細川俊夫『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』刊行記念トーク・ショー[2017年3月4日/ESPACE BIBLIO]のお知らせ

51fwl3vou1l昨年12月に拙訳にてアルテスパブリッシングより刊行された、細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(聞き手:ヴァルター゠ヴォルフガング・シュパーラー)の刊行を記念して開催されるトーク・ショー「細川俊夫の創作の背景にせまる──尹伊桑、武満徹、そしてオペラへの道」をご案内いたします。来たる3月4日(土)15:00より駿河台のESPACE BIBLIOにて開催されるトーク・ショーでは、著者の細川俊夫さんをお迎えして、本書において初めて語り下ろされた、この世界的な作曲家の創作の軌跡の背景にあるものや、本書では語られなかったエピソードなどを、2012年にドイツで本書の原書が刊行されて以後の作曲活動を含めて詳しくお話しいただきます。また、今回は特別ゲストとして、世界を代表するリコーダー奏者の鈴木俊哉さんをお迎えいたします。細川さんのお話と鈴木さんの演奏によって、本書の内容を具体的に感じ取っていただきながら、細川さんの「空間と時間の書(カリグラフィー)」としての音楽を身近に感じていただけるものと考えております。会場などの情報は、末尾に記しておきます。開催に向けてご尽力くださっているESPACE BIBLIOの関係者のみなさまに、この場を借りて心より感謝申し上げます。

本書『細川俊夫 音楽を語る』の概要はすでに別稿に記しましたし、版元のアルテスパブリッシングのウェブサイト(こちらから直接本をご購入いただくこともできます)にも記されておりますので、ここでは繰り返しません。今回の「細川俊夫×柿木伸之トーク・ショー」では、この「対話による自伝」に語られた半生と作曲の足跡のうち、とくにベルリン留学時代の尹伊桑との師弟関係や、細川さんの広島での少年時代にまで遡る武満徹との関係に焦点を絞りながら、これらの作曲家の音楽との対照において、細川さんの音楽世界を浮き彫りにしたいと考えております。鈴木さんの演奏を交えながら、これらの作曲家と細川さんのあいだにある東洋の伝統楽器へのアプローチの相違などにも光を当てることができるのでは、とも思います。2012年以後の作曲の展開を語っていただく際には、オペラ《班女》、そして《松風》の一部の貴重な映像を見ながら、ちょうど一年前にハンブルクで平田オリザさんの演出により初演された《海、静かな海》を含めたオペラの作曲についても詳しくうかがえるものと考えております。それをつうじて、オペラを含む音楽作品を世界中から委嘱され続けている細川さんの作曲の現在が、本書に語られた創作の源泉から浮かび上がることでしょう。細川さんの音楽世界の展開の軌跡とその今にじかに接することのできる3月4日のトーク・ショーへ、ぜひお誘い合わせのうえお越しください。多くの方のご来場を心よりお待ち申し上げております。

  • 日時:2017年3月4日(土)15:00〜17:00(14:30開場)
  • 会場:ESPACE BIBLIO(エスパス・ビブリオ)※リンク先に地図があります。〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1-7-10YK駿河台ビルB1F
  • 参加費:1,500円(当日精算)
  • 予約制:Eメール(info@espacebiblio.superstudio.co.jp)または電話(Tel.: 03-6821-5703)にて受付(定員60名)。Eメールでご予約の際には、上記のアドレス宛に件名「3/4細川氏トーク希望」にて、お名前、電話番号、参加人数をお知らせください。追って返信で予約完了が伝えられるそうです。電話による予約は、火曜日から土曜日の11:30〜20:00のあいだ受け付けているとのことです。20170304%e7%b4%b0%e5%b7%9dx%e6%9f%bf%e6%9c%a8%e3%83%88%e3%83%bc%e3%82%af_a6%e7%89%883rd

ベルリン通信VIII/Nachricht aus Berlin VIII

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リリエンタール公園にて

ベルリンでは木々の葉が落ちて冬の気候になってきました。11月はすっきりと晴れる日が何日もあって嬉しかったのですが、そのような日の夜には気温が氷点下5度ほどまで下がります。翌朝は空気が痛いくらいに冷たいですし、池の水も凍っています。しかし、そのような寒い朝に道を歩くのは、けっして嫌いではありません。何よりも気持ちが引き締まりますし、心なしか頭がすっきりするような気もします。とはいえ、しっかり着込むことは欠かせません。マフラーと手袋も手放せなくなってきました。長いドイツの冬の到来です。

さて、11月も論文などを書いているうちにあっという間に過ぎて行きましたが、それにしてもこのひと月は、いろいろなことが起きました。その一つとしてアメリカ合衆国の大統領選挙のことを挙げなければと思いますのは、今から12年前にポツダムで4か月だけ在外研究を行なったときにも、アメリカの大統領選挙の帰趨をドイツのメディアをつうじて見ていたからです。小ブッシュがアル・ゴアに対する怪しげな勝利を収めたあの選挙です。その時は選挙から一夜明けて愕然とさせられましたが、それから12年後の今回は、衝撃を受けるというよりも、このような人物が選ばれる現実を前にして胸苦しい気持ちになりました。

メキシコとの国境に移民の流入を防ぐフェンスを設けようと公言したり、ムスリムの入国禁止方針を打ち出したりした人物がアメリカの次期大統領に当選してしまったことによって、まずは、ドイツ国内ではAfD(ドイツのための選択肢)が代表するような、あるいは周囲の国々ではフランスの国民戦線、ハンガリーやポーランドの現政権などに代表される排外主義的なポピュリズムが勢いづくことが懸念されます。その懸念は、ドイツではすぐに各メディアで次々に表明されていました。それと同時に、オクスフォード辞典が今年の言葉に選んだのが、“post-truth”であったことが示すように、大声で大勢の感情に訴えれば──インターネット上のソーシャル・メディアは、まさにそのことを可能にするメディアでもあるでしょう──、どんな嘘であってもまかり通ってしまうようになることが危惧されます。また、それとともに真理を追求する知の営みに対する冷笑が伝染し、作られた感情でしかない「本音」が、他者への攻撃性を剝き出しにしながら公的空間を喧騒で覆うようになれば──それは、とくにインターネット上ではつとに広がっている問題ですが──、きわめて息苦しい、そして声を持ちえない者たちにとっては生きること自体も非常に困難な時代が訪れることになります。

41cbey-9uml-_sx298_bo1204203200_こうした時期に、みずからの知性をもって知を探究するところに啓蒙を見るカントの議論を戦後のドイツであらためて検討し、ナチズムの問題を掘り下げるところに、「アウシュヴィッツ以後」の「自己陶冶」としての教育と文化の可能性を模索するアドルノの『自律への教育』(原千史他訳、中央公論新社)を学生と読んでいる──ちなみに、ゼミは在外研究中もSkypeを使って続けています──のも、何かの巡り合わせでしょう。本書の冒頭には、「民主主義に抗してファシズム的傾向が生きながらえることより、民主主義の内部に国民社会主義(ナチズム)が生きながらえることのほうが、潜在的にはより脅威だ」という認識の下、「過去の総括」とは、ナチズムを含めた過去の問題を現在の自分自身の問題として正視することであると論じる「過去の総括とは何を意味するのか」という、とりわけ日本で振り返られるべき講演が収録されています。

そして、「過去の出来事の原因が取り除かれた時初めて、過去は総括されたのだと言ってもよい」と結ばれるこの講演に続いては、「哲学と教師」という、これも「教養」と「教育」の概念を考えるうえできわめて重要な──それゆえ、大学の関係者にはぜひ一読してほしい──講演が収められていますが、そのなかには、まさにこの“post-truth”の時代にに語りかけているかに思える一節があります。「『知識人』という表現が国民社会主義によって信用を失墜させられたことは、私にはかえってその表現を肯定的に受け取る理由にしか思えません。自己省察の第一歩とは、蒙昧をより高い徳と見なさないことや啓蒙を馬鹿にしないことではなく、むしろ知識人排斥の扇動──それがどのように偽装されたものであろうとも──に対して抵抗することです」(42頁)。とても残念なことに、アドルノの『自律への教育』の日本語訳は、今年から品切れ状態で、一般の書店での入手が難しくなっているのですが、例えばエドワード・W・サイードの『知識人とは何か』(大橋洋一訳、平凡社ライブラリー)と照らし合わせながら、今あらためて読み直されるべき一書かと思われます。

ところで、秋が学会シーズンだというのは日本もドイツも同じで、私もいくつかの学会や研究会合に足を運んで講演などを聴きました。初日しか行けなかったのですが、興味深かったのが、ベルリン文学・文化研究センターの研究会として開催された「理論゠歴史を書く──何を目的に、どのように、そして誰のために?」というテーマの学会で、そこでは理論ないし理論形成そのものの歴史化、さらには歴史的な文脈における再検討の可能性ということがテーマになっていました。今日の人文学研究の潮流を反映したテーマかもしれません。なかには、戦後ドイツにおける「哲学」という「学問分野」の形成過程を考察の対象としながら、あらためて理論としての哲学の位置と意義を探る講演もありました。このような問題設定そのものは、こと哲学に関して言えば、思想の内実を離れてエピソード的な事実の集積に流れてしまう危険性も帯びていますが、同時代の状況のなかに浮かび上がる哲学者の歴史意識は、私自身の問題意識からしても興味深いところです。

