初夏の仕事

もう七月の下旬だというのに、梅雨の長雨は止みそうにありません。しばらくは豪雨と土砂災害にも警戒が必要な様子です。どうかお気をつけてお過ごしください。

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ハノーファーのリンデンにあるハンナ・アーレントの生家跡の銘板

さて、6月の初旬に、ハノーファー専科大学(Hochschule Hannover)と勤務先の広島市立大学の交流事業のために、ドイツのハノーファーに短期間滞在しました。ハノーファーと広島が姉妹都市であることを背景に、両大学のあいだには交換留学に関する協定があり、双方の学生が毎年数名ずつ派遣されています。今回は、教育交流の促進のための事業に、私を含め三名の教員が広島市立大学から派遣されました。

6月3日に、ハノーファー専科大学の第V学部という、社会福祉などを専門とする学部で、この地に生まれたハンナ・アーレントの思想の一端に触れながら、他者との共生をテーマとする講義を二回行ないました。学生たちは非常に拙い話をとても熱心に聴いてくれて、質問もしてくれました。紹介したアーレントの複数性の概念でリポートを書きたいと申し出た学生もいたそうです。

次の日には、講義に招いてくれた倫理学が専門の教員が、リンデンという地区にあるアーレントの生家の跡に連れて行ってくれました。彼女がこの生家で暮らしたのは三年ほどとごく短いのですが、今は薬局に使われている建物の片隅に、生家だったことを示すプレートが掲げられています。それを眺めながら、それぞれ違った人々のあいだにいることを振り返り、人間の複数性を実現する行為の現代における重要性を、あたためて思いました。他者とのあいだを開き、社会の風通しをよくすることは、日本では急務でしょう。

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アントン・ウルリヒ公爵美術館外観

6月5日は、用務が早く終わったこともあり、隣町のブラウンシュヴァイクまで足を伸ばし、フェルメールの《ワイングラスを持つ少女》があるアントン・ウルリヒ公爵美術館の展示(レンブラントのコレクションと、一枚だけあるジョルジョーネの作品がとくに素晴らしかったです)をひと通り見た後、当地の州立劇場ミェチスワフ・ヴァインベルクのオペラ《女船客(パサジェルカ)》の上演を観ました。今シーズンの最終回の公演でした。以前から関心があった作品の実演に接することができました。

この上演の印象と、6月8日にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で思いがけず聴くことができたマリア・ジョアン・ピレシュの演奏の印象を記した拙文が、批評誌『Mercure des Arts』の第46号に「初夏のドイツへの旅より──ベルリンとブラウンシュヴァイクで接した公演を心に刻む」と題して掲載されています。ご笑覧いただければ幸いです。ハノーファーでの仕事が終わった後、ベルリンに寄ったわけですが、その際にはハンブルク駅現代美術館のエーミール・ノルデ展とブリュッケ美術館の特別展「絵画への逃避か」を観ることができました。その印象は、すでに別稿に記してあります。

65911415_2530871616965195_5595289591419502592_oさて、7月19日には、広島市中区本川町にある「本とうつわの小さな店」READAN DEATを会場に、瀬尾夏美さんの著書『あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる』(晶文社、2019年)の出版記念トーク・イヴェントが開催され、その際対談のお相手を務めました。

瀬尾さんは、東日本大震災後の「復興」が進みつつある陸前高田市を活動の拠点に、そこに生きる人々、旅先で出会った人々、そしてこれらの人々のなかに死者が抱え込まれていることと対話しながら、人々が体験したことの「語りえなさ」にも寄り添う繊細な思考を重ねてこられました。

これを瀬尾さんは最近、魅力的な一冊『あわいゆくころ』にまとめられたところです。その内容をめぐって瀬尾さんと、西日本豪雨の災害から一年が経った、そして被爆から74年となる8月6日が巡って来ようとしている広島でお話することには、やはり特別な意味があると感じています。

瀬尾さんとご一緒するのは、昨年の1月16日に広島市現代美術館で開催された小森はるか+瀬尾夏美「波のした、土のうえ」巡回展のスピンオフ企画として開催されたトーク・セッション「仙台から/広島から」以来ということになります。そのときも、瀬尾さんと小森さんの変貌していく風景への眼差しと、そのなかから編み出された表現の姿に、強い感銘を受けました。

当日は雨模様のなか、26名を数える方々にお集まりいただき、心から感謝しております。瀬尾さんから、この魅力的な一冊がどのようにして綴られたかとともに、小森はるかさんとの映像作品にも表われている、物語を他者とともに紡ぎだす作業についても興味深いお話をうかがって、今物語るとはどういうことか、という問いをめぐって、集まってくださったみなさまとともに多くのことを考えることができました。

