Chronicle 2017

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ある秋の日の夕暮れの太田川放水路

例年よりもいくぶん寒さの厳しい年の瀬をいかがお過ごしでしょうか。広島はここへ来て曇りがちになってきました。そのぶん冷え込みは、気温のうえでは和らいでいますが、湿気のせいでむしろ寒く感じます。昨年は在外研究で滞在していたベルリンで年の瀬を迎えていたわけですが、たしかその頃は、日中も気温が零度を下回るくらい寒さが厳しかったと思います。しかし、空気が乾燥しているせいか、滲みるような寒さは感じませんでした。そのような気候のなか、ベルリンでは淡々と日々を過ごしていたことが思い出されます。大晦日が半分休日で、元旦が休日になる以外にはとくに休みのないドイツに、日本の年末のような慌ただしさはありません。ただし、当然ながら大晦日の夜だけは別で、元旦にさしかかった夜半過ぎまで、周りじゅうで打ち上げ花火の音が、ほとんど戦場のように轟いていました。

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10月に訪れた三段峡にて

ようやく年内までの仕事に目処をつけて、なかなか読めずにいた本のページを繰っていると、そのようなことが少し懐かしく思い起こされます。今年の2月上旬にベルリンでの10か月ほどの研究滞在を終えて帰国し、広島での仕事に戻ったわけですが、それから10か月以上が経ってもなお、日常生活のペースになかなか適応できずにいます。その要因として、在外研究後の多くの例に漏れず、4月に新しい学期が始まってからというもの、大学でさまざまな仕事を背負うことになって、それが非常に忙しいということも、もちろんあるにはあります。しかし、それ以上に自分が身を置いている環境、さらにはこの国の息苦しさが、今に至る「不適応」の最も大きな原因でしょう。たまに中国山地の峡谷などへ出かけたりすると、今まで感じたことのない解放感を感じることもあります。そうした自然の美しい場所に比較的容易く行けるのが、広島のよいところでしょうか。

それでも何とか日々の仕事をこなしているわけですが、やはり精神的にはストレスが溜まります。とはいえ、息苦しさを醸し出している仕組みにだけは、絶対に適応するまいと思っています。なぜなら、今この列島の人々を──私が身を置いている大学のいわゆる「改革」を含めて──「前へ」動かしている現在の仕組みが、幾重もの不正を覆い隠すことによって仕組まれたものであることは、少し目を開いて気骨あるジャーナリストなどが綴った文章を辿れば、歴然としているからです。何よりも許しがたいのは、権力者が不正を積み重ねて不正義を構造化していく過程で、現在の社会的関係のなかで弱い立場にある人々が被った、各人の尊厳を踏みにじる暴力が、暴力として裁かれていないことです。こうした問題に対して実質的に何もできないことは歯痒いですし、問題を質す言論が不可視の力によって抑圧されているのには、本当に胸が詰まる思いです。

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晩秋に訪れたパリのギャルリ・ヴィヴィエンヌにて

その一方で、選挙の結果などが示すように、不正を重ねた上で不正義を蔓延させる現在の仕組みに、人々がみずから、しかも「みなと同じように」しがみつこうとしているのも確かでしょう。秋にたまたま訪れた東京の美術館のやや混み合った展示室の内部で、観覧者が「自発的に」整然とした行列を作っているのを目の当たりにしたときには、言いようのない気味の悪さを覚えました。このような行動こそが、自分たちとは異質に見える少数者を排除しながら、社会をみずから息苦しいものにしているのではないでしょうか。それにけっして同化することのない自由が、少数者を含めた他者とともに生きることと結びつく回路を、学生を含めた若い人たちが、自分自身の生き方として考えるきっかけを伝えることが、教育に携わる者として課せられた仕事ではないかと考えていますが、その仕事もけっして容易ではありません。

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第28回武生国際音楽祭flyer

このような息詰まる社会生活から一歩離れて息をつき、思考をほぐすひと時を与えてくれたのが、音楽をはじめとする芸術でした。すでにここでもお伝えしてきたように、細川俊夫さんの室内オペラ《二人静》のパリでの世界初演やオラトリオ《星のない夜》のベルリンでの演奏、国内での重要な演奏会の数々、さらには魅力的な展覧会などに接することができたことは、けっして忘れられません。自分が芸術によって生かされていることを、これほど強く感じた一年はなかったと思います。それにどれほどお応えできたかは、はなはだ心許ないものがありますが、今年は芸術に関わる講演や執筆の仕事を、これまでになく多くいただきました。春には詩と美術、秋には詩と音楽について講演させていただく機会を得て、多くを学ぶことができました。初秋に武生国際音楽祭に参加させていただき、アーティストたちと身近に接して話すなかでも、多くの刺激を得ることができました。

324513今年は、このような芸術の関わりが、哲学するうえでも重要な位置を占めつつあるという感触を深めました。それはすでに公にしたエッセイや、来春にお届けする論文などにも表われていることでしょう。その一方で、2月までの在外研究の成果を含め、歴史哲学に関する研究の成果をまとめるという仕事は、来年に持ち越すことになりました。今年は、ベンヤミンの歴史哲学を検討した論文を、ドイツ語で書かれたものを含めて二篇公刊することができましたが、本当はもう一歩先へ仕事を進めておきたかったところです。それ以外に、事典の大項目というかたちで「哲学者」としてのベンヤミンの姿をお伝えする機会にも恵まれました。年が明けたらすぐに新しい仕事に取り組まなければなりませんし、1月から2月にかけては、細川俊夫さんのオペラ《班女》の広島での再演と、オペラ《松風》の日本初演をほんの少しお手伝いすることにもなっています。再び美術に関わる機会もいただいております。来たる年も、変わらぬご指導のほどよろしくお願いいたします。みなさまがお健やかに幸せに満ちた年を迎えられることを念じております。