なかでもアドルノの同時代に対する批判的な問題意識が、一貫して音楽作品に関する批評的な言説をつうじて表明されていることを辿り、アドルノの歴史意識に迫ろうとする講演を興味深く聴きました。この点が、晩年のアドルノにまで当てはまるかどうかに関しては検討の余地があるかもしれませんが、講演のなかで引用された彼の音楽論の言葉を辿ると、彼の歴史意識が、時折ハイデガーが人間存在の歴史性を論じる文脈で用いている概念を批判的に引用しながら表現されているように見えます。思えばハイデガーとの対決は、1930年代初頭以来、アドルノの哲学的思考のテーマの一つでした。ちなみに、こうしたことが気になったのも、ちょどベンヤミンの歴史哲学とハイデガーの歴史論を対照させた以前の論文を見直していたからでした。

51fwl3vou1l11月上旬には、現代を代表する作曲家の一人である細川俊夫さんが、ご自身の半生と作曲活動の軌跡を、創造の核心にある思想とともに語った対談書の日本語版の刊行へ向けた、校正や巻末資料の準備といった作業を終えることができました。すでに別稿に記しましたように、拙訳による日本語版は、『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』の表題で、アルテスパブリッシングより刊行されます。12月12日に各書店で発売されますので、お手に取っていただければ幸いです。音楽を愛好する方々に音楽そのものを深く考えさせる一冊として、あるいは作曲を志す方々に刺激と示唆を与える一冊として、多くの方に読んでいただけることを願ってやみません。人間と自然の関わりを、そこにある生の息吹を響かせる芸術の力を深く考えさせる内容を含んだ一書と考えております。

11月の26日と27日には、広島市のアステールプラザにて、ひろしまオペラルネッサンスの今年の公演が開催され、プッチーニの「三部作」より、《修道女アンジェリカ》と《ジャンニ・スキッキ》が上演されましたが、この公演のプログラムに、「生がその全幅において肯定される場を開くオペラ」と題したプログラム・ノートを寄稿させていただきました。プッチーニが「三部作」の作曲に際してダンテの『神曲』を意識していたことに着目しながら、プッチーニのオペラの独自性に迫ろうとする内容のものです。それから、11月29日には、すでに日本語で書いた論文の原稿をドイツ語に訳して、お世話になっているベルリン自由大学哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキウムで発表する機会にも恵まれました。やはりディスカッションには多くの課題を残しましたが、論文の趣旨を深く理解して、それを現在の、それこそ”post-truth”的状況に生かすうえで考えるべき問題を指摘したコメントが得られたのは収穫でした。

シーズン真っ盛りの11月は、かなりの数の演奏会やオペラの公演に足を運びました。故パトリス・シェローの演出による州立歌劇場でのリヒャルト・シュトラウスの《エレクトラ》の公演と、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会は、本当に忘れられないものとなりました。また、ベルリン・ドイツ・オペラでのマイアベーアの《ユグノー教徒》の上演は、多くのことを考えさせるものでした。これらについてお伝えするとなると、かなり長くなってしまうので、場を改めてということにさせていただければと思います。これらとともに印象に残ったのが、イヴァン・フィッシャーの指揮によるベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の演奏会でした。11月に二度聴いたその演奏会はいずれも、今ベルリンで聴くべきコンビがここにあることを、音楽を聴く喜びとともに実感させました。なかでもベートーヴェンの交響曲第4番とシューベルトの交響曲第5番の演奏は、楽譜に書かれた音の潜在力を、しなやかな歌心をもって発揮させていました。清新でかつ充実した内容の演奏を繰り広げる両者の協働が長続きしないのが非常に残念ですが、イヴァン・フィッシャーが指揮するコンツェルトハウス管弦楽団の演奏会を聴けることは、今ベルリンに滞在していて最も幸せに思えることの一つです。

今回は最後に、一つ美術の展覧会をご紹介しておきます。ハンブルク駅現代美術館に改装中のNeue Nationalgalerieの作品の一部を展示するために設けられているNeue Galerieでは、現在「ヒエログリフ」と題するエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー展が開催されています。キルヒナーは、好きな画家の一人なので見に行きました。スペースの関係で絵画の出品数は少ないのですが、ダヴォス時代の作品を含めて興味深い作品がいくつか並んでいます。もちろんあの《ポツダム広場》も架かっているのですが、それとともに面白いのは、この大作のために彼が残した、きわめて簡潔に身体像を捉えるスケッチが展示されていることです。「ヒエログリフ(象形文字)」というのは、キルヒナー自身が、身体の動き──彼は一貫して舞踊などの身体表現に強い関心を持っていました──を平面上の輪郭線に翻訳する際に用いていた、彼独特の素描言語を表わす概念とのこと。その広がりが、デッサンのみならず、舞踊の様子を収めた写真などにも見て取られているのが、今回の展覧会の特徴と言えるかもしれません。また、その言語の形成に、カール・アインシュタインのアフリカの彫刻についての書物などに触発されたアフリカの美術への関心も深く関わっていることも、展示から伝わってきます。

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ジェンダルメンマルクトにて

ともあれ、ヒエログリフとしてのデッサンを見ることをつうじて、《ポツダム広場》の画面から、街路を行き交う人の動きがさらに強く感じられるようになった気がします。この傑作が描かれてからすでに一世紀を超える年月を経て、ポツダム広場の様子はすっかり変わってしまいましたが、その一角やコンツェルトハウスの前のジェンダルメンマルクト、それにアレクサンダー広場のような場所には、11月の最後の週末から、クリスマスの市が立ち、多くの人々で賑わうようになっています。日が落ちると、どこからともなく人が集まってきて、市のなかはかなり混み合います。すでに寒いうえ、夕方ともなれば真っ暗になってしまうので、そうでもしないと精神的にも厳しいのかもしれません。例年より少し早い待降節(アドヴェント)の訪れとともに始まったクリスマスの季節、街は色とりどりの灯と人々の賑わいで彩られるようになりますが、私は図書館にさらに深く籠もって研究に勤しまなければと思います。気がつけば、滞在期間があと二か月ほどになってしまいました。どうかみなさま、ご健康でよいクリスマスの時季をお過ごしください。

『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』刊行のお知らせ

51fwl3vou1l広島に生まれ、現代日本を代表する作曲家として世界中で活躍されている細川俊夫さんが、その創造の源泉と思索の軌跡を語った「対話による自伝」とも呼ぶべき対談書、『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』が、アルテスパブリッシングより拙訳にて刊行されます。12月12日には、各書店の店頭に並ぶとのことです。

本書は、ドイツですでに2012年にWolke社より出版されている、Toshio Hosokawa — Stille und Klang, Schatten und Licht: Gespräche mit Walter Wolfgang Sparrerの日本語版ということになります。聞き手を務めているのは、ドイツの音楽学者ヴァルター゠ヴォルフガング・シュパーラーさん。細川さんの作曲の師尹伊桑の音楽の研究者として、東アジアの音楽に深い関心を持ち続けるとともに、細川さんの作曲活動をベルリン留学時代からずっと見守ってこられた方です。序文は、細川さんと深い親交で結ばれているだけでなく、細川さんの音楽に今も刺激を与え続けている作曲家ヘルムート・ラッヘンマンさんによるものです。

原書刊行から4年以上が経過してしまいましたが、こうして日本語版の刊行に漕ぎ着けられたのは、何よりもまずアルテスパブリッシングの木村元代表の深いご理解とお力添えの賜物です。編集の実務は、青土社時代にピエール・ブーレーズの『標柱 音楽思考の道しるべ』や『現代音楽を考える』などを手がけられた水木康文さんにご担当いただきました。水木さんのきわめて綿密で誠意に満ちたお仕事がなかったら、本書をここまで仕上げることはできませんでした。寺井恵司さんに、装幀を含め本書全体を美しくデザインしていただけたのも非常にありがたかったです。

さて、シュパーラーさんの手によってまとめられた原書の最大の特色は、細川さんの作曲活動の全体に見通しを与えながら、細川さんの音楽の核心にあるものを浮かび上がらせる、本格的な細川俊夫論であるということです。一書にまとまった評論としては世界初ということになります。細川さんの作曲活動の出発点や、その新たな展開への転換点となった場所を軸とした章では、細川さんの音楽が、同時代の音楽の文脈から独特の位置において浮かび上がっています。あるいは、「花」のような細川さんの作曲のテーマを焦点とする章では、作曲の基本理念と方法が、音楽を専門としない読者にも分かりやすい言葉で語られています。

そればかりでなく、今音楽とは何か、日本からの音楽は何でありうるか、芸術の社会的位置はどこにあるのか、その源にある自然のなかの、また自然とともにある人間の生は今どうなっているのか、といった問題をめぐって、細川さんの深い思索が繰り広げられていることも、原書の特色として見逃せません。翻訳に際しては、原書のそのような特色を最大限に生かせるよう微力を尽くしました。まずは、ようやく日本での演奏機会が徐々に増えてきた細川さんの作品の原点にあるものを、さらにはその作曲を貫く思想を理解する一助として、本書を役立てていただけることを心から願っております。もし本書が、芸術との関わりを、さらには自然との関係を深いところから見つめ直すきっかけになるとすれば、これに勝る幸いはありません。