その過程で、本のなかで語られる、「物語ることは弔いに似ている」という洞察について、少しだけ理解が深まった気がします。霊媒的でもあり、天使のような媒介者でもあるような、媒体としての物語。哀悼と傷の労りを織り込みながら、これを他者とのあいだで紡いでいく仕事が響き合うなかで、出来事が照らし出されてくる可能性は、ここ広島でも、他の場所との関係を視野に収めつつ掘り下げられる必要があると、あらためて痛感したところです。

以前から気になっていた、記憶と物語の関係について、少し整理しながら考える機会になりましたし、そのために多くのことを教えられました。瀬尾さんとこのような場を持つことができたことを心から感謝しています。一端を最後にご紹介いただきましたが、『あわいゆくころ』以後のお仕事の展開も楽しみにしているところです。

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広島での細川俊夫のオペラ《班女》公演のお知らせなど

59ed522f77a14早いもので、年が明けてからすでに20日が過ぎました。ここ数日は穏やかな気候が続きましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。広島では、Hiroshima Happy New Ear Opera IIIとして開催される細川俊夫さんのオペラ《班女》の公演が一週間後に迫りました。この公演の主催組織であるひろしまオペラ・音楽推進委員会の委員の一人として、まずはこの公演をご案内申し上げます。《班女》の公演は、1月27日(土)と28日(日)の二日にわたり、キャストを替えて開催されます。会場は広島市中区のJMSアステールプラザの中ホールで、そこに備え付けられている能舞台を用いて上演が行なわれます。開演は、両日とも14時からで、およそ90分の上演(休憩はありません)の後にはトークも行なわれます。

広島で細川さんの《班女》が上演されるのは二度目です。2012年に行なわれたHiroshima Happy New Ear Opera Iの公演で取り上げられたのがこの作品で、その際には、先日パリで初演された細川さんの室内オペラ《二人静》の原作と演出を手がけた平田オリザさんによる演出でした。今回の公演で演出を受け持つのは、全国各地で一人ひとりの登場人物を音楽とともに力強く生かすオペラの舞台を作り上げている岩田達宗さんです。昨年のひろしまオペラルネッサンスの公演でもモーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》の素晴らしい舞台を届けてくれた岩田さんが、能に特有の身体性と原作の「近代能」としての特性を生かしながら、どのような現代人のドラマを提示するか、大いに期待されます。

59ed522fc9530指揮を受け持つのは、2012年の《班女》以来、オペラをはじめ細川さんの作品の数々を手がけてきた川瀬賢太郎さん。いっそう深まった解釈によって、夢想と現実が交錯するこのオペラの音楽の美質を研ぎ澄まして届けてくれるにちがいありません。歌手には、前回のプロダクションでも素晴らしい歌を聴かせてくれた半田美和子さんと藤井美雪さんに、2015年の《リアの物語》の公演で活躍した柳清美さん、折河宏治さん、山岸玲音さん、それに2014年のひろしまオペラルネッサンスの公演で素晴らしいカルメンを聴かせてくれた福原寿美枝さんが加わります。キャストの異なる二公演を比べるのも一興でしょう。最近進境著しい広島交響楽団のメンバーによるアンサンブルが加わるのも魅力的です。

三島由紀夫が世阿弥の「班女」を翻案して『近代能楽集』に収めた能を原作とし、ドナルド・キーンによるその英訳をリブレットに用いた細川さんのオペラ《班女》の音楽は、夢想と現実を往還しながら、人が「狂気」と呼ぶ心境のうちにある深い憧れと鋭い洞察を、書の線を描く歌によって響かせるとともに、夢想と現実の相克を抉り出します。2018年の広島での公演では、その現代のオペラとしての新たな魅力が能舞台の上に照らし出されるに違いありません。この能舞台を使っての稽古も重ねられて、準備にもいっそう熱が入っています。お見逃しのないよう、お誘い合わせのうえお越しください。広島県内はもとより、九州、そして関西や関東からも日帰りで、あるいは旬の広島の牡蠣を楽しむことを込みにした小旅行を兼ねてお越しいただけることでしょう。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げております。なお、今回の《班女》の公演のプログラムにも、作品解説の小文を寄稿させていただきました。

能とオペラちらし(アトレ会員用)さて、2月の16日から18日にかけては、今度は新国立劇場で細川さんのオペラ《松風》の日本初演が行なわれるわけですが、1月10日にはそのプレ・イヴェントとして国立能楽堂で開催された座談会「能とオペラ──『松風』をめぐって」に参加しました。前半には、能の「松風」より「汐汲みの段」と「狂乱の段」が舞囃子形式で上演され、後半には、これらの場面に対応するオペラ《松風》の上演記録映像の上映と、能とオペラ双方の「松風」をめぐる座談が行なわれました。その座談の末席に加わらせていただき、多くの刺激を受けました。前半では、銕仙会主宰の観世銕之丞さんの見事な謡と舞、そして法政大学能楽研究所の宮本圭造さんの解説によって、世阿弥の「松風」において謡うことと謡われる言葉、そして身体的表現が緊密に組み合わさっていることがよく伝わってきました。

