早春のヴィーンへの旅より

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プラーターの大観覧車

三月の末、およそ五年ぶりにヴィーンを訪れた。到着してしばらくは、小雨交じりの天気で肌寒かったが、やがて春の陽射しに木々の葉が映えるようになった。今回は家族での旅行だったため、プラーターのような独りでは絶対に訪れないであろう場所へも行ったが、その日はちょうど晴れていて、キャロル・リードの映画『第三の男』で知られるようになった観覧車のゴンドラの窓から、ヴィーンの街を望むことができた。やや寂れた雰囲気の遊園地で遊んでいたのは、ほとんどが外国人観光客とその子どもだった。

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ハイリゲンシュタットの小道

思うところがあってハイリゲンシュタットにあるベートーヴェンの博物館を訪れた日も、よく晴れていた。リングの東側を通る路面電車のD線を、ベルヴェデーレのあるレンヴェーク方面とは反対方向の終点ヌスドルフまで乗って、ベートーヴェンの散歩道として知られる小道を歩くと、作曲家としてもピアニストとしても忙しくなって、健康を壊すことが多くなり、かつ難聴も進み始めた作曲家が、医師に勧められてしばしば訪れるようになったハイリゲンシュタットの自然を愛した気持ちが、今は少し分かる気がする。

交響曲第2番などの作品と「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた家を改装して最近造られた博物館の展示は、若いベートーヴェンがボンからヴィーンへやって来た頃からの生涯を、六つの章に分けて描く構成になっていた。どのような環境と人間関係のなかで作曲が行なわれていたかを、同時代のドキュメントを含む豊富な資料によって描き出す展示と言えよう。帰りがけに、自筆稿のファクシミリと日本語訳の付いた「遺書」を買い求めた。これから折々に他の文献とともに参照することになるだろう。

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ベートーヴェン博物館の外観

ともあれ、ヴィーンを訪れたのは、家族で演奏会やオペラの上演などに通うためだが、3月29日にヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴くことができたのは幸運だった。楽友協会のホールでの定期演奏会のソワレを指揮したのは、アンドリス・ネルソンス。ベートーヴェンの交響曲第4番変ロ長調と第5番ハ短調というプログラムだった。彼が指揮するもう少し先の演奏会も、交響曲を中心とするベートーヴェンの作品のプログラムと予告されていたので、もしかすると交響曲のツィクルスが計画されているのかもしれない。

ネルソンスのアプローチは、モダン楽器のオーケストラの機能を最大限に生かすなかに、楽譜に書かれた音楽のダイナミズムを響かせようとするものと言えよう。なかでも彼が引き出した響きの強度には圧倒される思いだった。とくに、12人の第一ヴァイオリン奏者をはじめとする全オーケストラが、第4交響曲の最初の楽章の序奏から主部への移行の際に、エネルギーに充ち満ちたフォルティッシモを響かせたのには、瞠目させられた。もちろんその強さは、そこに至る序奏のピアノを基調とした凝縮度の高い歩みがあってこそ生きている。

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ベートーヴェン博物館の内部

それにしても、ネルソンスが第4交響曲の両端楽章でヴィーン・フィルハーモニーから引き出したリズムの躍動は特筆に値しよう。彼はこれらの楽章で、例えばかつてカルロス・クライバーが採っていたような、相当に速いテンポを採用していたが、そのなかでこの曲を特徴づける細かい動機が、時に対話を繰り広げながら生き生きと脈動していた。しかし、そこに独特の劇性が加わるのが、ネルソンスの解釈の特徴かもしれない。第1楽章で二分音符の動機が積み重なるように高まった後、堰を切ったように音楽が溢れ出すところにある喜びは、まさにこの曲でベートーヴェンが伝えようとした喜びではないだろうか。

第4楽章でも、無窮動的な主題が何かを語りかけるように生きていた。その活気が音楽を前に運ぶのみならず、その奥底にある意志の叫びが、流れに抗うように響いたのも、音楽に劇的な減り張りをもたらしていた。ネルソンスは他方で、とくに緩徐楽章では、豊潤な歌を響かせていたが、そこにはヴィーン・フィルハーモニーの魅力がいかんなく発揮されていた。奥深い響きのなかに艶やかな歌が浮かび上がるのは、このオーケストラならではのことだろう。そして、息の長いメロディと、弾むような付点のリズムの相即と相剋は、第2楽章でも一つのドラマを形づくっていた。

このように、音楽そのもののダイナミズムから、ベートーヴェンの音楽に相応しいドラマを説得的に引き出し、力強く響かせた第4交響曲の解釈の大きさに圧倒されたために、後半に演奏された第5交響曲の印象がやや薄くなってしまったが、こちらの解釈も、推進力に充ち満ちた流れを基調にしながら、作品の壮大さを伝える魅力的なものだった。ここでも、「運命の動機」として知られる動機をめぐるドラマが、曲全体にわたって繰り広げられていた。とくに第1楽章におけるそれは、畳みかけるような迫力に満ちていた。

ただし、演奏会の初日だったこともあって、第1楽章ではオーケストラがタイミングを探っているようにも見受けられた。翌日以降は、さらに緊密な動機の受け渡しが聴かれただろう。フィナーレでは、「運命の動機」が生への意志を伝えるものとして要所で力強く響き、音楽の求心力を高めていた。第2楽章では、輝かしい響きが幾度もホールを満たしたが、それがプレスティッシモの全曲のコーダの頂点で、聴き手の心を拉し去るエネルギーとなって回帰したのは忘れがたい。このように、第5交響曲の解釈も説得力に満ちていたが、ネルソンスのアプローチとベートーヴェンの音楽の照応は、やはり第4交響曲で一つの化学反応に結びついていたと思われる。

