早春の仕事など

IMG_0080柔らかな陽射しを楽しむかのような鳥たちの声が聞こえる日が多くなり、ようやく春の訪れを実感できるようになってきました。近所の公園の桜の古木にも、花をのぞかせ始めたつぼみがちらほらと見られます。最近目にしたヘルダーリンのフランクフルト時代の断片は、このような一見穏やかな春の萌しのうちに、老いとそこにある硬直に立ち向かう若々しさそのものを、それを貫く生命の迸る動きを鋭敏に感じ取っていました。できればいかに忙しいなかでも、そのような生命の力を内に感じていたいものです。早いもので、広島に戻ってすでに一か月半が過ぎましたが、その間二週間の集中講義を含めて非常に慌ただしく過ごしておりました。その間の活動を、ここでご報告しておきたいと思います。

まず、3月4日には、駿河台のESPACE BIBLIOにて細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(柿木伸之訳、アルテスパブリッシング、2016年)の刊行を記念して開催されたトーク・ショー「細川俊夫の創作の背景にせまる──尹伊桑、武満徹、そしてオペラへの道」の聞き手役を務めました。このトーク・ショーでは、著者の細川俊夫さんをお迎えして、本書において初めて語り下ろされたこの世界的な作曲家の創作の軌跡の背景にあるものなどを、2012年にドイツで本書の原書が刊行されて以後の作曲活動を含めて詳しくお話しいただきました。また、特別ゲストとしてリコーダー奏者の鈴木俊哉さんをお迎えして、細川さんの創作活動の里程標をなす作品を演奏していただきました。51fwl3vou1l

幸い、トーク・ショーには会場が満員になるほどのお客様にお越しいただき、心から感謝しております。鈴木さんの素晴らしい演奏と貴重なオペラ上演の映像を交えての細川さんのお話には、尹伊桑や武満徹との関わりについて初めて聞く話がいくつもありましたし、細川さんの音楽そのものについて改めて深く考えさせられる言葉や、現代日本の状況に対する重要な問題提起もありました。このような充実した場をご用意くださったエスパス・ビブリオのみなさま、アルテスパブリッシングの木村さんに、心から感謝申し上げます。

また、3月11日には、成蹊大学アジア太平洋研究センターの主催で開催されるシンポジウム「カタストロフィと詩──吉増剛造の『仕事』から出発して」にお招きいただき、パネリストの一人として「言葉を枯らしてうたえ──吉増剛造の詩作から〈うた〉を問う」という発表をさせていただきました。ヴォイス・レコーダーを構え、じっとこちらを見つめる吉増剛造さんを前に、またかねがね尊敬している錚々たる方々のあいだで少し緊張しましたが、何とか役目を果たすことができました。最近のものを含めた吉増さんの詩作を読み解きながら、また奇しくもまったく同じテーマ(「カタストロフィと〈詩〉」)で行なわれた三年前の原爆文学研究会のワークショップで原民喜やパウル・ツェランの詩についてお話ししたことを少し振り返りながら、今〈うたう〉可能性を詩のうちに探る内容のお話をさせていただきました。

17218299_1434549826597385_7177254774096220764_oまさに東日本大震災が起きた日に開催されたこのシンポジウムは、これまで参加させていただいたシンポジウムのなかで、最も密度の濃いものの一つでした。吉増さんの詩作の初期から『怪物君』(みすず書房、2016年)にまで貫かれているものを文脈を広げながら掘り下げ、詩とは何か、詩を書くとはどういうことかを突き詰めていく思考が、4時間以上にわたって積み重ねられました。そのような議論が最後に『怪物君』とは何かという点に収斂したのは、この日のシンポジウムに相応しかったと思われます。吉祥寺という場所で胸騒ぎを覚えながら引用した原民喜の「鎮魂歌」の一節に「僕は結びつく」という言葉がありますが、自分のなかでいくつものモティーフが結びつき、たくさんの宿題を持ち帰ることができました。それに吉増さんを介して、素晴らしい方々とも出会うこともできました。このような場を作ってくださった、李静和さんと成蹊大学アジア太平洋研究センターのみなさんに、あらためて心から感謝申し上げます。

それから、図書新聞の第3297号(3月25日発売)に、竹峰義和さんの近著『〈救済〉のメーディウム──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会、2016年)の書評を書かせていただきました。「媒体の美学の可能性──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲの不実な遺産相続の系譜から浮かび上がるもの」と題する拙稿では、時に「剽窃」と非難されることもあるアドルノによるベンヤミンの思想の継承に内在する、破壊的ですらある読み替えが思想の内実を批評的に生かしていることや、師にあたるアドルノが映画や放送メディアのうちに見ようとした可能性を、師とは異なった方向性において開拓するクルーゲの仕事に光を当てる本書の議論が、「フランクフルト学派」のもう一つの系譜とともに、知覚経験を解放する「救済の媒体(メーディウム)」の美学の可能性を示している点に触れました。この原稿が、ベルリン滞在中に公刊を予定して書いた最後の原稿ということになります。

この間、いくつか印象深い演奏会や展覧会に接して、自分の仕事の出発点を顧みる機会を得られたのは幸いでした。まず、3月3日に六本木のギャラリーOta Fine Arts, Tokyoにて、「ニルヴァーナからカタストロフィーへ──松澤宥と虚空間のコミューン」を見ました。嶋田美子さんの素晴らしいキュレーションによって精選された貴重なドキュメントの数々は、松澤宥という、その緻密な思考にもとづくアートによって、アートを突き抜けたアーティストの行為の軌跡と、それを結節点として世界中のアーティストが結びついていくさまを実に生き生きと伝えるものでした。松澤が一つのマンダラの形で構想していた、物質の滅却、人類の滅亡、さらにはその先にある虚無へ向けた思考の布置を構成していくアートを今どのように捉えるか、という点は、膨大な資料の解読にもとづくこれからの研究によって掘り下げられなければならないと思います。

