フルトヴェングラーの影──ベルリンでの三つの演奏会を聴いて

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旧フィルハーモニーの椅子

現在、ベルリンのフィルハーモニーのロビーでは、「旧フィルハーモニー──ベルリンの神話」展が開催されている。演奏会の開演前や休憩時間には、多くの聴衆が、唯一残された旧フィルハーモニーの客席の椅子を含む、そこでの演奏会や催しの活況を伝える展示に見入っていた。写真を見ると、素晴らしい音響を誇っていた──そのことは、1940年代の録音からも充分に伝わってくる──このホールで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会やフリッツ・クライスラー、パウ・カザルスといった著名な音楽家を迎えての演奏会のみならず、コメディアンのショーに舞踏会、さらには政治集会──ドイツ共産党の大会も行なわれている──も開催されていたことがわかる。

このように、ナチス・ドイツの敗戦以前のベルリンにおいて、音楽の拠点としてのみならず、社交の中心としても機能していたベルンブルガー通り──かつてベルリンの主要駅の一つだったアンハルター駅の近く──の旧フィルハーモニーは、1944年1月30日の空襲で完全に破壊されてしまった。その廃墟の写真を見ながら、今まさにロシアの軍事的な支援を受けたシリア政府軍によって徹底的に破壊されているシリア東部の街アレッポのことを思わないわけにはいかなかった。この街では、ほぼ完全に封鎖された状態で住民が日夜攻撃に晒され、子どもを含むおびただしい非戦闘員が犠牲になったと聞く。家屋のみならず、多くの病院や学校も破壊された様子は、ドイツでは繰り返しニュースで伝えられていた。

このようなアレッポの状況が心配で、先週はなかなか音楽を聴こうという気にはなれなかったのだが、結果的には三度、旧フィルハーモニー展が開かれている現在のフィルハーモニーに通うことになった。いずれの演奏会も、ベルリンにおいてのみならず、世界的に重要な指揮者たちの現況を知る鍵となる演奏会と思われたからである。聴いたのは、12月12日のダニエル・バレンボイム指揮によるシュターツカペレ・ベルリンの演奏会、12月14日のインゴ・メッツマッハー指揮によるベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会、そしてクリスティアン・ティーレマン指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会である。いずれの演奏会でも、これらの指揮者が今抱いている音楽が十全に鳴り響いた演奏を聴くことができた。

バレンボイムが指揮したシュターツカペレの演奏会では、スメタナの連作交響詩《わが祖国》が取り上げられた。少なくとも、彼がこの作品のスタジオでのレコーディングを行なったことはないはずである。この時期に彼が満を持して臨んだ今回の《わが祖国》の演奏であることは、曲を完全に手中に収めた彼の指揮から伝わってきた。驚かされたのは、第1曲の「ヴィシェフラド」の冒頭からして、相当に大きくテンポを揺らしながら、波打つような曲の流れを形づくっていたこと。第2曲の「ヴルタヴァ」のよく知られたテーマも、けっしてルーティンに流れることなく、胸中に鬱積した思いがフレーズの頂点から流れ下るように歌わせていたのが印象に残る。この曲と第4曲「ボヘミアと森と草原より」で聴かれる、舞踊のリズムと一体になった旋律にしても、バレンボイムは、細かくテンポを動かしながら、独特の活気をもって歌わせていた。

この日のバレンボイムの指揮で、素晴らしいと思われたのが、こうしたテンポの変化が、ほとんど恣意的に感じられなかったこと。「ヴィシェフラド」から「ヴラニーク」に至る大河のような有機的な流れを形成するものとして、テンポの動きが存分に生かされていた。同時に「シャールカ」や「ボヘミアの森と草原より」などで聴かれる追い込みには、他の演奏では聴いたことのない勢いがあった。とりわけ「ヴラニーク」の終わりに、「ヴィシェフラド」のテーマをはじめとする他の曲の旋律が回帰し、万感を込めて歌われた後、曲の終わりへなだれ込んでいく一節には、凄まじいまでの求心力があった。他方で、「ヴルタヴァ」の神秘的な旋律や、「ターボル」でフス派の聖歌がコラール風に歌われる一節は、もう少し時間を取って歌わせてほしいとも思ったのだけれども。