■Chronicle 2017

  • 1月10日:原爆の図丸木美術館の『原爆の図丸木美術館ニュース』128号に、「ミュンヒェンの芸術の家に掲げられた《原爆の図》──Haus der KunstのPostwar展における第二部《火》と第六部《原子野》の展示について」と題する記事が掲載されました。ミュンヒェンのHaus der Kunst(芸術の家)におけるPostwar展の第一室に、丸木夫妻の《原爆の図》より第2部《火》と第6部《原子野》が展示されたことを報告し、展覧会の概要を含めて論評したエッセイです。
  • 2月10日:広島市立大学の学外長期研修によるベルリンでの研究滞在を終えて帰国しました。
  • 2月14日〜23日:広島市立大学で、国際学部の専門科目「共生の哲学II」と全学共通系科目「哲学B」の集中講義を行ないました。
  • 3月4日:駿河台のEspace Biblioにて、細川俊夫著『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(柿木伸之訳、アルテスパブリッシング、2016年)の刊行を記念してのトーク・ショーの進行役を務めました。リコーダー奏者の鈴木俊哉さんに、細川俊夫さんの作品などの演奏も披露していただいて、充実した内容の会となりました。
  • 3月10日:形象論研究会の雑誌『形象』第2号に、論文「形象における歴史──ベンヤミンの歴史哲学における構成の理論」、展覧会などの報告「パリでのパウル・クレー展『作品におけるイロニー』と国際コロック『パウル・クレー──新たな視点』に接して」、高安啓介さんの『近代デザインの美学』(みすず書房、2015年)の書評「内発的な構成としてのデザインの美学へ」が掲載されました。拙論「形象における歴史」は、ベンヤミンの歴史哲学が、形象を媒体として構成される歴史を構想していたことに着目し、その理論を検討するとともに、それを「記憶の芸術」の美的経験を組み込んだ歴史の構想に接続させる内容のものです。
  • 3月11日:成蹊大学で同大学のアジア太平洋研究センターの主催で開催されたシンポジウム「カタストロフィと詩──吉増剛造の『仕事』から出発して」のパネリストを務め、「言葉を枯らしてうたえ──吉増剛造の詩作から〈うた〉を問う」という表題の報告を行ないました。『怪物君』を含む最近のものを含めた吉増剛造さんの詩作を、原民喜とパウル・ツェランの詩作との布置において検討し、破局の後の詩ならびに言葉の可能性を、「うた」という観点から問う内容のものです。シンポジウムでは、吉増さんの詩作の初期から『怪物君』にまで貫かれているものを文脈を広げながら掘り下げ、詩とは何か、詩を書くとはどういうことかを突き詰めていく思考が、4時間以上にわたって積み重ねられました。
  • 3月25日:図書新聞の第3297号に、竹峰義和さんの著書『〈救済〉のメーディウム──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会、2016年)の書評「媒体の美学の可能性──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲの不実な遺産相続の系譜から浮かび上がるもの」が掲載されました。アドルノによるベンヤミンの思想の継承に内在する破壊的ですらある読み替えが、思想の内実を批評的に生かしていることや、師にあたるアドルノが映画や放送メディアのうちに見ようとした可能性を、師とは異なった方向性において開拓するクルーゲの仕事に光を当てる本書の議論が、「フランクフルト学派」のもう一つの系譜とともに、知覚経験を解放する「救済の媒体(メーディウム)」の美学の可能性を示している点に触れました。
  • 4月1日:日本哲学会の欧文機関誌“Tetsugaku: International Journal of the Philosophical Association of Japan, Vol. 1”に、ドイツ語の論文„Geschichte aus dem Eingedenken: Walter Benjamins Geschichtsphilosophie“(「想起からの歴史──ヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学」)が掲載されました。拙著『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社、2014年)の終章に描き出した「想起」から歴史そのものを捉え返すというベンヤミンの着想を、彼の遺稿「歴史の概念について」の批判版(Kritische Ausgabe)の読解を軸にさらに掘り下げながら、彼の歴史哲学とは何か、という問題にあらためて取り組んでみました。想起の経験を検討する際に、「歴史の主体」という問題やその死者との関係にも論及しています。
  • 4月〜7月:広島市立大学で、国際学部の専門科目「共生の哲学I」、「社会文化思想史II」、「発展演習I」、「専門演習I」、「卒論演習I」、「多文化共生入門」の一部、全学共通系科目の「世界の文学」、「平和と人権A」の一部、そして大学院全研究科共通科目「人間論A」を担当しました。広島大学の教養科目「戦争と平和に関する学際的考察」2回の講義も担当しました。
  • 4月29日:広島市現代美術館の特別展「殿敷侃──逆流の生まれるところ」に関連した講演「逆流の芸術──ヒロシマ以後のアートとしての殿敷侃の芸術」を同美術館のスタジオにて行ないました。殿敷侃の芸術を一貫した逆流の芸術として捉えるとともに、同時代の芸術などと照らし合わせることによって、彼の芸術をヒロシマ以後のアートとして見直す可能性を探る内容のものです。
  • 5月15日:松山大学の黒田晴之さんが招聘された現代クレズマーを象徴するミュージシャン、フランク・ロンドンによる特別講義、ロンドンとジンタらムータの共演によるミニ・ライヴを、広島市立大学国際学部の授業の一環として企画しました。両方に多くの一般の方々にお越しいただき、盛況のうちに終えることができました。
  • 5月20日:原爆の図丸木美術館で開催されている本橋成一写真展「ふたりの画家──丸木位里・丸木俊の世界」と関連して原爆文学研究会との共催で開催された、本橋さんの監督による映画『ナージャの村』(1997年)と、この作品の公開から20年後の再訪ドキュメントの上映後のトークの聞き手役を務めました。
  • 5月25日:東京オペラシティ文化財団主催の同時代音楽企画「コンポージアム2017」のプログラムに、「ヘルダーリンの詩と音楽」と題するエッセイが掲載されました。今年のコンポージアムで日本初演されたハインツ・ホリガーの《スカルダネッリ・ツィクルス》の作品解説を補完するかたちでヘルダーリンの生涯と詩作を音楽との関わりにおいて紹介する内容のものです。アドルノのヘルダーリン論「パラタクシス」を参照して、二十世紀以降の音楽とヘルダーリンの詩の親和性に光を当てようと試みました。
  • 6月16日:ひろしまオペラ・音楽推進委員会の主催でJMSアステールプラザのオーケストラ等練習場にて開催されたHiroshima Happy New Earの第23回演奏会「次世代の作曲家V」のアフター・トークの進行役を務めました。この演奏会では、細川俊夫さんの《旅IX──目覚め》が日本初演された他、川上統さんと金井勇さんのヒロシマに寄せた新作が世界初演されました。
  • 7月25日:広島市立大学の「市大から世界へ」グローバル人材育成講演会として開催された、ハンブルク・ドイツ劇場の原サチコさんの講演「ヒロシマを世界に伝えるために──ハノーファーでの『ヒロシマ・サロン』の試みから」の際に、講師の紹介役を務めました。
  • 9月2日:広島市東区民文化センタースタジオにて行なわれた第七劇場のイプセン「人形の家」の公演のポストパフォーマンス・トークにて、同劇団の主宰者鳴海康平さんと対談しました。
  • 9月11日:大阪大学大学院文学研究科の美学研究室の主催で大阪大学中之島センターで開催されたシンポジウム「シアトロクラシー──観客の美学と政治学」にてパネリストを務めました。「演劇の批判と擁護」と題する講演を行なったフランクフルト大学のクリストフ・メンケさんの仕事に応答するかたちで、「音楽゠劇(ムジーク゠テアーター)の批判的構成に向けて──ベンヤミンとアドルノの美学を手がかりに」という報告を行ないました。アドルノの『ヴァーグナー試論』におけるヴァーグナーの「総合芸術作品」が資本主義社会の「幻像(ファンタスマゴリー)」と化してしまうという議論を、現在のオペラの文化的現象に当てはまるものとして捉えつつ、そこに含まれる観客支配制の問題にも論及したうえで、モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》と細川俊夫の《リアの物語》を、従来のオペラが表象してきた「人間」の像からはみ出す人間の深淵にある力を響かせるオペラとして論じる内容の報告です。 シンポジウムの内容は、来春刊行の雑誌『a+a美学研究』(大阪大学大学院文学研究科美学研究室編)で紹介される予定です。
  • 9月14日:作曲ワークショップの特別ゲストとして参加させていただいた第28回武生国際音楽祭にて、「嘆きの変容──〈うた〉の美学のために」という表題の講演をさせていただきました。困難な世界のなか、他者とのあいだで、そして死者とともに生きることを悲しみとともにわが身に引き受ける嘆きを掘り下げ、その嘆きを響かせるという観点から、〈うたう〉ことを、さらに言えば〈うた〉の出来事を、文学と音楽を往還するかたちで考察する内容のものです。
  • 9月19日:JMSアステールプラザのオーケストラ等練習場で開催されたHiroshima Happy New Earの第24回演奏会「若き巨匠イェルーン・ベルワルツ──トランペットの世界」にて、アフター・トークの進行役を務めました。今回の演奏会では、細川俊夫さんのトランペット協奏曲にもとづく《霧のなかで》や、ジェルジュ・リゲティの《マカーブルの秘密》などが演奏されました。
  • 9月30日:9月30日と10月1日にJMSアステールプラザの大ホールで開催された、ひろしまオペラルネッサンス2017年度公演《コジ・ファン・トゥッテ》(モーツァルト作曲)のプログラムに、プログラム・ノート「清澄な響きのなかに開かれる人間の内なる深淵──モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》によせて」が掲載されました。モーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》が19世紀のブルジョワ社会に評価されなかった背景を、作品の構成やその基盤にある思想から解き明かすとともに、その社会の「人間」像を踏み越える自由を、後期のモーツァルトの音楽が人間の深淵から響かせていることを、作品の特徴を紹介しつつ浮き彫りにする内容のものです。
  • 10月〜2018年2月:広島市立大学で国際学部の専門科目「共生の哲学II」、「社会文化思想史I」、「発展演習II」、「専門演習II」、「卒論演習II」、全学共通系科目「哲学B」を担当しています。
  • 11月24日:広島芸術学会の会報第145号に、同学会第120回例会の報告「ひろしまオペラルネッサンス公演《コジ・ファン・トゥッテ》の鑑賞」が掲載されました。ひろしまオペラルネッサンス公演の鑑賞ならびにその後の感想交換会というかたちで開催された例会について、モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》という作品に正面から取り組んでその美質を生かした上演の歴史的な意義を指摘し、上演をめぐる意見交換の概要を伝える内容のものです。
  • 11月24日:大項目「ヴァルター・ベンヤミン」を寄稿させていただいた『メルロ゠ポンティ哲学者事典別巻──現代の哲学・年表・総索引』(加賀野井秀一、伊藤泰雄、本郷均、加國尚志監修、白水社)が刊行されました。私が執筆した項目では、1917年の「来たるべき哲学のプログラムについて」における経験への問いを出発点としつつ、言語哲学、美学、そして歴史哲学から「哲学者」としてのベンヤミン像に迫ろうと試みました。彼の生涯と思想を哲学の視点からコンパクトにまとめた記事としてご笑覧いただければ幸いです。
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初夏の音楽と美術など