とはいえ、松澤が拠点を置いた諏訪と広島、長崎を結びつけたこともある彼の仕事が、そこに生まれる呼応関係によって、危機的な現在を照らし出すものだということは、展示からひしひしと伝わってきました。そのことは同時に、とくに日本列島に生きる者たちが外的にも内的にも取り返しのつかないカタストロフィに足を踏み入れつつあることを問いただしているようにも感じられます。諏訪の松澤宥プサイの部屋を訪れて、彼を結節点とするアートの強度とアクチュアリティを、資料から計測する研究者が出て来ることを願ってやみません。松澤の空への呼びかけに応じて集まったアーティストたちによる、手書きによって構成された葉書や書簡、そして電報(テレグラムとしてさらに考えてみたいところです)の数々も、新たなポエジーの胎動を感じさせるものでした。

17350038_1444674655584902_3959852989274643360_o3月12日には、横浜のみなとみらいホールで横浜芸術アクション事業Just Composed 2017 in Yokohamaの「能・謡×弦楽四重奏」の演奏会を聴きました。馬場法子さんの《ハゴロモ・スイーツ》の世界初演を聴いて、出かけた甲斐があったと思いました。青木涼子さんの声と謡を見事に生かしながら、能の「羽衣」のエッセンスをなす要素を新鮮に、潮風と気配を感じさせる風景のなかに響かせていたのが印象に残ります。楽器の生かし方も、モノ・オペラとしての空間の演出も、実に巧みだったと思います。終演後に馬場さんからお話をうかがって、これらが謡の綿密な研究の成果であることも分かりました。ステファノ・ジェルヴァッゾーニの《夜の響き、山の中より》も、西行法師の歌の配列のなかに声を多彩に生かしながら一つのモノ・ドラマを現出させる作品として興味深く聴きました。能の謡とミニマムな器楽アンサンブルのコラボレーションに可能性を感じさせる演奏会でした。

3月16日には、京都のVoice Gallery pfs/wにて呉夏枝さんの個展「仮想の島── grandmother island 第1章」を見ました。亜麻を素材にグァテマラやインドネシアの織物の技法を参照しながら丹念に織られた地図、ないしは海図としての織物は、けっして平面で完結することなく、中空で螺旋をなしながら、あるいは地下茎を伸ばしながら、別の時空へ連なっていきます。その様子は、人が記憶の越境的な連なりを生きていることと同時に、いくつもの記憶が海を越えて遭遇する可能性をも暗示しているように見えます。海の上に火山島を思わせる島が浮かび上がる風景は、いくつもの記憶が折り重なり、さらには生の記憶が歴史と痛みとともに交錯することによって織りなされているのではないでしょうか。

目を変えながら織られた織物の上に黒のなかのさまざまな色が滲み出る──それが、島の像の存在感と遠さを一つながらに醸し出していました──ところには、テクスト、あるいはテクスチュアからこぼれ落ちるものが染み出ているようにも見えました。作品のテーマとなっている地図ないし海図とは、このような過程に人を引き込む一つの閾としての空間に身を置く一人ひとりの記憶のなかに織られていくものと思われます。そのことは、吉増剛造さんとパウル・ツェランが詩作を、織ったり、編んだりすることに喩えていたことにも呼応することでしょう。風を感じさせる空間が形づくられていたことも印象的でした。もしかするとそのことは、作家の創作の新たな段階を暗示するものかもしれません。

それにしても、この一月半のあいだ、ベルリン滞在の準備に追われていた一年前に比べてさらに社会が息苦しくなっていることを、さらにその息苦しさが、思想とその表現の自由が最後まで守り抜かれるべき場さえも覆おうとしていることを、実感せざるをえませんでした。もし、幾重もの不正と汚職をめぐる狂騒に紛れて共謀罪──「テロ等準備罪」なるものは、共謀罪以外の何ものでもありません──が法的に作られるなら、思想信条の自由が、それを表現する権利が実質的に奪われるのではと危惧しています。それによって、精神は萎縮し、上目遣いの自粛が蔓延し、いかがわしい「公益」なるものが幅を利かせる社会が出来上がるでしょう。そのような状況のなかで、人が息苦しさと無力さに押し潰されてしまう前に何ができるかを、新たな年度が始まる4月へ向けて、自分の置かれた場所で考えてみたいと思います。

 

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Chronicle 2014

ダニ・カラヴァン《初めに》(霧島アートの森)内部より

ダニ・カラヴァン《ベレシート(初めに)》(霧島アートの森野外展示)内部より

年の瀬にようやく寒さが落ち着いた感がありますが、今年の冬の寒さは例年になく厳しさで、12月中旬には広島でもかなりの雪が降り積もりました。すでに別稿で述べたとおり、それは息苦しい冬の時代の到来を告げるかのようでもあります。東日本大震災と福島の原子力発電所の重大事故を経て、日本列島の人々の暮らしは少しは身の丈に合ったものに変わるかと思いきや、二度の総選挙を経てこの国に残ったのは、救いがたくフラットで、目障りなほどに華やかさを装う「ニッポン」という虚像。この自己慰撫と他者への憎悪によってのみかろうじて維持しうる華やかさを増殖させるために、今や放射能の深刻な脅威が、日本列島の全域に実際に迫りつつあります。そして、そのキッチュなきらびやかさと表裏一体の排他的な歴史修正主義は、暴力の歴史の犠牲になった人々の尊厳を奪いながら、日本列島に生きる人々の世界的な信用を損ねています。