若い頃のバレンボイムの指揮は、彼が少年時代にその薫陶を受けたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの亜流と揶揄されることもあったが、《わが祖国》の演奏を聴いて、バレンボイムの音楽は、作品を貫く有機的なダイナミズムを、バレンボイム独自の解釈で徹底的に抉り出すかたちで、フルトヴェングラーの精神を受け継ぐに至っていると感じた。そのような彼の音楽を、シュターツカペレ・ベルリンは、ほぼ余すところなく響かせていた。「ボヘミアの森と草原より」の冒頭のむせ返るような響きは忘れられない。

メッツマッハーが古巣のベルリン・ドイツ交響楽団──彼は2007年から2010年までこのオーケストラの音楽監督を務めていた──に帰っての演奏会で取り上げられたのは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《ミューズの神を率いるアポロ》とブルックナーの交響曲第4番変ホ長調《ロマンティック》。メッツマッハーはまず、とかく単調になりがちなストラヴィンスキーの新古典主義的な作品に内在するダイナミズムを引き出し、静と動のメリハリの利いた、同時に身体的な動きを感じさせる《ミューズの神を率いるアポロ》の演奏を繰り広げていた。とくにリズミックな曲の躍動は、この作品が《春の祭典》のような作品を書いたのと同じ作曲家の手によるものであることを思い出させた。

この日の演奏会において素晴らしかったのは、メッツマッハーのブルックナー解釈。全体的にやや速めのテンポを基調としながら、この《ロマンティック》交響曲において特徴的な、豊かな歌と、その背景をなす鬱蒼とした奥行きの双方を、けっして響きの透明感を損なうことなく鳴り響かせていた。それによって、それぞれの旋律の流れを形成する対位法的な動きが明瞭に浮かび上がると同時に、響きの風景とでも言うべきものが立ち上ってくる。ブルックナーの第4交響曲が、何故に「ロマンティック」と称されるのかを、音楽的に得心させるメッツマッハーの解釈だったと言えよう。ベルリン・ドイツ交響楽団も、非常に完成度の高い演奏でそれに応えていた。

メッツマッハーの解釈でもう一つ特徴的だったのは、各楽章全体の構成を有機的な流れにおいて見通しながら、各楽節の流れと楽節間の移行を繊細に、かつ自然なテンポの動きを伴いながら響かせていたこと。それによって、冒頭のホルンのテーマから、そのテーマが巨大な建築のなかで鳴り響くに至る一貫した流れが形成されていた。もちろん、響きの力感と勢いもけっして欠けておらず、例えばスケルツォでは、森を駆け抜けるかのように速いテンポのなかで、金管楽器のリズミックな音型が、力強く、かつ明確に響いていた。そこからほぼアタッカで続けられたフィナーレで聴かれる、トゥッティのユニゾンの壮大さも忘れがたい。この日の演奏においては、《ロマンティック》交響曲の難所とも言うべきコーダの演奏も成功していた。深沈とした響きが巨大な音響空間を形成するに至る流れを、メッツマッハーの解釈は見事に建築していた。

ティーレマンがブルックナーの交響曲を指揮するのには、一度だけ接したことがある。2010年3月27日にアクロス福岡で行なわれたミュンヒェン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で、ブルックナーの交響曲第8番ハ短調を指揮するのを聴いている。この演奏の際に少し気になった、曲の大きさを演出しようとするダイナミクスの不自然な細工や、持って回ったような音楽の運びが、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮しての交響曲第7番ホ長調の演奏からは、ほとんど感じられなかった。悠揚迫らぬテンポの運びは従前の演奏と変わらないながら、そこに自然な流れが加わったのは、ティーレマンの解釈の深化を示すものと思われる。全体的に、ノーヴァク版の楽譜に書き込まれたテンポの変化を、雄大な流れのなかに生かした演奏と言えよう。