[2017年6/7月]

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世羅高原の薔薇「詩人の妻」

暑中お見舞い申し上げます。うだるような暑さの日が続きますが、お元気でしょうか。広島では、夕凪がいつもにも増して蒸し暑く感じられます。今年は空梅雨の後に、局所的な豪雨が日本列島の各地を襲いましたが、ここ広島も六月の末に、三年前の土砂災害の日を思い出させるような豪雨に見舞われました。それにしても、7月5日から6日にかけての九州北部での豪雨の被害には心が痛みます。と申しますのも、以前に佐賀県の鳥栖市でラ・フォル・ジュルネ(「熱狂の日」音楽祭)が開催されていたのに通っていたとき、今回の豪雨の被害が最も大きかった福岡県朝倉市の杷木温泉を宿泊に使っていたものですから。それにこの朝倉市には、「国際子ども芸術フェスティヴァル」の伝統もありました。被災した方々の一日も早い生活再建を願ってやみません。

六月から七月にかけては、心身の調子があまり良くありませんでした。四月から、まったく新しい講義を含めた大学の仕事が本格的に始まり、二年前よりもかなり多忙だったこともありますが、そのなかで暗然とさせられることがあまりにも多かったのも確かです。昨今、大学のあり方について、大学の内外でさまざまな「改革」の必要性が言われていますが、その多くは、大学を含めた組織の次元の低い自己満足と、子どもとその親にたかる「教育産業」の新たな利権のためのものでしかないと思われてなりません。そして、そのために若い人たちと、その一人ひとりのための教育が食い物にされることは、許しがたいことです。こうした風潮すべての虚妄を見抜けるような批判的思考を培うことも、大学における教育の責務となりつつあることを痛感する昨今です。