人々の生を資本に売り渡して圧殺する「ニッポン」という神話の暴力に抗して、まずアジアの島々の連なりのうちに息をつく余地を探ることが、どうやら来たる年の課題になりそうです。そのために、これまでにも増して地に足を着けて哲学することが求められるように思われてなりません。そこで来年はまず、被爆70周年を迎える広島の記憶を、その複数性と世界性において再考し、その痕跡と証言を今ここで見届け、聴き届ける可能性を考えてみたいと思います。今年夏に起きたイスラエル軍によるガザ地区の人々の虐殺も連なる暴力の歴史を見通し、それを食い止める可能性へ向けて、ヒロシマの記憶は継承されるべきではないでしょうか。そして、その理論をもう一つの歴史、「国民」の名の下の暴力の歴史の残余から描き出される歴史の概念に結びつけていくのが、次なる課題となることでしょう。

そのためにも、先頃批判版のテクストが刊行されたヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について」を読み直すことが急務と思われます。その足がかりとして、今年の夏、奇しくもベンヤミンの誕生日に当たる7月15日に、学位論文を基にした著書『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』を平凡社から上梓することができました。そのためにご尽力くださった編集者の関正則さんと安井梨恵子さんに、あらためて心から感謝申し上げます。幸い拙著は、各方面で温かく迎えられているようで、すでに二つの書評が公にされ、一千人近い読者を得ています。また10月11日には、西南学院大学で拙著の合評会も催していただきました。その実現にご尽力くださった田村元彦さんと行友太郎さんに感謝申し上げます。

この合評会の場でも拙著に素晴らしいコメントをくださった森田團さんには、『週間読書人』紙の12月5日号に、「研究の大きな道標に──言語と歴史をめぐる思考の内的な連関を解釈する可能性を指し示す」と題する濃密な内容の書評をご寄稿いただきました。拙著の意義とアクチュアリティを緻密に読み解いたうえで、ベンヤミンの問いを受け継ごうとするモティーフまで汲んでくださっています。また、インパクト出版会の『インパクション』第197号には、細見和之さんによる拙著の書評「『歴史の天使』は破局に満ちたこの現在にあくまでとどまろうとする」が掲載されています。拙著のベンヤミン受容史における位置、彼の言語哲学と歴史哲学を接続させる議論の意義と射程などを明らかにするとともに、今後課題とすべき点もしっかり指摘した、非常に充実した内容の書評と受け止めております。これらを励みに、上に記したような課題に取り組むべく、研究に精進したいと思います。

今年も、講義と大学の公務と家事の合間を縫って研究と執筆を続ける日々が続いたわけですが、そのなかで、11月にバイエルン国立歌劇場で観たベルント・アロイス・ツィンマーマンの《軍人たち》をはじめ、素晴らしい音楽や舞台に触れられたのは大きな喜びでした。また、細川俊夫さんのモノドラマ《大鴉》の広島初演へ向けた日本語字幕制作や、武生国際音楽祭などでのレクチャーや演奏会をつうじて、音楽と言葉の関係について、実際に作品に触れながら考える機会を持てたことも刺激的でした。そして、私も「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌」という報告をさせていただいた12月下旬の原爆文学研究会は、あらためて詩を生きることの可能性を実感する貴重な機会となりました。詩を生きることの分有のためにも、言葉そのものをさらに掘り下げなければと思います。

以下に記すように今年一年の公的な活動を振り返ると、たしかに今年の前半はさまざまな仕事が積み重なって、相当に忙しかったことが分かります。そのためもあって、7月初旬に橈骨神経麻痺を発症し、2か月強にわたり利き手の右手が不自由な生活を余儀なくされました。おかげさまで今はほぼ何の問題もなく右手を使って仕事ができていますが、長いリハビリの日々は、生活観をかなり変えることになりました。以前は一顧だにしなかった筋力の強化のため、週二回ほどジムに通って、ウェイト・トレーニングとスイミングに取り組んでいます。その成果もあって基礎体力はいくぶん向上しました。引き続き体力の強化に努めながら、地道に仕事に取り組んでいきたいと思います。来たる年もよろしくご指導くださいますようお願い申し上げます。2015年がみなさまにとって少しでも平和で幸せに満ちた年になることを祈念しております。