日本語版の最大の特色としてまず、細川さんから特別に新たな序文をお寄せいただいていることを挙げなければなりません。また、ショット・ミュージックの多大なご助力により、2016年前半までの年譜、作品目録、ディスコグラフィが収録されているのも、日本語版独自の際立った特色と言えるでしょう。人名と細川さんの作品名の索引も付しました。それゆえ一種の資料集としても、お手許に置いて長くお使いいただけるものと考えております。豊富な写真と譜例、それに図版も、原書から引き継いでいます。これらを眺めるだけでも、かなり見応えがあるのではないでしょうか。

至らぬ点もあろうかとも思いますが、音楽を愛好する方々に、細川さんの音楽の世界を開くとともに音楽そのものを深く考えさせる一冊として、あるいは作曲を志す方々に刺激と示唆を与える一冊として、本書が広く手に取っていただけることを願ってやみません。西洋の音楽と文化に正面から向き合いながら、日本、そしてアジアの音楽の核心にあるものを深い源泉から汲み上げ、世界へ向けて響かせ続けている細川さんの音楽の世界を、その原風景から開く本書は、音楽そのものが生まれる現場へ読者を導き、その音楽観を変えるきっかけになるものと信じております。

ベルリン通信VII/Nachricht aus Berlin VII

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十月初旬のベルリンの秋空をボーデ美術館の脇より

十月は、こちらの大学では日本で言う新年度の始まる月で、今回の研究滞在に際してお世話になっているベルリン自由大学のダーレムのキャンパスも、ドイツだけでなく、世界各地からの新入学生を迎えてかなりにぎやかになりました。講義が本格的に始まるのは十月中旬からで、この点は、日本に比べるとかなりのんびりとした感じです。とはいえ、こちらでは日本で言う学会シーズンも始まっており、学内外で研究会合などの行事が目白押しで、それに関わっている教員は、かなり忙しそうに見えます。十月は、そうした慌ただしい大学の様子を横目に、ほぼ毎日大学の文献学図書館に通って、文献を見ながらいくつかの原稿を書いていました。

ちなみに、この図書館では、おしゃべりしながら入ってくる学生がいると、吹き抜けの上階からすぐに「シッ」という声が飛んできます。逆に、先日聴きに行った退職教員の最終講義では、いつもの調子なのでしょうが、ぼそぼそと語り始めたその教員に、「もっと大きな声で話してくれませんか!」という声が飛んでいました。大学では、学生のあいだでも、碩学に対しても遠慮というものがありません。そうした大学の気風は、日本でも大学という場所を風通しよくするためにも、もう少し重んじてよい気がします。もちろん、そうした大学の構成員に対する遠慮のない振る舞いは、それぞれの視座から真理を探究する学問の営みに対する敬意と、その自由の尊重に裏打ちされていなければ、傍若無人な横柄さにすぎません。大学とは、自由であることを学び合い、それを他人とのあいだに学問を追求する者自身が実現する場所であることを、学期初めのドイツの大学の風景を眺めながら、あらためて思いました。

ともあれ、十月は文献を読み、論文を書いているうちにあっと言う間に過ぎました。ベルリンでの滞在期間も残り少なくなってきたので、そろそろそのもう一歩先にある自分自身の研究テーマを掘り下げて形にする仕事に取りかかりたいと思っています。なお、雑誌のそのものが公刊されたのは、八月の末なのですが、原爆文学研究会の機関誌『原爆文学研究』の最新号(第15号)に、能登原由美さんの『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社、2015年)の書評を寄稿させていただきました。長年にわたり能登原さんが取り組んできた「ヒロシマと音楽」委員会の調査活動の経験にもとづく楽曲分析と平和運動史を含んだ現代音楽史の叙述によって、「ヒロシマ」が鳴り響いてきた磁場を、政治的な力学を内包する場として、「ヒロシマ」の物語の陥穽も含めて浮き彫りにするものと本書を捉え、今後もつねに立ち返られるべき参照点と位置づける内容のものです。

先日ようやくベルリンの滞在先に届いたこの『原爆文学研究』第15号には、拙著『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会、2015年)についての高橋由貴さんによる大変丁寧な書評も掲載されていました。それ以前の著書の内容を踏まえ、それを含めた一貫した問題意識を『パット剝ギトッテシマッタ後の世界』の議論から浮き彫りにして、それと正面から向き合った対話を繰り広げる批評を読んで、そこでテーマとして挙げられている、死者とともに生きることを、人間がみずからの手で引き起こした破局の後に生きること自体と捉えながら、その場を今ここに切り開くような歴史の概念を、ベンヤミンと対話しつつ探っていかなければ、とあらためて思いました。

ところで、10月2日には、ハンブルク・ドイツ劇場で活躍されている俳優の原サチコさんがハノーファーで続けておられる„Hiroshima-Salon“に参加させていただきました。ハノーファー州立劇場のCumberlandsche Galerieで開催された今年の„Salon“では、まず井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の抜粋の朗読に深い感銘を受けました。井上ひさしが、原爆に遭った少年たちの心情の機微に迫るとともに、広島がそれまでどのような街で、そこにどのような人々が暮らしていたかを浮き彫りにしながら、内側から生命を壊す放射能と外から迫る枕崎台風の洪水に呑み込まれていく少年たちの姿を細やかに描いていることが、ドイツ語訳からもひしひしと伝わってきます。考えることに踏みとどまることを、一貫して少年たちに説き続ける「哲学じいさん」の姿も印象深かったです。

「少年口伝隊」の朗読の後、ハノーファーと広島の青少年の交流をつうじて平和を創る人々を育てようとした林壽彦さんの事績とメッセージが、ヴィデオと当時を知るハノーファーの関係者により紹介されました。Hochschule Hannoverと広島市立大学の学生の交換を含め、ハノーファーと広島の現在の交流の礎になった林さんのお仕事の大きさをあらためて感じました。その後のトーク・セッションに参加させていただき、今ここで原爆を記憶することの意義と課題、そしてギュンター・アンダースの思想について、少しばかりお話させていただきました。学ぶことの多い機会を与えていただいたことに、心から感謝しているところです。ちなみに、お寿司とお茶が振る舞われた休憩の後、「ハノーファー最大」の„Karaoke-Show“では、ハノーファーの人々の日本のポピュラー・カルチャーへの愛着の深さ、そしてドイツと日本双方の「歌手」たちの歌の上手さに圧倒されました。

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ミュンヒェンのHaus der Kunstの外観

10月20日と21日にはミュンヒェンへ出かけて、Haus der Kunstで開催されている„Postwar: Kunst zwischen Pazifik und Atlantik, 1945-1965“を見ました。第二次世界大戦終結後の20年間の美術の展開ないし変貌を、„Postwar“という視点から、太平洋と大西洋の両方にまたがる世界的な視野を持って捉えようとするこの大規模な展覧会については、見た印象を別稿に記しましたので。ここでは、20日の夜にガスタイクで聴いたマリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団によるマーラーの交響曲第9番ニ長調の演奏について記しておきますと、彼が完成した最後の交響曲が、彼の生を愛おしむ歌に充ち満ちていることを、あらためて実感させるものだったと思います。その歌の美しさが芳醇な響きのなかに際立った演奏でした。とくに最終楽章のアダージョは美しかったです。心の底からの歌が響きが飽和するまで高まった直後に聴かれる、慈しむような歌の静謐さには心打たれました。ただその一方で、死に付きまとわれているがゆえに生を愛おしむ、その狂おしさが、深い影のなかから響いてほしかったとも思いました。

もちろん、ベルリンでも演奏会やオペラのシーズンが本格的に始まっており、どれに出かけるか迷う日々です。今月はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に三度通いましたが、三度目にしてようやくこのオーケストラの冴えた響きを聴くことができました。イヴァン・フィッシャー指揮によるバルトークとモーツァルトの作品を軸としたプログラムの演奏会では、一方で後半に演奏されたモーツァルトの「プラハ」交響曲の演奏が、この曲の大きさを意識しながらも、その至るところに見られるリズミックな動きを生き生きと躍動させるもので、深い感銘を受けました。曲の厳しさを鋭い響きで強調しながらも、典雅さをけっして失わない演奏で、とくにアンダンテの楽章を美しく響かせていました。やや早めのテンポを基調としながら、時にはっとさせるようなルバートを聴かせていたのが印象に残ります。