七月の上旬には夏風邪を引いてしまったのですが、その症状が治まってきたところで、手足の末端に力が入らなくなってしまいました。一種の虚脱状態になって、何も手につかない日がしばらく続きましたが、おかげさまで今はある程度体調が回復してきました。そのようなわけでなかなか思うように仕事ができず、忸怩たる日々を送っていたわけですが、学ぶことにひたむきな学生の姿とその成長には救われます。今学期の三年生向けのゼミでは、学生の問題意識に応じるかたちで、花崎皋平の『生きる場の哲学──共感からの出発』(岩波新書)を講読しましたが、それをつうじて私も学ぶことが多かったです。その以下の一節は、今あらためて個々人の置かれている状況とともに顧みられるべきかもしれません。「無にひとしいものでありながら、自分とおなじ運命のもとに他人もまたおかれていることを、身につまされて感ずることができたら、そこに生まれる感情は『やさしさ』と名づけられるだろう。つまり、『やさしさ』とは、疎外された社会的個人のありようを、共感という方法でとらえるときに生ずる感情である」。

20170725 原サチコ グローバル人材育成講演会 - コピー

原サチコさん講演会のflyer

7月25日に、大学の「『市大から世界へ』グローバル人材育成講演会」の講師に、ハンブルク・ドイツ劇場の専属俳優として活躍されている原サチコさんをお迎えできたのは、大きな喜びでした。「ヒロシマを世界に伝えるために──ハノーファーでの『ヒロシマ・サロン』の試みから」というテーマでお話しいただきましたが、ハノーファーをはじめとするさまざまな場所でのヒロシマ・サロンを、そのきっかけとなった林壽彦さん(広島とハノーファーが姉妹都市になるきっかけを作った方です)との出会いを含めてご紹介いただいたことによって、ヒロシマがチェルノブイリなど二十世紀の世界的なカタストロフィのあいだにあることが浮き彫りになると同時に、それとの関係のなかで被爆の記憶を継承していくことの課題が照らし出されました。そして、苦難の記憶を分かち合うことにもとづく交流が、まずは相手に対する関心と尊敬にもとづいてこそ、実質的なものになることも、聴衆に伝わったと思います。何よりも、講演会をハノーファーへの留学生を含めた人々の出会いの場にできたことは嬉しかったです。

58dcddff527ebところで、六月と七月にはいくつか感銘深い演奏会に接することができました。まず、6月7日に広島市のアステールプラザのオーケストラ等練習場で行なわれたHiroshima Happy New Ear XXIII「次世代の作曲家たちV」では、川上統さんと金井勇さんが「ヒロシマ」に寄せた新作の誕生の瞬間を多くの聴衆と分かち合うことができました。川上さんの《樟木》と金井さんの《凝視》は、好対照をなしていたので、巧まずして刺激に満ちた演奏会の構成にもなったのではないでしょうか。川上さんの作品では、旋律的なモティーフが折り重なるなかで響きが徐々に熱を帯びていく過程が印象的でしたが、それは「樟木=クスノキ」の生命が、地下へ根を張り、中空に葉を茂らせていく様子とともに、それを見守る人間の魂の存在も感じさせるものでした。川上さんの作品では、歌心を感じさせる時間の連続が特徴的でしたが、金井さんの作品では逆に時を断ち切る衝撃が、ただならぬ緊張感を醸していました。そこにあるのは、時系列的のうえでは72年前に起きたことが未だ過ぎ去っていないことに触れる、いや、むしろ触れられることの衝撃なのかもしれません。この衝撃とともに始まる「凝視」と想起の時間を象徴するソリスティックなパッセージの連なりも、求心力に満ちたものだったと思います。川上さんの作品は、被爆してもなお滅びることのなかった木々の生命力を、金井さんの作品は、被爆の痕跡を目の当たりにする衝撃と、それに続く想起の時の緊張を、魂の奥底から感じさせるものと思います。そのような作品を広島に届けてくださったお二人に、あらためて感謝したいと思います。

今回のHiroshima Happy New Earで、ブーレーズの《メモリアル》の演奏と細川俊夫さんのギター協奏曲《旅IX──目覚め》の演奏に接することができたのも大きな喜びでした。ブーレーズの作品では、何と言っても森川公美さんのフルートが素晴らしかったです。音楽の展開をわがものにした読みと繊細な歌心を兼ね備えた演奏によって、魂=言葉の雅な舞いが浮かび上がっていました。亡くなったフルーティストに捧げられたこの作品の凝縮度の高さも伝わってきました。細川さんの《旅IX》における福田進一さんのギターの独奏も、作品への共感に満ちた素晴らしいものでした。自然のなかを歩む人間の魂の開花を象徴したこの作品の音楽においては、大きく螺旋状に発展していくなかで、一つひとつの音が沈黙のなかから立ち上がってくる瞬間がことに印象的でした。その出来事によって、時に空間がたわむかのようにも聞こえました。福田さんのギターと広島交響楽団のアンサンブルが緊密に呼応し合うなかで、実に豊かな響きが生まれていたのも印象的でしたが、その響きがぎらりとした、強烈な生命の輝きをも見せていたのには驚かされました。それにしても、細川さんの作品を聴いていて、川瀬賢太郎さんが指揮する広響の素晴らしさをあらためて実感しました。響きの風景と空気感が実に見事に表現されているのです。それぞれの作品の響きが独特の時間に結びついているのがひしひしと伝わる、素晴らしい解釈と演奏でした。

18301815_1885690948358355_7477246877900166576_n7月14日に広島の流川教会で行なわれた、ザ・ロイヤル・コンソートの演奏会も心に残ります。そこでは、J. S. バッハが未完のまま遺した《フーガの技法》が、寺神戸亮のバロック・ヴァイオリンと三台のヴィオラ・ダ・ガンバにより演奏されました。二曲に“BACH”の名を音列のかたちで織り込み、バッハの作曲技法の自己省察を示すこの巨大なトルソーは、楽譜に楽器編成が記されていないことから、従来管弦楽、弦楽四重奏、あるいはオルガンのような鍵盤楽器で演奏されてきましたが、今回のように当時一般に用いられていた弦楽器のミニマムな編成で演奏されると、三つないし四つの声部が複雑に絡み合うなかから、大バッハとその同時代人の息遣いが響いてくる気がします。透明でありながら、モダン楽器の四重奏などよりも呼吸を感じさせる響きがまず印象的でした。それが、歌うことと一体となった精緻な思考によってフーガやカノンが組み立てられていることを感じさせます。