■Chronicle 2014

  • 1月31日:細川俊夫さんの《星のない夜──四季へのレクイエム》の広島初演が行なわれた広島交響楽団第335回定期演奏会のプログラムに、プログラム・ノートを寄稿しました。この大規模な声楽作品《星のない夜》が、ゲオルク・トラークルの詩をつうじて、四季の循環とそのなかの生々流転を描きながら、広島への原子爆弾の投下とともに、ドレスデンへの空襲を想起する作品であることに触れたうえで、その構想の重要な契機となったのが、パウル・クレーの《新しい天使》とその絵に寄せられたテクストであることにも論及しています。《星のない夜》という作品全体の特徴を紹介し、この作品を、過去を想起するよう促す裂け目を含んだ新しい暦と特徴づけました。併せて、モーツァルトのフリーメイソンのための葬送音楽とヨーゼフ・マルティン・クラウスの交響曲嬰ハ短調の特徴も紹介しています。
  • 2月7日:同日付中国新聞29面に、「佐村河内守作曲」とされてきた作品の作曲者偽装問題について、「作品批評の在り方検証を」という論考を寄稿しました。「交響曲第1番HIROSHIMA」をはじめとする楽曲が別人の作曲によるものであったことが判明したことを受けて、その音楽自体を批評にもとづいて紹介するのではなく、耳が聞こえないなかで作曲する「現代のベートーヴェン」の神話だけを独り歩きさせてきた音楽業界とマス・メディアのあり方を批判し、そのイメージ戦略に乗って美談の消費に流れ、広島では「市民賞」を授与するにまで至った音楽文化のあり方に警鐘を鳴らす内容のものです。
  • 3月7日:学位請求論文「ベンヤミンの言語哲学──翻訳と想起」により、上智大学より博士(哲学)の学位を授与されました。この論文は、7月に刊行される著書『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)の基になった論文です。本にするにあたり、終章を中心にかなり改稿しました。論文要約が上智大学学術情報リポジトリに掲載されています。
  • 3月20日:広島大学総合科学研究科人間存在研究領域人間文化研究会編『人間文化研究』第6号に、「谺の詩学試論──ベンヤミンにおける『谺』の形象を手がかりに」が掲載されました。2013年7月23日に、ポーランドのクラクフで開催された第19回国際美学会 (19th International Congress of Aesthetics) において英語で発表した原稿 (Toward the Poetics of Echo: From Revisiting the Image of “Echo” in Walter Benjamin’s Writings) のもとになった日本語の草稿を改稿したものです。ヴァルター・ベンヤミンの著作、とくに「翻訳者の課題」と「歴史の概念について」に見られる「谺(こだま:Echo)」の形象を批判的に検討するとともに、それが示唆する美的経験を、パウル・ツェランや原民喜の詩的作品のうちに見届けながら、「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」以後の詩的表現の可能性とともに、いわゆる「表象の限界」を超える歴史的想像力の可能性を探っています。
  • 4月1日:丸川哲史さんの著書『魯迅出門』(インスクリプト、2014年)の書評「転形期における魯迅の『文』の探究を世界的な文脈へ解放する」が、『情況』3・4月合併号に掲載されました。魯迅の文学を、従来の魯迅研究などから解放しつつ新たに読み解き、そこに世界史を自主的に構成する道の模索を見て取ろうとする本書の特色を、魯迅の「文」の探究を中心に論じています。この「文」の探究を、中国を越えて同時代の文学における「文」の試みと接続させることによって、魯迅を読み直す新たな、世界的な文脈を開いている点に光を当てるとともに、それによって魯迅とヴァルター・ベンヤミンの同時代性が浮き彫りになっている点に注目しました。
  • 4月〜7月:広島市立大学国際学部の専門科目として、「共生の哲学I」、「社会文化思想史I」、「多文化共生入門」の講義、「発展演習I」、「卒論演習I」、オムニバス講義の「国際研究入門」を担当しました。「国際研究入門」ではコーディネーターも務めました。大学院国際学研究科の「現代思想I」では、ジョルジョ・アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの──アルシーヴと証人』(月曜社)を講読しました。全学共通科目として、「世界の文学」の2回の講義と「平和と人権A」の1回の講義を担当しました。広島大学では教養科目の「哲学A」の講義と「戦争と平和に関する総合的考察」の2回の講義を、日本赤十字広島看護大学では「人間の存在」の講義を担当しました。
  • 6月7日:広島市立大学の「いちだい知のトライアスロン」事業の出張講座として、広島市映像文化ライブラリーにて「迷宮としての映画──ヴォイチェフ・イェジー・ハス監督『サラゴサの写本』」と題する短い講演を行ないました。ポーランド貴族ヤン・ポトツキが1804年から1805年にかけてロシアのサンクトペテルブルグで秘密出版した幻想的な小説『サラゴサ手稿』を原作とするハス監督のこの1965年の作品の映像美は、ルイス・ブニュエルをはじめとする世界中の映画監督を魅了してきましたが、そこではナポレオン戦争時代のスペインのサラゴサで一人の将校が偶然手に取った一冊の古い写本のなかで回想が別の回想を呼び、物語がいつ果てるともなく連なっていき、さながら映画そのものが迷宮と化すかのようです。今回の講演では、ハス監督の傑作をポトツキの小説とともに紹介しながら、この迷宮としての映画の魅力に迫りました。
  • 7月1日:広島芸術学会の『広島芸術学会会報』第128号に、「『そっくり』の深淵へ──このしたPosition!!リーディング公演『人間そっくり』を観て」という劇評が掲載されました。5月2日に広島市の東区民文化センターのスタジオ2で行なわれた「人間そっくり」の公演の批評で、京都の演劇ユニットこのしたやみと三重県の劇団Hi!Position!!による、安部公房の小説『人間そっくり』を構成したテクストのリーディングによる公演を、リーディングと巧みな演出によって安部公房の作品の論理的な仕掛けを生かしたスリリングな舞台と紹介しています。
  • 7月12日:『図書新聞』第3166号に、「大衆文化の夢から目覚め、歴史の主体になれ──歴史への覚醒の場をなす形象の座標系」と題するーザン・バック=モースの『ベンヤミンとパサージュ論──見ることの弁証法』(高井宏子訳、勁草書房、2014年)の書評が掲載されました。ベンヤミンの『パサージュ論』の古典的研究を読み解き、そこにあるベンヤミンの「弁証法的形象」を媒体とする「根源史」の試みの救出に光を当てることで、歴史修正主義とも結びついた今日の大衆文化からの歴史への覚醒を今に語りかける一書として、日本の読者に紹介するものです。
  • 7月15日:著書『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』を平凡社より上梓しました。先に上智大学に提出された博士論文を改稿したものです。言語の本質を探究するベンヤミンの哲学的思考を、彼が生涯の節目ごとに著作のうちに描き出した天使の像に結晶するものと捉えつつ、そのような思考を、初期の言語論「言語一般および人間の言語について」から、遺稿となった最晩年の「歴史の概念について」に至るまで貫かれる思考として読み解き、ベンヤミンの思考を独特の言語哲学として描き出そうと試みるものです。本書は、言葉を発すること自体を「翻訳」と考えるベンヤミンの着想に注目しつつ、それが深化される過程を辿ることによって、言語そのものが、共約不可能な他者と呼応し合う回路を切り開く力を発揮しうることを示しています。さらに、過去の出来事を一つひとつ想起する経験のなかから、神話としての「歴史」による抑圧を乗り越えて新たに歴史を語る可能性をも、言語そのものから引き出そうとしています。もう少し詳細な内容と目次については、別稿をご参照ください。
  • 9月27日:9月27日と28日にアステールプラザ大ホールにて開催された、ひろしまオペラルネッサンスのビゼー作曲『カルメン』の公演のプログラムに、「掟を知らない自由を歌うオペラ、その掟破りの新しさ──ビゼーの『カルメン』に寄せて」と題するプログラム・ノートを寄稿しました。『カルメン』というのオペラの時代に先駆けた、かつ当時のオペラの慣習を破る新しさを紹介し、まさにそうした掟破りの新しさによって、けっして掟に縛られることのない、かつ身体的に生きられる自由が表現されていることを、時代背景などに目配りしつつ描き出すものです。
  • 10月〜2015年2月:広島市立大学国際学部の専門科目として、「共生の哲学II」、「社会文化思想史II」の講義、「発展演習II」、「卒論演習II」を担当しています。大学院国際学研究科の「現代思想II」では、カントの『判断力批判』の美と崇高の分析論を講読しています。全学共通科目として「哲学B」を担当しています。広島大学の教養科目「哲学B」の講義と、広島都市学園大学の「哲学」の講義も担当しています。
  • 11月16日:広島平和文化センターの主催による「国際交流・協力の日」の催しとして行なわれた広島市立大学国際学部の公開講座「大衆文化を通じた国際交流──世界各国における日本の大衆文化・日本における世界の大衆文化」の司会を務めました。
  • 12月21日:九州大学西新プラザで開催された第46回原爆文学研究会「戦後70年」連続ワークショップIV「カタストロフィと〈詩〉」 のパネリストとして、「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜を中心に」と題する研究報告を行ないました。テオドーア・W・アドルノの「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」という言葉を、その文脈から跡づけ、そこに含まれる問いを取り出したうえで、それに対する詩の応答の一端を、原民喜とパウル・ツェランの詩作のうちに求め、そこに含まれる詩の変貌ないし変革に、破局の後の詩の可能性を見ようと試みるものです。