他方で、前半のバルトークの弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽では、まず、問わず語りのように静かに流れるモティーフが次々に折り重なって、やがて一つの力強い歌になり、深いため息のように響く瞬間に、恐ろしいほど深い空間が開かれたのに驚かされました。第2楽章のアレグロのテンポは当初控えめでしたが、それによってバルトークの書いた精緻なテクスチュアが実に生き生きと浮かび上がってきます。ハープとチェレスタによるさざめくようなパッセージの後、弦楽器の絡み合うモティーフが地の底から這い上がるように高揚した後は、フィッシャーはテンポを上げて、書の力強い跳ねのように曲を結んでいました。第3楽章のアダージョは、バルトークの夜の音楽が、深い闇のなかに無数の生命の蠢きを感じさせるように響きました。フィナーレでは、力強い「対の遊び」からバルトークの楽器が響いてきました。これまでの楽章の再現が、哀惜を帯びて美しく響いたのも感動的でした。

オペラでは、ベルリン州立歌劇場で観た、ベートーヴェンの《フィデリオ》の今シーズン最後の公演が感銘深かったです。ダニエル・バレンボイムの指揮の下、音楽的にきわめて充実した公演でした。ベートーヴェンが書いた音の一つひとつに生命を感じました。とくにシュターツカペレ・ベルリンの演奏が素晴らしく、垂直的な深さを感じさせる響きのなかに、リズムを躍動させていました。歌手たちも素晴らしく、とくにアンドレアス・シャーガーが歌ったフロレスタンのアリアは、絶唱と言ってよいほどの出来でした。レオノーレの役を歌ったカミラ・ニュルンドも、伸びのある声と正確な歌唱で人物像を浮き彫りにしていました。

この二人の二重唱から幕切れに至る音楽の内的な高揚は、圧倒的な力強さを崇高に響かせるものだったと思います。このベートーヴェン唯一のオペラのフィナーレに、彼が後にシラーの頌歌に乗せて歌う、人類的な共同性の予感がすでにあることを示した《フィデリオ》の上演でした。もちろん、その共同性から排除される者がいることも、舞台では暗示されていましたが。歌手のなかでは、ロッコ役を歌ったマッティ・サルミネンが非常に重要な位置を占めていました。存在感に満ちた声で、人物を結びつけながら舞台を動かしていました。「黄金の歌」も、台詞回しも説得力がありました。

ハリー・クプファーによる演出は、夫婦関係も含めた社会的な人間関係を超越するユートピアへの魂の跳躍を、ベートーヴェンの唯一のオペラに見ようとするもので、そのコンセプト自体は崇高なものでしょう。ただ、それを実現する手法にはいくらか疑問が残りました。ケルンに残されている、かつてゲシュタポによって拘留された人々が、憧憬と絶望の双方を表現する言葉を刻んだ壁を背景に使うというのは素晴らしい着想で、その前で歌われる囚人の合唱は圧倒的でしたが、ベートーヴェンの胸像の載ったピアノと写真をはじめ、小道具はあまり効果的ではなかったかもしれません。とはいえ、全体として、音楽とマッチした説得的な舞台であったのは確かでしょう。

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リリエンタール公園の桜の紅葉

このように、友愛の下に「人類」が立ち上がろうとする劇場の外では、差別的な憎悪表現が、まさに他者の自由を奪うかたちで撒き散らされているのも無視できません。それに対するドイツ社会の問題意識が、今年『憎悪に抗して(Gegen den Hass)』をフィッシャー書店から公刊して大きな反響を呼び起こしたカロリン・エームケのドイツ出版・書籍販売業協会の平和賞受賞に結びついたと思われます。このことも、十月に新聞の文化欄をにぎわせた話題の一つでした。彼女はフランクフルト大学などで哲学を修めた──フランクフルトで討議倫理を学んだと語っています──後、ジャーナリストにして著述家として活躍しているようです。エームケは、受賞に際してのインタヴューで、ドイツ社会の差別的な憎悪表現は、それ自体としては以前からずっとあったが、最近ではそれが確信犯的で厚顔無恥に現われるようになっていると述べ、それに対する危機感が『憎悪に抗して』を書いた動機の一つであると語っていました。こうした現象に対する共通の問題意識も、エームケの受賞の背景にあるのではないでしょうか。PEGIDAといった排外主義的な主張を行なうグループのデモは公然と行なわれていますし、とくに難民に対するヘイト・クライム(収容施設への放火など)は後を絶ちません。

フランクフルトでの書籍見本市の期間に当地のパウロ教会で行なわれた授賞式の挨拶でエームケは、人間の根本的な複数性を語ったハンナ・アーレントの『人間の条件』を引用しながら、差別的な憎悪が新たな段階に達しようとしている状況を見据えながら、憎悪に立ち向かう責任を、勇気を持ってともに引き受けようと語りかけていました。挨拶の表題は「始めよう(Anfangen)」でしたが、それは、みずからのアイデンティティを問い直しながら、そうして自分の物語ないし歴史を交換しながら、お互いの唯一性を尊重し合う自由な行為へ一歩を踏み出す「始まり」への呼びかけであったと思います。これは『憎悪に抗して』という本の主張とも重なると思いますが、その議論と彼女のスタンスに対しては、すでに批判的な論評も出ています。憎悪の背景にある社会的な問題への視野を欠いている、哲学的に憎悪を批判するだけでは、憎悪の問題に実質的に取り組むことはできないのではないか、といった──なかにはルサンチマンを背景にしたシニシズムを感じさせるものもある──批判がエームケに向けられていました。

こうした批判があるとはいえ、エームケの著述には、ザヴィニー広場駅の本屋でたまたま前著の『それは語りうるゆえに──証言と正義について(Weil es sagbar ist: Über Zeugenschaft und Gerechtigkeit)』というエッセイ集を手に取り、ドレスデンへの旅のあいだ読んでから、少し関心を持っているところですので、あちこちの本屋に平積みになっている『憎悪に抗して』も読んでみようかと思っています。そこから、公職にある者が人種差別にもとづく憎悪表現を他者の面前で行ない、それを監督責任者の首長が容認するというように、憎悪表現が新たな、そしてきわめて深刻な段階に入っている日本の状況について考える何らかの材料が得られるかもしれません。

ベルリン通信IV/Nachricht aus Berlin IV

[2016年8月1日]

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ベルリンの壁が残されているEastside Galleryからオーバーバウム橋を望む風景

ベルリンの七月は予想した以上に涼しく、夏の暑さを感じる日が少なかったように思います。今年はやや特別なのかもしれませんが、気候がずっと不安定で、一日のあいだにも目まぐるしく天気が変化しています。七月中旬には、曇りがちで、気温が20度ほどまでしか上がらない日が続いた時期もあり、そのせいで風邪を引いてしまいました。七月は蒸し暑いものと思い込んでいる身体が対応しきれなかったのでしょう。このような不安定な気候は、どこか人を不安にさせるものですが、それが的中したかのように、ドイツでは七月の下旬に、痛ましい出来事が相次ぎました。ヴュルツブルクで発生した列車内での刺傷事件に始まり、ミュンヒェンのショッピング・センターで起きた銃乱射事件、それにアンスバッハの野外コンサートの会場での自爆事件と日を置くことなく起き、ドイツ社会は大きく揺さぶられました。

捜査の進展により、徐々に容疑者のバックグラウンドが明らかになりつつありますが、これらの凶行に及んだのがいずれも社会から孤立した一人の若者であったことは、ドイツの社会を、ひいては人間関係を成り立たせていた根本的な何かが、すでに壊れてしまっていることを露呈させているのかもしれません。このことを感じ取っている人々は、シリアなどからドイツへ難を逃れてきた人々を何らかのかたちで社会に参加させる努力を続けています。七月の末には、Souk Berilinによるストリート・フードのフェスティヴァルに家族で出かけましたが、そこにはシリアやアフガニスタンなどの料理が並んでいました。きっとこれらの国々から逃れてきた人々も、料理の腕を振るったことでしょう。ステージでは、何人かの難民がベルリンまでの道程を語っていました。

言うまでもなく、こうした催しよりも重要なのが日常的な人間関係ですが、その背景にある他者観に関しては、ドイツでは両義的な様相が垣間見えます。ベルリンのような、すでにさまざまなバックグラウンドを持つ人々を受け容れている都市ではとくに、多くの人々がどこから来た人に対してもオープンですが、やはり差別を含んだ排外主義的な考えが浸透しつつあるのも確かで、このことを視線から感じることもあります。このような状況のなかで、娘が一人ひとりを大切にする温かい雰囲気のなかで学べたのは、幸運なことと言わなければなりません。7月20日でベルリンの公立の学校は夏休みに入り、娘も通知表をもらって来たわけですが、その二日前には、放課後に親たちで準備した終業パーティーが近くの公園で催され、担任の教師にプレゼントが贈られました。教師のほうでも、一人ひとりの生徒に手作りの小さな贈り物を用意していました。25人に満たないクラスだからこそ可能なことでしょう。

0711_GS_201608私がお世話になっているベルリン自由大学の夏学期はほぼ終わったようで、おおよそ毎日通っている文献学図書館の利用者もまばらになってきました。七月の下旬は、試験の準備や課題の研究のために図書館へ来る学生が多く、空いている席を見つけるのに苦労することもしばしばでした。このあたりは、日本の大学とまったく同じです。今は、静かになった図書館で、これまでの研究をさらに発展させる道筋を探るべく、文献を読むことに再び力を入れようとしています。7月の下旬には、これまでの研究を、今後の研究の構想も含めて日本語でお伝えする機縁にも恵まれました。その原稿を書くことは、広島の現在をベルリンから見つめながら、私自身が広島との結びつきのなかで哲学することをあらためて問い直す機会ともなりました。