また、能の上演を見た後でオペラの《松風》の上演映像を見ることで、細川さんとサシャ・ヴァルツさんが、謡うことと舞うことの結びつきを、独自のアプローチで現代のオペラに生かしていることも、あらためて考えさせられました。座談のなかで細川さんが、歌うことにおける遠く隔たった他者、ないしは死者との交感の可能性に触れておられたことと、どのような演出にも耐える強度に貫かれた音楽を書くという、オペラにおける作曲家の使命を語っておられたことは、噛みしめておかなければと思います。それから、オペラと能の双方を現代の芸術として生かし続けるためには、一見「わからない」ものに敢えて飛び込んで、それを自分のなかで深めていけるような若い人々を育てることと、そのような人々が集う場を作ることの双方が必要であることも、座談のなかで議論されました。議論の概要とダイジェスト版の映像は、すでに新国立劇場のウェブサイトの「公演関連ニュース」にて紹介されております。

今月は、この他にも座談の場に加わる機会が二度ありました。1月13日には、カフェ・テアトロ・アビエルトで佐藤零郎監督の新作映画『月夜釜合戦』をめぐる座談に、行友太郎さん、崔真碩さん、森元斎さんとともに参加しました。この日アビエルトでは、毎年『山谷(やま)やられたらやりかえせ』の上映会が開催されています。この映画の共同監督の一人山岡強一の命日に因んで行なわれるものです。すでにこの上映会で三度『山谷』は見ていますが、見るたびに今と結びつけて新たに考えさせられるものがあります。その問題は、年を追うごとに深刻なものになってきている気もします。

0113今年の上映会では、この『山谷』に加えて『月夜釜合戦』が上映されたわけです。山谷とともに代表的な寄せ場として知られる大阪の釜ヶ崎を舞台にした「釜」をめぐる騒動を通して、そこに生きるさまざまな人々のしたたかにして愛すべき生きざまを、ジェントリフィケーションが進む以前のこの街への哀惜も込めて鋭く浮き彫りにするこの劇映画は、痛快ななかに込み上げてくるものがある作品でした。『山谷、やられたらやりかえせ』と併せて見ることで、『月夜釜合戦』が、この映画の呼びかけにドラマをもって応えているところがよく伝わってきました。手つきをはじめとする身振りへの着目は、これらの作品に通底するところでしょう。歴史の流れを食い止めるような強度を持った人間の身体の躍動を、釜ヶ崎での生活のなかに浮き彫りにするこの作品が、広島で劇場公開されるのが待ち遠しいところです。

Komori&Seo_Postcard1月16日(火)には、Social Book Cafe ハチドリ舎で、広島市現代美術館で開催中の小森はるか+瀬尾夏美「波のした、土のうえ」巡回展のスピンオフ企画のトーク・セッションに、進行役として参加しました。ナイトトーク「仙台から/広島から」と題して開催される今回のセッションには、小森さん、瀬尾さんの他、同じく現代美術館で開催されている特別展「交わるいと──『あいだ』をひらく術として」に興味深い作品を出品されている平野薫さんが座談に加わりました。ともにある場所に生きることのうちに、あるいはそのなかで着古された服に沈澱した記憶の痕跡を辿り、みずからを繰り広げるようにその記憶を解きほぐしていくような創作に取り組まれているアーティストたちの人と人の関係のなかでの活動について、とても刺激的なお話を聴くことができました。

現代美術館での「波のした、土のうえ」巡回展も非常に興味深いです。二人で陸前高田市を訪れたことをきっかけに結成された小森さんと瀬尾さんの「アート・ユニット」が、詩、絵画、ヴィデオ・アートなどいくつものメディアを駆使して、路地や浜辺などで聴き取った被災地に生きる、あるいは生きていた人々の物語を、さらにはその風景を細やかに描き取った作品や、現在進行形の記録などが展示されています。特別展「交わるいと」と併せてぜひご覧ください。ここでご紹介したような、芸術を通してこの世界に、この時代に、死者のことを忘れることなく生き延びることを、さらにはその自由を考える場で、今年もみなさまとご一緒できることを願っております。日曜から週明けにかけて、強い低気圧が日本列島を通過して天気が荒れるとも聞いております。お身体にお気をつけてお過ごしください。