また、基本主題のリズムを変えたり、その反行型を作ったりすることにもとづいて曲が構成されることが、全体の響きの色合いを変えるのが、直接的に過ぎないかたちで伝わってくるのも好ましかったです。長調の響きのなかで、ヴァイオリンが高い音域を奏でる瞬間など、柔らかな光が上から差してくるように聴こえました。他方で、細かい音型のコンチェルタントな掛け合いが聴かれる曲や、途絶した三つの主題によるフーガの力強さにも欠けていなかったと思われます。ルネサンスの声のポリフォニー音楽との連続性も感じさせるかたちで、《フーガの技法》の魅力を再発見させる素晴らしい演奏会でした。詳細な解説と各曲の作曲技法をスクリーンに投影する工夫も、聴衆の理解を助けてくれました。

細川俊夫さんの《嘆き》がマーラーの交響曲第2番「復活」とともに取り上げられた東京交響楽団のミューザ川崎での定期演奏会(7月15日)については、すでに別稿で触れましたが、それ以外に7月22日には、すみだトリフォニーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団のサマーコンサートを聴きました。今回の演奏会のプログラムは、音楽監督の上岡敏之が、聴衆のリクエストにもとづいて選曲して指揮するという趣向でしたが、上岡は「ヴィルトゥオーゾ」という観点から、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調とベルリオーズの幻想交響曲を選んでいました。演奏と作曲双方のヴィルトゥオーゾの作品というところでしょうか。

後者に期待して出かけたのですが、上岡と新日本フィルハーモニーは、よい意味で驚きに満ちた演奏を聴かせてくれました。上岡は、「初心に還って」音楽作りをしたいという旨のことを、プログラムに収められたインタヴューで述べていましたが、「初心に還って」ベルリオーズが書いたスコアを読み直すと、これほどまで豊かな内容が引き出されるのか、という驚きが、音楽を聴く喜びと結びついた演奏だったと思います。幻想交響曲に慣習的に付け加えられていることを排して、ある意味で書かれた音だけでもしっかり響かせるなら、標題音楽的な情景、いや譫妄のなかのおどろおどろしい光景までもおのずと響くことを感得できました。

そうした方向性は、割合さらりとした序奏からも伝わってきましたが、上岡の指揮は、主部に入って音楽が熱を帯びるなかでも、見通しのよい響きを保ちながら、ベルリオーズの持っていた音色の豊かさを存分に生かしていました。全曲を通して、打楽器の音色を実に細かく使い分けていたのが印象的でした。それが音楽の進行に絶妙なアクセントを添えていました。この交響曲では個人的に、ヴァイオリンと木管楽器が一緒に旋律を奏でる響きが好きなのですが、そうした箇所の響きの美しい広がりも、歌の美しさも申し分のないものでした。第二楽章のワルツの旋律を含め、伸びやかな歌に満ちた演奏でもありました。第三楽章のコーラングレやクラリネットの独奏をはじめ、木管楽器の演奏はどれも素晴らしかったです。弦楽セクションのアンサンブルの充実は、上岡との音楽作りの成果を示して余りあります。

前半には戸田弥生の独奏でパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番が演奏されましたが、その演奏も、技巧の誇示に終わることのない音楽の有機的な発展を伝えるものであったと思います。戸田の独奏は、力が入りすぎたと見える箇所もありましたが、豊かな音で歌心を示した、好感の持てるものでした。彼女の最近の充実ぶりは、アンコールで演奏されたJ.S. バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータのサラバンドが雄弁に物語っていたように思います。アンコールと言えば、幻想交響曲の後にリストのハンガリー狂詩曲第2番が取り上げられたのですが、その演奏が圧巻でした。個人的にこの曲を積極的に聴くことはないのですが、今日ばかりは曲の面白さを、そして演奏と作曲の両面におけるリストのヴィルトゥオジティを心から楽しみました。

六月から七月にかけては、いくつか重要な美術の展覧会にも接することができました。まず、6月11日には、ギャラリー交差611でのいさじ章子さんの個展「基町の文化人──いさじ章子の小宇宙」を見ることができました。比較的大きなサイズの油絵に始まり、「ハルコ」の名で繰り広げられた街頭パフォーマンスの記録映像、そしてそれぞれが一篇の詩を感じさせる小さな絵画作品と続く展示は、実に見応えがありました。なかでも小さな絵の数々が、文字通り林立するかたちに掲げられたいさじさんの詩的な言葉と応え合っているところは、非常に感銘深かったです。言葉を読んで、あらためて絵を見ると、いさじさんが一貫して自身の生きざまを身体的な次元まで深く掘り下げ、そこにある生命の蠢きを感じ取るところから作品を創っていることが伝わってきます。最近の絵画作品では、《水のように歩く》や《佇む》といった作品が印象に残ります。ちなみに、いさじさんは、拙著『共生を哲学する──他者と共に生きるために』(ひろしま女性学研究所)の表紙に素晴らしい絵を描いてくださった方です。

また、7月5日には、峠三吉と四國五郎の交流、とくに1950年前後の「辻詩」の共同制作に光を当てた展覧会「駆けぬけた広島の青春」を、広島市の合人社ウェンディひと・まち交流プラザで見ました。四國と峠の合作による「辻詩」の現存するすべてを並べて見られたのが何と言っても印象深かったです。おそらく、この当初から儚さを運命づけられた合作は、往来に貼られる一つの行為によって、街路を辻、すなわち人と人が交差する場に変えていたにちがいありません。それとともにどのような人たちが出会っていたのかと想像しながら見入りました。控えめな画面が詩の言葉を引き立てている一枚もあれば、絵の動きに詩が吸い込まれていくかのような一枚もありました。なかでもインパクトが強かったのはやはり、日本銀行旧広島支店での四國五郎の回顧展にも出品されていた、当時の「パンパン」の姿を突きつける一枚でした。「辻詩」の1985年の原水爆禁止署名活動における復活を示す連作も、ナジム・ヒクメットの詩の受容を含め、興味深かったです。1949年の日鋼争議を描いた四國の絵と、そこで朗読された峠の詩が展示されていたのも、両者の出会いを印づけるものとして貴重だったのではないでしょうか。