 

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『現代思想』所載の拙稿で触れたかつてのカイザー・ヴィルヘルム研究所の建物

先日発売された青土社の『現代思想』の2016年8月号の特集は、「〈広島〉の思想──いくつもの戦後史」で、尊敬する友人や先達たちが力のこもった論考や記事を寄せて、広島の現在を照らし出し、広島という場に凝縮されている問題を掘り起こしています。私もその特集に、「そこに歴史はない──ベルリンからグラウンド・ゼロとしての広島を思う」と題する小文を寄稿させていただきました。ベルリンと広島のアメリカを介した結びつきに、現在も続く核の歴史の起源があることを確認し、その歴史を担う人物を迎えた広島の現在を、歴史哲学的に考察する内容のものです。広島に見られる「軍都」の記憶の抑圧と国家権力を正当化する物語への同一化が、沖縄の米軍基地の問題をはじめとする現在の歴史的な問題の忘却に結びついていることを指摘したうえで、一人ひとりの死者の許に踏みとどまるかたちで被爆の記憶を継承していくことのうちに、国家権力の道具となることなく、他者とともに歴史を生きる道筋があることを、残余からの歴史の概念の研究構想のかたちで示そうと試みました。ご関心がお有りの方にご笑覧いただければ幸いです。

さて、演奏団体や劇場のシーズンは、だいたい七月の前半で終わるので、先月はあまり生の音楽に触れる機会はなかったのですが、中旬にはベルリン州立歌劇場で、シーズン末の„INFEKTION!“の一環で上演されたサルヴァトーレ・シャリーノの室内オペラ《裏切りのわが瞳》(原題は“Luci mie traditrici”)を観ることができました。冒頭に子どもの声で印象的に歌われるカルロ・ジェスアルドのフランス語のシャンソンを軸に、妻とその愛人を殺害するに至るこの作曲家の物語(実話)が、間奏による何度かの中断を挟みながら展開され、バロック悲劇的とも言える破局の結末を迎えるこのオペラにおいて最も印象的だったのが、独特の風や気配を感じさせるシャリーノの音楽のなかに、冒頭のシャンソンが緻密に組み込まれていたことでした。また、恋と嫉妬における人間の盲目──それゆえに瞳は裏切るのでしょう──を鋭く浮き彫りにするこのオペラは、短いながら非常にスリリングでした。ユルゲン・フリムによる様式感のある洗練された演出の下、素晴らしい演奏でシャリーノの音楽の時空間の広がりを体験することができました。

七月は、演奏会場や劇場に出かけなかった代わりに、いくつか美術の展覧会を見に行きました。そのうち二つの展覧会をご紹介しておくと、まず絵画館(Gemäldegalerie)では、特別展„El Sigro de Oro: Die Ära Velàzquez“(「黄金の世紀──ベラスケスの時代」)が開催されています。フェリペ四世の時代を中心に、スペインが栄えていた主に17世紀の絵画と彫刻を集めた展覧会で、非常に見ごたえがありました。会場に入ってすぐのところでエル・グレコの素晴らしい《受胎告知》が見られますし、もちろんベラスケスの力強い人物の造形も堪能できます。ムリリョのイメージが少し変わる宗教画もいくつかありました。もちろん、彼らしい優しい絵もあります。とはいえ何よりも印象深かったのは、スルバランの作品。着衣の重みが質感とともに迫ってくるような聖フランチェスコの肖像には、思わず見入ってしまいました。イベリア半島の各地方の特徴も興味深く感じたところです。

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聖アンドレアス教会

もう一つご紹介しておきたいのは、ハンブルク駅現代美術館での「暗黒の時代──コレクションのいくつかの歴史 1933〜1945年」という展示です。ナチスが政権の座にあったこの期間のナショナル・ギャラリーのコレクション史を示す展示です。改装中の新ナショナル・ギャラリーのコレクションの一部が、こちらの美術館の一角に企画展のかたちで展示されるようになっています。イタリアも含めたファシズムに利用された作品とともに、「頽廃芸術」の烙印を押されて没収された作品などが、この時代におけるそれらの作品の歴史とともに展示されていました。小規模ながら、歴史的な資料とともに非常に見ごたえのある展示です。まず興味深かったのは、カール・ホーファーの《暗黒の部屋》と題された1943年の作品。太鼓を叩く人物を中心に、この時代の剝き出しにされた人間の虚ろな姿が、独特の彫刻的なところもある輪郭線とともに浮かび上がっています。近くに架かっていたパウル・クレーの《時》という小さな作品とともに、この時代を象徴するものと見えます。ホーファーの実作を見るのは初めてでしたが、具象的な画風を貫いた同時代の日本の画家とも比較研究されたらよい画家とも思われました。アルノルト・ベックリンの《死の島》は、この絵が総統の執務室を飾っている写真とともに展示されています。

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テルトウ旧市街の風景

「暗黒の時代」の展示で個人的に最も印象的だったのは、いずれも「頽廃芸術」とされたエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーとリオネル・ファイニンガーの作品でした。とくに後者のテルトウの街の風景を深い色調のなかに緻密に造形した《テルトウII》は、彼の傑作の一つと思われました。そこには教会の塔が浮かび上がっていますが、それは今もテルトウの旧市街にある聖アンドレアス教会の塔です。それが実際にはどのような様子か気になったので、晴れた日の夕方、娘と一緒に散歩がてらその教会へ行ってみました。思ったよりもこぢんまりとした佇まいです。建物の前には、1265年に街の教会となった経緯が書かれたプレートがありました。その後1801年に消失した建物の再建には、カール・フリードリヒ・シンケルが関わり、擬古典主義とネオ・ゴシックを折衷するかたちで外観を設計したとのことですが、確かにベルリンのネオ・ゴシックの教会とは趣を異にしています。この塔のフォルムに、ファイニンガーを触発するものがあったのでしょう。さまざまな石を埋め込んだ外壁も、遊びがある感じでです。テルトウの街も、ベルリンの街とは違った雰囲気でした。学校が夏休みのあいだ、ベルリンの近郊の街へもできるだけ出かけたいと思います。なかにはドイツの現代史を現在との関わりで考えるうえで重要な場所もあります。

ベルリン通信I/Nachricht aus Berlin I

[2016年5月1日]

ベルリンへ来ると、どこか故郷へ帰って来たような安心感があります。2004年の10月から翌年2月にかけて、在外研究のためにポツダムに滞在していたあいだ、週に一回か二回は電車でベルリンに通っていましたし、その前後にも年に一度は研究のために、あるいは音楽を聴くためにベルリンを訪れていたからです。少しごみごみとした街の空気、せわしく人が行き交う駅から聞こえる電車の音、美術館や博物館の佇まい。どれも懐かしく感じられます。

旅行者としてベルリンを訪れているうちならこういった感慨に浸ることもできるのでしょうが、いざ住むとなるとそのような暇はないというのが実情です。来年2月までの在外研究のためにベルリンに到着して一か月が経ちましたが、あっという間に過ぎました。役所での住民登録に始まり、娘の小学校探し、銀行の口座開設など、思った以上に労力と時間を要しました。とくに役所での手続きは、最近予約なしでは原則として受け付けないようになったこともあって、ベルリンの市民にとっても大変なようです。住まいの家主さんをはじめ、周りの人々の協力を得て、事務的な手続きは、外国人局での在留許可申請を除いて、何とかほぼすべて片づきました。

こちらでは、ベルリン自由大学の哲学科にお世話になりながら、主にヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学の研究を進めています。主著のMedium, Bote, Übertragung: Kleine Metaphysik der Medialität (Suhrkamp, 2008) が日本語に訳されている(『メディア、使者、伝達作用──メディア性の「形而上学」の試み』晃洋書房、2014年)哲学科のジュビレ・クレーマー教授のコロキアム(大学院生以上向けのゼミ)に出させていただきながら、ベンヤミンが問うた歴史の概念を掘り下げることになります。クレーマー教授はとても気さくで、後進の教育にも熱心な方と見受けられました。

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ベルリン自由大学文献学図書館の外観

普段はベルリン自由大学の文献学図書館(Philologische Bibliothek)を利用して、ベンヤミンの歴史哲学に関係する文献を渉猟しています。人間の脳をイメージした設計で2006年のベルリン建築賞を受賞したこの図書館には、人文学関係の文献が豊富に揃っています。何よりも、開架式の図書館なのがありがたいです。適度な広がりのある静かな空間で、必要な本をすぐに手に取って読むことができます。それから、もちろんベルリン芸術アカデミー付設のWalter Benjamin Archivも、重要な研究の拠点です。こちらの司書の方にも何かとお世話になっています。

これらの施設を利用しながら、ベンヤミンの歴史哲学の研究を深め、それを現在構想している〈残余からの歴史〉の概念の理論的な探究に接続させたいと考えています。ひとまず、ベンヤミンに関する研究を近いうちにまとめて、先のクレーマー教授のコロキアムで報告させていただく予定です。それゆえ、とくに今月は研究のピッチを上げなければなりません。懸案だった他のプロジェクトも動き出したので、徐々に本業のほうが忙しくなってきました。