この日の演奏で最も感心させられたのは、ティーレマンの指揮に力みが感じられなかったこと。それによって、第1楽章の第三主題がクライマックスに至る箇所や、フィナーレで全楽器が複付点リズムを刻む一節などで、かえって大きな響きの空間が開かれていた。また、アダージョの第二主題が、アクセントの後で少し音を抜くように奏されていたのも印象的だった。それによって、逆に深い息遣いが響いていたし、クライマックスへ至る大きなクレッシェンドにも、噛みしめるような味わいが生まれていたのではないか。テンポの変化も自然かつ効果的で、とくにスケルツォのアッチェレランドには強い求心力があった。さらに、第2楽章とフィナーレでは、はっとさせられるようなゲネラルパウゼも聴かれた。その後に響いた柔らかな旋律の美しさは忘れられない。フィナーレにおける歌謡的な第二主題の再現からコーダに至る壮大な流れは、ティーレマンの音楽の充実ぶりを示すものと言えよう。欲を言えば、曲全体のもう少し自然な流れを、第7交響曲からは聴きたかったところである。

この日のベルリン・フィルハーモニーの定期演奏会で、ある意味でブルックナーの演奏よりも味わい深かったのが、ルドルフ・ブッフビンダーを独奏に迎えてのベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調の演奏。華麗さからはほど遠い、どちからと言うと朴訥にリズムを刻みながら、フレーズのニュアンスを繊細に響かせるブッフビンダーのアプローチが、ティーレマンのごつごつとしたところのある音楽作りと見事にマッチして、作品のハイドン的な側面が最大限に引き出された演奏となった。第2楽章の味わい深い歌も、機知と曲の構成への洞察に満ちたフィナーレのロンドも実に感銘深かった。ブッフビンダーがとくにロンドで、楽節ごとにテンポとタッチを明確に区別していたのも印象的だった。

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破壊された旧フィルハーモニー

これらフィルハーモニーでの三つの演奏会を聴いて感じたのは、ベルリンでは今も、1920年代からその破壊に至るまで旧フィルハーモニーの中心にいたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの精神が生きていることである。彼が指揮した演奏で特徴的な、聴き手の胸を摑んで拉し去るほどの求心力を持ったテンポの動き──とくにアッチェレランド──は、作品を貫く有機的なダイナミズムを読み抜き、それを即興性をもって響かせるところに生まれていることは、あらためて言うまでもないことだろう。敢えてひと言で表わすなら、彼は時間芸術としての音楽の内的な生命を、音楽する瞬間の自由において響かせようとしたのだ。そのようなフルトヴェングラーのアプローチを、バレンボイム、メッツマッハー、ティーレマンといった指揮者が、それぞれに見直していることを、テンポを細かく、そして時に大胆に動かしながら、音楽作品の生命に迫ろうとする演奏から感じないわけにいかなかった。

とりわけブルックナーの演奏において、ギュンター・ヴァントの解釈に代表される、静的な運びのなかで音楽を建築するアプローチ──とくに日本におけるブルックナー像を決定したアプローチ──よりも、フルトヴェングラーが示していた動的に有機的な流れを響かせるアプローチが、指揮者たちのあいだで見直されつつあるのが興味深い。イヴァン・フィッシャーが、コンツェルトハウス管弦楽団を指揮してのブルックナーの第7交響曲の演奏(9月7日)において、ティーレマンとは対照的な全体の運びながら、かなり大胆にテンポを動かして、それぞれの旋律に内在するダイナミズムを抉り出していたのも印象に残っている。このようなブルックナーの解釈の潮流の変化が何を意味するのかは、古楽の演奏や現代の作曲家の音楽の動向も視野に入れつつ、広い文脈のなかで考察されるべき要素を含んでいるように思われる。