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無題I(或いはピゴチャーズI)

7月22日には、東京の祖師谷のGallery Taga2にて、ボローニャとニューヨークを拠点に活動しているアーティスト吉田萠さんの個展「ジェルンディオ」を見ました。浅海の砂泥に棲む半索動物ギボシムシの生態から着想を得ながら人間の記憶、人間の自己形成ないし自己の崩壊を孕んだ変成の過程、さらにはスタニスワフ・レムとアンドレイ・タルコフスキーの「ソラリスの海」を思わせるその時空間を、多層的に、かついくつもの感覚を刺激するかたちで問う創作活動が展開されているのを、萠さんのお話を聴きながらとても興味深く見ることができました。萠さんの作品は、言葉やさまざまなイメージを書き込んだ平面にいくつもの層を重ねたり、層の一部を、それ自体ギボシムシの形を思わせるような言葉の型をくり貫いたりするなどして構成されていましたが、それをつうじて一部が消えて読めなくなっている文字は、それ自身で新たな運動を始めているかのようでもありました。そして、その動きが作品の空間を越えた世界に通じていることも示す、開かれた構成も作品から感じられました。

砂を吸っては吐いて栄養を摂取するギボシムシは、さまざまな観念やイメージを吸収しながら、あるいはそれを忘れながら生きる人間の自己形成の過程を連想させると萠さんは語っておられました。その過程で記憶の襞に、澱のように固着していくものもあることでしょう。作品のなかの石や錆を思わせる細部からは、そうしたものの存在を感じました。作品そのものが、無数の襞を持った人間の不可視の記憶器官をめくり返したようでもあり、同時に器官としての作品が蠕動し始めているようにも思われました。イタリアの古い扉をモティーフにしたという、別の世界へ通じる扉のような作品も、ギボシムシの生態を、記憶の海に生息する半機械的な生物に変成させた立体作品も、非常に魅力的でした。とくに、脆さも感じさせるかたちでゆらめきながら何かを感知している生き物は、見ていて飽きることがありません。その姿は、人間の自己の脆さとともに、その変成の未来をも暗示しているのかもしれません。

ちなみに萠さんは、細川俊夫さんのオペラ《リアの物語》の広島での上演の際に、卓抜な舞台美術を担当された方です。その公演の演出家ルーカ・ヴェッジェッティさんのお連れ合いでもあり、昨夕はルーカさんとも再会できました。広島で日本銀行旧広島支店に強烈な印象を受け、そこに何度も通ったとのお二人のお話を聴きながら、いつかこの被爆建物の空間で萠さんの作品を見てみたいと思いました。

7月23日には、国立新美術館でジャコメッティ展を見ました。マルグリット&エメ・マーグ財団のコレクションを中心とした大規模な展覧会で、アルベルト・ジャコメッティの回顧展を見るのは、数年前に兵庫県立美術館で見て以来ということになります。存在感に満ちた一連のディエゴの胸像やおそらくは妻のアネットをモデルとした細い女性の立像から強い眼差しを感じながら、ベンヤミンが「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」に記した、眼差しをめぐる考察を思い出していました。彼はこう述べています。「つまりアウラの経験とは、人間社会にしばしば見られる反応形式を、生命を持たないものや、自然と人間の関係に転用したものである。見つめられている者、あるいは見つめられていると思っている者は、眼差しを開く。ある現象のアウラを経験することは、この現象に眼差しを開く能力を付与することである」。ジャコメッティは、この眼差しの出来事に形を与えようという狂おしい試みを続けていたのかもしれません。

ベンヤミンが描くボードレールにとってこの「アウラの経験」が不可能であったように、ジャコメッティにとって一人の人間が眼差しを放ちながら立ち現われてくることの全体を捉えることは不可能であり続けたでしょう。しかし、彼はその出来事をその精髄において捉えようと苦心を重ねました。その過程をシュルレアリスムの影響下にあった初期から辿ることによって、ジャコメッティの芸術が、以前よりも身近に感じられるようになりました。

今回出品されていた作品のなかで印象に残ったのは、どちらかと言うと後期の作品で、とくに《ヴェネツィアの女たち》の立像群は美しく思われました。一体一体を少し距離を置いて見ると、一人ひとりが独特の顔立ちと眼差しでこちらを見つめ、何かを語りかけてくるように感じられます。それ以外の女性の立像のほかには、歩く男の像が興味深かったです。大きな《歩く男》も《三人の歩く男》の群像も、さまざまな力を背負いながら大いなる一歩を踏み出すという出来事を強く印象づけます。その力を、人間のみならず、《犬》も一身に背負っていることでしょう。これほど哀しい犬の姿は見たことがありませんが、それを形にするところにジャコメッティの生あるものへの愛を感じます。

さて、早いものでもう八月になります。学期の仕事がようやく終わりに近づいてきましたので、九月に二度予定されている講演の準備や、依頼されている原稿の執筆に本腰を入れなければなりません。また、その先に予定されている原稿の執筆の準備にも取りかかる必要があります。この二か月ほどで作業日程にいろいろと遅れが生じていますので、それを可能なかぎり取り戻したいとは思いますが、個人的な事情で思い通りにいかないことがあるかもしれません。それでも、現代世界における芸術の可能性を批判的に省察する、あるいは歴史のなかに生きることを、自分自身の問題として考えるきっかけになるような言葉をお届けできるよう、一ページずつ文献を読み進め、一文一文を書き連ねていきたいと思います。これから暑さがいっそう厳しくなるでしょうが、みなさまどうかお身体に気をつけて、よい夏をお過ごしください。

ベルリン通信VII/Nachricht aus Berlin VII

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十月初旬のベルリンの秋空をボーデ美術館の脇より

十月は、こちらの大学では日本で言う新年度の始まる月で、今回の研究滞在に際してお世話になっているベルリン自由大学のダーレムのキャンパスも、ドイツだけでなく、世界各地からの新入学生を迎えてかなりにぎやかになりました。講義が本格的に始まるのは十月中旬からで、この点は、日本に比べるとかなりのんびりとした感じです。とはいえ、こちらでは日本で言う学会シーズンも始まっており、学内外で研究会合などの行事が目白押しで、それに関わっている教員は、かなり忙しそうに見えます。十月は、そうした慌ただしい大学の様子を横目に、ほぼ毎日大学の文献学図書館に通って、文献を見ながらいくつかの原稿を書いていました。