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リリエンタール公園の桜並木

ベルリンでは、市内南西部のリヒターフェルデという郊外の街に住んでいます。緑豊かなところで、雰囲気も落ち着いています。晴れた朝には、実にさまざまな鳥の声が聞こえます。リスが木に登っていくのを何度か見かけましたし、夜にキツネが道路を歩いているのに出くわしたこともあります。近くには、グライダーの有人飛行実験によりライト兄弟以後の航空機開発に貢献したオットー・リリエンタールを記念した公園があります。そこの桜並木が、最近ようやく満開になりました。ただ、ベルリンは四月の末まで非常に寒い日が続いていて、最低気温はずっと氷点下近くでした。雹や雨混じりの雪が降ることもありました。幸い、ここへ来て春らしい暖かさが戻りつつあります。

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ティタニア・パラストの外壁の銘板

リヒターフェルデの最寄りの駅からベルリンの市街中心へは、電車で15分から20分ほどですので、交通の便も悪くはありません。ただし、ちょっとした買い物があるときには、バスでシュテーグリッツという少し大きな街へ出るほうが便利です。ここには、ティタニア・パラストという、戦後しばらくベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏会場に使っていた映画館があります。ベルリン自由大学の創立記念式典が開催された場所でもあります。最近そこでこのオーケストラの定期演奏会のライヴ・ヴューイングを見ました。今はどこにでもあるシネマ・コンプレックスになっています。

ちなみに、現在およそ週に一回ほどのペースで、演奏会やオペラの公演にも通っています。なかでも感銘深かったのが、ベルリン・ドイツ・オペラで観たヤナーチェクの《マクロプロス事件》の公演でした。作品に正面から取り組みながら洗練されたダーフィト・ヘルマン演出による舞台と、ドナルド・ラニクルズの指揮の下での充実した音楽が見事に合致していました。今月観たオペラの公演でもう一つ忘れられないのが、パリの郊外で見たフランチェスコ・フィリデイの新作オペラ《ジョルダーノ・ブルーノ》の公演でした。宇宙の無限を説いたルネサンスの哲学者ブルーノの思想と生涯を、彼の焚刑に至るまで非常に説得的に、かつ現在の問題を投げかけるものとして描き出していたと思います。

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パリのパサージュの一つで

4月の下旬には、勤務先の大学で取得した休日を利用してパリへ三日間出かけました。ベルリンからパリへは二時間足らずのフライトです。旅行の目的はこの《ジョルダーノ・ブルーノ》と馬場法子さんの新作で能楽師の青木涼子さんが主演するNôpéra《葵》の公演を観ること、それにポンピドゥー・センターで始まった大規模なパウル・クレー展「作品におけるイロニー」を観ることでした。このクレー展には、ヴァルター・ベンヤミンが私蔵していた二つのクレーの絵《新しい天使》と《奇跡の上演》が初めて揃うので、見逃さないわけにはいきません。初めて実物を見た《奇跡の上演》は、クレーの魅力が凝縮された一枚と思います。ベンヤミンが友人に宛てた手紙のなかで、これ以上美しい絵を見たことがないと語った気持ちも分かります。

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こちらの桜の多くは八重桜のような感じで、あまり花の儚さは感じさせません。

これら以外にも傑作や貴重な作品が集まっていて、かつクレーの画業も新たな視点から見直させるパリのクレー展に関連しては、5月下旬にコロックも予定されています。そちらにも出かけるつもりでおります。それまでにベンヤミンの歴史哲学に関する研究の現時点での成果を示す論考に目鼻を付けておきたいものです。先に記した施設で本を読む時間を持てる幸せを噛みしめながら腰を据えて文献に取り組み、それをつうじて得られた知見を深めていきたいと思います。ベルリンはこれから一年で最も美しい季節を迎えますので、当地の緑の豊かさも家族で味わいたいものです。ハインリヒ・ハイネが歌った「妙なる月(Der wunderschöne Monat)」がみなさまにも訪れますように。

ベルリンへ/Nach Berlin

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2003年の冬に訪れたときのイーストサイド・ギャラリー

早いもので今年も桜が見頃になりました。近所の三瀧寺の周辺も多くの花見客で賑わっています。毎年そのような時期になると、新たな年度、そして新たな学期も始まって、何かと気ぜわしくなるものですが、今年は普段とは別の慌ただしさがあります。今年度は、勤務先の大学の学外長期研修制度により、4月1日から明くる年の2月10日まで、ベルリンで在外研究を行ないますので、その準備に追われていたのです。おかげさまですでに住居は確保していますし、荷造りなども済んではいるのですが、さまざまな仕事に追われているうちに、肝心の研究計画をしっかりまとめ直す時機を逸してしまいました。ベルリンに着きしだい、当地で行なう研究の照準を合わせ直し、そのために取り組まなければならないことを整理したいと思います。

すでに別稿に記しましたとおり、ベルリン滞在中は、まずはベンヤミンの著作や書簡などをしっかり読み直しながら、残余からの歴史とも呼ぶべき、もう一つの歴史の可能性を哲学的かつ美学的に追求したいと考えています。そこへ向けて、ベンヤミンの歴史への問いを、彼の問い自体を掘り下げながら引き受けていきたいと思います。ちなみに、残余からの歴史とは、これもすでに述べましたとおり、神話としての歴史が消し去ろうとしている出来事の残滓を拾い上げ、声にならない声を反響させることで、現在を過去との布置において照らし出すとともに、他者、そして死者とともに生きる場を、神話の解体によって切り開く歴史とひとまず言えるでしょう。その歴史の可能性は、史実の探究と美的表現が交響するところに開かれるのではないでしょうか。

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2004/05年の在外研究の際に撮影した博物館島の風景

ベルリン自由大学の哲学科にお世話になりながら、この大学の図書館で、あるいはベルリン芸術アカデミー付設のヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフで、ベンヤミンのテクストとそれに関する文献を読み、この残余からの歴史の概念を掘り下げる傍ら、週に一度くらいは、優れた音楽や舞台に接する時間も取りたいものです。それをつうじて、先日の中央大学人文科学研究所のシンポジウム「ドイツでオペラをつくるということ──ハンブルク歌劇場での細川俊夫のオペラ《海、静かな海》の世界初演を振り返る」のテーマでもあった、現代の世界における音楽や舞台芸術の可能性についても考えを深めたいと考えています。

また、ベルリンには近郊にザクセンハウゼンの収容所跡がありますし、中心部にも「テロルのトポグラフィー」をはじめ、全体主義的ファシズムとその戦争、そして虐殺の歴史を伝えるモニュメントなどが無数にあります。それらがどのように造られていて、どのように記憶を喚起するかを観察することも、研究にとって欠かせないことでしょう。こうしたモニュメントへのアートの介入とその意義を検討することは、広島での記憶の継承の姿を、その可能性において考えるうえでも重要なことと思われます。さらに、今回の滞在中は、さまざまな背景を持つ人々の相互理解および共存の試みと、排外主義的な主張の両方を目の当たりにすることにもなるはずです。2004/05年の冬学期の時期にポツダムに研究滞在していた時にもベルリンは頻繁に訪れていましたが、その頃からすると、街の風景もところどころ変わったことでしょう。街の変化を見るのも楽しみなところです。

このように、ベルリン滞在中に取り組みたいことは、挙げだしたらきりがありませんが、10か月ほどのあいだにできることは限られているでしょう。まずは、文献をしっかり読むことに力を注がなければと思います。それに、今回は家族で滞在するので、しばらくは生活が落ち着かないかもしれません。身辺に気をつけなければならない場面も多くなるでしょう。いずれにしても、滞在中は対応しきれないことが多々あるにちがいありません。ご迷惑をおかけすることもあろうかと思いますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。いよいよ今日出発します。

細川俊夫のオペラ《海、静かな海》の世界初演を振り返るシンポジウムのご案内

中央大学人文科学研究所公開シンポジウムflyer東日本大震災と福島第一原子力発電所の過酷事故が起きてから5年の月日が経ちました。それとともに、これらの出来事が人々の魂に残した傷がいかに深かったかが、浮き彫りになりつつあるように思われます。被災した人々のそれぞれの場所での生活再建がままならない状況は言うまでもありませんが、津波などで肉親を亡くし、自分だけが生き残ったことの負い目を抱えるなかで心身を磨り減らし、早く亡くなる人が後を絶たないことも、座視できないことでしょう。こうした問題があるなかで、未だ2600名に近い行方不明者がいることは、非常に痛ましいことです。その一部が、防護服なしには捜索に行くことすらできない場所に置き去りにされていること、それはいわゆる「原子力政策」の取り返しのつかない過ちを物語っているばかりでなく、壊滅的な放射能汚染の危険をも告げているのではないでしょうか。にもかかわらず、政府と電力会社は、原子力発電所の再稼働を押し進めています。