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バレンボイム゠サイード・アカデミーの内部の展示

ところで、最近ベルリンでは、フィルハーモニーでの演奏とは違ったかたちでフルトヴェングラーの精神を継承するものとも見られる動きがあった。 12月8日の夜には、現在改修中の州立歌劇場の建物の裏手に、ベルリンの新しい演奏会場ピエール・ブーレーズ・ザールとともに建設されたバレンボイム゠サイード・アカデミーの公式オープニングのセレモニーが行なわれたのである。ウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラをはじめとする場所で活躍する若い音楽家たちの全人格的な育成の場が、ベルリンの地に設立されたことになる。このオーケストラをバレンボイムとともに創立した比較文学者のエドワード・W・サイードも、幼年期にカイロで、フルトヴェングラーが指揮するベルリン・フィルハーモニーの演奏を聴いており、それがサイードにとっての音楽の原体験であったという。そのようなサイードとバレンボイムの思想が、若い音楽家の育成にどのように生かされるか、注目されるところである。人間関係を含めてばらばらに崩壊してしまったシリアの地に、人々の魂を呼応させ、背景の異なる人々を再び結びつけるきっかけをもたらす力を持った音楽家が、このアカデミーから育つことを願ってやまない。

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チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏会を聴いて

5月のチューリヒの緑

5月のチューリヒの緑

クリストフ・フォン・ドホナーニという指揮者の音楽には、これまでいくつかのディスクをつうじて親しんできた。音楽監督を務めていたクリーヴランド管弦楽団を指揮したブラームスやマーラーの交響曲の演奏、そしてヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したメンデルスゾーンの交響曲やバルトークの管弦楽作品の演奏を収めたディスクを繰り返し聴いてきたが、そのいずれも、引き締まった造形のなかに楽譜に書かれている音を生かしきろうとするドホナーニの音楽の美質をよく伝えているように思われる。なかでも、バルトークの演奏は、クリーヴランド管弦楽団を指揮した《管弦楽のための協奏曲》の演奏と併せて、もっと高く評価されてもよいのではないだろうか。

ドホナーニの音楽の造形は、独特の芯と低い重心を持ちながら、構成を浮き彫りにする明澄さを示す響きによって支えられていて、それが彼の音楽の求心力を成していると思われる。しかも、それが明確なテンポの構成とも不可分であることを、演奏そのもののの説得性とともに示したのが、彼が2015年5月9日と10日にチューリヒのトーンハレで、この「楽堂」の名を冠したオーケストラ、トーンハレ管弦楽団を指揮した、ブルックナーの交響曲第7番ホ長調の演奏だった。ドホナーニは、この交響曲の各部分のテンポの差異を、これ以上ない明瞭さで描き分けながら、各部分のあいだを、時にパウゼを挟みながら間然することなく、音楽そのものの推進力を保ちながら移行させ、非常に聴き応えのある音楽を形づくっていた。1929年生まれの彼は、86歳になろうとしているが、彼の指揮は、巧みさとともに若々しささえ感じさせる。

トーンハレ管弦楽団の響きには、ドイツ語圏のオーケストラらしい低い重心と同時に、独特の開放性が感じられて、それがブルックナーの第7交響曲の演奏に、この曲に相応しい明澄さをもたらしていたと思われる。第1楽章の冒頭の主題が、豊かな歌を響かせながら、光の筋を描くように上昇していくところからこの演奏に惹きつけられた。この主題がヴァイオリンの対旋律を伴いながら、チェロに柔らかに回帰したときの響きの、天国的とも言える明澄さは、その直前にこの主題の鏡像型が仮借のない激しさで展開されていただけに、非常に感動的だった。第三主題が再現された後、第一主題の後半部が「非常に荘重に」、まさに「深き淵より」歌われると、第1楽章はコーダを迎える。ドホナーニはそこで、ノーヴァク版の楽譜の指示どおり、最後までテンポを速めながら音楽を上昇させ続けた。その様子は、彼の音楽の徹底性とともに、この曲に込められた祈りの強さを示すようだった。