ちなみに、この図書館では、おしゃべりしながら入ってくる学生がいると、吹き抜けの上階からすぐに「シッ」という声が飛んできます。逆に、先日聴きに行った退職教員の最終講義では、いつもの調子なのでしょうが、ぼそぼそと語り始めたその教員に、「もっと大きな声で話してくれませんか!」という声が飛んでいました。大学では、学生のあいだでも、碩学に対しても遠慮というものがありません。そうした大学の気風は、日本でも大学という場所を風通しよくするためにも、もう少し重んじてよい気がします。もちろん、そうした大学の構成員に対する遠慮のない振る舞いは、それぞれの視座から真理を探究する学問の営みに対する敬意と、その自由の尊重に裏打ちされていなければ、傍若無人な横柄さにすぎません。大学とは、自由であることを学び合い、それを他人とのあいだに学問を追求する者自身が実現する場所であることを、学期初めのドイツの大学の風景を眺めながら、あらためて思いました。

ともあれ、十月は文献を読み、論文を書いているうちにあっと言う間に過ぎました。ベルリンでの滞在期間も残り少なくなってきたので、そろそろそのもう一歩先にある自分自身の研究テーマを掘り下げて形にする仕事に取りかかりたいと思っています。なお、雑誌のそのものが公刊されたのは、八月の末なのですが、原爆文学研究会の機関誌『原爆文学研究』の最新号(第15号)に、能登原由美さんの『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社、2015年)の書評を寄稿させていただきました。長年にわたり能登原さんが取り組んできた「ヒロシマと音楽」委員会の調査活動の経験にもとづく楽曲分析と平和運動史を含んだ現代音楽史の叙述によって、「ヒロシマ」が鳴り響いてきた磁場を、政治的な力学を内包する場として、「ヒロシマ」の物語の陥穽も含めて浮き彫りにするものと本書を捉え、今後もつねに立ち返られるべき参照点と位置づける内容のものです。

先日ようやくベルリンの滞在先に届いたこの『原爆文学研究』第15号には、拙著『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会、2015年)についての高橋由貴さんによる大変丁寧な書評も掲載されていました。それ以前の著書の内容を踏まえ、それを含めた一貫した問題意識を『パット剝ギトッテシマッタ後の世界』の議論から浮き彫りにして、それと正面から向き合った対話を繰り広げる批評を読んで、そこでテーマとして挙げられている、死者とともに生きることを、人間がみずからの手で引き起こした破局の後に生きること自体と捉えながら、その場を今ここに切り開くような歴史の概念を、ベンヤミンと対話しつつ探っていかなければ、とあらためて思いました。

ところで、10月2日には、ハンブルク・ドイツ劇場で活躍されている俳優の原サチコさんがハノーファーで続けておられる„Hiroshima-Salon“に参加させていただきました。ハノーファー州立劇場のCumberlandsche Galerieで開催された今年の„Salon“では、まず井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」の抜粋の朗読に深い感銘を受けました。井上ひさしが、原爆に遭った少年たちの心情の機微に迫るとともに、広島がそれまでどのような街で、そこにどのような人々が暮らしていたかを浮き彫りにしながら、内側から生命を壊す放射能と外から迫る枕崎台風の洪水に呑み込まれていく少年たちの姿を細やかに描いていることが、ドイツ語訳からもひしひしと伝わってきます。考えることに踏みとどまることを、一貫して少年たちに説き続ける「哲学じいさん」の姿も印象深かったです。

「少年口伝隊」の朗読の後、ハノーファーと広島の青少年の交流をつうじて平和を創る人々を育てようとした林壽彦さんの事績とメッセージが、ヴィデオと当時を知るハノーファーの関係者により紹介されました。Hochschule Hannoverと広島市立大学の学生の交換を含め、ハノーファーと広島の現在の交流の礎になった林さんのお仕事の大きさをあらためて感じました。その後のトーク・セッションに参加させていただき、今ここで原爆を記憶することの意義と課題、そしてギュンター・アンダースの思想について、少しばかりお話させていただきました。学ぶことの多い機会を与えていただいたことに、心から感謝しているところです。ちなみに、お寿司とお茶が振る舞われた休憩の後、「ハノーファー最大」の„Karaoke-Show“では、ハノーファーの人々の日本のポピュラー・カルチャーへの愛着の深さ、そしてドイツと日本双方の「歌手」たちの歌の上手さに圧倒されました。

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ミュンヒェンのHaus der Kunstの外観

10月20日と21日にはミュンヒェンへ出かけて、Haus der Kunstで開催されている„Postwar: Kunst zwischen Pazifik und Atlantik, 1945-1965“を見ました。第二次世界大戦終結後の20年間の美術の展開ないし変貌を、„Postwar“という視点から、太平洋と大西洋の両方にまたがる世界的な視野を持って捉えようとするこの大規模な展覧会については、見た印象を別稿に記しましたので。ここでは、20日の夜にガスタイクで聴いたマリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団によるマーラーの交響曲第9番ニ長調の演奏について記しておきますと、彼が完成した最後の交響曲が、彼の生を愛おしむ歌に充ち満ちていることを、あらためて実感させるものだったと思います。その歌の美しさが芳醇な響きのなかに際立った演奏でした。とくに最終楽章のアダージョは美しかったです。心の底からの歌が響きが飽和するまで高まった直後に聴かれる、慈しむような歌の静謐さには心打たれました。ただその一方で、死に付きまとわれているがゆえに生を愛おしむ、その狂おしさが、深い影のなかから響いてほしかったとも思いました。

もちろん、ベルリンでも演奏会やオペラのシーズンが本格的に始まっており、どれに出かけるか迷う日々です。今月はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に三度通いましたが、三度目にしてようやくこのオーケストラの冴えた響きを聴くことができました。イヴァン・フィッシャー指揮によるバルトークとモーツァルトの作品を軸としたプログラムの演奏会では、一方で後半に演奏されたモーツァルトの「プラハ」交響曲の演奏が、この曲の大きさを意識しながらも、その至るところに見られるリズミックな動きを生き生きと躍動させるもので、深い感銘を受けました。曲の厳しさを鋭い響きで強調しながらも、典雅さをけっして失わない演奏で、とくにアンダンテの楽章を美しく響かせていました。やや早めのテンポを基調としながら、時にはっとさせるようなルバートを聴かせていたのが印象に残ります。