このように、大震災も原発事故も未だけっして終わっていないなか、深刻な危機に直面している現在を照らし出すとともに、そこに生きることを根底から見つめ直させるのが、今年の1月24日にハンブルク州立歌劇場で世界初演された細川俊夫さんのオペラ《海、静かな海》だと思われます。ケント・ナガノさんの指揮と平田オリザさんの演出による世界初演の模様は、3月14日の午前0時よりNHK-BSの「プレミアムシアター」の枠内で放送されましたので、ご覧になった方もおられることでしょう。この放送を私も見ました。すでに別稿に記したとおり、私は《海、静かな海》の世界初演をハンブルクで観ているわけですが、「フクシマへのレクイエム」と題されたドキュメンタリーとともにその初演を見直すことで、新たに知ったことや発見したことがありました。細川さんの音楽や、福島と広島の結びつきなどについても、あらためて考えさせられたところです。

さて、来たる2016年3月26日(土)に、細川さんの《海、静かな海》のハンブルクでの世界初演、そしてその模様の放送を踏まえたうえで、この新たなオペラの世界初演の意義を検討し、現代のオペラの可能性を、その社会との関係などを含めて考えるシンポジウム「ドイツでオペラをつくるということ──ハンブルク歌劇場での細川俊夫《海、静かな海》初演を振り返る」が、中央大学の人文科学研究所の主催により開催されます。時間は14時より17時半までで、会場は中央大学後楽園キャンパスの6210号室です。昨年のシンポジウム「《リアの物語》から考える──日本での現代オペラ上演の現状と課題」と同様、今回も現代のオペラの可能性を世界的な動向を視野に追求し続けておられる、中央大学の森岡実穂さんにコーディネイトしていただきました。今回のシンポジウムにおいては、細川さん自身が《リアの物語》から《海、静かな海》に至るオペラ作曲の歩みを語ってくださるのが何よりも貴重と思われます。細川さんにとって、オペラの作曲とは何か、またどのような音楽思想の下で《海、静かな海》が作曲されたのか、といったことを詳しくうかがえることでしょう。

また、演出家の佐藤美晴さんより、《海、静かな海》のハンブルクでの世界初演のプロダクションに演出助手として加わった経験をお話しいただけるのも、とても貴重なことでしょう。ドイツにおけるオペラ制作の実情を詳しくうかがうなかで、日本におけるオペラ制作の課題も浮かび上がってくるのではないでしょうか。私も、「細川俊夫の作品に見る現代の芸術としてのオペラの可能性」と題して拙いお話をさせていただきます。主にドイツと広島で細川俊夫さんのオペラ作品の上演に接してきた経験を振り返りることで、《海、静かな海》の細川さんのオペラ作品における位置を測り、その初演を振り返ることによって、大震災と原発事故後の現代に向き合うこの新たなオペラの特徴を掘り下げ、さらに細川さんの作品から見て取られる、現代の芸術としてのオペラの可能性の一端に迫ることができれば、と考えております。

ご参加の方々を交えた議論をつうじて、《海、静かな海》の初演の意義をさらに掘り下げ、現代の芸術としてのオペラの可能性を検討できれば、実りあるシンポジウムになることでしょう。現代の音楽に関わっておられる方々、オペラや演劇など、舞台芸術に関わっておられる方々、これらの芸術に関心をお持ちの方々などが、数多く議論に加わってくださることを願っております。入場無料で、事前の申し込みも不要とのことです。お問い合わせ先は、中央大学人文科学研究所(Tel.: 042-674-3270)です。共催に加わってくださった東京ドイツ文化センターのウェブサイト日本独文学会のウェブサイトにも、情報が掲載されております。どうぞ奮ってご参加ください。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

2015年初秋の仕事

早いもので、大学の学期が始まる10月を迎えました。雨が降るごとに秋が深まる今日この頃ですが、晴れるとまだ陽射しが照りつけます。それとともに晴れ渡って、気温が夏並みに上がる日もありますが、そんな日でも見上げると、秋らしく澄んだ青色の空が広がっています。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私のほうは、いつになく慌ただしい9月があっという間に過ぎて、気持ちの整理がつかないまま10月を迎えてしまった感じです。期日に追われながら、読み続け、書き続け、話し続けた9月でした。とはいえ、さまざまな人々のおかげで、慌ただしいながらも充実感をもって過ごすことができました。9月末締め切りの原稿も、おかげさまで何とか脱稿することができました。また、別稿にも記しましたように、上旬には福井県の武生で開催された武生国際音楽祭で、素晴らしい音楽とアーティストに接することもできました。

ダニ・カラヴァンによるベンヤミンを追悼するモニュメント。これが置かれているポルボウを早く取材に訪れたいものです。

ダニ・カラヴァンによるベンヤミンを追悼するモニュメント。これが置かれているポルボウを早く取材に訪れたいものです。

何よりも、7月末より月末の金曜の夜に、東京ドイツ文化センター図書館を会場に3回にわたって開催された連続講演「ベンヤミンの哲学」を無事に終えることができたことに感謝しているところです。毎回図書館が一杯になるほど多くの方々に非常に熱心にご参加いただき、大きな手応えを感じました。ディスカッションも毎回大変盛り上がり、今後の研究の刺激になるご質問もいただきました。ご参加くださったみなさまに心から感謝申し上げます。このような機会をくださった、そして毎回丁寧にご準備くださった東京ドイツ文化センター図書館のみなさまにも、篤く御礼申し上げます。今回の連続講演が、拙著『ベンヤミンの哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)を入り口に、ベンヤミン自身の著作を繙くきっかけになったとすれば、これに勝る幸いはありません。

20世紀の前半に、分類不可能なまでに多彩な文筆活動のなかで独特の思想を繰り広げたヴァルター・ベンヤミンの生涯と著作を紹介する初回の「導入」に始まり、呼応する魂の息遣いをなす言語自体の生成の運動を「翻訳」と考える彼の言語哲学を紹介する第2回「ベンヤミンの言語哲学」が続いたわけですが、想起の経験から歴史の概念を捉え直し、死者とともに生きることのうちに歴史自体を取り戻そうとする彼の歴史哲学を紹介する第3回「ベンヤミンの歴史哲学」が行なわれたのは、奇しくもベンヤミンの75回目の命日の前日でした。国境の街ポルボウでみずから命を絶った彼のことを今思うとき、絶えず生命の危険に曝される場所から何とか逃れ出ながら、少し息のつける場所に辿り着く前に命を落とした、紛争地からの無数の亡命者のことも思わないではいられません。

シリアをはじめとする紛争地からのおびただしい難民が命をつなぐ方途を探ることは、言うまでもなく、世界的に対応しなければならない課題になっていますが、この国の権力者は、その課題に背を向けるかのように、アメリカとの軍事的な結びつきを強化することに血道を上げ、人を殺める武器を製造して輸出することを含んだ軍需産業を潤わせることしか頭になく、そのために世界中で戦争に巻き込まれる道を開いてしまっています。このことは、日本列島に生きる人々の生命のみならず、列島を出て世界各地で人々の生活を支援する活動に取り組む人々の生命も、ひいては危険な例外状態に日々置かれている世界中の人々の生命をも脅かす動きとしか言いようがありません。

ヴァルター・ベンヤミンの肖像写真

ヴァルター・ベンヤミンの肖像写真

この動きが、死者の尊厳を軽んじながら忘却することを強いる歴史修正主義と絶えず連動していることを顧みるなら、ベンヤミンが二度目の世界大戦がもたらしつつある破局を前に、また彼自身の生命が危険に曝されているなかで、ほとんど絶筆として書いた「歴史の概念について」のテーゼを読み直すことは、いよいよ差し迫った課題となりつつあると考えられます。このほど、哲学的歴史論の第一人者とも言うべき鹿島徹さんが、批判版ベンヤミン全集に初めて異稿の一つとして収録された稿を基に「歴史の概念について」を新たに翻訳し、そのテクストに詳細な注釈を加えた『[新訳・評注]歴史の概念について』(未來社)が刊行されましたが、その書評を10月10日発行の『図書新聞』紙に書かせていただきました。ご覧いただき、ベンヤミンの歴史哲学をその可能性において省みるきっかけとしていただけると幸いです。

ひろしまオペラルネッサンス公演《フィガロの結婚》flyer

ひろしまオペラルネッサンス公演《フィガロの結婚》flyer

さて、9月26日と27日には、私が主催者のひろしまオペラ・音楽推進委員会に加わっている、ひろしまオペラルネッサンスの今年の公演、モーツァルトの《フィガロの結婚》の公演が、広島市のJMSアステールプラザ大ホールにて盛況のうちに開催されました。ヴィーン時代の最も充実したモーツァルトの音楽が、オペラの革新と社会的な革命を喩えようもないほど美しく響かせる《フィガロの結婚》は、私たちが他者とのあいだに生きるなかで最後まで信じる、人と出会い直す可能性を、幸福なかたちで予感させるものと言えるでしょう。簡素ながら引き締まった美しさを示す舞台の上に、人間の生きざまを情動の機微とともに浮かび上がらせる岩田達宗さんの演出と、どこまでも血の通ったリズムの上に美しい歌を余すところなく響かせる川瀬賢太郎さんの指揮が、作品の魅力を存分に伝えながらきわめて密度の濃い上演を実現させていました。今回の公演のプログラムにも、プログラム・ノートを寄稿させていただきました。