二つの研究会に参加して

パウル・ツェランの「死のフーガ」の詳細な註解書

パウル・ツェランの「死のフーガ」の詳細な註解書

早いもので、2014年も暮れようとしています。この冬は、例年になく厳しいものになりそうです。時ならぬ大雪が示すように寒さも厳しいですが、それは厳しい抵抗の日々の到来を告げるかのようです。華やかさを装いながら人々の苦難を食い物にし、働く人々の生活を破壊し、そして核によって生命そのものを壊滅させることでますます増殖しようとしている権力に、そのファシズムの文字通り「神話的」な暴力にいかに立ち向かうか、そしていかに他者とともに生きることに踏み止まるかが、これから問われることになるでしょう。

さて、そのような厳しい日々を生き抜く道を探るうえでも、この師走に二つの研究会に参加できたことは非常に刺激的でした。その一つは、2014年12月14日に東京ドイツ文化センターにて第3回日独哲学会議として開催された、マルティン・ハイデガーのいわゆる『黒ノート』についてのワークショップです。この『黒ノート』とは、ハイデガーが密かに記していた哲学的手記とでも言うべきノートで、彼が死後に全集の最後の巻として公刊することを指示していたものです。このほど、その遺志に反するかたちで出版されたこの『黒ノート』ですが、出版に先だってその内容の一部が伝えられた際に、そこに反ユダヤ主義的な言辞が含まれることが激しい論議を呼び、「ハイデガー問題」が再燃することになりました。

今回の東京の会議には、現在全3巻1200ページに及ぶ『黒ノート』のテクストを編集したヴッパータール大学のペーター・トラヴニーさんが招かれていて、そこに込められたハイデガーの思想について、詳しく聞くことができました。また、このテクストとそれをめぐるヨーロッパの議論をいち早く紹介した三島憲一さんをはじめとする日本の研究者が、『黒ノート』が問いかけるものを議論しました。個人的には、例えば、単独性と共存のあいだの断層をはじめとする、ハイデガーの思想そのものに内在するいくつかの断層を指摘した加藤恵介さんの報告が、ハイデガーのテクストへの新たな切り口を示すものと思われました。

もし、その断層が、三島さんの指摘する「公共性」ないし「世界性」の欠如──例えば、ハイデガーのユダヤ人観はユダヤ教を欠いた一面的なもので、それ自体反ユダヤ主義的なソースにもとづいているようです──のなかで、一種の決断によって架橋され、それとともに「民族」、「人種」、さらには「存在論的マニ教主義」が語られているとすれば、トラヴニーさんが『黒ノート』に見る「存在史的反ユダヤ主義」の問題はきわめて根深く、それは和辻哲郎らの京都学派におけるハイデガー受容にも、さらには今日「日本人」をことさらに言挙げする排他的言説の淵源にも、深刻な問いを投げかけるものと言わざるをえません。

さらに、この催しそのものが、日本におけるこれからのハイデガー受容に、すなわち今ハイデガーを読むことに、重い問いを突きつけるものであったように思います。そのテクストでハイデガーが「世界ユダヤ人組織」といった不穏な言葉を語っているのを、現在を照らす問題としてどのように受け止められるかに、このワークショップでトラヴニーさんが言及していた哲学者の感受性、とくに受苦に対する感受性が表われることでしょう。ハイデガーの『黒ノート』については、今後も日本国内で論じられる機会があると聞いています。哲学の徒の一人として、そこでの言論の動向を注視したいと思います。

もう一つの研究会は、2014年12月21日に、九州大学西新プラザで開催された第46回原爆文学研究会でした。この研究会がここのところ連続して行なっている「戦後70年」を考えるワークショップの一つ「カタストロフィと〈詩〉」での報告を、おかげさまで大過なく終えることができました。それにしても今回の原爆文学研究会は、刺激に満ちたものでした。このような濃密かつ多様な観点に開かれた議論の場でお話させていただいたことを、心から光栄に思っています。ワークショップのコーディネーターの野坂昭雄さんはじめ原爆文学研究会のみなさまに心から感謝申し上げます。