アダージョの第2楽章の演奏は、もちろんヴァーグナーへの哀悼も込められた荘厳さを示すものではあったが、その一方で、連綿と歌が連なる音楽の流れを、自然な息遣いによって保つものでもあった。最初の主題の提示は、とくに弦楽の総奏によるその後半は、ともすれば過剰に重々しくなりがちであるが、ドホナーニの演奏は、独特の空気感を持って音楽を無理なく前へ運ぶものであった。その直後、「繊細に」と指示された一節が、一音一音を愛おしむかのように、柔らかに奏でられた。ドホナーニは、この一節に交響曲全体に、いやブルックナーの音楽そのものに込められた祈りが凝縮していることを伝えたかったのだろうか。また、ヴァーグナーへの哀悼に捧げられた結尾部の一節も、もちろん哀切極まる叫びを聴かせるものではあったのだけれども、デュナーミクのコントロールが絶妙で、むしろ叫びの余韻のほうが感銘深かった。何よりも、クライマックスへ向けて、寄せては反すように高まっていく音楽の流れが、巨視的にも微視的にも自然で、そのために頂点に置かれたシンバルの一撃も、取って付けたようには響かなかった。

なお、今回の演奏では、オーケストラの配置に対向配置が採用されていたが、それがブルックナーの第7交響曲でも効果的であることが伝わってきた。この曲では、とくに第1楽章の第二主題と第2楽章の主題が、第二ヴァイオリン、あるいは第二ヴァイオリンとヴィオラによって奏でられるが、それが豊かな響きを持って浮き彫りになったのは、とても好ましく思われた。また、全体的に、調性の変化に伴う響きの色調のコントラストも明瞭で、第3楽章では、ドホナーニは、響きを沈んだ色調で締めながら、リズムの動きをはっきりと際立たせていた。けっして急ぎすぎることなく、個々のモティーフが絡み合いながら高まっていく流れを、時に荒々しささえ示しながら、実に説得的に表現したスケルツォの演奏だったと思われる。何よりも印象だったのが、音楽がいったんクライマックスに達した後に、あるいはスケルツォの主部が終わった後に残って、ピアノでリズムを刻むティンパニの音色。これが実に意味深く次の音楽を用意していた。その後に奏でられたトリオのメロディには、陽が差すような明るさと温かさがあって、主部のほの暗さと好対照をなしていた。

フィナーレでは、ドホナーニは、絶妙とも言うべき、さりげない緩急を付けて、跳ね上がるようなリズムを持った主題を提示していた。その自然な流れは、第三主題に至るまで一貫していて、総奏によるその提示も、むろん峻厳なものではあるが、けっして居丈高になることはなく、次の音楽に自然に連なっていくものだった。その第三主題が、ゴシック的とも言うべき高みへ向かいながら再現された後、しばらくの沈黙の後で静かに奏でられ始める第二主題の柔らかな歌は、心からの感動を呼び起こすものであった。その後、第一主題が変形されながら再現され、さらに展開されながら、音楽は全曲のコーダへと移行していくが、そのあたりの音楽の設計、そして響きのバランスも実に見事で、あらためて全曲の構成に自然な見通しを与えるものだったと言えよう。

それから、この第4楽章のコーダは、ある意味で指揮者にとって鬼門で、しばしば拍子抜けするかたちで曲が終わってしまうのだが、ドホナーニは、スラーを持った第1楽章の第一主題をくっきりと浮かび上がらせながら、コーダが全曲のそれであることを示すとともに、最後の2小節ではしっかりテンポを落として、全霊のこもった最後の音を引き出していた。そこに全曲の凝縮された姿を見る思いだった。今回のドホナーニとトーンハレ管弦楽団によるブルックナーの第7交響曲の演奏は、例えば、カルロ・マリア・ジュリーニとヴィーン・フィルハーモニーによる演奏と同様に、かつそれとは対照的なアプローチで、ノーヴァク版の楽譜をすみずみまで、かつ説得的に生かした演奏だった。同時に、老境を迎えてしなやかさを増したドホナーニの音楽の新たな境地を示すものでもあった。