個人的には、広島で活躍している何人かの歌手が、厳しい稽古を経て、自分の力で壁を乗り越えるかたちで、歌手としての新たな境地を切り開いていたのが嬉しかったです。そのなかで、モーツァルトとダ・ポンテが書いたものが音楽的に生かされていたのが、今回の公演の最大の収穫かもしれません。二日にわたり、最後の赦しの場面は、永遠すら感じさせる崇高さを示していました。まったくごまかしの利かないモーツァルトの音楽に取り組むことによって、声を磨き、音楽を研ぎ澄ますことへ向けた課題も明確になったのではないでしょうか。みなでそれに取り組みながら、次回の公演へ向けて一歩を踏み出せればと願っております。ひろしまオペラルネッサンスへのご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

節目の夏の仕事

原民喜の持ち家の庭の川縁に被爆以前から生えていたという被爆柳

原民喜の持ち家の庭の川縁に被爆以前から生えていたという被爆柳

2015年8月6日、広島は被爆から70年の節目を迎えました。そのことは何よりもまず、広島で被爆を記憶していくことに重い課題を突きつけるものとして受け止められる必要があるでしょう。原爆を直接体験しなかった人々が、被爆の痕跡と死者の記憶を深く胸に刻みながら、同時に広島で何が起きたのか、なぜ起きたのか、と問い続けながら、みずからの手で被爆の記憶を絶えず新たに呼び起こし、伝えていかなければならない時代が到来しています。そして、そのことは今や、世界史的な文脈のなかに広島を位置づけながら、他の場所で起きた、あるいは起きつつある苦難の出来事と、広島の被爆を照らし合わせることで現在を見通し、同様のことが繰り返されることを食い止めようと努めることでもあるはずです。このように、今ここで被爆を記憶することついての理論的な考察の一端を、先頃上梓した拙著『パット剝ギトッテシマッタ後の世界──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会、2015年)のなかに示しておきましたので、ご一読いただけるとありがたいです。

さて、被爆という出来事を、他の出来事と照らし合わせながら、その特異性において記憶する具体的な実践の可能性を探るうえで、8月7日という被爆の記憶の継承へ向けて新たな一歩を記すべき日に行なわれた、アニー・デュトワさんの講演は示唆に富むものだったのではないでしょうか。当日は、この講演を含む「アニー・デュトワ博士と広島の学生との平和交流&萩原麻未による被爆ピアノ演奏」(広島交響楽団主催)の進行役を務めさせていただきました。アニー・デュトワさんは、5日に行なわれた広島交響楽団の「平和の夕べ」コンサートで、これ以上はありえないと思われるベートーヴェンのピアノ協奏曲とシューマンの小品の演奏を聴かせてくれたマルタ・アルゲリッチの愛娘。その演奏会に来られた方には、チャールズ・レズニコフの詩と原民喜の詩を、作家の平野啓一郎さんとの絶妙の掛け合いとともに印象深く朗読されたのが記憶に新しいところでしょう。

デュトワさんの講演は、アウシュヴィッツとヒロシマがいずれも語りえない、自分の経験と関連づけるのがきわめて困難な出来事である点で通底していることを念頭に置きつつ、そのような出来事を、自分と結びつけながら、かつ現在の問題として理解することの重要性を、ヨーロッパ中から集まった17、8歳の若者たちとアウシュヴィッツを訪れた経験にもとづいて語りかける内容でした。まず、今なお歴史修正主義がはびこるなかで、歴史的な事実をしっかりと知っておくことがまず重要であることを、ショアー(ホロコースト)にまつわる基本的な事実やデータを紹介しつつ述べておられましたが、知識としての歴史だけではけっして充分ではないことを強調されていました。犠牲者に共感しつつ、なぜこのようなことが起きたのかを、想像力を働かせて自分の問題として理解しようとしなければ、将来を切り開く行動は生まれないとのことです。

そのために、デュトワさんがヨーロッパの若者たちと参加した“Trains des milles”(千人の列車)プロジェクトは、さまざま工夫を行なっているようです。例えば、近代史上の人物を一人選んで、この人物にとって最も大事な身の回りの物は何かを考え、その人物のスーツケース──ユダヤ人たちがアウシュヴィッツへ携えて行ったスーツケースです──を自分で作り、個々人の経験への共感の回路を開く試みがなされているとのことでした。また、若者たちは34時間かけて列車でアウシュヴィッツを目指すわけですが、その列車にはアウシュヴィッツの生き残りが同乗し、みずからの体験を語るのだそうです。広島における被爆の記憶、ないしは戦争の記憶の継承の可能性を考えるうえでも参考になることの多いプロジェクトではないでしょうか。

デュトワさんは、ヨーロッパで極右勢力がじわじわと拡大し、反ユダヤ主義をはじめとするレイシズムが声高になりつつあるなかで、“Trains des milles”のようなプロジェクトの重要性はいっそう高まっていると述べていました。まして歴史修正主義が一種の大衆性すら帯びるなか、ヘイト・スピーチがパブリックな媒体においても行なわれているこの国では、そうしたプロジェクトは喫緊の課題と言うほかありません。同時にこうした若者が参加するプロジェクトに、文学や音楽をはじめ、芸術に触れる機会を組み込み、若者たちのなかに共感の回路を開くことの重要性も、デュトワさんと確認し合ったところです。広島ではとくに、原爆文学と呼ばれる文学の作品を深く味わう機会を設けることが大事ではないでしょうか。その一つとして原民喜の被爆時の足どりを辿るフィールドワークは、非常に有意義な機会と思われます。

8月5日、広島花幻忌の会が主催する原民喜の「夏の花」を歩くフィールドワークに、学生たちと参加しました。炎天下を、原民喜が目の当たりにした被爆時の光景を思いながら、彼の生家の跡から「夏の花」の基になる「原爆被災時のノート」が書き始められた東照宮まで歩きました。民喜の甥の時彦さんのお話を聞きながら、また原民喜の文学を研究されている竹原陽子さんの朗読を聴きながら、被爆時の原民喜の足跡を辿ることができるのは、「夏の花」を深く読むうえでも、この作品に込められた記憶を絶えず新たに呼び覚ましていくうえでも、とても貴重なことです。もっと多くの若い人たちに参加してほしいものです。

ところで、広島と長崎の被爆とともに、敗戦からも70年が経とうとしていますが、それとともに戦争の記憶が薄れ、戦争体験者の平和への切なる願いも、忘れられつつあるように思えてなりません。まさにそのような今、「平和」という言葉が、生きることから掠め取られ、殺し、殺されるのに人を駆り立てるのに使われ始めています。そして、そのような、いわゆる「安保法制」の確立へ向けた動きを貫くのは、記憶殺しとも言うべき歴史修正主義であり、帝国日本の植民地主義を支えたレイシズムです。こうした考えを抱きながら、現政権の無法なやり方を批判する拙稿を、週刊書評紙『図書新聞』第3218号(2015年8月8日)の特集「『戦争法案』に反対する」に掲載していただきました。

拙稿は、「記憶を分有する民衆を、来たるべき東洋平和へ向けて創造する──平和を掠め取り、言葉を奪い、生きることを収奪する力に抗して」という表題のものですが、これは今年のささやかな平和宣言です。平和という言葉のみならず、言葉そのものを、さらには生きること自体を食い物にしながら、平和主義を根幹から骨抜きにしようとする政権の無法な動きを、歴史的な問題として見据えつつ、まさにその動きに抗して、国会前で、各地の街頭で、そして大学のキャンパスで生まれつつある言葉を、記憶を分有する民衆の創造へ向けて結び合わせることを要請する内容の小文を書きました。ご高覧いただけたら幸いです。

7月31日には、東京ドイツ文化センター図書館での連続講演会「ベンヤミンの哲学──言語哲学と歴史哲学」の第1回「導入:ベンヤミンの生涯と著作」を何とか終えることができました。お運びくださったみなさまに心から感謝申し上げます。聴き手の熱心さがひしひしと伝わり、とても話しやすかったです。ベンヤミンの生涯を通観するかたちで話をするのは初めてでしたが、とてもよい経験になりました。次回のテーマは「ベンヤミンの言語哲学」、拙著『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社、2014年)の内容をかみ砕きながら、かつ今回の反省点も踏まえつつ、言葉への問いをご参加のみなさまと共有できるよう努めたいと思います。

それにしても今年は酷暑が続きます。みなさまくれぐれもお身体に気をつけて、この厳しい夏を乗り切ってください。私も、この暑さのなか、大学の講義などのさまざまな仕事をこなす傍ら、ひたすら原稿を書き続けてきたので、さすがに少々夏バテ気味です。ひとまず、上記の『図書新聞』紙への寄稿の原稿をはじめ、急ぎの原稿はすべて出し終えたこともあり、10日から14日までは、鹿児島の実家に帰省して休暇を取ることにいたします。その間、英気を養いながら、次の仕事のためのアイディアを温めたいと考えております。