ナーズム・ヒクメットの「希望」という素晴らしい詩との出会いから始まった今回の研究会の前半のワークショップ「古典詩と現代詩の協奏」では、生身で歴史的な問題と格闘し、その過程で身を削って、言葉とともに身についた心性を乗り越えようとする詩の試みや、言葉の重層性と可塑性を最大限に活かす語の配置によって、現在の問題の核心に踏み込む詩の試みに、詩の朗読をつうじてじかに触れられたのは、本当に得がたい体験でした。言葉の肌理ないし肌触りにじかに触れられる場としてのポエトリー・リーディングの重要性も、あらためて実感しました。

私が報告させていただいた後半のワークショップでは、高橋由貴さんによる原民喜の作品の精緻な読解から、晩年の作品を、散文と詩を往還して読み解くことの重要性とともに、失語を潜り抜けて生まれた作品における渦や緑のような形象の重要性についても教えられました。また、中原中也記念館館長の中原豊さんからは、須藤洋平という独特の感性をもって大震災と原発事故に向き合う詩人の作品を、その成立の背景とともにご紹介いただき、大変興味深かったです。私の報告は、アドルノの「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」という言葉を、その文脈から跡づけ、そこに含まれる問いを取り出したうえで、それに対する詩の応答の一端を、原民喜とパウル・ツェランの詩作のうちに求め、そこに表われる詩の変貌ないし変革に、破局の後の詩の可能性を見ようとするものでした。その内容が活字化されましたら、またお伝えします。

今回の報告に、すでに膨大なツェラン研究の成果を充分に盛り込めなかったのは残念ですが、それは今後の研究の課題としたいと思います。拙い報告を聴きに来てくださった方、熱心にご質問くださった方には心から感謝申し上げます。全体として今回の研究会は、批評性を自己自身のうちに含みながら破局的な現実の深奥に踏み込む詩の力を再確認する場になったと思います。中原さんによると、須藤洋平にとって「死にっぱぐれた」自分が「塩辛い」生を生きることと、詩を書くことは一つとのことですが、そのように生そのものを賭けて書かれた詩を、今こそこの世界に生きる糧にしなればと思うことしきりでした。言葉の欠片を拾い上げ、それが響かせるものを聴き分けながら、人々を搦め捕り、束ねようとする言葉の喧騒に立ち向かう詩の営みは、地上にそれでも生き続けるための抵抗の拠点の一つになりうるのではないでしょうか。もしかすると、フリードリヒ・ヘルダーリンが語った「人はこの地上に詩的に住む」という言葉は今、このような可能性へ向けて読み直されうるのかもしれません。

加計の吉水園のことと近況

加計の吉水園の池と紅葉

加計の吉水園の池と紅葉

先日、広島県北部の山県郡安芸太田町の加計という街にある、吉水園という小さな庭園を訪れました。この庭園は、当地で製鉄業──このあたりは伝統的に、たたら製鉄が盛んだったようです──を営んでいた加計隅屋の当主である佐々木八右衛門が、1781年に吉水亭という山荘とともに造営したものとのこと。茶室も備わったこぢんまりとした山荘の縁側から眺める庭園は、小島を持つ小さな池を中心に周囲の山々を借景としていて、落ち着きと広がりがあります。苔むした小島から山並みへ視野を広げていくと──むろん、他の観光客の声や始終流れている説明のナレーションが耳に入らなければ、でしょうが──、心が静まります。ちょうど紅葉が見頃を迎えようとする頃で、紅葉の赤が池の水面に映えるのが美しかったです。

なお、この吉水園の池は、モリアオガエルの生息地としても知られていて、その産卵の時期である6月と、紅葉が見頃となる11月の上旬の週末のみ、山荘を含めて特別公開されています。その時期に広島を訪れる機会のある方で、もう宮島へは何度も行ったという方は、お時間が許せばお出かけになってはいかがでしょう。少々交通の便が良くありませんが、広島市内からそれほど遠くはありませんし、美味しい川魚を食べられるところもあります。時間が合えば、当地で盛んな神楽を観たりもできるでしょう。ちなみに、広島市街から加計へ行く途中には、中国電力の安野発電所があります。戦時中に中国大陸から強制連行された人々が、過酷な労働を強いられて造られた発電所です。これも忘れてはならない広島の歴史です。近々、異郷の地で命を落とした人々の慰霊碑がある場所を訪れたいと考えています。

さて、今年の10月下旬から11月上旬にかけては、例年にも増して慌ただしく過ぎていきました。そのなかで、研究の成果を発表したり、オペラについて書いた文章を発表したりする機会をいただいたことは幸いでした。また、その合間に素晴らしい舞台などに接することもできました。まず、10月19日と20日には、今年のひろしまオペラルネッサンスの公演として、エルマンノ・ヴォルフ=フェッラーリのオペラ『イル・カンピエッロ』が、広島市のアステールプラザの大ホールにて上演されましたが、その公演プログラムに、「小さな広場(カンピエッロ)における言葉と音楽の幸福な結婚──ヴォルフ=フェッラーリの『イル・カンピエッロ』によせて」と題する小文を寄稿させていただきました。

内容は、このオペラの原作を書いたカルロ・ゴルドーニの戯曲が示す、庶民の生きざまを活写する近代性を指摘したうえで、それがまさに故郷のヴェネツィアの「小さな広場(カンピエッロ)」を舞台とする戯曲で生きていること、そしてそうした戯曲の魅力を、さらにはその言葉を、同郷の作曲家ヴォルフ=フェッラーリが、オペラ『イル・カンピエッロ』の明澄な響きのうちに、見事に引き出していることを伝えようとするものです。公演そのものも、作品に相応しい、親密さを感じさせる美しい装置のなかで、歌手のみなさんがそれぞれの持ち味を、役柄の個性の表現に見事に昇華させたもので、素晴らしかった思います。初日と二日目の舞台の雰囲気に、それぞれの持ち味があったのも、今回の公演の特色でしょう。