なお、今回のトーンハレ管弦楽団の演奏会では、ブルックナーの第7交響曲の前に、ルドルフ・ブッフビンダーの独奏で、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調K. 466が演奏された。ブッフビンダーのピアノは、どちらかと言うと朴訥とした語り口ながら、そこから奏でられる音楽に独特の造形性があって、それがドホナーニの音楽とよく噛み合っていた。ブッフビンダーは、オーケストラと張り合って独奏を聴かせるのではなく、むしろオーケストラとのアンサンブルを楽しむようなアプローチで、それぞれのパッセージを、全体の響きのなかで意味深く響かせていた。なかでも、第1楽章の展開部や第2楽章の中間部で、管楽器との掛け合いのなか、同じパッセージが転調を繰り返しながら高まっていくあたり、これまでに聴いたこの曲の演奏のなかで最も説得力があった。ドホナーニの指揮は、澄んだ響きのなかに、とくに第1楽章ではシンコペーションを基調としたリズムの動きを明瞭に浮き立たせるもので、フォルテの打ち込みの鋭さも特筆に値する。

ヴィーンのピアノ演奏の伝統に根差すブッフビンダーのピアノのフレージングには、独特の軽みもあって、それがとりわけ緩徐楽章では歌の柔らかさをもたらしていた。それをさらに、音楽の展開の必然性を感じさせるのに結びついていたあたり、彼の手腕を感じさせる。全体的に、装飾音の処理の仕方も、音楽の連綿とした流れを意識したものであったように思われる。フィナーレでもブッフビンダーは、かなり急速なテンポのなかで、音の粒立ちを失うことなく、個々の楽節を意味づけていた。カデンツァの後で、第17番ト長調の協奏曲のフィナーレのコーダを思わせるように、さらにテンポをプレストにして、全曲の結尾へ音楽が駆け抜けていったのも、ニ短調からニ長調への変化を生かしながら、レクイエム的な短調とのコントラストにおいて天上的な愉悦を際立たせるものとして効果的であると感じられた。手堅く、かつ自然な息遣いのなかで、古典的な造形とともに独特の説得性を示したニ短調協奏曲の演奏だった。

チューリヒのトーンハレの正面玄関

チューリヒのトーンハレの正面玄関

なお、ここまでドホナーニが指揮したトーンハレ管弦楽団の演奏会について記してきたことは、基本的に2日目の演奏を聴いての印象にもとづいている。今回、このオーケストラの定期演奏会として行なわれたこの演奏会を、2日にわたって聴いたわけだが、定期演奏会を2日以上(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は3日間)行なうことの意義を再確認させられた。ドホナーニは、トーンハレ管弦楽団との共演をここ数年重ねているが、それでも指揮者がその意図を楽員に浸透させ、息の合った演奏を繰り広げるのは容易ではない。初日の演奏には、少なからぬアンサンブルの綻びがあったし、オーケストラを統率しようと、ドホナーニの音楽の運びがやや性急になる箇所も見られた。それに、ブルックナーの交響曲のアダージョのクライマックスの直前で、あろうことか、シンバルが飛び出してしまうという事故も起きていた。2日目の演奏では、こうした問題がほぼすべて解消され、音楽の流れがブルックナーに相応しい落ち着きを取り戻していた。こうした経験を重ねながら、とくに若い楽員の多く含まれるオーケストラは、アンサンブルを成熟させていくはずである。

チューリヒへの旅より

前アルプスを望むチューリヒ湖の風景

前アルプスを望むチューリヒ湖の風景

広島では初夏のような蒸し暑い日が続いています。みなさまお元気でお過ごしでしょうか。去る5月8日から11日にかけて、ごく短期間ではありますが、スイスのチューリヒへ出かけました。クリストフ・フォン・ドホナーニが指揮するチューリヒのトーンハレ管弦楽団の演奏会を聴くのが主たる目的でしたが、それ以外にもオペラを観たり、美術館を訪れたり、旧知の友人と、前アルプスを望むチューリヒ湖畔でゆっくり語らったりすることができました。音楽に身を浸す喜びだけでなく、今後の研究へ向けた刺激も得ることもできました。この時季の緑はとても鮮やかで、眩いばかり。チューリヒ湖畔から前アルプスを望むと、冠雪の残る山並みと多彩な緑のコントラストも楽しめました。

