました。

そのなかで最も感動的だったのが、シュターツカペレ・ベルリンの演奏会でした。音楽の生成のダイナミズムを掘り下げたイェルク・ヴィトマンの《コン・ブリオ》の鮮やかな演奏で幕を開けたこの演奏会では、それに続くバルトークのピアノ協奏曲第1番の第二楽章の演奏が、まず素晴らしかったです。この楽章では、アンドラーシュ・シフの独奏が、ピアノの両側に配された打楽器と、密やかなとも形容すべき緊密な対話を繰り広げ、一つの別世界を開いて見せました。そこでさざめく声たちが、徐々に結びついて嘆きにも聞こえる強い歌を響かせるに至る音楽の展開には、心からの感動を覚えました。そして、休憩の後のベートーヴェンの《エロイカ》交響曲の演奏は、フル編成の弦楽器を存分に生かして、葬送行進曲に示されるような峻厳さを含めたこの交響曲の大きさを描ききった、圧倒的な演奏でした。ダニエル・バレンボイムの指揮は、荒々しさを含んだリズムの躍動を、大きなスケールで捉えられた音楽の流れに見事に結びつけていました。

他の演奏会では、協奏曲の素晴らしい演奏に接することができました。まず、ロジャー・ノリントン指揮のベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会では、イザベル・ファウストがモーツァルトの第4番のヴァイオリン協奏曲で、ほとんどヴィブラートなしの冴えた音を創意豊かに生かした、それでいて様式感にも富む、見事な独奏を聴かせてくれました。また、イヴァン・フィッシャー指揮のベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の演奏会では、スティーヴン・イッサーリスが、すがすがしく広がる響きとしなやかな歌心に満ちたシューマンのチェロ協奏曲の演奏を披露してくれました。それから、下旬に一人で聴いたヤニク・ネゼ゠セガン指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会では、リザ・バティアシヴィリが、バルトークのヴァイオリン協奏曲第1番の内容豊かな演奏を聴かせてくれました。彼女は、歌が連綿と連なるこの曲の音楽の展開を、完全に手中に収めていました。

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ベルリン植物園の薔薇

ベルリン・フィルハーモニーの演奏会では、バルトークの協奏曲の後に、ショスタコーヴィチの交響曲第13番《バビ・ヤール》が演奏されました。このオーケストラにこそ可能な、仮借のない凄まじさと明晰さを両立させたこの曲の演奏を聴きながら、この曲が今取り上げられる意味も考えざるをえませんでした。ナチス・ドイツとソヴィエト連邦の戦争が始まった翌日の1941年6月23日から、移動特別部隊によるバルト海沿岸から黒海に至る地域での組織的なユダヤ人虐殺──最も大規模な虐殺がバビ・ヤールで起きたのでした──が始まっています。それから75年になるのに合わせた今回の演奏会のプログラムだったようです。そのような暴虐を可能にした問題そのものは、けっして過ぎ去ってはいません。むしろより複雑化しながら広がっていることを、昨今の出来事は示しているのではないでしょうか。9月末からは、テロルのトポグラフィーで、主に旧ソ連におけるユダヤ人虐殺をテーマとする展覧会が始まりますが、それはこの問題を考える機会ともなるでしょう。

オペラでは、いずれもニーナ・ステンメが主役を歌った、ベルリン・ドイツ・オペラにおけるヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》R・シュトラウスの《エレクトラ》の公演がとくに印象に残りました。前者では、第二幕が素晴らしい密度を示していました。例の長大な愛の二重唱で、主役の二人の役を歌ったステンメとステフェン・グールドがとても繊細な歌唱を聴かせて、息を重ねるのが聞こえるようですらありました。それを支える、ドナルド・ラニクルズの指揮によるオーケストラの響きも充実していながら、透明感を保っていました。精神分析も参照しつつ、夢と覚醒の関係にも光を当てた《トリスタンとイゾルデ》の舞台でもありました。後者の公演は、エレクトラの復讐心と復讐の成就への歓喜も、クリュテムネストラの悪夢も、もはや知性による統制が利かない、人間性と獣性の閾で展開されることにオペラの焦点があることを提示するものとして興味深く観ました。この公演でもステンメが繊細かつ輝かしい歌唱を聴かせていました。

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ベルリン植物園の睡蓮

この六月には、演劇の公演へも二つ足を運びました。一つは、シャウビューネでのシラーの『ヴァレンシュタイン』の公演で、シラーが約十年かけて書いた三部作の原作を一晩の舞台に凝縮させた、ミヒャエル・タールハイマーの演出による上演でした。三十年戦争期の傭兵隊長を主人公とするこの戯曲を今取り上げることを強く意識しながら、求心力の強い舞台を提示していました。苦悩するヴァレンシュタインの姿には、自分が仕掛けた戦争の泥沼にはまって身動きが取れなくなっていく現代の政治的指導者の姿と、ベンヤミンがバロック悲劇のうちに見て取った、決断できずに没落していく君主の像とが重ねられているように感じられました。もう一つは、東京の国立劇場で『つく、きえる』の表題で上演されたローラント・シンメルプフェニヒの戯曲„An und Aus“の公演で、ブルクハルト・C・コスミンスキの演出によるマインツの国民劇場の舞台でした。東日本大震災を題材に書かれたこの戯曲のユーモアを巧みに生かしつつ、死者たちのほろ苦い物語によって、震災と原発事故後の傷ついた現在を深いところから照らし出す„An und Aus“の上演として、とても興味深く観ました。

それにしても、この六月には例の“Brexit”を宣するに至ったイギリスの国民投票を含め、社会的にも大きな出来事がいくつもありましたが、イギリスの下院議員ジョー・コックスの暗殺事件、イスタンブール空港での無差別攻撃事件、そして七月に入ってから起きて、20名を超える人々が犠牲になったダッカでの人質事件など、凄惨な事件が相次いだのには胸が痛みます。そして、これらの事件には、通底する問題が潜んでいるようにも思われます。その問題は、日本に住む人々にとってもけっして他人事ではないでしょう。日本では参議院選挙が近づいていますが、こうした事件が起きうる世界のなかで、一人ひとりがみずからの生を、不当な抑圧や差別を受けることなく生きうることへ向けて、同時にその可能性を相互に尊重し合える社会を、問題を一つひとつともに解決しながら築いていくことへ向けて、有権者が一票を投じることを、遠くから念じているところです。