10月25日には、すでに別の記事に書きましたように、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団による、フランシス・プーランクのオペラ『カルメル派修道女の対話』の演奏会形式の上演を聴くことができました。この作品の受難曲としての側面を、音楽で見事に浮き彫りにした上演でした。その翌々日の10月27日には、上智大学文学部哲学科の創設100周年──母校の上智大学が今年創立100周年を迎えるのですが、哲学科は創立と同時に設けられた学科なのです──を記念する上智大学哲学会の第79回大会で、「翻訳から言葉を見つめ直す──ベンヤミンの言語哲学を手がかりに」と題する研究発表を行ないました。第一次世界大戦のさなかに、今も続く言語の道具化を批判しながら、言語を生そのものと結びつけながら、言葉を応え合う生の息吹として捉え返し、言語の本質にある肯定性と歓待性に迫ろうとするベンヤミンの言語哲学の基本的なアプローチを紹介したうえで、言葉を発すること自体を翻訳と捉える彼の視点を提示し、そこから言語そのものが、さらには文化の形成過程がどのように見つめ直されうるか、という問題に対して、一定の方向性を示唆する内容の発表です。

11月8日には、日生劇場でアリベルト・ライマンのオペラ『リア』の日本初演の公演を観ることができました。とくにオーケストラの響きが充実した舞台でしたが、それに接して考えたことも、別の記事に書き留めておきたいと思います。11月9日の午前中は、鎌倉の神奈川県立近代美術館の別館へ、詩人パウル・ツェランの妻ジゼル・ツェラン=レトランジュの版画を集めた特別展を見に行きました。展覧会には、夫のパウル・ツェランの詩とジゼルの版画による詩画集『息の結晶(Atemkristall)』を含む25点が展示されていました。展示されていた版画では、細長い抽象的なモティーフが特徴的なのですが、それがどことなく剝げ落ちて漂流する言葉の欠片のようで、それが凝集したり、離散したりする多次元的な運動は、夫のツェランの詩とも呼応しているように思われました。その夫の晩年に当たる時期の《コンポジション》という作品は、こじれた関係を結び直そうとする試みがその挫折とともに表わされているようで、痛々しかったです。静謐な画面のなかに最小限のモティーフが、考え抜かれた構成で配置されている点が印象深く、かつそこに夫の詩との親和性を感じます。

同じ日の午後には、新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を、錦糸町のすみだトリフォニーホールで聴きました。ダニエル・ハーディングの指揮で、グスタフ・マーラーの交響曲第7番ホ短調「夜の歌」が演奏されましたが、技術的な完成度は、これまで聴いたこの曲の実演のなかで、今回の演奏が最も高かったです。ハーディングの指揮は、この曲でも推進力に富んでいて、とくに急速なテンポを貫いた第3楽章の「影のような」スケルツォは、スリリングですらありました。両端楽章の力強さも特筆されるべきでしょう。それによって、曲全体の引き締まった造形が際立ちました。個人的には、夜の暗さより昼の輝かしさが勝った印象で、もう少しこの曲の夜の音楽としての側面を掘り下げてほしいとも思われましたが、昨シーズンの交響曲第6番イ短調「悲劇的」の力感に富んだ演奏と併せて、マーラーの3曲のいわゆる「リュッケルト交響曲」におけるハーディングと新日本フィルハーモニーの重要な成果を示す演奏と言えるでしょう。

こうして広島と東京を行き来するあいだも、大学での講義やゼミ、それにさまざまな仕事にも追われています。広島市立大学では、国際学部の専門科目である「共生の哲学」と「社会文化思想史」のほか、全学共通系科目の「哲学B」も担当し、知ること、生きることと死ぬこと、自由であること、言葉を話すことをめぐる、主に近代以後の哲学の足跡を辿っています。学部のゼミでは、米山リサの『広島、記憶のポリティクス』(岩波書店、2005年)を、大学院のゼミでは、竹内好の『日本とアジア』(ちくま学芸文庫、1997年)を講読しています。大学の仕事と言えば、広島平和文化センターが主催する「国際交流・協力の日」の催しの一つとして行なわれる国際学部の公開講座「防災ゲーム クロスロードから多文化共生を考える」のパネル・ディスカッションのなかで、「共に生きる文化へ」という短い発言をさせていただくことにもなっています。

それから、私が代表を務めている広島市立大学の社会連携プロジェクト「広島の映画文化の遺産の継承にもとづく映像文化の創造」との共催で行なわれるヒロシマ平和映画祭2013の準備も本格化してきました。今回は、「異郷の記憶」をテーマに、12月6日から15日にかけて開催されます。白井更生監督の『ヒロシマ1966』や森弘太監督の『河、その裏切りが重く』のような、広島から生まれた貴重な作品を、新たな文脈で見直しながら、現在を照らし出そうとするとともに、まさに「異郷の記憶」を伝える作品の数々を上映し、映像の経験をつうじて、来たるべき平和を築くことへ向けた問いを洗練させていく文化を、少しでも根づかせることができればと考えております。このヒロシマ平和映画祭2013については、準備が進みしだいお知らせしていきたいと思います。より多くの方に関心を持っていただき、会場にお運びいただければと願っております。

クラクフへの旅より

クラクフ旧市街の風景

クラクフ旧市街の風景

7月20日から24日にかけて、第19回国際美学会 [19th Jubilee International Congress of Aesthetics, Krakow 21.–27. July, 2013] で研究発表を行なうために、ポーランドのクラクフを訪れました。クラクフを訪れるのは、2009年の秋以来2度目ということになります。幸いなことに滞在中はずっと晴れていて、日差しに映える緑がとても美しかったです。クラクフの人々が憩う緑深い公園に囲まれるような感じで、歴史的な建造物が建ち並ぶ旧市街があるのですが、大きな市場の建物があるその中心は、世界各地から集まった観光客でかなりごった返していました。ちょうどヴァカンスの季節でもあります。