ヴィーンで聴いたオーケストラの演奏会でもう一つ印象的だったのは、3月27日に同じく楽友協会で聴いた、アラン・アルティノグリュが指揮したフランス国立管弦楽団の演奏会。パスカル・デュサパンのオーケストラのための「ソロ」第7番《アンカット》、ブルッフの二台のピアノのための協奏曲、ビゼーの《アルルの女》第2組曲、そしてルーセルのバレエ音楽《バッカスとアリアーヌ》第2組曲という多彩なプログラムで、ブルッフの協奏曲には、ラベック姉妹が登場した。ヴィーンで学んだアルティノグリュは、当地では人気があるようだ。

デュサパンの《アンカット》は、金管から弦楽器へと受け渡される凝縮度の高い響きの連鎖が印象的な作品。オーケストラをよく鳴らしながら、途切れることのない流れを構成していることが、共感に満ちた演奏から伝わってくる。ブルッフの協奏曲に接するのは初めてだったが、対位法的な序奏を両端楽章に置きながら、対照的な抒情性を示す旋律が熱を帯びて発展していく魅力的な作品と聴いた。ラベック姉妹が、こうした作品の特徴を生かしながら、息の合ったアンサンブルを繰り広げていた。

後半では、まずビゼーの演奏が素晴らしかった。「パストラール」でオーケストラが一つの息遣いで歌うのも、また「ファランドール」が破綻しそうなところまで高揚するのも、このオーケストラならではのことだろう。とはいえ、今夜とくに魅力的だったのはルーセルの《バッカスとアリアーヌ》。この作品に来て、リズムの躍動感と音色の豊かさがぐっと増し、どの動機にも生命が脈打っている。その集合体が築くクライマックスには瞠目させられた。アンコールで、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《火の鳥》より「カスチェイ一党の凶暴な踊り」が演奏されたが、その冒頭で響きの色合いがさっと変わったのにも驚かされた。

3月28日にコンツェルトハウスで行なわれたヴィーン交響楽団の演奏会で、アレクサンドル・ガヴリリュクの独奏で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第1番嬰ヘ短調を聴けたのも嬉しかった。ガヴリリュクは、若い作曲家がこの作品に詰め込み過ぎるまでに込めたものを、余すところなく音楽的に響かせてくれた。このほか、プロコフィエフの《三つのオレンジへの恋》組曲も演奏されたが、これを含め、指揮のユライ・ヴァルチュハは、躍動感に満ちた音楽を作り上げていた。プロコフィエフでは、各楽器の独奏も魅力的だった。

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„Im Klang“の「客席」の様子

今回のヴィーン交響楽団の演奏会は、„Im Klang“(響きのなかで)と題されていて、普段は客席の平土間にオーケストラを置いて、奏者の間近でも聴けるという趣向だった。とくに若い人に音響を体感してもらう試みと言えるだろう。そのために、特殊なボール紙の箱の椅子も用意されていたし、チケットも安価に抑えられていた。新たな聴衆層の開拓が、ここヴィーンでも喫緊の課題になっていることを暗示する試みと言えるかもしれない。

3月30日には、ヴィーン国立歌劇場でリヒャルト・シュトラウスの《薔薇の騎士》の公演を観た。多くの人々の《薔薇の騎士》像を規定しているオットー・シェンクの演出による舞台。シェンクの手によるこのオペラの上演は、たしかちょうど二十年前に一度ミュンヒェンで観ているはずだ。人がこのオペラに求めるものを具現させる演出よりも、フェリシティ・ロットが元帥夫人の役を歌ったことのほうが印象に残っている。今回ヴィーンで観た公演では、何よりもアダム・フィッシャーの指揮が素晴らしかった。

フィッシャーは、余裕のあるテンポのなか、個々の動機とその関連を意味深く聴かせながら、オーケストラから繊細で流麗な響きを引き出していた。それによって、とくに歌の美しさが際立った。今にも崩れ落ちかねない繊細なバランスのピアニッシモの響きから、旋律が柔らかに、しかし説得力をもって聞こえてくる。例えばオックス男爵のワルツを彩るポルタメントも、儚く過ぎ去りゆくものとして意義深く響いた。そのようななか、一つひとつの言葉がしっかりと聞こえたのが、上演を感銘深いものにしていたのではないだろうか。

今回の上演で最も印象に残ったのは、アドリアンヌ・ピエチョンカが歌った元帥夫人の第一幕のモノローグだった。この独白で語られるのは、自分が巻き込まれざるをえない、そして老いとして体験される時の移ろいだが、それに耳を傾けながら、時間を生きる者が避けることのできない変化と美の儚さが、結婚によって社会的な身分の変更を含めた変化を経験せざるをえない女性の視点から語られていることを思った。今回の旅で、消え去りゆくものへの哀惜と今を生きようとする情熱の緊張関係が音楽の推移を規定する《薔薇の騎士》の、音楽性豊かな上演に触れることができたのは嬉しかった。

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ノイバウガッセで見つけた躓きの石

ところで、今回のヴィーンへの旅のあいだ興味深く読んでいたのは、ヨーゼフ・ロートの長編小説『ラデツキー行進曲』だった。そこに描かれるのは、シュトラウスのオペラからも感じられる、一つの帝国の文化的な秩序の崩壊と、帝国そのものの滅亡であるが、これをロートは、主人公たちの死に凝縮させている。そして、最も若い主人公は、滅びの過程を自身の経験にできないまま、第一次世界大戦の戦場での無惨な戦死へ追い込まれていく。羽田空港に降り立つなり見せつけられた「改元」をめぐる狂躁を前に、その姿にどこか身につまされるものを感じないわけにはいかなかった。