他方で、前半のバルトークの弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽では、まず、問わず語りのように静かに流れるモティーフが次々に折り重なって、やがて一つの力強い歌になり、深いため息のように響く瞬間に、恐ろしいほど深い空間が開かれたのに驚かされました。第2楽章のアレグロのテンポは当初控えめでしたが、それによってバルトークの書いた精緻なテクスチュアが実に生き生きと浮かび上がってきます。ハープとチェレスタによるさざめくようなパッセージの後、弦楽器の絡み合うモティーフが地の底から這い上がるように高揚した後は、フィッシャーはテンポを上げて、書の力強い跳ねのように曲を結んでいました。第3楽章のアダージョは、バルトークの夜の音楽が、深い闇のなかに無数の生命の蠢きを感じさせるように響きました。フィナーレでは、力強い「対の遊び」からバルトークの楽器が響いてきました。これまでの楽章の再現が、哀惜を帯びて美しく響いたのも感動的でした。

オペラでは、ベルリン州立歌劇場で観た、ベートーヴェンの《フィデリオ》の今シーズン最後の公演が感銘深かったです。ダニエル・バレンボイムの指揮の下、音楽的にきわめて充実した公演でした。ベートーヴェンが書いた音の一つひとつに生命を感じました。とくにシュターツカペレ・ベルリンの演奏が素晴らしく、垂直的な深さを感じさせる響きのなかに、リズムを躍動させていました。歌手たちも素晴らしく、とくにアンドレアス・シャーガーが歌ったフロレスタンのアリアは、絶唱と言ってよいほどの出来でした。レオノーレの役を歌ったカミラ・ニュルンドも、伸びのある声と正確な歌唱で人物像を浮き彫りにしていました。

この二人の二重唱から幕切れに至る音楽の内的な高揚は、圧倒的な力強さを崇高に響かせるものだったと思います。このベートーヴェン唯一のオペラのフィナーレに、彼が後にシラーの頌歌に乗せて歌う、人類的な共同性の予感がすでにあることを示した《フィデリオ》の上演でした。もちろん、その共同性から排除される者がいることも、舞台では暗示されていましたが。歌手のなかでは、ロッコ役を歌ったマッティ・サルミネンが非常に重要な位置を占めていました。存在感に満ちた声で、人物を結びつけながら舞台を動かしていました。「黄金の歌」も、台詞回しも説得力がありました。

ハリー・クプファーによる演出は、夫婦関係も含めた社会的な人間関係を超越するユートピアへの魂の跳躍を、ベートーヴェンの唯一のオペラに見ようとするもので、そのコンセプト自体は崇高なものでしょう。ただ、それを実現する手法にはいくらか疑問が残りました。ケルンに残されている、かつてゲシュタポによって拘留された人々が、憧憬と絶望の双方を表現する言葉を刻んだ壁を背景に使うというのは素晴らしい着想で、その前で歌われる囚人の合唱は圧倒的でしたが、ベートーヴェンの胸像の載ったピアノと写真をはじめ、小道具はあまり効果的ではなかったかもしれません。とはいえ、全体として、音楽とマッチした説得的な舞台であったのは確かでしょう。

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リリエンタール公園の桜の紅葉

このように、友愛の下に「人類」が立ち上がろうとする劇場の外では、差別的な憎悪表現が、まさに他者の自由を奪うかたちで撒き散らされているのも無視できません。それに対するドイツ社会の問題意識が、今年『憎悪に抗して(Gegen den Hass)』をフィッシャー書店から公刊して大きな反響を呼び起こしたカロリン・エームケのドイツ出版・書籍販売業協会の平和賞受賞に結びついたと思われます。このことも、十月に新聞の文化欄をにぎわせた話題の一つでした。彼女はフランクフルト大学などで哲学を修めた──フランクフルトで討議倫理を学んだと語っています──後、ジャーナリストにして著述家として活躍しているようです。エームケは、受賞に際してのインタヴューで、ドイツ社会の差別的な憎悪表現は、それ自体としては以前からずっとあったが、最近ではそれが確信犯的で厚顔無恥に現われるようになっていると述べ、それに対する危機感が『憎悪に抗して』を書いた動機の一つであると語っていました。こうした現象に対する共通の問題意識も、エームケの受賞の背景にあるのではないでしょうか。PEGIDAといった排外主義的な主張を行なうグループのデモは公然と行なわれていますし、とくに難民に対するヘイト・クライム(収容施設への放火など)は後を絶ちません。

フランクフルトでの書籍見本市の期間に当地のパウロ教会で行なわれた授賞式の挨拶でエームケは、人間の根本的な複数性を語ったハンナ・アーレントの『人間の条件』を引用しながら、差別的な憎悪が新たな段階に達しようとしている状況を見据えながら、憎悪に立ち向かう責任を、勇気を持ってともに引き受けようと語りかけていました。挨拶の表題は「始めよう(Anfangen)」でしたが、それは、みずからのアイデンティティを問い直しながら、そうして自分の物語ないし歴史を交換しながら、お互いの唯一性を尊重し合う自由な行為へ一歩を踏み出す「始まり」への呼びかけであったと思います。これは『憎悪に抗して』という本の主張とも重なると思いますが、その議論と彼女のスタンスに対しては、すでに批判的な論評も出ています。憎悪の背景にある社会的な問題への視野を欠いている、哲学的に憎悪を批判するだけでは、憎悪の問題に実質的に取り組むことはできないのではないか、といった──なかにはルサンチマンを背景にしたシニシズムを感じさせるものもある──批判がエームケに向けられていました。

こうした批判があるとはいえ、エームケの著述には、ザヴィニー広場駅の本屋でたまたま前著の『それは語りうるゆえに──証言と正義について(Weil es sagbar ist: Über Zeugenschaft und Gerechtigkeit)』というエッセイ集を手に取り、ドレスデンへの旅のあいだ読んでから、少し関心を持っているところですので、あちこちの本屋に平積みになっている『憎悪に抗して』も読んでみようかと思っています。そこから、公職にある者が人種差別にもとづく憎悪表現を他者の面前で行ない、それを監督責任者の首長が容認するというように、憎悪表現が新たな、そしてきわめて深刻な段階に入っている日本の状況について考える何らかの材料が得られるかもしれません。