5月9日と10日の2日間、トーンハレでこの響きの豊かな「楽堂」の名を冠したオーケストラの演奏会を聴きました。曲目は、ルドルフ・ブッフビンダーの独奏によるモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調K. 466とブルックナーの交響曲第7番ホ長調。いずれもクラシック音楽を聴き始めた頃からとても好きな曲で、実演で繰り返し聴きたいと思っているものですから、このタイミングでチューリヒまで行くことにしたわけです。いろいろな意味で、わざわざ出かけた甲斐がありました。

1929年生まれのクリストフ・フォン・ドホナーニは、今年で86歳になるわけですが、その指揮には若々しささえ感じられます。明確で緊密な造型の下で、楽譜に書かれている音を生かしきろうとする彼の音楽の特徴が、いずれの曲にもよく表われていましたが、いささかの緩みもない音楽の運びのなかから、時に爽やかささえ感じさせる歌も聴かれたのが印象に残ります。とりわけブルックナーの第7交響曲では、淀みないテンポの移行のなかにさりげないアゴーギグを加えながら、雄渾な響きも聴かせていました。

古書店などが並ぶ教会通り

古書店などが並ぶ教会通り

ルドルフ・ブッフビンダーのピアノは、どちらかというと朴訥とした語り口ながら、フレージングに独特の軽みがあって、そのあたりがモーツァルトの演奏に生きていたと思います。彼の音楽にも独特の造形美があって、ドホナーニと息の合った演奏を繰り広げていました。ドホナーニ、ブッフビンダーとトーンハレ管弦楽団は、毎年共演を重ねていて、チューリヒの聴衆に好評をもって迎えられているようです。それでもとくにブルックナーの交響曲を演奏するのは、けっして容易なことではなく、今回は2日にわたって演奏会を聴いて──そういうことはめったにないのですが──定期演奏会を2回以上行なうことの大きな意義を感じました。ドホナーニが指揮したトーンハレ管弦楽団の演奏会について、これ以上のことは稿を改めて書くことにいたします。

10日の夜には、チューリヒ歌劇場でベートーヴェンの《フィデリオ》の公演を観ました。マルクス・ポシュナーの指揮の下での演奏は、歌手の声の弱さやオーケストラのアンサンブルの粗さが少々気になるところもありましたが、ほぼ申し分のないものでした。レオノーレの役を歌ったアーニャ・カンペも、フロレスタンの役を歌ったブランドン・ヨヴァノヴィチも、好みの方向の歌唱と演技ではなかったとはいえ、なかなかの好演だったと聴こえました。しかし、ベートーヴェンの音楽がなかなか胸に迫ってきません。それは、アンドレアス・ホモキの演出による舞台に入っていけなかったからでした。

彼の演出による《フィデリオ》は、よく知られた序曲ではなく、このオペラのクライマックスとも言える第2幕の四重唱から始まります。そして、実際のドラマにはない悲劇的な結末──銃の暴発によってレオノーレが斃れてしまいます──が演じられるなか、ドン・フェルナンドの到着を告げるラッパが響くと、音楽がレオノーレ序曲第3番へと移行するのです。その後で《フィデリオ》のドラマがあらためて始まるのですが、そうするとドラマが最初から普遍化されてしまって、個々の登場人物をめぐるドラマが、どうしても空々しく映るのです。

たしかに、ホモキは敢えてそのことを狙ったのかもしれません。登場人物の名前やそれが発する言葉の一節が、場面ごとに、何ひとつ装置の置かれていない舞台に投射されるのですが、そのことは舞台空間をアレゴリー化するものだったと考えられます。また、登場人物自身に台詞を語らせるのではなく、その断片化されたテクストを匿名の声としてスピーカーで響かせるやり方も、《フィデリオ》の状況をアレゴリー化し、観客を思考に誘うものと言えるでしょう。こうした手法自体の可能性は、ポストドラマ的な舞台を呈示するものとして評価できます。