国際美学会は、古くはコペルニクスが、比較的新しいところではローマ教皇ヨハネ・パウロ2世も学んだという中欧最古の大学の一つヤギエヴォ大学(1367年創立)の新しい講堂 [Auditorium Maximum] を会場に開催されています。旧市街の中心から少しばかり離れたところに、おそらくごく最近建てられたと思われる講堂は、非常に機能的で、大ホールを二つに分割して同時に使用できますし、映写や音響の装置が整った比較的小規模のホールやセミナー・ルームも数多く備わっています。そのため、膨大な数に及ぶ学会のセッションを、ほぼすべて同じ講堂の内部で回すことができています。これは、いくつものセッションを渡り歩きたい学会参加者にとっては非常に便利です。ロビーの横にはスタッフ常駐のクロークが、また地下には会食も可能なビストロも備わっています。このような施設が、広島市の千田町にある広島大学の跡地あたりに建設されれば、とも思ったところです。

7月23日の夜のセッションに組まれていた私の研究発表は、さまざまな方のサポートのおかげで、大過なく終えることができました。“Toward the Poetics of Echo: From Revisiting the Image of ‘Echo’ in Walter Benjamin’s Writings”というテーマで行なった発表は、ヴァルター・ベンヤミンの著作、とくに「翻訳者の課題」と「歴史の概念について」に見られる「谺(こだま:Echo)」の形象とそれが示唆する美的経験を検討しながら、「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」以後の詩的表現の可能性とともに、いわゆる「表象の限界」を超える歴史的想像力の可能性を探る試論とでも言うべき内容のものです。あるいは、自己が根底から震撼させられるほどの強度を持った「照応(コレスポンデンス)」の経験のなかから、言語の限界において「谺」としての言葉を響かせることのうちに、テオドーア・W・アドルノの「アウシュヴィッツ以後詩を書くことは野蛮である」という言明に応答する回路を探る試み、とも言えましょうか。発表のなかでは、パウル・ツェランの「黒土」や「帰郷」、あるいは原民喜が小説「夏の花」に挿入した詩や彼の「鎮魂歌」にも言及しました。温かい雰囲気のセッションで、何人もの方から好意的なコメントをいただけたのが嬉しかったです。内容的にはまだまだ詰めなければならない点がありますし、英語での研究発表にはいろいろと課題がありますが、ともあれまずはよい経験になったと思います。

ちなみに、“Aesthetics in Action”を全体のテーマとする今回の国際美学会を、クラクフ市は全面的に支援している──おそらく資金面でも相当に──ようで、この学会に合わせたいくつもの芸術に関わるアクティヴィティも企画されていました。まず、7月22日の夕方にはフィルハーモニー・ホールで、ヤチェク・カスプツィクの指揮による、クラクフのベートーヴェン・アカデミー管弦楽団の演奏会が行なわれ、国際美学会の枠内で開催されるこの演奏会のために作曲された、カロル・ネペルスキという若い作曲家の“Aisthetic Symphony”──「感性の交響曲」とでも訳せばよいのでしょうか──という作品が初演されました。オーケストラの楽器によって、あるいはそれ以外の水笛のような楽器によって、さらにはサンプリングされた音声によって響く断片的なモティーフを、いくつもの方向から響かせることで、聴覚を空間的に拡げていこうという発想そのものは理解できるのですが、音楽的にはそれほど面白いところのない単純なモティーフが、これまたあまり音楽的な必然性が感じられないかたちで延々と反復されるのは、個人的には聴いているのが辛かったです。

7月23日の夜遅くには、旧市街の中心にある時計塔に、アフガニスタンやイラクの戦争に動員されたポーランド兵およびその家族の言葉を、軍用車によって投影し、さらにその言葉を銃声とともに撃ち崩すという、現代芸術家のクシュシトフ・ヴォディチコのパフォーマンスが行なわれました。アメリカを中心とするいわゆる「テロとの戦争」の列に加わろうという国家政策のために、戦争のなかで心身に傷を受け、家族との関係にも傷を負わされた兵士、そしてその家族の言葉が、断片的な叫びとして突き刺すように時計塔に投げつけられ、それが轟音とともに掻き消されるのを目の当たりにすると、戦争の暴力が今なお続いていることを強く感じざるをえません。

前回2009年にクラクフへ初めて来たのは、そこからアウシュヴィッツを訪れるためだったのですが、今回も学会の予定が組まれていない7月21日を使って、アウシュヴィッツへ行ってきました。クラクフ本駅に隣接するバス・ターミナルから1時間半ほどのところにあります。アウシュヴィッツの展示やビルケナウの廃墟を見るのは今回が二度目なので、前回ほどの衝撃は受けなかったものの、これらの場所で行なわれた計画的にして大規模な抹殺の痕跡を目の当たりにすると、戦慄を覚えないではいられません。しかし、これを見据えて、何が行なわれたのかを、現在の問題として考え続けなければならないと思います。アウシュヴィッツのガス室やビルケナウのバラックからは、今も気配のようなものが感じられます。

さて、10時から15時までの時間、国立博物館でもあるアウシュヴィッツでは、見学者はガイド・ツアー──ビルケナウまで行くと4時間ほどかかります──への参加を義務づけられています。私は前回同様、英語のツアーに参加しました。そして今回も、国家資格を持ったガイド──その一人に『アウシュヴィッツ博物館案内』の著者の中谷剛さんがいます──がよく訓練されているばかりでなく、伝えることへの並々ならぬ熱意をもって見学者を導いてくれることに、感動すら覚えました。英語のツアーのグループの参加者は、当然ながら相当な人数だったのですが、今回の年配のガイドの方も、人混みを避けて見学者をうまく誘導し、展示に関して要を得た、かつ内容の深い説明をしてくれました。その言葉が、ガイドの方自身の言葉になっているので、何が問題なのかが非常によく伝わってくるのです。今、広島で養成されるべきは、このように自分自身の言葉で被爆の記憶をしっかりと伝えられる、プロフェッショナルでかつ真に熱意を持ったガイドではないでしょうか。