ステンドグラスが美しい聖母教会

ステンドグラスが美しい聖母教会

しかしながら、今回の《フィデリオ》の上演の場合、このような手法によって、場面どうしの関連が伝わらなくなり、ドラマの緊張感が薄れるとともに、音楽も生きなくなってしまっていたように思えてなりません。それぞれのアリアや重唱がばらばらに聴こえてしまうことによって、このオペラに特徴的とも言える、言葉が歌に移行する瞬間の感動が失われ、音楽の展開とドラマの緊密な関係が見えなくなっていたのではないでしょうか。いくつもの疑問を抱えながら舞台を眺めておりました。《フィデリオ》という作品の上演の難しさをあらためて感じさせる公演でした。

さて、今回のチューリヒ滞在のあいだ、マレク・シャガールとアルベルト・ジャコメッティによるステンドグラスが美しい聖母教会の他、街から少し外れた静かな住宅地のなかにあるリートベルク美術館も訪れました。ヴァーグナーがマティルデ・ヴェーゼンドンクと恋に落ち、その後楽劇《トリスタンとイゾルデ》の第1幕を書いたヴィラ・ヴェーゼンドンクを中心とする、非西欧の美術作品のための美術館です。そこで現在行なわれている「コスモス(宇宙)」をテーマとする特別展が面白いと聞いたので、出かけてみました。

何よりもまず、美術館の建物とそれを取り囲む緑の美しさに引き込まれました。 世界の各地域の──死者の世界を含めた──宇宙観を象徴する作品を集めた「コスモス」展では、ミクロコスモスとマクロコスモスの照応が、人体の表現を焦点としながら、世界中で実に多彩に表現されていることが示されていて、とても興味深かったです。一人ひとりがそれぞれに宇宙を宿すということから、詩人たちが「万物照応」と表現してきた感性の在り処とともに、自然ないしその生きものたちと結びついた人間像が捉え直されうるかもしれません。また、古代エジプト以来のさまざまなコスモスの表現からは、人がどこから来て、どこへ向かうのか、という根本的な問いについてのさまざまな取り組みも垣間見えるようにも思われました。

リートベルク美術館となっているヴィラ・ヴェーゼンドンク

リートベルク美術館となっているヴィラ・ヴェーゼンドンク

リートベルク美術館では、同時に20世紀初頭の最初期のカラー写真の展覧会「色彩のなかの世界」も行なわれていて、とりわけその撮影者が、当時のヨーロッパ世界にとって辺境の地に目を向けていたのが印象に残ります。そして、この美術館において何よりも驚かされたのが、そのコレクションの充実ぶりです。日本の絵画や仏像を含め、非西欧の世界のほぼあらゆる地域の美術工芸品が、相当に網羅的に集められているうえ、そのどれもがきわめて質の高い作品なのです。とくにアジアの宗教美術のコレクションは素晴らしいもので、この美術館がアジアの多彩な宗教文化に、非常に深い関心を寄せていることがうかがえます。

この美術館では、午前中にパトリシオ・グスマンのドキュメンタリー映画『光へのノスタルジー』の上映も行なわれていました。チリのアタカマ砂漠に設置された天体望遠鏡で、遠い過去からの光を捉えることを、ピノチェトの恐怖政治の下で消された人々の死を悼んで砂漠のなかで遺骨を探すのに重ねる、映像的にも美しい瞬間の多い作品です。この映画も非常に感銘深いものでした。とりわけ、砂漠の厳しい日差しと風のなかで、虐殺された肉親の遺骨を一心に掘り起こそうとする女性たちの言葉が胸を打ちます。この映画に出会えたことも、今回の滞在の収穫の一つでした。チューリヒへ来たのは、2003年に当地の大学でアドルノ生誕百周年の学会が行なわれたとき以来二度目でしたが、今回もダダ生誕の地、キャバレー・ヴォルテールへ足を運ぶ時間がなくなってしまいました。次回の楽しみに取っておこうと思います。